マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

大阪八尾・八尾木の民芸つくりもん

2018年12月11日 13時57分15秒 | もっと遠くへ(大阪編)
寛政年間に始まったとされる伝統行事が大阪府八の尾市にあった。

そのことを知ったのは平成24年ころ。

何をキーワードに検索していたのか覚えていないが、「つくりもん(造りもん)」の詞に民俗心が躍った。

紹介しているブログはどなたがアップされているのかわからないが、「つくりもん」を公開していた映像は平成21年、並びに22年当時のもの。

「つくりもん」は14点も製作したというから、是非とも訪れて取材させていただこうと思っていた。

戦後まで途絶えていた「八尾木(ようぎ)の民芸つくりもん」は昭和52年に復活した伝統的民俗行事。

野菜・穀物など、収穫した採れたて食材を利用して人形作りをする。

形ができた「つくりもん」は集会所や各家の軒先で展示する。

主催は八尾木民芸作り物保存会のようであった。

それから5年も経った。

奈良県内の行事に限らず、関連、共通事例はできる限りの記録を、と思って舵は奈良県周辺の他府県にも足を向けた。

尤も、奈良県の民俗事例は放っておくわけではなく、並行的に進める民俗取材である。

開催地である大阪府八尾市の八尾木(ようぎ)を地図で探してみたら信貴山を越えて道なりに下った大阪府内。

八尾市の恩智辺りに出る。

そこから北上するが、カーナビゲーションが行き先案内する地は、途中から蛇行の連続ルート。

小刻みの蛇行に巧みなハンドルさばきを要する。

急な坂道を下ってきたら視野が広がる。

麓に宅地開発された土地民家の隙間を行け、というカーナビゲーションの指図。

ぐるぐる回るうちに、いったいここはどこなんだ、と思ってしまうぐらいに彷徨っていた。

奈良からの大まかなルートは平群町の勢野北口がスタート地点。

信貴山西より南への雁多尾畑を通過し、大阪・八尾の恩智辺りに出る山道コースを抜けたら南北に走る東高野街道こと国道170号線にぶつかる。

カーナビゲーションはまた初めての処を行くものだから余計に見えない目的地。

途中に曙川(あけがわ)地区もあったが、八尾木に果たして着くのだろうか。

カーナビゲーションにセットした地は八尾木2丁目8。

だいたいがここ辺りだろうと思っていた地区近くに建物がある。

施設は八尾市出張所の曙川コミュニティセンター。

催しの様相らしきものが目について停車した。

ここも会場になるようだが、第一の目的地は八尾木民芸作り物保存会の所在である。

曙川コミュニティセンターより少し西へ。

信号から南を見れば赤く染めた幟があった。

この日の行事である「八尾木の民芸作り物まつり」を案内する幟である。

それを指標にとろとろ走らせる車。

ある辻向こうにも目印の幟がある。

そこに数人の人だかり。



近寄っていけば今まさに作り込み中だった。

作業中の人たちに声をかけた。

「つくりもんを拝見したくて、奈良から信貴山越えでこちらまでやってきました」と伝えたらみなは驚いておられた。

奈良からわざわざ見にきてくれたと歓迎されるが、作業の邪魔はできない。

とはいってもこの場で車を停車したままでは往来する車や通行人に迷惑をかけることになる。

作業を手伝っている男性にここら辺りで停められる場所は・・・と聞けば、そこが良いと指示してくださった。

つくりもんは代表のNさんを支援する有志の人たち4人とともに作り上げる。

展示会場はN家の作業場。

例年、そうしてきたという。

今回のテーマは「大河ドラマ おんな城主 直虎」。

午前中より始めて大道具まではほぼできあがり。

あとは細かい部分の小道具作業がいっぱいある。

着いた時間帯は午後1時半。

夕刻までの完成を目指す。

八尾木(ようぎ)は旧村の一つ。

古来は「ようぎ」と呼んでいたが、町名地番変更以降は大字の「八尾木」以外は「やおぎ」と呼ぶそうだ。

八尾木地区を含む曙川(あけがわ)も、かつては旧村の一つ。

聖徳太子が物部守屋を攻撃するために、この地まで来たら夜が明けた。

太子が顔を洗った川を「明け川」と呼ばれた。

そしてこの地を「明川」と呼ぶようになり、後の明治時代に「曙川」の漢字を充てるようになったという。

尤もこれは一説にすぎないようだ。

ちなみに八尾の地名の謂れがある。

八尾市が平成23年2月に増刷した『八尾発見 八尾市観光ミニガイド』に書いてある本文に「その昔、この地に一羽のウグイスが住んでいた。その声はたいへん美しく、不思議なことに、このウグイスには尾羽根が八枚もあった。このことが、評判になり、やがて誰からともなく、ウグイスが止まる木を“八尾木”と呼ぶようになった。いつしかこの村を“八尾”と呼ぶようになったと云われている」とある。

続けて書かれていた一説に「八尾の地には大昔、弓矢矢を生産する部族が多く集まっていて、出来上がった矢を背に負い、運ぶことが多かったことから“矢負い”が“矢尾”になり、“八尾”になったという」謂れもあれば、「旧大和川がこの地を流れていて、洪水を防ぐ堤を作る際に、数えきれないほどたくさんの“八百(やお)”の杭を打ったことから転じて“八尾”になったという」説もある。

八尾の地名の起こりや八尾木との関連については「曙川出張所管内の昔話」に詳しく解説されているので、そちらを参照していただければ幸いである。

さて、この日の行事の八尾木(ようぎ)の民芸つくりもん、である。

83歳のNさんらの話しによれば、江戸時代の寛政年間(1789~)に始まった伝統行事であるが、先の大戦で途絶えたという。

Nさんが子どものときに見ていたつくりもんは、本来、不動講の人たちが継いでいたという。

8月28日は不動尊のまつり。

日中は暑い時季、飾る花は萎れてしまうから一か月遅らすようにされた。

昭和52年である。

不動講の人たちの許可を得て、地元の青少年育成会の手によって伝統行事を復活させた。

収穫した野菜や穀物を利用して世相を映し出す人形などを作り込む。

それがつくりもん(造り物)である。

集会所や各家の軒先でつくりもんを展示していたが、やがて地元住民によって八尾木民芸作り物保存会を組織化され現在に至る。

かつては大阪の天神祭りの場においてもつくりもんがあったそうだが、大阪府内では唯一となった「八尾木のつくりもん」はとても珍しい伝統行事である。

奈良県内においても各地にみられた造りもん。

いわゆる立山行事であるが、現在は大多数が消滅し、今なお継承されている地域は御所市・東長柄、広陵町・三吉、橿原市・八木に吉野町・上市の六軒町にしかみられない。

大阪府内では八尾木1カ所だけに貴重性が高い。

ところが復活・継承してきた八尾木民芸作り物保存会、である。

会は12軒の人たちで繋いできたが、高齢化によって平成28年を最後に解散された。

やむを得ない決断であるが、唯一、Nさん他、有志4人が立ちあがって継承したものの、今後の衰退に向かうことが予測されることから、何年も前からつくりもんを調査してきた大阪教育大学の支援も受けて八尾市曙川出張所が中心に、地区幼稚園などに声をかけて参加を募ることしたという。

大勢の子どもたちが集まってつくりもんをしている通称曙川コミセンの八尾市曙川出張所を紹介してくださる。

取材する会場許可は施設長である小森文也所長に取材主旨を伝えて上がらせてもらう。

会場はすでにつくりもんの作業が始まっていた。

つくりもんの仕切りは平成7年より全国に広がる伝統的土地祭礼を対象に、祭礼における住文化や祭りのしつらい(※設い或いは室礼など)を、学術的調査研究をされてきた大阪教育大学教育学部(住まいとまちづくり)教授の碓田(うすだ)智子氏の許可も得なければならない。

ただ、撮影は構わないが、子どもたちや学生の顔は避けてくださいと伝えられての取材である。

なお、お聞きすれば、碓田(うすだ)智子氏は町づくりが専門で、民俗学など行事については介入していないという。

2階会場のテーブルに広げた数々の野菜。



玉ねぎ、サツマイモ、男爵イモ、オクラ、ピーマン、シシトウ、トウガラシ、長ナス、丸ナス、ニンジン、カボチャ、ズッキーニ、トウモロコシ、レモン、スダチ、大豆、黒豆、エリンギなど。プラスアルファに麩や高野豆腐に、カンピョウ、湯葉、サラダマカロニ、スパゲッテイ麺、煎り胡麻、海苔などの一般市販品もある。

