マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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上鷲家の山の神

2014年04月12日 08時51分32秒 | 東吉野村へ
下鷲家の山の神参りを撮らせていただいて向かった先は上鷲家。

当地では2カ所ある山の神。

野見(のうみ)垣内と大西垣内である。

同時間帯に行われると宮総代長が案内してくださった大西垣内に着いた。

「今からネンギョ(年行)さんが御供しまんねん」と住民が話していた矢先に運びだした一升モチ。

桶に入れて山の神さんに供える。



お神酒に二段モチ、サバ、野菜などのお供えをするが、お参りはそれから3時間後の昼過ぎだ。

それを知らずに待つこと待つこと・・。

その間は付近を探索した。

山の神さんを祀っている道は昔からある伊勢街道の本街道。



紀州の殿さんが通っていたと話す。

上の道を行けば何軒かの集落がある。

そのうちの一軒は「ドッコイシヨ」と呼ばれている家。

話しによれば、なんでも殿さんが「どっこいしょ」と云って休憩に腰かけた家だそうだ。

その時代は不明だが、それから「ドッコイショ」の屋号を名乗るようになった。

「今でもそう云われてるんや」と話す村人たち。

それより向こうには天誅組の松本奎堂らの墓もあると云う。



墓掃除していた婦人が云うには「ふぅ、と十数人の侍が通る姿を目にした。今でも天誅組の人らが守ってくれてんや」と話す。

その婦人は信心深く、禊祓えに心経を唱えて山の神さんに登っていった。

大西垣内の山の神さんを祀る地には彩色された美しいお顔をもつ庚申石仏がある。

穏やかな姿に手を合わす。



この年は天誅組義挙150年祭。

観光ツアー団体が押し掛けて賑やかだったと云うが、山の神さんや庚申さんにはまったく関心を寄せなかったようだ。

待ち時間はたっぷりある。

山の神さんが鎮座する下の家にあった「花巻き」。



秋季大祭に奉納された花笠は行事を終えて一本ずつ氏子に配られる。

かつては競い合うように取っていたがそれは戦前のこと。

授かった一本の花笠は捻って輪にしたものを玄関に飾るのである。

同家もそうされていた花笠は食用の色粉を浸けて染めあげたもの。

御幣とともに飾っていた。

お参りする時間はまだまだ先。

空き時間を過ごしていたときのことだ。

頭上から垂れさがる樹木に気がつかれた婦人が指をさした。



朱色・黄色交じりの果実が美しく垂れ下がっている。

これまでまったく気がつかなかったが、この木はツルウメモドキだと云う。



山影から射し込む陽に照らされた色合いが映える。

さらに時間が経過した12時頃、何人かがテーブルなどを持ち込んできた。

村に移り住んだ別荘地の人たちである。

村の祭りにふるまいをと持ち込んだのは道具だけでなく、食材もある。



この日のために予め竹串に挿して作っておいたヤキトリである。

たまたま猟師さんが獲ったと云うシカ肉もヤキトリ串に挿して、暖をとっていたとんどの炭で焼いていく。

そうこうしているうちにやってきた導師。

山の神さんに心経を唱える婦人がいなければ始まらない。

山の神さんに上がる階段下に集まった村人たち。



手を合わせて心経を唱える。

かつては山の神さんの祠付近にある樹木に綱を掛けて杉材で作った山の仕事道具のヨキ、カマ、ノコギリを吊るしていたそうだ。

御供を下げるネンギョさん。



手伝いさんも忙しく手早く袋詰めしておく。



こうして山の神さん参りを済ませた住民はふるまいのご馳走をいただく。

炭火で焼く御供下げのサバは二尾。

大きなサバである。



表も裏も適度に焼いていく。

出来あがったサバは丸ごと一尾。

皿に盛って一人、一人に回していただく。

焼き加減が上手かったサバはほくほくして美味しい。

タレや塩・胡椒をふり掛けたヤキトリも美味いのである。

ボールに盛ったにぬき卵も配られる山の神のご馳走に村の歓談は盛りあがる。

およそ30分間のふるまい時間に温もりを感じる。

お腹もいっぱいなったからと始めたゴクマキ。

崖上に登ったネンギョさんや長老。

桶を担いでいく。



崖下の民家前に並んだ村人や移住者。

大きく手を振って放り投げたモチをキャッチする。



一升モチは相当な量。

拾いそこねた転げるモチを追いかけるゴクマキの様相はどことも同じの争奪戦である。

崖にあった鹿の糞。



食べることはできない。

大西垣内の住民の話しによれば、山の神さんは小栗栖(こぐるす)や中黒にもあるらしい。

(H25.12. 7 EOS40D撮影)

