マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

私がとらえた大和の民俗―水―打上の宴in旬味和膳季乃庄

2019年04月06日 08時15分32秒 | メモしとこっ!
平成28年10月29日から12月11日まで開催していた奈良県立民俗博物館企画展の「私がとらえた大和の民俗」写真展。

今回で6回目になったテーマは「住」

手ごわいテーマにカメラマンたちが実力を発揮し、それぞれが選んだテーマは多岐に亘るバラエテイな結果になったのはたまたまであろう。

博物館の仕事の関係で多少の遅れがあった二人の学芸員。

宴の前にしたかった打ち合わせ資料の整備に時間がかかった模様だ。

ご苦労さんなことだが、これも仕事のうち。

やむを得ず欠席された方は3人。

なにかと事情があるわけだ。

宴の料理である。

飲み放題の特別会席コース料は5千円。

なんとなく前年にいただいた料理と同じように思えるのだが・・・。



お通しの器に盛った3品。

お造りは品数の少ない5種盛り。



豚バラ肉の枚数が増えたような気もする陶板焼き。

厚揚げ、タマネギ、カボチャ、パプリカ、ニンジン、モヤシにカイワレ大根は味噌タレで食べる。

おっと、これは・・。



グロテスクな魚はソイ。

油で揚げたカリカリのソイの身は淡白で実に美味い。

決して外道ではありませぬ。

もう一品は鍋料理。

これは鮟鱇だな。

白菜、菜っ葉にシメジ。



煮えた食材はポン酢でいただく。

前回とは違っている料理なんだが、何年か前もこんなだったような気もするが・・・。

美味しい料理に生ビールがぐいぐい進む。

縁もたけなわに時間を忘れるのはいつもと同じ。

おかげさんで中生ジョッキは5杯も飲んでいた。

宴会終わりごろに地区の代議士を務めているK氏と出会う。

この場で話すこともできないから頭をぺこりと下げるだけ。

幹事が支払う今夜の宴の料理は飲み放題で一人5千円。

季乃庄が現金支払いしか受け付けてくれないのが残念だ。

みなと別れてから乗り込んだバス帰り。

仕事帰りのHさんとも出会った今夜の宴に、写真道に入った動機は・・・、カメラを持ちたいから始まるなんていうのはおかしいとか・・・、何かを撮りたいからが写真道の動機と言い張るが、私は・・動機なんてなんでもいいでしょと思うだけ。

で、次回のテーマ案である。

Sさんがポツリと云った。

「葬送」の儀礼。

そのことに反応した私は「送る」。

「贈る言葉」なんていう有名な唄がある。

「私がとらえた大和の民俗」写真展は今回で7回目。

目標は10回目の記念に写真家がとらえた大和の民俗を描く民俗写真の“本”を発刊する。

集大成でもある。

10回で10年。

事業会社やスーパーなどの店舗でも開店十周年記念事業、或いはイベントがある。

一区切りの〆に出版本。

それは当初、始めたときに鹿谷さんが描いていいた“夢”でもある。

実現するかどうかは、県立民俗博物館の存続もあるが、写真家の継続力もある。

目標感が定まれば10回目のテーマはどうするか。

私の考えは、一旦は幕締めして次世代を継ぐ写真家に繋ぐ。

行事でもそうだが、後継者に繋ぐということだ。

そういう意味を込めて私は次世代に送るということで「送」にしたい。

充てる漢字は「伝」、或いは運ぶという意味もある「便」でも良いし、「廻」も・・・。

さまざまな意見が飛び交って、仮決定した次テーマは「火」。

ただ、ローソクの火ばかり30枚もずらーっと並ぶのだけはやめてくれ、といいたい。

「火」そのものを扱う、或いは必然的に道具として登場するローソクばかりになっては、なんという体たらくな写真家と云われたらおしまいだ。

ただ、「足元を照らす」テーマで伝えるものならば・・。

或いはダイナミックに「火の粉」の様相を伝える行事であれば、と云いたいところだが、そればかりの写真では“民俗“にストーリーは薄っぺらい。

自宅に戻ったこの夜は夢の中でざわめく。

ストレートな「火」を描くのではなく、「くすぶる」とか、「燃えカス」、「火煙」・・から連想した「煤」がある。

「煤」とくれば「竃」である。

或いは「トーシミ」、「燭台」である。“火のない所に煙は立たぬ”である。

私は前回テーマの「住」に対して「火廼要鎮(火の用心)」を挙げた。

防火に住まいを守るというテーマであった。

消防バケツをもって住まいする町を守るということだ。

二匹目のドジョウを挙げるわけにはいかないが・・・今回は町を守る「火消し」にしたい。

「消防団」はどういうところで活動しているのか。尤も防火を目的とする自警団。

いざという時のために何をしているのか、である。

そうであれば、とんど火の後始末や火消しの道具がある。

消防車や消防ポンプの手入れとか消防用水場の検分などもある。

先日、お会いした村の役員が云った。

どこの誰なのか知らないが、村の貯水場の上に車を停めた人がいたので注意した。

駐車禁止の表示もしている防火用水槽の蓋の上に停めていた件であった。

火災類焼に繋がる行為は絶対にしてはならない。

村であっても町であっても駐車禁止にしているのは消防署の真ん前に停めることである。

真ん前の一般道路には停止しないように区切り表示をしている。

例え、信号待ちであっても、その区域は停めることならず、である。

テーマは決まったが、訴えるような写真になるかどうかは別問題。

ただ、意識しておれば、自然とシャッターを押すことになるだろう。

今回は仮であるが第8回目のテーマが「火」に決った。

開催月は11月になると想定できるが、出展の締め切りは7月。

7カ月も前に決ったのだから、チャレンジ期間は長目。

いつも早くテーマ決めをしてくれと云われるが、こんなけの期間があれば大丈夫だろう。

それとも締め切り間際になって“お尻に火がついた”ってことはないようにしてもらいたいものだ。

(H29.12.22 SB932SH撮影)
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長雨に集中豪雨をもたらす台風21号の影響は広い地域に

2019年01月20日 09時34分10秒 | メモしとこっ!
大型の台風21号の接近に伴い、午後の5時から8時にかけて奈良県内各地に避難勧告が発令された。

日曜日だった10月22日である。

風雨吹き荒れるその日は行事が多い。

中止若しくは延期を決断した地域は数多かっただろう。

避難勧告の発令地域は山添村、桜井市に天理市、三郷町、川西町、王寺町、斑鳩町(※一部)、広陵町、御所市、明日香村、下市町、宇陀市、十津川村、野迫川村だった。

午後8時現在の大量雨量を示す真っ赤なサイン地域は三重県に移っているが、大和川上流にあたる地域は氾濫危険水位(※レベル4)に到達したと発表」された。

氾濫のおそれがあると発表された地域は奈良県内だけでなく、西に位置する大阪府の堺市や太子町、河南町、柏原市。

石川から大和川にかけての氾濫危険地域。

住民への避難指示が発令された。

馴染みのある河川が氾濫しかけているという状況である。

そのうち、奈良県でも氾濫するのではと思っていた矢先に発令される奈良県内の浸水想定地域。

住まいする大和郡山市の佐保川に天理市、三郷町、斑鳩町、安堵町、川西町、三宅町、王寺町、広陵町、河合町・・。

一時間後の午後9時の情報に三重県の名張市の名張川は氾濫が発生(※レベル5)したと伝えていた。

名張川は一級河川。

地域によっては川幅が広いところもある。

名張川は三重県から奈良県、そして京都府南部に注ぐ大河。

いったいどこが氾濫したのか、と思っていたら、次いで発令された氾濫情報は宇田川であった。

パソコンで大雨警戒情報を見ていたが、衆院国政選挙の結果が続々と映し出されていたテレビ画面に気象情報が並列で伝えられる時期に来ていた。

選挙の結果は大方が判明した。

その後の状況は大きく変わらないだろう。

むしろ、今、情報が必要なのは気象情報である。

刻々と変化する長雨に風雨も厳しくなってきた。

大河が氾濫するとなればたいへんなことになる。

そう、思ってテレビ画面に集中した。

午後10時。より一層厳しい避難指示が発令された地域は・・。

避難準備からいきなりの避難指示が発令された生駒市を筆頭に王寺町、三郷町、東吉野村、十津川村である。

また、避難勧告が発令された地域は宇陀市、河合町、安堵町、東吉野村、広陵町、三宅町、斑鳩町、三郷町、桜井市、天理市、川西町、明日香村、下市町、野迫川村、御所市、山添村、明日香村である。

さらに、土砂災害の恐れがあると避難勧告された地域は天理市、桜井市、御所市、斑鳩町、安堵町、川西町、三宅町、明日香村、広陵町、河合町、下市町、野迫川村、東吉野村である。