また、クルクル動く目ん玉や飾り付け材もある。

これらは農家の人たちが寄進したものでなく、材料費用は曙川コミセンが支出したようだ。

八尾市の市民だよりの募集に応えて集まってきた子どもたちは小学生や幼稚園児。

子供会についてきた若きおばあさんも参加する。

ここ八尾木でなく近くの恩智から来た家族はいい体験ができたと作業を終えてから喜びを話してくれた。

曙川コミセンで作業する子どもたちは10人。

4人の母親、父親も混じって作っている。

真剣な目で作る人形さんはさまざま。

目の前にある野菜をどう生かして形を作っていくか。



ぱっと閃いたら手が動く。



ここはこうしてこれとあれとをくっつける接着剤。



多くつけたときには溢れた接着剤が指にくっつき・・・。

縛ったっりして括るものもあれば、スパゲッテイ麺で接合する場合もある。



野菜そのものの素材を活かして作る人形造り。



クリクリ、キョロキョロ動く目玉を接着したら、まるで生きているかのような表情で見つめてくれる。



マカロニサラダをくっつけたらまるで眉毛に見えてくる。



踊る野菜人形もあれば、今にも飛んでいきそうなトンボに見立てたのもある。



材料を活かして、玉ねぎの皮も捨てることなく再利用してトンボの翅に見立てた。

とまった台も野菜。

UFO型のようなカボチャはなんとかカボチャというんだったっけ。

そう思い込んでいたが実は間違い。

ズッキーニの新種でへん平形の「パティパンスクワッシュ」だった。

子どもたちに混ざって大学生たちも参加している。



奈良学園前から通学しているという大学生のMさんは阪教育大学の女子大生。

熱心な視線を送り、細やかな部分を作っている作品は踊りの舞台。



櫓もほぼできて、祭りに情景に花を添える提灯も・・。

子どもたちと学生さんらが共同・協力し合って作るグループは「つくりもん教室」。

展示場に披露するテーマは「河内音頭祭り~ギネスに挑戦!!~」。

野菜で作ったたくさんの踊り子たちが河内音頭をに合わせて踊るらしい。





この年の作品は7つ。



展示会場は八尾木地区の7カ所に披露される。

会場を案内する地図は「つくりもん教室」が開催されていた曙川コミセン1階ロビー付近に掲示していた。

場所はそれほど離れていないような近場にある。

巡るコースの方向も矢印で表示。

親切な地図であるが、距離感は掴めない。

作品は7ツ。

一つは曙川コミセン1階ロビー付近に展示される「つくりもん祭り案内図・「発見!七重の塔」ほか」、である。

大作の七重の塔は見事。

この年に発掘調査された東弓削(ひがしゆげ」遺跡から出土した基壇跡を発見した。

専門家は、続日本紀に記載される由義(ゆげ)寺<※弓削道鏡出自の弓削一族の氏寺>の塔の遺構であると断定されたと新聞が報道していた。

八尾市教育委員会は基壇の規模から推定して七層の塔の可能性があると・・。



発見を歓び、作りもんの作品にしたのは曙川コミセンの職員さんだ。

七重の塔の材料は、高野豆腐に麩、小豆、大豆、黒豆、コーンなどなど。

その前にはカボチャで作った僧侶に森のクマさんとウサギ姿のマイナちゃん。

森のクマさんの材料は殻付き落花生、大豆、マカロニ、黒豆、トウガラシ、ジャガイモである。

この場にはもう一つの作品がある。



ペーパーでなく、立体的に作った「第40回 八尾河内音頭まつり」に「祝 ギネス世界記録挑戦会場」。



豆粒のような選手たちがいろんな表情で並んでいた。



サッカー場を模したと思われる透明プラケースには転がる選手たちが・・・・・これは取っ組み合いの競技なんだろうか。

それとも吉本新喜劇のずっこけ転倒なんだろうか。

さて、曙川コミセンの中2階にかかっている大きな古代的絵図である。

製作は比較的新しい昭和60乙丑年7月初版「河内古図」。



旧大和川復元図は、植松村住人林浄甫作・宝永六己丑年(1709)の古図と河内國細見小圖(※図面)作・安永五丙申年(1776)並びに明治五壬申年(1871)二月に描いた和泉河内堺村名録等を参考に、誤謬訂正図柄変更一部重複抹消等の修正を加えて製作するとある。

なお、図面の右上に大和川を配置、左下に大河の淀川であるから南北逆さにした方が地理的にわかりやすい。

できあがった野菜人形と踊り櫓は、曙川コミセンより歩いて10分くらいの展示会場に運ばれる。

心を込めて作ったつくりもんが壊れないようにそろりそろりと運んだのは曙川コミセンの人たちや大学生。

到着した展示会場は八尾木不動明王堂の右横に建つ八尾木町内会館。

会館内の一角をパネルで囲んで設営した展示の場である。



綺麗に飾り付けをする大学生。

野菜人形は、置くと同時に接ぎの部分が外れてしまうものもあるが、すぐさま修理。

子どもたちの力作は踊り子。

今にも動きだしそうに配置する。

その前庭にテントを張って二つのテーマを展示する。



一つは曙川小学校児童会製作の「動物~みんなで動物園をつくろう~」。

もう一つは曙川幼稚園園児が作った「みんなだいすき❤さくらちゃん」だ。

動物園は動物たちがいっぱい。

はみ出そうになるくらいに大勢の動物たちが出演している。

さくらちゃんはとても大きく育ったうさぎちゃんだ。

作品に手を振れないようにロープを張っていたのは、会場の設営強力動く曙川コミュニティセンター運営協議会の人たちであろう。

さて、八尾木不動明王堂である。



前述した八尾木不動講が寄進、平成3年8月に辻工務店によって建造、寄贈された建物である。

格子窓から覗いてみれば、火を点けた1本の蝋燭があった。



講は解散したが、信仰ある厚志の人が、花を立てて灯していたのかもしれない。

八尾木不動明王堂の右横に由来板書がある。

「宝永元年(1704)五代将軍徳川綱吉の治世、この地方を水害から護るため、大和川の付け替え工事が行われた。そのとき出土した石材を村人が持ち帰り、由義神社の北の小川に橋として使っていた」とある。

続いて、「ある日、農耕用の牛がこの橋を渡るのを嫌がったので不思議に思い、よく調べると石材に不動尊像が刻まれているのに気がついた。さっそく、村に持ち帰り、この地に堂を建之し祀ったのがこの八尾木の不動明王である。以来、諸願成就、眼病、その他難病治癒に霊験あらたかで、近在諸郷の多くの人々の信仰を集めてきた」とある。

また、「大祭日の八月二十八日に五穀豊穣を祈願して作られる“作りもの”は、寛政年間(1790)のころから始まったもので、農作物を主に使い、その伝統は、八尾の郷土文化として現在まで続き、高評価を受けている」と結んでいた。

