マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

語り会場のプロジェクター接続テスト

2018年08月06日 08時57分28秒 | メモしとこっ!
この年の7月21日は講演会。

聴講ではなく、私自身が解説する講演会である。

会場は施設の橿原市商工経済会館。

場所は久米町にある。

主催は橿原市の橿原市まほろば大学校。

市教育委員会が2年単位に募る市民の学びの講座。

参加できる対象者は60歳以上になる。

高齢者支援の生涯学習・スキルアップ講座は生活科学、美術・工芸、歴史・郷土、国際関係、文学、スポーツ・保健、政治・経済、福祉・ボランティアの8コース。

どれもこれも人気のコースらしいが、一番は歴史・郷土になると事務長は話す。

そのコースに付随する特別コースが「民俗クラブ」。

主宰は代表の鹿谷勲さんが率いる奈良民俗文化研究所である。

鹿谷さんからの伝言は「撮った民俗写真をもって講演をしてほしい」というお願いである。

その件を伝える電話をもらったのは平成28年9月30日だった。

何回かの講演経験があるし、私でお役に立てるならと思って、ためらいもなくお受けすることにした。

この件は11月1日にも電話があった。

念のためと思われてことだろう、ではなく講演日程が確定したという連絡だった。

テーマは「奈良の民俗を撮る」である。

民俗を素晴らしい写真で紹介している野本さんにもお願いされている講演会。

さて、講演の内容はどれにしてみるか、である。

数多くの伝統的な行事や風習を記録してきた私は“選び”に悩ませる。

計画された予定日は都合によって一週間早まった。

決定した日が7月21日。

せめて一か月前には、何をテーマにどのような行事写真を紹介していくか、明確にして、講演するストーリ・シナリオの組み立てを終えておかなければならない。

ストーリー作りの作業に入ったのは5月11日。

だいたいのストーリーが頭の中に浮かび上がってだいたいの路線を構築しかけてきたので紹介する写真の抽出である。

これまで取材した奈良県内の行事取材数は1780行事。

この講演会で紹介するのは橿原市内で行われている年中行事である。

聴講される方々は市内に暮らす人たち。

少しでも知っていただけたらと思ってテーマは橿原市の年中行事にした。

これまで取材した行事はデータ化して地域別にキーワードを施している。

私が地域を調べて作ったエクセル・データベースより「橿原」をキーワードに抽出すれば90行事がでてきた。

そのすべてを取材したわけではない。

あくまで私的に調べた情報であるが、うち、取材した行事数は40行事。

半分未満である。

地元民から聞いている行事のすべてを取材するには年齢的なこともあるし、奈良県全域を対象に廻っている私にとってはとても無理なこと。

健康体である限り、せっかく教えてくださった年中行事は記録しておきたいが・・・。

何人からは橿原市の行事は少ないと聞いている。

鹿谷さんもそう云っていた。

少ないがどうかはわからないでもないが、情報が少ないのかもしれない、と思っている。

どこの市町村でもそうだが、公的機関はイベントをするが、地域の民俗行事にはあまり関心がないようで、ぞんざいだ。

有形文化財はたいがいの市町村に登録されている。

市町村の歴史・文化も調査されて市史等に記されている。

もちろん無形民俗文化財もあるが、これはというものばかり。

当然なことであるが、地域の人でも知らない行事なんてものはいやっちゅうほどある。

あるにはあるが知られていないだけだ。

決して隠しているわけではない。

ましてや「講」の行事や民家の習俗、あるいは民間信仰ともなれば発表されることもないから人知れず消えていくことになりかねない。

私はどちらかといえばこういうマイナー的な民俗を記録してきた。

尤も名高い登録行事の取材もしているが、なにが大事かといえば地域文化である。

特に人から人へと紡いできた民家の習俗行事が大事だと思っている。

引き継ぐ人がいない、引き継ぐ意思がない。

理由はさまざまであるが、現にいつのまにか廃れて消えてしまった行事なんてものは、ごまんとある。

そう思うのである。

「橿原の年中行事」をテーマにシナリオ作り。

1時間半で伝える講演は、写真で紹介する橿原市の「県指定無形民俗文化財行事」、「ノガミ行事」、「ツナカケ行事」、「オンダ行事」、「初午行事のハタアメ」で繋ぐ5章立てにした。