午後11時。大和川の増水でJR大和路線の王寺―三郷間が冠水したという情報もある。国道25号線は通行止めだ。

冠水で済めばいいのだが・・・。

王寺、亀の背区域は県内各地の河川から流れた川の水が集約されて一本の大河となって大阪湾へと流れていく。

奈良盆地に降った豪雨が一挙に集中することになれば河川は溢れる。

溢れが拡がれば盆地全体が水で埋まる。

まだまだ稲の刈り取りをしていない地域もあるから影響は甚大。

そこまでくれば・・と思うと眠りになかなかつけないが、布団にもぐり込んだ身体は温もって、知らず知らずのうちに夢の中。

ふっと気がついた時間帯は午前1時。

2時間も寝ていた。

現況をしりたくなってテレビをつける。

そのころの我が家は大風に見舞われていた。

ガタガタ震える雨戸をすり抜けてガラス窓は障子も隙間風がすぅーー。

午前1時半。

気象台の情報によれば奈良県・三郷町を流れる大和川を映し出していた。

映し出されたテロップは「三郷町 立野南 立野北地域に氾濫発生 厳重な警戒に身の安全確保を」だ。

アナウンサー「夜遅い時間帯です。

身の回りの状況を確認し、できるだけ安全な場所で身を守ってください」と伝える画面右下に与党は307、野党は142の確定当選者数が出ていた。

午前1時40分。

河川の避難判断水位情報が各地区・河川ごとの次々と発表される。

奈良市を流れる能登川、五條市を流れる丹生川、大淀町を流れる吉野川、橿原市・高取町・御所市を流れる曽我川、橿原市・三宅町を流れる飛鳥川、橿原市・桜井市を流れる寺川、香芝市を流れる葛下川、生駒市を流れる竜田川、広陵町を流れる葛城川、宇陀市を流れる宇陀川である。

これら河川すべての流量が大和川に流れ込む。

午前2時の避難指示。

大阪府、京都府、兵庫県、三重県、和歌山県に奈良県である。

奈良県外であっても避難指示が発令された地域が行事取材させていただいた地区や親族が住む地域であれば、気になるもんだ。

それだけに今回の発令地域はメモに残しておきたい。

大阪は東大阪市の山側、八尾市、河南町の持尾・北加納・大宝などだ。

京都は木津川市全域、南山城村の南大河原・田山・高尾、

奈良は王寺町の王寺・九度・本町、明日香村の細川、川西町の保田・南吐田、河合町の長楽・市場・城古・大輪田・城内・泉台・穴闇・西穴闇・池部・薬井、三宅町の小柳、東吉野村の小川・小・小栗栖・中黒、三郷町の立野・勢野、生駒市の西松ケ丘、十津川村の滝川(※19世帯・38人)。

また、指示よりも緩いが避難勧告が発令された地域は、大阪市の住之江区・住吉区、東住吉区、平野区の一部地域、富田林市の流域地域、能勢町全域。

京都は木津川市全域、南山城村の全域。

奈良は香芝市の穴虫・関屋、川西町全域、大和郡山市の筒井町・下三橋町、稗田町・若槻町など佐保川流域10地区。

三宅町は小柳地区以外のすべての地域。

安堵町の笠目・窪田・柿の里・若草の里・西安堵・岡崎、斑鳩町の阿波・目安・高安・小吉田など大和川流域にある11地区。

下市町は北部から中部にかけての一部地域。

広陵町の広瀬・大場・中・的場・弁財天・南・萱野・百済・南郷・古寺。

多武峰や初瀬、出雲など桜井市南東部の山沿いの50地区。

大宇陀の下茶・下本・下中、下出口・小出口・西山川向。

川西町全域、天理市の山沿い8地区に中山町・萱生町・竹之内町・乙木町・園原町・柳本町・渋谷町。

十津川村の他、山添村、野迫川村の全域に明日香村や御所市の一部地区。

午前3時・・。

各地区・河川の避難判断水位情報はさらに増加する奈良市を流れる能登川・地蔵院川、大和郡山市を流れる地蔵院川、五條市・下市町を流れる丹生川、大淀町・吉野町を流れる吉野川、橿原市・高取町・御所市・三宅町を流れる曽我川、橿原市・三宅町を流れる飛鳥川、橿原市・桜井市を流れる寺川、桜井市を流れる大和川、広陵町を流れる葛城川、宇陀市を流れる宇陀川・芳野川である。

東吉野村を流れる高見川。

これら河川すべての流量が大和川に流れ込んでいる。

こういった発表をしている時間帯の台風21号はどこに上陸するのであろうか。

静岡県御前崎市沖の海上を北北東に進んでいるようだ。

中心はそれたが、暴風圏内はあまりにも大きい。

さらに強くなった風に家が横揺れしているような錯覚に陥る。

頭の中がもやもや、もやもや・・・午前3時半、ようやく眠りについた。

翌日23日に起床した時間帯は午前7時半。

青空が広がっていた。

ニュースで伝える水害は甚大でもなんでもなかった。

大きな危機は逃れた。

もちろんではないが、樹木が倒れたところもあるし、田畑が水ツキしたとかはあるが、堤防が決壊して家が流されたとか、山崩れで民家が埋もれたということはなかったのが幸いである。

三郷町の冠水は、冠水で終わったようだが、床下冠水で難儀する家もあった。

奈良県の大雨警報情報には未だ避難勧告ならびに避難指示が出たままの地域がある。

翌月曜日の23日午後6時現在の奈良県の大雨警報情報によれば、避難勧告地域は桜井市の大字倉橋、今井谷、横柿、北山、西口、下居、多武峰、鹿路、飯盛塚、八井内、針道、百市、南音羽、北音羽、笠、萱森、白河、吉隠、初瀬、岩坂、狛、出雲、小夫、修理枝、三谷、小夫嵩方、芹井、瀧倉、白木、中谷、和田、白河に山添村全域がある。

避難指示地域は生駒市の西松ヶ丘の一部(以前からひび割れが発生していた崩落危険地区)であった。

その日の夕方ニュースが伝える被害状況。

超大型で非常に強い勢力を保ったまま台風21号が奈良県に接近し記録的な大雨を降らせて、川の氾濫、土砂崩れなど大きな被害をもたらせた。

今朝未明までの雨量は五條市で257mm、葛城市で256.5mm、田原本町で215mm、奈良市で197.5mmと4地点で観測史上最も多くなったという。

三郷町龍田南では大和川が氾濫して床上下浸水。

同じく三郷町勢野・東信貴ケ丘。

近鉄生駒線の竜田川駅-勢野北口駅間の住宅地法面が崩れて線路を塞いだことから電車は運行停止。

その法面に建つ住宅の基礎部分がむき出し。

今にも崩れ落ちそうな映像が映し出されていた。

五條市西吉野町を流れる丹生川はスレスレ。

安堵町では田畑などが水没に床下浸水も。

天理市のある地域の共同住宅地や広陵町の民家も床下浸水。

明日香村の岡寺では裏山が山崩れ。

信貴生駒スカイラインは山崩れによって道路を塞いだ。

翌日の火曜日。

24日の夕方ニュースでは三郷町の東信貴ケ丘民有地に16年前に開発した住宅の被害状況の続報。

稲作被害の地域は広陵町、斑鳩町、田原本町の水田が水没。

収穫が遅れていた地域の一部が被害にあった。

水田の水抜きに大わらわになっていると伝える。

また、大阪と奈良を結ぶ阪奈道路も通行止め。

大量の土砂崩れがあった地は東大阪の善根寺付近のようだ。

翌日の水曜日。

25日の夕方ニュース。

県のまとめによれば4棟が全半壊で約300棟が浸水被害に見舞われた。

五條市生子町(おぶすちょう)の1軒は土石流の発生によって土砂が流れて全壊。

下市町は山崩れで3棟が半壊。

奈良市など一部損壊が11棟にも。

三郷町龍田南の被害は床上浸水が28棟に床下が25棟にもなった。

一週間後の30日の夕方ニュース。

今度は台風22号。

2週続きの台風であったが、今回はさほどでなく、被害は22号の台風影響ばかりだ。

21号の影響で町営住宅地斜面が崩落した下市町下市では住民の避難が続いているとか、斜面の土砂が大規模に崩れた吉野町楢井の国道169号は全面通行止めになっていると伝えていた。