時間帯は午後3時半過ぎ。

他の会場も拝見したく不動明王堂・八尾木町内会館から一旦は離れた。



行先は一番の賑わいをみせる八尾木五丁目公園・さくら公園である。



ここでの展示作品は八尾木子ども会並びに八尾木育成会が製作した「ミニオンズ」だ。

八尾木育成会のメッセージが貼ってある。



それによれば材料は茄子、牛蒡、海苔、麩、寒天で作ったそうだ。

とてもそのような原料で作ったとは思えないほどのミニオンズの出来栄えに子どもたちが入れ替わり、立ち替わり見ていた。



ちなみにテント天井から吊るしているのはほんまもんのバナナであるが、よく見れば床にいくつか落ちていた。

時間帯は午後4時。

正式開始時間まではまだ1時間もある。

公園から離れて「大河ドラマ おんな城主 直虎」展示場に向かう。

その途中にあったこれは、なんだ。



これはつくりもんではなく、お家に設えた郵便ポスト。

ロボット型の郵便ポストの姿が憎らしいほどに愛くるしい。

製作者の思いを聞いてみたいと思ったくらいに感動した。



「大河ドラマ おんな城主 直虎」展示場はほぼ完成。

唯一、昔から継承してきたNの作業場の前を箒と塵取りで掃除していたのは孫男子。



昼過ぎに到着したときからずっと清掃をしていたようだ。

最後に掲げる「直虎」の書はNさんが書かれたもの。

文はNさんと有志一同の作。

いつもそうしていると奥さんが話してくれたが、旦那さんはと尋ねたら、横になっているという。

作業の疲れがでたのか、作業場から離れる際に倒れたという。

救急車で搬送したというけど、大丈夫なのだろうか。

ちょっと気になる容体である。



あそこに立っているのはおんな城主の「直虎」なんよと我が子に説明する母親。

其のことがわかる年齢にはまだ達していないようだが・・こくりと頷いていた。

あともう少しというころにやって来た餓鬼ども。いや、失礼。

自転車に跨って走って来た小学生は町内を駆け巡っているようだ。

作業場左横に置いてあるのはスタンプラリーのスタンプとラリー用のペーパー。

満点になったスタンプラリー用紙を主会場の曙川コミセン1階に持参すれば、えーもん景品と交換してくれる。

子どもたちにとっての愉しみは「作る」、「見る」、「景品」などである。

ところで城垣や建物、橋などに「直虎」は何を使って作っていたのだろうか。

城の屋根は赤トウガラシに海苔、トウモロコシ、牛蒡である。

壁は白米に細かくしたパン粉、高野豆腐。石垣は蘇鉄(そてつ)の一品。

橋は白胡麻にさつまいもと牛蒡である。

「直虎」の頭は冬瓜。

頭巾が綿糸。

衣は寒冷紗。下着はカンピョウ。

数珠はシークワーサーで作ったそうだ。

会場はもう1カ所ある。

特別支援学級(いちょう学園)が製作したテーマは「絆」。

八尾木のバス停跡にある掲示板に掲げていた七色のビーズで作った「絆」。

ガラス越しの映像だが、根気のいる作品の素晴らしさがよくわかる。

ところで八尾木のメイン通りに常夜燈が建っている。

台座に「北小路」や「大門」の刻印があることから、この通りは北小路であろう。

その通りに大門が建っていたのではないだろうか。

年号は弘化二乙巳年(1845)九月吉日の刻み。

今から173年前になる江戸時代後期。時代は嘉永から安政、万延、文久、文治に続いて慶応の幕末期から大政奉還に移り行く時代だった。

地区南や東西に大門、常夜燈、或いは小字地の名でもあれば・・四門に囲まれる城塞・・・なんてことを想像してみた常夜燈である。

そして、三度も訪れた「おんな城主 直虎」展示場。

時間帯はいつしか午後5時半。

夕闇が迫ってくる時間帯である。

女の子も自転車でやってきた。

団体で押し掛ける男の子たち。

本格的にスタンプラリーに集中しだした。

帰りにもう一度見ておきたい展示場がある。

この日の取材は時間の変化に合わせて展示場の様相を、と思って尾木町内会館へ移動する。

距離はそれほどでもないから3分くらいで到着する。

いよいよ時間帯はライトアップの効果を見る。

曙川幼稚園のテント下のライトに照らされる手造りの動物たちが迎えてくれる。

夜になったら派手に大きくなったように見えるうさぎのさくらちゃん。

時間が経つうちに巨大化したのだろうか。

そんなことはないうさぎのさくらちゃんなどは幼稚園児が作った作品。

右は夜になったらどことなく怖さが前面に突き出す動物たち。

くりくりっとした愛くるしい黒目のハリネズミは可愛いんだけどなぁ。

ローアングルよりも上方からとらえる方が優しくなるが、ライトの照光加減でナイトZooになることもある。

なにがなんだかわかり難いが、小さな子どもたちが一生懸命に製作した動物たち。

ずっと見ているうちにじわーっと感動を呼ぶこともある。

スタンプラリーはクイズではないからスタンプ押したら次のポイントに向かう。

とはいってもすぐ横の会館内にある「河内音頭祭り」。

足元を見ていただければわかるが、LEDライトもセッテイングしている。

ただ、気をつけないと知らずに蹴飛ばす可能性もある。

子供たちがスタンプラリーに夢中になるのもいいが、じっくり見て欲しい野菜で作った踊り子たち。

盆踊りは夜景が似合うのだから・・・。

このころともなれば親子連れが多くなるが、撮影の許可を得られない場合もある。

顔出しご法度の家族もあれば、どうぞ娘を入れて撮ってあげてくださいというありがたいご家族もおられる。

目を細めてうさぎちゃんのさくらちゃんを見ていた家族連れにお声をかけて撮影許可をいただく。

愛情のある眼差しで観てくださる踊り子たちも愛くるしい姿で応えてくれる。

祭りの音頭が聞こえてくるかのように姉妹が観ている横顔を撮らせてもらった。感謝・・。

八尾木町内会館の会場を離れて再びさくら公園に向かう。

賑やかな声が広がっていたさくら公園。

なぜか公園フェンスの外側からの眺める子どもたちが居る。

自転車で闊歩していた小学生も小休止のようだ。

さっき、来たときは少女が多かったが、この時間帯は男の子に。

ライトアップされたミニオンズがよぅ来てくれたと手を揚げている。

あれやこれやと云いながら指を挿す。

何を話しているのか、おじさんにはわからない語らいである。

ソースを塗ってから天かす、青のり。

そしてマヨネーズ味でできあがり。

一枚、いくらで売っていたのか、聞きそびれた。

子どもたちは焼きたてのせんべい焼きをがっつきながら見ていた。

このときの時間帯はブルータイムから星空タイムへ移ろいゆく。

写真家にとってはゴールデンタイムへの切り替わり。

あっという間に足元も見えない。

少女たちもパリパリと音を立てて食べていた。

明日の夜も開催される「八尾木の民芸つくりもん」の会場。

夜店は子どもたちの遊び場であり、学校を離れた地元コミュニケーションの場でもある。

時間帯は午後6時丁度。

午後9時の閉会まではまだまだある。

縁日時間枠までたっぷり楽しんでいることだろう。

公園から離れてもう一度見てみたい会場は「おんな城主」で見納めとしよう。

何人もの人たちがペーパーに目を落としていた。

大阪教育大学のゼミ大学生たちがこの日のまとめに観光する人たちの生声を聞かせてもらうアンケート。

論文に生かすためのアンケートである。

大学生からお声をかけられた人たちは快く記入していた。

なお、八尾木のつくりもんを次世代に繋ぐ弟子を募集している。

弟子入り募集は地域制限条件記載がないことから他府県の人たちも応募可能のように思える。

詳しくは曙川コミュニティセンターまで、と書いている連絡先にお電話を、である。

また、新聞報道もされている八尾木のつくりもん、である。

それぞれの団体や報道もされている八尾木のつくりもん。

地域継承することを目的とし「つくりもん教室」が盛況に開催されたと伝えられているが、本来の民俗伝承を教えてくださっているのか、甚だ心配である。

もう一つ気になる点がある。

保存会の名称もそうである「八尾木の民芸つくりもん」の「民芸」である。

「民芸」とは大正15年、「日本民藝美術館設立趣意書」の発刊による。

日常的な暮らしのなかで使われてきた手仕事の日用品に「用の美」を見出し、活用する日本独特の運動

「民芸」は民衆的工芸の意であり、「民芸的工芸」の略語で、柳宗悦らによる、当時の新しい造語である。

つまり大正15年から使われ出した新語である。

八尾木で代々が継承してきた造り物は、江戸時代の寛政年間(1789~)に始まった伝統行事。

その時代に「民芸」という用語は存在しない。

決して「民芸」=造り物とはなり得ないのである。

八尾木の造り物は、長く続いた中断時期を経て復活したという。

その時代は昭和52年。

このころになると「民芸」もんは、例えば、熊人形のような土産物に名付けられた。

日本各地の観光地にさまざま民芸土産物が造られ販売された。

造り物はいつしか「民芸」に成り代わったのか。

奈良県内もまた同じく江戸時代から連綿と継承されてきた「立山」と呼ぶ見世物的造り物があるが、決して「民芸」でなく造りもんである。

どうか現代造語の「民芸」を外され、江戸時代からある「八尾木のつくりもん」名で堂々と名乗ってほしいと願っている。

(H29. 9.23 EOS40D撮影)
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小林町・白いドッジボールの正体

2018年12月10日 09時14分39秒 | 自然観察会(番外編)
在所の大和郡山市小林町に住む人から電話があった。

地区の雑木林の中に「白いドッジボール」のような大きなモノがあがったから撮りに来て、というお声に誘われて現地に向かう。

話しの様相から「オニフスベ」であろうと思った。

かつてというか、「オニフスベ」を見たのは云十年前。

生えていたのは県立民俗博物館がある大和民俗公園内。

発見したのは自然観察会のとき。

指導先生に教わって知った。

やや薄目のこげ茶色の塊であったが、「オニフスベ」そのものだった。



一昨日はテニスボールの大きさだったが、犬の散歩にでかけてみた物体はドッジボールの大きさになっていた。

手尺で計った直径は最大が18cm。

最小でも16cm。



団子兄弟のように三つ並んで大きくなっちゃった。

大きくなった「オニフスベ」は2日も経てばひび割れが生じる。

その後の数日後には茶色に変色する。



やがて小さくなって萎んでいく「オニフスベ」は合計で9個。

生えていた雑木林に赤色の曼殊沙華が咲いていた。

その向こうに稲穂が垂れる。

来月になれば稲刈りをすると話していた。

なお、オニフスベは食用キノコであるが、内部が白い幼菌時のみであるから要注意。

あがり出たてのテニスボールくらいの大きさがいいようだが、味がないので推奨されるものではないようだ。

場合によっては土の匂いもするらしい。

(H29. 9.22 EOS40D撮影)
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住之江・再びお好み焼きおばちゃんの博多焼きに豚入りお好み焼き

2018年12月09日 10時03分40秒 | あれこれテイクアウト
所用でやってきた大阪市内の住之江区。

何度も書くが、私はこの地で生まれ育って30年間も住んでいた

いわば都会の故郷である。

時間の関係もあるが、もっぺん食べたくなる一枚が100円の博多焼きの魅力に憑かれて車が動く。

いや動くのは私という意思が働くハンドルである。

博多焼きだけではお腹はもたない。

今回はその補いにお好み焼きを選んだ。

店頭につくなり、この前はありがとう、美味しかったと伝えるときに添えた伝言。

焼きそばはパッサパサ。

油が足らんかったと思う。

麺がつるつるでないから、喉の通りが悪かって、なと。

もう一つの伝言は、味はまぁまぁやったが、ソースがもう少しあれば、もっと美味しくなる、である。

クレームではなく、伝えたい私の味好み、であるからだ。

えーこと、いうてくれはる、ありがたいことや。

お客さんの要望はあった方が、えーねんというおばちゃんは笑顔で受けつけてくれる。

稀に何人かのお客さんが伝えてくれる味好み。

云わんより云ってくれる方が嬉しいというのだ。

そんなわけで今回はお好み焼き。

これも1枚が250円の豚玉にさせてもらった。



仮駐車した場。

そこで蓋を開けた。

車内に拡がる美味しい香り。

こりゃたまりまへん。

初めに口にしたのは豚玉お好み焼き。

ソースにカツオに青海苔。

マヨネーズもたっぷり盛ってくれたお好み焼きが旨い。

一口、二口、三口と箸が進む。

進み方が早いのだ。

キャベツはシャキシャキで柔らか目のお好みにとても合う。

やわらかいといっても博多焼きまではいかない。

程よい柔らか目は粉の加減もあるが、長薯が入っているような、なさそうな。

生地がもっちゃりして食べにくいお好み焼きもあるが、これは良い。

とろっと感がとても食べやすい豚バラ肉は大きな一枚。

焼けた肉の味がある。

これで250円って大満足。

もう一枚買った博多焼きもぺろっと食べた。

こりゃあかん。

癖になってしまった。

お好み焼きおばちゃんの博多焼き。

住之江に来る度に買ってしまいそうな気がする。

(H29. 9.21 SB932SH撮影)
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思いを叶えたく通い続けた淀屋橋の歯医者に行く

