マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

八釣の情景を巡る

2018年04月30日 09時23分36秒 | 明日香村へ
明日香村八釣の苗代作業を見始めてから1時間が経過した。

すぐ傍を走る旧道を南に走って山越えをしたら飛鳥らしい風景が現われる。

辺り一体を巡る観光客が目につく飛鳥の石舞台である。

そんな観光地と違って、ここ八釣は農村風景が一面に広がる。

ときどき飛鳥坐神社へはどこの道を行けばいいのですか、と尋ねられることも多いそうだ。

この日も一台の車が迷い込んで尋ねていた。

カーナビゲーション全盛の時代にまだまだ不慣れな人もいるのだろう。

苗代作業の進展を見計らって、合間に八釣集落をぶらぶらする。

今年の1月15日も訪れていた八釣集落。

その日は小正月。

小豆粥を供える風習を撮っていた。

引計皇子神社、浄土宗妙法寺、庚申石、地蔵石仏、稲荷社などなどだった。



小正月の日の集落は真っ白だったが、苗代の日はレンゲ畑が一面に染めていた。

ニホンミツバチもぶんぶん飛んでいたと思われるが、この日は自然観察をする余裕はない。

地蔵尊辺りを歩く二人の女性がおられた。

一人はご高齢の女性。

板一枚を乗せた運搬車を綱で曳いていた。

箱運搬はソリではなく小型の4輪である。

空気入りの車輪だからたやすく運搬できる。

傍には若い女性が付いていた。

一人では危ないと判断されて共にしていた。

周回して苗代田に戻ったときには畑におられた。



その運搬機に腰かけて作業をしていた二人の後ろ姿が妙に愛おしくて撮らせてもらった。

横にある籠には丸々太ったタマネギがいっぱい。



二人は栽培した玉ねぎの収穫だった。

一服、休憩中に何を語っているのだろうか。

(H29. 4.30 EOS40D撮影)
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八釣・M家の苗代作りにイロバナ立て

