マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

緊急入院対応に感謝

2024年09月15日 07時47分41秒 | むびょうそくさい(おかん編)
3月1日の午前5時40分。

起床に先立ち、起きていたおふくろを優先。

さらにかーさんも続いてやっと私。

深夜にたいへんやったけど、どうと聞けばありがとう、もう大丈夫だと、いう。

それからもぐっすり寝たおふくろは朝の9時半に起きて、もう起きるといってトイレ行き。

どうも長すぎるので大丈夫かと声をかけたら便が、チョビチョビでているようで‥‥

あまりにも長いんで声をかけたら、おきられへん‼️。

トイレの扉を開けたら床に座り込んでいた。

手すりを両脇に設置していたが、うまくつかめなかってストンと座り込んでいた。

かーさんに助けを求めて2人がかり。

いったん便器の蓋に座らせて、両脇を抱えて救助。

足腰に力がはいらないようで、抱えながら老人車のハンドルを掴ませるのだが、親指はどうしても握らない。

ここで自力歩行は無理、と判断しなんとかいつも座っている座椅子を動かした。

午前10時半、椅子座らせ、検温したら38.8度。

かーさんが額に手をあてた感触では、えっと思うくらい熱くはない。

手が冷たい。

血圧135ー63。

心拍数が77に、立てない状態に救急するしかない。

救急車が到着した午前11時の検温は38.4度。

二人の救急隊員がかりに、両脇支えてストレッチャ移乗し。

下肢脱力歩行障害判断に当初は青藍病院行きを伝えたが、主治医がいる田北病院に指示。

到着時点の体温は38.7度。

コロナ感染症検査結果が陰性に、ほっとするが、数日間はちょっと心配も。

救急隊員の問診にふらついてバランスを崩したかも、と伝えていたから頭のMRI検査。

終えたそのころに吐き気のもよおし。

吐き気止め薬も点滴注入。



正午時間の12時20分。

吐き気があるのでCT検査も実施に入る。

ストレッチャ移動しただけも嘔吐したが、なんとか検査は終えた。

午後12時50分、医師の診断結果は異常なく。

おふくろの身体が動けないからなんとかならないでしょうか、に回答は個室も埋まっている満室状態ですから・・

肺炎など、発熱症状がある患者さんは、他の病院でも受け入れない、とニュースが伝えている。

おふくろの検査結果では、炎症もない。

発熱の原因がわからなければ、受け入れがたい。

いったい、どうしたらいいんじゃ。

午後1時50分、院内コンビニでまんぷく3点盛り。

食べていたときのかーさんからの朗報は入院させてくれはるって・・・

嬉しい対応に涙声。

ほんまに良かったなぁ。

点滴が終わるころ、圧迫骨折の疑いもあるので胸部ならびに腹部検査。

尤も、腰部のMRI検査後に病室移動は午後2時20分。

東館208号に本日入院日に限り、1人だけは入室できた。

それを聞き、東館向かう。

あれぇっ、前回の退院に、差し上げたあじさい写真。



休憩、或いは患者さんとの談話に、癒しの花に感じてくれたら、とナースステーションに提供したあじさい写真。

そう、この写真はおふくろが、令和3年の6月24日の退院日まで、病室に飾っていた写真。

私が撮った我が家の南庭に咲いているあじさい。

このあじさい以外にも、さまざまな庭に咲く花を写真立てに飾った。

ときおり入れ替えしていた庭の花の写真。

おふくろはもとより看護士さんや介護士さんらも楽しんでくれた写真の花。

役目を終えた写真立てごとナースステーションに提供した一枚が、ここにあった。

嬉しい出会いでもあるが、あれから再び入院したおふくろ。

一旦は、入院申込書とか問診票提出書類があるし、着替えなどもある。

なんせ、おふくろはすべてが2枚。

バッグなどに収納物明細札付けたバッグが四つもある。

再び田北病院に来た時間は午後5時半だった。



なお、入院が決まって病室に向かう際に出会った、川戸リハビリ療法士。

なんでも、3月12日を最後に田北病院を退職し、斑鳩町にある介護施設・訪問介護の職に就く、と伝えてくれた。

面接に髪の毛を短くしたというリハビリ療法士。

以前、入院中にもたいへんお世話になった病院相談員の一ノ瀬さんにも出会う。

田北病院の居心地がいいらしい。

午後3時、ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに緊急電話をかけた。

おふくろの状況、状態を伝えた。

状態が状態だけに骨折ではなさそうなので一週間様子みて・・

つい先月の26日に再認定介護認定の更新手続きに調査したばかり。

今からなら認定審査会は半ばか月末。

いずれにしても3月末までが要介護3。

介護認定の区分変更(※更新を待たずに認定調査を依頼する手続き)しましょ、と‥

(R4. 3. 1 SB805SH 撮影)

真夜中のトイレに危機的ギリセーフ

2024年09月14日 07時51分18秒 | むびょうそくさい(おかん編)
実質時間帯は3月1日の午前2時40分くらいか。

寝室に唸る声がもれる。

かーさんが悲壮めいた声で叫ぶ。

おかぁさんがトイレに倒れてる。

慌てて階段を降りた。

内側に開くトイレが動かない。

隙間から覗いて、すぐ状況がわかった扉側の壁。

顔は天井向き。トイレの土台と壁に挟まれ、肩がすっぽりに、どうにもこうにも動けない。

胴は横たわり足も動けない。

その状態で思い出す事故。

家の前の水路にスッボリはまっていた隣人のおばちゃん。

小林さんが水路にはまった状態。

肩、腕、身体ごとスッボリ。

なんとか肩を上げ上半身だけが座った格好。

膝を曲げ身体を抱えて脱出できた。

おふくろの状態も同じようなもんだが、下半身がトイレの扉を押さえて開きもせん。

少し押しただけで痛いと言うが、そこは無理にでも、なんとかするが、私の身体が室内に入れない。

かーさんは、細いから先になんとか押して入室したものの、身体を起こせない。

足、腰を引っ張る力がはいらない。

そこで私も入室し、なんとか少しずつ身体を挟まれた場から引き出した。

力がはいらない位置だったが、膝を曲げ上半身を起こし、身体を抱えて持ち上げ、便器の蓋に座らせた。

そう、蓋は閉まっていたから用をたす前の段階に倒れたのだろう。

トイレの真上の二階寝ていたかーさんが気づいた異音。

トントンの音が気になり下りていった状況に‥‥

トイレ室内に立てたおふくろ。

精神的に不安定。

立ったまま動けないというのはオムツだ。

便も尿もオムツが受け、外への漏れなし。

下半身がスッポンポンに、寒いが介助しながら廊下歩きは手すりつたいでなんとかベッドに座った。

身体は温い捨てタオルで拭いた。

暖房も入れた寝室ベッドに座り、水分補給。

落ち着きを取り戻したおふくろ。

どこも痛くないという。

小林さん同様に脱出できたが、実はである。

夜中の午前1時にもよおした私。

トイレに明かりがあり、なかからうっ。

いつもの状態に排便気張りだと思った。

待つこと15分。

我慢の限界に屋外に排尿。

スッキリした私は寝込んだ。

こんなことは時おりある。

時間が経てばようを済ませたおふくろは、ベッドにすやすや。

そうしているやろと思っていたが、そうじゃなかった事態にすまんかった、すまんかった・・ごめんよう。

このときの事件は、記憶から忘れないようメモした。

再びおやすみした時間は午前4時半。

今日の午後3回目新型コロナワクチン接種にでかけるかーさん。

問題なく接種できるだろう。

(R4. 3. 1 SB805SH 撮影)