2018年12月08日 09時24分13秒 | むびょうそくさい(おかん編)
もう10日以上も身体に痛みを発症しない。

外へ行きたくてうずうずしてきたおふくろであるが、独り行動をさせるわけにはいかない。

近くといっても、片道500m程度の距離にある畠中医院であっても介助人が付いていくのであれば許せるが独り歩きではいつどこでこける(※転倒)かもしれない。

こけることによって一挙に進行する身体不具合。

大ばあさんがそうだったから安心はできない。

痛み発症による自力歩行が困難になってから1カ月も過ぎた。

徐々にマシになってくる。

おかげさんで自宅での独り暮らしができるようになったのが嬉しい。

痛みが消えて10日にもなったことに歓びを隠せないおふくろから電話が架かった。

朝の8時半だ。

早朝から電話をするなんてことは滅多にない。

あってとすれば何かが起こったときだ。

痛い、歩けない、という緊急電話であろうか、ではなかった。

歯がゆるゆるで取れてしまって食事ができないという。

ゆるゆるのなり始まりは数か月前。

その後に発症した骨粗鬆が原因と思われる痛みによって自力歩行ができなくなった。

痛みがあるし、歩行はできないが、口は達者だ。

口といっても食欲の方である。

お腹がすくから内臓は健康体であるが、食べるときは気遣いしながらだった。

ゆるゆるの歯はいつ外れてもおかしくない状態であった。

外れたのは前夜である。

朝、起きたら電話していくつもりで就寝した。

朝の立ち上がりに歩けることを確信したおふくろが電話をしてきた。

行先は大阪市内のど真ん中。

ビジネス街の中心地。

31年間も務めていた勤務先もある淀屋橋。

辞めてからは随分と変化した街の様相に驚く。

そこに行きたいというおふくろは今回の症状になる前はひょこひょこと出かけていた。

大阪難波どころか梅田であろうが旅行にも出かける。

出かけることを楽しみにしているおふくろの思いが叶えなくなった。

症状はマシになって歩ける自信はついたが、それはあかん。

自宅付近であれば許したかもしれないが、徒歩にバスや電車を乗り継ぐ都会行きの行程はあかん。

電話予約をした時間帯に合わせてそっちに行くと伝えた。

それから30分後。

予約の結果は午後2時。

おふくろが居住する地から、出発支度を度合いもあるので余裕をみた1時間前。

そのころにそっちへ向かうと伝えた。

世話かけてばかりだというおふくろを説得して安心コースを選択した。

居住地に着くにはこれもまた余裕時間を考えて正午に出る。

阪神高速道路の渋滞が考えられるのでそうした。

ただ、私の昼ご飯はどうするか。

どこかで買って食べる車内食に決めて我が家を出る。

やはりの渋滞に巻き込まれはしたものの45分間で着いた。

買い出しにう回路しておふくろの居住地。

団地下の停車地で電話をする。

持っていくものは用意したか、である。

診察券はどこを探しても見つからなかったが、新しく送られてきている健康保険被保険者証はきちんと用意している。

大丈夫だという。

団地4階から階段を降りて来たおおふくろの足は軽やかに見える。

独り歩きは問題もなく踏み台に足を架けて乗車した。

予定時間を少し過ぎて出発。

届いていた半年後の本人宛の通知ハガキ。

それに書いてある住所をカーナビゲーションにセットして出発だ。

到着時間は30分程度。

それは高速道路を利用した時間であるが、平日昼時間の都市部行きの一般道路は混んでいない。

そちらを選択しても5分ほどの差しかない。

指示された道を走る。

大阪難波までまっしぐらの北上。

大国町を過ぎて難波手前で四つ橋線に入る。

中央の阪神高速道路を越えて右へ曲がれ。

御堂筋を越えてすぐに左へ右へで着いた。

歯医者は午後2時から再開。

それまで片づけておきたい郵便局処理。

車から降りてここでも独り歩きができる。

戻ってきて歯医者に行きたいが、ちょっと待て。

近くの駐車場に停めてくるまで待ってくれ、と伝えていたが、戻ってきたらエレベータに乗る直前。

おーい待ってくれだ。

再開受付時間は午後2時になっている創業100年の林歯科医院

早く着いてもソファで待つことになる。

院内の電灯が明るくなって受付が始まる。

久しぶりに顔を合わす歯科医師に衛生士。

並びに受付の女性であるが、私は初めて訪れた院である。

診察券は、との問いに探したけど見つからなかったので持ってきていないと答える。

そうですか、お名前はと云って伝えて医院のリストを取り出した受付女史。

ここに挟んでいました、という。

えっ、これじゃ見つからないわけだ。

受け取りを忘れてしまって帰ったのか、それとも預かりにしたのか、誰も記憶がないのも不思議である。

もう一つの確認はどこの院でもしている健康保険被保険者証。

もってきたカバン袋の中のどこを探しても見つからないって、一体どういうこと。

保険証は行くつもりになった昨夜に準備したという。

黒い袋のようなものに入れたというが、それはない。

仕方ないわけではないが、8月に届いていた保険証の色は、の問いに、ピンク色。

番号も替わっていません、の返答に次回来院時のときに、ということで受理された。

しかも、だ。

出発する際にカーナビゲーションにセットした通知ハガキまで見つからない。

これで3回目になる紛失騒ぎ。

記憶が断片的というか・・・。

時間差がある記憶。

直近の記憶は消えて、それもひとつ前の記憶しかない。

これで3度目の記憶の断片化にはまいったが、受付女史の診察券はここにありました、という事件はどこかでネタとして使わせてもらいますわ、と云ったら医師、衛生士の皆さん、揃って笑うてくれた。

なんでも半年ぶりの歯医者。

歯の掃除に検査、診察、治療、型どりに仮嵌めの2時間。

駐車料金は青天井行き。



停めた駐車場は30分で300円。

2時間駐車で1200円。

日曜、祝日であれば天井価格は900円。

ビジネス街の駐車場はどこでも大都会料金。

金儲けが上手いと云うが、こんなもんやろな。

ちなみに停めた時間は午後1時55分~午後4時ジャスト。

5分オーバーの駐車料金はきっちり1500円。

一時間システムであれば1300円になるんやけど、そんなシステムを組んでいるところはどこにもない。

ところで治療中におふくろが歯科医師さんに伝えたこと。

私はここの歯医者さんに初めて来たのは昭和35年だという。

えーっ、それでは私は未だ生まれていませんよ、である。

大院長から副院長になった息子さんまで、57年間も通い続けてきたことを覚えているおふくろはしっかりしている。

実は私の息子も当院で世話になったことがある。

東京転勤になったから来ることはないが、その節はお世話になって、しかもおふくろは長年に亘って・・と頭を下げた。

戻りは特に必要としないカーナビゲーション。

御堂筋を南下する。北御堂辺りを走っているときに言い出した。

大丸に行きたいって、もう無理。

その件は次回にさせいただく。

住之江に戻って補うおふくろの食卓食料。

スーパーサンディにスーパーサンコーだ。

買い物を済ませて奈良にようやく戻ってきた。

半日かかった任務はようやく完了した。

(H29. 9.21 SB932SH撮影)
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ヤマダイのニュータッチ名古屋発台湾まぜそば

