マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

晩ご飯の肴は美味いものずくし

2019年03月21日 07時43分30秒 | だんらん
12月7日、奈良県内南部地域では山の神行事をしている日である。

まだまだ調べなきゃならん地域もあるが、家の用事は増えるばかり。

鬱憤は美味しくいただく晩ご飯に転化しようやないか。

晩ご飯というのにご飯っ気を食べることはない。

稀に五目御飯などの炊き込みご飯が食卓に出る場合がある。

お腹が膨れるので避けてはいるが、この場合は美味しくいただく。

そういうことで晩ご飯と云いながら、普段は酒の肴ばかり。

おかずであればなんでもアテにして酒を飲む。

飲むためのアテであるかもしれないが・・。

昼間は大起水産で買った握り寿司盛りに海鮮巻き。

そのときに買っておいた今夜のアテは、添え付けポン酢でいただく長崎県産ヤイトカツオのタタキ。

税抜き価格で380円だった。

ヤイトカツオの名を聞いたのは初めてだが、たぶんに「スマカツオ」と思った。

これまで見たことのない食材が売られている。

タタキであれば、と思って試し買い。

ネットで調べたら、「ヤイトカツオ」は地域名称で、本来は「スマカツオ」であった。

知人のⅠさんがFBで「スマカツオ」を紹介していたから、この時期に回遊する戻りカツオ。

生の刺身が絶品だとネットに書く人もおられるが、タタキのヤイトカツオに歯ごたえはない。

ふにゃふにゃではないが、そう感じた。

腹よりも背の方が少し・・いうほどでもない堅さ。

添えつけのポン酢にすりおろしニンニクを塗せば味に深みが増す。

不味くはないが、やっぱり本カツオだな。

大起水産で買ったもう一品は牡蠣クリーミーコロッケ。

三つ入って税抜き価格が280円。



一個のコロッケに一個の牡蠣が入っている。

これは美味い。

一口食べて口の中が牡蠣の味で拡がった。

それよりも美味かったのがクリーミーなコロッケである。

とろとろクリーミーの食感がたまんない。

こんな味覚は初めて体験する。

アルコール飲料が一気に増えた。

美味、美味・・・絶品である。

その向こうにあるのは1本が税込み100円で買ったスイートコーン。

どこで買ったかと云えば、百均のダイソーである。

茹で加減が抜群に美味い。

コーンをがっつり歯に当ててもぎ取るように口中に入れる。

ほどよい甘さに調理はまったく不要。

これってほんまに百均と思って、先月に試し買い。

美味しかったから、またもや食卓に登場した。

食卓に登場したもう一品はもらいもののハヤトウリ。

先月の11日に訪れた大淀町の大岩。

栽培しているハヤトウリをくださった。

もらったその日は浅漬けの甘酢漬け。

一般的なハヤトウリの料理法で、これも美味しいのであるが、シャキシャキ感はそれほどでもない。



この日のおかずに炒め物で登場した。

バターで炒めると香りが良い。

しかも、このシャキシャキ感がたまらない。

ヤーコンの場合は芋感覚であるが、ハヤトウリはまた別格の味覚がある。

香りのバターはガーリックソテーにしても美味かっただろうに。

次回はそうしてほしいと思ったバター炒めのハヤトウリに青い粉のようなものを振りかけていた。

この青いものは何。

一般的にはパセリであるが・・あおさだったが、これもまた、我が家では絶品になった。

(H29.12. 7 SB932SH撮影)
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今年も大起水産のサービス券で美味い寿司を

2019年03月20日 08時27分59秒 | あれこれテイクアウト
年末の声が聞こえるころに届く大起水産のサービス券。

500円2枚のサービス券に交換してもらうには大起水産の会員限りに届く“お買い物商品券/引換券”が必要。

引換期間は師走に入った12月1日から12月10日まで。

12月に入ったばかりの週はお客さんでごった返す。

賑やかなのもいいが、混雑は避けたい。

そう思って虎視眈々と狙っていた日がやってきた。

その日は我が家が勝手に決めたご馳走の日である。

この日も出かけたおふくろが入院している病院で身体状況を診ていた。

退院はいつになるのかわからないが、期限の月末までには退院したいと思っていた。

この日は院外の一般道を歩く練習だ。

心地よい快晴に気持ちは晴れ晴れ、個室入浴もできるようになってさっぱりした。

ゆっくり美味しいもんでも食べてきな、と笑顔で送り出した先は、奈良市柏木町にある街のみなとの「大起水産」。

12月4日より“冬の味覚ごちそうフェア”が始まっている。

「大起水産」のお目当てはいつも決まっている。

新鮮でネタが大きくて、とにかく美味い握り寿司に巻き寿司である。

かれこれ何年になるのか覚えていないが、味わったネタの美味しさは舌も記憶も鮮明に残っている。

お店はほとんどが出かけられなくて申しわけないが、師走の月の美味しいプレゼントは失念することもなく、出かけることにしている。

さて、本日もお寿司コーナーを観て廻る。

かつてあったお目当ての寿司盛りはない。

食べた記憶をブログで辿ってみれば平成25年の12月10日が最後になった525円で味わえた寿司盛りである。

平成24年の12月21日

平成25年の1月20日

平成25年の12月10日

なければどれにしようかと悩ませる。

21貫盛りのお寿司盛り合わせはジャストの1000円。

なんとなくお子様向きのネタに見えたので却下。

これだと思って手を出したのが580円のぶりづくし盛り合わせ。

にぎりのブリがテカテカに光っている。

巻きは厚めに切ったブリにキュウリだけ。じつにシンプルな巻き。

これならたっぷり、ぷりぷりの、ブリを味わえる。

もう一品は海鮮巻き。

赤マグロにブリ、玉子焼き、キュウリを巻いた1本。

これで380円。

いずれも税抜き価格である。

ついでといっちゃなんだが、今夜のおかずにと思って選んだ380円のタタキ・やいとかつおと280円の牡蠣クリーミーコロッケ、である。

入院する病院食を食べるおふくろも遅かった。

リハビリ歩行訓練を終えてから入浴。

あがった時間は午後12時40分ころ。

それから出かけた大起水産。

搗いた時間が午後1時。

我が家に戻って食べる昼飯時間が遅くなった。

帰宅して食べ始めた時間は午後1時40分。

お腹が減って、減って・・・。



小皿に醤油を垂らして山葵を添える。

甘酢生姜は袋から取り出して寿司パックに寄せておく。

一番目に口にしたのがキュウリの入ったブリ巻き。

これが美味いんだな。

厚めのキュウリに歯ががっつり感じる。

そこにとろっと、ではなくがっちり脂身のぶり。

寿司飯も美味いから巻きが美味いのは当たり前。

次に箸が迎えに行ったのは、ピカピカ照りのブリのにぎり。

ブリネタはごつい。

つまりは厚めということだ。

トロッと感じる甘味のブリ。

これもまた脂身の味に魅了される。

わさび醤油がキンキンに辛くするとなおさら美味くなる。

その次は海鮮巻きだ。

ネタの新鮮さ。

甘さのある寿司飯。

これもまたわさび醤油とともに口の中に拡がって旨み全開。

こりゃたまらん、な。

よくよく振り返ってみれば、前回に訪れた平成28年の12月3日のときに食べた寿司もよう似たものを喰っていた。

(H29.12. 7 SB932SH撮影)
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外泊に向けて身体の復帰状態を診る

