マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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上・民家の厄除け護符

2018年07月18日 08時41分59秒 | 民俗あれこれ(護符編)
昭和5年生まれの母親の話しによれば葛城市の二上山登り口に行く近鉄電車の二上神社口駅から歩いたところにある神社にあったそうだ。

そうであれば神社は通称加守神社の名で呼ばれることが多い葛木倭文座天羽雷命神社であるが、果たしてそうだろうか。

加守神社の摂社になる神社がある。

二上山雄岳山頂付近に鎮座し、大国魂命を祀る葛城二上神社ではないだろうか。

それとも二上山雌岳に神蛇大王(竜王)を祀る当麻寺中之坊鎮守社であるかもしれない。

と、いうのもお札にある文字が「氷柱」。

なぜに氷なのかわからないが竜王を祀るだけに水の神さんと考えられるのだ。

ずいぶん前のようなことで貼ってから何十年にもなる小さなお札。

厄除けに効くとかで貼っているそうだ。

もう一つ、特徴的なお札がある。



一枚は□で囲った「守」の一文字。

その横に貼っていた文字は縦列が「北守閉止南」。

左右に「東西」とある。

つまりは東西南北に守られた「守閉止」。

貼ってあった場所は玄関扉の真上。

つまりは施錠。

閉めた扉によって厄を入れないようにしていると思われる。

この2枚に「守」がある。

「守」とくれば神社は加守神社。

たぶんにそうであるが、母親は神社がどこであるのか、所在地も覚えていない。

厄除けのお札は玄関に門屋。

横にあった「立春大吉」も厄除け。

立春時間(立春の日の深夜の1時頃)を過ぎてから(立春の日の早朝)に貼るのが一番いいとされているお札である。

(H29. 6.11 EOS40D撮影)
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荒蒔十二月十二日の護符

2015年09月04日 09時04分52秒 | 民俗あれこれ(護符編)
所用で立ち寄った天理市荒蒔町。

前當家の作業場に逆さのお札が貼ってあった。

お札の文字は「十二月十二日」。

12月12日の朝、こうして息子が貼っていたと再現してくれた。



建て替える前の母家には扉、窓などあらゆるところに貼っていたそうだ。

夫妻の話しによれば、毎日放送ラジオの「ありがとう浜村淳」で浜村さんが話しをしていたのを聞いて、「これはえーで、泥棒除けになるんや」と云って10年前から始めたと云う。

釜ゆでの刑に屈した盗賊頭の石川五右衛門が屋根から泥棒に入ろうとするのを阻害すると信じられた護符。

屋根から覗いたときに判るように逆さにして貼るという・・・伝えである。

何故に「十二月十二日」であるのか。

京都通百科事典によれば、五右衛門が釜ゆで処刑された日だとある。

まことしやかに流布している説だが、五右衛門が誕生した日という説もあるようだ。

「十二月十二日」の護符は家内の実家もしていたし、大阪生まれの我が実家でも。

明治39年生まれのばあさんがしていた。

これまで調査した地域は葛城市や御所市にもあったと聞いている。

大和郡山市内でも数軒の事例を聞いたことがある。

桜井市の脇本では知人から泥棒除けの話しを聞いてしているという民家もある。

流布は広範囲であるが、荒蒔の事例は公共電波が伝播させた事例であった。

「十二月十二日」の護符の話題を提供してくれた荒蒔の前當家。

荒蒔にケイチンの鬼打ち行事がある。

平成17年1月12日に拝見したことがある。

鬼を射止める弓はカワヤナギの木。

矢はススンボの竹。

前日に神社五人衆が作るらしい。

例年は12本の矢にするが、新暦の閏年では13本になるという。

射止めた矢を貰って帰ったその年に男の子が生まれるというのだ。

ちなみに前當家は平成28年のケイチン當家を務めるそうだ。

(H26.12.14 EOS40D撮影)
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満願寺町のお札

2012年03月07日 06時43分32秒 | 民俗あれこれ(護符編)
奈良県立民俗博物館の玄関ホールでミニ・モノまんだら展「十二月十二日のお札」を展示されている。