本日は写真映像を映し出すプロジェクターの接続テスト。

どのような展開で講演するのか応対してくださった事務長に伝える日でもある。

講座を受ける人たちは定年直後の人でもなくだいたいが70歳前後になるそうだ。

前回の5月12日に講演された鹿谷さんの講座には40名近くが集まったという。

勉強熱心というか、橿原の歴史文化を知りたくて・・というような人が多いのであろう。

奈良民俗文化研究所が主宰するまほろば大学校で開催される「民俗クラブ」は一年に8回。

大きなテーマは「日本の民俗を読む・撮る」である。

構成に映し出す写真の外観が掴めたらどういう展開で話を進めていくかのストーリー作り。

執筆お始めたのは6月13日。

ほぼ95%のデキ。

煮詰まったのは6月22日だった。

ここまでくれば一段落。

ツメや〆の部分は後回しにして、まほろば大学校の事務長に伺いたい。

そう、思って訪れたこの日である。

問題は私がいつも自宅で活用しているパソコンとの相性である。

かつて大和郡山市の施設である市民交流館に勤務していた。

貸会議室の運営が主であるが、訪れる突然の観光案内もしていた。

会議室利用に施設什器のプロジェクターが無料で利用できる。

お客さんは自前のパコソンを持参してもらって什器を利用するのであるが、なんせ持ちこまれるパソコンが多種多様なだけにぶち当たる問題も度々あった。

その都度に反省し、より広くの人たちに利用していただけるよう改善してきた。

プロジェクターは利用者自身でも簡単に接続できるようにわかりやすい説明図を作った。

接続図はもちろんであるが、接続を単純化表現にしてわかりやくした。

また、パソコンによっては映像出力切替ファンクションが異なることから、メーカー別の表も作った。

説明書はA4一枚の裏表表記。

世界的に利用が最も多いWIN向けに表記した。

接続ケーブルは数種類用意して備品化しておいた。

ただ、Macの場合は接続アダプターが高額なこともあり、利用者数が少ないという判断で購入はしなかった。

もうしわけないが利用者ご自身でご準備願うことを利用申請される段階で確かめることにした。

7年半も携わっていたが、無理を云う人はおられなかった。

みなさん、納得されていたのである。

A4裏表一枚で表記した説明図を作ったわけはもう一つの理由がわる。

市民交流館の職員は私同様にみなが臨時職員であった。

職員は年末年始の4日間を除く毎日の朝9時から夜9時までが利用できる施設。

職員3人が交替勤務をして利用してもらっていた。

私の元職場は情報処理会社。

一般の人よりかは少しだけの専門家。

他2名の臨時職員は専門家でもない。

一般市民に遅滞なく説明するにはマニュアル化した方が良かろうと簡略化した説明書を作ったのである。

おかげさんで説明書がわからなかった人はほぼ皆無だった。

まれに映像が出てこないという苦情はあったが、状態を見にいけば、説明図と違う接続をしていた。

利用者の勝手な解釈をしてしまうとそうなるのである。

苦情を伝えた利用者とともに説明書に沿ってゆっくりとしてもらったら映像が出てきた。

ありがとうございます、と云われたときはとても嬉しかったなと思い出した。

今回、接続するにはまほろば大学校にあるプロジェクター備え付けの接続ケーブルである。

さあ、パソコンにと思って端子を探すが見当たらない。

これには焦った。

直近にあった講演会は地元大和郡山市社会福祉協議会向けの民俗講演であった。

そのとき以来の講演で安心しきっていた。

このときも社会福祉協議会のプロジェクター。

難なく接続できて映像も問題なく出力できた。

なぜだ。

思い出したのはその直後にパソコンが壊れたことだ。

買い換えたゲートウエイパソコンは接続仕様が変化していたことに気がついたが、この日の接続には間に合わない。

まほろば大学校にあるのはVGA接続ケーブル。

諦めて私が持参していたUSBケーブルで繋ごうとしたがこれもまた出力しない。

あとから気がつけば、それはないだろ、である。

尤もパソコンによってはメーカーごとにファンクション切り替えを要する。

記憶にあるのは[Fn]+[F8]であるが、どうやら違う。

これもあとでわかったが、そりゃそうだ、である。

もし、映像が外部USBにあるなら、まほろば大学校のパソコンで試すことができますが、と云われてそうする。

映像データは小型のハードデイスクがある。

いつも利用しているハードデイスクは必需品。

これをまほろば大学校のパソコンにUSB接続してしれば・・出力した。

ほっと一安心するが、まほろば大学校のパソコンの操作がゲートウエイとはまったく違う。

メーカーが違うのは当然であるが、WINのバージョンが以前のもの。

操作方法に慣れがないものだけにオロオロして誤操作ばかり。

これでは当日に戸惑うこと必死になってしまう。

なんとかしますとと広げた道具類をバッグに詰めて家に帰った。

バッグから出てきたケーブル。



三本穴がある電源ケーブルは私のものではない。

明らかにまほろば大学校のパソコン電源ケーブルだ。

誤って持って帰ってきてしまった。

大急ぎで連絡するが、時間は午後6時を過ぎていた。

仕方なく、ケーブルの写真を撮ってまほろば大学校にメール送信した。

返事は日曜明けになるだろう。

その間に解決しておきたいプロジェクター接続ケーブル。

ネットで調べてみればすぐにわかった。

買い換えたゲートウエイパソコンは最新型のNE512-F14D。

ML6020Jの端子はVGAであったが、薄型のNE512-F14DはVGA端子がない。

代わりにあるのはHDMI端子である。

まほろば大学校のプロジェクターも最新型。

VGA端子もあれば、HDMI端子もある。

古い機種も新しい機種にも対応できるようになっているから、HDMI-HDMI接続ケーブルであれば繋がるのである。

買い求めた電気屋さんはイオン大和郡山店内にあるジョーシンの大和郡山店。

売り子さんに尋ねたら品物が並ぶ棚を案内された。

ネットオークションであれば500円ほどで売っている接続ケーブルがなんとお高いことか。

3千円もするケーブルはパソコン付属品コーナーに売っていたが、これらはパソコンメーカーもの。

サードサプライであればもっと安いものがあるのでは、と思ってお願いしたらテレビを並べている棚を案内してくださる。

同じようなHDMI-HDMI接続ケーブルであるが、これなら買えると思ったが、接続ケーブルの長さによって値段に幅がある。

ケーブルの長さは市民交流館に勤務していたから適切な長さというものは頭の中に入っている。

利用者が持参するパソコンの位置は必然的に決まる。

その位置からケーブルを繋げてプロジェクターに投影するのだが、どこに設営するのかで決まる。

どこというのは投影するスクリーンの位置で決まる。

ある程度の距離がいるし、映す大きさ、角度も考慮する。

必然的にスクリーンより外す。

しかも、だ。

もう一つ、考慮しなければならないのがプロジェクターの空冷フアンの風である。

生ぬるい風が聴講者にあたらないような位置にプロジェクターを設営する。

こうした条件に見合うケーブルの長さである。

テスト接続させてまほろば大学校に合わすなら長さは2mで十分だ。

尤もまほろば大学校のVGA-VGA接続ケーブルもたしか2m。

そう判断してジョーシン電気で買った製品はエレコム社製。

製品はケーブルの質によって金額が異なる。

一般的に勧められるケーブルは硬質。

頑丈だからだ。

私が買ったのは柔らかいケーブル。

ケーブル品質はいずれも同じなら使い易い柔らかケーブルを選ぶ。

硬質よりも、若干安かった製品は10%引きの会員特典を利用して1800円弱で購入した。

そして、26日の月曜日。

花園町で行われる魔除けの紫陽花取材に出かける直前に電話が鳴った。

まほろば大学校の事務長からだ。

添付した誤って持って帰った電源ケーブルの画像はなぜかはじかれて届かなかったが、ケーブルはやはりのまほろば大学校の備品。

木曜日の29日には使うというから急がねばならないが、火曜日の午後が可能いうことでこの日もやってきた。

電源ケーブルを返却してプロジェクターの接続ケーブルの再テスト。

持参したHDMI-HDMI接続ケーブルを繋げたら一発でスクリーンに投影された。

しかも、だ。

HDMI-HDMI接続ケーブルであれば、パソコンの音声も出るはず。

ケータイ電話で撮った動画をパソコンに納めている。

今回の「橿原の年中行事」にも登場する予定である。

その一つをクリックしたら大きな音でプロジェクターから聞こえてきた。

ボリュームも適度に調整できる。

事務長が驚かれたのはいうまでもない。

これでテストは完了。

まほろば大学校もケーブルを考えなければという事務長には私が買ってきたエレコム社製のHDMI-HDMI接続ケーブルを納めていた箱を提供した。会

計に頼んで備品の一つとして購買しておきたいと云われた。

利用者のためにもそうしてあげてください、である。

(H29. 6.23 SB932SH撮影)
(H29. 6.27 記)
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旧都祁村荻の村産直販売所

2018年04月23日 08時30分11秒 | メモしとこっ!
前々からそこにあったと思う。

いつから見かけるようになったのか、それは覚えていない。

いつのまにかあった村の販売所は大野橋直売所末広屋。

下荻共同製茶工場横にある施設である。

そこにあったと気がつくのはいつも山添村の大字北野にある大橋の信号を曲がって峰寺から的野を抜けるコースを選んだときである。

南に向かって走っていけば集落が見えてくる。

左に折れば奈良市の下深川町。

そのまま突き進めば奈良市の荻町(おおぎちょう)。

いずれも旧都祁村になる。

つい先ほど走ってきた的野の南にある地域は旧荻村の出屋(でや)。

そう話していたのは北野の大橋の住民だ。

また北野にある杉原地区がある。

その地は現在、山添村に属しているが奈良市の下深川町の出屋になる。

明治時代に行政区割りが決まって現在の村に属しているが、奈良県内ではこういうことがままあると聞いている。

たぶんに藩領が違うためであろう。

それはともかく話を戻して荻町。

その一角に村で採れた野菜などを販売している。

通りすぎる際に目に入った売り物。

季節は覚えてないがお弁当のようだった。

停車しなければわからない村の販売所。

この日はその前で網焼きしていた。

窓を開けたら旨そうな匂いが漂ってくる。

炭火で焼いていたのは猪肉だ。

網に広げているから香ばしい匂いに釣られて車を停めた。

売り子のおじさん曰く、味付けは2種類あるという。

一つは塩焼き。

もう一つはタレ焼きである。

いずれも一枚は試食させてくれる。

塩もタレも美味いが私はタレ焼きを選んだ。

焼いたシシ肉はパックに詰めて売っていた。

値段は1パックで500円。

何枚入っているかは見えない。

お昼ご飯か帰宅してから食べようと思って購入した。

なんでも5月3日に行われる神野山つつじ祭りにも出店するそうだ。

さて、店内では採れたて野菜というよりも山野草だ。

ウドにコゴミやワラビ、ほうれん草などを袋詰め。



どれもこれも1袋でたったの百円。

ここにもコゴミを売っていたのが嬉しい。

食べられる山野草はもう一つ。

セリである。

昨今はセチ鍋で有名になった美味しい野草。

売り子のおばさんたちに聞けば食べたことがないという。

セリは独特のアクがあるからよう食べやんというわけだ。

村の人が食べられないものを売っているのはわかるとしても美味しくいただける料理法は紹介してほしい。

で、ないと食べ方はお客任せということになる。

食べ方を教えてもらって家で料理する。

それが美味しければ、また買いにくる。

リピータの声が広がれば売り子も張り合いがでる。

私はそう思うのだが・・・。

ちなみにこの村の販売所には自家製の食べものがある。

パックに詰めたチラシ寿司にイロゴハンだ。



見た目からして美味そう。

そう思って買ったイロゴハン。

チラシ寿司も食べたいがお腹は受け付けない。

量が多くて受け付けないのだ。

じつはこれらも1パックで百円。

なんとまぁ、の価格帯に笑いが止まらない。

帰宅してから楽しみにしていたタレ焼きのシシ肉を味わう。

サラダの皿半分に盛ったシシ肉。

パックを開けるなり臭いと云い放ったのはかーさんだ。

そうか、そう思うか。

私も気にしていた臭い匂い。

車の中でもかすかに匂っていた。

なんの匂いかわからなかった。

帰宅して車から取り出すとき、これだと思った匂い。

鼻につくというか、味わったことのない匂いである。

我が家の食卓に今夜のごちそうがある。

それらすべてが同じように匂ってしまうぐらいに強烈だ。

なんとか食べてあげようと思って口に入れる。

脂身がまったくないシシ肉は堅い。

スジもあるから噛みにくい。

噛んでいる最中に匂いが前面にあふれ出す。

3枚ほど齧ったがどれもこれも臭い。

どちらかといえば獣臭のように思える。

細切れもなにもかものシシ肉はナイロン袋に詰めて匂いが漏れないように厳重に封をしてゴミ箱行き。

部屋の匂いは美味しい香りが漂った。

酒も美味くなった。

私のお腹は、といえばなんともない。

翌日もおかしくはない。

腐ってはいなかったようだが・・・。

もしかとしてこのシシ肉は不味い部位だったのでは。

これまでいろんな人に貰って食べたシシ肉はとても美味かった。

どこへ行っても自慢していたぐらいだ。

漁師の人は解体の際の血抜き処理を間違ったら、とてもじゃないが喰えねぇ、と云っていたことを思い出す。

たぶん炭火で焼いていたシシ肉のうち、一部が十分な血抜きをしていなかったのであろう。

翌月の5日に再訪した村の売り場。

その強烈な臭いの件を話したら・・・。

後日に伝えることの真相。

さて、さて・・である。

(H29. 4.29 SB932SH撮影)
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桜井の竜谷から出雲、そして榛原柳の民俗探訪