2019年03月19日 10時33分43秒 | むびょうそくさい(おかん編)
発症して救急車で運ばれた緊急入院した日は10月2日。

あれから2カ月も経過した12月。

月日の流れが早く感じる。

ほぼ毎日が介護というか、おふくろの身体状況や希望に応じて動き回った2カ月間。

振り返ってみればいろんな対応があった。

最初の発症は8月5日。

それから数えること、4カ月間。

気が気ではない身体状態に落ち着く暇もない。

入院加療に2カ月も経てば、ほぼ安定している身体状態。

病院側からは退院の話しは一切聞こえてこない。

今後はどのような診療計画になっているのか・・・知りたくて毎日のリハビリ運動をしてくださっているリハビリ療法士に尋ねてみた。

その答えは・・ちょっと待ってください、だ。

退院できる目標日については、12月より3階に職場転換したKリハビリ療法士に相談して決めるというAリハビリ療法士が伝えてくれた。

それから数日後の12月5日。

院外に出てリハビリ歩行訓練をすることになった。

朝9時に鳴った我が家の電話。

架けてきたのはおふくろだ。

一時間後の朝10時から院外歩行訓練をしてくれる、と伝えてきた。

伝えたかったのは、今日から始まるという嬉しさであった。

そうであれば、実施の状況を見学したい。

そう思って病院に急行する。

家を出るときは木々が少し揺れていた。

日当たり良好であるが、日陰になれば冷たい。

外に出られるような服装をしているのだろうか。

ふと、心配になって飛んでいった。

着いた時間帯は午前10時ちょっと過ぎ。

病院駐車場に入庫する。

発券機から出てくる駐車カードを取り出せばゲートが開く。

その場は新館1階部分。

暗がりである。

空きがないから奥へ行く。

奥にもある駐車場は陽当りが良い広々とした所であるが、そこへ向かおうとしたら、リハビリ中のおふくろの姿が見えた。

えらいところにいてるんや。

大急ぎで車を停めて寄ってみたら、驚いて振り返った。

上着は数週間前におふくろの居住地から持ってきたもの。

これは間に合ったが下はパジャマ姿。

ほっかむりを被ってリハビリ療法士に巻いてもらったというマフラー姿。

この場は風当り良好、ではなく吹き抜ける風は止まることのないビル風が発生するところだ。

陽が当たる青天井駐車場は温かったというが、この場は駐車する患者さんも見舞客も必ず通行する道でもある。

病院関係者も利用するここは日陰。

夏場は涼しいが秋口からは寒くなる。

この日の風は木枯らしが吹いたと思える状態だった。

寒さ厳しいこともある。

はじめての院外歩行体験は足元がおぼつかない。

病棟フロアーはまったくの平たん。

ガタガタするところがない。

ところが院外は凸凹。

駐車場は若干の斜め。

アスファルト舗装であれば、まだマシだが、青天井駐車場は施工もしていないから砂利道。

そこは怖くて歩きにくかったという。

寒さはマフラーのおかげもあって温かかったという。

翌日の6日も屋外歩行訓練。

見舞いに行った時間帯は間に合わず。

すでに訓練を終えて病室に戻っていた。

おふくろが云う訓練コースは昨日と違って、行院を離れて北寄り半周を廻ってきたという。

暖か日和のこの日は陽気な日。

陽の当たる場所を廻ってきたこともあって、戻った病室で汗が出た、と云っていた。

7日。看護士の話しによれば、入院してから3カ月。

それ以上の入院はできないので、退院となります、と伝えられた。

すでに退院した知り合いの長安寺町に住むNさんが、そう云っていたことを思い出す。

それはズレることなく、お正月を挟まない12月28日が限度となると云う。

それまでに家族さんでしていただきたいのは一日外泊を希望してほしい、ということだ。

外泊することによって本来の暮らしに慣れてもらうことになる。

具合が悪かろうが、退院はしなくてはならない。

自宅ケアに介護を要するが、一泊二日の普段の暮らしを体験することで、これからをケアをどうしていくかを決める判断材料になる、ということだ。

とりあえずは我が家でケアする外泊に杖は要るのか要らないのか。

杖は買取りで数千円。

レンタル制度があるとも、ないとも・・。

我が家にベッドはあるが、息子の部屋。

2階に上れば可能であるが・・・。

以前、聞いているレンタルベッドのことも考えなければならない。

我が家での入浴は厳しい。

浴槽のもんだいではなく、浴室の寒さである。

病院のお風呂は温かい。

それに慣れた身体は・・・夏場であれば何も考えないが、冬場は厳しい。

こういう場合はケア施設利用。

こういった件については我が町のケアマネジャーに相談していかねばならない。

次の展開に向けた動きをそろそろ、するか。

ところで本日の院外歩行訓練。

時間帯は午後と伝えられていたが、患者さんの関係もあって早くなる、と伝えられた。

その時間帯は入浴時間に重なってしまう。

この件についてはリハビリ療法士と看護士で協議してもらうしかない。

いつもニコニコ笑顔で寄り添ってくれるS看護士も調整してくださって、30分程度の院外歩行を先に。

汗をかいたリハビリ運動の後は入浴して汗をさっぱり綺麗に流す。

そういう調整になった両件とも家族見学が可能。

リハビリ運動はこれまでそうしてきたが、入浴も・・。

この週初めから個室風呂になっていた。

団体入浴であれば、見学はできないが、個室入浴であれば、どうぞ、ってことになる。

入浴状況の一部始終を見学させてもらったのはかーさんだ。

息子といえども、入浴見学はちょっと遠慮したい。