ふり返る令和4年2月の介護まとめ

2024年09月13日 07時58分29秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

1日、おふくろ郡山療養中・・

たまたま元卓球クラブにいた六条に住む女性と出会った。

なんでも、すぐ近くに30人くらい許容する有料老人ホームが開所した、と伝えてくれた。

気になるコロナ・感染症の受け入れは最終的に医師の診断結果に委ねるらしいが。

そんな会話をしていた排便に怒りをぶち上げたかーさん。

云った通りにしないから軟便薬を増やした。

バナナも食べさせた・・ら、飛び散るほどの軟便状態。

なんで、そのことを伝えてくれないのよ。

そんな状態なら薬もバナナも食べさせないと、怒り心頭。

晩飯に赤からラーメン鍋を旨い、旨い食べたおふくろが、夜の10時の洗面後・・・かーさんを、また怒らせてしまった。

ごめんやで、と謝りたい、というが、怒り満々のかーさんは、寝床リビングは消灯に、1階からのられへんから声をあげたが・・出てこない。

謝っといてや、と私にいうが、自分のしでかしたことをなんで私が、かーさんに誤らなあかんねん、と返した。



4日、前日に電話をかけて住宅型有料老人ホームかさね奈良六条。

MRSA(感染症)について質問したら専門の医師が判断するらしい。

ネットによれば、1月21日に開業したようだが、これまで大阪中心に事業拡大した介護事業所。

今回、奈良事業を立ち上げ開業した定員29人のホームに、現在は20人が入居中。

順番に入れるような状況に、問い合わせた感染症判断。

資料送付と云っていたが未着。

家からすぐ近くなので自転車で出かけて入手した資料。

同封の利用申込書にかかりつけ医の名前を書いてもらったら、かさね奈良六条の担当医師が直接かかりつけ医に状態を確認するようだ。



7日、午前10時半から11時10分。

昨日の日曜版リクルートチラシに介護士など、パートタイマーも求めていた1月22日にオープンするかさね奈良六条小規模多機能型居宅介護住宅型有料老人ホーム。

エリアマネージャーのY介護支援専門員・介護福祉士。

なんでも、堺市・光明池郵便局近くの光明センター所属であるが、新規施設のオープン支援するエリアマネジャー。

大正13年生の祖母も入居に至ったのは父・母との口げんかに、とほほに疲れる孫のYさん。

かさね光明センターのホームに入所したらすっきり。

いざかいもなく、おまけに父に手を握ったとか・・・

応対にコロナ陽性者発症(入居者・施設職員)したようだ。

その対応に、他階に隔離。

1階に未感染者とした。

なおも発熱もなく咳き込みもない無症状に2類を外してほしい・・と。

そのため、面談は、今なお一切停止中・・・

一週間後に緩和する方向で調整中に全員のうがい励行。

ショートスティの受け入れは奈良市民に限る。

ハッピーガーデンの入居が決まるまでの入居は受け入れるが、入居にあたってはかさね奈良六条に住民票の異動など、確認し利用申込書を提出した。

20室の入居が決まれば直ちに入居できるが、その前には住民票を予め移しておかなければならない。

そういうことだから住之江の居住地は、すっからかんにしなくてはならない。

ただ、かーさんは3月末に転居したいと伝えていたが・・・

8日、前日に大阪から転送されたおふくろのワクチン接種券。

その確認を待っていた。

高血圧症の薬をもらうついでに訪院した上田診療所の予約最近日は2月28日だったが、金曜日はデイサービスと重なるので翌日の3月1日の火曜日、午後1時半に設定した。

また、かさね奈良六条のK施設長より電話があった。

見学日は、2月16日の午前10時に決まった。

9日、かーさんは、午後3時過ぎより3回目の新型コロナワクチンの接種。

角谷消化器内科医院の、その晩は何ともなかったが、察知して入浴はしなかった。

就寝中の痛みは、前回同様の筋肉痛。

翌日は予定していた卓球クラブは休んだ。

午後6時過ぎ、おふくろが訴える。

後頭部の左側がピリピリする。

左耳の上辺りが、ピリピリ痛むと訴えるが、神経系なのか、ようわからん。

今まで頭が痛いと訴えたことのないおふくろ。

平熱だし、しんどいこともない。

本人曰く、ちょっと寒かった、といってベッドに横なるわ。

いつもの通りに布団を被った午後6時半。

ちと心配だが、カロナール錠を服用したので様子みるしかない。

午後7時半、具合はどう?に返答した。

お腹が減ってきたように思えて起きたおふくろ。

まずトイレ。

揃ったところで晩めし。

スーパーラ・ムーで買ってきた甘酢餡つけの鶏天にぶつぎり生食タコを絶賛した。

パクパク、パクパク・・・

食べる、食べるし、箸がとまらん。

気を良くして食べたおふくろ。

満足しきった午後9時。

再び、痛いと訴えるおふくろ。

おそらく、鎮痛剤の効き目が切れたのだろう。

さらに、1錠服用したカロナール。

洗顔し、午後10時半には寝床入り・・・

ピリピリする痛みは、私もなんどか症状が出たことがある。

原因は、まったく心当たりなし。

しばらくしたら、痛みは消える。

アレは何だったんだろうか。

10日、午後4時半、座っていたおふくろが、訴えは痛くなったので、と要求する。

今日も、カロナール錠を服用し、横になって寝ていた。

私がジムから帰る前にトイレ起き。

トイレから出てきて、再び鎮痛剤を要求するが、ついさっき呑んだばかりよ、とかーさん。

伝えたら、そうかな?とキョトンとしていたらしい。

認知症が酷くなったのか、それとも・・・

で、再び横になった午後6時。

食事時間の午後7時半に声をかけたら、しんどくはない、という。

痛みもないけど、食事はせーへん、と言って再び眠りについた。

おそらく鎮痛剤が効いているのだろう。

午後11時、私ももう横になりたいので、声をかけたら痛くない、という。

トイレに行きたい、というおふくろ。

念のためだが、かーさんが用意してくれたカロナール錠とお茶入り水筒。

万が一、痛くなったら呑みや、というて、トイレから戻ってベッドに横になるまで看ていた。

11日、朝4時過ぎのトイレ終わりに、腰貼りホカロンをしたい、とリビングにトイレ待ちしていた私とばったり。

貼ってあげたら、また横になって寝た。

幸寿苑行きは、今日じゃない、と思っていたが、起床に痛みなく、薬は飲まなかった。

そんなこれで、幸寿苑のデイサービス中も痛くはなかった。

ところが、戻りの車に乗る際だけ、ピッときたらしい。

入浴は、といえば入ったかな?

着替えしているから入ったんでしょうょ。

うーん、認知が進んでいるような・・気配を感じる。

夜9時半過ぎ、かーさんが尋ねた。

どうもピリピリでもなく、ここらあたり、と云った箇所は肩。

肩こりしてるんでは、と思うから湿布貼って、とお願いしとる。

午後10時過ぎ。

後頭部の痛みは、治まったが、今度は前頭部が痛い、と訴える。

今夜も、カロナール錠の要求に、寝る前に呑んでもらった。

15日、便意をもよおす回数が増えつつある。

昨日は幸寿苑で、もよおし。

おむつを交換してもらった。

晩にももよおし。

今日も数回のもよおしに、食事の量とか内容も気にしつつ食事を摂ってもらうが、煩雑になる前に服用したいラッパのマークで有名な大幸薬品セイロガン糖衣錠をウエルシアで買ってきた。

午後10時半。

トイレも洗顔も済ませてベッドに。

そのときに話し出した今朝のこと。

午前5時だったのか、6時だったのか、記憶にないが、トイレに行こうとして起き上がった。

そのときだ。

以前もあったベッドに敷いていた毛布に滑って畳床に・・・

座り込んで、さてどうするか。

毛布も掛け布団も、下にずり落ちたそこに座ってもうた。

なんとかせな、と手すりに支えた建具に、なんとか立てたようだ。

そやからちゃん、とベッドにお尻をむけたか?

お尻の位置が、深く入ってなかった。

ちょいのりくらいの腰かけ。

これが甘かったようなことを話すが、ようまぁ独りでなんとかできたんやな。

16日、かさね奈良六条のK施設長。



施設見学は午前10時から11時15分。

食堂インテリアは、最新のカフェ或いは、レストランのようだ。

入所施設の今は、こういうレベルまできてるんだ、と感心した。

機械浴はすべてが自動。

職員一人が就いて入浴介助。

個室にはトイレがなく、できるかぎり食堂などに行ってもらうために、廊下には、2室のトイレも完備した。

最新型の非常時コールは、無線呼び。

認知症患者さんなどが、自由に出入りしないようセキュリテイはガチガチ。



ある意味、至れり尽くせり感がある。

晩食を食べ終わってからおふくろが訴える左脇下が切れたような痛さ。

身体を見たかーさん、特に炎症、赤みまったくなし。

先日にも発症した左耳のピリピリも同じ神経系統によるものと判断したら、安心したもようだが・・

18日、今日は、確定申告生前整理に出かけた。

23日、寒がりになったおふくろ。

いつも靴下は2枚履き。

当然左右にそれぞれの左足、右足に分かれるが、それがなんと・・・

左も右も右足に履いた2枚履きの靴下。

施設入居に認知症検査結果が間違いない。

午前10時、住宅型居住老人ホームウエルライフあかりに受付相談。

M精神健康福祉士からお話を伺う。

いむら系列のウエルライフ。

過去、はじめて要介護認定を受け、お世話になったウエルケア悠・ケアマネージャーのFさん情報がある。

施設から、例えば田北病院に通院は可能。

住居異動は老人ホームに移すことも可能だし、我が家に同居世帯主住所にするのも可能。

およそ20万円の費用になる。

コロナ禍が縮小した場合は、家族さんが外出させることは可能。

介護付きホームであれば23万円。

外出は不可。

医療情報コピーを提出し、医師の診断待ち。

26日の電話は、医師判断不受理だった。

午後2時、チャームやまとこおりやまを訪問したが、コロナ感染者が発症した関係で、予定していた見学は中止になった。

午後2時15分、ここも訪問しよう、お願いした大和園りおんの見学。

施設半分は、他地区から訪問するディサービスを受けて、リハビリ運動中だった。

24日、深夜2時におかしい動作。雰囲気がどうもおかしい。濡れているような、と感じたおふくろ。

失禁ではないが、夜尿症みたいなものか?

気づいたら、こうなっていたらしく、おむつパンツも下着も履き替えた、という。

起床時に、かーさんに伝えた尿もれ。

したか、してないかの認識がないのなら、これも認知症や、と・・・

大阪市認定事務センターより届いた介護書類。

要介護・要支援認定申請を受理し、仮の介護保険暫定被保険者証が届いた。

大阪市から委託先の調査員を手配し、調査日の決定伺いをします・・と連絡があった。

26日、大阪市委託再認可調査に居宅介護支援事業所のN調査員から連絡があったのは二日前。

この日の午後2時に、来訪することになった。

この件については、大阪におられるケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんが手配、調査員を委託していた。

