旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
日々の生活の中での気付き。あるいは神社にまつわるエトセトラ。
週刊ねぎ生活
平成24年 新しい年が明けました。

新しい年がやってまいりました。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
平成23年は東日本大震災をはじめ
日本各地が大きな災害に見舞われました。
被災なさった方もそうでない僕たちも
本年が安らかなものであることを
祈る気持ちに違いはないことでしょう。
それだけに
おそらく今年にかける想いは
例年よりも深く大きなものがあったのに違いありません。
当神社は、
昨年、福島県神道青年会の方から譲っていただいた
「復興支援のぼり」を掲げさせていただきました。

そののぼりには、このような文言が記されています。
「祈り 雄々しく ただ一心に
平らかに 安らかに 豊かな故郷」
ここは被災地から遠く離れた田舎の山村ですが
上記の文言は日本中の「故郷」に当てはまる気がして
また、真の復興とは被災地ばかりではなく
日本の国じゅうが精気を取り戻すことのようにも思えて
この正月元旦に掲載させていただきました。
さて、本年の元旦は天気のいいこともあって
たくさんのお参りをいただきました。
ささやかではありましたが
氏子さま崇敬者さま方と歳旦祭を斎行させていただき
ともに玉串奉奠し御神酒を召し上がっていただきました。
事後報告となりますが、今年も例年通り
御神酒と玉串をしばらく拝殿に用意させていただきました。
(「売り切れ御免」ではありましたが…)
皆さん、思い思いに玉串を捧げていただいたようです。
この試みは続けて参りたいと思っております。