2018年04月29日 09時44分25秒 | 明日香村へ
前日に訪れた明日香村の八釣。

以前もお願いしたが、あらためて苗代作りの取材願いをした八釣の総代家。

朝は9時前から作業をしていると云っていた。

長男、長女に次男も支援して苗代田作りの作業である。

種蒔は前日にしたという苗箱の枚数は700枚。

前回が430枚だったところを700枚に増やしたそうだ。

できるだけ例年に倣ってしているという苗代田。

すべてが終わったときに水口に立てる豊作願い。

それを拝見したくて願った記録取材である。

大字飛鳥に鎮座する飛鳥坐神社で行われる奇祭。

私はそう呼びたくないが、正式行事名は御田植祭り。

一般的には「おんだ祭」が充てられている。

奇祭の内容は当ブログでは触れないが、豊作を願う奉りものがある。

所作は見られない御供は稔る稲に見立てた松苗である。

八釣もそうだが、稲渕の住民もそれを「ナエノマツ」と呼んでいた。

松苗読みよりも相応しい読みと思った「ナエノマツ」である。

御田植祭りを終えた「ナエノマツ」は大字飛鳥の総代が持って来てくれるそうだ。

昨年の5月初めである。

稲渕の住民Mさんが苗代作りをすると聞いて訪れた日である。

稲渕に向かう道すがら。

走る車窓から見えた八釣に苗代があった。

その際にこれはと思って拝見したのが、水口まつりの松苗だった。

イロバナも添えていたので、近くに住む人であろうと思って尋ねたら、総代家だった。

応対してくださった婦人に伺った苗代のナエノマツを是非とも取材させていただきたくお願いした。

苗代作りの日は変動すると思われた。

念のためと思って訪れた4月29日。

明日、30日にすると云われて・・。

明日香村八釣の苗代作りの取材は一年越し。

ようやく実見できる総代家の有難さに感謝する。

朝の9時ころからパレットと呼ぶ苗箱を運ぶ。

品種はヒノヒカリ。

モミオトシは山土を使用する。

以前というか、時期はわからないが、昔は直蒔きだった。

苗代田の水は池水、若しくは吉野川分水の水をひく。

池は古池に新池もある。

“かじる”というのは耕すこと。

苗代田を平たんに均す道具はレーキ。

T字型のトンボとか、エブリ、サラエのことだろう。

始めに穴あきシートを敷く。

新聞紙を敷く。

防鳥に黒色の寒冷紗を張る。

白い幌シートの寒冷紗もある。

苗箱の枚数は多く、すべてを並べ終える時間帯は午後1時ころになる。

苗が育ってから田植えをするが、時期的には6月10日くらい。

概略を話してくれたのであらかたは想像できるが、やはり現地で間近に拝見するのが一番である。

少しでも早めに着きたいと思って出発した。



が、到着した午前の8時50分にはすでに苗代田にご家族が作業を始めていた。

予め均しておいた苗代田。

整えた苗床にまずは穴開きシートを敷いていく。

ロール状になっている穴開きシートがずれないように気をつけながら広げていく。

キャタピラを回転させて移動する、最大積載能力が300kgの三菱製運搬機のBP416ピンクレデイ

銘板に軽井沢・・ではなく、軽井技とある。

型番から探したら㈱築水キャニコム社製。

オークションにあったが、現在は終了している。



この運搬車に積み込んだパレットは40枚。

育苗している所から直接ここまで運んだわけではなく、軽トラの荷台にたくさんのパレットを運搬して、この運搬車に移し替えていた。

なぜに2度手間のようなことをされるのか。

近いところであれば、身体で抱えて運ぶのだが、パレットを置く度に戻って、次のパレットを運ぶので何度も往復しなくてはならない。

その労力を避けるために、一旦は運搬車に移し替え、そして遠くまで移動する運搬車の力を借りる。



これまでいくつかの地域でパレット運びを見てきたが、人から人へ手渡すか、数枚ほど重ねて運ぶ人力である。

どこともそうだが、距離が伸びるほど作業に負担がでる。

ある田んぼでは一輪車に載せて運搬していたが、畦道を転がすには不安定。

支える力も要るし、押す力も。

その点、この運搬車利用によれば、安全に、しかも負荷をかけずに済む。

中古でもお高い商品であるが、高齢でなくとも作業軽減にお勧めしたいと思った。

総代家の苗代作りは家族総出。



弟さんはこの方が動きやすいと靴、靴下を脱いで裸足姿。

私の小さい時の体験でも感じたぬるっと感。

妙にそれが気持ち良かったことを覚えている。

昨日、総代が話していた均す道具のレーキを見せてくださる。



回転するので操作に負担はなく楽々。

水を引いた苗代田はくるくる回している間にいつの間にか平らに均してくれる。

パレットを並べる前にしておいた苗床はこうして平らにしていたという。

力をかけることなく水平にコロコロ転がすだけで苗床が綺麗に整地される。

この農具の元々は種籾転圧機

目の細かい金網(※縦横2ミリほどの網目)を筒状にして押すことにより回転する、種籾を転圧し、表面を均一化して苗の伸び具合が全体的整えることを容易にするための道具である。