2018年12月07日 09時45分25秒 | あれこれインスタント
奈良県内では酒店チェーン店の「やまや」以外であまり見かけないヤマダイの即席カップ麺。

大阪住之江のスーパーサンディにあった。

思わず買ってしまったニュータッチ名古屋発台湾まぜそばは99円。

昨今、台湾まぜそばなるものが流行っている。

巷のコンビニショップ跡にできた台湾食堂。

最近は塩分含有量を抑えるために行けなくなったが・・・。

初めて食べた台湾らーめんは大いに気にいった。

県内の何カ所にあった台湾食堂の食べ比べ。

どこともまったく同じ。

噂にそれが台湾の人が調理人らしいが、台湾らーめんの発祥の地は名古屋。

日本人好みの味に仕上げている。

辛みがありつつも甘い。

甘いといっても甘味料がふんだんにあるわけではない。

旨みの甘味である。

期待が膨らむニュータッチ名古屋発台湾まぜそばのパッケージに「辛いけどまろやか卵黄入りソース!」の文字がある。

もう一つの文字は小さく「のり・魚粉・にんにくふりかけ付き」とある。

名古屋発にこだわっているのか、パッケージに黄金のシャチホコ2体。

まぜそばを名古屋城に見立てたのだろうか。

それはともかく熱いお湯を入れて4分間待つ。

お湯入れ前にいれておくのは「かやく」。

長めのニラはわかるが天かすのようなものは何だろうか。

4分経てばお湯捨て。

熱いからやけどしやんようにお湯捨て。

いつも慎重にならざるを得ない作業である。

同封のふりかけは最期。

先に垂らすのは真っ赤な液体ソース。

垂らすだけで美味そうな香りが漂ってくる。

この香りだけで美味さがわかるような気がする。

箸で絞り出した液体ソースが麺に浸み込んでいく。



みるみるうちに液体ソースが底に沈んでいく。

絞った道具の箸に液体ソースが付着する。

勿体ないから口に入れる。

旨い!の一言が思わず出た。

期待以上の味であるかもしれない。

お湯で戻したニラに肉の塊。

これは何だろうか。

後でわかった塊は肉塊ではなく粒状にした大豆蛋白らしい。

冷めないうちに先を急ごう。

後乗せふりかけは刻み海苔。



魚粉ににんにくであるらしいが、細かすぎてよくわからん。

わからんがニンニクの香りだけはわかる。

魚粉は味を調える役目なのだろうか。

不思議な味でもなく、とにかく旨さ満点。

やや太麺に馴染んだソースが強烈。

味は濃いし、ピリカラ満点。

満足度合いは100%を遙かに超えていく。

麺はつるつる感のような、でもないような。

ただ、ソースの絡み方が実に良い。

それにしてもパッケージに書いてあった「卵黄入りソース」が、どうもわからん。

辛みソースはとても好きだし、旨いのであるが、卵黄そのものって、ほんまにどこに、っていう感じだ。

先日に食べたサンヨー食品サッポロ一番油そば(※塩分含有量は3.3g)も売っていた住之江のスーパーサンディ。

今週末にも所用で出かけるが、買いだめしておきたいと思ったのは、ヤマダイのニュータッチ名古屋発台湾まぜそば(塩分含油量は4.8g)だった。

塩分含有量では3.8gの油そばが勝っていたが、味の旨さにインパクトは台湾まぜそばに軍配を揚げる。

ところでヤマダイの即席カップ麺は近くにある「やまや」の大和郡山店にあった。

売っているのはラーメンばかりだ。

シリーズのニュータッチシリーズはあるし、凄麺シリーズもあるがラーメン系ばっかり。

表示している塩分含有量を見たらがっくりする。

とても美味しそうなカップ麺は食べたいが、塩分含有量は6g以上ばかり。

7gも越えている商品も多い。

心臓病に苦しんでいる私は食べたいのに食べられない。

その点、本日食べた名古屋発台湾まぜそばの塩分含有量は前述したように4.8gである。

これならまったく問題のない塩分量が嬉しい。

らーめんの多くはスープに問題がある。

麺も多少はあるが、スープの塩分含有量なんてものは凄すぎる。

だから、私が買って食べているのは、だいたいが焼きそば系。

つまりは汁無し系である。

一日の塩分量を確保してしまうスープが問題なのである。

食べられなくなった身体に泣いても仕方がないが、業界あげて改善してもらいたいものだといつも呟いてしまう。

それにしてもだ。

この日は「やまや」は3%引きのサービスディ。

毎月は買いに出かけるハッピ-ディ。

発泡酒に甲種チューハイ、日本酒が定番。

ぐるりと廻った商品棚にヤマダイ特設コーナーがあったのだ。

どれもこれも三つ纏めて買えばワンコインの500円。

もちろん税抜きであるが。

計算すれば一つが167円ぐらい。

ヤマダイのHPに書いてある希望小売価格はだいたいが210円。

これってお得価格なんだけど、私は買いにならない。

そのようなわけで、買いになるお店はやはり住之江のスーパーサンディ。

翌日に所用で訪れることになった。

ありがたい所用に思わず3個も買ってしまった。

これ以上買ってしまえば、何、考えてんのん、となるからここら辺りの個数が限界である。

(H29. 9.20 SB932SH撮影)
(H29. 9.21 SB932SH撮影)
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民俗話題が広がる懐かしい二人の再会

2018年12月06日 09時49分15秒 | メモしとこっ!
京都府の南山城村高尾の民俗調査を終えて帰路につく。

カーナビゲーションにセットしたのは大和郡山市の自宅まで。

高尾からの戻り道を指示するルートは柳生経由の奈良市内行き。

初めて通る道にワクワクする。

ほんの2kmぐらいだろうか。

開けた地に出たところは三叉路。

左右を走る道路は広くなった。

ここはどこ。

カーナビゲーションが表示した地名は奈良市邑地町。

えっ、ここに出て来たのか。

邑地町といえば水越神社の宵宮を取材したことがある。

当時は取材の細かさは聞き取りできていないが、宵宮に奉納される翁の舞や袖を触るジンパイやふんどし姿で神さんにささげる神事スモウがある。

平成17年の10月8日の状況であるが、未だに翌日の昼間に行われる本祭は見たことがない。

第二日曜日は無理なこと。

諦めの気持ちである。

撮らせてもらった写真に著書の『奈良大和路の年中行事』も献本させてもらった村である。

目と鼻の先に繋がっていた奈良の邑地町と京都の高尾の距離に驚いたものだ。

その先を示したカーナビゲーションは右へいけ、である。

指示にもう反逆するつもりはない。

奈良市内に向けて、GO(ゴー)である。

見覚えのある史跡が右手に見ながらカーブを曲がり切る。

その直後に現われた民家が数軒。

一番手前にあったお家の玄関に注連縄があった。

もしかとすれば、もしかとすれば、と思って急停車。

道路脇に停めて表札を見れば、ここであったのか、と嬉しさがこみ上げる。

興ヶ原町在住のTさんだ。

80歳はとっくにクリアーしている元宮司。

地元興ヶ原町では天満神社の宵宮を取材させてもらったことがある。

平成24年10月15日だった。

その年は宮司の務めをしながら当家も務められた。

宮司は2年前に引退された。

退任および宮司引継ぎを伝える封書をいただいたのは平成28年の4月7日。

宮司職を退職されたのはその年の3月末だった。

その宮司後任に指名されたのは甥っ子の奈良市阪原町に住まいするO宮司。

先代の親父さんも存知している親子である。

O宮司とは前年の平成28年12月4日

引き継がれた山添村大西の稲荷神社の新嘗祭に出会った。

そのときの話題は神職を引退されたTさんのことだった。

通知も、Tさんからの直接の電話も貰っていたから、できる限り、早めにお会いしたいと思っていた。

家に帰れば住居番地はわかるが、なければ聞かざるを得ない。

そう思っていた日々。

いきなり現れたTさんが住まいする家に思わず呼び鈴を押す。

屋内から出てこられたのはTさん。

おおーと云いながら顔合わせ。

何年ぶりにおあいするのだろうか。

たぶん平成24年の天満神社の宵宮が最後だったように思える。

そのときの行事の状況は調査報告書に残された。

その日の基調講演に登場した吉村旭輝さんが天満神社の宵宮を調査されていた。

平成28年11月15日に行われた「農とつながる伝統祭事フォーラム」に基調講演をされていた吉村さん。

神社行事の翁舞を調査された報告書は『奈良県の民俗芸能-奈良県民俗芸能緊急調査報告書-』にある。

詳しくは平成26年3月末に発刊された調査報告書を読んでいただければ幸いであるが、販売はされていない。

最寄りの図書館に置いてあるはずなので是非探してもらいたい。

なんでも大西でお会いしたO宮司から私のことを聞いていたようだ。

甥っ子になるO宮司の父親に嫁いだのがTさんの姉。

O宮司はTさんのことを叔父と云っていたので、親族繋がりがやっとわかった。

高尾の民俗調査の発端は南山城村の北大河原の産直販売店。

その売り場で聞いたカンセンギョ・・・の言葉に反応されたTさん。

それなら我が家でもしているというのだから、これまた驚きである。

今は名誉宮司になられたが、Oさんに引き継いだ兼社は17カ所。

山添村が多いらしいが、宮さん行事以外にカンセンギョの言葉がTさん直々に話してくださるのは光栄である。

供えるところを案内してあげる、といわれてくっついていく。

川沿いの道路に沿って東に数百メートル。

大きな木がある。

その木は太くなったフジツルが絡んでいるカシの木。

その下に大岩があるという。

昭和2年に拡張された道路によって大岩の頭の部分が動いたらしい。

大岩には由来があるというTさんは昭和4年生まれ。

現在88歳である。

道路格闘時代はまだ生まれてはいないがその由来とは・・。

なんでも豊臣秀吉の時代になる。

大坂城築城の際に地方から寄進された大岩は城造りの石に利用された。

秀吉から命令がきた興ケ原町はそうしたか、である。

秀吉を命令を避けるためには大岩が動かないことを示したい。

それが理由にした地蔵石仏に転化した。

地蔵さんであれば命令に背いたことにはならず、動かせないという理由にしたのである。

結局は運べという話しは消えた。

その地蔵さんはカシの木の下にあると云って案内する。

どこをそう探っても地蔵さんの姿は見えない。

Tさんがいうには深彫りの地蔵さん。

線刻であれば、見つかり難いが、深彫りであれば・・と思うのだが、見つからない。

そういう結果であったが、カンセンギョに供える場には違いない。

大寒の日になるのか、覚えておられなかったが、家族の何人かが膳に盛ったアブラゲメシを供えにいくというから、是非とも、である。

ちなみに稲荷講に属しているT家であるが、講中の皆がそこへ供えることなく、T家だけの特有の祭り方である。

稲荷講は真言宗御室派安楽寺に属するようだが、寺行事ではないカンセンギョが行われると想定される日が近くになったころにお電話をさせていただくことにした。

ちなみTさんが出仕していた山添村の各村。

今年の1月のオコナイを取材させてもらった鵜山もあれば、葛も、である。

両村とも実は三重県に同名の村がある。

いずれも明治時代になってから分かれた村である。

T家を離れて再び街道に戻る。

ここから次の村が柳生である。

橋架かりに信号機がある。

ここまで来れば通り過ぎるわけにはいかない。

これもまた何年もお会いしていないI家がある。

Iさんは現職宮司。

なにかとお世話になってきた宮司家の前を通り過ぎてしまったら罰が当たる。

運転するハンドルが意思を伝えてくれて右に切る。

目の前にI夫妻がおられた。

運転席から手を振ったら、気がつかれた。

Iさんも、先にお会いしたTさんも賀状のやりとりをしている。

短い文で私の病いのことを伝えていたから、自ずとその話題になるが、こんなに元気になった顔に二人とも喜んでくれたのが嬉しい。

話題開口一番は奈良交通が動いてくれる神社巡り団体参拝ツアー。

ツアーコンダクターがなんと、なんとの南都銀行ではなく、奈良交通社勤務のTさんであった。

TさんがIさんも存じている写真家Nさんと写真で繋がっていたことを知って、どこでどう繋がっていくやら・・と驚いておられた。

久しぶりの顔合わせにやはりのIさんが出仕されている地域の行事話題。

中ノ川町の行事はIさんのおかげで宵宮を取材したことがあるが、近隣になる東鳴川町は未だに行けていない。

場所も知っているが、地区の長老とお会いできていなくて、そのままになっている。

Iさんが云うにはお供えにシトギ(粢)がある。

シトギの原材料は粳米の殻付き玄米。

その殻を除去するには板擦り作業がある。

板に挟んでゴシゴシ。

取れた殻は口で吹いて飛ばす。

まるで唐箕のように風起こしで殻を飛ばす。

奇麗になった玄米は粉挽きする。

米粉にしたら練りに入る。

練りに使う水分はお酒である。

アルコールは蒸発してしまうというシトギ作りは、それで終わりでなく、厚さが数センチの丸型に広げて出来上がり。

もう一つの特徴は重箱詰めの手造り料理である。

重箱は三つ。

一つは煮た捻りコンニャク。

二つ目に白菜のおひたし。

三つ目のお重は細い姿の酢ゴボウ。

これらお供えは下げて直会でいただく。

お重の料理は味付けしているからすぐ食べられるが、シトギは電熱コンロで焼いて食べるそうだ。

その行事日は第二日曜日。

諦めるか、それとも・・。

(H29. 9.19 SB932SH撮影)
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南山城村高尾の民俗探訪

