マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

南山城村農林産物直売所で買った春蘭鉢

2018年02月28日 08時13分56秒 | もっと遠くへ(京都編)
南山城村付近に行けば必ず立ち寄る直売店。

いろごはんもタコ焼き風に焼いたシイ焼きもある。

食べる直売は私の口にあうかもしれないが、財布の紐は閉じたままだ。

ここへ入店して買いたいものは野菜である。

また買うてきたんかと嫌味を言われようともついつい買ってしまうヤーコン。

この日はたっぷり袋に詰めたヤーコンがあった。

これで200円とはびっくり値段。

入店していたお客さんに伝えたヤーコンの我が家の食べ方。

サラダも良いが天ぷらにしたら一番でっせ、である。

ところで今回は野菜だけでなく、久しぶりの山野草。

これで500円って奇跡に近い価格帯。

でっかい鉢に盛られた春蘭である。

こんなに大きく、しかも蕾が五つもある春蘭に飛びついた。

手間のかからない春蘭は半日陰の中庭に置きたい。

日差しがきつい地にはあわない春蘭。



私が知る範囲の自生春蘭のすべては北の斜面にあった。

日が当たり難い地である。

買った大鉢仕様の春蘭は我が家の南庭を背景に撮っておいた。



撮ってからは中庭に移す。

そこはセッコクもある。

春蘭も住みやすいところと判断して移した。

(H29. 4. 3 SB932SH撮影)
(H29. 4. 7 EOS40D撮影)
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笠置町切山八幡神社・節句のヒシモチ御供

