豊浦のたぬき地蔵取材を終えても、まだ余裕時間がある。
その時間帯に、ふと立ち寄りたくなった大和郡山の城下町。
史跡・郡山城跡は、日本さくら名所100選。
さらに、この年の11月10日付け文部科学省告示第141号の告示により、郡山城跡が正式に史跡指定された。
城郭は徐々に整備されたが、早くも豊臣秀長の時代にほぼ完成し、増田長盛(ましたながもり)の外堀普請(ふしん)によって城郭の規模が定まったとされる。
つまり、郡山城は内堀、中堀、外堀という三重の堀に囲まれた惣堀(そうぼり)の構えを持つものであり、この中に城郭の中心部や武家地、城下町が配置されたのであるが・・
城下町の形成に関わりのあった寺院は、最後の城主であった柳澤家の菩提寺である永慶寺があり、大納言・豊臣秀長の菩提所とされる春岳院もある。
豊臣秀長の肖像画や箱本制度がわかる資料を残した春岳院は、毎年の8月23日、24日において地蔵盆を行っている。
柳町の通り沿い。

車窓から見えた新中町の春岳院・如意地蔵盆。
平成19年に取材した懐かしさから、久しぶりに拝見したく、藺町線に出てからUターンした。
本堂に供えるのではなく、外壁の祠内に埋め込んで設えているだけに、道からでも拝観できる如意地蔵の盆のお供え。
車を近くに停めて拝観する。
この御供膳を見たくて戻ってきました、と当番の男性に挨拶させてもらって撮った一枚。

赤い椀はアカメシですか、それともセキハンですかの問いに、セキハン(※赤飯)であったが、平成19年当時にもらった資料によれば、ササゲ豆のセキハンだった。
来年、できるなら御供膳を調整する様子を拝見(記録)できれば、と思っている。
ちなみに、御供膳は串刺しカタチの立御膳。

湯葉にカンピョウ結びで締めた素麺束。
花麩に椎茸。
そしてインゲン豆ではなく、これもササゲ豆であろう。
気になるのは、一本だけが飛びぬけている素麺。

平成19年に記録した映像には、そのような気配はみられない。
昨今、手間がかかるから、簡易御膳にしている地区も増えつつあるなか、以前と大きな変化は見られなかったのが、嬉しくて・・・
ちなみにこの年は、新型コロナウイルス蔓延対策に一日限りの24日地蔵盆だった。

そのようなことで春岳院の本堂で営まれる数珠繰りは中止した。
(R4. 8.24 SB805SH 撮影)
その時間帯に、ふと立ち寄りたくなった大和郡山の城下町。
史跡・郡山城跡は、日本さくら名所100選。
さらに、この年の11月10日付け文部科学省告示第141号の告示により、郡山城跡が正式に史跡指定された。
城郭は徐々に整備されたが、早くも豊臣秀長の時代にほぼ完成し、増田長盛(ましたながもり)の外堀普請(ふしん)によって城郭の規模が定まったとされる。
つまり、郡山城は内堀、中堀、外堀という三重の堀に囲まれた惣堀(そうぼり)の構えを持つものであり、この中に城郭の中心部や武家地、城下町が配置されたのであるが・・
城下町の形成に関わりのあった寺院は、最後の城主であった柳澤家の菩提寺である永慶寺があり、大納言・豊臣秀長の菩提所とされる春岳院もある。
豊臣秀長の肖像画や箱本制度がわかる資料を残した春岳院は、毎年の8月23日、24日において地蔵盆を行っている。
柳町の通り沿い。

車窓から見えた新中町の春岳院・如意地蔵盆。
平成19年に取材した懐かしさから、久しぶりに拝見したく、藺町線に出てからUターンした。
本堂に供えるのではなく、外壁の祠内に埋め込んで設えているだけに、道からでも拝観できる如意地蔵の盆のお供え。
車を近くに停めて拝観する。
この御供膳を見たくて戻ってきました、と当番の男性に挨拶させてもらって撮った一枚。

赤い椀はアカメシですか、それともセキハンですかの問いに、セキハン(※赤飯)であったが、平成19年当時にもらった資料によれば、ササゲ豆のセキハンだった。
来年、できるなら御供膳を調整する様子を拝見(記録)できれば、と思っている。
ちなみに、御供膳は串刺しカタチの立御膳。

湯葉にカンピョウ結びで締めた素麺束。
花麩に椎茸。
そしてインゲン豆ではなく、これもササゲ豆であろう。
気になるのは、一本だけが飛びぬけている素麺。

平成19年に記録した映像には、そのような気配はみられない。
昨今、手間がかかるから、簡易御膳にしている地区も増えつつあるなか、以前と大きな変化は見られなかったのが、嬉しくて・・・
ちなみにこの年は、新型コロナウイルス蔓延対策に一日限りの24日地蔵盆だった。

そのようなことで春岳院の本堂で営まれる数珠繰りは中止した。
(R4. 8.24 SB805SH 撮影)