被害は国道だけでなく楢井・長崎バス停付近の寺や民家も押し流されていたと報道する。

通行止めの国道169号線を迂回するには吉野室生寺針線から三茶屋交差点を右折れして県道370号線を走るしかない。

今のところ開通の目途がたっていない。

・・12月5日にニュースが伝えた情報によれば、応急措置をした結果、12月8日に通行解除になったという。

悲惨な状況はテレビ報道の映像がセンセーショナル的。

それとは別にFBの知人たちが伝える身近な場での被害状況はとにかく多い。

山添村に住むMさんやOさん、Sさんが伝える村内の至る所で派生した崖崩れに道路も畑も陥没。

生活道路の断線状態も深刻である。

また、同じ東山間部になる桜井市在住のNさんの裏山も崩れたと伝えていた。

東吉野村のMさんは手造りの発電所が損壊。

被害の復旧には時間も労力も要る村費用。

こういった地域被害についてはテレビどころか新聞でも報道されない。

(H29.10.22~30 記)
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民俗話題が広がる懐かしい二人の再会

2018年12月06日 09時49分15秒 | メモしとこっ!
京都府の南山城村高尾の民俗調査を終えて帰路につく。

カーナビゲーションにセットしたのは大和郡山市の自宅まで。

高尾からの戻り道を指示するルートは柳生経由の奈良市内行き。

初めて通る道にワクワクする。

ほんの2kmぐらいだろうか。

開けた地に出たところは三叉路。

左右を走る道路は広くなった。

ここはどこ。

カーナビゲーションが表示した地名は奈良市邑地町。

えっ、ここに出て来たのか。

邑地町といえば水越神社の宵宮を取材したことがある。

当時は取材の細かさは聞き取りできていないが、宵宮に奉納される翁の舞や袖を触るジンパイやふんどし姿で神さんにささげる神事スモウがある。

平成17年の10月8日の状況であるが、未だに翌日の昼間に行われる本祭は見たことがない。

第二日曜日は無理なこと。

諦めの気持ちである。

撮らせてもらった写真に著書の『奈良大和路の年中行事』も献本させてもらった村である。

目と鼻の先に繋がっていた奈良の邑地町と京都の高尾の距離に驚いたものだ。

その先を示したカーナビゲーションは右へいけ、である。

指示にもう反逆するつもりはない。

奈良市内に向けて、GO(ゴー)である。

見覚えのある史跡が右手に見ながらカーブを曲がり切る。

その直後に現われた民家が数軒。

一番手前にあったお家の玄関に注連縄があった。

もしかとすれば、もしかとすれば、と思って急停車。

道路脇に停めて表札を見れば、ここであったのか、と嬉しさがこみ上げる。

興ヶ原町在住のTさんだ。

80歳はとっくにクリアーしている元宮司。

地元興ヶ原町では天満神社の宵宮を取材させてもらったことがある。

平成24年10月15日だった。

その年は宮司の務めをしながら当家も務められた。

宮司は2年前に引退された。

退任および宮司引継ぎを伝える封書をいただいたのは平成28年の4月7日。

宮司職を退職されたのはその年の3月末だった。

その宮司後任に指名されたのは甥っ子の奈良市阪原町に住まいするO宮司。

先代の親父さんも存知している親子である。

O宮司とは前年の平成28年12月4日

引き継がれた山添村大西の稲荷神社の新嘗祭に出会った。

そのときの話題は神職を引退されたTさんのことだった。

通知も、Tさんからの直接の電話も貰っていたから、できる限り、早めにお会いしたいと思っていた。

家に帰れば住居番地はわかるが、なければ聞かざるを得ない。

そう思っていた日々。

いきなり現れたTさんが住まいする家に思わず呼び鈴を押す。

屋内から出てこられたのはTさん。

おおーと云いながら顔合わせ。

何年ぶりにおあいするのだろうか。

たぶん平成24年の天満神社の宵宮が最後だったように思える。

そのときの行事の状況は調査報告書に残された。

その日の基調講演に登場した吉村旭輝さんが天満神社の宵宮を調査されていた。

平成28年11月15日に行われた「農とつながる伝統祭事フォーラム」に基調講演をされていた吉村さん。

神社行事の翁舞を調査された報告書は『奈良県の民俗芸能-奈良県民俗芸能緊急調査報告書-』にある。

詳しくは平成26年3月末に発刊された調査報告書を読んでいただければ幸いであるが、販売はされていない。

最寄りの図書館に置いてあるはずなので是非探してもらいたい。

なんでも大西でお会いしたO宮司から私のことを聞いていたようだ。

甥っ子になるO宮司の父親に嫁いだのがTさんの姉。

O宮司はTさんのことを叔父と云っていたので、親族繋がりがやっとわかった。

高尾の民俗調査の発端は南山城村の北大河原の産直販売店。

その売り場で聞いたカンセンギョ・・・の言葉に反応されたTさん。

それなら我が家でもしているというのだから、これまた驚きである。

今は名誉宮司になられたが、Oさんに引き継いだ兼社は17カ所。

山添村が多いらしいが、宮さん行事以外にカンセンギョの言葉がTさん直々に話してくださるのは光栄である。

供えるところを案内してあげる、といわれてくっついていく。

川沿いの道路に沿って東に数百メートル。

大きな木がある。

その木は太くなったフジツルが絡んでいるカシの木。

その下に大岩があるという。

昭和2年に拡張された道路によって大岩の頭の部分が動いたらしい。

大岩には由来があるというTさんは昭和4年生まれ。

現在88歳である。

道路格闘時代はまだ生まれてはいないがその由来とは・・。

なんでも豊臣秀吉の時代になる。

大坂城築城の際に地方から寄進された大岩は城造りの石に利用された。

秀吉から命令がきた興ケ原町はそうしたか、である。

秀吉を命令を避けるためには大岩が動かないことを示したい。

それが理由にした地蔵石仏に転化した。

地蔵さんであれば命令に背いたことにはならず、動かせないという理由にしたのである。

結局は運べという話しは消えた。

その地蔵さんはカシの木の下にあると云って案内する。

どこをそう探っても地蔵さんの姿は見えない。

Tさんがいうには深彫りの地蔵さん。

線刻であれば、見つかり難いが、深彫りであれば・・と思うのだが、見つからない。

そういう結果であったが、カンセンギョに供える場には違いない。

大寒の日になるのか、覚えておられなかったが、家族の何人かが膳に盛ったアブラゲメシを供えにいくというから、是非とも、である。

ちなみに稲荷講に属しているT家であるが、講中の皆がそこへ供えることなく、T家だけの特有の祭り方である。

稲荷講は真言宗御室派安楽寺に属するようだが、寺行事ではないカンセンギョが行われると想定される日が近くになったころにお電話をさせていただくことにした。

ちなみTさんが出仕していた山添村の各村。

今年の1月のオコナイを取材させてもらった鵜山もあれば、葛も、である。

両村とも実は三重県に同名の村がある。

いずれも明治時代になってから分かれた村である。

T家を離れて再び街道に戻る。

ここから次の村が柳生である。

橋架かりに信号機がある。

ここまで来れば通り過ぎるわけにはいかない。

これもまた何年もお会いしていないI家がある。

Iさんは現職宮司。

なにかとお世話になってきた宮司家の前を通り過ぎてしまったら罰が当たる。

運転するハンドルが意思を伝えてくれて右に切る。

目の前にI夫妻がおられた。

運転席から手を振ったら、気がつかれた。

Iさんも、先にお会いしたTさんも賀状のやりとりをしている。

短い文で私の病いのことを伝えていたから、自ずとその話題になるが、こんなに元気になった顔に二人とも喜んでくれたのが嬉しい。

話題開口一番は奈良交通が動いてくれる神社巡り団体参拝ツアー。

ツアーコンダクターがなんと、なんとの南都銀行ではなく、奈良交通社勤務のTさんであった。

TさんがIさんも存じている写真家Nさんと写真で繋がっていたことを知って、どこでどう繋がっていくやら・・と驚いておられた。

久しぶりの顔合わせにやはりのIさんが出仕されている地域の行事話題。

中ノ川町の行事はIさんのおかげで宵宮を取材したことがあるが、近隣になる東鳴川町は未だに行けていない。

場所も知っているが、地区の長老とお会いできていなくて、そのままになっている。

Iさんが云うにはお供えにシトギ(粢)がある。

シトギの原材料は粳米の殻付き玄米。

その殻を除去するには板擦り作業がある。

板に挟んでゴシゴシ。

取れた殻は口で吹いて飛ばす。

まるで唐箕のように風起こしで殻を飛ばす。

奇麗になった玄米は粉挽きする。

米粉にしたら練りに入る。

練りに使う水分はお酒である。

アルコールは蒸発してしまうというシトギ作りは、それで終わりでなく、厚さが数センチの丸型に広げて出来上がり。

もう一つの特徴は重箱詰めの手造り料理である。

重箱は三つ。

一つは煮た捻りコンニャク。

二つ目に白菜のおひたし。

三つ目のお重は細い姿の酢ゴボウ。

これらお供えは下げて直会でいただく。

お重の料理は味付けしているからすぐ食べられるが、シトギは電熱コンロで焼いて食べるそうだ。

その行事日は第二日曜日。

諦めるか、それとも・・。

(H29. 9.19 SB932SH撮影)
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『奈良で出会う・天皇になった皇女たち』刊行記念懇話会in元履物屋のふくせ会場