T字型のトンボとか、エブリ、サラエであれば、力が要る。

道具の荷重もあるし、力も要るが、この道具はとても簡単である。

総代が云うには、かれこれ40~50年間も使い込んだ道具。

市販品のようだ。



実演してくださった種籾転圧機を置いたところにある太い塩ビ製パイプは水路に流れる水を苗代田に引き込むために繋いだもの。

上流に据えた塩ビ製パイプの受け入れ口は紐で結わえていた。



必要な場合は紐を解いて水路に落とす。

そうすれば流れてきた水は勢いをつけて流れていく。

なるほど、と思った仕掛けである。

そうこうしているうちに軽トラで運んできたパレットのすべてを並べ終えた。

ひとまず戻る作業場は農機具などを納めている小屋である。

小屋には何段にも積み上げた苗箱パレットがあった。

前日にしていたモミオトシ(※タネオトシとも)作業は半日も費やしたという。

その前にしておくのは土入れだった。

品種は粳米がヒノヒカリ。

糯米はハブタエモチだという。

量的に多いヒノヒカリのすべてを終えてからハブタエモチに移る。



軽トラに載せる前にしておく水撒き。

ジョウロで注ぐのは単に水ではなく、薬剤散布。

立ち枯れを防ぐ液剤商品の「タチガレ」を混ぜた水を撒くことによって稲の病気を防ぐ。

小屋の外にパレットを並べては薬剤散布をしていた。

今年の作付け枚数に応じて苗箱の数量が決まる。

粳米はおよそ400枚。

糯米は30枚であるから総量430枚にもなる。

薬剤散布を済ませたパレットは軽トラに積んで運ぶ。

荷台に載せられる枚数は約160枚。

量的に3回も往復しなければならない。

作業の進展具合は並べたパレットの数でわかる。

手前の苗床はロングレール。

半分整えるだけで1時間もかかる。

集落を巡っていたら会所の場所がわかった。



そこから眺めさせてもらった農小屋の様相。

忙しく動き回る積み込み作業。

とらえていた私の姿を見たご家族は、そこに居たんかいなと笑って返してくれた。

それから1時後は2列目の水苗代に入っていた。



3度目のパレット運搬である。

運搬してはキャタピラ駆動の運搬車に乗せ換える。



苗床傍を移動してパレットを並べる。

単調な作業の繰り返しであるが、体力が要る。

ご家族は休憩することもなく作業をしていた。

すべてのパレットを並べたら白い沙を苗床一面に広げて被せる。

この紗もロール状。

回転させて伸ばしていく。

一面を被せ終えたときにご婦人が動いた。



水口辺りでなく苗床の端っこに立てたイロバナ。

お家で栽培していた2種のツツジにコデマリと洋もののフリージア。

そのときに咲いているお花でイロバナを立てた。

今年の水口まつりはこれだけである。

えっ、である。

昨年の水口まつりにはナエノマツもあった。

実は今年はナエノマツが手に入らなかったからイロバナだけになったというのだ。

ナエノマツは飛鳥坐神社で2月第一初めの日曜日に行われるおんだ祭(御田植祭)に奉られたもの。

そのナエノマツは大字飛鳥の総代が各村に配る。

ところが今年はナエノマツが届くことはなかった。

理由は何であったのか。

実は今年の総代はサラリーマンらしい。

農業の営みを知らずに失念したようだ。

そういうわけで今年はイロバナだけになったということだ。

水口まつりをするのは奥さんと決まっているわけではない。

誰がしても構わないという。



さて、沙は敷くだけでなく、風に煽られて飛ばされないようにしなくてはならない。

苗床にある泥土を沙に寄せていくか、乗せるという作業である。

飛ばないように泥土をもって重しにするわけだ。

要は隙間を開けずに、ということで、ところどころに乗せていく。

昔はロール状に仕立てた新聞紙を利用していたそうだ。

最後にする作業はトリオドシの据え付け。

苗床の四方、数か所に亘って枯れ竹を埋め込む。

ハンマーで打ちこんで倒れないようにする。



そして釣り糸のようなテグス糸を張っていく。

鳥には見えにくいテグス糸を張り巡らしてようやく終える。



ちなみに隣村の大字豊浦では苗代の〆にヨモギダンゴとキリコをお盆に盛って供えているらしい。

さらにカヤの実もあるというから、随分前の様相である。

今どきカヤの実があるとは思えないが、ツツジやナエノマツも立てると聞いたので、いずれは調査したいと思った。



小屋裏にあった唐箕がある総代家。

今も現役の唐箕は10月15日前後に再稼働するらしい。

収穫を終えた稲籾の殻落しもするし、小豆や大豆の豆落としにも活躍しているという。

ちなみに9軒集落だった八釣。

今は7軒の営みになった八釣に行事がある。

今年は1月14日にされたという明神講の行事である。

藤原鎌足公謂れの般若心経をしているそうだ。

時間帯は午後。

講の寄り合いを済ませてからとんど焼きをする。

時間帯は夕刻。

アキの方角の言い方もあるその年の恵方に向けて火点けをするという。

機会があれば、是非とも取材させていただきたい行事である。

(H29. 4.30 EOS40D撮影)
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旧五ケ谷米谷の水口まつり

2018年04月28日 14時10分07秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
榛原山辺三のコイノボリを拝見した帰り道に旧五ケ谷米谷を選ぶ。

西名阪国道の下り道。

五ケ谷ICを出て村へ一旦は上がる。

そう思っていたが、五ケ谷ICを見逃してしまい、天理東ICまで行ってしまった。

信号があるところは天理市の岩屋町。

その集落もときおり訪れる地。

そこから谷沿いに里道を上っていく。

狭い里道に抜け道カーブ道を選んで上がる。

集落から離れたら、そこは畑地。

谷あいに拡がる田園地はいつしか奈良市の米谷町に繋がっていた。

里道は農道でもある。

あそこに確かあったはずだと思って車を停めた。

目を細めたら白いものが見える。

それは2枚のお札。

広げるわけにはいかないが、お札の文字はわかる。



右に「牛王」。

左が「寶」に「印」であろう。

そして中央に「米谷宮」を配したごーさん札である。

お札はもう一枚ある。

ここでは割愛するが、中央の「米谷宮」に代わって「寿福寺」である。

「米谷宮」は米谷の氏神社である白山比咩神社のことである。

神仏混合の行事にごーさん札は2枚である。

そのお札をたばって苗代田に立てる。

立てるには道具が要る。

この田主はススンボ竹に挟んでいるが、本来は、先を三ツ割にしたウルシ棒に挟む。

洋もののイロバナを添えて立てたお札は豊作の願い。

その様相を撮っていたら、軽トラに乗った代表総代のOさんと出会った。

助手席には息子さんもおられた。

田の仕事帰りのようだった。

後に合ったOさん曰く、ナンバープレートを見て驚いたと話してくれた。

その直後に出会ったTさんは座の十老。

この春より白山比咩神社の村神主を勤めている。

畑地におれば、なにかと出会うこともある。

(H29. 4.29 EOS40D撮影)
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再訪、榛原山辺三のコイノボリ

2018年04月27日 09時08分58秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
前日に訪れた宇陀市榛原山辺三。