2018年02月17日 08時31分38秒 | メモしとこっ!
この日に祈年祭があると思って桜井市の竜谷に出かける。

ところが竜谷の三輪神社にはどなたも現れない。

もしやと思って子守地蔵尊を安置する竜谷寺付近に住むN家を頼って訪ねた。

作業場におられた男性はお大師さん行事に導師を務めた母親の息子さん。

身体の具合は以前にお会いして時よりかはずいぶんと良くなったそうだが、車は運転のできない身。

私も心臓を壊してからは不安な毎日を暮らしているが二人ともなんとか生きていることに歓びを感じているなと云って思わず握手した。

お母さんは元気で畑仕事。

息子や娘たちもそれぞれが独り立ち。

親に世話をかけなくとも暮らしているのが嬉しいという。

思わず、うちも・・と云った。

肝心かなめの行事である。

その行事は神占の頭人定めに大幣を用いてフリアゲをすると記憶にあるが・・・男性の話しによれば秋の祭りに統合したという。

そういえば昨年の平成27年11月3日に訪れた竜谷の三輪神社では神職がフリアゲをしていた。

そうだったんだ。

その場を離れて旧暦閏年の庚申さん行事の正式取材願いをしたく榛原柳に向かう。

竜谷からはそれほど遠くない。

当日の4月2日は平成24年に訪れたものの取材時間が確保できずに断念した出雲の旧暦閏年の庚申さん行事もされる。

時間帯が重なる可能性が高い。高かっても少しでも拝見したく正確な時間を知りたくて榛原柳の再訪である。

数日前、いや昨年も紹介されたものの区長家を訪ねる時間がなかった榛原柳。

きちんとした取材である旨伝えたくて1軒のお家を尋ねたらその下だという。

結論から云えば同時間であった。

訪ねた区長家はT家。

年に6回の庚申講の寄り合いがある。営みの時間帯は夏場、冬場によって若干の時間差を設けている。

ちなみに夏場は午後7時半だが、冬場は7時になる。

それぞれが講中の掛図を揚げて営んでいたが、今は会所で両講中の集まりになったそうだ。

また、願文を墨書したヒノキ材の塔婆をあげる旧暦閏年の庚申行事もある。

閏庚申に奉ったヒノキ材の塔婆は玄関軒に掛けている。

トウヤを務めた家は奉った後に掛けるそうだ。

ヒノキ葉は削らずにそのまま掛けた塔婆は二本。

3文字の梵字がようわからないという。

梵字のことは詳しくないが、かつて天理市山田の蔵輪寺の住職に教えてもらったことがある。

その五文字の読みは「キャ カ ラ バ ア」。「キャ カ ラ バ ア」を意味する五つ漢字が「空 風 火 水 土 」であるが、柳の塔婆は三文字。

もともとからそうだったのか、それともあるときに五つから三文字になってしまったのか、謎だと区長がいう。

なお、柳の村は東出および西出それぞれの伊勢講もしているそうだ。

東出は8軒で西出は4軒の講中。

それぞれが年に2回。

2月の16日と12月の16日の夜にそれぞれの講中にあるヤカタを祭ったトウヤ家で営みをしていたが、今は会所に移っているようだ。

講の行事だけでなく村の行事の数々を教えてくださる。

榛原柳は東出垣内と西出垣内からなる13戸の集落。

2カ月に一度の庚申さんの日は村の会所である長福寺に寄り合う。

現在の長福寺は無住寺であるが本尊由来から想定するに長谷寺真言宗豊山派のようである。

その関係が色濃いのであろう旧暦1月11日に桜井市や宇陀市榛原地区の人たちが三社権現に参る行事もある。

詳しいことは後々に取材させていただくことにして詳細は省くが、蔵出しして発見した掛図に藤原鎌足三尊図がある。

正確な年代は不明であるが百年前の掛図はぼろぼろだったことから、新しく表装をしなおしたらしい。

藤原鎌足三尊図があったということは桜井市の談山神社下にある地域が祭る八講祭がある。

明日香村にも八講祭や同じように藤原鎌足公を祭る明神講もある。

ここ榛原柳にも同じように鎌足公を祭っていた講があったのだろうか。

奥さんは藤原講かも、と口にでた掛図に興味を惹かれる。

三社権現に参拝する権現ドーヤもある榛原柳は隣村の桜井市吉隠と榛原角柄からなる中之郷にあたる。

今年の2月5日が旧暦に1月11日であった。

しかも3年ごとに廻りがくる当たりの年だったという。

確か、カニノモチを供えると聞いているが、なにやらアトトリの男が宣言することによって行われるらしい。

今後ともよろしくお願いさせてもらった区長家の玄関にえらいものを吊っていた。

えらいものというのは江戸時代の木製消防ポンプである。

その名も龍吐水。嘉永二年(1849)の刻印があったので製造時代もわかる代物に竹編み籠に柿渋で貼った水溜め用のバケツもある。

その数、10個もある。

これまで見たこともない貴重な年代物の和式バケツには驚いたものだ。

排水用の木製ホースは屋内座敷で保管している。

篠原神社でもらってきた竹で挟んだごーさん札もある。

民俗行事に欠かせない祭り道具は他にもありそうだが、本日は挨拶伺い。

ぼちぼち取材させていただくと失礼させてもらった時間帯は午後12時半も過ぎていた。

ちなみに近鉄電車を見下ろす位置に建つ小社は四社大明神。

向かい側に旧長福寺がある。

さて、昼ご飯はどうするか、である。

頭の中をあれやこれやの頭の中でぐるぐる回る廻り燈籠。

場所は決まったが途中で場所の再確認をしておきたい桜井市の大字出雲に立ち寄る。

十二柱神社の鳥居に掛けてある太い注連縄に度肝を抜かれるが、あれぇ、である。



三つの垂れ房もそうだが、5年ぶりに訪れた本日の注連縄は巨大化していた。

なぜに巨大化したのか。

一般的な事例でいえば縄結いができなくなって細くなるのが常。

ところが出雲では逆に巨大化した。

機会があれば経緯を聞いてみたいものだ。

どれぐらい大きくなったのか。



参考までに平成24年の4月7日に訪れたときに撮っていた注連縄と比較していただきたい。

驚くばかりの変身ぶりにたまげたのである。

それはともかく十二柱神社が鎮座する大字出雲を東西に結ぶ旧道がある。

江戸時代は伊勢詣りをする人たちが往来していた伊勢街道である。

集落南、すぐ近くにある国道169号線が幹線道。

多くの車が往来する道が主道になった。

さて、十二柱神社である。

史料によれば、神社狛犬の台座の造りに特徴がある。

台座を支える姿は力士像。

左右それぞれの台座に4体の力士が支えているので拝見されたい。

文久元年(1861)建之された狛犬台座の力士は筋骨隆々。

出雲といえば島根県であるが、ここ大字も出雲。

古来、島根出身者がこの地に移ったからその大字名になったという説がある。

出雲といえば日本書紀に登場するスクネ(能見宿禰)。

垂仁天皇7年、天皇の命によりケハヤ(當麻蹶速)と相撲をとるために出雲の国から大和の国に出てきたとある。

その説から十二柱神社の狛犬台座に力士像が建之されたというが、同じような形、力士姿が支える台座は他所にもある。

桜井市山間部になる大字萱森に鎮座する高龗神社である。

当社の由来に力士の存在はない。

力士台座の一例ではあるが、同じ説ならここ萱森もスクネ(能見宿禰)説があっても良さそうだが、まったくない。

説を唱える人たちは萱森にある狛犬台座のことは存じていないのだろうか。

ただ、興味深いのは建之記銘である。

萱森の台座は文久二年(1862)二月。

十二柱神社の台座建之の一年後の記銘である。

作風も似ているようなので、作者との関係性があるのかもしれない。

(H24. 4. 7 SB932SH撮影)
(H29. 3.27 SB932SH撮影)
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奈良県下全域から初午御供のハタアメが消えた