僕自身、兼業神主ではありますが
本年は一日本人、一神主、一社会人として
できることやすべきことについて「思う」だけでなく
ひとつでも実践する年にしたいと思っています。
できるかなあ。
否、やれる!(…はず)。
開式の辞で伝えたかったこと。
11月3日、当社の例祭は多くの皆さまのお陰をもちまして
滞りなく斎行することができました。
誠に有難うございました。
毎回、祭りに先立って総代会長さんから
「宮司さんに開式の辞を」と促されておりまして
いつもそれなりに言葉の準備をしているものの
僕はおしゃべりが、すごく下手くそですので
本当にいいたかったことを
参列なさった皆さん方にお伝えできたか、と考えると
いささか不安でした。
ですので、この際、この場をお借りして
ちょっと述べさせていただこうと思います。
駄文、失礼いたします。
以下
--------------------------------------------------------
先ずはこの祭りに際し、神社の役員さんから頭屋さん
その他、大勢の氏子の方々からご支援ご協力をいただいております。
しんどい作業も「お宮さんのことだから」と
率先してお骨折りいただきました。
本当に有り難い事だと感謝いたしております。
今年は春には東日本大震災が
そして夏には台風12号の災害が起こるなど天災の多い1年でした。
未曽有の大災害。かつて経験した事がないような大きな災害に
幸いなことに被害にあう事もなかった我々にとってさえ
その衝撃たるや心を引き裂き、愕然とさせられました。
その陰で日本人の日本人たる所以を垣間見るような出来事が
世界中から称賛されていることは記憶に新しい事です。
助け合い・支え合いの精神、忍耐づよさ、誠実さなどなど
誰に教えられるでもなく私たちにの心に沁みついてきたものの発露が
世界からからすれば驚きなのでした。
そのことは私たちにとっても、驚きであったのかもしれません。
「現代は殺伐としたもの」である
と思われていた現代社会の日本においても
「ささえあってこそ『人』なのである」ということ
「義理人情」を再認識したからです。
であるのと同時に大きくは国、あるいは地域、小なるものなら家族。
そういったものの「つながり」を意識して
心を合わせて力をひとつにしていこうという想いが生まれました。
誰という事もなしにそれを「絆」と呼びました。
私は神社の「祭り」は、おそらくそういうものであるし
そうであってほしいと願っています。
当社のご祭神は「建角身命(たけつのみのみこと)」という
ひとりの神さまであることは周知の事と思いますが、
それだけではありません。
神社というものには、いうなれば
お祖父さんのお祖父さんの、そのまたお祖父さんが
ずっとかわらず捧げてきた祈りや想い、
将来の子孫である私たちへとつなぐ希望も籠められています。
それが私たちにとってのかけがえのない神さまなのだと思います。
だからこそ、私たちはご神前で手を合わせるのだと思います。
私たちが今、ふたたび思い出した「絆」。
それは何も今を生きる我々だけが手にするものではないでしょう。
どうか、皆さんがご神前で手を合わせるとき、
ご先祖さまたちが神社に籠められた祈り・想い・希望などとの「絆」
これについて感じていただければと思います。
また「祭り」の場が、そういうところであってほしいと願っています。
--------------------------------------------------------
以上
恥ずかしながら、文章におこしても
やっぱりまとまりがつきませんが
少しでも僕が本当に伝えたい事が伝えられたなら幸いです。
滞りなく斎行することができました。
誠に有難うございました。
毎回、祭りに先立って総代会長さんから
「宮司さんに開式の辞を」と促されておりまして
いつもそれなりに言葉の準備をしているものの
僕はおしゃべりが、すごく下手くそですので
本当にいいたかったことを
参列なさった皆さん方にお伝えできたか、と考えると
いささか不安でした。
ですので、この際、この場をお借りして
ちょっと述べさせていただこうと思います。
駄文、失礼いたします。
以下
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先ずはこの祭りに際し、神社の役員さんから頭屋さん
その他、大勢の氏子の方々からご支援ご協力をいただいております。
しんどい作業も「お宮さんのことだから」と
率先してお骨折りいただきました。
本当に有り難い事だと感謝いたしております。
今年は春には東日本大震災が
そして夏には台風12号の災害が起こるなど天災の多い1年でした。
未曽有の大災害。かつて経験した事がないような大きな災害に
幸いなことに被害にあう事もなかった我々にとってさえ
その衝撃たるや心を引き裂き、愕然とさせられました。
その陰で日本人の日本人たる所以を垣間見るような出来事が
世界中から称賛されていることは記憶に新しい事です。
助け合い・支え合いの精神、忍耐づよさ、誠実さなどなど
誰に教えられるでもなく私たちにの心に沁みついてきたものの発露が
世界からからすれば驚きなのでした。
そのことは私たちにとっても、驚きであったのかもしれません。
「現代は殺伐としたもの」である
と思われていた現代社会の日本においても
「ささえあってこそ『人』なのである」ということ
「義理人情」を再認識したからです。
であるのと同時に大きくは国、あるいは地域、小なるものなら家族。
そういったものの「つながり」を意識して
心を合わせて力をひとつにしていこうという想いが生まれました。
誰という事もなしにそれを「絆」と呼びました。
私は神社の「祭り」は、おそらくそういうものであるし
そうであってほしいと願っています。
当社のご祭神は「建角身命(たけつのみのみこと)」という
ひとりの神さまであることは周知の事と思いますが、
それだけではありません。
神社というものには、いうなれば
お祖父さんのお祖父さんの、そのまたお祖父さんが
ずっとかわらず捧げてきた祈りや想い、
将来の子孫である私たちへとつなぐ希望も籠められています。
それが私たちにとってのかけがえのない神さまなのだと思います。
だからこそ、私たちはご神前で手を合わせるのだと思います。
私たちが今、ふたたび思い出した「絆」。
それは何も今を生きる我々だけが手にするものではないでしょう。
どうか、皆さんがご神前で手を合わせるとき、
ご先祖さまたちが神社に籠められた祈り・想い・希望などとの「絆」
これについて感じていただければと思います。
また「祭り」の場が、そういうところであってほしいと願っています。
--------------------------------------------------------
以上
恥ずかしながら、文章におこしても
やっぱりまとまりがつきませんが
少しでも僕が本当に伝えたい事が伝えられたなら幸いです。
「心意気」の結晶。11月3日は当社の例祭です。
あっという間に11月に入ってしまいました。
10月に入ってからほぼ週末ごとに
あちこちでお祭りが続いておりまして、
いよいよ満を持しての11月です。
当社でも先月末から例祭の準備は
日を追って着々と進んでおりました。
10月16日 奉仕(境内整備)
10月31日 餅米洗い
11月 1日 餅つき
…などなど。
本当に地元の氏子さんたちには
例祭の準備に向けていろいろと働いていただきました。
僕はといえば
他のお祭りや平素の仕事があり
充分に祭り準備のお手伝いすることができず
まったく氏子のみなさんに足を向けて寝られません。
「お宮さんのことだから」
と、骨おりを惜しまない皆さん方に感謝です。
そして明日、11月3日・午後6時から例祭です。
「お祭り」とは、ある意味
地元の氏子さんたちの心意気の結晶のようなところがあります。
どうぞ皆さま、お誘い合わせの上お参りくださいまして
そんな「心意気」をも感じていただければ幸いです。
10月に入ってからほぼ週末ごとに
あちこちでお祭りが続いておりまして、
いよいよ満を持しての11月です。
当社でも先月末から例祭の準備は
日を追って着々と進んでおりました。
10月16日 奉仕(境内整備)
10月31日 餅米洗い
11月 1日 餅つき
…などなど。
本当に地元の氏子さんたちには
例祭の準備に向けていろいろと働いていただきました。
僕はといえば
他のお祭りや平素の仕事があり
充分に祭り準備のお手伝いすることができず
まったく氏子のみなさんに足を向けて寝られません。
「お宮さんのことだから」
と、骨おりを惜しまない皆さん方に感謝です。
そして明日、11月3日・午後6時から例祭です。
「お祭り」とは、ある意味
地元の氏子さんたちの心意気の結晶のようなところがあります。