下鷲家の山の神

2014年04月11日 07時18分53秒 | 東吉野村へ
平成21年10月15日に訪れた東吉野村鷲家の八幡神社。

その際に宮総代長から伺っていた山の神の様子を知りたくて再訪したものの、行事の場が三つの垣内。

その場がどこにあるのか聞いていなかった。

どうにかなるかと思っていたが、所在はまったく掴めない。

神社に行けば何らかの手がかりが掴めるだろうと思って立ち寄った。

その場には3人の男性がおられた。

尋ねた結果は一つが宮さんの外であった。

道路ができるまでは川向こう側の川向垣内にあった山の神。

境内地に遷して山の神さんを祀っているという。

今から神饌を供えて祭典を始めようとしていたのであった。

ありがたいことである。

御供されて参るのは3人の宮総代。

市場垣内に鎮座する八幡神社の管理地であるゆえ、「私らがしますんや」と云って、山の神さんに参る。

斎壇を設けて神饌を供えた場。



灯明に火を点けて心経一巻を唱えた下鷲家の山の神さん。

三つの垣内のうちの一つであった。

鷲家は上の地から野見(のみ)、大西、松屋、地蔵、恵比寿、市場、河井、川向(かわむかい)、多武井(たぶい)に離地の文殊(もんず)の10垣内。

市場垣内が村の中心地である。

かつて村の主産業は木材であった。

「山行き」する人もいなくなった。

山の仕事は昔からみれば1/3になってしまった。

その後も減り続けて今では1軒もないと云う。

山は荒れ放題で、降った雨は流れて川も荒れて汚れが目立つようになったと話す。

いつしか山の神さんに参ることもなくなり、ゴクマキは取りやめになったと話す。

山の神は上流になる上鷲家に2カ所。

地図を書いてもらっても判り難い。

もうすぐ始まるはずだから道案内をしてあげようと車を走らせた宮総代長。

高見川に沿って伊勢街道を貫く166号線を遡る。

(H25.12. 7 EOS40D撮影)

水神宗社丹生川上神社水神祭

2010年07月16日 08時16分49秒 | 東吉野村へ
「此の里は丹生の川上ほど近し 祈らば晴れよ五月雨の空」を詠んだ後醍醐天皇。

例年のこの日は五月晴れに恵まれる。

樹に留まるアオゲラはピョー、ピョーと囀っている。

東吉野の郷土料理であるホオの葉寿司と清流の鮎を特別に奉られた東吉野村小(おむら)の丹生川上神社。

水の親神さまのご加護を仰ぎ、水に感謝する祭典を行っている。

今年も水に関係する会社などが参列した。

およそ300人になるであろうと受付の人は話す。

午前10時、第一鼓の合図から始まって10分の第二鼓、30分の第三鼓で宮司以下大神神社からの祭員たちは参進する。

修祓、宮司一拝、御扉開き、献饌、祝詞奏上など厳かに営まれたあとは舞楽納曽利が奉納された。



毎年6月4日に行われる祭典は水神祭。

玉串奉奠などおよそ1時間半余りの祭典だ。

2年前に復活された蟻通太神楽は太鼓を打つ親方が出演できなくなった。

当日まで検討していたがやむなく中止とされた。

演目を徐々に増やしてきた保存会。

秋祭りには再復活したいものだという。

(H22. 6. 4 EOS40D撮影)

新年会のフリダシ

2010年02月07日 07時59分33秒 | 東吉野村へ
山の神の日は中垣内の新年会。

元平野小学校跡地に建てられた公民館でご婦人が料理を作っていく。

パック料理は注文するようになったが、茶碗蒸し、揚げ物フライや汁ものなどは手作り。

大きなお鍋で21食も作っていく。

山の神の参拝を終えた講の男衆は奥さんとともに会合に参集する。

会長の挨拶のあとは来年の当家を決めるくじ引きが行われる。

くじを入れるのは丼碗だが今日はこれにしようと年代ものの火起し鍋。



名前を記入した紙片を入れて穴を開けた紙で蓋をする。

当家が振って飛び出したくじが正の当家の当たりくじ。

副も決めておこうと二回目の作法。これをフリダシと呼んでいる。



地域の大切な行事は次の時代に繋げていきたいと長老が挨拶して新年会が始まった。

(H22. 1. 7 Kiss Digtal N撮影)