2018年01月14日 09時41分52秒 | メモしとこっ!
午前中は大宇陀野依の取材があった。

昼食を済ませて平坦部に下りる。

数年前から求めている県内事例にある「ハタアメ」の調査である。

時間的な余裕もないので2カ所に絞った。

1カ所目は大和高田市岡崎の岡崎稲荷神社。

もう1カ所は広陵町中の小北(こぎた)稲荷神社である。

コースの都合上もあるが、まずは岡崎稲荷神社。

先月の2月3日も訪れた岡崎であるが、神社の所在地さえまだ掴めていなかった。

岡崎に春日神社があると分かったが、稲荷神社の所在地である。

鎮座地は3日に話してくださった元川上村白屋住民のGさんに聞いたが、時間もなくて拝見していない。

この日の目的は所在地を確かめることにある。

春日神社より北へ数百メートル。

どんつきは森。

その角地に地蔵さんを祀る小堂があった。

綺麗にしてはるから地蔵盆もしているように思えた。

道行く人の話しによれば稲荷神社はここを東に。

小道を通り抜けたところだと案内されてようやく見つかった。

神社宮司のお住まいも教えてもらって集落を探索する。

ここ集落も2月3日に探っていたが、結局は分からなかった。

宮司苗字がわかったから一軒、一軒探してみれば見つかった。

ここであったんだ。

呼び鈴を押したら宮司の奥さんが孫とともに屋内から出てこられた。


実は初午の「ハタアメ」を拝見したく・・・と伺えば、えっ、である。

これまで「ハタアメ」を製造していた事業者が造らなくなったというのだ。

詳しいことはわからないが、「ハタアメ」を製造事業者と取引して県内各地に営業販売していた担当者がいうには、高齢化などの関係で事業を辞めたらしい。

仕方なく、ネットなどを駆使して探した製造会社は広島県にあった。

あったことはあったのだが、形態がまったく違うらしくて注文はしなかったと奥さんが話してくれた。

例年、販売の人に注文していた「ハタアメ」は500本。

付近に住む子どもたちが歓んでくれた「ハタアメ」。

今年はまったくない。

入手どころか製造しなくなればどないしようもないが、「ハタアメ」はなくとも初午行事はしていくでしょう、と話していたのが印象的だった。

ちなみに岡崎稲荷神社の初午行事は3月の初午である。

当月にある「午」の日はその年によって2回或いは3回のときもあるが、岡崎稲荷神社は2回目の「午」の日にしているそうだ。

製造しなくなれば、これまで初午に「ハタアメ」があった県内事例のすべてがなくなってしまう。

ただ、岡崎のようになんとかして入手しようと努力もされた。

念のためにと思って次の目的地を目指す。

大和高田市岡崎からはそれほど離れてはいないが、初めて訪れる地域だけにカーナビゲーションに広陵町中をセットして車を走らせる。

神社であれば鎮守の森によって所在地を掴むことができる。

セットした主要地近くに森が見える。

近くまで寄らなくとも雰囲気でわかったが、そこより南に少し走った地域に幟旗が立っていた。

初午の幟旗だろうと思って走らせばまさにその通り。

鳥居を潜って西進したら森が見える。

車を止めて見た小北(こぎた)稲荷神社の由緒板。

社伝によれば天孫降臨供奉三十二柱神に稲荷五柱と小北大明神を合わせた三十八社。

また、小北大明神は鼠小姫命。

保食神に仕えた神とされるとあるからお稲荷さんとの関係が深いようだ。

保食神は食物の神さん。

お稲荷さんともども五穀豊穣、子孫繁栄のご利益があると信仰されてきた。

それはともかく当地にやってきた第一の目的は初午に供えられる「ハタアメ」である。

そのことを教えてくださったのは奈良県内の行事に出仕されている三郷町在住の坂本巫女。

神事ごとの祓え御湯の所作など数々の行事場でお世話になっている巫女さんである。

平成28年の小北稲荷神社の初午行事は3月1日だった。

その日に奉られた「ハタアメ」写真を送ってくださった。

その映像から青色、緑色、赤色、黄色に★のマークがある波紋柄。

5本それぞれに違いがある五色の「ハタアメ」であった。

前々年の平成27年3月7日に取材した桜井市三輪・成願稲荷神社の三月初午に奉られた「ハタアメ」と同じようだったから同業者が製造したものであろうと判断していた。

その年の小北の初午は平日開催。

時間帯の関係もあるのか子どもの姿は少人数のようだった。

氏子の話しによれば「ハタアメ」は飴屋さんに別注しているようやに・・・。

そうであれば、飴は飴屋で、竹串は串造り事業者。

分業していることも考えられる。

そこに営業販売をする業者の存在も・・・。

葛城市新庄の和菓子屋「菓匠庵おのえ」は店内で販売をしている情報もあるから、分業、製造業者の絡みもあるかと思えた。

昨年の平成28年3月18日に訪れた葛城市山田・三神社の初午祭。

なにかとお世話になっている大字笛吹に鎮座する葛木坐火雷神社宮司の持田さんが出仕されると聞いて取材したことがある。

山田の初午に奉られる「ハタアメ」も同じ本数に同じ形状、同色。

ここでも尋ねたが製造業者はわからなかった。

いずれも入手先はわかったが、上流工程の営業販売に製造事業者までは調べ切れていない。

そこへもってわかった大和高田市岡崎の「ハタアメ」状況。もしかとすればと思って恐る恐る尋ねた小北の「ハタアメ」。

応対してくださった権禰宜夫妻の話しによれば、今年は入手できなかった、ということだ。

例年、取引している卸しの販売店から伝えられた「ハタアメ」。

製造事業者がいうには後継者不足。

会社を整理したかどうかわからないが、事業を辞めたということだった。

権禰宜夫妻も岡崎と同じようにネットを駆使して調べてみたが、どうにもこうにも見つからなかった。

広島に製造会社があるとわかって調べたが、奈良のほとんどの地域でみられた「ハタアメ」とはまったく違うものであったことから、敢え無く断念した

近年は「ハタアメ」需要も少なくなったことも事業を辞めた理由の一つ。

昨年の小北は500本も用意した。

5色で1セットの1組だから100セットの組数を奉っていたが、今年は“ゼロ”本になった。

前述した葛城市山田にも「ハタアメ」を奉ることができなくなったと持田宮司が知らせてくれた。

私がこれまで取材したところすべてではないが、祭事に供える原材料がなくなり代替品に切り替えたとか、また、開発という行為があって生息していた植物が生えなくなったとか。

代替品はあるが、県外、あるいは海外製品に・・・。

それも入手不可能になってやめたとか・・・さまざまな要因で消えている現代のお供え事情。

難しい現実問題は、実はもっと昔、江戸時代からも発生していた事実もある。

祭り、行事を受け継ぐ。

そのときの時代変化、文化の変容など、さまざまな事情も、そのときおりの変化に合わせて仕方なく継いできた地域も多々ある。

それが現実なのであるが、今回の「ハタアメ」事業の影響は甚だ大きい。

それというのも正確に調べたものではないが、「ハタアメ」の存在を特定した地域は次の通り。

桜井市の多武峰、倉橋、浅古、河西、外山、三輪、箸中、大福、耳成。橿原市は膳夫町、常盤町、醍醐町、葛本町、新口町、北八木町、八木町、南八木町、小房町、四分町、大久保町、久米町、見瀬町、小綱町、曲川町。

高取町は丹生谷。

大和高田市は土庫、岡崎に陵西校区。

広陵町は中、南郷。葛城市は山田、新庄、當麻。

香芝市の旭ケ丘、穴虫。

田原本町では唯一、矢部がある。

奈良県内中央部を横断するような、ほぼ平坦盆地部の県東部から西部に亘る地域。

幅広いこの横断地帯を勝手ながら「ハタアメベルトライン」の名で呼ぶことにしたが、もう見ることはない。

地域の子どもたちはもう味わうこともない。

80歳の高齢者から「ハタアメ」の件を聞くことはない。

多感な少年期、「ハタアメ」貰いに走り回っていた経験者は若い人だけでなく、上は壮年期にあたる人たち。

「ハタアメ」は記憶の中だけに残された。

私は撮っていないが、「ハタアメ」貰いに自転車で走り回る少年たちの姿を追って撮った写真家Uさんの写真。

事業の再開でもない限り、未来永劫まで残る貴重な記録・民俗史料になってしまった。

今年の3月8日は桜井市三輪・成願稲荷神社の三月初午。奈良テレビが報じていた「ハタアメ」映像。

えっ、と思ったのが大きさはともかく色柄が違うように見えた。

成願稲荷神社に奉られる「ハタアメ」は三輪の大神神社神官なら存じているはずだ。

直接の問合せもあるが、山田の実情も存じており、しかも神官の繋がりに顔が広い持田宮司に当件についてお聞きした。

その結果は奈良県下の初午行事に見られた「ハタアメ」はすべての地域から消えたということだ。

製造していた事業者は高齢、若しくは亡くなられたかで、後継者もいなくて事業が停止したということである。

どうやら長年にわたってお一人が製造していたようである。

持田宮司が出仕されていた葛城市山口に鎮座する末髙稲荷神社の初午祭も「ハタアメ」はない。

そういう状況下に大神神社から問い合わせがあったという。

8日に供えた「ハタアメ」は飴、竹串、旗のそれぞれをまったく別の事業者に依頼して特別に製造してもらったものだった。

製造・販売の多寡は別として、業者が違えばまったくの別ものである。

テレビで映し出された「ハタアメ」が異様だったことに気づく人はたぶんにいないだろう。

その異様さに気づいた人はおられたとしてもよほどの専門家であろう。



これまでとまったく同じ「ハタアメ」を製造してくださる人、手段が来年の初午までに見つかればいいのだが・・・と思いつつ初午に焚かれる大護摩の準備に余念がない。

(H29. 3. 3 EOS40D撮影)
(H29. 3. 3 SB932SH撮影)
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発信者不明の年賀状