2018年11月24日 09時09分57秒 | メモしとこっ!
知人の編集者が編集を出かけた本が出版される。

その刊行記念に大和郡山市にやってくると伝えてくれた京都を代表する出版社・淡交社の編集者。

著書の『奈良大和路の年中行事』を編集の第一号に飾ってくれた恩人である。

もう何年ぶりになるのかわからないほどブランク期間はあったが、メールや電話のやり取りで繋いでいた。

特に電話で伝える近況はどうしても長話に発展してしまうのが、難点であるが・・。

お会いできる機会を伝えてくれたのが嬉しい。

その場に来られる二人が居る。

その二人が著者である本は発表されたブログから発展したご本。

お名前もお顔も存じていないが、詳細に奈良を語るブログ記事は拝見・拝読していた。

えー加減なブログがある中、それは秀逸な存在。

よく調べているものだと思っていた。

ときには先を越されてしまった、と思う記事もあるが、行事や習俗までは取り扱っていないように見受ける。

さて、刊行記念懇話会が開催される場は大和郡山市内のど真ん中。

もちろん城下町内である。

会場は城下町南にあった橋にかかる大門があった地の近くである。

大門の名前をつけたお風呂屋さんからすぐ近くに店を構えていた元履物屋の「ふくせ」が会場である。

発刊されたご本は『奈良で出会う 天皇になった皇女たち』。

皇女たち一人、一人を紹介する本は今まで見たことがない。

良いテーマに着目されて執筆されたのは生駒あさみさん。

イメージで皇女たちを描く絵師は上村恭子(やすこ)さん。

お二人ともお会いしたことがないからどきどきワクワクする。

会場に入ったとたんに気になったモノがある。

受付されて「いた男性の許可をいただいてケータイ画像で撮ってはみるが、無残にもブレブレ。

灯りが足らなかったから申しわけない画像になったが、2枚のお札の文字を読み取る。

一枚は「家内安全 五穀豊穣 慈照院圓應智覺大姉守護節分大祈祷護符 病難除去 商売繁盛」。

もう一枚は「商賣繁盛祈祷符」である。

神社やお寺であれば、社名、寺名で判断がつくが、このお札にはそれを示すものはない。

不思議な護符であるが、もしかとすれば、これは、と思える護符の発行者。

このときに到着した編集者が後日調べた結果は、昭和23年に設立された宗教法人のようだ。

護符を貼ってあった場は「ふくせ」の店内。

商売繁盛を願って貼ってもらった護符であろう。

ちなみに「ふくせ」は「福清履物店」、柳町商店街に架けていた店札が残されていた。

会場はお店より奥にある。

鰻の寝床の最奥である。

奥に通じるところどころに生活民俗がある。



レンガ造りでこしらえた竃がある。

レンガは崩れている竃に煙出しの煙突もある。

もっと奥には蔵もある。



今では生活感すら見られない鰻の寝床造り民家であるが、思わずケータイ画像で撮らせてもらった。

残された生活民俗を編集者とともに拝見していたら、開演時間になってしまった。

上座に座った著者に絵師。

進行役もそうだが、5人は著者らとともにならまちで活動している人たちだ。

話題は主役の『奈良で出会う天皇になった皇女たち』。



本になるまでの経緯を話してくださる。

生き生きと話される彼女たちの話題提供にふむふむと頷く。

この日はもう一つの発信がある。

5人は「フルコト」仲間。

活動の一部はテレビや新聞にネットも取りあげられたことはあるが、お店には行ったことがない。

なんとなくの雰囲気はあるが、これといって・・という実感が浮かばなくて申しわけない。

予告していた発刊日が遅れ、遅れのお詫び報告も兼ねたフルコトが発信する『比礼ふる』創刊号記念もあった刊行記念懇話会。

聴講していた人たちは女性がほとんど。

以前からお知り合いというか、旧来のフアン層のようにも思えた会場は熱気に溢れていた。



報告会が終われば著書を求められた人たちへのサイン会。

一同はさまざまに動きだした。

編集・発刊は淡交社の『奈良に住んでみました』もサイン会。

著書夫妻も後ほど名刺交換させてもらった。

落ち着いたところでフルコト5人組も名刺交換会。

会場を出た向こう側に本屋さんを開業している「とほん」さんも名刺交換。



会場におられたフリー編集者にも名刺交換させてもらった。

初めて体験する刊行記念懇話会は終わってからもどきどき感が残ったが、有意義に過ごさせていただいた。

(H29. 9. 3 SB932SH撮影)
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夢のお告げはアウトドア用品

2018年10月21日 13時45分34秒 | メモしとこっ!
就寝してから何時間経ったのだろうか。

夢見のドラマは9月に行く十津川遊び。

簡易キャンプ地に折りたたみ式テーブルが登場しかけた。

車の中に積んできたはずだが、見当たらない。

どこを探してもみつからない。

仕方ないから、地べたに座り込んで食べていた。

料理は、といえばテーブル。

まな板、ボウル、紙皿などに肉、野菜切り。

料理にとりかかりたいが、テーブルがない。

困った顔で決断したまな板置き場はクーラーボックスの上蓋。

背が低いからなんとも料理がしにくいし、出来上がった料理も並べられない。

汗、汗・・・に目が覚めた。

そうだ、今年はUさんが不参加になったからテーブルもイスもない。

おふくろは10日前から屋外での自力歩行が不可能になった。

屋内であれば伝い歩きでなんとか暮らせるわけで我が家に生活を移した。

通っていた整形外科に内科医師は大阪市内の住之江。

お盆が明けた診察ついでに立ち寄ったおふくろが独りで暮らしている5階建て市営住宅のゴミ捨て場。

これは、と思ったモノが捨ててあった。

青い物体はどこやらでも見たことがある。

レバーを降ろしてみれば中身はイス付き折りたたみ式テーブルだった。

それに貼ってあった捨て主のメッセージ。



「おりたたみ式 イス付テーブルです 必要な方はどうぞ 3日後に粗大ゴミシール はります」だ。

夢のお告げはありがたく頂戴させてもらった。



ゴミ捨て場には黄色いパラソルもあったが、他に必要とされる方に残しておこう。

(H29. 8.17 SB932SH撮影)
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語り会場のプロジェクター接続テスト