2018年02月27日 09時26分53秒 | もっと遠くへ(京都編)
2月2日、架けた電話に話してくれたのは切山八幡神社の社寺総代のKさんの奥さん。

4月節句のヒシモチは社寺総代の3人が分担して、白桃蓬色の三色餅を準備するようなことを話してくれた。

形を調えるのはどこで、どのようにされるのかは、判然としない回答であったが、いずれも菱型に切断して供えるらしい。

京都府相楽郡笠置町切山を訪れるのはこの日が初めてではない。

訪れたのはこの年の1月15日

切山で行われている富士垢離行事の下見に訪れた日である。

富士垢離は小正月と8月初めの日の年2回と伺った。

尤も小正月の富士垢離はとても寒い時季。

切山では寒垢離と称している。

寒垢離を終えたばかりの社寺総代が話してくれた年中行事の一つに2月3日のヒイラギイワシがある。

いわゆる立春節句の前日の節分にしている習俗である。

メザシ(イワシ)の頭をチンチンガラガラの名で呼ぶこともある枝豆の軸の先に挿して、メヒイラギとともに切山八幡宮の各箇所に供えるという風習。

行事にあげてもいいが風習の方が相応しいような気がする。

もう一つが桃の節句の呼び名もある4月3日の行事。

その日はヒシモチを供えていると聞いたのでこの日に訪れた。

着いた時間は5分前。

寺社総代や数人の氏子が神社にいた。

これまで年中行事を務めていたのは二人の新旧宮守さんに四人の寺社総代。

さらに引退した宮守経験者を入れた七人組で祭祀を務めていた。

務める経験者は高齢の身。

次世代を継ぐ村人も少なくなり、宮守制度を廃止したのは一昨年であった。

人が少なくなった今は、四人の寺社総代が務めることにした。

宮守制度であれば順に繰り上がっていくことになるのだが、いなければ四人で継続するしかない。

その日の事情もあるから四人が揃うことも難しい。

かつての経験者も寄せて祭祀を務める。

代表の寺社総代は昭和11年生まれのKさんは今年で81歳。

本社殿を建替えた宮守経験者の大工棟梁は昭和8年生まれの83歳。こ

の日の節句にヨモギのヒシモチを作ったのは昭和10年生まれのNさんは82歳。

前もって準備した蕾付きの桃の花枝は何本もある。

切山の八幡神社は正面に八幡宮。

末社は右に高良神社。

左に御霊神社がある。



それぞれの社殿の両側にある花立ての器に盛る桃の花。

花立ての器が信楽焼。

切山よりそれほど遠くない地にある陶器作りの里。

信楽焼で名高いのは大きなタヌキである。

榊を立てた隙間に差し込む。

末社はもう一カ所ある。

本社殿より数百メートル離れた場に鎮座する浅間神社である。

浅間神社に参拝するのは先に挙げた富士垢離のときである。

ここも同じように榊を立てている花立てに桃の花を添える。



どこからともなく大きな音が聞こえてくる。

その音源は携帯ラジオだった。

大音響にしているのは鹿威しならぬ、猿威し。

ここら辺りは猿が生息する。

笠置町の切山だけでなく加茂町の銭司もそうだった。

後年にギャーギャーと叫んでいたのを目撃した地は木津川上流にあたる南山城村の北大河原だった。

銭司で目撃した猿は大型。

まるではぐれた親分のような身体つきだった。

のっそりのっそり集落の道を歩く猿。

畑に入っては食べごろになった作物を荒らしまくる。

数メートルしか離れていないところにいた。

堂々と動き回る猿は睨みをつける。

山に獣はつきものであるが、一番怖いのは猿だという。



半折りした奉書を敷いた折敷に載せる2色のヒシモチ。

下がヨモギを混ぜて搗いたヒシモチ。

クチナシを用いて赤い色にしたヒシモチは上段に重ねる。

その上に丸餅を載せて三段。

かつては中層に白い餅があった。

もちろんヒシモチの形である。

ちなみに昭和8年生まれの大工棟梁家では色粉を混ぜて桃色のヒシモチを作ったそうだ。

そして、最上段に蕾のある桃の花を添える。

憧れのヒシモチを拝見させてもらってたいへん嬉しく思う。

ヒシモチを作ってもってこられたのはNさん。

忙しければ作らないが、暇であれば・・と云っていた。

今年の3月に弟家にひ孫が生まれた。

ヒシモチは目出度い。

たくさん食べたいと孫が云うものだから作ったという。

ヨモギモチは粳米と糯米を挽いた米粉で作る。

割合は3対7。

粳米の繋ぎ、また、粘りがでるように割合を多くした。

搗いた餅はヒシ型のコウジブタに詰めて伸ばす。

厚さは2cmのコウジブタの大きさは一辺が40cm。

板は80cmもあると話してくれたが、菱形になるのやら。

ヨモギは茹でてから蒸す。

柔らかくなったヨモギを混ぜて餅を搗く。

それをコウジブタ内に詰め込んで包丁で切る。

搗きたては柔らかいからある程度固まってから切る。

昨年は上手くできたが、今年はできなかったと話す長老もいる。

昔は3月3日の節句にヒシモチを供えていたと伝わるそうだ。

ヨモギの若い葉が芽吹くのは3月3日では早すぎる。

もう少し、日が経たないと芽吹かない。

大阪市内に住んでいた私の子どものころの記憶体験でも4月だった。

都会ならまだしも山間地であれば気候の関係で遅い方になると思う。

先月の3月3日に取材した奈良県宇陀市大宇陀の野依で行われた上巳の節句のヒシモチ御供

ヒシモチ作りをされた小頭家が用意したヨモギはお店で購入した乾燥ヨモギであった。

本来は、生活する土地に生えているヨモギの新芽を摘み取り、冷凍保存したものを使用する。

冷凍庫ができるまではどうしていたか。

小頭家が云うには、土蔵保存である。

旧村に住まいする人たちは必ずといっていいほど土蔵がある。

また、芋を貯蔵する床下倉庫もあった。

一定温度で保つ冷温効果のある貯蔵庫は家近くにある崖に穴を掘っていたという人もいる。

おそらくは切山も同じようにそうしてきたのだろう。

ひ孫話しに出てきたコイノボリの支柱。

生まれたひ孫が初めて迎える端午の節句に揚げるコイノボリ。

その支柱は杉の木である。

初年は杉の葉をつけたままの支柱であるが、翌年は葉を刈ってカザグルマに切り換える。

長男が生まれたときもそうしていたと話してくれたのは社寺総代のKさんだった。



三段重ねのヒシモチ御供を供えるのは本社殿の八幡宮に末社の高良神社と御霊神社。



そして、境内外れに鎮座する浅間神社である。



その場、その場に供えたら一人の長老がやってきて、ローソクに火を灯して拝んでいた。



末社はヒシモチ御供だけであるが、本社殿は中央にヒシモチを据えて周りに神饌を並べていた。



三方に盛った品々はスルメにナスビ、ニンジン、キュウリなどの野菜もん。

お神酒に塩、洗い米も供えた場には金の御幣がある。

供える間にめいめいが先に参拝したら、神事を始める。



社殿を見上げる場に並んだ関係者は5人。

寺社総代が早速始める祓の儀。

頭を下げたら祓ってくださる。



そして、にわか神主役を勤める寺社総代は禊祓の詞を奏上する。

一人一人が捧げる玉串奉奠で終えた。

直会の場は社務所。

ゆったり寛ぐやすらぎの場でもある。

ふと見上げた玄関軒にあったヒイラギイワシ。

2月3日のトシコシ(年越し)行事に挿していたという。



それから何日目かわからないが、イワシの頭が消えていた。

たぶんに猿の仕業だと思うと呟いていた。

その日は飯および炒り豆を供える。

持ってきた豆を食べていたそうだ。

ヒイラギイワシはもとより、チンチンガラガラの名があるエダマメの枝軸も挿す。

また、子供がいる家ではオニワソトー(鬼は外)をしていると話していたが・・。

切山に近い土地に飛鳥路がある。

京都府相楽郡笠置町の大字の一つになる飛鳥路は東部、北笠置、飛鳥路。

有市に切山も重なる旧地飛鳥路区域。

うち飛鳥路の戸数は20戸。

40戸の切山より半数になるという。

切山の八幡神社祭礼は10月の第二日曜日。

元々は10月16日だったという。

稚児になる子どもが主体のマツリであるが、少子化の波は避けられずにオワタリは中断された。

宮守制度もなくして稚児もいない閑村になった切山。

一昨年に改正をしたというが、夏の富士垢離と正月明けの寒垢離は長老七人で今も継承しているという。

水垢離をするのは七人とも。



人数分の幣を立てる場所は、この日もヒシモチを供えた浅間神社右にある注連縄を張った大木の幹回りである。

また、社務所の奥にある籠堂は元々境内の西にあった。

竃もあった籠堂に火をくべていたが、古くなり、朽ちかけていた籠堂は現在地の東側に建て替えたという。

建て替えた大工さんは村の棟梁である。

竃の火焚きは割り木。

40戸の切山を6組に分けて区のデアイに人足が伐採などしてから割り木の作業をしていたそうだ。

帰宅してから旧飛鳥路付近をネット検索したら布目川に跨げてかけたカンジョウナワの場が見つかった。

(H29. 4. 3 EOS6D撮影)
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出雲地福寺・旧暦閏年の庚申塔華

2018年02月26日 09時01分13秒 | 桜井市へ
桜井市の大字出雲に旧暦閏年の庚申行事がある。

下見を兼ねて訪れたのは平成24年の4月7日だった。

地福寺や十二社神社付近を中心に集落民家を探してみれば玄関軒に塔婆があった。

辺りを歩けば掲げている家が何軒も見つかる。

刻みの段を入れたところに五文字の梵字。

その下に「奉勧請 青面金剛童子 村内無事 家内安全 五穀成就 如意祈修」の文字が書いてあった。

材はカシの木である。

街道を通りがかった高齢の婦人に聞けば、9組の講中があるという。

行事の日を教えてもらったが、生憎のブッキング。

それから5年も経った今年。

精力的に語り部活動をされている知識人、奈良まほろばソムリエの会の雑賀耕三郎さんが出雲の旧暦閏年の庚申トウゲの日程を伝えてくださった。

ところがこれもまた生憎のブッキングであるが、その日の取材先は出雲よりそれほど遠くない宇陀市榛原の大字柳。

ここもまた旧暦閏年の庚申行事。

午前の部を終えた昼からは午後の部。

その間に少しでも拝見できればと思って片道6km先の出雲に急行する。

なんとか間に合って、地福寺に9講がそれぞれの塔婆を持ち寄る状況を撮らせてもらった。

大字出雲は庚申塔婆の願文を統一している。

K区長からいただいた「庚申塔華の文言(樫の木に書く文章)」のタイトル紙面がある。

表面に「〇〇〇〇〇 奉勧請 青面金剛童子 村内無事 家内安全 五穀成就 如意吉祥修」とある。

「〇〇〇〇〇」を記した五文字は梵字。

僧侶に書いていただくとあった。

塔婆の裏面も統一しており「平成二十九年四月二日 願主 〇〇〇〇」である。

願主名はそれぞれであるが、9講ともまったく同じ、統一された願文になるわけだ。

願文書き方案内にあるように、大字出雲が庚申トウゲを充てる漢字は「塔華」である。

旧暦閏年の庚申行事をはじめて知ったのは平成21年5月24日に取材した桜井市の瀧倉である。

そのときにはじめて耳にした「トアゲ」。

充てる漢字は塔婆を揚げるから「塔揚」。

または「塔上」でも良いんやと村の人が言っていた。

瀧倉と同じように「トアゲ」と呼称する地域もあれば、「トウゲ」若しくは「トウアゲ」もある。

塔を揚げる読みが地域によって訛ったのであろう。

これが明日香村や隣接する桜井市山田、高家や田原本町の八尾、唐古では呼称が「モウシアゲ」になる。

念仏を申し上げることから「申し上げ」ということだろう。

なお、地域によっては「生塔婆」と呼ぶ場合もあることを付記しておく。



映像はそれぞれの講のトーヤ家が供える白餅である。

(H29. 4. 2 EOS40D撮影)
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伊予製麺桜井店の照り焼き鶏天丼+ぶっかけうどんの丼セット