どうぞ皆さま、お誘い合わせの上お参りくださいまして
そんな「心意気」をも感じていただければ幸いです。
頭屋渡しの行事
我がお宮は三ヵ大字(高塚・池上・比布)の氏神さまです。
ですので、頭屋(当屋)渡しの行事は
それぞれの大字で行われているようです。
頭屋さんはどの地域でも
だいたい「くじ引き」で二人選出されている
とのことです。
「本頭屋・副頭屋」とか
「雄頭屋(オトヤ)・雌頭屋(メトヤ)」とか
その呼び名もいろいろです。
本頭屋あるいは雄頭屋になった家では
小さいお宮や御幣などを預かり
一年間自宅の床の間などで奉仕なさいます。
さて、我がお宮の宮本である高塚地区でも
もちろん頭屋さんがいます。
我がムラの頭屋さんには
我がお宮の由緒正しき扁額と
合祀された高塚六柱神社の扁額を
御分霊として一年間祀っていただいています。
今年は頭屋さんの家で不幸があったために
これは恐れ多いということで
急きょ自治会長さんの家に移っていただく事になりました。
そこで最近、
臨時に頭屋渡しが行われました。
時間は夜も更けた午後六時半。
まず御分霊としての扁額を拝殿にて捧げ
各家の男衆が寄り合い拝礼をすることで
一度、頭屋としての役割をリセットするものとしました。
その後、御渡り開始です。
そして、棒に吊るした太鼓を前後に持ち
その太鼓を打ち鳴らしつつ
「センダリャク、マンダリャク」
と男衆一同は掛け声をしながら行列。
このようにして
御分霊は臨時の御渡り先へと渡って行きました。
いわゆる「一社の故実」から
我がお宮の神主の場合、
こういう場面に遭遇するのは実は珍しいこと。
氏子さんたちならではの神祭りは
神職でも知らない事が実際まだまだ多いのです。
地域の大切な行事ですから
無理にその内容について聞き出すことは避けたい、
と個人的には思っています。
でも、なるべく知っておきたいなあ。
今回はその一端を垣間見た出来事でした。
ですので、頭屋(当屋)渡しの行事は
それぞれの大字で行われているようです。
頭屋さんはどの地域でも
だいたい「くじ引き」で二人選出されている
とのことです。
「本頭屋・副頭屋」とか
「雄頭屋(オトヤ)・雌頭屋(メトヤ)」とか
その呼び名もいろいろです。
本頭屋あるいは雄頭屋になった家では
小さいお宮や御幣などを預かり
一年間自宅の床の間などで奉仕なさいます。
さて、我がお宮の宮本である高塚地区でも
もちろん頭屋さんがいます。
我がムラの頭屋さんには
我がお宮の由緒正しき扁額と
合祀された高塚六柱神社の扁額を
御分霊として一年間祀っていただいています。
今年は頭屋さんの家で不幸があったために
これは恐れ多いということで
急きょ自治会長さんの家に移っていただく事になりました。
そこで最近、
臨時に頭屋渡しが行われました。
時間は夜も更けた午後六時半。
まず御分霊としての扁額を拝殿にて捧げ
各家の男衆が寄り合い拝礼をすることで
一度、頭屋としての役割をリセットするものとしました。
その後、御渡り開始です。
そして、棒に吊るした太鼓を前後に持ち
その太鼓を打ち鳴らしつつ
「センダリャク、マンダリャク」
と男衆一同は掛け声をしながら行列。
このようにして
御分霊は臨時の御渡り先へと渡って行きました。
いわゆる「一社の故実」から
我がお宮の神主の場合、
こういう場面に遭遇するのは実は珍しいこと。
氏子さんたちならではの神祭りは
神職でも知らない事が実際まだまだ多いのです。
地域の大切な行事ですから
無理にその内容について聞き出すことは避けたい、
と個人的には思っています。
でも、なるべく知っておきたいなあ。
今回はその一端を垣間見た出来事でした。
台風について思う
今回の台風の影響は津々浦々、
広範囲にわたっているようですね。
奈良県下においても
勤め先のある桜井市と住みかある宇陀市とでは
雨風の量がだいぶ違うように思われました。
奈良県は「国中(くんなか)」と呼ばれる平野部と
「山中(さんちゅう)」と呼ばれる中南部の山間部とに
大別されることがあるのですが
自然災害の少ないといわれる奈良県下にあって
おおむね山中のほうに被害がもたらされやすいようです。
今朝の我がお宮の境内も
一日中、雨風が強かったせいで荒れ模様でしたが
今のところ特に被害はないようです。
大風のせいでしょう。
大きな杉の枝が本殿へと続く石段下に落ちていましたが
間一髪、拝殿の屋根に落ちることは免れたようで
ホッとしました。
ところで、台風で思い出したのですが
ニュースなどで気象予報士が台風を呼ぶとき
「台風○○号」っていいますよね。
外国では「キャスリーン」だの「カトリーヌ」だの
人の名前をつけていて
一時期、日本でもそういう動きがあったものの
結局、定着しませんでした。
これってなぜなんだろうと
毎年、台風が来るたびに思い続けていたのですが
この問題に関しては
この際、とりあえず、自分なりに
結論づけることにしました。
それは
「国民性の違いである」。
あまりも平凡な答えですが、まあ聞いてください。
想像してください。
我々はいつ、何に名前をつけるのでしょう。
いつ→「子どもができたとき」「ペットを飼うとき」
何に→「子ども」「ペット」
では、それ以外では?
「自慢の愛車」「お気に入りの道具」などなど。
名づけることによって
ただの犬は家族の一員になり
ただの機械は人生の相棒になり
それ故に、それらとの別れは、とてもつらい。
なぜ「つらい」と感じるのか。
そこに愛があるからです。
つまり、
愛なき名づけは、ただの「あだ名」です。
そして、
思うに我々日本人がものに名をつけるとき
目に見えない何かを与えているような気がします。
あるいは
ものに名をつけることは
その対象に魂をさずける儀式のようであり
また、人格すら与えているようにも感じます。
ましてや日本はいわずと知れた
「八百萬神(やおよろづのかみ)」の坐す国。
恐ろしい力を見せつける台風にすら
神の姿を見出したことでしょう。
だから、僕たちにとって
甚大な被害をもたらす台風に
「あだ名」まがいの名前をつけることは
ちょっと納得がいかないし、まかりならん。
「腑に落ちない話」な訳です。
よって、それは
「国民性の違いである」。
…あくまで個人的見解による
地味な結論でした…。
広範囲にわたっているようですね。
奈良県下においても
勤め先のある桜井市と住みかある宇陀市とでは
雨風の量がだいぶ違うように思われました。
奈良県は「国中(くんなか)」と呼ばれる平野部と
「山中(さんちゅう)」と呼ばれる中南部の山間部とに
大別されることがあるのですが
自然災害の少ないといわれる奈良県下にあって
おおむね山中のほうに被害がもたらされやすいようです。
今朝の我がお宮の境内も
一日中、雨風が強かったせいで荒れ模様でしたが
今のところ特に被害はないようです。
大風のせいでしょう。
大きな杉の枝が本殿へと続く石段下に落ちていましたが
間一髪、拝殿の屋根に落ちることは免れたようで
ホッとしました。
ところで、台風で思い出したのですが
ニュースなどで気象予報士が台風を呼ぶとき
「台風○○号」っていいますよね。
外国では「キャスリーン」だの「カトリーヌ」だの
人の名前をつけていて
一時期、日本でもそういう動きがあったものの
結局、定着しませんでした。
これってなぜなんだろうと
毎年、台風が来るたびに思い続けていたのですが
この問題に関しては
この際、とりあえず、自分なりに
結論づけることにしました。
それは
「国民性の違いである」。
あまりも平凡な答えですが、まあ聞いてください。
想像してください。
我々はいつ、何に名前をつけるのでしょう。
いつ→「子どもができたとき」「ペットを飼うとき」
何に→「子ども」「ペット」
では、それ以外では?
「自慢の愛車」「お気に入りの道具」などなど。
名づけることによって
ただの犬は家族の一員になり
ただの機械は人生の相棒になり
それ故に、それらとの別れは、とてもつらい。
なぜ「つらい」と感じるのか。
そこに愛があるからです。
つまり、
愛なき名づけは、ただの「あだ名」です。
そして、
思うに我々日本人がものに名をつけるとき
目に見えない何かを与えているような気がします。
あるいは
ものに名をつけることは
その対象に魂をさずける儀式のようであり
また、人格すら与えているようにも感じます。
ましてや日本はいわずと知れた
「八百萬神(やおよろづのかみ)」の坐す国。
恐ろしい力を見せつける台風にすら
神の姿を見出したことでしょう。
だから、僕たちにとって
甚大な被害をもたらす台風に
「あだ名」まがいの名前をつけることは
ちょっと納得がいかないし、まかりならん。
「腑に落ちない話」な訳です。
よって、それは
「国民性の違いである」。
…あくまで個人的見解による
地味な結論でした…。
早起き作戦、続行。
ずいぶん暑くなってきましたが
境内のアジサイは、まだまだ元気です!