2018年08月06日 08時57分28秒 | メモしとこっ!
この年の7月21日は講演会。

聴講ではなく、私自身が解説する講演会である。

会場は施設の橿原市商工経済会館。

場所は久米町にある。

主催は橿原市の橿原市まほろば大学校。

市教育委員会が2年単位に募る市民の学びの講座。

参加できる対象者は60歳以上になる。

高齢者支援の生涯学習・スキルアップ講座は生活科学、美術・工芸、歴史・郷土、国際関係、文学、スポーツ・保健、政治・経済、福祉・ボランティアの8コース。

どれもこれも人気のコースらしいが、一番は歴史・郷土になると事務長は話す。

そのコースに付随する特別コースが「民俗クラブ」。

主宰は代表の鹿谷勲さんが率いる奈良民俗文化研究所である。

鹿谷さんからの伝言は「撮った民俗写真をもって講演をしてほしい」というお願いである。

その件を伝える電話をもらったのは平成28年9月30日だった。

何回かの講演経験があるし、私でお役に立てるならと思って、ためらいもなくお受けすることにした。

この件は11月1日にも電話があった。

念のためと思われてことだろう、ではなく講演日程が確定したという連絡だった。

テーマは「奈良の民俗を撮る」である。

民俗を素晴らしい写真で紹介している野本さんにもお願いされている講演会。

さて、講演の内容はどれにしてみるか、である。

数多くの伝統的な行事や風習を記録してきた私は“選び”に悩ませる。

計画された予定日は都合によって一週間早まった。

決定した日が7月21日。

せめて一か月前には、何をテーマにどのような行事写真を紹介していくか、明確にして、講演するストーリ・シナリオの組み立てを終えておかなければならない。

ストーリー作りの作業に入ったのは5月11日。

だいたいのストーリーが頭の中に浮かび上がってだいたいの路線を構築しかけてきたので紹介する写真の抽出である。

これまで取材した奈良県内の行事取材数は1780行事。

この講演会で紹介するのは橿原市内で行われている年中行事である。

聴講される方々は市内に暮らす人たち。

少しでも知っていただけたらと思ってテーマは橿原市の年中行事にした。

これまで取材した行事はデータ化して地域別にキーワードを施している。

私が地域を調べて作ったエクセル・データベースより「橿原」をキーワードに抽出すれば90行事がでてきた。

そのすべてを取材したわけではない。

あくまで私的に調べた情報であるが、うち、取材した行事数は40行事。

半分未満である。

地元民から聞いている行事のすべてを取材するには年齢的なこともあるし、奈良県全域を対象に廻っている私にとってはとても無理なこと。

健康体である限り、せっかく教えてくださった年中行事は記録しておきたいが・・・。

何人からは橿原市の行事は少ないと聞いている。

鹿谷さんもそう云っていた。

少ないがどうかはわからないでもないが、情報が少ないのかもしれない、と思っている。

どこの市町村でもそうだが、公的機関はイベントをするが、地域の民俗行事にはあまり関心がないようで、ぞんざいだ。

有形文化財はたいがいの市町村に登録されている。

市町村の歴史・文化も調査されて市史等に記されている。

もちろん無形民俗文化財もあるが、これはというものばかり。

当然なことであるが、地域の人でも知らない行事なんてものはいやっちゅうほどある。

あるにはあるが知られていないだけだ。

決して隠しているわけではない。

ましてや「講」の行事や民家の習俗、あるいは民間信仰ともなれば発表されることもないから人知れず消えていくことになりかねない。

私はどちらかといえばこういうマイナー的な民俗を記録してきた。

尤も名高い登録行事の取材もしているが、なにが大事かといえば地域文化である。

特に人から人へと紡いできた民家の習俗行事が大事だと思っている。

引き継ぐ人がいない、引き継ぐ意思がない。

理由はさまざまであるが、現にいつのまにか廃れて消えてしまった行事なんてものは、ごまんとある。

そう思うのである。

「橿原の年中行事」をテーマにシナリオ作り。

1時間半で伝える講演は、写真で紹介する橿原市の「県指定無形民俗文化財行事」、「ノガミ行事」、「ツナカケ行事」、「オンダ行事」、「初午行事のハタアメ」で繋ぐ5章立てにした。