つまりは、本来なら居住地の大阪・住之江の調査員であるが、再認定に申請した大阪市介護支援センターが、療養地の奈良県ということで委託された事業所。

大和小泉の居宅介護支援事業所、「想花(そうか)」の担当者のNさんが来てくださった。

調査員が我が家に来訪されて身体状況などヒヤリング。

実際の動きなど、実態を確かめた午後3時。

場は、ディサービスを受けている幸寿苑に移動され、調査するそうだ。

また、通院している主治医にも面談され、再認定意見をもらうようだ。

2件の調査結果がそろってから、月1回月末ころに行われる再認定会議を踏まえて、介護認定が決定される。

28日、今日の最高気温は、今年最高の14.6度。

ジャンパーが、不要な温かさ。

日和の風もなく穏やかな日だった。

この日も、施設の見学。

藤村病院系のサビース付高齢者住宅(サ高住)おだやか。

午前10時に伺った。

施設長はY氏。相談応対に入居。

昨今、悩ませている喀痰検査に感染疑いのMRSA・・・

当施設は、内科が主な藤村医院の系列施設。

病院長の判断は、午後に伺うので結果はすぐにわかる、と云ってくれた。

電話は午後4時15分、結果がオーライにほっとした。



施設長が案内した部屋は、決まった入居者であるが、まだ入居していないことから、部屋を見学させてもらった。

管理者コールSWは別途購入らしい。

西の窓から見える大和の郡山城の枝垂れ桜が見える、特等席のえー部屋。

数年後には踏切を渡るトンネル工事を終え、開通したら全景が見え、眼下は金魚養魚池。

食事を摂る量は少ないらしく、例えば朝食を抜く人も。

聞いてみれば、嗜好の具合で“てんやもん(※店屋物)”とか、コンビニに食を求める人も。

近くの弁当販売にすたこら出かける人もおられる、みなが自由な施設。

常時、図書館に詰めている学びの人もおられる。

ディサービスに、藤村病院の施設に行く人もいるから昼間の食堂は7~9人。

少ないほうだ、という。

食堂で食べる人もおれば、室内に籠って食べる人も。

ほとんどの入居者は仏壇も持ち込んでいる。

室内に入れてはいけないのは火がでる道具。

蝋燭、線香、マッチなどなど・・・

ホットカーペットの持ち込みも可能。

浴室は拝見できなかったが、全体通して施設長の人柄もあり”おだやか”な雰囲気だと思った。

ディサービスから戻ってきたおふくろ。

幸寿苑での出来事である。

急にもよおしてトイレに入ったが、半分出た、と・・・

まだ、出るかも、と男性のケアワーカーさん?が、見かねてかどうかわからないが、お尻を両手で力を入れ絞ったら、しばらくしたら出たようだ。

かーさんは、明日のコロナワクチン接種の3回目。

排便が、停まっていたので便秘ストレスによって体調異常にならんかな、と心配していたがほっとしたようだ。

(R4. 2.16、28 SB805SH 撮影)

本日は、おふくろの確定申告ついでに行う生前整理①

2024年09月11日 07時37分02秒 | むびょうそくさい(おかん編)
本日は、おふくろの確定申告。

申告資料のすべてがそろい、計算もできた。

行先は、申告会場の大阪・住之江区役所であったが、会場が替わっていた。

区役所は、市民税・府民税のみ扱いに、確定申告は住吉税務署に移った、とわかって、急行するも税務署の駐車場はストップ。

すぐ隣地にある住吉大社南駐車場利用に移っていた。

バタバタしたが、ラクラククリアーした確定申告

お昼の食事に、かーさんが大好きな大阪ふくちぁんらーめん南加賀屋店

食後に動くおふくろの生前整理。

住まいする大阪市営住宅の4階居住室。

おふくろが、ここ4階までの階段の上り下りをした最後の日。

令和3年の10月28日だった


無理だろうと、思っていたがいとも簡単に上り下りした。

あっけにとられたが、ここでの階段もあるが、住まいで一人暮らしは、とてもじゃないが無理。

我が家で療養していたが、すべてがかーさんの負荷、重荷になっていた。

施設への入所も了解したおふくろ。

未練はないが、心のうちは・・・

決断してから、数カ月。

その意思はかわりない。

そんなアレやコレやで、少しずつはじめた生前整理。

2月18日の大和川団地。

1階の住民らが目の肥やし、いや、癒しの庭園に華を咲かせていた。

籍、住民票はまだ移転していない。

1階にある郵便ポストは、相変わらず。



蓋を締めるワケにもいかず、そのままの状態に、ポスティングばかりが溜まる。

郵便は、便宜上、我が家に移送する手続きはしているから、一応は安心しているが、ここに来るたびに整理しなくちゃならんポスティング。

裏面が、磁石であれば、ソレは持ち帰る。

何かと便利に使える磁石シートがいちばん多い水漏れ対応の便利屋。

介護用の手すりは買い取り。

なんとかせな、と外しかけた固定ネジ。



次男が残していった電動式ネジ回転・インパクトドライバーで外そうとしたが、コツがわからんから諦めた。

そのまま捨てるワケには、もったいない。

なんとかしたいネジ山を潰さないように・・・

無理して、強引にやっても、ネジ山が完全に潰れたら再利用できない。

どうせ、最後の最後の日には、業者がなんとかしてくれるだろう、と判断した。



大おばあちゃんの位牌。

仏壇とともに我が家に移送したいが・・・どう、対応するのか、まだ決めてが見つからない。



来月には購入先の仏壇屋さんに相談し、その回答にしたがう予定だ。

さて、本日の生前整理は、たくさん。

軽バンに詰められるだけ積載しよう。

住まいから運び出したチェスト。



衣服かけに入所先に移す地デジテレビを載せてジャスト。

停めていた団地パーキング支払いに1時間超えの400円だった。

(R4. 2.18 SB805SH 撮影)

ふり返る令和4年1月の介護まとめ

2024年07月31日 07時31分50秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろの介護に大阪・住之江へ行くことは、もうないと思うが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

正月元日。



大晦日の晩の排便は5日目にすっきりしていたおふくろ。

翌朝の元日におせち食べ。雑煮は2杯も。



それから1時間後の午後1時、眠たいというので寝に行ったらと伝えたら、トイレしてそれから寝ると動いたおふくろの排便失敗。

おむつして排便漏らしは初めて、便器も手すりもぬすぐった可能性のある箇所すべて除菌テイッシュ。

綺麗にしてもらったおふくろ。

横になったベッドにすぐ寝た。

起きた時間は午後5時半。

腹が減った、雑煮食べたい、と訴える。

シャワーで汚れたお尻とか、洗ってもらって気持ちいいから入浴したいという。

それは無理、とかーさん。

シャワーしているときのおふくろの状態は浴槽縁に掴まっているものの小刻みに震え。

身体を支えるだけで膣が痛くなる。

もう無理やと伝えたが、もう1箇所入所できるところ早く探したいと訴える。

かーさんがLINEに姪っ子のKから年末メッセージ。

張り子の寅の置物がある信貴山朝護孫子寺に参詣したくても大勢になるからお家でほっこりするって・・伝えてくれた。

正月三日の午後6時半。

貴ちゃんからおめでとうの電話。

どちらも長話になると、替わって話す。

生活費は?。

たけちゃんが世話してくれたトヨタとか、他にも修業したことがあり少額だが厚生年金があるらしい。

しかもふーちゃんが息子のために残してくれた基金で暮らしているが、いずれ破綻を迎えるのでは、と心配しているんだよ。

4日に食べた一杯は、辛み大根おろしを入れたおそば。



これが旨かった、とおふくろも喜ぶ。

5日、コロナ第6波の拡大化は確実性を帯びてきた。



奈良は54人。

隣県の京都は92人(うちオミクロン10人)。

滋賀が54人であるが、三重は3人に、和歌山は4人。

しかし、安心してられない大阪が244人(うちオミクロン8人、但し前日は124に対して58,又翌日の6日は505の18と比較的少ないと感じる)に、東京が390人(うちオミクロン17人)。

西の国の山口県は104人(岩国米軍基地感染から職員感染し市中感染へ)。

広島は138人。

沖縄はなんと623人(沖縄米軍キャンプ感染から職員感染し市中感染へ)・・

年末年始以前からの人の動き、流れによる市中感染拡大なのだろうか・・

12日、今夜も食後に排便。

5日連続の排便に何かの前触れなのか、逆に気になる・・・

ちなみに、今夜の晩食は、業務スーパー売りのスパイシーカレーチキンレッグ。



おふくろはカレーも食べる。

スパイシーさが、気になっていたが、少量なら、そんなこと、気にせず食べていた。

14日のコロナ状況。

発表されたこの日の・令和4年1月14日土曜のコロナ新感染者数は・・・

大阪が、2826人。

奈良は158人に、京都は671人。

兵庫が929人に、滋賀は281人。

和歌山149人の発表に、奈良県教育委員会は他府県への修学旅行は取りやめ、奈良市は対外試合に市外対戦を諦めた、と・・

18日に届いた春日大社からの重要な伝達はがき。



コロナ禍にたくさんの詣で客でいっぱいになるのは避けたい。

例年、多い2月3日の節分万灯籠。

令和4年については、神事参列に参拝は中止の伝達だ。

22日、かーさんが、次点にしていた選択肢に見つけた有料老人ホーム施設。

住宅型有料老人ホームのリールホーム学園前がある


同施設は、ハッピーガーデンなどを経営するハッピーサービスグループのような企業のリールステージグループらしい。

新大宮にあるらしいリールステージ?。

それはどうやら、学園前北東にあるリールホームのようだ。

営業担当に尋ねた必要な要件。

入居用件を判断するT病院で検査した診断情報提供書。

その提供書は、入手後すぐに、車内で撮影した携帯画像がある。

特に必要なMRSA(※喀痰検査・・他に尿検査、血液検査があるそうで、どの検査結果によって評価は判断に差があるらしい)結果の陽性について、である。

ハッピーガーデンでは問題なしと判断され受理されたが、ここリールホーム学園前は受理されなかった。

どうやら新規の経営施設は判断経験が薄く、受理はしないが、ハッピーガーデンとか筒井のスーパーコートが受理するのは、経験があり、陽性であっても経験上感染症は低いと判断しているからだ。

筒井のスーパーコートに予約を入れよう、と決断し、かーさんが電話をかけたたが、現在も外出不能状態の施設。

それならハッピーガーデンの大安寺施設も京成施設も候補に揚げておくのが賢明であろう。

そこで、今国府のフォーユー大和郡山の施設も見学してみることにした。

23日。

昨日、電話した今国府のフォーユー大和郡山からの答えは、MRSA(感染症)判定結果により受理はできない、ということだった。

その件は、施設に出勤されていたハッピーガーデンのTさんに電話した。

「主人と相談した結果、ホームハッピーガーデン京西や、大安寺施設も視野に入れているので、登録をしておきたい」、とお願いしたら担当のKさんから電話があった。

「入居申請の登録はします」と、いうことだ。

大安寺施設の担当もしているようで、同様に登録される、とわかった。

まずは、ほっとしたかーさんであるが、他にも登録をしておきたい、とまたまた施設を見つけてきた。

新大宮の駅前近くにある、という住宅優良型老人ホーム奈良桃寿園施設も見学希望を依頼した。

24日は28日に、見学に出かける桃寿園。

だが、ハッピーガーデンの京西・大安寺に頼んでいるし、もし桃寿園が登録してください、と伝えられたらどうしようか、という。

かーさんの迷い。

あれこれ心配する心の迷い。

こっちに頼んで、こっちも頼んで、早く決まったとし、桃寿園が先に決まったら・・・

とりあえず入居し、ハッピーガーデンから入居の順が早くならなかったら、それはそれでえーし、でも早くなったら・・・と、迷い。

それはある意味、背信行為を思う心が、そう迷わせている。

どちらも忌憚なく本音で伝えて、こういうことしになりますが、というか、それとも桃寿園については見学レベルにとどめておくか、どっちかにしたらどう、と伝えたが・・・・

スーパー松源に、1本78円で売っていた。

2本くらいなら、と思ったがど、重たいからやめた。

いや、実はオークワで1箱買ってくるつもりにしている・・・と、いえば、1箱?