しかし、いつの間にやら梅雨は明けていました。
「いつの間にやら」という言い草は
そういった情報を得ることが難しい状況だった、
ということを意味しています。
実は最近、数年来の念願かなって
修験の道の入峯修行に参加させていただいたのでした!
(正式名称は「蓮華奉献入峯」)
梅雨明けの報は、山を降りてから知った、という訳です。
このお行は
心身ともに過酷な山中行ではあるのですが
便利な日常では得難い
たいへん素晴らしい経験をさせていただくことができました。
不思議なもので、普段の日常なら
罵詈雑言と受け止めかねないような言葉も
山中では素直に受け入れ
背中を後押ししてくれる叱咤激励と感じていました。
普段なら「有り得ない」と思うような
高く厳しい山肌も覚悟を決めて挑むことができました。
大峯山が霊山と称えられる所以のような出来事に思えました。
次にこの山中行に参加できるとすれば
よほどの機会の巡り合わせと御縁に恵まれないことには
成し得ないことでしょう。
そう思うと本当に残念なのですが…
ちょっと待てよ!?
修験の道を志す人々にとって
大峰の山々が修行の霊山ならば
伊那佐山の麓に住む我々にとって
伊那佐山も修行の霊山と成り得るのではないか!?
この度の山中行に際して
ひと月前からトレーニングがわりに
時々早起きして伊那佐山登山をしてきたことから
僕の体も「山仕様」に出来つつあるし
この機会を是非とも良きものにすべきではなかろうか!?
そうだ。
やっぱりしばらく「早起き作戦」は続行することにしよう!
境内のアジサイは、まだまだ元気です!