平野中垣内山の神

2010年02月06日 07時58分41秒 | 東吉野村へ
マイナス一度、道路も凍てついた東吉野村平野中垣内。

正月7日は山の神に参る。

早朝、山の神講の人たちは山の仕事道具を持って当家の家に集まった。

山の神に供えるモノを作っていく。

材料は当家が前もって準備した杉の若木と成長が早く柔らかいネムの木。

加工し易いといい、今年は県外まで行って崖に生えてたネムの木を身体をロープで縛って採ってきたんやでと得意顔の当家さん。

作業はそれぞれの得意分野。

杉は3メートルの長さで綺麗に皮を剥いでいく。

太いネムの木はオノで叩いて割るのだが跳ねてしまうからとチェーンソーで切れ目を入れてから割った。

細いネムの木はノコギリで切断。

細工のほとんどはヨキやハコナタで作業する。

わしらは一刀ヨキ彫り師じゃな、と言いながら巧みな作業を続ける。

一方ではメロウタケで弓と矢を作る。

縁起のモノだという一対の弓矢は屋根の上に乗せたら風除けになるのだと話す。

スルメと御神酒をいただきながら2時間ほどかけて精巧に作られた山の仕事道具はナタ、ハコノコギリ、カマ、オノ、回転歯もある草刈り機、チェーンソー、枝打ちハシゴにクワだ。

現在の山の仕事の9割はヘリコプター運搬。

仕事道具は機械化された草刈り機、チェーンソーも出現してきた。

そろそろヘリコプターも作ろうかと笑った。

一際目立つのはウロコを朱色に塗ったタイ。

海の香りがまったくない山間で魚の登場。

そりゃめでたいからタイなのだという。

長い杉の棒に「平成22年度 平野中垣内 御山の神講 家内安全 施主○○」と記される。

ケンザシ(間差し)と呼ばれる棒は材木を切断作業する際に長さを測るモノサシ道具である。

この棒に出来上がった道具のすべてをぶらくって山の神へ参拝する。



山の神の日は雪が舞うことが多い。

祠を祀っている場はYさんの家の横。

畑も雪に埋まっている。

ここから眺める国見山はとても美しく神々しい。

昨年に供えた山の神のオソナエは取り払う。

そこへ今年のオソナエを立てた。



御山の神と墨書された木の札を収めて、御神酒や野菜などを供え蝋燭に火を点ける。

山の仕事の無事を祈って手を合わせる。



御神酒をよばれて還っていく。

人数は少なくなったが寄り合って山の神を祀っているのは中垣内だけだという。

(H22. 1. 7 Kiss Digtal N撮影)

鷲家八幡神社花笠の秋季大祭

2009年11月09日 06時54分34秒 | 東吉野村へ
県内の祭りのなかには紙で造った花を細竹に取り付けた花笠を奉るところが散見される。

そのうちのひとつが東吉野村鷲家の八幡神社の秋季大祭にある。



高さ6~7メートルほどの竹の先に太い藁棒に挿し込んだ花笠は左右一対で合計110本もある。

薄く削った一本の竹に6、7枚の花をコヨリで括り付けている。



花は四角い紙片で、四隅に食用の色粉を浸けて染めあげる。

これを花染めという。

祭りの4、5日前から当番の年行(ねんぎょう)さんが作った。

花笠は隣村の伊豆尾、吉野町の小名、菟田野町の上芳野、山添村の中峰山などで見られるが染め上げているのはおそらく鷲家だけであろう。

鷲家は高見峠越え伊勢街道と東熊野街道に通じる要衝の中継地になる。

今年の五月に20年に一度の造宮がなされた。

幟や旗を立て、新しくなった三間社流造りの檜皮葺神殿は朱塗りが美しい。



上(かみ)から野見(のみ)、大西、松屋、地蔵、恵比寿、市場、河井、川向(かわむかい)、多武井(たぶい)と離地の文殊(もんず)の10垣内の氏子が秋季大祭に参列される。

神事は裃姿の十人衆(総代)がご神宝などを運ぶお渡り式から始まる。



四社の金幣、白幣、太刀、白布、甘酒、メシ、野菜などのなかに生きた鯉もある。



この鯉は祭典終了後に鷲家川に放流される。

毎年のことだが川には泳ぐ鯉の姿は見られないという。

アオサギが食べているのを目撃したと氏子の一人が言った。



奉られた花笠は御供餅撒きを終えてから氏子に配られる。

かつては競い合うように取っていたがそれは戦前のこと。

そのころは子どもが参列していたそうだ。

配られた花笠は捻って輪にしたものを玄関に飾っている。



神棚に奉るところもあるが、神社周辺では多くの家が玄関に飾るという。

花笠は輪にすることから花巻きとも呼んでいる。

(H21.10.15 Kiss Digtal N撮影)

小丹生川上神社名残の献燈祭

2009年09月13日 08時26分47秒 | 東吉野村へ
前日の17日は小(おむら)の丹生川上神社の献灯祭。

昨年までは15時開催だったが今年は18時半。

琴の夕べやいうて奉納があるからだという。

春日大社は三千基もの灯籠に蝋燭の火を点す。

川上神社は電灯を点ける。

揺らぎはないけど幽玄さは変わらんと思うと笑顔で話す。

(H21. 8.18 Kiss Digtal N撮影)