1年4カ月も国外でワークをこなしてきた次男が戻ってきた。
その月は誕生月。祝いの場におふくろも呼びだす。
迎えの車は平成13年モノの軽バンのマツダスクラムバスター。
中古で購入したのは平成19年の9月26日だった。
走行距離は10万1千5百98km。
販売価格の29万円で購入したが、実際はタイミングベルトの交換や諸費用で45万円だった。
ネットで見たとか云えば値引きしてくれて41万円のマツダスクラムバスターは走り続けて21万kmを遥かに越えていた。
今年の1月に入ってからおかしな症状がでていた。
ときおりオイルランプが点滅するのだ。
オイル交換をしてもしばらくすればまたもや発生するオイルランプの点滅。
2月、3月、4月になってもときおり。ときおりなのだから症状を杉本オートサービスに伝えても本格的な修理にはゆきつかない。ややこしいのである。
平成25年の1月8日に発生したエンジン停止。
場は平群の山間であった。
修理会社を手配して応急措置。
原因はスロットル装置の自動チョークの故障であった。
自動を外して手動に切り替える。
エンジン回転を調整して出発前の暖気運転さえすれば、なにごともなく動いていた。
この日はおふくろを迎えに大阪住之江まで行かなくてはならない。
エンジンの調子がおかしくなるのは高速回転で走ってきて止まったときだ。
音もなくエンジンが停止するのだ。
天理の坂を越えて走る西名阪国道。
福住、或いは針で下りた直後もそうなった。
高速回転が持続する際に発生するおかしな事象である。
もしかと思いつつも走っていた阪奈道路。
生駒山の峠を越える際には信号がある。
そこでストップしたエンジン。
こりゃ、えらいところで停まってしまったと汗がでる。
エンジンキーを回してもうんともすんとも、である。
後方の車列に両手で×表示をしてニュートラル。
そろそろと道路脇に寄せて停めた。
これまでこのような事象が発生しても駐車場内ばかりだった。
しばらく待てばエンジンが回復する。
なぜか判らないが、時間をしばらくあければ問題なく動き出す。
回復して再び出発した大阪地道。
平坦国道をひたすら走るが、信号待ちになればドキドキする。
なんとか住之江に着いておふくろを乗せる。
一般道を走って西名阪高速道路は松原JCTから。
料金所で支払って一路は奈良。
いつもなら香芝ICで下りるのだが、3月23日に開通した大和まほろばスマートチェンジで下りたかった。
そこで下りれば大和中央道路に行きつく。
早く着くようになったスマートチェンジを利用したかったが、現金払いは不可である。
走行中に掲示してあったETC専用の出入り口。
仕方なく法隆寺ICで下りることにした。
下りた直後の信号待ち。オイルランプは点滅するし、エンジンがスローな状態でドクン、ドクンである。
ガソリンスタンド北側にある道脇に寄せて退避した。
エンジンを止めてしばらくは小休止。
その間に緊急連絡した杉本オードサービス。
閉店時間にはなんとか間に合う16時半。
回復したエンジンは停止せずに着いた。
オイルバルブメッシュの目詰まりが原因であろうということだ。
代車は子息の愛車。長男と同級生の子息だ。
駐車場に停めていたら後方がボコボコにされていたと云う日産CUBEは普通車。
我が家の駐車場ではいっぱいになる。
ボロボロ車やから構わんと云うが、傷をつけるわけにもいかずにおそるおそるのバック駐車に次男の単車に当たりそうだ。
(H26. 4.12 SB932SH撮影)
誕生祝いの翌日には大阪へ戻りたいというおふくろ。
仕事を終えてしばらくしてから送りだす。
送りだすと云っても電車で帰らすわけにはいかない。
丁度そのとき杉本オートサービスから電話があった。
メッシュの汚れはそれほどでもなかったと云う。
それなら大丈夫だと思って戻ってきたスクラムバスター。
風呂の蓋やマットが欲しいと云いだしたおふくろの願いで途中下車。
大和小泉店のコーナンで購入する。
ここからは斑鳩町を通り抜ける国道25号線。
王寺からはさらに南下して香芝出入り口の西名阪高速道路を走る。
料金所は大阪の柏原だ。
支払った料金は軽自動車で310円。
4月からの消費税アップで10円も増額された。
そのとき停車したエンジンが停止した。
よもやこんなところでと思っても仕方がない地点は西名阪上り7.5キロポストだ。
料金所職員に停止した旨を伝えたら、二人がやってきた。
ニュートラムにして後ろから押してくれる二人。
料金所の端っこ。
指示に従って高速パトロール隊施設辺りの道路脇に停めた。
「どうしたのですか」と寄ってきたパトロール隊員。
事情を説明すれば、「レッカー車を手配してください」である。
とにもかくも緊急連絡をするのは杉本オートサービス。なかなか電話にでない。
仕方なくかーさんに緊急連絡して工場に走ってもらった。
状況を説明するも、ここまで支援に来られるわけはない。
そうこうしていううちにエンジンは始動した。
現象はしばらく待てば回復する、である。
エンジンは回転しても高速道路ではそうはいかない。
いつ停まるかもしれない車は高速道路を走らすわけにはいかないのである。
戻るか、それとも次のIC出口。
高速道路は一方通行。
奈良へ戻ることは不可である。
選択は藤井寺ICであるが、高速パトロール隊の指示に従う誘導走行。
後方につく。
何かしかの伝達をしなければならないので窓は開放だ。
そろりそろりと走り出す道は中興ではなく端っこだ。
パッシングライトを点滅させる30km走行。
後方の高速パトロール隊も同じだ。