しかし、いつの間にやら梅雨は明けていました。
「いつの間にやら」という言い草は
そういった情報を得ることが難しい状況だった、
ということを意味しています。
実は最近、数年来の念願かなって
修験の道の入峯修行に参加させていただいたのでした!
(正式名称は「蓮華奉献入峯」)
梅雨明けの報は、山を降りてから知った、という訳です。
このお行は
心身ともに過酷な山中行ではあるのですが
便利な日常では得難い
たいへん素晴らしい経験をさせていただくことができました。
不思議なもので、普段の日常なら
罵詈雑言と受け止めかねないような言葉も
山中では素直に受け入れ
背中を後押ししてくれる叱咤激励と感じていました。
普段なら「有り得ない」と思うような
高く厳しい山肌も覚悟を決めて挑むことができました。
大峯山が霊山と称えられる所以のような出来事に思えました。
次にこの山中行に参加できるとすれば
よほどの機会の巡り合わせと御縁に恵まれないことには
成し得ないことでしょう。
そう思うと本当に残念なのですが…
ちょっと待てよ!?
修験の道を志す人々にとって
大峰の山々が修行の霊山ならば
伊那佐山の麓に住む我々にとって
伊那佐山も修行の霊山と成り得るのではないか!?
この度の山中行に際して
ひと月前からトレーニングがわりに
時々早起きして伊那佐山登山をしてきたことから
僕の体も「山仕様」に出来つつあるし
この機会を是非とも良きものにすべきではなかろうか!?
そうだ。
やっぱりしばらく「早起き作戦」は続行することにしよう!
サカキの花とハチの群れ
今朝、日供のとき、どこからか
ぶーーーーーーーん…
という音が聞こえてくることに気がつきました。
そこで、
日供のあと、その音をたよりに
境内を見回ってみると、その音の主はなんと…

