マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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山添村の仕事人が作る竹製茶袋

2017年08月10日 09時11分05秒 | 民俗あれこれ(職人編)
山添村で唯一、というか、日本国内で唯一、竹製の茶んぶくろ(茶袋)を作る仕事人がおられる。

この年の4月に放映されたNHK奈良放送局の情報番組によってひと騒ぎ。

一時的に販売中止としていたようだ。

その後もテレビ放映や新聞記事で紹介されていた仕事人。

お会いしたことはないが、仕事人が丁寧に作られた「茶袋(ちゃんぶくろ)」は山添村大字大西にある施設「花香坊」で売っている。

花香坊」は地産地消の野菜も売っている。

時間に余裕があれば、品定めに入店する。

先日、取材帰りに立ち寄ったときは閉店だった。

この日の取材は午後4時前に終わったから寄ってみた。

閉店時間ギリギリいっぱいの時間に入店した。

「花香坊」は季節によって閉店時間が替わるので注意しておかないといけない。

訪れる最大の目的は食べたくなる野菜を買うことだ。

買ってからもいろんな商品棚に目を移す。



そこにあったのは仕事人が作った竹製の「茶袋」である。

一個が1200円。

「茶袋」の用途は茶葉を煮出す際に使うときの道具。

可愛いからと買う人も多いから、すぐに売り切れる。

「茶袋」は一個、一個が手造り。

作っては商品棚。

お客さんは良いものを見つけたと云って買っていく。

(H28.12. 4 SB932SH撮影)
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室生染田・野鍛冶師の発注受け農具

2017年07月16日 07時01分24秒 | 民俗あれこれ(職人編)
野鍛冶作業の行程の実際を見せてくださったあとは注文順に並べた発注者農具の解説である。

この画像にはないが鉄製のタケノコ掘り道具もあった。

9月17日に訪れたときはそれもあった。

2カ月も経てばできあがり。

その代わりではないが、注文農具も入れ替わり。

DIYの店で売られているような製品もあれば昔からずっと使用してきた農家さんの農具もある。

鉄の部分は再生されて綺麗にみえるが、柄の部分は長年に亘って使ってきた風合いがある。

話しは戻るが鉄製のタケノコ掘りの道具は「テコ」である。

翌年に水口まつり取材に訪れる天理市の中之庄町の3人の農家さんの農具があった。

また同市別所町にも10数軒のタケノコ掘り農家があるらしい。

タケノコ掘りの時期は集中するから注文も集中するようだ。

タケノコ掘りの農具はすべてが鉄製のものもあれば、土に食いこめるテコ部分だけが鉄製の農具もある。

その場合の柄には差し込み口がある。

長さでいえばだいたいが20cm。

柄の長さは120cmになるそうだ。

ところで野鍛冶師は奥さんともどもテレビ出演したことがある。

平成28年10月1日に放映された番組はNHK放送の「ええトコ―体よろこぶ健やか旅-奈良県宇陀市―」だった。

そのおかげで農具の注文がすごく増えたという。

もう一品は草引き道具。



大手の花しょうぶ園で大量の注文があった。

前回訪れた際に一本をくださった草引き道具はとても使い易い。

翌年の春の雑草刈りに活躍してくれた。

また、隣に建てた蔵は農具の収蔵庫。



数は少ないが民具の私設博物館のようである。

(H28.11.11 EOS40D撮影)
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野鍛冶師の商売道具