しばらく走行してから鳴りだしたサイレン。
何事かと思ったが、鳴らし続けるパトロール隊のサイレン。
違反した車を追いかけているようにも見える様に思えた。
どこまで走ったのか判らないが、停止のマイクが聞こえてきた。
辺りは河内の大和川であろう。
高速を走る車がビュンビュン飛ばしていく。
その有りさまに怖がるおふくろ。
停車した高速パトロール隊員が下りて伝えた言葉は「本部から連絡があり、道路に落し物が見つかったので、それを除去するまで待ってください」である。
高速パトロール隊員の仕事はそれが多い。
大きな旗を振って隊員が居ることを知らせる旗。
そんなことはおかまいなしに走っていく高速走行の車。
車間が僅かに途切れた瞬間に中央分離帯にあった落し物を確保された。
その様子をバックミラーで見ていた。
拾得したものはブルー色。
落し物はもう一つあった。
同じブルー色のそれは、おそらく灯油函であろう。
無事に回収された落し物はパトロールカーに詰め込む。
テレビなどで特集されたこともある高速道路のパトルール作業。
リアルな現実場面を見てたいへんなお仕事にあたっているのだと思った。
そろり、そろりの誘導で到着した藤井寺IC。
「右にでればコンビニで休憩されてはいかがでしょうか」と伝えられた。
ありがたい言葉に感激して窓から激励の手を振って再出発した。
藤井寺からは地道の国道。信号待ちにビクビクしながら住之江に着いた。
その時間は夕方5時。
無事におくふくろも送り届けた私の任務は帰り道もビクビクである。
長居公園通りを東に向かう。
信号に出くわす度に踊る心臓。
それに合わせているかどうか判らないが、エンジンもバクバクしている。
回転を上げればと思ってニュートラルにしたとたんに停止した場所は平野の喜連(きれ)。
こうなっても慌てず騒がす、パッシングライトを点滅させて後方の車に両手を交差させて×表示。
よいこらと一人で道路脇に寄せる。
パッシングを点滅したままではバッテリーがあがる。
申しわけないが切ってしばらくの時間を待つ。
回復するには数分間。消防車が後ろについた。
停めた場は消防車の駐車場であったのだ。
申しわけないと思って、直ちにエンジンを回した。
復活だ。いつ、どこで停止するかもしれないスクラムバスター。
命運は生駒山を越えることはできない。
八尾太子堂、志紀、柏原安堂、国府を経て大和川を遡上するように王寺に着くが長丁場の復路。
途中のコンビニで用を足すなどせざるを得ない。
エンジンも休ませば回復する。
三室、竜田、法隆寺から大和小泉まで来ればほっとする。
自宅に戻ったのは21時20分だった。
平成24年の5月29日に発生したエンジン回転不良。
スローなブギにしてくれではなく、スローな回転をどうにかしてくれだった。
エンジンの隙間を調整したものの、同年7月5日に腐気くさい臭いが発生する。
どうしようもないエンジンを交換(7月24日)した修理代は6万円だった。
平成22年の9月13日の故障はクーラーだ。
同年11月にはオートマのオイル漏れがあった。
12月半ばにオイルシールとエンジンシール交換で対応した。
費用は2万円だった。
遡ればいくらでもあったスクラムバスターの故障。
平成22年の8月7日に発生した故障は難儀した。
山添村の取材を終えて都祁上深川へ戻る道中にエンジンランプが点灯して停止した。
うんともすんとも作動しないエンジン。
なんとバッテリー切れである。
なんとか動いたものの西名阪国道で完全停止した。
杉本オートサービスに緊急コール。
数個のバッテリーを積んで大急ぎでやってきた。
ダイナモの故障によるバッテリーの不充電。
当時の走行メーターは16万kmだった。
同年の4月1日は正面衝突事故に見舞われた。
平成24年の5月8日に訪れた大阪の能勢村。
そこで運転席側のスライドドアの取っ手が破損した。
スライドドアを勢いよく開けようとしたときのことだ。
堅かったので思いっきり引っぱった。
バキっと音をたてて取っ手が壊れた。
運転席の窓を開けて手を伸ばす。
車の内部に手を入れてドアを開ける。
2年間もそうしていたからおかしな癖がついてしまった。
運転席を降りて、すぐさま内部に手を入れる。
そんな癖である。
平成25年の秋夏には運転席側のバックミラーが壊れた。
西名阪国道を走っているときのことだ。
バックミラーがペコっと車体に並ぶ。
風圧に耐えきれず、車体にくっつくという感じだ。
おかしいと思って停車した。
本来ならばラッチがついていてそのようなことは起こらない。
ぐらぐらして軽いのである。
これには困った。思いついた救急措置はガムテープ。
持ち合わせていたガムテープで固定した。
これなら風圧にも耐えられる。
そんなスクラムを見た知人が言った。
「なんで?ガムテープ」である。
しばらくはそうしていたが、あまりのむごさに透明テープに貼り替えた。
ほとんどの人はそれに気がつかないが、洗車する際は困ったものだ。
洗車するにはバックミラーは閉じなくてはならない。
その都度貼り替えて半年間も経っていた。
走行メーターは21万6千5百56km。
よくも走ったものだと思う。
そのほとんどの走行距離を稼いだのが行事の取材である。
月割り計算してみれば月間平均が1450km。
一年間で1万7千kmにもおよぶ距離を走っていた6年と7カ月。
費やしたガソリン代を平均値計算して総合計すればおよそ130万円にもなった。
写真はおふくろの住む団地の花。
手入れが行き届いている。
(H26. 4.14 SB932SH撮影)
(H26. 4.15 記)