先にした院外歩行。

天候の良い日にしかできない外周道路の歩道部を歩く歩行リハビリはふらつきがある。

尤も歩道と云えるような道幅でもないし、雨を流すために縁から斜めになっている。

それに慣れるのは時間がかかる。

恐る恐るの足取りである。

杖をついて歩くおふくろは、ちょこっと余所見をすることもある。

そのときに発生するふらつきが気にかかる。

付いていたリハビリ療法士の観察も一致する。

そういう状態であれば、突然の対応を要する。

つまり、独り歩きはもってのほか、である。

住まいであれば壁伝いとかでふらつきを抑えることはできるが、屋外では常に危険性を背負って歩かねばならない。

足をぐねていつ倒れても対応するには杖だけでは心もとない。

いわば、介助が必須、ということだ。



その場合の介護は手をそえるていどで杖をつく反対側に寄りそう。

杖をもつ側につけば、杖を蹴ってしまい、歩行を邪魔することが多々あるから、そうしてくださいということだ。

歩道がない道路を歩くのは、健全な人では気が付きにくい。

それは段差や斜角度である。

足元がおぼつかない高齢者や身体障がい者にとっては苦難の道。

少しでも歩きやすいようにしてほしいが・・・。

ともかく歩行はおふくろが動きやすい形ですれば良いと云ってくださる。

型は特別決まっているものでなく、ひょこひょこ、であってもこけないように足取りであればいいと・・。

周回コースは短距離。

北に向かって信号三叉路を右に曲がれば酒屋兼果物屋と喫茶店の辻に出る。

そこから南に向かって病院に戻った。

リハビリ療法士が云うには、長距離は心臓に負担かけるのでしていないそうだ。

前回も戻ってから測った血圧は高くなる。

長距離であれば、益々負担をかけることになるので避けたい、ということだ。

いずれにして、ふらつきがあり、独り歩きはいつ倒れてもおかしくない危険な状態。

自宅であれば、の壁つたいでトイレも行けるが、屋外はそういうこともいかない。

また、膝を無理にあげない、擦り歩きが望ましいともいってくれた。

また、自宅に戻っての階段の上り下り。

リハビリ状況では手すりもあるから大丈夫だが荷物を持つことは避けるべきであるとも伝えられた。

いずれにしても外泊をすることで自信をつける。

それが第一である。

また、布団から身体を起こす場合はちかくにある手を沿えるものに捕まって起きる、などいろいろな観点から教えてくださる。

今週になってから個室入浴風呂利用になった。

自宅に戻っても、入浴、洗い、着替えなどすべてが独りでえきるようになる訓練でもある。

こういう設備をもつ病院は多くない。

おふくろが入院している病院であるが、私も利用している泌尿器科診療院。

急性期ならびに回復期リハビリ病棟を併設する病院である。

リハビリ病棟ならではの設備で着替え場は広く、車椅子も十分におさまる広さ。

家族が見守るなかで入浴状態を観察することも可能な病院。

これなら自宅に戻っても大丈夫と判断ができる。

家族が安心できる病院が住まいする地域にあって、ほんとに助かっている。

入院は3カ月期間まで。

年末、正月を挟むことになるので、12月28日が限度日。

それまで家族が判断する退院日。

それまでの外泊日は自由に決められる。

家族希望によったら、何度かの外泊も可能であるが、だらだらする必要はない。

外泊することによって、いけそうだと踏んだら、入院費を抑えるためにもできる限り早くに退院日を決めたい。

そう思っているが、かーさんは18日の想定していた。

ところで、リハビリ療法士がいうには、初めて圧迫骨折と思われる痛み症状。

発症した8月以前の状態には百パーセント戻れない人が多いのが実態、現状では夜間トイレは一人にさせておかないようにと云われたが・・・。

それから二日後の9日。

家族が要望した泊許可願いの日程は12月13日水曜日の昼食後。

翌日の14日は午後4時より利用できる院内個室入浴までの後3時に戻るという計画だ。

特に問題はないということで承諾された。

退院の見込みが現実的になってきた。

退院後の落ち着き方はどうするか。

いきなり大阪一人暮らしはさせたくない。

本人にとっては長年住み慣れた土地、部屋が落ち着くのはわかっているが、無理がある。

居住地は5階建ての4階にある。

おふくろが数えた階段の段数は47段。

上り下りの訓練はしているが介護を要する。

高齢者、しかも介護認定が4。

1階に移れるよう、市営住宅の移転申請をしているが、いつになったら決定をくだされるのか、だれもが予想できない。

そのこともあるが、まずは外気・・普通の暮らしに慣れることである。

我が家でしばらく暮らしてもらって養生する。

ただ、我が家の家の構造は介護に適していない。

しきいなどの段差はあるし、手すりもない。

なくてもいけそうな気もするが、寒さ厳しくなった今日此の頃。

奈良県南部の山間地では積雪もある日々。

外気はもちろんだが、我が家のお風呂は洗面所も含めて、とても寒い。

高齢者だけにヒートッショクにでもなれば、エライことになる。

できることなら、入浴サービスをしてもらいたと考えて12日に連絡した大和郡山のケアマネジャー。

外泊日の13日に面談、ならびにケアプランをお願いすることになった。

(H29.12. 5 SB932SH撮影)
(H29.12. 7 SB932SH撮影)
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千股のささいわ行事