ふれあい広場に10基ほどのコイノボリを揚げている。

村の人たちが4月10日ころに立てたといわれる色とりどりのコイノボリは無用になった幟を寄進してもらったもの。

風が吹いていたら、絶好の写真を撮れる。

そう思って帰路に選んだ絶景地。

写真家Kさんならではの写真を撮ってほしいと思って案内する。

近年は、いろんなところで見られる寄進されたコイノボリ揚げ。

景勝地にぴったし合う色合い。



コイノボリの一番先頭は吹き流しの幟である。

稀に揚げたお家の家紋を見ることがある。

また、初孫の名前を書いて揚げている事例も少なくない。

山辺三のコイノボリにはその事例は見られないから、旧家が寄進したものではないように思える。

私が山辺三のコイノボリに惚れたのは、幟を立てやすいように広場に幟立ての穴を作ったことだ。

穴はもちろん手作業で掘るが、崩れないように塩ビ管パイプを埋め込んでいる。

水捌け良い広場の土であれば水を溜めることはないだろう。

尤も、気に入っているのはそれだけではなく、他所のコイノボリはロープを張って、そこに並べるようにコイノボリを据える。

長けりゃ長いほど景観的にもよろしいが、写真にするのは難しい。

張った地形によっては、背景の効果でいい感じになるが、ポイントを定めにくい。



コイノボリが群がるように、そして青空を泳ぐような姿をとらえてあげたい。

その願いを叶えてくれるのが、山辺三の在り方。

同じような方法で揚げていたのは五條市の吉野川河川敷のコイノボリ

川に沿って縦一列だったので、これもまたとらえるのに難儀した。



パイプ穴に立てたコイノボリの支柱は青竹。

風の吹き具合によってしなりができる。

その状態によってコイノボリの泳ぎ方が格好良く映える。

支柱穴の間隔。

また、散り方によってコイノボリに遠近感が生まれ、拡がり、奥行きのある映像になったと自負するが、出来栄えは別物だ。

この地は近鉄電車が通り抜ける。



葉桜になった八重桜の向こうを走る特急列車は2階建てビスターカー。

昭和53年に初代が走って、今や3代目。

走る姿は一層スマートになった。

コイノボリ撮影を愉しんだらベンチに座ってお昼ご飯。



たったの100円で売っていたパック売りのイロゴハンは高齢者婦人たちの手造り。

お味もよろしいイロゴハンは旧都祁村の下荻にある大野橋直売所末広屋で買ったもの。

花見ならぬコイノボリを見てよばれていた。

(H29. 4.29 EOS40D撮影)
(H29. 4.29 SB932SH撮影)
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ミツバチ誘うミスマヘッド

2018年04月26日 09時54分01秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
宇陀市大宇陀平尾の水分神社の社殿に巣を作っていたミツバチ退治の作業をしていた男性と出会ったのは平成27年6月14日だった。

平尾氏子の頼みの作業であったが、その在り方を詳しく聞かなかった。

専門家に違いないが、専業ではない。

いつから嵌ったのかは知らないが、知人に教えてもらったミツバチのこと。

面白いと思ったからのめり込んだが、あくまで趣味の世界のようだ。

この日にお願いした件は、男性が毎年の春にしている豊作願いの在り方を拝見させていただくことである。

軽トラを運転してやってきた男性。

運転席に置いてあった植物を見せてくださる。

それは西洋の蘭植物。

愛蘭家であれば、誰しも存じているシンピジウムであるが、初めて見る品種。

男性がいうには、この品種はミスマヘッド。

蘭系植物のすべてではないが、芳香をもつものもある。

男性が持ってきたミスマヘッドはニホンミツバチが分蜂する際におびき寄せる誘蜂植物。

鉢寄せ蘭ともいわれるミスマヘッドは「金陵辺」と呼ばれる東洋ランの一種だそうで、女王ミツバチのフェロモンと同じ匂いを出すそうだ。

その誘蜂範囲はなんと15kmにもおよぶというのだから、すごいもんだ。

風のない午前10時ころから12時ころ。



ニホンミツバチの蜜をバーナーで温めて蜜を巣箱台に流しておけばぞろぞろやってくるらしいが、物事は順番がある。

仕掛けをしていきなりではない。

2、3日も経てば偵察するニホンミツバチがやってくる。

偵察隊は女王ミツバチが居ると勘違いして、ミスマヘッドに群がる。

そのうちに落ち着いたミツバチは巣箱に入っていく。

そして分蜂が始まるそうだが・・・、本日はここまで、とする。

(H29. 4.29 EOS40D撮影)
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榛原笠間・S家のハウス苗代の水口マツリ

2018年04月25日 09時54分27秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
例年なら4月10日ころにモミオトシを済ませて育苗器で数日間育てる。