2018年02月25日 09時40分22秒 | 食事が主な周辺をお散歩
朝7時の行事に間に合わせるようこの日は家を朝6時前に出発した。

9時過ぎに取材を終えて榛原柳に車を走らせる。

京都京田辺の宮津から宇陀市の榛原柳まではおよそ1時間半。

信号待ちも少ない上に車も少ない。

すいすい走って1時間半。

途中でトイレ休憩やスーパーの下見に立ち寄ったから実際はもっと少ない時間で着いた。

そのころからお腹がぐうぐう言い出した。

小水もよく排出されることもあって心臓の負担度も少ない。

その加減もあってお腹はぐうぐう。

取材先の閏庚申はヤド家で講中の接待に移っていた。

会食の営みに場を外して、その時間帯は私のお腹を満たせる。

榛原柳へ行く道中に決めていた食事処に急行する。

そこは度々入店しては買い物をしているラ・ムー桜井店。

数日前の3月27日も入店していた。

そのときに行きたくなっていた他店舗がある。

ラ・ムー桜井店にある駐車場は広い。

その場の廻りは喰い処が多い。

わき目もふらずに入店した喰い処は低価格美容室を経営している阪南理美容㈱が経営している讃岐釜揚げうどん伊予製麺桜井店だ。

6日前から決めていたメニューがある。

お腹がぺこぺこであればこれにすると決めていたメニューはお得なセットメニュー。



税込390円のお好きなどんぶり一杯におすきなうどん料金に!!+とある。

丼は次に挙げる五つの中から選ぶ。

肉玉丼、豚キムチ丼、照り焼き鶏天丼、まぐろたたき丼になぜか丼ではなく和風カレーである。

表示に注釈が書いてある。

「どんぶりセットのみの販売は致しておりません」だ。

つまり、どんぶりセットは当店のどれでもいいからうどんを注文せよ、ということだ。

たらふく喰いたい人はとっておきのメニュー。

普段の身体の状態であればうどん一杯で上々。

どんぶりなんてとんでもない、であるが、この日はおもいきり腹いっぱいに食べたい。

その気持ちが勝ってメニュー決め。

昨今、流行りの鶏天はどんな味なのか、口にあっているのか見極めたい。

そう思ってどんぶりは照り焼き鶏天丼に決めた。

うどんはいつものお気に入りのぶっかけうどんの冷たいのん。

舌を噛みそうな「照り焼き鶏天丼」に「ぶっかけ冷たいのん」を注文した。

できたてうどんを渡されて「照り焼き鶏天丼」券がお盆に載る。

うどんチェーン店のシステムはとにかくうどんが先。

あとはレーンに沿って予め作っていた天ぷらやおにぎりをチョイスする仕組み。

いわゆるチェーン店システムであるが、どことも同じようなもんだ。

レジで支払いを先に済ませる。

ここではないが焼き立て玉子焼きなんぞでるめし屋チェーン店ではテーブルに着いたころに運ばれる。

「照り焼き鶏天丼」券を渡されたときはそう思ったが、ここではレジ支払いの際にできあがった。

早いのが特徴なのか。

お盆をトッピングコーナーに運んで天かすとネギをたっぷり盛る。

ぶっかけうどんに必須の生生姜もたっぷり盛る。



丼には漬物と思っておいてあった白い薄切りダイコン漬けも添えて席につく。

まずはぶっかけうどん。

昆布、かつおの出汁を絡めて麺をすする。

あれ、なんとなく、どこかが違う。

麺がするするっと入っていかない。

喉を通る前に噛まざるを得ない麺。

なんだろう。

わけがワカメだが、何度も何度もそう感じる。

不味くはないのだが、なんとなくおかしく感じる。

例えば、であるが、つるまる饂飩のぶっかけなんぞはまったくそんなことがない。

店名と同じように麺がつるつるまるまる喉を通過していくのだ。

ところが伊予製麺の麺は歯が先に出てしまうのである。

なぜにそうなるのか・・・。

材料の小麦粉、それとも茹で方、コシの具合。

さっぱりわからんが、丼はむちゃくちゃ旨い。

揚げたてほくほくの鶏天がたまらん。

照り焼きでることも忘れてしまうようなジューシーな鶏肉。

たぶんに今、敬遠されつつあるブラジル産。

国産であれば安い値段で提供できるわけがない。

ブラジルで事件があってからは家で食べる鶏肉は絶対国産。

ブラジル産なんて買わんといてと強烈に伝える。

中国産を嫌うことと同じレベルである。

それはともかく「照り焼き鶏天丼」の旨さはご飯にかけたマヨネーズも関係がある。

テレビで有名人が伝えるマヨネーズ飯。

ソース飯よりも美味いって言っていたのがよくわかる。

こりゃたまりまへん。

鶏天はかけてあるタレとともに美味さに相乗効果を発揮しているのではないだろうか。

はっきり言ってうどんは要らん。

丼だけで良い。

こんな抜群に美味い丼は一品で提供してくれない。

うどんとセットでしか販売できない。

なんとも辛い讃岐釜揚げうどん伊予製麺。



二度目の来店は控えるが、毎月の14日は伊予の日の半額サービスデイには来てみたいもんだ。

※ 残念であるが、桜井店は翌年の平成30年2月半ばに閉店となった。

(H29. 4. 2 SB932SH撮影)
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榛原柳・旧暦閏年の閏庚申

2018年02月24日 10時06分39秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
宇陀市榛原柳で行われる旧暦閏年の庚申行事は、2カ月に一度の庚申さんの日に行われている庚申講の例会の営みを終えてから実施される。