泥棒除けのまじないだとされる十二月十二日の文字を書いたお札を玄関にはっておく。

民間における風習が各地で見られるが家の風習だけにその存在を見つけることはとても困難である。

額田部町に住むY婦人はそのお札のことは知っていたが貼ってはいないという。

同町に住むS婦人は以前に住まいしていた母屋で行っていたという。

いずれもかつてのことだ。

そんな話題をした行きつけの歯医者さん。

先生が生まれ育った実家に残っているかも知れないという。

あれば、と撮影願いをしていたのであった。

そうして出かけた先は満願寺町のI家。

父親がお住まいだ。

玄関を開けてここだと指さす先にあったお札。

まぎれもない十二月十二日のお札であるが逆さではない。

お札の横には「立春大吉」のお札もある。

疫鬼を家外に追い払って「福」を招き入れるのであろう。

これもまたまじないのお札である。

十二月十二日のお札は24時に貼るのが良いとされる。

豊臣秀長の菩提寺として知られる大和郡山の春岳院。

かつては午前0時に訶利(梨)帝母(かりていも)=鬼子母神の尊前で祈祷した水を用いて墨を摺った。

梵字に頭を添えて「十二月十二日」と墨書した。

そのお札は檀家に配っていたと、ミニモノまんだら「十二月十二日のお札」の解説にある。

立春大吉も同じように2月3日の24時に墨を摺って墨書したお札を貼っておく。

そうしておけば鬼は入ってこずに福を招いて一年間が無病息災で過ごせるというまじない。

どちらも家内安全を願う護符に違いないが、貼った人(母親)は此の世に居ない。

話を聞いておけばルーツの一つが判ったかも知れないが、先生も父親も聞かずじまいだった。

あの世で聞くしかないと話された。

ところで、700年前(1309年・宮廷絵師高階隆兼作)の鎌倉時代後期の暮らしぶりを描いた絵巻「春日権現験記絵」には屋根に登った赤鬼が見られる。

屋根から室内を覗き込む鬼の姿だ。

疫病神、異国の或いは怨霊の姿の鬼は病に伏す家人を伺う。

それを見て思い起こすのが「十二月十二日のお札」だ。

釜ゆでの刑に屈した盗賊頭の石川五右衛門が屋根から泥棒に入ろうとするのを阻害すると信じられたお札。

それゆえに文字を逆さにして貼るのだと・・・伝えがある。

「立春大吉」のお札の文字は左右対称。

表から見ても裏からでも同じ文字である。

ゆえに玄関に入らずとも鬼が見えるのは立春大吉の文字。

鬼は振り返り戻っていくという。

上下、裏表に違いはあるものの逆さに貼る十二月十二日のお札はもしかとすれば邪鬼除けだったのではないだろうか。

(H24. 1.17 EOS40D撮影)
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十二月十二日のお札

2012年01月24日 08時40分27秒 | 民俗あれこれ(護符編)
一週間ほど前に電話で聞き取りをしたN家を尋ねた。

「ここに貼っているのです」と示された玄関。

逆さにした「十二月十二日」の文字が見える。

30枚も書いたというお札は泥棒除けの札。

伏見稲荷大社から授かったカラフルな幣(志るしの杉)やしゃもじまでもある玄関口だ。

しゃもじには「大社」の名があるが社名はテープで見えない。

「外しても構わない」と仰るがそういうわけにはいかない。

そのままであるのが当家にとっての祓えなのだからと断った。

「十二月十二日」のお札は「ここにもある」と案内されたリビング。

その部屋の窓に貼られていた。

Nさんは近所のNおばあさんに教えてもらったという。

そのことも確かめなければならないので訪問した。

息子さんのK氏の話によればだ。

親父さんが朝倉台に移転した青果店から教えてもらったという。

親父さんが10年前に亡くなってからお札貼りは止めてしまったという。

ここで泥棒除けの伝播調査が途絶えてしまった。

(H23.12.18 EOS40D撮影)
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脇本の泥棒除け札