2019年03月18日 10時34分01秒 | 吉野町へ
この年の5月8日である。

下見取材を終えて岐路につく。

どこをどう誤ったのか、もう記憶にない行程。

なんだか山の方に向かっているような気がしていた。

ほぼ集落を離れた地に不思議なものが目に入った。

車を降りて立ち寄れば注連縄である。

しかも不可思議な形のものも吊っていた。

「山神 山中・・」の文字を刻んだ大岩。

その前に建てた社に祭る、それは山の神。

村の人を探して下ったところにお二人。

散歩の途中に一息つけていた二人に、そのことを尋ねれば、まさに山の神。

不可思議なものはすぐ近くに住む高齢の方が作って祭るというから、N家まで押しかけて詳しいことを教えてもらった。

Nさんは昭和3年生まれ。

歴史文化にも詳しい、地域の生き字引のようなお方だった。

ここは78戸からなる吉野町千股(ちまた)である。

間違って入り込んだ山の方を臨んでみる。

峠を越えたら明日香村の栢森にたどり着く。

かつて飛鳥に住む宮中の人たちが吉野町の宮滝までを行幸していた峠道である。

聞取りから5カ月後の10月9日。

取材の許可取りに再び訪れた千股である。

大淀町・岩壺の行事に取りすがりにお会いした矢走の路上売り夫妻の取材を終えて車を走らせた。

時間帯は夕刻。日が暮れるまでに代表のK(総代区長にお会いでき、当日取材の承諾を得た。

それから20日も経ったころだった。

台風22号の影響によって川は増水。

上流にある上水道施設の濁り。

本来ならば山の神の前を流れる川で米を洗う。

洗った米で赤飯を炊く。

清流の濁りでできなくなった関係で赤飯は市販品に切り替えた。

また、その関係によって行事日程も変更することになったという。

こうした状況もあったが、ようやく拝見できる千股のささいわ行事。

これくらいの時間であれば山の神に何人かが集まっているだろうと思ってやってきた午後2時。



ついさっきまでは山の神周りを綺麗に清掃していたそうだ。

午後1時より始めた「デアイ」の道作りは、草刈り清掃。

作業を終えて一段落していた村の人たちはトンド火にあたって暖を取っていた。

K区長や事前に教えてくださったNさんもおられる。

神饌はお神酒に塩、水。

大きな鯛に丸太の鯖一尾を供える。

サトイモ、ハクサイ、ニンジン、サツマイモにダイコン、ピーマンの作物。

キノコに果物のリンゴ、キウイも供えていた。

山の神の前に吊るした藁細工は三種。

この年もNさんが3日前に作っていたそうだ。

宮さん(※氏神社の葛上白石神社)の注連縄を作る要領で太く作っていたという。



そのNさん、デアイに集まってその状況を見届けてから先に参拝を済ませて川渡り。

堤の端を渡って、足元は濡れずに帰ったようだ。

張った鉄線に吊り下げた注連縄。



三か所それぞれに何束もある房を垂らしていた。

右側の頭部分は黄色に紅白の水引で縛っている。

中央に針金で引っかけたモノ。

ひと際大きいというか、丸太いのを「キンダマ」と呼んでいる。

その「キンダマ」の内部には大豆を12粒納めている。

旧暦の閏年の場合は13粒。

ここ千股にも旧暦閏年、つまり大の月もある13の月数を一年間とする暦があった。

形態はさまざまであるが奈良県内事例にこうした13の月数がいろんなところに登場する。

そのことによって、明治時代より前の時代にもしていたということがわかる史料でもある。

右に吊っているのは見た目でわかる細身。

これは男のシンボルだという。

山の神に近寄れるのは男性のみ。

「女性は近寄ることさえ許されないのです」と村の人はいう。



左に吊っているのはナベツカミ

牛の草鞋ではなくナベツカミだという。

武蔵野美術大学の民俗資料室に鍋掴みと牛の草鞋資料を掲載されているので参照されたい。

ちなみにこの日の取材にもう一人。

写真家のHさんも興味をもたれて、朝から滞在しているという。

山の神の御供上げが調ったところでローソクに火を点ける。



村の人、一同揃っての参拝でなくめいめいが参って頭を下げる。



場は鬱蒼とした樹木下。

午後3時半であっても夕刻のような暗さに錯覚する。

山の神の前の道はコンクリート造り。



平坦な道に長机を4枚据えた場にご馳走が並ぶ。

ささいわ行事のメインでもある松明行列を終えた村の人は再びここへ戻ってきてよばれる直会の場である。

台風22号の影響で濁り川になったから米洗いができなくなった。

そういうことで市販のパック詰め赤飯になったが、実は場も替えようとされていた。

尤も急な雨天になった場合の対応であるが、その際はお家でしようという意見もあったらしい。

紙製の大皿に盛ったのは酒の肴。



練り物の天ぷらにたくあん、コウコ。

胡瓜を詰めた竹輪など。

写真は撮っていないがお造りなど多様な肴がいっぱい並べて、そのときを待つ。

午後4時半も過ぎれば辺りはもう暗くなってきた。

山の神の場はもう夜の時間帯に移ろうとしていた。



トンド火にあたっている人たちは松明行列が終わって戻ってくるまではここで待つ。

料理狙いの動物の目にでも食べられないようにして見張っている当番の人たちだ。



一旦、家に戻って自作の松明を持って集合場所に出かける。

火を点けた松明行列が出発する時間帯は午後5時半。

これより始まる松明行列は千股川を挟んで村二手の東西地区に分かれて行われる。

長老の話しによれば、西千股は池田郷。

東千股は龍門郷になるそうだ。



火の点いた松明を持って下る道。

両地区の道の間隔はままある。

距離にして60mも離れている。

身体は一つなので選択はどちらか。

西地区の出発地がわかったから川向こうの長い坂道の手前。

東地区の道外れにある広地に集まりかけた人たちにお声をかけて撮影に入る。

到着寸前に始まった火点け。

大慌てにカメラを構える余裕などなくシャッターを切る。

明るくなった火点け場に子供の姿が見える。

大人に混じって火点け。



かつてささいわ行事は主に子供、若衆たちとともに松明を翳して練り歩いたそうだ。

少子化の流れはここ千股も同様。

若年層も少なくなった近年は、年齢に関係なく大人たちが占めるようになった。

松明に火が移ったら、道を下って歩き出した東千股の人たち。

辻を曲がって千股川沿いの道を行く。



川沿いといっても距離はある。

里道にぽつぽつと立つ街灯の灯りよりも煌々と燃える松明の火。

辺りは赤々色に染まると同時に持ち手の人たちのお顔も火照る。

向こう岸は西千股。



囃しているのか、それとも声が届かないのか、辺りは静かに松明の火だけが動いていく。

声がなければと、こっちからと云いつつ、大きな声で「ほっからかせ まめかせ」。

続けて「西の国の こばせくい」。

「もっと声ださな」とみなにも伝えて「ほっからかせ まめかせ」、「西の国の こうばせくい」と囃す。

西の国とは西千股をさす。

「こうばせくい」は、若干訛っているようだが、記録によれば「西の国の こうばし喰い」である。

「こうばしくい」とは米の屑、つまり米糠につく蟲のことであるという。

「こうばし」とは「麦こがし」である。

焼いて焦がした麦は食べ物。

麦粉菓子の漢字を充てる。

ブリタニア百科事典によれば「大麦とか裸麦を炒って粉にしたもの。関西ではハッタイコ」といえば、思い出す懐かしい味。