旧暦閏年の庚申講。

この年が当たりの年である。

旧暦のカレンダーによれば、今年の当たりになる「大」の月、つまり閏月は5月辺りであるが、榛原柳では「大」の月に合わすことなく、4月にしているそうだ。

この年の4月に「申」の日は3日間ある。

4月3日に15日と27日である。

いずれも平日であるから、止むを得ず集まりやすい2日の日曜日に決定された。

会所でもある旧長福寺で心経を唱えた人たちは寺から離れる。

一年に6回の営みをしていた庚申講中が次に訪れる場は庚申講のヤド家。

例年の場合には見られない特別に行われる旧暦閏年の閏庚申行事である。

向かう先は庚申講のヤド家。

東出・西出垣内合同の閏庚申が営むヤド家である。

事前の了解を取っていなかったので屋外の取材、と思っていたが、伺ったヤド家はここまでという場で撮らせていただく。



ヤド家玄関横に立てた葉付きの桧材は塔婆。

ヤド家のTさんは、これを魔除けの塔婆と呼んでいた。

村の地に生えている桧材は細いからそれを選んだ。

もっと太い桧材は個人所有の山にあるが、太くい桧材は塔婆用途に合わない。

そう判断して村所有地から前日に伐採した桧材を加工して願文を書いたという。

「奉願 天下泰平 村内安穏 家内安全 五穀豊穣 南無青面金剛童子菩薩の塔也 平成二十九年四月吉日 堂主○○○○」である。

その上には三文字の梵字。

これまで数々の旧暦閏年の閏庚申の塔婆を拝見してきたが三文字は初見である。

五文字であれば、五輪塔と同じく「キャ カ ラ ヴァ ア」読みの「空 風 火 水 地」であろうが、三文字の場合はわからない。

なんせ、私は梵字を読み取る能力は持ち合わせていない。

「キャ カ ラ ヴァ ア」についても天理市山田の真言宗僧侶に教えてもらったことはあるが、私が梵字を読めるわけはない。

だが、区長さんがネットで調べた結果を書いた文字は「御庚申(おんこうしん)」。

梵字もネットで調べたそうだ。

これより始まるのは閏庚申の営み。

ヤド家の座敷で行われる。

座敷で講中を迎えるヤド家の当主は正装である。

しばらくは差し出すお茶で時間を過ごす。



そうして始まった閏庚申は月例と同じく般若心経を三巻。

床の間に飾った東出・西出垣内の庚申掛軸を前に唱える。

お供えは月例と同じく赤飯もあるが、塩漬けの生鯖も添えた。



この場も大字柳の区長さんが導師を務めた。

これら法要を済ませば座敷でヤド家接待のヨバレに移る。

午後の部はヨバレが終わってから始まる。

その間に急ぎたい次の取材先に向かって車を走らせた。

それほど遠くない地になる桜井市の大字出雲である。

そこは短時間しか滞在できない。

午後には戻って、屋外にある庚申さんに参るヤド家の営みもあるから大わらわの取材である。

ヤド家で接待されるヨバレの時間が終わるころを見計らって戻って待っていた。

だいたいが2時間ほどの接待時間になるらしい。

稀に早くなったり遅くなったりする場合もあるということだから気が気じゃない待ち時間である。

室内から洩れる声の様子を伺って待っていたら、「そろそろ行きましょうか」と、いう声が外に洩れた。

玄関に立てていた塔婆を持つ男性。

誰でもいいのだと云いながら歩きだした。

塔婆に続いて講中もぞろぞろ動き出す。

向かう先は近鉄電車が通過するトンネルの向こう側。



急坂道の先に庚申石仏である。

建てた小祠の内部に安置された青面金剛像は風化激しく、姿、形はぼんやり。

薄っすらとしか見えないが、どことなく榛原篠楽の下垣内極楽寺下にある青面金剛像と同じような姿であったのでは・・・と、思ったがどうだろうか。

ここも御供を供えて、同じく三巻の般若心経を唱える。



足場が不安定なだけに、女性たちは下から拝んだ。

塔婆上げを済ませたら直会に移る。



供えた御供餅は講中に配られて下の道でお神酒いただき。

すぐ横を流れる小川は長谷川。

「これより上流が源流になるという長谷川はこれでも一級河川なんだ」と、自慢される。

この長谷川を挟んで西側が桜井市の吉隠(よなばり)。

河川が境界になるそうだ。



その吉隠も隣村の榛原角柄にも旧暦閏年の庚申行事をされていたが、今年はまったくその様子は見られなかった。

もしかとすれば、だが、吉隠も角柄も講中は解散、若しくは中断されたのかもしれない。

そう思っていたが違った。

解散でなく旧暦閏年の庚申行事日が「大」の月に行われたようだった。

判別できた日はこの年の9月1日だった。



ちなみにヤド家のT家の玄関にヒイラギイワシを挿していた。

2月3日の節分風習は当家にもある。

たしか、3月23日にも訪れた榛原柳。



当地で初めてお会いしたY家もあったことを覚えている。

いつか訪ねて節分の習俗を尋ねてみたくなった。

(H29. 3.23 SB932SH撮影)
(H29. 4. 2 EOS40D撮影)
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榛原柳・例会庚申講の営み

2018年02月23日 10時23分07秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
前月の3月27日に訪れた宇陀市榛原柳。

地区区長の了解をいただいて旧暦閏年の閏庚申行事を取材する。

この日の行事は60日おきに行われている例会の庚申講行事に数年に一度が当たりの年になる旧暦閏年の閏庚申の2本立てである。

例会は本来、2カ月に一度の庚申の日に行われるのだが、旧暦閏年の閏庚申に合わせ、一挙済ませる同一日の営みにされた。

例会・庚申講を営む場は旧長福寺である。

現在の長福寺は無住寺であるが、本尊由来から想定するに長谷寺真言宗豊山派のようである。

今は会所としても利用している長福寺前に石灯籠がある。

明和五年(1768)子十一月吉日に建之された石灯籠に「十一面観世音 御寶前 施主 柳村惣兵衛」の刻印がある。

その長福寺に東出・西出垣内がそれぞれ所有する掛軸を掲げて営みが始まる。

かつては講中ヤド家の営み。

もう一組は会所の営みであったが、場を一カ所に集約した営みに替えられた。



時間ともなれば昭和52年3月3日に表装しなおした東出、西出それぞれの垣内組が所有する掛軸を持ってくる。

大切に守ってきた庚申さんの掛軸は仏間前に掛ける。



左側は東出垣内の掛軸。

右に西出垣内の掛軸である。



東出・西出垣内合同の営みに供えるのはひと盛りのセキハン。



塩を盛ってローソクに火を点ける。

13戸の講中であるが、参列される人には身体の具合も悪い人もおられる。

柳は急坂に建つ集落民家。

杖をついてくる人や息子さんの介添えでくる人もいる。

この日に参列した講中は9人。



導師を務める区長が唱える般若心経は三巻。



一同も揃って唱えた心経である。

みなが心経を終えてから到着した婦人。



間に合わなかったが、お一人、無心に唱えていた。

柳は2組の伊勢講もある。

一つの組はヤド家の営み。

もう一組は会所にしたそうだ。

昔は当番家のヤド家ですき焼きもしていたと云うが、現在は簡略化されて、お茶程度の接待になっているようだ。

(H29. 4. 2 EOS40D撮影)
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京田辺市宮津白山神社・朔日講の四月神楽

2018年02月22日 08時08分53秒 | もっと遠くへ(京都編)
『京都の民俗芸能』によれば、神楽に伝承はみられないものの、太鼓の胴に「文化四甲イ年」の文字があると書いてあったが、どうも合点がいかなかった。