そんなに買ってどこへ置くの?とボルテージが急上昇。

声を荒げていうものだから、つい口走った。

向こうの廊下に置く、と少し大きめの声で伝えたら・・・おとうさんは、いったい私をどう思ってんや・・・

心臓バクバクする状態に反論する気も起らない。

25日。

かつて住之江に独り暮らししていたときは、うがいをよくしていたおふくろ。

いつしか生活の慣れが消え失せ、うがい効果も忘れているような・・・

食事の前にしょっちゅうするようになったゲーゲー。

嘔吐でもないようだが、盛んにゲーゲーをするようになってきた。

T病院の先生からも、ガーガーするのはうがいに効果がある。

退院直後はしていたが、いわれたことも覚えてないおふくろ。

かーさんが懇々と伝えたうがい効果に、再び目覚めたようで、デイサービス施設の幸寿苑でもするようになった、という。

回数はと聞けば4回に、えーっ。

4度も洗面所に行くようになったんだ、と喜んだが、それは1回当たりのうがい回数にがっくりした。

我が家の洗面所での昨夜のうがい。

ガーガー、ガーガーに喉が切れるんちゃうか、と思うほどのうがい行為。

頭を反らしたら、後ろにひっくり返りそうになるので怖い、と云い出した。

この日は、私の通院日。

帰り道にふと、思い出した。

あらゆる箇所に手すりを設置してきたが、のちのちにわかる都合の悪さ。

いちばんに使ってほしいおふくろが使いやすい位置に据える手すり。

天理のダイキに立ち寄り買ってきた。

帰宅するなり、直ちにはじめた取付作業。



本数が多く綯えばなるほどに作業の「慣れ」がわかる。

据えた手すりに、いっぺんやってみ、と伝えたら、左手で支える。

その左手、しっかり握っていた。

これなら大丈夫、といってくれたので、こっちも安心した。

26日、大阪市認知医務センター介護保険担当より届いた要介護要支援認定更新申請。

通常更新してください、とあるのでケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに相談した。

訪問調査手続きを発行しているが、現在はオミクロン株発生状況に難しい。

だが、要介護3認定のままでは、再調査したら要介護1に介護施設利用も相応しい形にしたい。

添付資料に例え個人情報番号記入などマイナンバー関係の項目があるが、個人情報の取扱から鑑み現状記入しなくてもいいように、なっている。

枠はあるが、現在は記入不要の項目。

その他ややこしい部分もあり、ケアマネジャーのFさんが代行手続きされるので、介護認定保険証を同封し、一式資料をケプランニングディ1に送付してほしい、といわれた。

届いたら主治医関係など項目記入に電話入れる、と・・・

大阪のコロナ禍は、介護認定者の同居する家族感染が多く、オミクロンはデルタ株よりも圧倒的に多く、うつされるケースが多い。

デイサービスは中止、自宅待機が多い。

保健所は全件把握が困難な状態。

東京と同じように保健所を通さず、直接連絡・連携している。

うわさが噂を呼び、高齢者はあっちにこっちにうろうろ。

井戸端会議がコロナをうつしているようなもの。

拡大するにつれ、大阪を歩く人の姿が少なくなった。

ワクチン接種の3回目接種の動きは遅い。

2回目接種から9カ月、遅れている・・・

27日、食後の後片付けも終わってテレビを見ていたおふくろ。

また、いつもの通り。

がっつりテレビを見ているか、寝ているか、二つに一つ。

入浴終えたかーさん、トイレに入っているという。

それからしばらくした午後9時20分ころ、叫ぶ声は漏らした証拠。

以前よりかはマシになったが、ときおり必要とする汚した衣服の着せ替えにおむつも・・

えらいすまんな、ごめんな、というが、もうちょっと早くにトイレに行っておればと思うが、いつも遅れる。

そのままベッドに横になろうとしたけど、まだ顔も洗ってないし、うがいも歯磨きも・・

パジャマに着替えたおふくろ、パジャマに付着したゴミを拾っている場合か・・・

28日は、施設見学応対してもらった住宅優良型老人ホーム奈良桃寿園。



施設長のYさんが、話してくれた介護の世界に入った20歳のころ。

当時は、橿原市桃寿園の特別養護老人ホームに就いていた。

施設のケアマネジャーは、都合がとれずM氏は紹介できなかった。

奈良市民の介護の受け皿に、現在入居室数が50。

実質、2室の空きがある。

空き部屋は2階、4階のいずれか。

入居となれば奈良市に住民票を移す必要性がある。

特にデイサービス受ける場合に、いつはハッピーガーデンの入居が遅れ、さきに桃寿園に入居した場合の切り替えに退去は可能であるが、入居に30万円の支払いが要る。

入居が3カ月以内であれば、利用した日割り、108円計算した分だけの支出で済むそうだ。

MRSAは陽性と聞いているが、現状頻繁に痰吐きがなければ問題としないが、仮にひっきりなしの状態であれば精密検査の要請・要請反応が4以上であれば医療行為をしてもらわなあかんから入院措置を求める。

数値が下がった入所者もおられるが、半年に一度は検査してもらう。

室内持込は「火」をださないモノ。

使わないもの仏壇は置いてもいいが、線香、蠟燭の「火」は禁ズ。

「火」をともなう、ガスはもってのほか。

ホットカーペットは、可である。

空き室利用の家族面談に室内エアコンある。

足元から冷たい風が吹くからなんとかせなあかんから対応考えない、と・・・

要介護3なら、実質16万円で済むが、介護4以上は20万円になる。

明白な認知症は受け入れない。

入居後に暴れる入所者は退去願う。

あちこち他人の部屋とか、施設事務所のドアを開ける男性は退去してもらった。

要は手のかからない範囲の人を受け入れる考え。

玄関に掲示したように、現在はコロナ禍のため、面会は謝絶。



お菓子などを見舞いにすることもあるが、今は遠慮してもらっている。

入院していたT病院で、対応したような職員が受取り、入居者に手渡す方策をしているが、正月にちょっと家に戻って外泊は、現在認めていない。

コロナのおさまり具合によって緩和することはあるが、現在は未定。

昨年の令和3年の11~12月はそうしてきたが、オミクロンの拡大に対応を戻した。

ただ、指定される医院の通院への外出は家族さん送迎等で行うが、用件外の外食・家食は認めない。

全体通じて良心的な応対、本音で伝えてくれる姿勢に桃寿園もいいが、現在の入居者、室内環境などをおふくろが受け入れるかどうかわからない。

次回、日にちを決めて、入居者見学をお願いした。

(R4 1. 4、 5、12、18、25、28 SB805SH撮影)

ふり返る令和3年12月の介護まとめ

2024年06月06日 07時40分15秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろの介護に大阪・住之江へは行くことは、もうないと思うが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

