マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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三宅町の花アサザ

2010年08月04日 07時49分21秒 | 三宅町へ
度々訪問する石見。鏡作神社のさなぶりは前週日曜に終わっていたことを公民館の方に教えていただいた。

ふと下を見ればプランターに青々した植物が置かれている。

黄色い花が咲いていた。

万葉の花のひとつにあげられるアサザ。

色合いはキュウリの花と同じようだ。

花は朝に咲いて午後には萎む。

朝に咲くからアサザと名がついたというが、さてさて。

石見の各戸にはそのアサザが分けられて玄関口に植えているという。

自生地はどこだか判らない。

持って帰ってくださいと数株を分けてくださった。

アサザはスイレンと同じ浮葉性植物で多年生の水草。

地下茎のランナーが伸びて成長していく。

アサザは万葉の花。

当時はアザサと呼ばれていた。

「三宅乃原ゆ(みやけのはらゆ)」で詠まれたことから三宅町の花に指定されているが、準絶滅危惧種であるがゆえ大切に育てたい。

が、だ。

一か月を過ぎた。

根グサレだろうか絶滅した。

お詫びするしかない。

ちなみに石見の人たちは万葉詠みで「アザサ」と呼んでいる。

(H22. 6.25 EOS40D撮影)

石見おうてくれ地蔵法要

2008年08月19日 09時00分19秒 | 三宅町へ
三宅町石見新池東堰に祀られているお地蔵さんは地元の有志主催で地蔵尊祭法要を営んでいる。

一昨年までは8月であったが、ご住職が替わられた機会に7月に変更された。

このお地蔵さんは新池ができる昭和60年8月まではもっと南側にあったという。

鬱蒼とした場所であったが通る人は「お徳」があると拝んでいた。

夜遅く用事を終えて通りすがりの人は、どこからともなく「おうて(おんぶして)くれや」とか聞こえてきたという。

また、悪事をおうて(おっぱらって)くれやと願ったことから「おうてけ地蔵」という呼び名が付けられたお地蔵さんは「お徳い地蔵」から訛ったものだとも言われている。

新池が造られることを機会に、明るくして悪いもんがやって来んようにと地蔵堂に祀った。

お花いっぱいに囲まれたお地蔵さんの前には椀に盛られた五品御膳が並べられ、大淀町の正覚寺から住職を迎えて法要が始まった。

魚、お肉、野菜。お米など食べ物には命がある。

手を合わせていただく命の大切さ。

私たちはその命をもらって生かせてもらってるんじゃな。

人のために尽くすお地蔵さんの教えをいただきますと住職のお話しを神妙な表情で聞く子どもたち。

法要を終えるとお地蔵さんのありがたい智恵の水を授かり、お菓子のお下がりをいただいて帰途につきます。

今日はラッキーやったなと嬉しそうな笑顔の男児たちは自転車に跨いで帰っていった。

(H20. 7.23 Kiss Digtal N撮影)

石見新池おうてけ地蔵さん

2007年08月27日 08時48分48秒 | 三宅町へ
三宅町石見新池東堰に祀られているお地蔵さんは7月23日10時から地元有志主催で地蔵尊祭法要を営まれる。

昨年までは8月であったが住職が替わった関係で7月に行われることになったそうだ。

このお地蔵さん、昭和60年8月に新池ができるまではもっと南側にあったという。

鬱蒼とした場所であったが通る人は拝んでいたお地蔵さんは通称「おうてけ地蔵」と呼ばれていた。

言い伝えでは用事を終えて遅くなった通りがかりの人に「おうて(おんぶ)してくれや」とか聞こえてきたそうな。

また、悪事を追うてくれや(おっぱらってくれ)と願ったことから「おうてけ地蔵」という呼び方になったと言われる。

新池が造られることを機会に明るくして悪いもんがやって来んようにと地蔵堂に祀っている。

(H19. 7.16 Kiss Digtal N撮影)

石見町ゴウシンサン提灯

2007年08月04日 08時56分38秒 | 三宅町へ
伊勢講が盛んに流行った江戸時代。

そのころ大和平野部の各地ではいたるところで大神宮塔が設けられている。

三宅町石見では集会所付近の明神さんの傍に大神宮塔(文化六年建立)がある。

朝10時、高張提灯を掲げ神饌を供えると、鏡作神社氏子らは大神宮こと郷神さん(ゴウシンサン)に参拝します。

郷神さんは火の神さん。

火に世話になっているからとお参りする。

昔しは青年団が行っていたが廃止されてことで氏子らが行うようになったという。

スイカやトマトを供えて午後3時ころまで置いといたものをお下がりやいうてみな取りに来たもんだが今はだれも来んわと懐かしそうに話す氏子役員さんは、提灯柱の後方付けに精をだす。

(H19. 7.16 Kiss Digtal N撮影)