2018年12月05日 09時10分53秒 | 楽しみにしておこうっと
今年の平成29年1月20日に立ち寄った京都府の南山城村北大河原にある農林産物直売所。

そこで物産を販売していたレジ担当の女性に伺った大寒の日のカンセンギョ行事。

村にはそれはなく、十九夜さんをしていると話してくれた。

その地は北大河原からはずっと南にある地域。

大字は高尾であるという。

十九夜さんをしている場所は月ヶ瀬ダムこと高山ダムの西側を走る府道82号線。

大河原へ行くには木津川市経由を利用しているが、どちらかと云えば奈良県寄りに近い。

慣れている月ヶ瀬桃香野からの方がわかりやすいと判断した。

十九夜さんをしている場の目印は2本の大銀杏もあるが、9月であればわかり難い。

そこより数10mも歩けば府道三叉路がわかりやすいと話していた。

その三叉路を西に向かえば柳生に通じる自動車道。

帰りはそうしたいと思って家を出る。

ガソリンを補給して、さて方角は。

カーナビゲーションが示した方角は奈良市内の奈良公園辺りから東部山間を指示する。

時間がかかりそうだと思って指示を無視して名阪国道を東へ行く。

山添インターから月瀬に入って桃が野。

そして府道をひたすら北上する。

その途中の左手に春日神社の表示があったが、北上を続行。

古い小屋のような建物があったが、農小屋と判断した。

ただ、その奥の一段高い所に墓石が並ぶ。

村の墓地であろう。



そのすぐ近くに三叉路があったが、民家は見られない。

西に行けば集落はあるが、もう少し先を行く。

さらに北上したら高山大橋に着いた。

ここら辺りも民家はないから、Uターン。

しばらく走れば右手に軽トラを停めていた民家があった。

どなたかがおられるお家に尋ねてみる十九夜さん。

家から出てこられた男性のMさんにに尋ねた結果は・・・。

前日の敬老の日にしていたという。

講中ではないから詳しいことはわからないが、めいめいが参拝されて、その小屋に籠っていたそうだ。

その素時間前には村のデアイ。

いわゆる道造りの作業である。

それが終わってから参集していたようだと話してくれた。

十九夜さんは19日。

如意輪観音さんに参った十九夜講の人たちが十九夜和讃を唱える。

昨今は19日に近い日曜日とかに移した地域も多い。

尤も私がしる範囲は奈良県事例であるが。

来年の楽しみにしておきたい行事であるが、訪ねた男性が住まいするM家の向こうに建物が見える。



道路を挟んで一段高い所に祀った稲荷社。

ここは小字三升(さんじょう)になるという。

高山ダムができて村が湖底に沈んだ。

当時あった稲荷社も高台に移転した。

分霊を祀ったということだ。

それから50年も経ったと云う小字三升の稲荷社に年に4度もコモリ(籠り)をしているという。

今はパック詰め料理になったが、昔は家で作ったご馳走を持ち寄って籠っていた。

籠りは各家が持ち寄るそれぞれの味。

それをいただいて飲食をともにしていたという。

稲荷社の年初の行事は初午。

2月である。

京都の伏見稲荷大社に参拝する日であった。

いつしか参拝人数が少なくなり、毎年の参拝であった初午は寒さを避けてひと月遅れの二ノ初午に行事日を移したという。

男性がさらに話してくださった高尾全体の祭り。

それが春日神社の祭りであった。

かつては固定日の10月17日であったが、今は前後の日曜日。

平日に集まるのが難しくなってそう決めた。

集まるのは村や神社役員に組長。

子どもさんを連れた父兄には招待状が届くらしい。

神輿もあるようだが、担ぎ手が少なくお蔵入りのようだ。

子供神輿もあったが、今は・・・。

休日の日曜日に祭事日を移したが、日曜日は家の事情で参加できないという意見も出てきた昨今。

元の固定日に戻したらどうかという意見もある。

奈良県内にも同様の状況に陥っている地域は多々ある。

特に10月の第二日曜日に行われる祭事日が大多数を占める。

今年の第二日曜日は10月8日。

160件以上もある秋の行事。

前日土曜日の7日の件数は80件弱。

一方、月曜日のハッピーマンデーにある体育の日は60件越え。

私が知る範囲の行事であってもとにかく多い。

仮に日曜日に時間差を足伝いに出かけたとしても5行事が精いっぱい。

160件すべてを拝見するには32年もかかるのであるから、「もっぺん来てや」と云われても「無理です」としか返事のしようがない。



ちなみに三叉路に碑があった。

線刻文字は見えないが、そこは山の上の方にある神社案内であろうか。

山に向かう細い道。

今にも崩れそうなので断念したが、その先にある神社は「三升権現社」。



指標石にそう書いていた。

神社役員らが参拝しているようだ。

ちなみにあるブログに高尾大字にある猿ケ久保に二十三夜講月待供養塔板碑があると書いていた。

その場は向かわなかったが、いずれは・・と思っている。

(H29. 9.19 SB932SH撮影)
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住之江・お好み焼きおばちゃんの博多焼きに焼きそば

2018年12月04日 09時18分54秒 | あれこれテイクアウト
今年の平成29年2月25日に訪れて買った品物は博多焼き。

一枚がたったの税込み百円。

ワンコイン一枚で5枚も食べられる博多焼きは、店主のおばちゃんの知人が話した一銭洋食のことを博多焼きと呼んでいたからだ。

「博多焼き」はほんまにあるのか。

ネットで調べてみれば、クックパッドにあった。

モヤシだけで焼いて作る博多焼きが簡単にできる、ということだが、発祥の地はどこなんだ。

博多ラーメンは博多ってわかるが、博多焼きはどこなんだ。

「和食の料理用語集」を拝見しても、よくわからん。

博多焼きラーメンというものもあるらしいが、それ以上の謎が解けないが、美味いもんには違いない。

味も売っているところも知ったのはたまたまである。

30年間、生まれ育った大阪市住之江。

南海本線住之江駅前の道路を西へ西へと向かう一歩通行の道。

国道26号線に出る直前の筋の角にあるお店は「お好み焼きおばちゃん」。

そう看板に書いてあるから、そうだと思う。

つい最近になってその店で食べた人がブログにアップしていた。

7カ月前に食べた博多焼きの味は思い出では終わりたくない。

美味しいものはもっぺん食べたい。

故郷の大阪住之江の博多焼きが食べたい。

おふくろとかーさんは手造り弁当「美味しい ひいらぎ」で買ったおまかせ弁当を昼飯に選んだ。

私も食べたことがあるが、同じものはなかった。

それで吹っ切れたおまかせ弁当。

美味しいことは美味しいのだが、おかずは作り置き。

何時に作ったのか聞いていないが、冷めてしまえば、味も落ちる。

揚げたて唐揚げであれば良いが、それも作り置き。

たまたま揚げたてであれば、買う気も起るが・・。

「美味しい ひいらぎ」は決して不味くはない。

ご飯はとびきり旨いし、おかずの味も好みの部類である。

だが、揚げもんはやはり揚げたてを食べたい。

そう思って「おばちゃん」の店にした。



前回に訪れたときに食べたかった焼きそばを注文した。

博多焼きは家人も食べるであろうと思われたので2枚にした。



合計で税込み450円。

焼きそばもお好み焼きもほとんどが250円。

小腹にぴったりの粉もんである。

家人とともに食べた焼きそば。

お腹が減っているのだから、ついついがつがつ食べてしまう。

味はあっさり系。

ソースはこってりでもないからあっさり系。

焼き上げる油も少ないからパサパサ。

ヘタしたら喉に詰まりそう。それでも味わい深い焼きそばはあっという間に平らげた。

もう一つは、お馴染みの、とは云っても、まだ2回目になる博多焼き。

これが美味いんだな。

ねっとり系と云えばいいのだろうか、食感もたまらん魅力をもつ博多焼きの味の方が濃い。

出汁が入っているような気がする。

で、あれば、次回はお好み焼きが狙い目か。

博多焼きに何が入っているのだろうか。

モヤシにコンニャクははっきりわかる。

豚バラ肉は細切れで食感はどこに、っていう感じであるが、味がある。

リンクさせていたブロガ-さんが云う具材はそれもあるが、他にチクワとネギ。

うーん、感じなかった。

もう一つはとろろ昆布。

これが味の決め手になっているのだろう。

ちょこっと味見をしたかーさんが云うには、とろッとし過ぎて気持ち悪いと云う。

それが好みの別れ道であった。

ところで、今回、訪れたときに、博多焼きが美味かったので、また来てしまいましたと云ったら喜んでくれた。

その笑顔が爽やか。

私より若干の年齢であろう。

次回も寄せてもらったら、博多焼きのマヨネーズ落しもあるのなら、焼きそばにもマヨネーズ入れたらもっと旨くなりまっせ、と伝えたい。

ソースも油もついでにお願いしたいが、定休日が火曜日であることを忘れないようにしておくことと、開店時間である。

実はこの日に訪れたのは2度目。

本日は2回も来ているのだ。

1回目は10時半ころ。

でかでかと貼ってあるメニューは見えたが、売り場の扉は閉まっていた。

おばちゃんに聞けば、開店時間は午前11時。

間違えないでね、と見送ってくれた。

(H29. 9.15 SB932SH撮影)
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一日がかりのおふくろの用事に大騒ぎ