それから良い日に苗箱を積んでハウスに運ぶ。

一枚、一枚を並べる。

ところが今年は3月末から4月初めは冷え込み厳しい日が続いた。

宇陀市榛原の笠間はその影響も大きくモミオトシ時期を遅らせた。

さらに長引く遅霜にも悩まされた。

予定がまったく狂ってしまったとぼやいても始まらない。

遅くなっても苗を植えなきゃならない。



ようやく第二弾の苗ができた。

ハウスに運ぶ直前は稲の穂先に露がついた。

温かい育苗器から移して軽トラに乗せた。



運んでくる間に露は蒸発していく。

田主は少しばかり、まだあるはずやと云われてレンズで覗くが・・・。



確かにあったが、時間が経ったものだから、僅か2粒の滴。

画像を縮小したら見えなくなるだろうな。

これまで何度かに分けて育苗した苗箱を運んでいた。

育っていくにつれ根も力強くなる。

もっと根を強くするにはこういう具合に踏むと云って実演してくださる。

あっと、思ったが、足で踏んでいた。



この通り、すぐに戻ってくるからと云って、手で抑えてくれる。

農業体験のない私にとっては育った稲を踏むなんてことは信じられない。

だが、このように意外と強いということを教えてくださって見方を変えないといけないと思った。

ただ、Sさんが云うには、実際は足で踏むわけではなく、コンパネ板の上を踏んでいるらしい。

ところで、育苗するこのハウスの構造が気になった。

私の概念ではハウスに太い木材があることは初めて知る。

一般的にはない構造だと思って尋ねてみた。

一年中、ほうれん草栽培をしているSさんが云うには、それは突っ張り棒だという。

寒い時季、雹や霰が降ったときである。

勢いが強い場合には倒れてしまうのがハウスの難点。

パイプで組み立てたハウスは弱いということだ。

それを防ぐには突っ張り棒が要る。

S家の山から伐り出したヒノキ材。

皮を剥いたヒノキを天井に何本かを斜交いにして括り付ける。

左右それぞれ交互に突っ張り棒をすることによってハウスは倒れ難くなる。

この構造は先代の教え。

今でもこうしてハウスを支えている。

この突っ張り棒はいつでも簡単に外すことができる。

ハウス壁側をよくみていただきたい。

支えている部分はハウスに括っているアンテナロープ。

輪っかにしているだけので、簡単に外れる。

元の位置に戻す場合は、その輪っかに通す。

つまり移動・着脱方式なのであった。

田主のSさんと知り合ったのは2年前。

場所は隣村の大宇陀の平尾。

平成27年6月24日に行われた平尾の田植え休みの植付け奉告祭の日だった。

早めに着いた平尾の水分神社。

行事の数時間前のことである。

境内におられた男性は宇陀市榛原の笠間の住民。

水分神社の社殿に巣を作っていたミツバチ退治の作業をし終えたときだった。

平尾氏子依頼の作業をしていた男性とよもやま話をしていた。

笠間の神社行事に御田植祭がある。

その行事に杉の実を束ねて奉ると話してくれた。

その奉り方を拝見したのは平成29年の3月5日

それこそほぼ2カ月前に遡る。

その行事に宮総代のKさんも同じく奉っていた。

二人とも同じ垣内の東垣内。

ともに御田植祭に奉った杉の実苗を持ち帰り、ハウス栽培の場に豊作を願って水苗代に立てる。

Kさんの水苗代の祭り方は数週間前の4月14日にされた。

Sさんはさらに日を伸ばしてこの日に立てると伝えてくれた。

着いた時間はお昼前。

水口まつりの在り方をお聞きして、ようやく拝見する稲苗に見立てた模擬苗の杉の実立てである。

さて、肝心かなめの模擬苗の杉の実立てである。

既に立ててあった傍に寄ってくれた。



今朝早く、こうして立てていた、と再現してくれる形。

ありがたく撮らせてもらう。

神社の行事に奉ったときの姿は逆立ち姿の自生垂れ。

水苗代に立てる場合はこれを逆さにする。



大きな実が見えるだろうか。

その実をポンポンすれば埃のようなものが飛び散る。

御田植祭のときにポンポンされたら、のけ反ったくらいの飛散量だったことを思い出す。

実というのは雄花である。

長く垂れさがる雄花を求めて探し回るが、高いところにしか生えていない。

もっと手が届くところといって探して来た、杉の雄花ばかり。

くるりと逆さにして束にしたらまん丸くなる。

豊作の印しはこうでなくてはといって、それを苗代に立てる。

苗代の場はほうれん草栽培もしているハウス内だ。

この時期だけは稲苗の箱ばかりにする1棟。

その一角に供えた豊作願いの形。

下に藁束を二つ。

倒れないように細竹を立てて支える。

家に咲いていたイロバナも添えた。



2本の細竹が見えるだろう。

杉の実はそのままでは立てることはできない。

細竹に束ごと括りつけて、その青竹を土に差し込んで固定するのである。

立てる土台は藁束。

昨年の収穫稲の藁を残しておいて土台にする。

前述した宮総代のK家も同じようにしていた。

Sさんの作付けはヒトメボレ。

すべての苗箱が揃ったら325枚にもなるそうだ。

そのヒトメボレの苗土は石川県産の土。

試しに購入したという。

以前はコシヒカリも作付けしていたが、倒れやすい品種なのでやめたそうだ。

Sさんは、そのコシヒカリを「コケヒカリ」と呼んでいたのに笑わせてくれた。

稲作もしているが、本業はほうれん草栽培。

以前も聞いたことがある販売先。

大手スーパーのイオングループが買い付け人だと話していたことを思い出す。

そのほうれん草を持って帰ってやと云われて、他のハウスに移動する。

一面に育ったホウレンソウ畑である。



前述したようにほうれん草ハウスも同じように木材で補強している。

畑に中に入って選別するほうれん草。



両手で抱えるくらいの量をくださった。

この日もいただいたほうれん草が瑞々しい。

癖のないほうれん草は甘くて美味しい。

過去にももらったことがあるからとても嬉しい大量のほうれん草にいつも感謝している。

ちなみにほうれん草の肥料は牛の糞だそうだ。

ハウス全体で3反の作付面積。

9棟のハウスを順に廻して、種蒔から収穫まで40カ月間のローテーションする。

また、米の作付面積は1町8反。

圧倒的に広さが違うが、逆に収穫比率からみた面積は非効率のような気がする。

(H29. 4.29 EOS40D撮影)
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峰寺のミトマツリ