2017年09月28日 09時27分52秒 | メモしとこっ!
宛先がなければ発信者に戻されるが、宛先が正しければ届く。

届くには届いたが、発信者もなければ裏面の挨拶文もない、真っ白な賀状では対処できない。

それにしても、だ。

真っ白な賀状は清浄な意味合いを伝えたいのだろうか。

それともあぶり出し・・・・・・。

そう書き込みをしたFBにコメントが入る。

同じようなことをしでかした人もおれば、同一人物に2枚も送ったとか・・・。

空白のまま排出してしまうことは稀どころかまあまあある我が家のプリンター。

ときおりスリップして空白紙が排出されるから要注意である。

そういうことがあるから裏面は宛先を再確認してただしく印刷したか確かめる。

今年は特に注意した。

その症状は2枚もあった。

白紙であれば再印刷する。

間違ったものを印刷していたらボツにする。

知人がコメントした切手バージョンの違い。

始めて知ったバージョンにバージョン別に揃えてみた。

知人によればキティちゃんのりぼんをあしらったデザインは若い女性が多いらしい。

我が家はどうか。

調べてみれば4枚ある。

3枚が60歳前後で、残る1枚は70歳半。

当て嵌まらない。

その後、知人がコメントを発信してくれた。

投稿した画像を見られて宛名の漢字がどうやら「私では・・・」と。

(H29. 1. 1 SB932SH撮影)
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初の顔合わせ宴に鉄板焼きの梅の家

2017年08月26日 09時26分30秒 | メモしとこっ!
創業は50年前になるらしいお好み焼き・鉄板焼きがある。

お店の名前は梅の家

奈良市内でも老舗になるらしいお店は奈良市法蓮町にある。

なみんけん」の初顔合わせでもあった打合せにシモケシではないがどぶろくをいただいて意気揚々と入店した梅の家。



ここまで心臓リハビリを兼ねて自宅から徒歩で来た。

もっともここ法蓮町まで徒歩でいけるわけもなく途中は近鉄電車利用だ。

我が家を出て近鉄九条駅までの距離は1.7km。

これにかかる時間はまあまあ。

なぜか30分以上もかかってしまった。

急げば呼吸が乱れる。

ドクドクする脈は計測すればたいしたことはないと思うが・・。

駅から電車を乗り継いで近鉄奈良駅まで。

そこから夜の宴に利用する食事処までは1.7km。

これもまたまあまあの距離であるが、心臓が軽やかに動いているのかしんどさは感じない。

感じないが速度は遅い。

この間に歩いた歩数は1420+3002歩=4422歩。

それはともかく今夜の宴はコース料理らしい。

単品も充実しているが、なにがなになのか覚えられずじまい。

頼まれたコースは知らないが、会費は一人頭で4千円。

梅の家のコースは上から一人前6千円のフイレ鉄板ボリュームコース。

次がミデイアムコースの5千円。

その下にあるサーロイン鉄板コースで4千円。

さらにくだって3千5百円のローススライスコース。

いずれも酒代はそこに入っていないから、単品の組み合わせで注文したのであろう。

これはピン甘ケータイ撮りの画像。



大きくぶつ切りしたコンニャクに豆腐とともにお肉で焼いたもの。

刻みネギがパラパラあるから、商品名はどうやらネギすじこん玉。

お値段は900円。

今夜の宴は4人ぐらいで食べるようだ。

お味は、ま、旨い。

次に配膳されたのはなんかの焼き肉に切れ目を入れたイカ。



モヤシとキャベツ盛りに載せてでてきた。

実は宴の会場で焼いているわけではなく、店内で調理された料理が宴の鉄板に運ばれるのだが、商品名がわからない。

これに海老、ホタテにブタとかあれば梅の家焼きだが、肉とイカだけならデラックスかな。

で、あれば千円。

肉肉しいほど肉の味が前面に飛び出す。

イカはまま旨い。

またもや運ばれた商品。

なんと鉄板プレートごと運ばれた。



串に挿しているからバーベキューかな。

串挿しではない横並び一列の丸いのはホタテでもなく厚めに切ったナガイモのスライス切りであろうか。

手前の串に挿しているのは鶏肉、豚肉、ホタテに太ネギなのであろうか。

商品名はさっぱりわからんが、旨い。

最後に登場した商品は見た目でわかるお好み焼きと焼きそば。



どちらも豚肉が入っていたような・・・。

で、あればどちらも6百円。

ビールはたっぷりいただいた宴にカンパイ。

宴も終わって解散。

帰りもとぼとぼ歩きで近鉄奈良駅まで。

西大寺駅で乗り換えて九条駅で降りたら自宅までの1.8kmの歩き。

帰り合計の万歩計は1414+2865歩=4279歩。

行き帰りの総計は8701歩。

携帯電話の万歩計が示す総距離は5.8km。

歩行時間はなんとなんとの1時間30分であった。

(H28.12.25 SB932SH撮影)
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私がとらえた大和の民俗―住―打上の宴in旬味和膳季乃庄

2017年08月17日 08時52分31秒 | メモしとこっ!
平成28年10月29日から12月11日まで開催していた奈良県立民俗博物館企画展の「私がとらえた大和の民俗」写真展

今回で6回目になったテーマは「住」。

手ごわいテーマにカメラマンの実力を発揮する。

今夜は打上の宴。

会場は博物館がある大和郡山市内。

近鉄郡山駅東側を下りて徒歩1分間の地にある旬味和膳の季乃庄だ。

かつて季乃庄は駅前バスローターリーにある西友ビル5階であった。

西友の撤退に伴い移転した旬味和膳季乃庄。

昨年も打上の宴があったが、私は心臓病2度目の入院の身であった。

それから1年後の現在は、といえば完全復帰することなく無難な生活を送っている。

尤も運転許可がでているので専らは相も変わらずの民俗取材に奔走している。

ただ、身体が動いていなければ脈拍は40拍まで届かない低脈拍だ。

そういう状態であっても生きている。

いただいた命は大事にしたい。

生活改善はしようがないが、リハビリ運動をすれば60脈拍前後になる。

つまりは動いておればまったく問題はないということで自宅にいるときは歩行訓練をしている。

季乃庄は我が家から直線距離にして数キロメートル。

ゆっくり駅まで歩いておよそ40分。

帰りは夜遅くなり運行するバスは走っていない。

日曜ダイヤの最終便は午後7時38分。

宴がいくら早く終わってもとてもじゃ間に合わない。

帰りはタクシーと決め込んで自宅を午後5時半に出た。

季乃庄に着いたのは午後6時7分。

まあそんなもんだと思った歩行数は3180歩だった。

会場の季乃庄はいつも予約客の案内をされている。

おっと、ここにも間違いがある「民俗」。

こういうミステークはブログ等でも散見する。

自動ドアに手を触れて入れば先客が座っていた。

いつも皆さん、早いことである。

宴の場は2階。

店員さんに案内されて階段を登る。

すでに人数分の膳の一部が並べていた。



先付けはメヒカリの酢漬けでろうか。

乾杯を合図にいただくスモークはハムなのか。

なんとかそうではないような味覚音痴である。

テーブルに配られた写真展会場でご記入いただいたお手紙。

これまではしたこともないノートに14人もの方々が感想を伝えてくれる。

JNPに所属するMさんが代表を務めるクラブの写真展は度々出向く。

拝見させていただいた写真にいろいろと意見してきた。

Mさんはネットを見ることもない。

写真家なら展示しているでしょ。

そういう場合は展示案内をしてくれたら是非行ってみたいと云っていた。

その声をいただいて葉書を送った。

私がとらえた大和の民俗―住―のポスターを縮小して葉書に印刷。

葉書は申しわけないが年賀はがきの未使用分。

何年か前の未使用だから2円切手を足して投函した。

毎年、送らせてもらっている知人・友人のすべてではないが、近況報告も兼ねて送付した。

解説を担当する日も記して送った。

届いた人は目を白黒されたかも知れない。

そのMさんは12月9日に来てくださっていた。

ありがたいことであるが、写真の批評は次回にお会いするときに聞きたいものだ。

写真展に参加されている鹿谷勲さんをよくご存じのMさんもコメントをしてくださっている。

私が解説日を担当する日に来館されていたことは学芸員から聞いていたので存じていた。

案内状を送ったので気にかけて来館してくださったと思う。

もう一人は大和郡山市の文化財審議官をされている長田光男先生だ。

長田先生も鹿谷勲さんのことは存じている。

嬉しい便りに写真家も。

「ムチ」を打たれた思いになったというSさん。

皆さん方、それぞれの温かい詞は今後の励みになる。

なかでも一番のお気に入りは解説当番をしていたときに訪れていた子供さん。

その日はとにかく多い来館者で溢れていた。

足をとめて見てくださる人や顔見知りの人たちに大きな声で話していた。

うんうんと頷く二人の女児はいつのまにか席についてノートに書いていた。

一生懸命な姿に何を感動してくれたのか、とても気になっていた。

「人のきょかをとって・・・人が写っているとそれだけで心があかるくなります・・・」と書き込んでくれたY・Sちゃんは花マークまで書いてくれた。

妹だと思われる女児も「風景をとっただけでもきれいでこころがあたたまるけど人が入るともっといい写真になるなと思った・・・カメラ目線もいいけど自然体が・・・」に猫ちゃんマーク。