2012年01月14日 08時58分11秒 | 民俗あれこれ(護符編)
「十二月十二日」の逆さ札を貼っている脇本の元一老。

3年ほど前に近所の方から教えてもらってお札貼りをしているという。

話を聞いた頃になる。泥棒に入られかけたことがあった丁度そのころだ。

「お札を貼れば二度と泥棒が入って来ないだろう。泥棒も退散するやろ。」と、考えて家中のあらゆる扉に貼るようにされた。

そんな風習をされているお宅を12日に伺った。

当主は朝、起きたときに貼られた。

勝手口の扉、玄関口、各々の窓に室内の扉までありとあらゆる出入り口に貼ったお札はご自身で書かれたものだ。



M家の当主がされている泥棒除けの札。

それは3年ほど前に、近くに住むN氏から教わったそうだ。

「ややこしいのが来てな」と悩んでいたM氏。

N家で実際に拝見したお札はご利益があると思い、「これはえーこと聞いた」と言って翌年から始められたM家であった。

が、その発端となったN家の様子を聞かねばならない。

M家に紹介されてN当主に電話で聞き取りを行った。

当主によればテレビで放送があったという。

それは情報番組だったのか、ニュースであったのかと思いきやそうではなかった。

奥さまが言うにはテレビではなく、ご近所からだった。

上ノ町垣内に住む90歳のNさんに教えてもらったことに始まる。

同家におじゃましたときに貼ってあった「十二月十二日」のお札。

それは逆さに貼ってあった。

「泥棒除けのお札を貼っておいたらよろしいのやで」と聞いてN家でも始めたそうだ。

お札は、玄関、窓などありとあらゆる家内部の出入り口に貼る。

その毎数といえば30枚。

それほど開け閉めする扉が多いということだ。

そうこうしてお札の教えが集落を練り歩いていったのである。

実に面白い伝わり方である。

では、90歳の奥さんはいつから始めたのだろうか。

これもN氏に聞いた。

その結果、奥さんは五條市から来た人に教わったというのだ。

五條市から桜井市へと一挙に駆け巡った泥棒除けのお札の伝播。

お札はこのようにして人から人へと地域に繋がっていった。

こうした泥棒除けのお札は我が家でもしていた。

それは大阪市住之江の実家であった。

キョウおばあちゃんが毎年の12月12日にこのお札を玄関に貼りつけていたことを子供のときに眺めていた。

その光景は今でも思い出す。

キョウおばあちゃんはおばあちゃんの母であるオコマさんから伝えられたものだとおふくろは言う。

生まれ育ったのは大阪市内、現中央区の瓦町。

北浜から南下したところで呉服屋さんを営んでいた。

その店の娘だったキョウおばあちゃん。

戦災で焼け出されて住之江のバラック家で住むようになった。

息子と結婚したおふくろはそこで住んでいた。

戦時中は大阪河内に疎開していたが戦後に建てられたそこで住むようになった。

そこで生まれたのが私である。

バラック家は団地化されて消えた。

その光景もときおり夢の中にでてくる。

ちなみに家内の実家は東大阪の枚岡。

そこでも泥棒除けの札を貼っていたとかーさんは話す。

(H23.12.12 EOS40D撮影)
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脇本の泥棒除け札

2010年11月17日 09時53分06秒 | 民俗あれこれ(護符編)
脇本に住むMさん。春日神社の一老を勤めていた人だ。

一旦は引退されたが氏神さんの総代になった。

そのMさんのお宅を訪ねた。

ふと玄関口を見上げればなにやらお札が貼ってある。

目をこらしてみれば「十二月十二日」と書いてある。それも逆さまからだ。

大阪、河内、金剛山葛城山を越えた辺りに分布していたようだ。

このお札は泥棒避けとされているそうだ。

何年前かのことだと話すMさん。

家に帰ったら玄関をドンドンとしている見知らぬ人が居た。

帰ってきたMさんを見るやいなや垣根を飛び越して逃げていったそうだ。

それから不安になった。

近所でその話しをすれば良いお守りがあると教えてもらった。

それが「十二月十二日」のお札だ。

ありとあらゆる家の扉に貼り付けたお札。

効き目があったのか、それからは不安も危害もないという。

魔除けの一種だと思ってはいるが心が安らぐと話す。

この風習を教えてくださった人は地元の人のNさん。

どういういきさつで貼っているのか一度お聞きしたいものだ。

私の実家になる大阪でもしていた泥棒除けの札。

祖母が生きていた頃だった。

毎年していたのを子供のときに目撃していた。

祖母は河内の出身でなく大阪市内の中央にある中之島。

戦災で焼けるまでは呉服屋だった。

その娘だった祖母。

それはともかく情報によれば奈良の料亭の菊水にもあるようだ。

また知人の話では奈良町辺りでも見かけたことがあるという。

大和郡山の春岳寺の住職によれば京都から伝わったのではないかという。

今夏に東京へ転勤された新聞社支局次長の話では丹波から伝播したのではないかという。

どれが事実なのか判らないが文化圏はかなり広かったのであろう。

流通、交通、姻戚などに関係した人が動いた結果なのかもしれない民間信仰である。

(H22.10.15 EOS40D撮影)
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