ハッタイコで育った私の記憶にあるのはお湯を注いで練った食べ物。挽いた粒は粗かった。

おーい、おーいと対岸に向かって声を揚げるが西の国からの反応が聞こえない。

静かに流れる千股川に声は響けども、反応があるような、ないような・・。

「ほっからかせ まめかせ」、「ほっからかせ まめかせ」、「ほっからかせ まめかせ」を連呼する東千股の人たち。

西千股から却ってくる囃しは「ほっからかせ まめかせ」に続いて「東の国の せんちむし」であるはずだが、小さな声では西千股までは届かなかったようだ。

ちなみに「せんちむし」とは何ぞえ、である。

西千股の人がいうには「せんちむし」は便所の蟲。

ぽっとん便便所に居た蟲の「せっちんむし」。

充てる漢字は雪隠蟲。

まさにその通りである。

私の子供のころはぽっとん便所。

ぶーんと羽根音がする便所蟲はいつもいた。

大阪市内に住んでいた市営住宅はぽっとん便所。

尤も、落ちた便の跳ね返りは「ぼっとん」だったから「ぼっとん便所」である。

当時、木造だった市営住宅はやがて鉄筋コンクリート造になった。

昭和50年代初頭のころである。

そのときから文化的衛生面のある水洗便所に移っていった。

それはともかく「せんちむし」に「こうばし喰い」は西と東がお互いに揶揄する詞を言い合ったというわけだ。

昭和18年生まれのYさんが子どものころ。

千股にあった小学校の生徒数は70人。

およそ60年前の小学校は複式学級だったそうだ。

平成6年12月24日に発行された吉野小学校PTA広報誌の「川波 第52号」によれば、その年に参加した子供の人数は5人だったと記す。



向こう岸の里道を行く西千股の松明と合流する場所は”ミツバトウゲ“に架かる橋である。

里道から下って橋に集まってきた両地区の松明。



欄干から川を覗き見る顔、顔。

ころあいを見計らって一斉に松明を投げ入れる。



その際、何人かの子どもの声がしたから複数人だったようだ。

川にいる村の人は水際に集めた松明のすべてを燃やして水に流す。

安全のため、消火を考えた到着地点である。

昔のことであるが、「松明行列を終えた子どもたちは区長の家に行って小遣い銭をもらっていた」。

「竹代をくれ、と云って村中一軒ずつ歩いて廻っていた」と「川波 第52号」が伝えていた。

さて、「ささいわ」とは何であるか、だ。

村の長老が遺したメモ書きによれば、起源は150年前。

明治時代初めのころのようだ。

山の神の前を流れる清流は水泳の場であった。

その場で何の争いかわからないが、山の神さんの祠が原因だった、と。

山の神さんの所有をめぐって、東千股と西千股で争いが起こった。

生じた争いは和解、成立し、それを祈念して平和の誓いをたて、「笹祝」の行事として、毎年行うようになったとある。

何故に「笹」「祝い」なのか、メモ書きにはないが、取り合いになったと思われる山の神の祠。

争い詞に「祠を返せ」。

つまり「ほこらをかえせ」から「ほっこらかせ」に、と。

「豆返せ」はお互いが罵る一番嫌いなものが、せんち蟲、つまり便所の蛆虫。

こばし喰いは、麦の皮の食べられない部分。

だから「豆返せ」という論であった。

なんとも納得しがたい面もあるが・・。

明治時代になるまでは西千股は池田郷。

東千股が龍門郷。

明治維新後の町村合併によって合わさった行政区にどちらの村が優位性を保っているのか、住民同士が罵り始めたのでは、と推定したが・・。

そうであったとしても、長老が充てた漢字は「笹祝」。

私自身、今のところ理由は思いつかない。

千股のささいわはかつて旧暦の9月晦日に行われていた。

1953年(昭和28年)に調査報告の上、奈良縣教育委員会から発刊された『奈良縣総合文化調査報告書―吉野川流域龍門地區―』に、そう記す。

旧暦から新暦の10月30日に移したのは明治時代の初めであろう。

『奈良縣総合文化調査報告書』によれば、子ども仲間でするのと、若衆仲間でする2部構成になっていたとある。

夕方に集まる子どもたちは学校へ行く年ごろから15歳までの青年団に入るまでの年齢層であった。

火振りの竹を幾つも束ねて、先端を割り、燃えやすいように枯れた杉葉、松葉を詰めた松明であった。

両地区に分かれた子供たちは、お互いが罵りあいながら里道を下って、ヒトツヤ(一つ家)という処で、燃やしていた。

その場に集まった子どもたちの声。

よく燃えた場合は自慢しあい、相手の東(或いは西)の燃え方が悪いと“東(或いは西)の奴は燃えへん、ヒンソ(貧相)な”などと悪口を云った。

それから東西の子どもたちはそれぞれが“竹代をくれ”と云って、村中を1軒ずつ廻って小遣い銭をもらっていた。

千股川上流の家でもらったお金を分配していた。

年長の子どもは多め、余計に多く取って、年少の子らに残りを分配していた。

その後、やり方は替わり、子どもたちに任すことをせずに区長家で一括化。

一人当たり5円ずつ渡すようにしたと書いてある。

昭和27年のときの子どもは37人。

子供組というものは特になく、ただただ年長の子どもが世話をしていたとあるから、その後において区長預かりになったようだ。

その時代以前の子ども。

カコ(※刈り取った稲を干すために架ける竹の棒)の先端に藁の玉を括り付け、若い衆たちも手伝って、ダメ(※一番最後の意)にそれを振ったとある。

さて、山の神である。

松明送りを終えた人たちは、北に向かう。



5分ほど歩けば山の神の場である。

火の番をしていた当番さん。

真っ暗な場にサーチライトを照らして食事の料理が見えるようにしている隣のテーブル。

松明送りをしてきた男たちが集まる場に灯りが点いたら、山の神に吊るした藁作り捧げものが浮かび上がった。

お神酒をいただいて料理を愉しむ。

話題はさまざま。

トンドの火に近寄って暖を取る人たち。

飲んで身体を温める人もあれば、火に温まる人も賑やかに山の神の恵みをいただいていた。

山の神まつりにおいても『奈良縣総合文化調査報告書』より引用し、一部抜粋、補正の上、記しておく。

「青年團は、各戸から60歳までの男一人について、二合五勺に少しずつの小豆をもらい、夜の10時ころに村の北外れにある山の神の場に集まった。山の神の場。以前は樫の大木があったが、大風で倒れたために石に「山神」と彫って納めた」とある。



それは今もなお山の神の社の後方に建つ「山の神」の指標である。

また、「家の神棚に祭っていた古いお札は山の神に納める」、とある。

「山の神の前を流れる千股川の清流で米を洗った。洗う回数は、“七度半”」。

その都度、川の水を入れ替えて洗っていたようだ。

「山道の真ん中に設えた簡単な石の籠。2カ所に大鍋を2個も架けて赤飯を炊いていた。ひと寝入りした男の子や、60歳までの男は、赤飯が炊きあがる時間。深夜時間の午前1から2時ころ。“ささいわの握り飯をもらいに行こうや”と声をかけ合って、集まってきたら、一人ずつ3個のおにぎりをくれた」とある。

「若い衆は、別に新しいシトギ(※シトギ、つまり米粉で作る粢であるが、千股では粢はなく藁で作った“ホデ”をシトギと呼んでいた)、ミミツカミ(※前述したナベツカミであり、鍋の耳を掴むことからミミツカミとも称する)、箕に注連縄の太いものと注連縄の“タスキ”を作る」
「藁で作ったシトギの内部に、米と12粒(※旧暦閏年は大の月数になるから13粒)の小豆を入れ込み、注連縄とともに山の神の傍に立つ樹木にかけた」。