2017年05月17日 08時42分21秒 | 民俗あれこれ(職人編)
山添村の吉田から再び旧都祁村の小倉に着く。

そこからどこへ行く。

そうするかもなにも決めていない。

これといった行事はあるにはあるが、飛びつくほどの興味をみせなかった。

刻々と過ぎていく時間は旅行く村々の景観を眺めながら帰路につく。

小倉から室生の下笠間に出る。

そこからは川沿いに遡っていく。

小原から染田、多田、無山を経て旧都祁村の吐山、白石に出るコースを選んだ。

心地いい風が金色に染めた稲穂を揺らす。

通りがかった稲田は稲刈りを始めていた。

早稲であれば早い所で8月末の地域もあるが、だいたいが9月初旬から中旬までだ。

バインダーが忙しく動き回っていた。

この時期はまだまだ暑さが残る。

ほっかむりを被って稲刈りをしている男性はひょっとして・・・と思って車を停めてみる。

しばらく見ていた稲刈り作業。

この田んぼの持ち主は知っている。

平成22年5月8日に取材した田の作業がある。

育苗した苗を植えていく作業である。

親父さんは水田を均して息子さんは田植え機を操作して植えていく。

その場より家近くの田んぼでは昔にしていた手植えの田植えを・・。

その田植え初めに12本のカヤを水田に挿してフキダワラを供える。

そこには正月初めに祈祷したオコナイのネコヤナギを立てる。

これを「ウエゾメ」と呼ぶ。

「ウエゾメ」を充てる漢字は「植え初め」である。

親父さんは野鍛冶師。

11月8日に鍛冶屋さんの祭りであるフイゴの祭りを取材させてもらったことがある。

平成18年に続いて平成23年も伺ったことがある。

その野鍛冶屋さんとは旧都祁村の藺生町と小山戸町の造営事業でお会いしたことがある。

藺生町葛神社の造営は平成27年の10月11日

その一週間後の10月18日は小山戸都祁山口神社も出合った。

婚姻関係にある両村で出合うとは思ってもみなかった。

ところは代わってまたもやお会いしたことがある。

その年の12月13日だった。

まさかと思ったがそこは私が入院していた病院だった。

鍛冶屋さんも入院であったが退院直前のであった。

奇遇といえば奇遇な出会いであった。

その後の私は週一ペースで通院している身。

不完全な状態ではあるが、元気な姿になったことを伝えたい。

そう思って稲刈りしていた稔りの田に向かって歩いていた。

そのうちに気づかれた野鍛冶屋さん。

奥さんや息子さんにちょっと家に戻ると告げて招かれる。



作業場の前にはいつもと同じように順番待ちの農具が並んでいる。

注文は農繁期にくる。

こんな道具は見たことがないだろうと紹介してくれた鉄製の棒。

先端は直角に付いている鉄棒がある。

曲げたものではなく溶接でくっつけたものだろう。

これは何に使う農具なのかといえばタケノコ掘りとくる。

特殊な注文だったそうだ。

テレビなどで紹介されるタケノコ掘りの道具とはちょっと構造が違うが、いずれもテコを利用して掘る道具には違いない。

その横に立ててあった農具がある。

なんとなく構造は違うが同じタケノコ掘りのように思えた道具に注文主の名前が書いてある。

まあ、なんと、である。



存じている奈良市窪之庄在住の男性である。

平成24年6月5日に田植え作業を撮らせてもらった男性だった。

出会いというものはほんまに奇遇である。

ちなみにタケノコ掘りの道具は唐鍬と呼ぶ地域もあるようだ。

最近はこういう手のものも注文を受ける場合もあると動き出した。

腰を屈めて何をするのかと思えば雑草取りである。



室生の地にある広大なやすらぎの花園がある。

そこから受けた大量の注文。

一本あるからと云ってくれた。

後日というか後月の後月。

雑草が我が家の庭にもはびこる時期がくる。

だいたいが4月半ば辺りから目につくようになる。

5月辺りともなれば目を覆いたくなる。

放置すればするほど雑草刈りは難儀するから早めに北側の庭の雑草刈りにこの日貰った道具を使う。

丸い刃の先から根の部分に入れて土ごと掘り返すように刈る。

特に根っこの部分を当てて刈れば効果的。

ざっくり上がってくる雑草は手で掴んでゴミ袋行き。

とにかく使い易い野鍛冶師の道具だったことをここで報告しておこう。



尤も汗を拭きながら説明をしてくれる野鍛冶屋さんは元気である。



フイゴの祭りはこの場ですると説明してくださる。

この日、ともに行動していた写真家のKさんは是非とも取材させて欲しいと願われた。

今冬になるが、楽しみが一つ増えた。

(H28. 9.17 EOS40D撮影)
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鍛冶師の仕事

2011年12月23日 08時30分58秒 | 民俗あれこれ(職人編)
それから1年後、再び訪れた染田の鍛冶屋さん。

フイゴの祭りを終えて、おやじさんの仕事話を聞く機会を得た。

日本には鍛冶屋が三つあるという。

刀(刃)を造る刀鍛冶、大八車の車輪を造る車鍛冶に農具を造る農鍛冶だという。

小学校の生徒に話す機会があってからある道具を作った。