2018年12月03日 08時56分19秒 | むびょうそくさい(おかん編)
自宅待機の言い方はあてはまらないおふくろの身体状況。

痛みはここ数日間の発症が見られない。

それがないからと云って外出できるほどではない。

一か月に一度は処方箋に銀行の入金・送金対応。

もう一つの用事は年金の扶養親族等の更新手続きがある。

私も日本年金機構から送られてきた申請書であるが、今回は「個人番号(マイナンバー)申出書」の届け出が必要要件になった。

一つは「平成29年分の扶養親族等についての個人番号申出書」。

もう一つは「平成30年分の年金受給者にための扶養親族等申告書」である。

私のはさておき、おふくろの個人番号申出書である。

国の制度が始まったときに自宅に送付された封書がある。

送り主は総務省・地方公共団体情報システム機構である。

同封されていた書類は個人番号(マイナンバー)の通知カードである。

このカードは「マイナンバーを証明する書類」として利用できる。

マイナンバーは個人の証明書。

私の生活の中では利用する範囲が極めて少ない。

つい数年前まで働いていた送迎ドライバーの仕事に年金だけである。

制度が実施されるのは平成28年1月より。

初めて利用したのも送迎ドライバー時代の事業所収入の源泉徴収票発行に際しての確認に通知カードを見せて伝えたとき。

確定申告は平成29年2月のとき。

マイナンバーを控えにメモして申告に出かけた。

その際に聞いたのは配偶者に扶養親族すべてマイナンバーを要すると云われたが、この年は過渡期であったことから、スルーされた。

それが今回届いた「平成29年分の扶養親族等についての個人番号申出書」と「平成30年分の年金受給者にための扶養親族等申告書」の2通であったのだ。

おふくろの場合は配偶者も扶養親族もいないから本人だけであるが、「そんな通知も、カードも見たことが」ないという。

えっ、である。

おふくろは何でも大事にする方だ。

この日にわかったが、古い銀行通帳や大阪市が発行する高齢者無料パス券なんぞは開始してからずっと残しているぐらいであるが、気になる点はある。

介護認定申請に必要な「介護保険被保険者証」が見つからなかった。

居住する部屋の隅から隅までずず、ずいーというわけではないが、想定できる範囲内の隅から隅まで、ずず、すぃーと探しても見つからなかった。

封書も見つからないし、それがどんなものだったのか、すら記憶がない。

困ったことであるが、申請に「介護保険被保険者証紛失届出書」を同封すれば、暫定版の「介護保険認定資格者証」が送られてくる。

そのときは紛失届で済んだが、「個人番号(マイナンバー)」となればそういうわけにはいかない。

「平成29年分の扶養親族等についての個人番号申出書」に「平成30年分の年金受給者にための扶養親族等申告書」には個人番号申出を要する。

要するが通知カードがなければ、わかりようがない。

年金機構に電話をして相談したら、区役所に住民票の交付申請をすれば、その住民票に記載している「個人番号(マイナンバー)」より控えてください、と云う。

おふくろは自力歩行が困難であるゆえ、区役所に行けない。

そう判断したかーさんは委任状のルートを探る。

私のそうしたいと相談を持ち掛けるが、おふくろの身体に問題がなければ、区役所に出向くのが一番良いと答えた。

本人もそうしたいというからやって来た大阪市住之江の区役所であるが、先に済ませておくのは畠中医院に出かけて処方箋をお願いすることだ。

医師にはお願いしたい分包がある。

年寄りともなれば処方箋が多くなる。

おふくろもその一人。

承知した医師は処方箋に薬局へ指示する「分包をお願いします」の但し書きが要る。

そのことがあって医院に入ったのはかーさんだ。

午前10時に入ってお願いした分包願いは承知されて薬局向けに書いてもらった。

薬局は医院より離れている。

むしろおふくろが居住する北島にある。

医院もそうだが、私が生まれ育った地にある薬局も昔からの利用者。

建物も先代も顔ぶれが替わったが、地元民のためにある医局みたいなものだ。

分包をお願いするには費用もかかるという薬局もあるらしいが、大先生時代からの継続手法に理解を示してくれた、なんせ手間のかかる作業である。

ここで間違ってしまえば、患者さんがとんでもないことになってしまう。

分包作業は手間がかかるし、細心な注意も必要だ。

時間がかかるので午後2時半の受け取りも我が家にとっては丁度いい。

なぜなのか。私は自宅に戻った午後5時には通院している歯医者さん通いがある。

それまでに済ませたい時間枠が丁度いいのである。

居住地に居るおふくろをお迎えして車に乗ってもらう。

4階の自宅から階段は難なく下りる。

一階に下りて車道にある車に向かって歩く。

これまで見たことのない、軽やかさで歩く。

軽やか、といってもスキップするわけではない。

膝が上がるという感じの歩行は目を見張るほどの改善に驚くばかりだ。

その調子であれば、区役所に着いても車椅子の世話にはならんだろう。

午前11時、区役所に着いて住民票写しの請求するのはかーさん。

おふくろは待合室に長椅子に座って待っていた。

書類に項目記入のすべてはかーさんがする。

請求書類を確認された管轄担当者が動いた。

本人であるかどうかの顔を確認に使うのは、顔写真付きの高齢者無料パス券だ。

顔見比べて、間違いないですと云った。

これをもって委任状の要らない本人認証である。

今回は自力歩行で行けたが、歩行困難であっても車椅子であれば事(こと)は済むのである。

交付された住民票には「個人番号(マイナンバー)」が記載されてある。

この番号を「平成29年分の扶養親族等についての個人番号申出書」に「平成30年分の年金受給者にための扶養親族等申告書」に書くが、個人名等の記入はおふくろの自筆である。