文化四年の干支は“丁卯”である。

ところが、『京都の民俗芸能』の干支は“甲イ”。

“甲イ”は発音からおそらく“甲戌”であろう。

“甲戌”であれば文化四年ではなく、文化十一年が正しい。

写し間違いなのか、それとも記載誤りなのか、確かめるには、宮津朔日講に継承されている太鼓の胴を確認するしかないだろう。

そう、思ってはいたが、太鼓の所在を聞くことはなかった。

確認したのは神楽に使われる胴締め鼓だけだった。

この件については、またの機会に、としておく。

時間帯は朝の7時。

それ以前の時間帯に来られた村神主一人が動いていた。

本社殿に供えていた御供はパンにコップ酒。

実は後ほどお神酒はとっくり瓶に入れて御供箱ごと供えられる。

たぶんに参拝された人が氏神さんに飲んでもらおうと思って供えたのだろう。



一人黙々と動かれる村神主は朔日講の最年長者。

宮津の朔日講は8人組。

村神主は朔日講の一老でもある。

一年ずつ繰り上がって引退する村神主。

二老だった人が一老に上って村神主を勤める。

以下、それぞれが繰り上がると同時に末端加入する再年少者。

その人が八老になる。

かつては高齢の年齢層であったが、徐々に下がって今では40歳から50歳代の若手壮年層。

このままいけば30歳代にまで下ることになるだろうと話していた。

御供はパンだけではなく、お米もある。

お米は玄米であっても構わないし洗い米でもいいそうだ。

10杯の小鉢に盛った米御供は実に多い。



これらは昭和25年2月吉日に寄進されたオカモチ型御供箱に並べる。

御供を供える神さんは本殿に末社。

京田辺市、宮津に鎮座する白山神社の末社はとにかく多い。

稲田姫社、祈雨社、佐勢古勢社などに三十番神の石碑もあれば、金毘羅塔、猿田彦塔、石の祠、山の神も。



舞殿遥拝所内には朱智神社、佐勢古勢社、三十番神、祈雨社、高龗命、天照皇太神宮、春日大神宮、八幡大神宮、神武天皇も、である。

朝7時ともなれば八人衆がやってきた。

準備が調った御供は御供箱ごと運ぶ。



お神酒は専用の御供箱ごとそのまま供える。

そして社務所で着替える。

八人衆は普段着であるが、一老でもある村神主は、紺色の素襖に着替える。

その素襖は前年の平成28年12月30日に撮らせてもらっていた。

村神主が着用する素襖に「明治廿七年(1894)十月新調 價(値)金四円二拾銭 施主氏子」の文字がある。

今から124年も前からずっと一年交替する村神主が袖を通してきた素襖である。

神楽舞用いる道具は一老以外の人たちが奏でる道具。

大正三年壱月に新調された胴締め鼓や大小5枚の妙鉢に祓いの鈴である。

鳴り物は二老以下の講中が用いるが、祓いの鈴は神楽を舞う村神主の採り物であった。

京都府京田辺市宮津の宮ノ口に鎮座する白山神社へ初めて訪れた日は平成28年12月10日だった。

訪れた目的は大晦日に行われる神社の砂撒きであった。

その行事は地区在住の方々に教えてもらって取材したことがある。

今回は砂撒きではなく、神社に掲げていた朔日講のことである。

白山神社由緒書にあった「朔日講の神楽 毎月一日(現在は毎月第一日曜日など)」と京田辺市教育委員会ならびに文化財保護委員会が伝えていた。

その日に訪ねた在所住民がこの本の頁に紹介してあると拝見した本は昭和53年3月に発刊された『京都の民俗芸能』だった。

この本の編集・発行者は京都府教育委員会。

先に挙げた朔日講が所有する太鼓の胴の年代記銘の書き主である。

その後の大晦日に神社でお会いした朔日講の人たちがいう朔日講が神楽を舞う日は毎月の朔日。

例月は朔日に近い、いわゆる月初めの日曜日に移っているものの、正月や盆にも神楽を舞っているそうだ。

『京都の民俗芸能』が「朔日講の神楽」として紹介する解説文を若干要約して次のように記しておく。

「神楽は白山神社の宮座の行事で、一般に“宮さん組”と呼ばれる朔日講の組織によって、毎月一日の早朝に行われる」とある。

と、いうことは、昭和50年代は毎月の朔日(一日)日であった。

「神楽は浅黄色の装束を纏った“宮守”が鈴を採り、拝殿の正面に敷いた円座の上に立ち、上衣姿の太鼓・鼓に大小の鐃鈸(みょうはち)(※読みはにょうはちであるが、ここではみょうはちと充てている。また、鐃鈸は曹洞宗であって、真言宗や浄土宗では妙鉢の漢字を充てているようだ)ことからが加わった囃しに合わせて舞われる。舞といっても鈴を振りつつ右へ3回、左に3回、再び右に3回。円座の上で回転するだけだが、たいへん珍しい神楽である」と報告している。

また、「この神楽は4月3日、10月17日の祭りにも同様に挙げられるが、前日の16日のヨミヤでは村の家々を巡って、神楽を舞い、鈴をいただかせる風習がある」と、書いてあった。

「朔日講は宮ノ口の年長男の8人が、この任に当たる決まりで、うち年長者一人が宮守(村神主)を務める。宮守は神楽を舞い、他の7人が年齢順に太鼓、鼓、大きい鐃鈸(にょうはち)2枚。小さい鐃鈸(にょうはち)3枚の役に就く」とある。

さらに「こうして一年間の勤めを終えると、宮守は朔日講を退き、次の者が順に繰り上がり、新任一人が講員に就く。宮守が交替する日は2月1日。新宮守が講員を招いて一同を宴に計らう」とあった。

朔日講を紹介する記事はもう一つある。

平成23年1月17日に発刊された京都新聞の「いのちのほむら」シリーズにあった「白山神社の朔日講」である。

新年の正月元日に行われた朔日講の奉納神楽舞行事の記事は「元日、着物や洋服の男たちが白山神社を見上げ、トントン、トントン・・・神楽を奉納した。太鼓、鼓、妙鉢と呼ぶ小さなシンバルのような楽器などの囃しに合わせて素襖姿の最年長者の神主が、鈴と扇を手にみしろ(筵)と呼ぶ円座の上で右左に3回ずつゆっくり回った。本殿では宮司が村内安全、繁栄、五穀豊穣を願い祝詞奏上。囃子が明るい光と共に家々を包む」と伝える下りは朝日が昇るころの所作が伺える。