2018年04月24日 09時05分54秒 | 山添村へ
山添村大字北野・津越のヤッコメ行事を拝見してから南に向かう。

大橋の信号を曲がって西名阪国道に出るコースを選んだ。

大橋の信号より少し走ったところに数軒の集落がある。

そこはお世話になった祭りのトーヤの家もあるし、六所神社の宮総代もおられる。

在所は山添村の峰寺である。

カーブを曲がった直後に現われた水田。

田んぼは水を張っていた。

よくみれば苗がある。

田植えはもう始まっていた。

そういえば奈良市の田原の里。

特に矢田原ではほとんどが田植えを済ませていた。

通った時間帯は朝一番であるか、本日の田植えではない。

日曜とすれば4月23日であろうか。

ここ峰寺もそうだと思った田植え後の田んぼに白いものが目に入った。



もしかとすれば、それはお札・・・。

停車して近寄ってみれば半分に割ったところに白く長い紙を挟んでいた。

上から覗いても文字は見えない。

もう一本は竹筒である。

そこにあった植物はサカキであろう。

で、あればお札もサカキも2月25日に峰寺に鎮座する六所神社の祈年祭に奉られる御供である。

この御供は峰寺、的野、松尾の三カ大字、それぞれの神社名を記したお札である。

峰寺は六所神社、的野は八幡神社、松尾は遠瀛(おおつ)神社。

それぞれの大字に鎮座する神社名を記して朱印を押していた。

平成22年2月25日に訪れた祈年祭。

拝殿に置かれた御供は御田のお札と聞いている。

ここら辺りの村では苗はJAで購入するから苗代はない。

苗を買ってすぐさま田植えをする。



その場に供えることからミトマツリと称しているが、田植え初めの場であればウエゾメ(植え初め)であるかもしれない。

田主はおそらく宮総代のMさんだと思うのだが・・。

(H29. 4.29 EOS40D撮影)
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旧都祁村荻の村産直販売所

2018年04月23日 08時30分11秒 | メモしとこっ!
前々からそこにあったと思う。

いつから見かけるようになったのか、それは覚えていない。

いつのまにかあった村の販売所は大野橋直売所末広屋。

下荻共同製茶工場横にある施設である。

そこにあったと気がつくのはいつも山添村の大字北野にある大橋の信号を曲がって峰寺から的野を抜けるコースを選んだときである。

南に向かって走っていけば集落が見えてくる。

左に折れば奈良市の下深川町。

そのまま突き進めば奈良市の荻町(おおぎちょう)。

いずれも旧都祁村になる。

つい先ほど走ってきた的野の南にある地域は旧荻村の出屋(でや)。

そう話していたのは北野の大橋の住民だ。

また北野にある杉原地区がある。

その地は現在、山添村に属しているが奈良市の下深川町の出屋になる。

明治時代に行政区割りが決まって現在の村に属しているが、奈良県内ではこういうことがままあると聞いている。

たぶんに藩領が違うためであろう。

それはともかく話を戻して荻町。

その一角に村で採れた野菜などを販売している。

通りすぎる際に目に入った売り物。

季節は覚えてないがお弁当のようだった。

停車しなければわからない村の販売所。

この日はその前で網焼きしていた。

窓を開けたら旨そうな匂いが漂ってくる。

炭火で焼いていたのは猪肉だ。

網に広げているから香ばしい匂いに釣られて車を停めた。

売り子のおじさん曰く、味付けは2種類あるという。

一つは塩焼き。

もう一つはタレ焼きである。

いずれも一枚は試食させてくれる。

塩もタレも美味いが私はタレ焼きを選んだ。

焼いたシシ肉はパックに詰めて売っていた。

値段は1パックで500円。

何枚入っているかは見えない。

お昼ご飯か帰宅してから食べようと思って購入した。

なんでも5月3日に行われる神野山つつじ祭りにも出店するそうだ。

さて、店内では採れたて野菜というよりも山野草だ。

ウドにコゴミやワラビ、ほうれん草などを袋詰め。



どれもこれも1袋でたったの百円。

ここにもコゴミを売っていたのが嬉しい。

食べられる山野草はもう一つ。

セリである。

昨今はセチ鍋で有名になった美味しい野草。

売り子のおばさんたちに聞けば食べたことがないという。

セリは独特のアクがあるからよう食べやんというわけだ。

村の人が食べられないものを売っているのはわかるとしても美味しくいただける料理法は紹介してほしい。

で、ないと食べ方はお客任せということになる。

食べ方を教えてもらって家で料理する。

それが美味しければ、また買いにくる。

リピータの声が広がれば売り子も張り合いがでる。

私はそう思うのだが・・・。

ちなみにこの村の販売所には自家製の食べものがある。

パックに詰めたチラシ寿司にイロゴハンだ。



見た目からして美味そう。

そう思って買ったイロゴハン。

チラシ寿司も食べたいがお腹は受け付けない。

量が多くて受け付けないのだ。

じつはこれらも1パックで百円。

なんとまぁ、の価格帯に笑いが止まらない。

帰宅してから楽しみにしていたタレ焼きのシシ肉を味わう。

サラダの皿半分に盛ったシシ肉。

パックを開けるなり臭いと云い放ったのはかーさんだ。

そうか、そう思うか。

私も気にしていた臭い匂い。

車の中でもかすかに匂っていた。

なんの匂いかわからなかった。

帰宅して車から取り出すとき、これだと思った匂い。

鼻につくというか、味わったことのない匂いである。

我が家の食卓に今夜のごちそうがある。

それらすべてが同じように匂ってしまうぐらいに強烈だ。

なんとか食べてあげようと思って口に入れる。

脂身がまったくないシシ肉は堅い。

スジもあるから噛みにくい。

噛んでいる最中に匂いが前面にあふれ出す。

3枚ほど齧ったがどれもこれも臭い。

どちらかといえば獣臭のように思える。

細切れもなにもかものシシ肉はナイロン袋に詰めて匂いが漏れないように厳重に封をしてゴミ箱行き。

部屋の匂いは美味しい香りが漂った。

酒も美味くなった。

私のお腹は、といえばなんともない。

翌日もおかしくはない。

腐ってはいなかったようだが・・・。

もしかとしてこのシシ肉は不味い部位だったのでは。

これまでいろんな人に貰って食べたシシ肉はとても美味かった。

どこへ行っても自慢していたぐらいだ。

漁師の人は解体の際の血抜き処理を間違ったら、とてもじゃないが喰えねぇ、と云っていたことを思い出す。

たぶん炭火で焼いていたシシ肉のうち、一部が十分な血抜きをしていなかったのであろう。

翌月の5日に再訪した村の売り場。

その強烈な臭いの件を話したら・・・。

後日に伝えることの真相。

さて、さて・・である。

(H29. 4.29 SB932SH撮影)
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北野・津越のヤッコメ