また、「ミミツカミと箕は握り飯とともに山の神に供えた。また、竹のゴーを二つ作り、その竹筒にお神酒を注いで木にぶら下げた」とある。

この日に拝見した山の神の御供に箕と竹のゴーは見られない。

失念したようでもない。

と、いうのも、今年の10月9日に訪れたとき、すでに山の神にはなかったから、毎年そうしてきたのであろう。

作り手のNさんの口からもその件は話しにでなかった。

気になるのは文中の“竹のゴー”である。

竹のゴーとは竹で作ったお神酒入れである。

これを“オミキドックリ”と呼んでいたのは宇陀市榛原の額井である。

充てる漢字はお神酒徳利。

まさにその通りである。

“竹のゴー“の呼び名は「十津川かけはしネット」にある。

執筆は十津川村教育委員会の教職者。

学校教育の一環に構成されたネットである。

「十津川かけはしネット」の「十津川探検」、「十津川郷民語彙」に「※ タケノゴー(竹筒のこと)」とある。

山行きさんが山の神さんに参る際の道具である。

その事例に紹介しておく奈良市柳生町・山脇の山の口講の祭り方。

ここでは竹のゴーという呼び名でなく、「竹のゴンゴ」である。

この呼び名は田原の里と呼ばれる奈良市東部山間地で伝わる詞。

平成26年12月1日にイノコのクルミモチ作りに訪問した際に教えてもらった地域の語彙が「竹のゴンゴ゙」であった。

話しは戻すが、千股にあった“竹のゴー”も同じような形状であったと推定されるのである。

また、シトギについても柳生町・山脇の山の口講の祭り方を参照していただきたい。

千股のささいわ行事に話しを戻そう。

『奈良縣総合文化調査報告書』に次のことも書いてあった。

「ささいわの握り飯は、女が買いに、行きにもせず、たべもせず。山の神のまつりをしているとき、女の人が通りかかると、石が転げて飛んでくるという。昭和26年、千股のある女の人がささいわ行事の日を忘れて、火を焚いているところを通る際、川の向こう道に切り替えて息を殺しながら通りすぎたという」。

今もなお千股の山の神は女を嫌う。

山の神は男やから、その場に女は一切立ち入り禁ズ、という。



さらに次のことも伝えていた。

「女ばかりでなく、ささいわ行事のときは人通りが少なかった。この道は、芋峠を越えて高市郡の飛鳥に。或いは磯城郡の多武峰に出る道なので、平常の人通りは多かったのだが、昔は一度、刀を差したシニビキヤク(※死に飛脚、つまり死亡を伝える通知便を運ぶ飛脚)が、二人も通ったのを見た記憶がある」という証言もあったそうだ。

民俗の断片を知る手掛かりになる記憶証言である。

「だいたい、ささいわ行事はキラダメル(※地域語彙と思われるが意味不明である)とて、死を忌み、不幸の家は“ここの家、火や悪い”と云って、その家だけは別にした。忌みのかかった家は“今年はブク(※服忌)かかっとるから握り飯もらいに行こまい”と、云ってもらいに行かなかった」。

「40年ほど前(※仮に昭和26年を基点として計算すれば明治44年辺り)、米が不作の年だったというが、若い衆の全部が出てする山の神まつりは廃せられた。明治42年、小学校建設の地均しをするために、千股を7組の垣内に分けて、それをもとに垣内単位で交代する山の神まつりにした。その結果、青年團は特に参興することがなくなった。それからも続く山の神まつりは垣内が当番組の男の子は交代するが、お供えは替えることなく・・」、毎年が同じであった。

それから65年後の今日。

山の神のまつりに寄り合う男たちは青年どころか壮年時代に移っていた。

子どもの少子化は県内どころか全国的。

男の子だけでするには無理がある。

十数年前からは女の子も受け入れて継承してきた地域行事がある。

なんとか繋いできたが、それすらも難しくなった絶対数も少ない少子化時代。

外孫も受け入れて継続している地域もまた増えている。

子どもが主体で行われてきた地域行事は、今後、どうなっていくのだろうか。

近い将来の問題は喫緊の課題であるが・・・。



千股でいただいた赤飯をよばれながら、伝統を紡いできた日本の民俗の将来像に夢をみていた。

(H29. 5. 8 EOS40D撮影)
(H29.11. 5 EOS40D撮影)
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ネット環境に見合うコスパ無線LANを求めて