記事にある写真に烏帽子をかぶる朔日講の人たちの姿がある。

宮守は素襖を着用していたが、7人は羽織袴のように見える。

また烏帽子の形は一律ではなく、数名は角のない丸みのある烏帽子のようだ。

この日の朔日講に氏子参拝者の姿は見えない。

着替えを終えた講員は拝殿に座る。

元日や秋のマツリでは全員が素襖に烏帽子姿であるが、例月の場合、宮守以外の講員は烏帽子もなく普段着姿で所作をする。



まずは本殿に向かって2礼、2拍手、1礼。

右手に鈴を、左手に窄めた扇を採りもって、さっと立ち上がる。

すると同時に始まったドン、ドン、ドンドンドンの太鼓打ち。

妙鉢もそれに合わせてシャン、シャン、シャンシャンシャン。

鼓も同じ調子でトン、トン、トントントン。



単調な調子にまずは右回り。

採り物は動かさない。

足はすり足のようにして少しずつ動かして回転する。

3回廻って正面になれば、直ちに逆回転。

今度は左廻りに3回。

そして再び正面についたら直ちに逆回転の右廻りを3回。

3回廻って〆に鈴をシャラシャラ鳴らして座る。

鈴を台の上に置いて2礼、2拍手、1礼で終えた。

神楽舞は主神だけでなく朱智神社、佐勢古さんと呼んでいる佐勢古勢社に伊勢神宮遥拝地にも神楽を舞う。

神楽舞はいずれも同じ作法で右回りに左回り。

再び戻る右回り。

いずれも3回である。

主神遥拝の次も舞う場所は拝殿内。



遥拝する方角が少し西よりに移って朱智神社へ向けての神楽舞になる。

主神よりもやや斜めの方角であるが、舞う所作は同じであるから、静止画像ではわかり難い。

神楽舞に身体を右や左に回転する。

その所作の基本はすり足にあると思った。

それもドン、ドンの太鼓を打つ音にシャン、シャンの妙鉢。

足は右足だけのすり足。

その次のドンドンドンの太鼓打ちにシャンシャンシャンの妙鉢の音に合わせて左足をすり足で動かす。

その繰り返しのように思えた足の所作であった。

朱智神社の次は佐勢古勢社に向かって舞う遥拝。

正面本社殿に向かって舞っているように見えたが、宮守がいうには微妙な方向違いがあるらしい。

「させこさん」と呼んでいる佐勢古勢社はどのような神さんなのか。



初めて訪れた村の長老もわからないという神さん。

現在、勤めている8人の朔日講の人たちも存じない神さんは何者であるのかさっぱりわからないのであるが、正月十日に引退される宮守が社の周りに12本の幣を立てると聞いているが、それ以上のことは具体的に拝見していないので、実態は掴めていない。

ただ、この日に拝見した限りでは、瓦製と思われる社内に竹に挟んだ幣も見られるし、周囲に12本の幣も見られた。

拝殿での舞を終えたら場を移動する。

本社殿よりもまだ上。

小高い丘のような場に四方竹ならぬ棒を立てている。

それには縄で結った注連縄を張っている。

一見、祓えの場のように思えたが、この場は伊勢神宮を遥拝する場である。

東の方角にある伊勢神宮に向けて神楽を舞う。

7人の講員は腰を屈めた状態で楽器を奏でる。

講員の座る向きでわかる東向きである。



神楽舞の所作、鳴り物はこれまでと同様に行われる。

いずれもおよそ3分間の神楽舞であった。



この年の1月末に宮守を引き受けたYさんは朔日講年長者の村神主。

初のお披露目の神楽舞は3月の第一日曜日だった。

この月で2回目の神楽を舞った。

「いろんなことを考えたら所作が飛んでしまうから、心を引き締めて舞った」そうだ。

Yさんが朔日講にまだ新入りだったころに京都新聞の取材があった。

そのときのインタビューの受け答えは、初々しく「面白いです。みんなとやるのが楽しい」。

8年目になったこの年は村神主のお勤め。

心構えは神主役を受けたときからリーダーになっていた。



朔日講の神楽舞は月によって異なる。

例月の場合は本社殿の主神と佐勢古勢社に遥拝、奉納するが、4月だけは朱智神社と伊勢神宮遥拝所も行われる。

(H29. 4. 2 EOS40D撮影)
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日清のとんがらし麺

2018年02月21日 09時37分31秒 | あれこれインスタント
このカップ麺を売っていたのはたしか最近できたデイスカウントドラッグ店。

天理田町のコスモスだった。

一週間に一度の通委員帰りに立ち寄る安売り店。

たまたまであるが、初めて入った店は新規開店直後だった。

今ではそうでもないが駐車場が満杯になるほど来店客で盛り上がっていた。

一番に驚いたのはモヤシ1袋がたったの10円。

酒の肴によく買うポテトチップス。

それも●である。

これがなんと、他店いろいろ行ったが一番安い。

カップ麺も安かったので、塩分含有量を決め手に選抜購入した日清のとんがらし麺である。

カップ麺なんてもの、美味しそうで食べてみたいと思ったもんがことごとくため息がでるような塩分量だった。

どこのスーパーでもそれが当たり前。

製造販売している麺屋も、何を考えているだが、と思ってしまうほど。

塩分量は5g。

とんでもない。

6gなんて当たり前どころか7gがぞろぞろある。

それじゃスープを飲まなかったらええやん、と云われそうだが、本質は残さず食べることにある。

戦後、6年後に生まれた私は貧乏長屋暮らしで育った。

お椀に米一粒でも残したら親父に怒られた。

それも親父が食べていた箸を私に投げつけた。

そのときの台詞は「お百姓さんが大事に育てたお米を残すとは何事じゃー。感謝して食べてまえ」と・・・。

そのことは今でも記憶にある。

それがあってこそ食べ物は疎かにしてはなるまい、ということだ。

そういうわけでスープは飲み切る。

たとえメーカ製であっても飲み切る。

ラーメン屋さんだったらなおさら飲み切る。

精魂かけて作った美味しいもんは残さないのであるが、心臓病になった今ではそういうわけにはいかないのが塩分量である。

そういうことでカップ麺の塩分量が4g以下であれば「買い」にしている。

だが、めったやたらに買うわけでもない。

口に合わないものまでは求めない。

で、なぜにとんがらし麺であるか、である。

辛目の食は塩分量が少ない。

山葵や辛子は塩分量が少なく、しかも香辛を味わえる。

漬物よりも少ないから、大丈夫と医療栄養士から云われている。

気合が欲しい日もある。

そのときに味わってみたいから買っておく。

それが本日にやってきた。

マグロの巻き寿司は半分こ。

それじゃ足らないからラーメンでもしときと云われて我が家の買い置き棚から選んだのが日清のとんがらし麺である。

黒と赤のストレート色でパッケージした日清のとんがらし麺。

いかにも辛そうな感じである。

お湯を注いで添えつけの辛さ調節パウダーを降り注ぐ。



中途半端はしたくないからすべてを振りかけた赤い色のトンガラシ。

関西人は唐辛子のことをトンガラシと呼ぶ人が多いと思う。

かき混ぜたら目が痛くなりそうな湯気があがってきた。

チクッとするような香料に刺激がある。

一杯目に掬った麺が箸にひっかけて上がってきた。

口に放りこんだとたんに口中で広がった辛さ。

旨みを感じるどころから辛さばかりが喉を通っていく。

ときおりテレビで放映される辛い食事の競争に汗をかきながら食べるタレントさん。

旨みを感じた後に湧き上がる。

奥から上昇気流にのっかって湧いてくる辛さに・・・・ギャーである。

そこまではいかないが、辛さ、辛さのとんがらし麺。

麺が1/3になったところでもう一度かき混ぜた。

同じように麺をすすって食べたら旨みがある。

底にとごっていたようだ。

ところでメーカーの原産地情報に唐辛子の主な原産地は韓国、中国産とあった。

韓国産は理解できるが・・もう一つのスープでは中国産オンリー。

次回購入は消えた。

(H29. 3.31 SB932SH撮影)
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ニュータッチの仙台牛タン風味塩焼きそば