本日は写真映像を映し出すプロジェクターの接続テスト。

どのような展開で講演するのか応対してくださった事務長に伝える日でもある。

講座を受ける人たちは定年直後の人でもなくだいたいが70歳前後になるそうだ。

前回の5月12日に講演された鹿谷さんの講座には40名近くが集まったという。

勉強熱心というか、橿原の歴史文化を知りたくて・・というような人が多いのであろう。

奈良民俗文化研究所が主宰するまほろば大学校で開催される「民俗クラブ」は一年に8回。

大きなテーマは「日本の民俗を読む・撮る」である。

構成に映し出す写真の外観が掴めたらどういう展開で話を進めていくかのストーリー作り。

執筆お始めたのは6月13日。

ほぼ95%のデキ。

煮詰まったのは6月22日だった。

ここまでくれば一段落。

ツメや〆の部分は後回しにして、まほろば大学校の事務長に伺いたい。

そう、思って訪れたこの日である。

問題は私がいつも自宅で活用しているパソコンとの相性である。

かつて大和郡山市の施設である市民交流館に勤務していた。

貸会議室の運営が主であるが、訪れる突然の観光案内もしていた。

会議室利用に施設什器のプロジェクターが無料で利用できる。

お客さんは自前のパコソンを持参してもらって什器を利用するのであるが、なんせ持ちこまれるパソコンが多種多様なだけにぶち当たる問題も度々あった。

その都度に反省し、より広くの人たちに利用していただけるよう改善してきた。

プロジェクターは利用者自身でも簡単に接続できるようにわかりやすい説明図を作った。

接続図はもちろんであるが、接続を単純化表現にしてわかりやくした。

また、パソコンによっては映像出力切替ファンクションが異なることから、メーカー別の表も作った。

説明書はA4一枚の裏表表記。

世界的に利用が最も多いWIN向けに表記した。

接続ケーブルは数種類用意して備品化しておいた。

ただ、Macの場合は接続アダプターが高額なこともあり、利用者数が少ないという判断で購入はしなかった。

もうしわけないが利用者ご自身でご準備願うことを利用申請される段階で確かめることにした。

7年半も携わっていたが、無理を云う人はおられなかった。

みなさん、納得されていたのである。

A4裏表一枚で表記した説明図を作ったわけはもう一つの理由がわる。

市民交流館の職員は私同様にみなが臨時職員であった。

職員は年末年始の4日間を除く毎日の朝9時から夜9時までが利用できる施設。

職員3人が交替勤務をして利用してもらっていた。

私の元職場は情報処理会社。

一般の人よりかは少しだけの専門家。

他2名の臨時職員は専門家でもない。

一般市民に遅滞なく説明するにはマニュアル化した方が良かろうと簡略化した説明書を作ったのである。

おかげさんで説明書がわからなかった人はほぼ皆無だった。

まれに映像が出てこないという苦情はあったが、状態を見にいけば、説明図と違う接続をしていた。

利用者の勝手な解釈をしてしまうとそうなるのである。

苦情を伝えた利用者とともに説明書に沿ってゆっくりとしてもらったら映像が出てきた。

ありがとうございます、と云われたときはとても嬉しかったなと思い出した。

今回、接続するにはまほろば大学校にあるプロジェクター備え付けの接続ケーブルである。

さあ、パソコンにと思って端子を探すが見当たらない。

これには焦った。

直近にあった講演会は地元大和郡山市社会福祉協議会向けの民俗講演であった。

そのとき以来の講演で安心しきっていた。

このときも社会福祉協議会のプロジェクター。

難なく接続できて映像も問題なく出力できた。

なぜだ。

思い出したのはその直後にパソコンが壊れたことだ。

買い換えたゲートウエイパソコンは接続仕様が変化していたことに気がついたが、この日の接続には間に合わない。

まほろば大学校にあるのはVGA接続ケーブル。

諦めて私が持参していたUSBケーブルで繋ごうとしたがこれもまた出力しない。

あとから気がつけば、それはないだろ、である。

尤もパソコンによってはメーカーごとにファンクション切り替えを要する。

記憶にあるのは[Fn]+[F8]であるが、どうやら違う。

これもあとでわかったが、そりゃそうだ、である。

もし、映像が外部USBにあるなら、まほろば大学校のパソコンで試すことができますが、と云われてそうする。

映像データは小型のハードデイスクがある。

いつも利用しているハードデイスクは必需品。

これをまほろば大学校のパソコンにUSB接続してしれば・・出力した。

ほっと一安心するが、まほろば大学校のパソコンの操作がゲートウエイとはまったく違う。

メーカーが違うのは当然であるが、WINのバージョンが以前のもの。

操作方法に慣れがないものだけにオロオロして誤操作ばかり。

これでは当日に戸惑うこと必死になってしまう。

なんとかしますとと広げた道具類をバッグに詰めて家に帰った。

バッグから出てきたケーブル。



三本穴がある電源ケーブルは私のものではない。

明らかにまほろば大学校のパソコン電源ケーブルだ。

誤って持って帰ってきてしまった。

大急ぎで連絡するが、時間は午後6時を過ぎていた。

仕方なく、ケーブルの写真を撮ってまほろば大学校にメール送信した。

返事は日曜明けになるだろう。

その間に解決しておきたいプロジェクター接続ケーブル。

ネットで調べてみればすぐにわかった。

買い換えたゲートウエイパソコンは最新型のNE512-F14D。

ML6020Jの端子はVGAであったが、薄型のNE512-F14DはVGA端子がない。

代わりにあるのはHDMI端子である。

まほろば大学校のプロジェクターも最新型。

VGA端子もあれば、HDMI端子もある。

古い機種も新しい機種にも対応できるようになっているから、HDMI-HDMI接続ケーブルであれば繋がるのである。

買い求めた電気屋さんはイオン大和郡山店内にあるジョーシンの大和郡山店。

売り子さんに尋ねたら品物が並ぶ棚を案内された。

ネットオークションであれば500円ほどで売っている接続ケーブルがなんとお高いことか。

3千円もするケーブルはパソコン付属品コーナーに売っていたが、これらはパソコンメーカーもの。

サードサプライであればもっと安いものがあるのでは、と思ってお願いしたらテレビを並べている棚を案内してくださる。

同じようなHDMI-HDMI接続ケーブルであるが、これなら買えると思ったが、接続ケーブルの長さによって値段に幅がある。

ケーブルの長さは市民交流館に勤務していたから適切な長さというものは頭の中に入っている。

利用者が持参するパソコンの位置は必然的に決まる。

その位置からケーブルを繋げてプロジェクターに投影するのだが、どこに設営するのかで決まる。

どこというのは投影するスクリーンの位置で決まる。

ある程度の距離がいるし、映す大きさ、角度も考慮する。

必然的にスクリーンより外す。

しかも、だ。

もう一つ、考慮しなければならないのがプロジェクターの空冷フアンの風である。

生ぬるい風が聴講者にあたらないような位置にプロジェクターを設営する。

こうした条件に見合うケーブルの長さである。

テスト接続させてまほろば大学校に合わすなら長さは2mで十分だ。

尤もまほろば大学校のVGA-VGA接続ケーブルもたしか2m。

そう判断してジョーシン電気で買った製品はエレコム社製。

製品はケーブルの質によって金額が異なる。

一般的に勧められるケーブルは硬質。

頑丈だからだ。

私が買ったのは柔らかいケーブル。

ケーブル品質はいずれも同じなら使い易い柔らかケーブルを選ぶ。

硬質よりも、若干安かった製品は10%引きの会員特典を利用して1800円弱で購入した。

そして、26日の月曜日。

花園町で行われる魔除けの紫陽花取材に出かける直前に電話が鳴った。

まほろば大学校の事務長からだ。

添付した誤って持って帰った電源ケーブルの画像はなぜかはじかれて届かなかったが、ケーブルはやはりのまほろば大学校の備品。

木曜日の29日には使うというから急がねばならないが、火曜日の午後が可能いうことでこの日もやってきた。

電源ケーブルを返却してプロジェクターの接続ケーブルの再テスト。

持参したHDMI-HDMI接続ケーブルを繋げたら一発でスクリーンに投影された。

しかも、だ。

HDMI-HDMI接続ケーブルであれば、パソコンの音声も出るはず。

ケータイ電話で撮った動画をパソコンに納めている。

今回の「橿原の年中行事」にも登場する予定である。

その一つをクリックしたら大きな音でプロジェクターから聞こえてきた。

ボリュームも適度に調整できる。

事務長が驚かれたのはいうまでもない。

これでテストは完了。

まほろば大学校もケーブルを考えなければという事務長には私が買ってきたエレコム社製のHDMI-HDMI接続ケーブルを納めていた箱を提供した。会

計に頼んで備品の一つとして購買しておきたいと云われた。

利用者のためにもそうしてあげてください、である。

(H29. 6.23 SB932SH撮影)
(H29. 6.27 記)
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旧都祁村荻の村産直販売所

2018年04月23日 08時30分11秒 | メモしとこっ!
前々からそこにあったと思う。

いつから見かけるようになったのか、それは覚えていない。

いつのまにかあった村の販売所は大野橋直売所末広屋。

下荻共同製茶工場横にある施設である。

そこにあったと気がつくのはいつも山添村の大字北野にある大橋の信号を曲がって峰寺から的野を抜けるコースを選んだときである。

南に向かって走っていけば集落が見えてくる。

左に折れば奈良市の下深川町。

そのまま突き進めば奈良市の荻町(おおぎちょう)。

いずれも旧都祁村になる。

つい先ほど走ってきた的野の南にある地域は旧荻村の出屋(でや)。

そう話していたのは北野の大橋の住民だ。

また北野にある杉原地区がある。

その地は現在、山添村に属しているが奈良市の下深川町の出屋になる。

明治時代に行政区割りが決まって現在の村に属しているが、奈良県内ではこういうことがままあると聞いている。

たぶんに藩領が違うためであろう。

それはともかく話を戻して荻町。

その一角に村で採れた野菜などを販売している。

通りすぎる際に目に入った売り物。

季節は覚えてないがお弁当のようだった。

停車しなければわからない村の販売所。

この日はその前で網焼きしていた。

窓を開けたら旨そうな匂いが漂ってくる。

炭火で焼いていたのは猪肉だ。

網に広げているから香ばしい匂いに釣られて車を停めた。

売り子のおじさん曰く、味付けは2種類あるという。

一つは塩焼き。

もう一つはタレ焼きである。

いずれも一枚は試食させてくれる。

塩もタレも美味いが私はタレ焼きを選んだ。

焼いたシシ肉はパックに詰めて売っていた。

値段は1パックで500円。

何枚入っているかは見えない。

お昼ご飯か帰宅してから食べようと思って購入した。

なんでも5月3日に行われる神野山つつじ祭りにも出店するそうだ。

さて、店内では採れたて野菜というよりも山野草だ。

ウドにコゴミやワラビ、ほうれん草などを袋詰め。



どれもこれも1袋でたったの百円。

ここにもコゴミを売っていたのが嬉しい。

食べられる山野草はもう一つ。

セリである。

昨今はセチ鍋で有名になった美味しい野草。

売り子のおばさんたちに聞けば食べたことがないという。

セリは独特のアクがあるからよう食べやんというわけだ。

村の人が食べられないものを売っているのはわかるとしても美味しくいただける料理法は紹介してほしい。

で、ないと食べ方はお客任せということになる。

食べ方を教えてもらって家で料理する。

それが美味しければ、また買いにくる。

リピータの声が広がれば売り子も張り合いがでる。

私はそう思うのだが・・・。

ちなみにこの村の販売所には自家製の食べものがある。

パックに詰めたチラシ寿司にイロゴハンだ。



見た目からして美味そう。

そう思って買ったイロゴハン。

チラシ寿司も食べたいがお腹は受け付けない。

量が多くて受け付けないのだ。

じつはこれらも1パックで百円。

なんとまぁ、の価格帯に笑いが止まらない。

帰宅してから楽しみにしていたタレ焼きのシシ肉を味わう。

サラダの皿半分に盛ったシシ肉。

パックを開けるなり臭いと云い放ったのはかーさんだ。

そうか、そう思うか。

私も気にしていた臭い匂い。

車の中でもかすかに匂っていた。

なんの匂いかわからなかった。

帰宅して車から取り出すとき、これだと思った匂い。

鼻につくというか、味わったことのない匂いである。

我が家の食卓に今夜のごちそうがある。

それらすべてが同じように匂ってしまうぐらいに強烈だ。

なんとか食べてあげようと思って口に入れる。

脂身がまったくないシシ肉は堅い。

スジもあるから噛みにくい。

噛んでいる最中に匂いが前面にあふれ出す。

3枚ほど齧ったがどれもこれも臭い。

どちらかといえば獣臭のように思える。

細切れもなにもかものシシ肉はナイロン袋に詰めて匂いが漏れないように厳重に封をしてゴミ箱行き。

部屋の匂いは美味しい香りが漂った。

酒も美味くなった。

私のお腹は、といえばなんともない。

翌日もおかしくはない。

腐ってはいなかったようだが・・・。

もしかとしてこのシシ肉は不味い部位だったのでは。

これまでいろんな人に貰って食べたシシ肉はとても美味かった。

どこへ行っても自慢していたぐらいだ。

漁師の人は解体の際の血抜き処理を間違ったら、とてもじゃないが喰えねぇ、と云っていたことを思い出す。

たぶん炭火で焼いていたシシ肉のうち、一部が十分な血抜きをしていなかったのであろう。

翌月の5日に再訪した村の売り場。

その強烈な臭いの件を話したら・・・。

後日に伝えることの真相。

さて、さて・・である。

(H29. 4.29 SB932SH撮影)
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桜井の竜谷から出雲、そして榛原柳の民俗探訪