2019年03月17日 09時10分09秒 | つうしん
前夜の無線LAN断線にはまいった。

深夜近い時間帯は午後10時半。

発生した時間帯は夜の9時半だった。

何もしていなかったのに席を空けている間に無線LANが未接続になった。

繋がらない時には無線LANの底にあるボタンスイッチを押し続ける。

およそ5秒。

赤ランプがチカチカしだすまで押し続けて、その状態になれば離すリセット対応。

一旦はコミュニケートをとっていたFBは再開した。

しばらくはそれで回復したが、またもや突然のごとく切断される。

もう一度のリセットをするも復活しない。

電源を落として再開するも切断のまま。

発信もしないからパソコンン側が受信しない。

なんどもトライしてふっと繋がった時間帯は午後10時半。

繋がってはみたもののまたもや切断。

この日の対応はやっかいだ。

何度繰り返したかカウントもとっていないから回数は不明だ。

もうエー加減にせーといいたくなって、パソコンの電源も切った。

切った時間帯は午後11時過ぎ。

念のためと思って立ち上げたら難なく繋がった。

こういう事象は2カ月に一度の割りで発生する。

事象発生を溯ってみれば、前回は(11)10月6日だった。

その前は(10)8月13日、(9)8月12日、(8)8月11日の立て続けであるが、リセット処置まですることなく無線LANの電源オフ/オンで立ち直った。

その前の(7)8月4日は、突然にネットが遮断された。

パソコンも無線LANも電源をオフ/オンしてみるも事象は治まらない。

しかし、である。

タブレット端末はまったく問題なく利用できる。

そうであれば、一旦はWI-FIモードにしていたが、遮断されたと判断して飛行機マークの機内モードにしたら問題なく稼働した。

数週間前の(6)7月29日も突然にネットが遮断される事象が発生した。

パソコンも無線LANも電源オフ/オンするが現象は治まらず。

ところがこの日もタブレット端末は利用できる。

何度かトライしているうちにネットアクセス設定を触ったらしく飛行機マークになっていた。

WI-FIモードをオンにしたら、繋がった。

二日前の(5)7月27日。

この日もネットが繋がらない。

相も変わらず、パソコンも無線LANも電源オフ/オンで対応。

3、4度繰り返すが、減少は治まらず。

この日も平成28年の11月28日に発生した事象の対応で解決できた。

10日前の(4)7月18日。

この日もネットが繋がらない。

相も変わらず、パソコンも無線LANも電源オフ/オンで対応。

3、4度繰り返すが、減少は治まらず。

この日も平成28年の11月28日に発生した事象の対応で解決できた。

それより1カ月前の(3)6月21日である。

ネットが繋がらなくてパソコンも無線LANも電源をオフ/オン。

繰り返しても治らない。

この日もネットが繋がらない。

相も変わらず、パソコンも無線LANも電源オフ/オンで対応。

3、4度繰り返すが、減少は治まらず。

ここで思い出したのが、平成28年の11月28日に発生した事象の対応である。

ネットトラブルをサポートしてくれたKCNネットサポート。

もう一度お願いの電話をすることなく、バッファロー社製のWHR-G54Sの底にあるリセットスイッチでITIT(イニシャライズ)ボタンの3秒押しで解決した。

その前が(2)3月6日に前年の(1)平成28年11月20日だった。

こうして遡ってみればネット切断事象の発生は定期的でもないことがわかった。

むしろ、数日前、或いは直近にあったノートンインターネットセキュリテイの自動更新である。

長時間の更新がなんらかの影響を与えているのではないだろうか。

それもあるが、平成17年8月半ばに新発売されたバッファロー社製のWHR-G54Sの経年劣化。

リセットでは対応しきれなくなった。

12年間も利用してきた無線LANはとうとう買い換えの時期を迎えた。

振り返ってみればなんと、なんとの2005度のグッドデザイン賞を受賞していた優れもの。

発売時の価格は10,500円。

今日現在の価格.comの最安値価格でも7,700円。

たいしたもんだよ、おっかさん、である。

プリンターインク補充購入に立ち寄ったジョーシン富雄南イオンタウン店。

一か月に数回訪れては消耗品補充に立ち寄る。

そのとき、時間があればついつい覗いてしまう無線LANコーナー。

機能は大きく向上はしているものの交換機種にどれを選んでいいのやらさっぱりわからない。

私が選択したい機種は現況のWHR-G54S並みである。

動画をメインに据えているわけではないパソコン・タブレット利用に超高速を誇る機種は要らない。

私の意図をわかってくれない店員さんはいつもこういう。

今の時代はこれです・・・・と。

この日に商品コーナーにいた人が困った私の顔をみて・・・相談にのってくれた。

話しを伺うちに店員さんではないような・・。

商品を押し付けない、我が家のネット環境を知ろうとする、適切なプロパイダー環境・・・など。

その人は何十年も世話になっているKCNさんだった。

電話も地デジ環境も調えてくれて家族はたいへん喜んでいる。

ネットでも困ったときはすぐ対応してくださったありがたいサポート対応に支援してもらっている。

相談にのってくれたKCN担当者は我が家のネット契約を調べてくれた結果、インターネットポートの「Giga」対応は不要ということだ。

我が家のネット契約はKCNのなかでも一番の低速。

動画を必要としないからそれでいいとしてずっとそうしてきた。

つまりは根幹にあたるネット速度が遅ければ、いくら超高速の無線LANを導入しても効果は発揮できない、ということである。

商品棚をみれば、その下は「100Mbps」になる。

残る決め手は無線LAN側のポート数である。

一つよりも複数が望ましい。

なぜなら現状もプリンタは無線LAN接続。

今後はもっと増える可能性もあると考慮する。

もう一つは無線LANの出力速度。

我が家は木造2階建て。

1階部は南にリビング、北にパソコン部屋。

その間に一間あり。

一階も2階も難なく無線LANの電波は届いているから、無線速度は866Mbpsで十分。

あとはどのメーカー機種を選ぶか、である。

それからなんの問題もなく利用できたネット環境であったから、機種交換は持ち越しだ。

(H29.12. 4 SB932SH撮影)
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写真展私がとらえた大和の民俗ー水―in旧臼井家民家で語る写真家座談会

2019年03月16日 09時22分46秒 | しゃしん(県立民俗博物館展示編)
今回で7回目になる「私がとらえた大和の民俗」写真展。

テーマは「水」である。

展示会場は奈良県立民俗博物館内の玄関ホール。

奈良の民俗行事や民俗に関わる風景をとらえる写真家の競作展である。

この日は水にまつわる信仰や芸能、生業、造構など、写真作品を交えながら紹介する座談会。

8人の撮影者が出席した。

座談会の会場は大和民俗公園内にある動態保存する茅葺民家。



施設旧臼井家住居が場である。施設にある竃に火を入れて暖房するが、県内外から多数の聴講者が来てくださった。

この日、映像取材が入っていた。

奈良県の報道番組である県政フラッシュであるが、どうやら公開されなかったようだ。

配布資料は作者それぞれが揚げたテーマに3作品のタイトル並びに撮影地である。

カメラマンはどの地域に出かけているのか撮影地を地図に落としてくださった。

撮影者10に色マーク。

どなたがどの地域に行ってとらえているのか一目でわかるように工夫された資料である。

参加した写真家の心情、考え、意見に批判、思想までも。

一枚の写真を通じて伝えたい思いを伝える。

その人なりの思いが聴講者にどう響いたのか・・・。

共有化できるようにしたいものだが・・。

司会進行者が、質問ありませんかの声に手を揚げる人がいた。

何度も、何度も質問をされるが、写真家に対するものでなく、内容といえば、あそこ行ってきた、これも見たことがあると、ご自身の体験を話されるだけ。

質問ではなく、体験の思いを伝えたいだけのようだった。

後日、この日に来訪してくださった区長さんが、「お一人、場違いのお客さんがおられて、進行の妨げをされる場面がありましたが、なかなか面白い試みだったと思います」とコメントをくださった。

質問は写真家を刺激する課題になることもある。

質問の内容によって奮い立たせる撮影魂。

いつまでも挑戦者でありたい。

ちなみに区長には感謝している。

今回の私のテーマは区長の思いを伝えたかった。

だが、第三者では見えない部分は多々ある。

写真の解説を地元の声を代表してお話ししてくださった区長にまた感謝である。

(H29.12. 3 SB932SH撮影)
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牛肉&とろろ昆布&かつお節振りかけ付き肉匠たけ田の油かすうどん