サカキの木でした!
…というわけは無く
サカキの花に群がる無数のハチたちでした。

撮った写真はピンボケで
しかもハチたちはうまく写せませんでしたが。
とにかく、すごい数のハチたちの忙しげな羽音。
ハチたちは花の蜜にご執心で
ケータイカメラをかまえた人間にはまるで興味がない様子でした。
それにしてもサカキの木には白い花がつくんですね。
初めて知った。
境内の木々には
毎度いろんなことを教えてもらうなあ。
ぶーーーーーーーん…
という音が聞こえてくることに気がつきました。
そこで、
日供のあと、その音をたよりに
境内を見回ってみると、その音の主はなんと…

サカキの木でした!
…というわけは無く
サカキの花に群がる無数のハチたちでした。

撮った写真はピンボケで
しかもハチたちはうまく写せませんでしたが。
とにかく、すごい数のハチたちの忙しげな羽音。
ハチたちは花の蜜にご執心で
ケータイカメラをかまえた人間にはまるで興味がない様子でした。
それにしてもサカキの木には白い花がつくんですね。
初めて知った。
境内の木々には
毎度いろんなことを教えてもらうなあ。
初夏ならではの感謝と悩み
サツキの季節はあっという間に過ぎて
そろそろアジサイが開花の準備をしています。

長らく「梅雨ざむ」の気候だったけれど
一昨日あたりからガラッとかわって
日本列島は猛暑の様相です。
暑い!
…にもかかわらず、
「もうすぐ大祓やしなあ」
と総代さんと崇敬者の方はたった二人で
しかも丸一日かけて草刈りをしてくださいました。
感謝、感謝です!!
日ごろ、家族と神社を守るために外で働いている我々は
それがために、なかなか神社のことが出来ない
というジレンマがあります。
しかし、それに甘えてばかりもいらません。
そうだ!
ここはひとつ、
「早起き作戦」を再び発動だ!!!
そろそろアジサイが開花の準備をしています。