1日、金融機関・奈良信用金庫からかーさん宛に電話がかかった。

その通知とは・・・

利率を少しでもあげてはいかがでしょうか、だった。

案内に後日伺う、ということだが、預金は知らず知らずのうちに溜まった云万円。

生活費は私の年金収入から支出。

かーさんの年金である企業N年金も合せて、そっくりそのまま預金に廻していた結果の積み重ねが云々万円に膨らんだ。

うち云々万円に料率が、あがるという預金に廻して、云十万円はいつでも降ろせるような普通預金に入れ替えるという。

また、今後というか、将来生活のために遺族年金額がどれほどになるのか調べていた。

ネットなどでざっくり計算していたが、はっきりした遺族年金額を知りたくて・・

そういう場合は社会保険事務所に伺えばわかること。

私の委任状を添えて申請することもできるし、私が同席してでももちろんできるが、どうする、という。

どっちでも構わんが、どうせなら、独り身になったときにちゃんと暮らせるかどうか、安心しておきたい同席年金相談を希望した。

2日、大阪・住之江区保健福祉センターからの通知。

敬老優待乗車証利用確認が届いた。

過去を遡り、調べた結果、個人情報通知カード゙が届かなかった件に・・・

おふくろ本人を、区職員が本人確認したのは「顔写真付きの高齢者無料パス券」。

パス券は、以降どうしたのか記録なく、記憶を辿ってわかった平成30年4月に再発行したらしい。

かーさんが思い出した当時である。

団地居住地に眠っている可能性もある。

夕刻、区役所に電話をしたら、コロナ対策で前年の確認ができなくて、今になったという。

もし紛失した、というならわざわざ区まで来なくとも状況がわかったようだ。

また、利用していない事実もわかったので、確認できたということだった。

区役所に来られる用事があれば申し出てください、ということになった。

3日、従妹のYちゃんが贈ってくれた横田水産のちりめん山椒セット



袋単位に紙包みした商品は、中干しちりめん・たちうおみりん干し・いかの佃煮・茎わかめ・・・

うち、一部が瓶詰めの2本セットを、二日後に来た実弟三男夫妻に、そのときの帰りにお土産としてもって帰ってもらった。

5日、我が家で介護・中のおふくろに陣中見舞いに来た実弟三男夫妻の訪問。

電車にバスを乗り継いでやってきた午後1時半。

おふくろも一緒になって懐かし話題に3時間。

うちの車に乗ってもらって、おふくろが気に入ったハッピーガーデン西ノ京の立地を案内した。

部屋には入ってないが、施設から見える正月明けに行われる山焼き行事がある若草山を伝えた。

その施設からはすぐ近くにある近鉄電車の駅、西ノ京駅まで送る。

途中に下りがある坂道。

そこから車窓からでもはっきり見える薬師寺の塔に感激したようだ。

午後4時50分発の電車にのった二人を見送った。

映像は、前月の11月4日に撮った施設から見晴らした向こう。



来年も1月第一土曜日に開催される若草山山焼きが見えるだろう。

9日、今日は予約している耳鼻医院におふくろを連れて行く日。予約時間は、午前10時50分。

左の耳垂れは湿式。

粘り気があるようで、4カ月に一度は耳掃除が必要。

いわば体質的な要素だ、と伝えられたそうだ。

診療終えて、お昼の食事に向かった近くにあるかっぱ寿司

自宅に戻った二人の午後は寛ぎタイム。

私の午後は、洗車作業にオイル漏れ検証


屋外作業を終えた、次は屋内作業に移って、パソコン作業で仕上げるブログ記事の執筆。

ちゃちゃっと書ける記事もあればすらすら。

指が勝手に動くように執筆できる記事に、対してまったく降りてこない記事がいっぱい。

記事執筆は、最初のとっかかりで決まる。

また、執筆途中に引っかかってしまう関連事項。

つなぎの文・構成をどうするか、にぶち当たったら・・・他の作業に切り替え。

一旦、場を離れたときに、ふっと湧いてくるワードに助けられる。

気分転換に移った午後6時。

かーさんが伝えたかった時間帯。

実は、と話しはじめだしたおふくろの1件。

昼前に出かけた耳鼻医院。



停車した車から降りて、歩きだした公園。

向こうに見えるバスロータリー・停留所まで、二人が到達するまでいつも見送っている。

そこからすぐ近くにある耳鼻咽喉医院。

そこに行くまでの、ほんの少しの距離。

大阪から転居したときから怪しい道になっていた。

道というのか、いわゆる店舗前の通行路。

ビジネスマン時代に通っていたその通行路が、ガタガタ浮き上がり。

地盤が緩んだのか、それとも・・・

段差もある、その通行路で、おふくろが転倒した、と・・

5に7階建てのビルは2棟。

その間を歩く通行路を歩いて近鉄電車の駅にいく。

そのはるみちやビル辺りの段差に、ヨレヨレ。

ふわーっと前に倒れたおふくろ。

腕を抱えていたかーさんも、その重みがわかる転倒。

速度は緩くまるでスローモーション的感覚。

三段階屈折のような感じで、そろーーっと、床に手をついてひれ伏した。

それを目撃した二人の女性が倒れたおふくろを抱えて助けてくれた。

うち、一人はなんと地元自治会に所属している住民だった。

お礼を伝えたもう一人の女性は、電車の時間があるらしく、急ぎ駅まで・・

地元自治会の住民は顔見知りのFさん。

旦那さんもよう知っている。

そんな関係性に、おふくろは助けてくれたFさんに、気持ちをしたい、という。

と、いうことで奈良の銘菓。

創業が400年以上にもなる大和郡山市とお菓子と云えば必ず口にする「お城の口餅」。

特に、手土産に相応しい「お城の口餅」を買ってきて、F家に。

奥さんは不在だったが、その節は、奥さんに助けてもらって、と伝えた旦那にありがとうございました。

この件は、もちろん旦那と共通認識していたから、受け取ってくれた。

さて、もう一人の女性は、背の高い方だった。

人助けに慣れた人のようだった。

歯科医院がある、はるみちやビルの7階まで支援してくれた。

お名前は聞いてなかったらしく、この場を借りて厚く御礼申し上げる次第だ。

10日、かーさんの遺族年金調べに旧社会保険事務所に足を運んだ。



現在は「奈良年金事務所/日本年金機構」になっているが・・

ずいぶん前になるが、かつて私の年金確認に度々伺った旧社会保険事務所。

もし、万が一なことになれば、かーさんが受け取る遺族年金額。

担当の職員が調べてくれた遺族年金支払い額

早い話が、減額が3/4。

かーさん自身の国民年金などがあるから、およそ月平均額は16万円ちょっと。

今の段階では、一応はなんとか生活はできる範囲に落ち着くようだ。

14日、届いた郵便物転送届けは“転居届”だった。

そうか、そうだったんだ。

今頃になって知る“転居”に伴う一年間は、転出先に届けられる郵便物転送届け。

記入し、投稿した日が受理されてからの1年間は有効。

来年、早々には、事実上の“転出届”をしなければならない。

転出先は、我が家の住所。

同居はするが、別所帯する。

かーさん、予め市役所に確認をとっていたおふくろの別世帯・同居である。

29日の朝6時半に起床したかーさん。

私が起きたときには、すでにリビングに座っていた。

どうしたん、に答えた症状は、足の引きずり。

前夜、である。

就寝する際に気づいた症状。

どことなく、おかしいと気づいた部位は、太もも下の関節。

痛くはないが、まるで腰が、すこんと抜けたような感覚なんよ、という。

だから、踏み込む力が入らない。

ちゃんと踏ん張れないから歩けない。

これ、なんでだろう。

急に現れた身体異常に、不安さが増すかーさんだが、少しばかりが動ける。

徐々に回復傾向になったのか、ひょこひょこ動くうちになんとか歩けるようになった。

ところで、今日のおふくろはデイサービスの日。

予定時刻は、午前9時15分。

それより5分ほど遅れで到着した送迎車。

運転していたケアワーカーのあおさんの話によれば、不足していたガソリンの補給。

なんと、予期しないガソリンスタンドが、なんと補給車が多くて、渋滞していたそうだ。

尤も、送りの時間には解消された、というが、前日に補給を済ませておいた方はいいだろうに。

31日は大晦日であるが、デイサービスはある。休みでなくサービスはされる。

その大晦日の送迎はおふくろ一人。

たった一人のために送迎車がきてくれた。

ただ、いつもと違ってお一人さん。

他に送迎なく、いきなりの到着は朝の8時35分。

一応、聞いていたので別に驚くことはなかったけど・・・

トップの写真は、12月23日に撮った業務スーパーに売っていた年末までにかけたい小ジメのしめ縄。

12月は慌しく過ぎ去る師走月。

家族一同、何事もなくでもないが、今年も無事に暮らせたことに感謝し、新しき年を迎える。

(R3.12. 9、10、23 SB805SH 撮影)

ふり返る令和3年11月の介護まとめ

2024年04月03日 07時49分29秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くことは、まずないが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