それはペットボトルで6分割した筋を入れている。

下から幼、小、中、高、大、一般と書かれている。

それに水を入れていく。

その際にわざと水をこぼすように入れる。

「しっかりと聞いていないとこのようにこぼれる」のだと話す。

「先生の話を聞いていないとこぼしてしまうのだ」と優しく話す。

そうすると生徒はこっちを向いてくれるという。

大人になれば新しいことはこぼれて入らんと付け加える。

ごもっとも。

尤も小さいころの記憶はいつまでも残っている。

なるほどとうなずく。

「教えることは二度目の習い」。

そういう気持ちで話しているから歳がいっても勉強なのだという。

染田のおやじさんに教わること、訪れるたびに感心することが増えるが一向に実践できていない。

人生している限り勉強しなくちゃ、と思うのだけど・・・。

他にも「財、病、離、義、宮、劫、害、吉」の語呂。

人間は岩になり心は花になるということだそうだが、奥が深くて貧弱な私の頭では想像がつかない。

また、今の世の中は物で栄えて心は滅びるという話もあったがこれまた難しく・・・どうにもこうにも・・・・。

そうして話題はいつしか農具に移った。

商売の糧となる注文を受けた農具が並んでいる。

そこには昔から使われてきたクワが多い。

スキ(犂)もあるが鉄製の鍬だ。

光っているクワもあるがそれも鉄製。

ステンレスのように見えるがそれも鉄。

磁石がくっつく。

そのクワはDIYのホームセター園芸店で買われたモノであろう。

畑を耕す道具がそこにあるが造りが大きく異なる。

そのクワは一枚でできていて柄が取り付けられているヒラグワだ。

おやじさんが扱っているのはそういう一枚鉄ではない。

木製部分と鉄部分に分かれているのだ。

木製にあたる部分を単体で呼ぶ場合は「ヒラ」という。

樫(アラカシであろう)の木でできており甲の部分は高くなり周囲はほどよくひし形のようで丸くなっている。

これを「マルヒラ」と呼ぶ。

柄が挿しこまれる部分は四角い。

そこは適度な角度がありクサビで止める。

柄も含めた木製部分はカタギ(堅木)屋さんが作る。

鍛冶屋さんはそのマルヒラに合わせて耕す部分の鉄を作る。

それも単体で呼ぶ場合をヒラグワという。

木製部が鉄部に入る部位には溝が刻まれている。

溝を切るのはタガネを用いる。

こうして切っていくのだと実演してくれた。



いろいろな鍬があるがそれぞれに異なる柄の角度。

微妙に違っている。

話によれば畑を耕す場合と急斜面の地荒起こしする場合と違うという。

畑を耕すヒラグワを使えば角度が大きいから斜面で使う場合には不適である。

それよりももっと急な角度であるのだ。

そんな違いをこの歳になるまで知らなかった。

感動と驚きの教えであった。

(H23.11. 8 EOS40D撮影)
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若き刀匠

2011年10月04日 07時51分37秒 | 民俗あれこれ(職人編)
この日は奈良県内各地で八朔の祭りが行われている。

台風の影響であろうか、一日中雨が降る日だった。

天理市小田中町に鎮座する菅原神社ではその日を八朔の籠りと呼んでいる。

陽が落ちるころにめいめいが家で作ったごちそうを持ち寄って神社に集まってくる。

本殿と拝殿の間にシートを広げて家ごとの会食がされるのであったが生憎の雨の夜。

やむなく公民館が会場となった。

そのような夜となったが住民のO婦人が語った台風の習わしに興味をもった。

台風がまともに来たら家が壊れるといって庭に長い竹を立てた。

その先にはナタを括りつけてぶら下げる。

そこに台風の眼が当たったら大風がちらばるというまじないをしていた。

その光景はおよそ50年前のことで実家になる天理市の上山田。

今でもそれをしているかどうか判らないと話す。

語ってくれたO家の息子さんは数少ない奈良県の刀匠の一人である。

身ごもった奥さんとともに作業場を拝見させていただいた。

若い時に一念発起されて刀匠の道に入られた。

室生に住む師匠に弟子入りを志願されて身につけた刀鍛冶。

一人立ちされて何年も経つが。

刀鍛冶の奥は深く、一生かかるであろうと話す。

インゴットのように見えた原材料は砂鉄から造られたタマハガネ(玉鋼)。

鉄の塊だ。

それが刀になる工程は数十日もかかる作業だ。

フイゴがあるホド(火床)。

高熱で鉄を焼く。

そのフイゴは染田の野鍛冶師にいただいたもの。

手探りで修理をして使えるようにしたという。

師の作業を拝見したことを思い出す。

その様子は「火おとし 感謝の1日」のサブタイトルで産経新聞奈良版に掲載させていただいたフイゴ祭り。

平成22年11月17日号であった。

師は大切にこの記事を残しておられる。

それはともかく鍛錬の火が飛び散る。

タン、タン・・・言葉では表せないリズムで鍛える鉄。

さまざまな工程を経て美しい形になった刀。

当然ながら登録された刀である。

それを拝見させていただいた。

光り輝く刀は仕事の証し。

「波紋が見えるでしょう」と言われて撮影はするものの写真でそれを再現するにはとても難しい。