2019年03月15日 09時37分53秒 | あれこれテイクアウト
本日の昼飯は冷凍うどんにしといてや、と云われた。

小鍋に入れた出汁は煮るだけ。

その間に冷凍うどんの湯もどし。

小鍋で炊いた牛肉を置いて出かけたかーさんが云った。

まだまだ残っている肉匠たけ田の油かすを入れとき、である。

数日に一度は口にしたいが、そういうわけにはいかない肉匠たけ田の油かす。

特有の味がするので、味わっているのは私だけだ。

きつねの揚げさんを入れて食べたのは先月の11月12日

その次は、本日同様の牛バラ肉に生ワカメを添えたスペシャル・・でもないか。

こうなりゃもっと入れたいトッピングがとろろ昆布。

味は濃くなる。

どうせ盛るならかつお節も振りかけちゃえ、である。

牛肉が多かったし、振りかけたかつお節も。

肉匠たけ田の油かすが埋もれてしまった。

もちろん白いうどん麺も見えない。

よく見りゃ手前に油かすが見える。

思った通りにとろろ昆布は主張が強い。

強いが旨さがある。

肉匠たけ田の油かすを買うまでの我が家のうどんはとろろ昆布に天かすで十分に満足する。

ま、言ってみれば濃いめの昆布だしうどんである。

ワカメはシャキシャキで味はそれほど感じないが、昆布はほんまに主張する。

火を通した牛肉は牛の味だけになっちゃった。

ところがもう一つ主張したのは肉匠たけ田の油かす。

これはとろろ昆布には負けない味覚をもっている。

その翌日の昼食は鉄板で調理する88円の格安焼きそば。

焼き上がったところで半分は移動して寄せる。

そこにパラパラ振りかける肉匠たけ田の油かす。

できたての焼きそばは熱さがある。

その中に閉じ込めた油かす。

添えつけのソースの味は薄めでなんらインパクトはなかったが、油かすが溶け込んだ。

紅生姜もふっとぶ美味さを伝えてくれた油かす。

次回はお好み焼きに、と注文したが・・・。

(H29.12. 2 SB932SH撮影)
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お気に入りのグリコごち旨豚ポテトのガーリック炒め

2019年03月14日 08時21分08秒 | あれこれテイクアウト
安くて美味しいグリコのごちうまシリーズ。

どれもこれも美味しいのだが、我が家でダントツの人気を誇る「豚ポテトのガーリック炒め」。

売っているスーパーにより値段に差があるごちうまシリーズ。

一番安いスーパーになるラ・ムーでは五目かに玉とか豚もやしの甘口醤油和え、豚の玉ねぎ生姜炒めは棚に並んでいるのに豚ポテトのガーリック炒めが見当たらない。

仕方ないから他店で購入する豚ポテトのガーリック炒め

豚肉は何でもいいが、脂が多い方に旨さがある、かも。

で、ポテトはメークインが一般的。

これでも美味いのであるが、もっとシャキシャキ感を味わいたいならヤーコンにすべし。

ところがヤーコンは一般的なスーパーには見たことがない。

商品棚に並んでいたのは道の駅とか地産地消のお店。

しかも、である。時期が通年ではなく、冬場だけの一時だけである。

早くこいこいヤーコン。

二日後の12月2日に訪れた針テラスのとれしゃき市場にはなかった。

ルートは名阪国道の山添インターで降りた近くにある「花香房」にはあったが250円。

まだ、高目の金額であった。大宇陀の野道の駅なら100円~150円。

と、いうことはもう少し時期を待たなければならない。

ただ、残念なことでありますが、その後において製造終了になったようだ。

(H29.11.30 SB932SH撮影)
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長時間に亘ってパソコンに負荷をし続けたノートンのライブアップデート

2019年03月13日 08時56分26秒 | つうしん
Gatewayが遅いのではない、ネットがアクセス集中しているのか、例えばブログ更新も時間がかかる。

無線LANはチカチカ点滅状態。

朝の9時半から始まって・・その間に出かけるスーパーの買物帰宅‥しても、まだチカチカしている。

探ってみればノートンのライブアップデートだった。

もうちょっと負荷を下げて欲しいのである。

午後12時半にはアップデートは完了したが、その後もチカチカ状態が続く。

その事象は午後1時半になっても止まらない。

またもや魔物の出現したのか、チカチカは止まらないのを見て、田北病院に出かける。

おふくろの身体状態を確認しているが、退院の見込みはいつなのか。

答えはこの日もなかった。

行院から戻った午後4時も代わり映えしないが、ブログ写真のアップデートは少しマシになったような気がする。

午後5時は更新を確認しているとか、三つの更新処理があって、まだ処理中である。

そのうちすべてが完了フエーズになって、只今処理中の表示。

オール完了に達した時間は午後5時20分。

完了はなったものの、チカチカの点滅は一向に止まらない。

そのうちにノートンライブアップデートがまた始まった。

その処理はすぐに終わった。

終わったというのは、“すでに”ということであった。

ところがまたもやのチカチカ点滅。

止まらなければ、パソコンの電源を切るしかない。

チカチカ点滅は当然ながら止まった。

そうであれば、電源を入れて立ち上げてみなきゃならん。

そうしても相も変わらずのチカチカ点滅を繰り返す。

午後6時になっていた。

それまでしていた私の作業はネットではなく、ワードで書く執筆作業。

ネットを使っていないからチカチカの負荷はない。

そのうち消えて負荷はなくなった。

時間帯は6時半だ。

およそ9時間にも亘ったノートンのアップデート。

夜間の午後11時から始めてくれよ、といいたくなる。

翌日の12月1日はWIN.10の更新。

午前10時半から始まった更新は長時間かかると思われたので、新築中の医療センター病院前に出店した「ならコープ」に出かけて品定め。

「ならコープ」は加入しているコープ会員に特典はあるようだが、非会員には一切がない。

だが、お得な商品もある。

ちょこちょこっと買って支払いは現金扱いのみ。

1時間ほどの品定め新店舗から戻ってきても、まだ終わっていない。

昼飯を食べた午後12時半になってやっとこさ終わった。

(H29.11.30 記)
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12月8日はコトオサメ

2019年03月12日 09時07分58秒 | 民俗あれこれ(売り場の民俗歳時記編)
コトオサメの日は12月8日。

鍛冶屋さんはフイゴの祭り。

地元地域にある大手スーパーでは早くも正月迎え。

商魂逞しい時代は、いったいいつごろから始まったのだろうか。

縁起物は良き日にというわけで、売り場に大安日カレンダーまで表示しているが、12月1日から歳神さんを迎える注連縄掛けはあり得ない、と思う。

次の大安の日は12月7日。

せめて、8日以降にしてくれと言いたいが、この表示を見て暗示にかかる人もいるだろうな。

それはともかく新しき年の始めはコトハジメ

正月に歳神さんを迎える準備をし始める日。

12月13日である。

村落では早くも勧請縄掛けの準備をする地域もある。

(H29.11.29 SB932SH撮影)
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