トップ映像は10日の朝に撮っていた我が家の千両。

赤い実が美しく、綺麗に色づいた。

正月飾りに使えるまで、そっとしておこう。

4日の午後1時から午後3時まで、おふくろを連れて実際に居住するホームの環境、通路・浴室脱衣室・部屋の視察見学。



施設の駐車場から見える東の山。

正月過ぎた数週間後に実施される奈良の風物詩。

若草山の山焼きがこんなに綺麗に見える見晴らしが素晴らしい施設は、おそらくここだけだろう。



持参した室内用補助車が行動するすべてが手すりの役目。

トイレの入退室も体験した。

トイレのドアも部屋のドアも、すべてのカギ閉めは禁ズ。

談話室に懐メロ映像を見ている入居者の一番古い人の話によれば、当時新設されたときには、Tリーダーも同じ。

居住が10年のベテラン入居者は8人。

うち男性は1人だ。

環境や入居者の状態を理解する住宅型有料老人ホームハッピーガーデン西ノ京施設の見学・体験。

Tリーダーの話によれば、食事はアレルギー対策や対応策を講じている。

好き嫌いについては、個々の対応はしていないが、料理長の好意的な判断をもって、お一人、お一人の個性を鑑み、残り物などで調整している。

また肉食については、鶏肉を優先。

次いで牛肉。

最後に豚肉を、との姿勢で調理されていることに、まずはほっ。

豚肉はまったく受けつけないおふくろ。

対応策をとってくださるので、安心した。

また、ハッピーガーデンのデイサービスを勧められたが、まずはホームの暮らしに慣れてからだ、と思っている。

おふくろからの質問の洗濯物は?に、回答してくださった。

普段の衣服は外部委託業者になるが、大物、例えばフエザーなど専門性を有する衣服は家族さんにお願いしている。

部屋にマットなどを敷くのは移動、歩行の際につまづく危険性があるので禁じている。

こたつもしかりである。

就寝時間は報せるが、部屋内でテレビつけっ放し・電燈つけたままも可能です。

居住者それぞれ暗がりを好む人もおれば、明るい部屋を求める人もあり、様子は深夜に見廻りをしていますから・・・

ハッピーガーデンの施設は西ノ京と京西がある。

ここからは、割りあい近いところにある京西も見学可能か、どうか打診したら許可してくださった。

車に乗り、向かった先は京西ホーム。



若手の男性職員が数人。

居住者の姿は見ない。

おそらく入居部屋に籠っているか、デイサービスに行っているもようの時間帯だった。

短時間の見学であたが、おふくろの意思は固まったようだ。

帰宅し、話すポイントは、ガランとしている施設環境。

数人おられた職員さん。

どなたも声も掛けない施設よりも、アットホーム的な感がある西ノ京施設がいい。

職員のみなさんが優しく声をかけてくれるから、お世話になります、と自然体で挨拶できた西ノ京がいい、と伝えてくれた。

8日、ハッピーガーデン西ノ京施設のTリーダーに伝えたおふくろの意思。

職員の応対、挨拶、対応など比した結果。

おふくろの意思が固まった西ノ京施設を選択したこと伝えた。

これで、決まった施設の入所先。

これより契約に移るので、今週の木曜11日に出かけて、圧迫骨折になんども入院・安静菓寮をしていた田北病院にお願いした診断書。

2週間後には、診断書を受け取る予定だ。

11日は、ハッピーガーデン西ノ京施設の入所に必要な医師の診断・・血液検査をしてもらう。

入所者が、病原菌を保有・保持しておれば、職員ならびに施設入所者にうつる可能性がある。

現在は、一番に恐れられているコロナウイルス菌だ。

コロナウイルスでもない、異質の菌保有などの検査は、疫病専門機関検査である。

その結果は11月23日の連休明けになる、と伝えられた。

他に、喀痰(かくたん)やレントゲン撮影検査もある。

検査する医療機関は、圧迫骨折名などで3回も入院していた田北病院にお願いした。

検査は、,病いではなく、入所するための証明が目的。

その検査だから検査費用は実費の15000円がかかる。

また、ハッピーガーデン西ノ京施設に提出するその検査の診断書は1500円。

これももちろん実費である。



映像は、たまたま遭遇した近鉄電車。車両は伊勢志摩行きのしまかぜ。

思わず車を停めて撮った一枚。

12日の起床はスムーズだったように、思えたがそうではなかった。

久しぶりの朝の騒動に、一つはおむつに落とした排便。

今までのように手を煩わすことなく、かーさんラクラク・・・で、あったが、あれぇ。

そう思ったのは、トイレから出てくるのが遅い、とわかってからだ。

一つは、幸寿苑に行くときの着替え、苑で入浴するから朝に着替えは無用と伝えていても、着替えをしてしまう。

その着替えを終えたら洗顔になるがその動きがない。

怪しい、と思ってドアを開けたトイレは無室。

ベッド室にへたっていたおふくろ。

立たれへんと訴えるおふくろ。

着替えしていたベッド座りに、するっと滑ってしまった。

床に直接のドシンはなかったが、するすると滑ってへたっていた。

早く準備をせなあかん、と焦りに深座りをせずに、腰かけた座り方が浅くて・・・滑った。

画像は、今朝の時間帯。



起床してから開けた北の窓。

目の下に飛び込んだ今朝の北の庭に惹かれて撮った一枚。

雑草などを引いて綺麗にした北の庭。

エビネ株の周りがすっきりした感が伺える。

13日、仏壇だけど・・と話しかけてきたかーさん。

こっちに或いは、入所先に仏壇を移動できるが、さてどうしたものか、とネット調べていた。

あれこれぐぐって頭に整理し、わかったお性根抜き。

お性根を抜いてから、移動せなあかんとあった。

仏さんの本尊有無、また掛図の有無も確認も、とあったネット情報。

以前、撮っていた写真を見ても暗がりで見えない。

たしか、おふくろがご近所の仏壇屋さんから買ったもの。

元々本尊なんて無いし、掛図もないから性根抜きは無用と判断した。

勝手に運べばいいが、こっちで一時保管にしても気持ちが落ち着かない。

仏壇はあるが、大ばあちゃんが亡くなった当時に買ってきた仏壇。

月参りの法要に来てもらっていた僧侶は、葬儀屋さんの紹介。

大阪・平野の大念仏。

僧侶は、奈良・平群の念仏宗派の寺院からきてもらっていた。

大阪から転居してきた旭ケ丘に知り合いの僧侶はいない。

行事取材に面識できた春岳寺の僧侶にお願いしてはどうか。

住まいするご近所の方に、月参りしてもらっているお家がある。

その人曰く、月参りのお布施は高額らしい。

まさか、春岳寺の僧侶に依頼することはないが、他に取材にお世話なっている小林町新福寺の住職なら気持ち的に頼みやすい。

元校長先生を担ったご住職にお願いしようか、とかーさんに話したら、その方向で・・・

15日、95歳のおふくろに住之江保健福祉センターより、令和3年度の高齢者用肺炎球菌予防接種通知が届いた。

事前に、電話を入れて相談した結果、奈良市菅原町にあるすくすくこどもクリニックで接種可能だとわかり、紹介されたすくすくこどもクリニックに、予め接種可否を確認したら可。

本日、あらためて接種予約をし、11月18日の木曜日。

午後1時に決まった。

夕方にかかった電話は、すくすくこどもクリニックより。

大阪市に念のための問い合わせ、確認をしましたが費用は奈良県と違って4300円の割高になると、それを伝えてくれた。

ただ、通知はがきに書いてあったから、存知している、とかーさんは答えた。

耳が聞こえにくい症状に補聴器装着の決断をしたかーさん。

何年も前からの症状に聞こえる内容がくみ取れなくて勝手な判断で相互の会話に聞き漏らし、聞き誤りに会話が噛み合わない。

聞いた、聞いていないに、伝えた、伝えていない、と絶えず口争いになるトラブルは増幅され、大きな声になる。

聞こえないから、なお一層にボルテージが上昇してしまう。

つい、ついあげた大声が、怖い、というが・・・

危機的状況に不安を解消するには補聴器しかない、と決断したかーさん。

予約していた本日の耳鼻科医師の内診に、補聴器専門技師の検査に器具を製作するそうだ。

18日は、奈良市菅原町にあるすくすくこどもクリニック行き。



午後1時から2時接種した肺炎球菌ワクチン。

子どもクリニックだけに小さなお子さんをもつ母親は車で、或いは自転車などに乘り、やってきた。

その数多く、すべてが小児ワクチン対象者。



問い合わせの電話も多く、看護師さんはてんやわんや。

そこに居る超後期高齢者は、おふくろ一人だった。

帰宅してから急いで出かけた富雄・中山のハザカケの稲藁干し

民家の前の一角に落ち柿もある稲干し。

ちょっとした農村風景がとても素敵だ、と思った。

21日。

午後4時ころか・・・

かーさんが伝えてくれたおふくろの様相。

テレビ見ていたときである。

見ていたのか、それとも見ていなかったのかわからないが、突然に地震や、と・・・

特に感じることもなく地震情報もないから眩暈と思ったが、それなら血圧上昇?

まさか、と思って、取り急ぎ計測したら特に異常値でもない。

夢をみていたんかなぁ・・

映像は、20日に撮ったキャベツのだし漬け。



美味しい味のつけ汁が残ったので、もったいないから残り物のキャベツを漬けた。

これが、意外と美味しい。

22日、昨日から寒くなったと訴える。

夜から朝まで寒い、というのでエアコンを朝まで運転するようにセットした。

午後4時10分前の電話は、田北病院から。

直接、退院後主治医になってくださったY先生からの伝達。

11月11日の検査の結果である。

それは2点。

一つは結核菌保有者だったことに、もう一つは喀痰(かくたん)検査。

その喀痰検査に弱毒菌が見つかった。

特に症状といえるものは、令和3年8月の退院後から診ていた内科主治医。

そのころから気になっていた咳の回数。

咳が多い、と訴えたときの回答はうがいの励行と痰切りの薬を服用であった。

ですが、次の検査からは、症状から判断し、痰切り薬をなしにしていただきましたね・・と、伝えたら、今も現在も病状的なことは起こっていないと判断された。

もう一つの結核菌保有について、家族さんに結核がかかった人はいますか?に、おふくろが30歳のころ、次男が小児結核にかかり、大阪貝塚にあった施設に1年半の期間の隔離治療生活。

当時の世相からいえば、全国的に結核が大流行した時代。

家で隔離はしてなかったと思うし、おふくろが結核にかかっていたとは私自身も面会など何度も往復していたが、結核を患った記憶がない。

いずれにしても当時、おおかた60年以上も前のこと。

保有したとすれば、経緯はそのことだろう。

いずれにしても診断書記載に関してはこちらからどうのこうのといえる立場でないから、先生よろしくとしか言えない。

あとは入居を受け入れする施設の受け入れ基準に該当するか、しないか、だろう。

24日の午後。

田北病院に診断書発行について問い合わせしたら、今できたと・・・

受け取った診断書は開封状態だったので内容を確認した。

結核菌は有。MRSA(喀痰)は、陽性と診断された。

早くに提出したいので、ハッピーガーデン西ノ京施設に出向く。

が、当日はTリーダー不在のため、代理受取された際に尋ねた。

陽性保持者は、他に入居希望者がある場合は診断結果をもって外されることもある。

現況のハッピーガーデンではMRSA(喀痰)保持者を受け入れることはない。

まや、MRSA(喀痰)保持者の入所希望者もなかった、と回答。

できるならハッピーガーデンのような施設では看護師が就かない。

だから受入は難しい。

医師資格をもつ看護師が常駐する病院付き施設なら受け入れてくれるだろう。

選別結果はいち早くお伝えするが・・・

その結果次第になるが、説明してくれた施設を、また新たに探さなくてはならない。

陽性患者とわかった以上、Y先生に治療の有無をどうしていくか相談する必要があるのでは・・・

かーさんに伝えたが、うんともすんとも反応はなかった。

家に戻ったときである。

ハッピーガーデン西ノ京施設から電話が鳴った。



診断書受け取った男性職員からTリーダーに連絡され、ハッピーガーデン西ノ京に関係する往診医師に、陽性保菌者について確認した、そうだ。

その往診医師の回答は、そのことによって拒否するものではない。

むしろ施設の人たちとよく会話をするとか、社交性があるとかが勝る。

その点を評価するかもしれないし、むしろ入居者とか職員と軋轢を生むトラブル行動する希望者は施設運営に支障がでても困るので、そういう場合は除外もあり得る。

また、1室の空きはあったが長期間入院治療していた入居者が戻ってこられたので、現況は白紙に戻った。

27日、昨日に届いた成人式前撮りプロフイール写真。

写っていた娘さんは、おふくろが最も親しくしてきた姪っ子のきみちゃん。

私の関係性でみれば、従妹にあたるねーちゃん。

きみちゃんは、おふくろの姉が生んだ初めて娘。ねえちゃん、ねえちゃんと呼んでいた。

成長した、今もおふくろをねえちゃんと呼ぶ従妹。

その従妹が生んだ娘は、私からみれば姪っ子。

従妹の子どもやから姪っ子。

その姪っ子が生んだ娘が、成長し、今や成人式を迎える歳ごろになった。

生まれてからのおふくろは、何かと気にかけてくれて南加納まで出かけてはお祝いをしてきた。

幼稚園、小学校、中学校のイベント、特に運動会は観に行っていた。

大きくなって娘さんが送ってきた成人式前撮りプロフイール写真。

和服姿がよく似合い、微笑ましく思え、感激に浸ったおふくろは電話をかけた。

まずは、母親に電話。

だが、今は電車に乗っている最中。

自宅に戻ってから、もう一度かけ直す、と・・

ただ、この日は父親とともに下宿先を探しに出かけているようだ。

高校生時代は、自宅から通学してきたが、受験合格した大学は京都。

遠方地なだけに、負担もあり、合格した京都大学近くにある下宿先を探しているようだ。

で、今はおばあちゃんになった従妹のきみちゃんにも久しぶりに電話した。

およそ1カ月前。

お外で倒れたそうになったが、医師の診断によれば特に異常はないと・・

29日、実弟三男からメールが届いた。

おふくろの様子をみたく、土曜か日曜の返答に翌月の5日・日曜の午後1時半ころに着予定を神戸の自宅から電車・バスを乗り継いで行く、と・・・

(R3.11. 4、10、11、18、20、24 SB805SH 撮影)