2018年02月17日 08時31分38秒 | メモしとこっ!
この日に祈年祭があると思って桜井市の竜谷に出かける。

ところが竜谷の三輪神社にはどなたも現れない。

もしやと思って子守地蔵尊を安置する竜谷寺付近に住むN家を頼って訪ねた。

作業場におられた男性はお大師さん行事に導師を務めた母親の息子さん。

身体の具合は以前にお会いして時よりかはずいぶんと良くなったそうだが、車は運転のできない身。

私も心臓を壊してからは不安な毎日を暮らしているが二人ともなんとか生きていることに歓びを感じているなと云って思わず握手した。

お母さんは元気で畑仕事。

息子や娘たちもそれぞれが独り立ち。

親に世話をかけなくとも暮らしているのが嬉しいという。

思わず、うちも・・と云った。

肝心かなめの行事である。

その行事は神占の頭人定めに大幣を用いてフリアゲをすると記憶にあるが・・・男性の話しによれば秋の祭りに統合したという。

そういえば昨年の平成27年11月3日に訪れた竜谷の三輪神社では神職がフリアゲをしていた。

そうだったんだ。

その場を離れて旧暦閏年の庚申さん行事の正式取材願いをしたく榛原柳に向かう。

竜谷からはそれほど遠くない。

当日の4月2日は平成24年に訪れたものの取材時間が確保できずに断念した出雲の旧暦閏年の庚申さん行事もされる。

時間帯が重なる可能性が高い。高かっても少しでも拝見したく正確な時間を知りたくて榛原柳の再訪である。

数日前、いや昨年も紹介されたものの区長家を訪ねる時間がなかった榛原柳。

きちんとした取材である旨伝えたくて1軒のお家を尋ねたらその下だという。

結論から云えば同時間であった。

訪ねた区長家はT家。

年に6回の庚申講の寄り合いがある。営みの時間帯は夏場、冬場によって若干の時間差を設けている。

ちなみに夏場は午後7時半だが、冬場は7時になる。

それぞれが講中の掛図を揚げて営んでいたが、今は会所で両講中の集まりになったそうだ。

また、願文を墨書したヒノキ材の塔婆をあげる旧暦閏年の庚申行事もある。

閏庚申に奉ったヒノキ材の塔婆は玄関軒に掛けている。

トウヤを務めた家は奉った後に掛けるそうだ。

ヒノキ葉は削らずにそのまま掛けた塔婆は二本。

3文字の梵字がようわからないという。

梵字のことは詳しくないが、かつて天理市山田の蔵輪寺の住職に教えてもらったことがある。

その五文字の読みは「キャ カ ラ バ ア」。「キャ カ ラ バ ア」を意味する五つ漢字が「空 風 火 水 土 」であるが、柳の塔婆は三文字。

もともとからそうだったのか、それともあるときに五つから三文字になってしまったのか、謎だと区長がいう。

なお、柳の村は東出および西出それぞれの伊勢講もしているそうだ。

東出は8軒で西出は4軒の講中。

それぞれが年に2回。

2月の16日と12月の16日の夜にそれぞれの講中にあるヤカタを祭ったトウヤ家で営みをしていたが、今は会所に移っているようだ。

講の行事だけでなく村の行事の数々を教えてくださる。

榛原柳は東出垣内と西出垣内からなる13戸の集落。

2カ月に一度の庚申さんの日は村の会所である長福寺に寄り合う。

現在の長福寺は無住寺であるが本尊由来から想定するに長谷寺真言宗豊山派のようである。

その関係が色濃いのであろう旧暦1月11日に桜井市や宇陀市榛原地区の人たちが三社権現に参る行事もある。

詳しいことは後々に取材させていただくことにして詳細は省くが、蔵出しして発見した掛図に藤原鎌足三尊図がある。

正確な年代は不明であるが百年前の掛図はぼろぼろだったことから、新しく表装をしなおしたらしい。

藤原鎌足三尊図があったということは桜井市の談山神社下にある地域が祭る八講祭がある。

明日香村にも八講祭や同じように藤原鎌足公を祭る明神講もある。

ここ榛原柳にも同じように鎌足公を祭っていた講があったのだろうか。

奥さんは藤原講かも、と口にでた掛図に興味を惹かれる。

三社権現に参拝する権現ドーヤもある榛原柳は隣村の桜井市吉隠と榛原角柄からなる中之郷にあたる。

今年の2月5日が旧暦に1月11日であった。

しかも3年ごとに廻りがくる当たりの年だったという。

確か、カニノモチを供えると聞いているが、なにやらアトトリの男が宣言することによって行われるらしい。

今後ともよろしくお願いさせてもらった区長家の玄関にえらいものを吊っていた。

えらいものというのは江戸時代の木製消防ポンプである。

その名も龍吐水。嘉永二年(1849)の刻印があったので製造時代もわかる代物に竹編み籠に柿渋で貼った水溜め用のバケツもある。

その数、10個もある。

これまで見たこともない貴重な年代物の和式バケツには驚いたものだ。

排水用の木製ホースは屋内座敷で保管している。

篠原神社でもらってきた竹で挟んだごーさん札もある。

民俗行事に欠かせない祭り道具は他にもありそうだが、本日は挨拶伺い。

ぼちぼち取材させていただくと失礼させてもらった時間帯は午後12時半も過ぎていた。

ちなみに近鉄電車を見下ろす位置に建つ小社は四社大明神。

向かい側に旧長福寺がある。

さて、昼ご飯はどうするか、である。

頭の中をあれやこれやの頭の中でぐるぐる回る廻り燈籠。

場所は決まったが途中で場所の再確認をしておきたい桜井市の大字出雲に立ち寄る。

十二柱神社の鳥居に掛けてある太い注連縄に度肝を抜かれるが、あれぇ、である。



三つの垂れ房もそうだが、5年ぶりに訪れた本日の注連縄は巨大化していた。

なぜに巨大化したのか。

一般的な事例でいえば縄結いができなくなって細くなるのが常。

ところが出雲では逆に巨大化した。

機会があれば経緯を聞いてみたいものだ。

どれぐらい大きくなったのか。



参考までに平成24年の4月7日に訪れたときに撮っていた注連縄と比較していただきたい。

驚くばかりの変身ぶりにたまげたのである。

それはともかく十二柱神社が鎮座する大字出雲を東西に結ぶ旧道がある。

江戸時代は伊勢詣りをする人たちが往来していた伊勢街道である。

集落南、すぐ近くにある国道169号線が幹線道。

多くの車が往来する道が主道になった。

さて、十二柱神社である。

史料によれば、神社狛犬の台座の造りに特徴がある。

台座を支える姿は力士像。

左右それぞれの台座に4体の力士が支えているので拝見されたい。

文久元年(1861)建之された狛犬台座の力士は筋骨隆々。

出雲といえば島根県であるが、ここ大字も出雲。

古来、島根出身者がこの地に移ったからその大字名になったという説がある。

出雲といえば日本書紀に登場するスクネ(能見宿禰)。

垂仁天皇7年、天皇の命によりケハヤ(當麻蹶速)と相撲をとるために出雲の国から大和の国に出てきたとある。

その説から十二柱神社の狛犬台座に力士像が建之されたというが、同じような形、力士姿が支える台座は他所にもある。

桜井市山間部になる大字萱森に鎮座する高龗神社である。

当社の由来に力士の存在はない。

力士台座の一例ではあるが、同じ説ならここ萱森もスクネ(能見宿禰)説があっても良さそうだが、まったくない。

説を唱える人たちは萱森にある狛犬台座のことは存じていないのだろうか。

ただ、興味深いのは建之記銘である。

萱森の台座は文久二年(1862)二月。

十二柱神社の台座建之の一年後の記銘である。

作風も似ているようなので、作者との関係性があるのかもしれない。

(H24. 4. 7 SB932SH撮影)
(H29. 3.27 SB932SH撮影)
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奈良県下全域から初午御供のハタアメが消えた