室内ならばストロボを当てざるを得ないのだが、それでは美しい波紋は現れない。

角度や光加減を考えてシャッターを押してみるが刀匠が気にいる映像は・・・。



手持ち撮影では限界がある。

写真家たちに言わせると、撮影機材も大がかりになり一様に撮るのは難しいという。

婦人の勤め先の話題なども飛びだし数時間も寛いでしまった。

一昨年に発刊した「奈良大和路の年中行事」をもう一冊ほしいと買ってくださった。

そこには菅原神社のトーニンワーイも掲載している。

嫁ぎ先のO家の親父さんが写っていたのだ。

温もりのあるO家の夕食時だっただけにご迷惑をかけたことだろうと思い帰路についた。

ちなみに公民館の横には観音堂がある。

ここでは彼岸講の寄り合いがあるという。

春は3月、秋は9月の彼岸の夜に集まって数珠繰りをしているそうだ。

ご詠歌をされるというから西国三十三番のご詠歌であろうか。

(H23. 9. 1 SB932SH撮影)
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板草履職人

2009年08月31日 08時01分15秒 | 民俗あれこれ(職人編)
自宅から生駒山を越えた地に墓がある。

今日は久しぶりに二人揃った墓参り。

かつて実家はこの近くにあった。

その近所に高橋畳工業所がある。

二人揃ったときには訪れたいと思っていた。

かーさんが育った地の工業所の親父さんにお目にかかろうと突然訪問した。

ご主人を知ったのは数年前の二月堂修二会のとき。

私の情報を元に写友の野本氏が寄進されるごーさんを探していた。

知った先は河内仲組の講社。

社長の西口氏から紹介されたのが高橋氏。

なんと二人ともかーさんはよく知っている。

高橋氏は畳作り職人。

ふとしたことから東大寺から頼まれて連行衆が履く板草履を復元することになった。

見本もなく製作するには難儀なこと。

新薬師寺には古い板草履があった。

それを参考にして作り上げ、東大寺に寄進した。



それから5年。

2年前にはNHKに板草履職人として出演された。

南都大寺の各寺のこと、僧侶のこと、板草履のこと、野本氏のこと。

話し出したら止まらない。

かーさんは懐かしい話を聞きたがったが、口に出すのができなかった。

それでもうん十年ぶりに拝見して、今が生き甲斐のその変わりように驚いていた。

(H21. 8. 6 SB912SH撮影)
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続、野鍬鍛冶師

2007年01月09日 07時58分41秒 | 民俗あれこれ(職人編)
グラインダーの火花。

(H18.11.8 Kiss Digtal N撮影)

<工程概略>
1.炉とも呼ばれる火床(ほど)の火起こし。赤土に火起こしの燃料であるコークス(昔は松炭)を入れて着火する。火種は松炭かくぬぎの炭であったが現在は着火マン。

2.ハガネを赤くなるまで焼いて水を張った桶に入れる。急冷してハガネを硬くする「焼き入れ>。

3.焼き入れしても折れないように再びハガネを焼いて、今度は<焼き戻し>。そうすることでハガネに粘りをだし、軟鋼にする。

4.先を溶接して繋げた修理クワを焼き<軟鉄>状態にして地鉄(ぢがね)にする。

5.ハガネを地鉄の幅に切断して取り付ける。

6.取り付ける接合剤は鉄蝋(てつろう)粉。鉄蝋は硼砂(ほうしゃ)やホウ酸、ヤスリ粉が用いられる。

7.クワが一面に焼けるよう、フイゴを引いたり押したりして火床(ほど)を大きく広げる。

8.火床(ほど)から焼けたクワを取り出して、トンカチで叩くと火花が散る。この火花は鉄蝋粉が焼けて飛び散っている証しで一回だけ発生する火花。この工程を<板付け>という。

9.更にクワを焼いてトンカチで叩く。これを<沸かし付け>という。

10.もう一度同じ工程を踏んでトンカチで叩きクワを整える。これを<本付け>という。

11.冷ましたクワをグラインダーで仕上げる。

12.最後に再びクワを<焼き入れ>して完成する。
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続、野鍬鍛冶師

2007年01月09日 07時56分51秒 | 民俗あれこれ(職人編)
本付け。

(H18.11.8 Kiss Digtal N撮影)
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続、野鍬鍛冶師

2007年01月09日 07時56分01秒 | 民俗あれこれ(職人編)
高熱の火色。

(H18.11.8 Kiss Digtal N撮影)
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続、野鍬鍛冶師

2007年01月09日 07時55分09秒 | 民俗あれこれ(職人編)
焼入れクワ。

(H18.11.8 Kiss Digtal N撮影)
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