これでひと段落した届出書は15日にポストへ投函した。

で、区役所に頼んだもう一つの要件は「個人番号(マイナンバー)」通知の再発行である。

届け出が受理されて自宅に届くのは3週間後になるらしい。

区役所を離れて次はどこへ行く。

まずは、おふくろが必要とする食の材料購入である。

この前に買ったものが半分以上もあるから、そんなに買うこともないと云っていたが、スーパーサンディに入ったおふくろはカートにあれもこれも入れるのが可笑しい。

買物を済ませばお昼の食事。

今回も節約してお弁当買い。



スーパーサンディから歩いて30歩もかからない所にある手造り弁当店の「ひいらぎ」。

炊きたてのご飯が美味しいおまかせ弁当は税込375円。

今回もそうしたのはおふくろとかーさんだ。



おふくろは前回と同様の焼きサバ弁当。

かーさんは揚げたての唐揚げ弁当。



ついでに2個で110円の唐揚げ2個も買った。

前回に食べたのは9月2日。

美味しい印象は口の中に残っているようだ。



私は、といえば、飽きもあるので、違うお店で買った250円の焼きそばに博多焼き。

博多焼きは一枚が100円の一銭洋食。

国道26号線を跨いだ東側にある「お好み焼きおばちゃん」で作って販売している。

三者三様のお昼ご飯はとても美味しくいただいた。

特に美味しいと云っていた白飯ご飯の量が多い。

それなら注文する際に半分にしとけばいいのにと言えば、勿体ない、今夜のご飯に廻すと云う。

そりゃそうだ。

食事時間は午後12時半。

ゆっくりたらふく食べたらひと眠りでもしたくなる。

寝る間もなく始まった大騒動である。

つい最近まで見たどころか、郵便局も銀行も行って通帳記入に引き落とし、入金処理していた通帳と銀行のキャッシュカードが見つからないという。

紛失したのか、それとも前日に玄関まで取りにきてもらった捨てるゴミ収集の中に誤っていれたのか・・・。

そんなことはないと思うが、どこを探しても見つからないという。

どこに入れたのかさえ思い出せないおふくろの言動にもしや認知症の初期症状では・・・。

おふくろはオロオロしていた。

何度も繰り返す古い通帳ばかりや。

こないにあるのに最近に使ったのが見つからへん・・・。

思い出せない自分の記憶にイライラ感が募る。

焦りもみられるが、ここで暮らしているのはおふくろ一人。

探す私もイライラ感になってしまっては、どうにもならん。

ここは大ばあさんが眠る仏壇に手を合わせて「助けたってくれ」とお願いした。

探し始めて30分も経った、と思う。

おふくろが大きな声で、ここにあったわ。

喜んで差し出す袋は見たこともない。

それが入っていた引き出しは私も確認した場所だ。

表面にあった袋もんは多種多品。

空っぽばかりの袋もんに中身も袋。

人さんから貰った記念のものばかりに堅いものは見つからなかった。

それがあったというのだから、どこにあったのだと疑いたくなる。

もしかとすれば、天から降ってきたのでは、と思ったぐらいだ。

実は、つい先日に通帳や銀行キャッシュカードを整理したという。

古いのは使うこともないが、何時いつ何年に入金、出金した記録がある。

それはおふくろの生活の思い出でもあるから捨てずに分けた。

現行、つかうべき通帳はこれまで通りにキャッシュカードを挟んで別の袋に入れ替えた。

その入れ替えた行為は覚えていたが、新の袋の置き先は記憶にない。

どこから出てきたと云えば、大事なものだからと思って引き出しの底に入れていたのだった。

大ばあさんにお願いしたら、即答で天から落としてくれた。

ほんまにそう思えたタイミングの良さ。

その袋も貰い物。

新品状態であるが、捨てるわけにはいかずに、覚えやすい袋にまたもや入れ替えた。

これだけの大騒動に見つかった今度はインパクトがあって記憶に残るであろう。

こうして考えてみれば、古いものは記憶に残っているが、新しいものは記憶が薄い。

これは記憶の濃さ、薄さである。

重要か、非重要か、ということではない。

入れ替えたという記憶にインパクトがなく、古いことだけが記憶に残る。

それが認知症なのか、私はわからないが、騒動は終わった。

新しい郵便局の通帳を持って記帳に分包してもらった処方箋の受け取りを済ませておふくろに手渡す。

窓から手を振るおふくろの姿が愛おしい。

その翌日の16日の午後9時に電話が鳴った。

何事が起ったのか、ふと心配したが、今日も痛みなく元気で花の水やりとか狭い四畳半、六畳、三畳をいったりきたりしていたという。

買ってもらった牛肉はトマトケチャップで炒めて食べたら美味しいという電話である。

2回目になる玄関前ゴミ収集に「ありがとう」を表示して収集してもらったと伝えたかったことを電話口で話す。

もう一つのお礼の電話は、妙徳寺のお彼岸施餓鬼。

身体状況によってこれまで毎春、秋の施餓鬼にお寺まで出かけてお布施をしていたが、もう無理。

塔婆ツキに5千円を銀行振り込みする手配もしたことに喜んでくれた。

(H29. 9.15 SB932SH撮影)
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久御山町佐古内屋敷・若宮八幡宮のお千度千燈明の宵宮放生祭

2018年12月02日 07時08分25秒 | もっと遠くへ(京都編)
久御山(くみやま)町は京都府久世郡の久御山町。

旧村を囲むように新町が膨れ上がった。

団地もある佐ここら辺りの神社は2社。

1社は佐山双栗に鎮座する雙栗(さぐり)神社。

1月15日に行われる御神差とも呼ばれる粥占神事や8月31日の八朔祭りをしているようだ。

もう1社は佐古内屋敷に鎮座する若宮八幡宮がある。

この年の6月4日に拝見した御供作り。

野神に供えられる御供調製の一部始終を拝見させていただいた。

その際に宮総代のYさんが話してくれた若宮八幡宮の年中行事である。

その一つであるお千度の名もある千燈明を灯す行事に興味をもった。

行事の正式名称は放生祭である。

宵宮とは本祭の両日に行われる。

都合、14日の宵宮に訪れた若宮八幡宮である。

放生祭の主役は子どもたち。

この日の宵宮は宮総代らに親子連れでやってきた60人もの参詣者で境内の千燈明が美しく光り輝いていた。

子どもたちは30人。

とても賑やかな放生祭になったことを先に触れておく。

本社殿、拝殿、境内など、それぞれに燭台を据えていた。

鳥居を潜った境内が数多い。



1脚の燭台に灯す蝋燭台の数は38もある。

長めの燭台の数は68もある。

やや短い燭台でも28。

境内だけでも134。

鳥居の前にもある燭台も数えてみれば124本立てと16本立て。

合計すれば274本にもなる。

それぞれが長さを測って作った手作りの木製燭台。

予め挿してあった蝋燭の数に圧倒されるが、燭台はまだある。

境内の燭台は高さを子どもに合わせた下段も入れた2段型。

それに対して拝殿の両脇の棚に据えた燭台は上下に3段。

一段が14灯だから42灯。

二つ合わせて84灯。

これらすべて合計しても蝋燭は358灯。

千燈明の呼び名もある蝋燭灯しの放生祭は半分も満たない。

実は、千燈明の呼び名もあるが、千の数の蝋燭を灯すわけではない。

それほど多いということである。

ちなみに数が少ない百灯明の名がある行事もあるが、これもまた百灯に満たない。

千よりは少ないが、まま多く灯す在り方である。

また、百より、千より多い万灯籠もある。

これもまた「万」の数ほどに多いという意をもつ燈籠の火灯しである。



本社殿の燭台の蝋燭に火を灯したら子どもたちの出番である。

社殿階段下に置いた箱がある。

その箱には長年使われてきた竹串がある。



色褪せた竹の色。

風合いから一挙に作られたものではないような気がする。

かなりの年数を経ている風合い。

子どもたちが握った汗が染みているのかもしれないその竹に墨書。

判読できないくらいに色褪せ。

寄進者の名前が書かれてあったのだろう。

数はどれくらいであろうか。



相当な数だと思ったその竹串を手にした子供は駆けていった。

本社殿の周りを反時計廻りに走っていった子どもは一周して社殿前に戻ってきた。

それで終わりかと思えば、そうではない。

そのまま駆け抜けていくわけでもなく、一本の竹を箱に戻したのだ。

そうして再び走り出した子ども。

本社殿を反時計廻りにまた戻ってきた。

一体、何周するのだろうか。

宮総代らの話しによれば、走る子どもの年齢に1歳プラスした数を周回するということだった。

そういうわけで1歳児であれば2周。

3歳児なら4周である。



年齢プラス1周した子どもは本社殿に向かって手を合わせて拝礼。

当たり年の数だけ周回するこの行為がお千度参りであろう。

お千度といっても千回も周回するわけではない。

お百度参りなら百往復する願掛け行為であるが、お千度は、それほど数多く参るということである。

ただ、子どもの年齢で数多くといってもそれほどでもないが、宮総代がいうには本来は百回廻りだったという。

つまりはお百度参りであるが、いつしか年齢の数になったようだ。

男の子が駆けぬけたお千度参り。

次に走り出した女の子も早い。



やがて小さな子どもたちも兄ちゃん、姉ちゃんを見習って駆けていくだろう。

「お千度」の響きでいつも思い出すのが、おばあさんが孫を叱る台詞だ。

小さいころ、よく言われたのが、「まこと、せんどいうてもわからんのか・・・」って。

“せんどいうても・・”というのは、、なんぼいうても(※たくさんの意)聞きよらん、というようなことだ。

つまり“せんど”とは“千度”。

多いということだ。“なんぼ、いわなあかんのや・・”と云われて叱られたことが、私の記憶の片隅に残っている。

それにしても暗がりに駆け抜ける子どもの姿はとらえ難い。

あまりにも早すぎる走り。

ピンはブレブレである。



適正に設定したとしても、駆け抜ける子どもの早さに暗がりが、シャッタースピードと同期してくれようもない。

十数人ぐらい駆けていたので、ままチャンスはあったが、思うような映像が出現してくれない所有カメラの限界。

なにが限界といえばISOである。

所持するカメラはEOS40D。

ISO1600以上の設定はない。

せめてISO6400程度は欲しいものだが・・。

お千度に駆け回る子どももおれば、設えた千燈明に火点けをする子どももいる。

場所が離れているから両方とも一枚の映像に収めるには無理がある。



八幡宮から拝殿通路から境内にかけて繋がる燭台に始めの火を灯すのは宮総代。

続いて子どもたちや、親子連れできた参拝者も点けている。

ところが今宵はやや強い風が吹き抜ける。



本社殿に拝殿通路は風の通り道になっていないからまだしも、境内に設営した燭台はまともにあたる風。

舞う風に点けては消える、点けては消える、の繰り返しはイタチごっこ。

「例年でしたら、ぜーんぶの蝋燭に火が点いて、そりゃもう、壮観になっているんやけどなぁ・・・」とぼやいていても始まらない。

そう、思って一人の宮総代が動き出した。

公民館にあった紙コップに挟みを入れて細工した。

金属製の蝋燭立て芯を紙コップの底面に串挿し。



風に煽られて倒れないように固定したら火を点けた。

手軽に作った風防がお役に立つが、境内の燭台数は274台。

今から作っても到底間に合わない。

次回、というか明日もまた風吹く日なら作ってみようかと・・今夜の作業は諦めた。



いずれにしても大勢の参拝者が詰めかける。

火点けの蝋燭1本を受け取って、予め立てていた蝋燭に点けて廻る。

ほぼ全灯した拝殿通路は煌々として明るくなった。



若いおばあちゃんに連れられた幼子も火点け。

子どもたちも火点け。

親たちも火点けに廻る火の点いた蝋燭はそのまま手で持つわけにはいかない。

蠟でもたれたら火傷する。



それを補助する道具は芯を尖らせたペンシルのような形の補助具である。

宮総代が手作りした補助道具は子どもたちに優しい道具になった。

子どもたちは総勢で30人。



若いご両親に若いおばあさん、お爺さんに宮総代らも入れた60人もの人たちで大にぎわいになった。

ちなみに野神祭りのマコモ造りの取材に来ていた二人の男性は、今夜も地元行事の取材。

積極的に取材したその広報は地元に広げていることだろう。

(H29. 9.14 SB932SH撮影)
(H29. 9.14 EOS40D撮影)
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