2018年04月22日 08時57分36秒 | 山添村へ
平成23年に取材して以来、6年も経った。

その後の状況はどうされているのか。

前回取材時と同じように姉妹3人が集落を巡ってお菓子貰いをしているのだろうか。

かつては焼き米貰いに巡っていたからそれを「ヤッコメ」と呼んでいた山添村の大字北野・津越のヤッコメ行事に再訪する。

ヤッコメとは焼き米もらいのことだ。

今ではその姿さえ見ることのない焼き米。

郷土料理でもなんでもない昔からあった米の保存食。

籾のついたままの新米を煎って、爆ぜた殻を取り除いたもの。

平成22年5月8日に取材した桜井市小夫でのときだ。

植え初めに話してくれたヤッコメ(焼き米)。

水口の両脇に2本の松苗を挿して、ヤッコメ(キリコやアラレの場合もある)を田に撒いた。

そのときに囃した詞章に「ヤッコメくれんなら どんがめはめるぞ」だった。

美味しいヤッコメをくれなかったら、どんがめと称していた石を田んぼに投げるぞ、という囃子詞である。

ここ山添村の大字北野・津越に小夫ととてもよく似た詞章があった。

「ヤッコメ(焼き米)くらんせ ヤドガメはなそ(放そう)」という囃子詞である。

今ではこの詞を聞くことはないが、平成5年に発刊された『やまぞえ双書1 年中行事』に記されている。

ヤッコメならぬイリゴメの名称であったが、意味はまったく同じ囃子詞を知ったのは平成29年3月15日に訪れた天理市和爾町・和爾坐赤坂比古神社行事の御田祭植祭に参列していた一人の長老であった。