2018年02月20日 10時10分27秒 | あれこれインスタント
本日の昼食は買い置きカップ麺から探し出したニュータッチの仙台牛タン風味塩焼きそば。

いつ、どこで、買ったのかさっぱり覚えていないが、会社情報によれば今年の2月だった。

たぶんどこかのスーパーで盛っていた特売コーナーにあったのでは・・・。

我が家で一人食を満喫する。

かーさんは姪っ子とどこかのレストラン行き。

なんでも有名なところだそうだが・・・こっちは慎ましいお湯入れ即食事である。

カップ焼きそばだけじゃつまらんのでスープを添える。

チゲ味とかちゃんぽん味もあるがこの日は坦々風のはるさめスープ。

どちらもお湯を注いでできあがるが、焼きそばは4分間。

逆にはるさめスープは湯入れしたとたんに出来上がる。

4分待って焼きそばの蓋を開ける。

美味しそうな香りが鼻に吸い込まれていく。

食欲をそそる香りがたまらない。

蓋の上に置いた後入れ液体ソースは袋を搾りきって注ぐ。

香りがぐんぐんと増す。

肉の香りは牛タンエキスであろう。



こりゃほんまにたまらんわ。

同時に振りかけたスパイス。

黒コショウのような感じがした。

乾燥ネギはやや大き目だ。

ソース、スパイスを入れてかき混ぜる。

食欲はさらに増す。

すぐにでも箸で掬いたいが、スープもお湯入れ。

かき混ぜは焼きそばを食べてからにする。

なぜか。

坦々風味が隣で香ってくれば牛タン風味が負けそう。

そう思っただけだ。



とにかく美味い仙台牛タン風味塩焼きそば。

こんな焼きそばは今まで味わったことのない風味である。

塩味も混ざった香りはとてつもない威力を示す。

箸がとまらないのはその塩味が増分しているから、だと思った。

ちなみに牛タン風味スープは脂がのっている。

液体スープは麺に絡んだが、少しだけがカップ底にある。

残ったスープはカップを斜めにして口に落とす。

喉がゴクンといった。

ネギの味も絡んだ仙台牛タン風味塩焼きそばは次回も買い、である。

太麺ばりばりの焼きそばは100g。

しかも、だ。心臓病に優しい塩分含有量が3.6g。

これが嬉しいのである。

どこで売っているのかまた探さなきゃならない。

ちなみに坦々風味スープははっきり言って牛タン風味に負けていた。

そうだ。

スープ、スパイスの袋を見れば製造元の会社名があった。

茨城県結城郡にあるヤマダイ㈱さん。

お願いだからカップ焼きそばとは別に単独スープを発売してください。

(H29. 3.29 SB932SH撮影)
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キモチがイイ、卒業日のリハビリ運動