長らく「梅雨ざむ」の気候だったけれど
一昨日あたりからガラッとかわって
日本列島は猛暑の様相です。
暑い!
…にもかかわらず、
「もうすぐ大祓やしなあ」
と総代さんと崇敬者の方はたった二人で
しかも丸一日かけて草刈りをしてくださいました。
感謝、感謝です!!
日ごろ、家族と神社を守るために外で働いている我々は
それがために、なかなか神社のことが出来ない
というジレンマがあります。
しかし、それに甘えてばかりもいらません。
そうだ!
ここはひとつ、
「早起き作戦」を再び発動だ!!!
伊那佐山と山麓のお宮の祭り
4月10日は、よく晴れました。
この日、伊那佐山の山頂に鎮座する
都賀那岐神社の春の例祭がありました。
山の麓の遥拝所で氏子の皆さん方と合流して
一路、山頂を目指しました。
伊那佐山の麓集落は、
かつて伊那佐村といわれていました。
奈良県宇陀郡伊那佐村は、
昭和29年まであった村で
昭和の大合併に伴い、榛原町の一部となり
その後、宇陀市榛原の一部となりました。
資料を紐解きますと
1889年4月、町村制施行に伴って
比布村、高塚村、福西村、池上村、
栗谷村、石田村、山路村、大貝村、
沢村、三宮寺村、母里村
の11ヵ村が合併して
宇陀郡伊那佐村が成立したといいます。
それぞれの村には
それぞれに祀る氏神さんがおられましたが
明治の合祀令によって
おおむね、山に隣接する村の氏神は伊那佐山に。
里の村の氏神は八咫烏神社にと合祀されました。
戦後、合祀された氏神さんたちは
次々に元のお社にお戻りになりましたが
この4月10日の春の例祭には
かつて合祀されていた村の役員さんたちも
一緒に参列されます。
それは「慣例だから」というよりも
「田畑に豊穣をもたらす神様は山からおりてくる」
という信仰が現在の人たちの心のどこかにも
生きているからではないだろうか、と感じます。
…というわけで
山頂でのお祭りは氏子さんを始め
各大字の役員さんも含めて厳かに行いました。
その後、本殿前にゴザを広げて直会です。
みんな和やかに御神酒をすすめあいます。
晴れやかな空の下、
お祭りの後、神さまと一緒になって
円座でお酒を酌み交わす。
とても正しい神祭りの姿がここにあります。

この後、石田の村の氏神さん(石田六柱神社)で
お祭りがあるため、
石田の村の役員さんと一緒に
直会は中座しましたが
本当に山頂での祭りは清々しいの一言でした。
そのおかげもあってか
後につづく石田のお宮のお祭りも
滞りなくゆかしく和やかに
斎行することができました。
この日、伊那佐山の山頂に鎮座する
都賀那岐神社の春の例祭がありました。
山の麓の遥拝所で氏子の皆さん方と合流して
一路、山頂を目指しました。
伊那佐山の麓集落は、
かつて伊那佐村といわれていました。
奈良県宇陀郡伊那佐村は、
昭和29年まであった村で
昭和の大合併に伴い、榛原町の一部となり
その後、宇陀市榛原の一部となりました。
資料を紐解きますと
1889年4月、町村制施行に伴って
比布村、高塚村、福西村、池上村、
栗谷村、石田村、山路村、大貝村、
沢村、三宮寺村、母里村
の11ヵ村が合併して
宇陀郡伊那佐村が成立したといいます。
それぞれの村には
それぞれに祀る氏神さんがおられましたが
明治の合祀令によって
おおむね、山に隣接する村の氏神は伊那佐山に。
里の村の氏神は八咫烏神社にと合祀されました。
戦後、合祀された氏神さんたちは
次々に元のお社にお戻りになりましたが
この4月10日の春の例祭には
かつて合祀されていた村の役員さんたちも
一緒に参列されます。
それは「慣例だから」というよりも
「田畑に豊穣をもたらす神様は山からおりてくる」
という信仰が現在の人たちの心のどこかにも
生きているからではないだろうか、と感じます。
…というわけで
山頂でのお祭りは氏子さんを始め
各大字の役員さんも含めて厳かに行いました。
その後、本殿前にゴザを広げて直会です。
みんな和やかに御神酒をすすめあいます。
晴れやかな空の下、
お祭りの後、神さまと一緒になって
円座でお酒を酌み交わす。
とても正しい神祭りの姿がここにあります。

この後、石田の村の氏神さん(石田六柱神社)で
お祭りがあるため、
石田の村の役員さんと一緒に
直会は中座しましたが
本当に山頂での祭りは清々しいの一言でした。
そのおかげもあってか
後につづく石田のお宮のお祭りも
滞りなくゆかしく和やかに
斎行することができました。
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