2018年01月14日 09時41分52秒 | メモしとこっ!
午前中は大宇陀野依の取材があった。

昼食を済ませて平坦部に下りる。

数年前から求めている県内事例にある「ハタアメ」の調査である。

時間的な余裕もないので2カ所に絞った。

1カ所目は大和高田市岡崎の岡崎稲荷神社。

もう1カ所は広陵町中の小北(こぎた)稲荷神社である。

コースの都合上もあるが、まずは岡崎稲荷神社。

先月の2月3日も訪れた岡崎であるが、神社の所在地さえまだ掴めていなかった。

岡崎に春日神社があると分かったが、稲荷神社の所在地である。

鎮座地は3日に話してくださった元川上村白屋住民のGさんに聞いたが、時間もなくて拝見していない。

この日の目的は所在地を確かめることにある。

春日神社より北へ数百メートル。

どんつきは森。

その角地に地蔵さんを祀る小堂があった。

綺麗にしてはるから地蔵盆もしているように思えた。

道行く人の話しによれば稲荷神社はここを東に。

小道を通り抜けたところだと案内されてようやく見つかった。

神社宮司のお住まいも教えてもらって集落を探索する。

ここ集落も2月3日に探っていたが、結局は分からなかった。

宮司苗字がわかったから一軒、一軒探してみれば見つかった。

ここであったんだ。

呼び鈴を押したら宮司の奥さんが孫とともに屋内から出てこられた。

実は初午の「ハタアメ」を拝見したく・・・と伺えば、えっ、である。

これまで「ハタアメ」を製造していた事業者が造らなくなったというのだ。

詳しいことはわからないが、「ハタアメ」を製造事業者と取引して県内各地に営業販売していた担当者がいうには、高齢化などの関係で事業を辞めたらしい。

仕方なく、ネットなどを駆使して探した製造会社は広島県にあった。

あったことはあったのだが、形態がまったく違うらしくて注文はしなかったと奥さんが話してくれた。

例年、販売の人に注文していた「ハタアメ」は500本。

付近に住む子どもたちが歓んでくれた「ハタアメ」。

今年はまったくない。

入手どころか製造しなくなればどないしようもないが、「ハタアメ」はなくとも初午行事はしていくでしょう、と話していたのが印象的だった。

ちなみに岡崎稲荷神社の初午行事は3月の初午である。

当月にある「午」の日はその年によって2回或いは3回のときもあるが、岡崎稲荷神社は2回目の「午」の日にしているそうだ。

製造しなくなれば、これまで初午に「ハタアメ」があった県内事例のすべてがなくなってしまう。

ただ、岡崎のようになんとかして入手しようと努力もされた。

念のためにと思って次の目的地を目指す。

大和高田市岡崎からはそれほど離れてはいないが、初めて訪れる地域だけにカーナビゲーションに広陵町中をセットして車を走らせる。

神社であれば鎮守の森によって所在地を掴むことができる。

セットした主要地近くに森が見える。

近くまで寄らなくとも雰囲気でわかったが、そこより南に少し走った地域に幟旗が立っていた。

初午の幟旗だろうと思って走らせばまさにその通り。

鳥居を潜って西進したら森が見える。

車を止めて見た小北(こぎた)稲荷神社の由緒板。

社伝によれば天孫降臨供奉三十二柱神に稲荷五柱と小北大明神を合わせた三十八社。

また、小北大明神は鼠小姫命。

保食神に仕えた神とされるとあるからお稲荷さんとの関係が深いようだ。

保食神は食物の神さん。

お稲荷さんともども五穀豊穣、子孫繁栄のご利益があると信仰されてきた。

それはともかく当地にやってきた第一の目的は初午に供えられる「ハタアメ」である。

そのことを教えてくださったのは奈良県内の行事に出仕されている三郷町在住の坂本巫女。

神事ごとの祓え御湯の所作など数々の行事場でお世話になっている巫女さんである。

平成28年の小北稲荷神社の初午行事は3月1日だった。

その日に奉られた「ハタアメ」写真を送ってくださった。

その映像から青色、緑色、赤色、黄色に★のマークがある波紋柄。

5本それぞれに違いがある五色の「ハタアメ」であった。

前々年の平成27年3月7日に取材した桜井市三輪・成願稲荷神社の三月初午に奉られた「ハタアメ」と同じようだったから同業者が製造したものであろうと判断していた。

その年の小北の初午は平日開催。

時間帯の関係もあるのか子どもの姿は少人数のようだった。

氏子の話しによれば「ハタアメ」は飴屋さんに別注しているようやに・・・。

そうであれば、飴は飴屋で、竹串は串造り事業者。

分業していることも考えられる。

そこに営業販売をする業者の存在も・・・。

葛城市新庄の和菓子屋「菓匠庵おのえ」は店内で販売をしている情報もあるから、分業、製造業者の絡みもあるかと思えた。

昨年の平成28年3月18日に訪れた葛城市山田・三神社の初午祭。

なにかとお世話になっている大字笛吹に鎮座する葛木坐火雷神社宮司の持田さんが出仕されると聞いて取材したことがある。

山田の初午に奉られる「ハタアメ」も同じ本数に同じ形状、同色。

ここでも尋ねたが製造業者はわからなかった。

いずれも入手先はわかったが、上流工程の営業販売に製造事業者までは調べ切れていない。

そこへもってわかった大和高田市岡崎の「ハタアメ」状況。もしかとすればと思って恐る恐る尋ねた小北の「ハタアメ」。

応対してくださった権禰宜夫妻の話しによれば、今年は入手できなかった、ということだ。

例年、取引している卸しの販売店から伝えられた「ハタアメ」。

製造事業者がいうには後継者不足。

会社を整理したかどうかわからないが、事業を辞めたということだった。

権禰宜夫妻も岡崎と同じようにネットを駆使して調べてみたが、どうにもこうにも見つからなかった。

広島に製造会社があるとわかって調べたが、奈良のほとんどの地域でみられた「ハタアメ」とはまったく違うものであったことから、敢え無く断念した

近年は「ハタアメ」需要も少なくなったことも事業を辞めた理由の一つ。

昨年の小北は500本も用意した。

5色で1セットの1組だから100セットの組数を奉っていたが、今年は“ゼロ”本になった。

前述した葛城市山田にも「ハタアメ」を奉ることができなくなったと持田宮司が知らせてくれた。

私がこれまで取材したところすべてではないが、祭事に供える原材料がなくなり代替品に切り替えたとか、また、開発という行為があって生息していた植物が生えなくなったとか。

代替品はあるが、県外、あるいは海外製品に・・・。

それも入手不可能になってやめたとか・・・さまざまな要因で消えている現代のお供え事情。

難しい現実問題は、実はもっと昔、江戸時代からも発生していた事実もある。

祭り、行事を受け継ぐ。

そのときの時代変化、文化の変容など、さまざまな事情も、そのときおりの変化に合わせて仕方なく継いできた地域も多々ある。

それが現実なのであるが、今回の「ハタアメ」事業の影響は甚だ大きい。

それというのも正確に調べたものではないが、「ハタアメ」の存在を特定した地域は次の通り。

桜井市の多武峰、倉橋、浅古、河西、外山、三輪、箸中、大福、耳成。橿原市は膳夫町、常盤町、醍醐町、葛本町、新口町、北八木町、八木町、南八木町、小房町、四分町、大久保町、久米町、見瀬町、小綱町、曲川町。

高取町は丹生谷。

大和高田市は土庫、岡崎に陵西校区。

広陵町は中、南郷。葛城市は山田、新庄、當麻。

香芝市の旭ケ丘、穴虫。

田原本町では唯一、矢部がある。

奈良県内中央部を横断するような、ほぼ平坦盆地部の県東部から西部に亘る地域。

幅広いこの横断地帯を勝手ながら「ハタアメベルトライン」の名で呼ぶことにしたが、もう見ることはない。

地域の子どもたちはもう味わうこともない。

80歳の高齢者から「ハタアメ」の件を聞くことはない。

多感な少年期、「ハタアメ」貰いに走り回っていた経験者は若い人だけでなく、上は壮年期にあたる人たち。

「ハタアメ」は記憶の中だけに残された。

私は撮っていないが、「ハタアメ」貰いに自転車で走り回る少年たちの姿を追って撮った写真家Uさんの写真。

事業の再開でもない限り、未来永劫まで残る貴重な記録・民俗史料になってしまった。

今年の3月8日は桜井市三輪・成願稲荷神社の三月初午。奈良テレビが報じていた「ハタアメ」映像。

えっ、と思ったのが大きさはともかく色柄が違うように見えた。

成願稲荷神社に奉られる「ハタアメ」は三輪の大神神社神官なら存じているはずだ。

直接の問合せもあるが、山田の実情も存じており、しかも神官の繋がりに顔が広い持田宮司に当件についてお聞きした。

その結果は奈良県下の初午行事に見られた「ハタアメ」はすべての地域から消えたということだ。

製造していた事業者は高齢、若しくは亡くなられたかで、後継者もいなくて事業が停止したということである。

どうやら長年にわたってお一人が製造していたようである。

持田宮司が出仕されていた葛城市山口に鎮座する末髙稲荷神社の初午祭も「ハタアメ」はない。

そういう状況下に大神神社から問い合わせがあったという。

8日に供えた「ハタアメ」は飴、竹串、旗のそれぞれをまったく別の事業者に依頼して特別に製造してもらったものだった。

製造・販売の多寡は別として、業者が違えばまったくの別ものである。

テレビで映し出された「ハタアメ」が異様だったことに気づく人はたぶんにいないだろう。

その異様さに気づいた人はおられたとしてもよほどの専門家であろう。



これまでとまったく同じ「ハタアメ」を製造してくださる人、手段が来年の初午までに見つかればいいのだが・・・と思いつつ初午に焚かれる大護摩の準備に余念がない。

(H29. 3. 3 EOS40D撮影)
(H29. 3. 3 SB932SH撮影)
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発信者不明の年賀状

2017年09月28日 09時27分52秒 | メモしとこっ!
宛先がなければ発信者に戻されるが、宛先が正しければ届く。

届くには届いたが、発信者もなければ裏面の挨拶文もない、真っ白な賀状では対処できない。

それにしても、だ。

真っ白な賀状は清浄な意味合いを伝えたいのだろうか。

それともあぶり出し・・・・・・。

そう書き込みをしたFBにコメントが入る。

同じようなことをしでかした人もおれば、同一人物に2枚も送ったとか・・・。

空白のまま排出してしまうことは稀どころかまあまあある我が家のプリンター。

ときおりスリップして空白紙が排出されるから要注意である。

そういうことがあるから裏面は宛先を再確認してただしく印刷したか確かめる。

今年は特に注意した。

その症状は2枚もあった。

白紙であれば再印刷する。

間違ったものを印刷していたらボツにする。

知人がコメントした切手バージョンの違い。

始めて知ったバージョンにバージョン別に揃えてみた。

知人によればキティちゃんのりぼんをあしらったデザインは若い女性が多いらしい。

我が家はどうか。

調べてみれば4枚ある。

3枚が60歳前後で、残る1枚は70歳半。

当て嵌まらない。

その後、知人がコメントを発信してくれた。

投稿した画像を見られて宛名の漢字がどうやら「私では・・・」と。

(H29. 1. 1 SB932SH撮影)
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