涙が出るくらいに素直な女児の詞がとても嬉しい。

閲覧者は大人が大多数だが、大人にも子供にもわかるように解説させてもらった結果を書いてくれた。

この場を借りてほんまにありがとうを伝えたい。

さて、宴の料理である。

飲み放題のコース会席は4千円。

お造りは小さいが5品盛り。



舌平目のパリパり天ぷらに陶板焼き。



豚バラ肉がちょっとに厚揚げ、エリンギ、カボチャ、ピーマン、タマネギ、モヤシは味噌タレで食べる。

美味しい料理に生ビールはぐいぐい。



一時間後に配膳された白身魚の蒸し料理。

野菜はとうぜんながらの温野菜。

これはポン酢でいただく。

ビールはまたもやぐいぐいで4杯目。

縁もたけなわに時間を忘れる。

このまま解散したら次回はどうなるのか。

ここから始まった議論に活発な意見が寄せられる。

するか、しないのか。

継続するのか、6回目で終わりにするのか・・・。

写真家たちの声は続けたい、である。

1回目を始めたときだ。

当時、担当していた鹿谷勲さんはこういった。

「写真家一人が3点の写真をとらえる。10人が出展すれば30枚。何回か開催することで、60点、90点、120点・・・。集大成すればすばらしい民俗写真集になる。それに向けて・・」と云っていた。

そうありたいと、ここまできた。

テーマがあればあるほどさらにそれぞれのカメラマン目線でとらえた大和の民俗が描写される。

特にこの3年間は「食」、「衣」に「住」だった。

奥は深い民俗は手ごたえがあると感じるようになった写真家たち。

気持ちは続けたい、である。

で、あれば次回テーマは・・・。

私は思っていたテーマを発した。

未だ病に悩まされている心臓病。完全復帰ではないが、死も感じたこともある。再び「生」を授かったと思っている。

ならば、と思った「生」は却下された。

Nさんが云ったのは「水」。

Sさんが云ったのは「生業・仕事」。

私は職人としたいが、範囲が狭められる。

議論は時間切れで延長戦はなし。

さてさてどうなることやら。

ここで解散となってタクシーに乗る。

丁度、午後9時40分。

長い時間であったが有意義だった。

数日後、見ていたテレビは日本のチカラ。

漆掻き研修生の思いや活動の放映を主人公に国産漆は2%になっている状況を伝えていた。

98%は中国産。

劣化は国産よりも早く文化庁は文化財保護に国産漆に全面切り替えたという。

そうだ、「塗」があったんだ。宴の場で出た「色」は却下されたことを思い出した。

ピンときた極めつけの「染」も含めて、塗る・染める民俗だ。

やりがいがある民俗写真の取り組みに拳がぐっと挙がったが・・・。

(H28.12.11 SB932SH撮影)
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文化の日に出かける第68回正倉院展in奈良国立博物館

2017年07月05日 09時46分35秒 | メモしとこっ!
この日に行われる年中行事は多数ある。

さすがの文化の日、と思いきや村々で行われている行事に関連性はまったくない。

文化の日は昭和23年に公布・施行された国民の祝日の一つ。

それまでの昭和22年までは明治節として明治天皇の生誕日を祝う日であった11月3日。

生誕とはなんら関係のない文化の日になった。

特異日の日ともいわれている祝日文化の日は晴れの日が多い。

統計によれば翌日の11月4日とか5日のほうが多いようだが・・・。

いずれであっても晴れの日は「ハレ」の日。

気分も抑揚するが、心の中は消沈気味で出かける気は消えた。

カメラレンズの故障もあって撮る気が起こらない。

そこへもって念願日だった村の行事は宮司とトヤの都合で日延べした。

そんなこともあって朝からのんびりしようと思っていたら思いがけないプレゼントがあった。

ご近所の方がもってきてくれた「第68回正倉院展」の招待券。

なければ一般の特別観覧料金がいる。

税込みの1100円である。

待ち行列が少なくなる時間帯を選んで出かけた。

休日、祝日の日の奈良市内、特に奈良公園辺りを通過する車路は混み合って渋滞に巻き込まれると聞いたことがある。

たぶんにそうなるであろうと覚悟を決めてかーさんとともに出かけた。

混みだしたのは県庁前の道路。

真ん中のラインは特に混んでいた。

左右のレーンは僅かながらも動いているが、センターラインはとにかくひどい。

ほとんど動きもしない。

このセンタータインは展示する奈良国立博物館の真ん前を通る。

向かい側は氷室神社。

東に行けば四つ辻。

北に東大寺南大門。

東の奥は春日大社の駐車場。

大型の団体バスが何台も並んで止まっているように見える。

この辺りから盛大に流れる音楽が聞こえてきた。

なんでも県庁前で披露されている音楽祭のようだ。

息子に電話したかーさん。

その音楽祭に学生時代の友人がバンド出演しているので聞きに行ったのである。

奈良第芸術祭の関連イベントのようだ。

そのことがあって昨夜、というか深夜に帰ってきた。

急遽のことである。

車はなんとか停められたようだが、こちらは苦戦する。

方向、進路を急展開し県営の高畑駐車場を目指す。

ここが満車であったら・・・の心配をヨソになんとか数台を受け入れてくれた。

駐車料金は前払いの丸一日の千円、営業時間は朝の8時半から午後の5時までだが、出庫は24時間営業。

奈良公園に近い駐車場は気兼ねなく利用できるので長時間滞在の観光客にとってはありがたい存在のように思える。

ここより歩いて10分にある奈良国立博物館。

すでに長蛇の列が待ち受けていた。

そこへ並ぼうとしたが、どうやら違う。

団体観覧券・奈良博パスポートなどの団体入場エリアだった。

そこからぐるっと裏側に廻ればテントを張った場がある。



入場列の最後尾を示す札を持つ職員が立つ。

たしかこの辺りだったと思う。

正倉院展を拝見するのは今回で2回目。

前回は平成18年11月2日だった。

このときももらった招待券で拝見した。

たしか新聞販売所の人からもらったものだと思う。

このときは一人で観覧した。

並んだ場所はほとんど同じだったことを覚えている。

この日のアナウンスは30分から40分待ち。

前回は1時間の待ち行列だったように記憶する。

それにしても前回はこのような案内があったのだろうか。



「この列は、観覧券・招待券・引換券・クーポン券をお持ちの方の列です」とある。

待ち行列の列は正しいが、それ以外の人って並んでいるのだろうか。

徐々に少しずつの速度で行列は進んでいく。

館に近づいてもまだまだの長蛇。

ここで入場できるのか・・ではない。

さらに三つ折れの行列がある。



やっと館に近づいたという感触にガラス窓を見れば音声ガイドの案内立て看板。

貸出料金は税込の540円。

解説があれば理解しやすいと思うが、見るのも精一杯の観覧にゆっくりする余裕はないがこの辺りから行列の足が止まった。



それから何分経過したのか判らないがぞろぞろと動き出す。

考えてみれば団体さんの入館である。

三つ折れの最終レーンに目についたミュージアムショップの営業時間。

朝の9時はわかるが、夜の8時まである。

へぇ、である。

奈良国立博物館の開館時間は午後の5時までだが、ミュージアムショップは午後8時まで。

これは正倉院展会期中のさらなる特別対応に開館時間の延長があるようだ。

奈良国立博物館のHPを探してみたが「延長」日はいつなのか判らない。

探して、探してあった延長日は「展覧会カレンダー」にあった。

黄色やオレンジ色のマークはほぼ毎週の金曜日、土曜日だった。

午後2時20分から30分後の午後2時50分。

長い行列を経てようやく入館する。



館内は大勢の人たちで展示物に群がっていた。

展示物を見るには近寄らなければ見られない。

ふっと隙間が空く。

そこへそっと移動する。

ルーペというか目が老眼なものだから大きな文字は読めても小さな展示物はまったく見えない。

飾りがどんなんになっているかまったく実物が見えない。

それを拡大した写真で見るしかない。

観覧者の一部では遠眼鏡で見ている人がおられた。

これは良いだろな。

今回の展示でイチバンの印象に残ったのは大きな幡の残欠である。

他に銀平脱龍船墨斗、唐草文鈴、牙櫛、撥鏤飛鳥形などだ。

前回に観覧したものは特別な意味があった。

展示物の唯一の印象は私の名前(眞人)が古文書にあったことだ。

その文字を見つけたときは感動したものだ。

以前に勤めていた情報処理会社。

若い時、まだ二十歳代だったころに人生の先輩でもある嘱託員のSさんが云った言葉は今でも思い出す。

「田中くんの名前は日本書紀にも載っているぐらいの由緒ある名前だよ」と云われていた。

まさに、その通りに見つかったが、古文書がなんだったかメモってもいなかった。

今回もメモっていないから記憶から消えていくだろう、と思った。

館内滞在時間はトイレ利用もいれておよそ50分。

それにしても外国の人の姿はまったく見なかったように思える。

(H28.11. 3 SB932SH撮影)
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揃いも揃ったえーかげんな案内にえーかげんにせぇといいたい