2018年02月19日 09時01分04秒 | むびょうそくさい
今回で通算61回目となった心臓リハビリ運動はこの日をもって卒業する。

61回を延べ日数に換算すれば丸2カ月間である。

1年と6カ月間に亘る期間をせっせ、せっせと毎週の火曜日に通い続けた外来棟にサヨナラはできない。

リハビリ運動は卒業できるが循環器内科や血管外科の診察は継続中。

服用している内服薬はこれで終わりということには到底ならない身体状況では卒業の見込みはまったくない。

ただ、助かるのは出費である。

一回当たりのリハビリ運動は2000円超。

体力テストや心臓負荷テストを実施すればそれなりの診断料が要る。

61回を単純計算したとして12万円を超えている。

総額にしてみれば医療費控除上限を超えている。

確定申告で控除申請をしたとしても返戻金はごく僅か。

それが一回、一挙の支払いの高額医療費であれば医療費減額の支援が受けられる。

収入、年齢から国保限度額適用の高額医療控除が受けられる。

合切することができないバラ支払い。

生活援助が受けられるような国の制度がないのが残念だ。

医療のために細切れ受診をしているケースっていうのは結構多いのではないだろうか。

政治家の皆さん方、どうぞ現実の情報を収集されて制度化を目指してほしいと思う今日この頃である。

余計な話しは横においといて、最後のリハビリ運動に取り組む。

今日は最後だといって心電図機器は後回しに体力測定を実施する。

前回は前年の平成28年12月6日。

体力はそんなにかわっていないか、落ちていないか・・。

まずは、ベッドに座って蹴りの下肢筋力測定。

両足の脹脛にベルトで固定する。

では、と言われてエイっ。

気合を入れて足を前に出す。

出すというよりも前方に蹴るということだが、伸びない重さ750gのベルトで結ばれているから力を入れるしかない。

もっと、もっと、と声をかけるGリハビリ療法士に励まされて前方に力をかける。

のけ反るような恰好で、エェーーーイッである。

これを左足、右足の順で測定する。

右は64.1kgで左も64.1kg。2カ月少し前の前回測定。

右は64.1kgで左は59.0kgだった。

右は横這いだが左も同じの大幅アップになった。

この日の体重は69.4kg。

体重を基準に割れば左右ともに0.92。

それが蹴りの体力値。

1に近づくほど良いし、それ以上ならそうとうな蹴り力になるという。

ここまでこられたのが嬉しい。

前々回の平成28年8月の右は62.5kgで左は65.7kg。

その前の4月19日は右が29.7kgで左は38.2kg。

その前は3月1日。

右が39.6kgで左は40.5kg。

本日の体重で割ったら右は57.0やし、左は58.3。

どれぐらい低かったことか。体力は半分。

そのころは自宅療養中だった身だからよく覚えている。

平成27年12月の2回目の退院後の1月21日の測定はそれができないくらいに弱っていた。

それから1年2カ月後の体力測定の結果にスゴイと云われる。

健常者の年代別か膝伸展筋力テーブルを参照すれば、なんと、なんとの0.96の二十歳代。

三十歳代が0.85だから、その間にしてもそりゃスゴイである。

ちなみのそのテーブルからいえば今年の3月1日の身体状況は七十歳代だった。

こりゃびっくりするぐらいの筋力値に感動どころか、バンザイである。

次の測定は握力。

前回は右が37.7kgで左は32.9kgだったが、今回は右が43.3kgで左は37.7kg。

いずれも今回が最高値。

それも嬉しい。

本日は最後を決める体力測定。

バランス平衡感覚を測定する開眼片脚立ち時間も計測する。

右足状態は42.08秒。

左足では43.56秒。

1分間も保てなかったのが悔しいが、一般的男性の「優」を遙かに超えていた。

二次予防事業対象者のレベルを1から5段階まで区分けしているテーブル表がある。

それによれば1を「劣」とすれば5が「優」。

最「劣」は<=2.6。

逆に最「優」は>=23.8。

今回の測定結果からすれば遙かに超える40秒台である。

大いに胸を張って良いレベルになっていたのだ。

次の測定は廊下に出て椅子に座る。

そこから立ち上がって戻ってくる時間を計測するパフォーマンスTUGである。

前回は4.16秒だったが、今回は4.20秒。

少しは早くなったがこれも標準以上の「優」である。

5メートル歩行能力も前回が通常速度が2.78秒で最大は2.28秒だった。

ところが今回の通常速度は2.78秒で最大は1.72秒。

これも標準以上の「優」。

しかも、もっと早く走れるようになった身体が嬉しい。

これらの結果はペダル漕ぎ運動を終えてから伝えられた。

体力測定を終えて心電図機器を装着したときは準備体操の終わり前。

心拍数は58-59拍になっていた。

そこから始まるスクワットでは63-64拍。

ときには68-69拍にもなる。

マックスは70-71拍。

反応が早く、しかも70拍台を超えるようになった。

エルゴメーター付きの自転車のペダル漕ぎの初速は10ワーク。

血圧は114-62。

脈拍は63-64拍だ。

ペダル回転数は55rpmから60rpm以内を維持しながら踏み込む。

1分後には自動設定している55ワークになる。

そのときの心拍数は64-65拍。

2分後は68-69拍。

運動することによって快適に上昇する心拍数が嬉しい

6分後の血圧は127-57。

脈拍は71-72拍。

早くも70拍台に達した。

これならいけそうやというGリハビリ療法士はワーク60を勧める。

待っていたと応える私も60ワークをお願いする。

そのとたんに汗、汗が・・・。

11分後の血圧は121-56。

脈拍は73-77拍。

血圧、脈拍は満足な状態。

ワーク60であっても身体はは「楽」どころかとっても「楽」に汗、汗である。

16分後の血圧は139-56。脈拍は73-74拍。

21分後の血圧は128-60。脈拍は75-76拍。

汗、汗に汗が滲むが流れるとまではいかない。

そういう身体である。

不整脈はまったく見られないこの日の状況がたまらなく嬉しい。

ラスト、26分後の血圧は142-58。

脈拍を75-76拍で終えたラストデイのリハビリ運動はとても気持ちの良いものである。

ペダルを漕いだ足も、太ももも、ふくらはぎも、呼吸も何もかもがしんどくなくないラクラクで終えた。

降りて汗をぬぐう。

そのときであっても急降下しない脈拍。

64-65拍が安静時にもなってくれたらもっと嬉しいがそこは完全ではない証拠。

不完全な身体ではあるが、日ごろの生活の中で運動をし続けることで安定的な心拍数を保ちたい。

家に居るときは短い距離だが歩くことを止めずにずっと続けていたい。

もう少し温かくなれば折りたたんだままの自転車を広げて走ってみたい。

有酸素呼吸で走ってぷっくり出てきたお腹を凹ませたい。

それもあるが、贅肉である。

贅肉は徐々に張り出している。

指で摘まめるほどに分厚くなった。

それを解消するには自転車漕ぎがイチバン。

50歳代は盛んに乗っていたおかげで贅肉はそぎ落とされた。

元の身体に少しでも戻りたい。

そう、思っている。

整備体操で〆たリハビリ運動にGリハビリ療法士が云った。

本日は表彰式がありますと伝えて名前を呼ばれる。

待ちに待った表彰式に賞状が授与される。



賞状は修了証書。

「あなたは心臓血管疾患を患いながらも、再発予防および体力強化のために外来心臓リハビリテーションに半年以上も継続的に通院されこれを証します」であるが、もう来なくて良い、卒業を意味する証書である。

外来心臓リハビリテーションは開設されて2年もなる。

途中で来なくなったりする人もおれば、また再開する人もおられるなか、途切れることなく、ずっとこれまでの期間を継続して疾患対応に接し体力をつけてきたことを証するものである。

これまで証書を授与した人数は60人。

私は61番目になる。

その番号は通院した日数とまったく同じだった。

この場におられた患者さんにガンバッてくださいと歓びを伝える。

うち、一人の男性が云った。

「私は2年間も運動してきたが、まだそこまでいけていない。家で歩くなど運動をしているが、つい甘えてしまうこともある。当院のリハビリ運動はその甘さを許さない。そういう気持ちを維持できるように頑張ります」の言葉に背中を押された。

式典を終えて本日の体力測定結果が伝えられたのだ。

結果は前述の通りであるが、今年の2月21日に採血した血液検査の結果も伝えてくださる。

BNPは75.4pg/ml。

よくぞここまで身体を復活できたことを褒められる。

BNPは脳性ナトリウム利尿ペプチドの略。

心臓の負荷が増えたり、心筋肥大が起こるとBNPの血液濃度が増加する。

値が高いほど心臓が良くないということである。

平成27年12月26日の検査結果では703.3もあった。

翌年の1月12日は361.5。

2月2日は逆に百もアップした496.1。

2月9日は253.1。

それが3月1日ともなれば87.4。

劇的な大幅改善である。

その日に医師より許可が出た単独の車運転にバンザイをしたもんだ。

引き続き、4月19日は68.4。

続く5月17日は76.4。

6月14日は76.4。

7月12日は80.7。

飛んで9月6日は75.2。

3月間も空けた11月29日は62.8。

翌年の今年の2月21日が75.4だった。

BNP基準値は18.4以下。

その値をみつめるのではなく値の下がり度合いを重視するという。

そうだったんだ。

基準値に近づけることは気にせず、である。

そういう見方であれば、リハビリ運動に精を出した頃の4月19日。

二桁台になったBNP値は大きな変化もせず60~70を繰り返していた。

それ以下の値にはなかなか下がらなかった。

どうしたもんじゃろ、と思っていたが、何も心配することはなかったんだ。

入院、手術、退院、再入院、処置、退院、経過観察とともに励んできたリハビリ運動の結果は安定状態を生んだ。

ここまでこられたのはリハビリ療法士のおかげだ。

毎週のリハビリを指導してくれたGさん、Ⅰさんに経過状況を温かく見守ってくれた循環器医師のKさん。

この場を借りて感謝申し上げます。

また、ラストデイを知って待っていてくれたリハビリ療法士のSさんにOさんも、ほんまに、ありがとうございました。

これからも毎日の運動を欠かすことなく、取材活動を通して、さらなる元気を取り戻したくガンバっていきます。

(H29. 3.28 SB932SH撮影)
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