昭和10年生まれのUさんが話してくれた過去の体験はおよそ70年前の戦後間もないころだった。

「イリゴメ(※煎り米はつまり焼き米)喰わさなきゃ 亀を這わすぞ」の囃子詞の様相は津越や小夫とほぼ同じである。

植え初めした稲は亀が這うことによって倒され、潰してしまう。

つまりはイリゴメを食べたい子供は亀を植えたばかりの田んぼに放して悪さをしてしまうぞ、ということだ。

田主にとっては亀を放されては困るから、イリゴをあげるから放さないでと嘆願する、ということだ。

ほぼ一年後の平成30年4月10日に訪れた際に話してくださったカメのことである。

こちら津越ではドンガメといえば、昆虫のカメムシだった。

ところ変われば、名も替わるという事例である。

奈良県内におけるヤッコメ行事は極めて珍しい。

おそらくここ山添村の大字北野・津越だけではないかと思う。

その珍しさというか、貴重な行事を拝見したいと願った写真家Kさんの希望を叶えるために予め取材許可をもらっていたご家族。

お盆の風習行事であるサシサバイタダキや先祖さん迎え火も撮らせてもらったことのあるお家。

なにかにつけてお世話になってばかりいて恐縮する。

ヤッコメならぬお菓子貰いにでかける民家は10軒。

前回より1軒少なくなったが、津越は度々の村行事も取材しているから顔なじみの家もある。

1軒は我が家の長男が勉学していた大学の友達の家。

親父さんのKさんも存じているから話題と云えば東京から奈良に帰省する道中の出来事である。

それは夕方に発生した。

津越の友達と一緒に東京を出た長男の愛車が走っていた東名高速道路で負った追突事故である。

渋滞に巻き込まれた道路に停車した。

そこへブレーキもかけずに眠り運転で走行してきたトラックに追突されてしまった。

バックミラーでトラックの動きを見ていた長男は危険を察知して二人とも横になった。

そのおかげもあってむち打ち症にはならず。

とっさの判断が功を奏した。

長男の車は軽自動車。

後の窓ガラスは割れて、ボコボコ。

命は助かったし、車もそこそこの損傷で済んだのが幸いだった。

私も親父さんも冷や冷やであったが、身体が無事やっただけにほっとしたことを覚えている。

親父さんは「息子が同乗したから事故したんや、すまんかった」と云われるが、予期しない出来事に巻き込まれただけ。

むしろ、二人とも無事だったのが嬉しいのです、と伝えた。

そんな話題は二人だけに通じる話し。



長話はさておいて、お菓子をもらった子どもたちは母親と共に先に向かって去っていた。

急な坂道を駆けあがっていく子どもたち。



着いた家はいつも薪割りをした割り木を揃えている。

今年も待っていたという婦人は笑顔で渡すお菓子袋。

姉妹二人分はそれぞれが受け取る。

平成22年に訪れたとき。

6年前の下の女児は母親が押すベビーカーに乗っていた幼子だった。

上の子は保育園児。

ともに成長して小学一年生、小学四年生になっていた。

都合で、中学一年生になった上の子は都合によって今年は参加できなかった。

大きくなった姿を毎年見ている村の大人たちは目を細める。

もう一軒は元裁判官のAさん。

かつては重箱をもって神野山へ山登り。

おやつも持っていたというから5月3日の春祭りの様相を話してくださる。



道を下って何軒か。

次の一軒は平成22年の八幡祭京の飯行事に年預を務められたKさん。

平成18年に取材した豊田楽のときにお声をかけてくださった先代の親父さんも存じていたが・・・。



庭に立ち入った子どもたちが声をかけたら屋内から飛んで出てこられた奥さん。



嬉しそうなお顔でお菓子を手渡す。

いつもなら朝9時に家を出て村を巡るのであるが、この日は中学一年生の長女はあいにくの不在。

表彰式出席のために馬見丘陵へ出かけたという。

その長女のためにもお菓子袋は用意してくださっていた。

ふと振り返ったK家の玄関。



「二月堂」の焼き印を押した木札に紅白の水引結びをしていた。

その横には少し焦げ目が見られる杉の葉。

たぶんに修二会の行法に先導をいくおたいまつではないだろうか。

確かめる時間もなく次の家へと先を急ぐ。

さらに下ったら県道80号線に出る。

道沿いに下った隣家はH家。

製材所を営むH家の発注に写真家Kさんのお仕事関係もお願いしたことがある。

なにかとお世話になるHさんも平成22年の京の飯行事に年預を務められた。



姉妹にお菓子を手渡すHさんは目を細める。

Hさんが云うにはヤッコメはキリコ或いはカキモチだったそうだ。

もらって集めたカキモチは敷いた筵に広げて、公平に分け合った。

子どものころはもっと大勢が居た時代。

軒数も今より多くあった時代のヤッコメ行事は半日もかかった。

お腹が減った、でもなく巡っている途中で食べていたそうだ。

Aさんも云っていたように、当時子どもだったころの焼き米は美味しかったそうだ。

話しをしておれば、つい焼き米を喰いたくなってくると思いだされる。

さらに下って何軒か。



家で待っていたFさんもお菓子を手渡す。

持参した大きな袋が溢れそうになっている。

残すは数軒。



少女は一年生、四年生になりましたー、と告げる津越のヤッコメ行事の日。

毎年の成長を報告する台詞は挨拶代わり。

大きくなったなー、が合言葉のように思えてきた。



1時間足らずで自宅に戻った姉妹は喜んで家に入っていった。

孫の成長に目を細める店主のOさんもやはりキリコ或いはカキモチだったという。

かつてはフライパンで煎ったカヤの実もあった。

カヤの実は特に美味しかったと懐かしそうに話される。

昔は男の子だけが廻っていたが、少子化の波を受けて女児も加えた。

下はヨチヨチ歩きの幼児から上は中学2年生までが対象年齢。

再来年は長女も参加できなくなるO家が頼りのヤッコメ行事。

今年、下の子どもが小学一年生だから、あと数年は続けられるようであるが・・・。

(H29. 4.29 EOS40D撮影)
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今夜の天ぷら盛りはワラビにウド、コゴミ、コシアブラ、ユキノシタ

2018年04月21日 08時24分31秒 | だんらん
3カ所巡って買ってきた山野草。

これまで食べたことのあるものからつい最近いただいたものも。

さらにはまったくお初の代物もある。

それらが揃った今夜の我が家のおかずは天ぷら盛り。



ワラビにウド。

それに加えて我が家の新参者はコゴミ。

おっとコゴミはついこの前にもらったばかりのコゴミ。

その味の魅力にとりつかれてかのように買い漁ったコゴミ。

売っていた店屋でこれもあった。

これもというのはコシアブラ。

名前は存じているが食べたことはない。

あったからには買わなきゃならん。

こうして揃った三銃士・・ではなく、四重草。

香りが美味しい。

葉っぱも軸も香りがすごい。

鼻にもってきたときよりも口にした方がもっと香りが増す。

そう云ったのはかーさんだ。

こんなぎょうさん買ってきても食べきれない。

どうすんの・・・と云われていたが、とにかくよく箸が動く。

美味しいからすごく動くという今夜にご飯は口にしない。

だからよく食べるのか・・・。

香りが強いということはそれだけアクがあるということだ。

天ぷらにしてもアクが強いのがフキノトウだ。

辛子酢味噌でいただいてもそのアクの強さにはまいる人も少なくない。

その点、この中でアクがもっとも感じないのはウドだ。

ぬるっとした食感が美味いのはワラビとコゴミ。

クセのないのがコゴミだ。

どれが一番美味しいといえば難しい。

悩ませる質問はほっといて食欲が・・・・。

3月中旬はツクシ。

4月中旬がワラビ。

これまでずっと思い続けてきた味わいの旬の春の山野草。

ここにタラの芽がないのが残念だが・・・どれをとっても美味すぎる。

たいへん満足したが、「コシアブラ」をどうしても「コシノアブラ」と呼んでしまうのが可笑しかった。

(H29. 4.28 SB932SH撮影)
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