2017年07月02日 08時38分42秒 | メモしとこっ!
どいつもこいつもなっていない道先案内人の対応。

言いたくもない、とんでも案内に立ち往生した。

言いたくもないのだが今後の対応が素晴らしい形になってくれると期待を込めて書くことにした。

場所は橿原市の今井町だ。

まちづくり団体が主導してさまざまな展覧会やイベントを開催する『はならあと』のサテライトエリア。

橿原市の今井町は『はならあと ぷらす』。

公募作家の10組と地域連携プロジェクトの4企画による展覧会を美しい町並みとともに楽しんでもらうという趣向である。

知人の作家さんが展示すると案内状が届いたので車を走らせた。

今井町の会場は点在している。

その会場に行くには車で、と考えていた。

駐車場はどこにあるのか。

ネットをぐぐってみた『はならあと』。

10月22日~10月31日までの期間で展示時間は朝の10時から午後の4時までだ。

「※会期中、インフォメーション(今井まちづくりセンター)にて、アンケートをご記入の方に「 今井まちなみ交流センター 華甍」の駐車無料券をお渡しします。」と表記しているが、駐車場はどこなのか。

その頁の一番下に会場マップがあった。

その右下に描いてあった今井交流センター「華甍」に吹き出し文字で「インフォメーション(今井まちづくりセンター)にて、アンケートをご記入の方に「今井まちなみ交流センター 華甍」の駐車無料券をお渡しします」とある。

その駐車場に行けばアンケ-ト記入があって。

提出することで無料駐車券をくれるのだろうか。

普通、そんなことはあり得ないが、書いてある文字を読めば、駐車場の処に案内人が無料駐車券を渡してくれるように思えた。

その駐車場のアドレスは書いていないからカーナビゲーションにセットはできない。

あとで判ったのだが、インフォメーション(今井まちづくりセンター)は会場の一角であった。

『はならあと』の頁をめくりにめくってアドレスが見つかった。

今井町1-10-9(重要文化財の旧米谷家住宅)をカーナビゲーションにセットして走った。

ある程度まで走ってなぜか教えるカーナビゲーションは畝傍を示す。

このままいけば遠ざかる一方。

入力しなおして戻る。

今井町はとにかく狭い。

昔の寺内町の様相をとどめている極めて稀に残った重要伝統的建造物地区。

何度か訪れているから記憶にある。

狭い街路をカーナビゲーションが指示する通りに到着した場所は民家だった。

その民家前には一般の駐車場があった。

『はならあと』が案内する「今井まちなみ交流センター 華甍」の駐車場ではない。

どこに向かえばいいのかその民家に置いてあった『はならあと ぷらす』マップ。

方角が判らないので街行く人に尋ねた。

その男性は黄色いようなジャケットを着ていた。

たぶんに案内してくれるだろうと思って声をかけた。

指定される駐車場はどう行けば良いのか・・。

こう行って、ああ行ってである。

男性が続けていった。

駐車するにはここへ行って駐車無料券をもらってからにしてください、という。

それなら先にそういうことを云うべし、であろう。

始めて訪れる人はなにをどうしていいのかオロオロする対応の伝え方だ。

そこへ行けばもらえるということでまたもや道案内。

ここをこう行って、あそこを曲がって・・・。

車を停めるにはお寺がある処に若干停められる場所があるから大丈夫と云われた。

大丈夫といわれてもアンケートを書いている時間に通行する車があれば迷惑になるだろうに・・。

そういったが、短時間だから行けます、という。

ぐぐっと廻ってそこに行った。

膨らみ部分はこれかどうか判らないが、すぐ向こうにインフォメーション(今井まちづくりセンター)らしきものがある。

無料駐車券はここで良いのかと聞けば、そうだという。

車はここへ停めてもいいのかと云えば、通行する車はないから、構わないという。

そういう通りにした。無料駐車券をもらうにはアンケートを、と云われて記入していたら、通行する車がクラクション。

予想していたことが発生した。

ここへ停めてくださいと云った和服姿の女性の案内にイライラする。

アンケート記入、車の移動、どちらを優先すればいいのか・・受付をしていた別の和服女性に云えば、車を移動してくださいだ。

当然だろう。

通り過ぎる車は2台。

なんとかせーよ、と言いたげな運転手の顔が見えた。

記入場所に戻って継続する。

すべてを記入したら、これは交換券なので無料駐車券と交換してください、という。

えっ、である。案内はどうなっているんだ。

そんなことはどこにも書いていなかった。

この場所を案内した男性もそういうシステムになっていることを伝えていない。

私はいったいどうしたらいいのだ。

車を駐車場に停めずに次の行先を指示する2番目に登場した和服姿の女性は云った。

駐車場に停めて、ここ今井まちづくりセンターに戻ってもらって、ここをこうして次の通りにある反対側の場所を示して・・・。

なんでそんなに大回りをしなければならないのか・・・。

女性がいうにはいろんな展示会場を見てもらうように案内している、という。

そんなアホな、である。

この時の時間帯は午後3時を過ぎていた。

迫ってくる展示時間。

駐車場は停めなきゃならんのに大回りをせよ、という大胆な案内にあきれかえってモノも云えないが、そういうわけにはいかない。

あんた何を考えてまんねんやっ、である。

先に無料駐車券に交換しておけば、残り時間を気にしなくとも安心して拝見できるでしょうに。

イライラに切れそう・・。

切れそうどころか爆発させたのは何回目。

指定された駐車場はタイムパーキング。

駐車カードを手にして知人が展示する会場に向かった。

無料駐車券を発行する時間帯は午後の5時まで。

展示会場の締め時間より遅い。

余裕時間は十分に確保できる。

そう判断できたから展示を見ることにしたのだが、こんなことも『はならあと ぷらす』の頁には書いてあったのだろうか・・・。



到着した時間は午後4時20分。

会場で知人をお会いした。

積もる話しに時間の経過が早い。

もうしわけないが、退出時間は午後4時を過ぎた15分だった。

展示会場を出ようとしたときに1番目に応対した和服女性がいた。

交換場所はどこかと聞けば、一緒に連れていってあげる、という。

それなら安心できる。

そう思って付いていったが、そこは午後5時までだからゆっくり・・・、と思ったが、その女性は午後4時半で閉まる、という。

時間がないし、その件はどうでもいいから、急いでください、という。

そうなんだ、無料駐車の交換券に書いてあった午後5時までじゃあなく、4時半が正しいのだ、と思った。

そこは『はならあと ぷらす』のマップにあった「景観支援センター(橿原市生涯学習部今井町並保存整備事務所)」であるが、交換して無料駐車券を発行するとはちっとも書いていない。