ふり返る令和3年10月の介護まとめ

2024年02月17日 08時18分44秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くことは、まずないが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

4日、従妹のYちゃんが贈ってくれた梨は大淀町薬水の梨子本(なしもと)果樹園。

テレビ放送の「マツコの知らない世界」でも紹介された、とても大きな、大きな、大きな直径11cm。

高さも同じく11cmの新高梨を6玉セット
で贈ってくれた。

食後に食べた半分でも多いくらいの巨大梨は瑞々しい甘さが美味しいとペロリ・・

そのころのコロナ過は第5波。

「8月20日に全国の1日当たりの新規感染者が過去最多の2万5866人を記録。その後は減少し、今月3日には1000人を下回った。東京都では8月13日の5773人をピークに、今月4日は100人を割り込み、昨年6月ごろの水準まで下がった
この間にはワクチン接種も進んだ。9月13日には接種を終えた人が全人口の半数となり、今月15日時点では66.1%に上る。少なくとも1回目を打った人は74.7%で、ほぼ4人に3人に達した。
和歌山県の調査では、7〜9月に感染した接種完了者計235人のうち、81%が他人にうつす「二次感染」を起こしていなかった。未接種または1回のみ接種の感染者では72%で、同県はワクチンを「地域での感染拡大防止に効果がある」と評価した。

この他に、オリンピック期間を終えたあとも、報道などで感染者の多さを知った人たちが感染リスクの高い行動を自粛したこともあり、複合的な要因がからみあった相乗効果、ではないだろうか。

9日、夜の寝しなに痒いから腫れてんのかわからへん、と云い出した。

靴下を脱いだ両足は完全な浮腫み状態。

パンパンに腫れとるやないか。

痒いのはかゆみ止めを塗り塗りしかない。

浮腫みは足を高くし、揚げるようにとしかいいようがない。

赤くなっている、というが、それは掻くから。

痒いから掻く。

掻くから痒くなる悪循環。

決して虫さされではない。

で、その症状はいつから、と聞けば、昨日の8日。

幸寿苑の入浴時に介護士が気づいたようだ。

14日の就寝時。

前々から気になっていた垂直ポール支柱手すりが、桟から外れ半分まで動いていた。

それは、おふくろが手すりしたときにどうやら力をかけ引っ張りぎみとわかった。

ベッドに右手を伸ばそうと手すりにかけた左手に力が入って引いていたとわかったから、体重をかけるのではなく軽く支えるだけでいいのよ。

逆にトイレに行く場合は、右手に手すり、左手は廊下の手すりに伸ばそうとしているが、距離が短いから体重はかけていない。

だから軽く支えるだけでえーから、と伝えたら、おふくろも前々から気になっていて、なにかが起こるんかいなと思っていたらしい。

力任せに体重をかけて引っ張れば、桟から外れる実演をしたら、ようわかった、という。

気つけておくから、と・・・すやすや睡眠に入った・

ところがだ。

朝、起こしにかーさんが行ったら、まことにもったらアカンと言われたから、”杖”もってきてという。

えっで、ある。

かーさんには前夜に伝えていた垂直手すりのこと。

おとーさんが、また怒ったらあかんから、私が先にいうから、と・・・

ところがだ。

ガンとして受け入れないおふくろ。

その状態に、やや強い口調でいったのかどうかわからないが、そんなキンキン、キツくいわんといてと、いわれた。

それでも懲りずに“杖”というから、おかーさんといいながら肩をポンと押したらしい。

そのことを聞いた私はイラチどころか、オレはそんなことひとつも言っていない。

1ミリもいってない。

どうやら、おふくろは昨夜に理解して寝たと思っていたが、寝ている間に不安がよぎり、徐々に、ましてもうその垂直手すりは使ったら倒れてしまう、と妄想したのだ。

その結果が“杖”であった。

なんということだ。

いわなきゃよかったのか、と私は苛まれるし、かーさんはもう我慢できない、という。

コロナ禍対策も、ちょっとは緩くなってくるかもしれない筒井の施設。

外出できなくとも面会ができるなら、早く入所してほしいんやからと爆発精神状態に・・・・

うーん。

デイサービスに出かけたおふくろ。

私にかけた言葉が、ガンゴな面に苛立ち。

肩を叩いたのは、そんなんじゃなくポンと肩を押しただけやという。

心がやや落ち着いてきて、ちょっと高ぶったかもしれない・・・

とにかく垂直手すりは撤去し、移動式の手すりに置き換えることにした。

15日、前日にそういう事件があったから、就寝時に廊下からきて移動式手すりに。

そこまではよかったが、水屋の支柱まで右手が届かない。

あれぇ、と思ったんだろう。

“アレ”が欲しいといいだした。

そりゃそうだ、“アレ”がなければ支える距離が遠くなる。

また、不安になったおふくろ。

その様子をみていた私は、とっぱらった垂直手すり、要るんやろ、と云ったら、そうだという。

1年間も使ってきた手すりに慣れていた。

垂直手すりがないと、不安を感じたわけだ。

朝にいったこれいらん、“杖”ほしいと云ったのは、夢、それとも幻想であったのだろう。

かーさん、早くも見つけた奈良市大池の北寄りの老人介護施設「〇〇の園」。

11月になれば、面談・面会が可能になりそうだ。

入居部屋まで入室できるし、すべての要介護、要支援であっても受け入れる住宅型有料老人ホームハッピーガーデン京西。

10月20日・水曜に施設見学の申し込みをした。



20日は、申込していた住宅型介護付き有料老人ホームハッピーガーデン京西の見学。

午前10時から11時50分まで見学応対してくださった施設。

施設担当に16年も勤めてきた特養老人ホームに従事していたベテランのOマネジャー介護福祉士。

1年だけであるが、我が家のいちばん近いウエルネス悠に勤務していたそうだ。

数年前、圧迫骨折に入院。

その後に退院したおふくろ。

大阪・住之江に戻れる状態になるまで我が家に身を寄せ、一時期は介護療養をしてもらっていたデイサービス施設。

また、介護も介助も一切しない、つまり何もしないトマト・ホームもよく知っている、という。

受入順は、そのときの受け入れ状況により判断される。

基本は、夜間を一人で対応できる範囲に、入居者の要介護状態バランスをとる。

救急コールする際は、まず保護者家族に同意を求め、救急病院へ向かっていただく。

家族さんが、遠距離の場合はそれに値せず、といことだった。



見学を終えた感想は、これまで見学した数々の施設よりも、断トツイチバンに利用したい住居付き介護施設。

申し分ない対応をしているように感じた住宅型有料老人ホームハッピーガーデン京西。

系列の西ノ京ハッピーガーデンも見学したい。

そのときには、おふくろも連れて見学・面談させたい。

それには、真っ先にしておきたい大阪・住之江の大和川団地。

4階階段はもう無理、諦めさせるために、長年暮らした住之江の団地。

それから、といえば、実は、私がいないときに、おふくろと、いろいろ話していた、そのときから、もう諦めているから・・・・、という。

思っていただけなら、またぶり返して帰りたい、というやろ。

そうであれば、ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに連絡し、ホーム入居の方向を伝えない、と。