いったいここの案内はどうなっているのだ。

しかも、だ。ガイドマップの表記についてこうしておけばいいのではと伝えたら、私らなんぼ言っても聞いてくれないとグチまで零す始末。

この人もアンケートに書いて・・・、と云ったことに愕然とした。

和服女性は私を施設にここです、といって戻っていった。

職員は意図を掴んで無料駐車券を手渡すが、どう使用するのか説明をしない。

なんと無頓着のことか。

私が7年半も務めた施設でも同じように無料駐車券を手渡していたが、必ず一言を添えて伝えていた。

「お手持ちの駐車券を出口の機械に挿入して、次に無料駐車券を入れてください」、と伝えていた。

始めて利用する人は使い方も始めて。

機械に挿入することすら始めてという人も少なくない。

手渡したときにだいたいの人は不安そうな顔をする。

そのときに添えてあげる詞でどれほど救われるか。

たまに、無料駐車券を入れたらよろしいですね、という人もおられる。

そこで伝えるのは入庫するときに時間が判らなかったら、アカンでしょと伝える。

勤めていた施設で手渡す無料駐車券は2種類あった。

施設の利用時間に応じて2時間券か、30分券になる。

入庫したときの時間は駐車券に印字してある。

施設の利用はそれだけでも判断できる。

つまりは無駄な無料駐車券を遣わせないためにある。

そういうこともあって、入庫した時間が判らないと駐車場のシステムが成り立たんでしょ、というわけだ。

これらの説明は利用者に勉強していただくためにもしていた。

施設にとってではなく、利用者のためを、と思って説明していた。

それがサービスだと思っている。

単に券を渡す、のではなく、利用者の気持ちにそって優しく話してあげるのをモットーにしてきた。

おかげさんで仕事を離れた5年も経った今でも町ですれ違うときの私に声をかけてくれる人もいる。

昨日もそういう人に出会った。

ありがたいことだと思っている。

えーかげんな案内がリピータどころか、二度とその人は今井町に来なくなるだろう。

私はそう思ったことを事務室から出てきた上司にも伝えた。

展示会場に来られた男性にこういった経緯を話したら、アンケートに書けばよかったのに、という。

それは書いても無駄とは言い難いが、受け取った人、読んだ人は真剣に取り組まない。

頭のなかに若干の記憶は残るが、いずれは消えていく。

アンケートは絶えず人の見えるところに貼りだすのが効果的だ、と思っている。

大手のスーパーではクレームアンケートを入口付近で張り出しているケースがある。

で、そこには会社としてこのような対応をさせていただきました、とある。

それを読めば、会社の姿勢がよくわかる。

従業員の姿勢も判る。

挨拶だけではなく真心のこもった対応がリピータを呼び込む。

そんな今井町にしていきたいと云った上司。

研修も教育もしていきたいと云ったが、あえて否定した。

その対応は机上教育でしょ、である。

観光客という客は100人おれば100人とも異なる理由をもってここへ来たわけだ。

目的も思いも皆違う多様性がある。

教育・研修はありきたり。

マニュアル通りの対応では想定どおりにいかない。

100人とも違うのだから対応は100。

いや、100以上の対応が求められる。

それを習得するには無理がある。

早期に身につけなければ客は2度と来ない。

チャンスは客と直に応対するときに発揮しなければならない。

実践型の研修が必要だ。

研修と云わずに、案内する人は自ら進んで町行く人に声をかける。

かけるのはだれでもいいということではない。

動き、表情をみれば困っているかどうかすぐ判る。

例えば観光マップをもってウロウロしているか、あっちやこっちを見ている人だ。

行先が見えないとか、行き方が判らないとか・・・。

声をかけてもらうだけで救われるのである。

サラリーマン時代の十数年間。

毎年入社する新人研修に携わっていた

。間作った手引きやレジメは翌年には使わなかった。

入社する新人の反応が毎年違うのである。

人が替われば研修方法も替える。

おかげさんでその十数年間に関わった新人さんに教えられたと今でも感謝している。

そういうことではないでしょうか、と云えば、その通りと返された。

是非とも今後の今井町を見ていただきたい。

物理的施設の充実ではなく、ソフト面の向上を考えていきたいと話してくれた。

導入部の案内でリピータが増えてば今井町もさらなる発展をする。

職員の思いは私の思いと同じ。

その状態になるよう陰ながら応援することを誓い合って今井町を離れた。

振り返って再見した『はならあと』の頁にサポーターカテゴリがある。

サポーターは開催期間中の受付や作品の見守りに来場者の誘導、説明、ガイドブックの販売など。

今井町会場を案内するまちづくり団体は「今井町町並み保存会」。

市の外郭団体なのか、NPO団体なのか存じないが、駐車場および無料駐車券の発行に関して案内がぞんざいであったことが残念に思えて仕方がない。

そんなことがあってようやく知人の作家さんがお披露目していた会場に着いた。



玄関口の向こうに染物の暖簾がある。

これは作家さんの染めであろう。

雰囲気が素敵で吸い込まれるように入っていく。

もっと近づけば思った通りの暖簾。



玄関表に掛けて迎えるのも良かろうと思うと、そのときは思ったが帰宅して映像見れば、裏でないとできない効果があると知ったのだ。

さすが、である。

座敷に数点の作品を展示している。

藍染を主体にした作品は光を巧妙にあてることで不思議な空間を映し出す。



赤は赤なりの温かさ。

青は青で静寂さを醸し出す。

ぐだぐだあったここまでの辿り着くプロセスがすうっと消えていった。

良い作品に出合えてほんま、良かった。

(H28.10.24 SB932SH撮影)
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奇遇に繋がる妙な縁

2017年05月24日 09時03分28秒 | メモしとこっ!
それぞれがそれぞれに奇遇な出会い。

関係者は仮にAさん、Bさん、Cさんとしよう。

AさんとBさんは同郷であるが年齢は離れていた。

Aさんは生まれ育ちも、今も高取町住まい。

Bさんの現在のお住まいは東京・川崎市であるが、故郷は同町で生まれて育った。

年の差は云十歳。

年齢的に離れている関係で遊ぶこともなかったし、つきあいもなかった。

Bさんの故郷は高取町。

生まれ育った地域の歴史文化を知り、記録したいと考えて訪れた。

特に意識されていたのは「大和の清九郎」である。

清九郎が生まれたのは矢田(谷田)。

その後に移り住んだのが故郷の丹生谷であった。

その直前の3年間は鉾立住まいだった。

それを以って文政元年に僧・仰誓(ごうせい)が書き記した著『妙好人傳』に「大和國吉野郡鉾立村に清九郎と云ふ人あり云々・・・」とあることから、後年もなお、清九郎と云えば“鉾立”が成立したようだ。

Bさんが先代から聞いていたのは丹生谷。

そうであるならば一村を尊重するのではなく大きくとらえて“大和”の清九郎とされたのは先々代の喜多村得身氏。

地元から輩出された偉人・清九郎を誇りに郷土史として清九郎の事跡を纏められた。

清九郎に関係する道具などは寄進されて保存されている。

清九郎のことを調べるとともに丹生谷の史跡、歴史、文化など故郷を知る案内人がAさんだった。

CさんがAさんと出会ったのは大和郡山市の施設であった。

そのときの出会いはブログにしたためた。

その記事にも書いたが、AさんがBさんの関係をCさんに伝えたのは年賀状である。

3人のそれぞれの関係が輪になって繋がったのである。

その後はFBやメール等で情報交換していた。

Bさんが奈良に訪れる。

Cさんにその件を伝えたのはAさん。

日にちは限定されたこの日である。

3人揃って会えることになった。

わざわざ足を運んでくれた近鉄郡山駅に大集合。

二人は電車でやってきた。

駅舎内を渡る踏切がある。

走り去った急行は西大寺に向かった。

通過すれば遮断機があがる。

そこに立っていた二人の顔が見える。

Aさんとは平成27年5月以来。

その後は電話等で情報連携していた。

Bさんとは・・・実に30云年ぶり。

ビジネスマン時代の会社の東京支店長だったころにお会いしている。

それ以来だけに私の現状顔は認知されていない。

FBに貼ってあったプロフィール写真では判らないと云っていたBさんのために公開した写真は30歳代のビジネスマン姿。

これなら判ると伝えていた。

奇遇な出会いを経た3人が初めて揃う場は近鉄郡山駅からJR郡山駅まで続く商店街の一角。

かーさんが推奨した喫茶店はaran cafe(アランカフェ)。



かつては画廊だった。

喫茶店であっても入ることはない。

入店して時間を過ごすのがもったいないのである。

もったいないのは金額ではなく時間である。

たとえ1分でも5分間であってももったいない。

その時間は有効に使いたい。

金にならない今の仕事は先を急ぐ。

取材したものは写真だけでなく文章起こしがある。

これに時間を割きたい。

自宅でどっぷりつかって執筆したい。

そう、思うからなおさら時間が欲しいのである。

二人が寛いでいただける喫茶店はどこにするか。

Bさんは午後6時までに奈良市内に向かわねばならない。

近鉄郡山駅で迎えてウロウロするわけにはいかない。

観光案内する時間もない。

そう、考えて駅に最も近い喫茶店がaran caféである。

積もる話しもあるが、第一に聞きたい病後の状況。

それぞれがそれぞれに具合は良くなかった。

今では元気になったが、病は年相応にやってくる。

生前にやるべきことはそれぞれある。

話題が尽きない短時間の出合いに感謝して二人を見送った。

お土産に持ってきてくださっていた川崎大師名物の堂本製菓㈱の大師巻

かーさんは一口を食べるなり、美味しいを連発する。

すぐさま私もよばれていたが、ほんまに美味しい煎餅に感動する。

そのありがたいお土産を持ってきてくださったBさんと関係があったのがかーさんと呼んでいる家内である。

親会社に勤めていた二人は同じ職場だった。

かーさんが持っている写真に若かりし頃のBさんが写っている。

もちろんであるが、かーさんも若い。

その話しもしたかったが、会社時代のことはAさんと関係がない。

いつか再びお会いしたときには昔の会社員時代の話しもしてみようか。

(H28. 9.27 SB932SH撮影)
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