今度は、かーさんにしてもらいたい、というたらエライ剣幕でしない!、と・・

電話なんて、私はせーへん、と返す。

理由もなく、拒否するケアマネジャーへの連絡。

だから、こっちも大きな声で、きっぱり返すってなんでや、と怒り。

その大きな声に、いっつもこんなに大きな声に、限界や。

もう、えーかげん家出たい・・・と。

そういうけど、ほんまはどうすんのやと、いえば、年金月6万円では暮らされへん・・って。

いいたいこといっぱいあるちゅうけど・・・オレが大きな声を出す原因を、つくったのはかーさんや。

こっちこそ、いいたいこといっぱいある。

かーさん曰く、オレが我慢していたと思うけど、ここ最近、年齢がいってからは態度が変わったという。

心の中でつぶやいたソレは、そう、ずっと我慢してたのはオレや・・・

キャンキャンされるのも我慢してたんや、と言いたかったが・・・

夕方、久しぶりの電話に長電話になったYさんとの会話。

九州に一人住まいしていた当時90歳の伯母の親戚あるあるだが、一番慕っていたYさんの話だけは、よく聞いてくれた行動をしていたが・・・

認知症が酷くなり、通帳を盗まれたとか、警察呼ぶ騒ぎもたくさんあった。

失火に火災発生にもなりかけたが、たまたまの来客に救われたことがあって・・・

一人住まいはもう無理。

そう決断して老人ホームに資産をもつ伯母の認知症に、資金管理を頼まれたYさんは断った。

旦那さんも司法書士だった関係もあり、伯母の資金管理は司法書士に預かってもらった。

携帯をもたない伯母に月に1度は新幹線通い。

それらの交通費、宿泊費は、その都度司法書士から代金を受け取る形にしていた。

伯母はホーム入所に嫌がっていたが、ホームの人らと企ててデイサービスに行こう、と誘ってそのまま入所させた。

当初はいやや、帰りたいとか云っていたが・・・

次第にホームにおられる入居人らと仲良しになった。

現在は98歳になるが、今やホーム入居者のリードオフマン。

要介護3だった伯母は、みなと活動しているうちに認知症は薄らぎ、現在は要介護1になった。

咽頭がんの身であるが、医師に診てもらって治療も、そのことも感じさせないパワフルに動く伯母の話で盛り上がった、と私に話すかーさん。

おかあさんも入所したらえーねん。

幸寿苑のデイサービスの日はともかく、行かない日は家にずっと椅子に座ったままテレビがお友達のおふくろ。

しまいにコックリ、コックリしている姿は、見とぅもないし。

リビングにずっと、そのまんまの状態の部屋におりとうないねん。

おかあさんのことやから入所したらすぐに友達できて会話が弾むやん。

送迎車の中でも最初はしゃべらんけど慣れてきたら、その人らもしゃべるようになるから入所したほうがえーねん、というかーさんに、オレもそう思う・・・・



22日は、住宅型有料老人ホームハッピーガーデン西ノ京の施設見学。



眺望、見晴らしが素晴らしい。

思わず息をのむ景観の先の先に見えた若草山。

入所したら、1月の風物詩。

若草山の山焼きが、ここから見えるんじゃろう。



付近は、新興住宅地。

のどかな空気感に包まれた住宅地に車の騒がしさがないのも、魅力。

午前11時半から11時半までの見学応対はTリーダー。

大阪の天満暮らしのここ奈良までの通勤。

意外に奈良は桜が少ない、と云われた。

25日。かーさんの考えは、来年の1月にホーム入居を、と思っている。

大阪・住之江の大和川団地を離れるには、住民票を移すのが先か、退去してから移すのか。

また、阿倍野住宅管理センターの立ち合いは、いつにするのか、電話相談をしていたそうだ。

ちなみに住民票は、入所する施設ではなく、我が家のアドレス。

別世帯に分けた方がなにかと利便性があるので、その方向であると判断している。

26日、こそっと耳打ちに今話すベストタイミング。

おふくろにコロナも落ち着いている状況。

何カ所か見てきた老人ホーム施設で最も、おふくろにとって安全にま不自由なく、制限も他より緩和した施設が見つかった、と伝えた。

おふくろにとって相応しい施設はこれまで通り幸寿苑デイサービスも受けられる。

迎えにもきちんと安全に送ってくれる体制ができている施設。

入浴はマンツーマン介助、機械入浴もあるし単独風呂もある。

什器備品はそろっている。

テレビとか衣服、仏壇も部屋に移すのは問題なし。

仏壇は、一挙に入所施設へ移動せず、我が家を経てという具合も可能だ。

その施設はうちの家から10分間で着く距離。

数週間おきの外出も可能。

外食に食事処で食べることも可能な施設。

一時的に我が家へ泊まって食事もするのも可能。

それができるからこの施設を選んだ。

見学は、2カ所。

ちょっと離れたところにあるから、一挙に見学するのも可能。

なんか、あればすぐに飛んでいける近い場、などなどを話したが、嫌ぁーとも、反対とも返さない。

黙ったままのおふくろ。

納得はしているのかどうかわからないが、とうとうその時が来たか、と観念した?ようでもある。

口走ったのは、大和川団地の住居費用だ。

誰もいない住居に家賃を払っているのはもったいない、と思っている。

今でも戻りたい、と・・・

そうであるなら、あの4階までの階段を上がってみるか。

上がれて部屋に一人、今まで通りに動けるかぁ。

炊事はどうすんのや。

洗濯は、今はうちで世話になっている身。

ひとつとして炊事場に、調理したことあるか。

積極的に動かんかったやろ。

住之江で一人暮らしができるか・・・

なんなら今度、近々に住之江にいくかと聞けば、そうしてという。

令和2年の4月1日に発症した圧迫骨折。

急遽駆けつけた大阪・住之江。

なんとか乗せて愛車の軽バンで奈良まで移送
した。

T病院に緊急入院して以来、退院後はうちの家で療養してきたおふくろは、11カ月ぶりに住之江にやってきた令和3年の10月28日。

階段の上り下りができるのか、また室内で動けるのか。

本人の意思をもって、独り暮らしができるかどうか判断してもらう。

その結果は・・・

時間はかかったが、当時と同じように手すり遣いでなんとか上り下りができた。

室内の動きは到底無理や、と老人ホームのお世話になる、と意思を固めてくれた


その条件に、今日のように外出し、回転寿司など連れてってくれる用件をもって住之江を離れる覚悟に。

まだ着たい衣服数点を持ち帰る他、居住地退去にすべて処分ではなく使えるものはホームまたはうちの家に、或いは実弟三男に要・不要を聞くことにした。

また、介護用に設置した3本の手すり3本は、移設可能と判断した。

30日、差し歯がかみ合わないから噛んだら痛い。

無理やり嵌めたのがあかんからして外して食べた晩食。

痛くもなく、美味しかった、と喜んでいた。

今日は土曜日。歯科医院は、休み。

だから来週の月曜日。

幸寿苑のデイサービスから戻って、すぐふくつじ歯科医院に行く予定にした。

ちなみにトップの映像は、5日の夕方。

夕陽が落ちるころを狙って撮った奈良県側から見た、生駒山。

右手前の明かりは、介護施設の窓灯りだろう。

(R3.10. 5、20、22 SB805SH 撮影)

住之江・団地の階段は上り下りできたが・・・決断したおふくろは見納め

2024年02月12日 08時09分47秒 | むびょうそくさい(おかん編)
ほぼ2年近い。

1年と11カ月ぶりに食事する大阪・南津守店のかっぱ寿司。

この日に大阪・住之江入りしたワケは、おふくろが元々の居住地に独り暮らしができるのかどうか、本人自身に確かめてもらうことである。

令和2年4月1日。

発祥した圧迫骨折に急遽、住之江から軽バン移送
した。

T病院に緊急入院して以来、退院後はうちの家で療養していたおふくろは19カ月ぶりに住之江に帰還した。

問題は、階段の上り下りができるのか、また室内を不自由なく、動けるのか。

本人の意思、自覚をもって独り暮らしができるかどうか判断してもらうのが目的。



その結果、時間はかかったが、骨折前当時と同じように手すりを遣いでなんとか上り下りができた。



ただ、室内の動きは到底無理や、と自覚した。



居間から炊事場。

炊事場からトイレ。

衣服の洗濯は機械がするとしてもベランダ行き、物干し、取り込みへの動きは無理がある。

もちろんヘルパーさんに支援してもろたらどうや、と声が聞こえてきそうだが、炊事場を中心とする調理、配膳も無理がある、と自覚したおふくろ。

居住型老人ホームにお世話になります、と意思を固めてくれた。

その条件に、今日のように外出し、例えば回転寿司などに連れてってくれることが約束。

新型コロナウイルス拡散防止対策に居住型老人ホームの一部では、一切を許可しない施設もあれば、うちはよろしい、ですよ、と伝えてくれる施設もある。

この用件を満たす施設への入居申し込みをもって住之江を離れる覚悟をもったおふくろ。

まだまだ着たい衣服を数点持ち帰る他、居住地退去にすべて処分ではなく、使えるものは老人ホームまたはうちの家に、或いは実弟家に要、不要を聞くことにした。

また居住地に設置していた3本の手すりは我が家に移設可能と判断した。

戻ることのない団地住居。

バラック小屋のような木造の市営大和川住宅から、近代的な鉄筋コンクリート製の5階建て団地。

建設工事を終えて移転。

家具、家財は、住民そろってみな団地移動。

新しき住処に整えて暮らしてから何十年にもなる。

建築は、昭和49年(1974)。

鍵渡しを受理し、新大和川団地に入居したのは昭和52年(1977)。

結婚していた若きかーさんと私は、棟は異なるが大和川団地で暮らしていた。

当時の母親のおふくろはまだまだ若かった。

先に亡くなった祖母とも暮らしていた時代があった。

新居だった大和川団地も、今や独り暮らしに、施設に移った多くの住民。

以前もあげたが、おふくろが住まいする階は、たったの3軒。



空き家の多い市営住宅に化していた。

その時代変遷に逞しく生きてきたおふくろ。

ここに、45年間も暮らしていた。

尤も、バラック小屋時代を入れれば大方70年も超える北島暮らし。

思い出もいっぱいあるが・・・数か月後には、退去申請しなくてはならない。

そのときも一応の映像記録を撮っておくが、今日はなんとか階段があがれたので、暮らしていた現状を記録しておく。

日当たり良好の居間に落ちついたおふくろ。



かーさんと思い出話に寛いでいた。

このコーナーは、食事の調理器置き場。



懐かしの炊飯器にパン焼きオーブンに小物置き。

角に据えた壁掛け電話。

常に使うのは、居間に置いた子機。

尤も携帯電話の方が多かったかも・・



ガス給湯器は何代目になるんだろうか。

大きなボタンにスイッチポンで火点け。

すぐにお湯が出てくる。

あれこれある炊事場であるが、ガス供給はすでに停止処置申請をしていたから、今日のお湯は出ない。

右上を見上げれば、新しい換気扇。



たしか、実弟三男が手配してくれた換気扇。

壁もある程度までは綺麗にしてくれた。



エアコンは居間用。

炊事場の境目にあった扉はずいぶん前に撤去したから冷房も暖房も筒抜け。

このエアコンなァ。

正味、新品に近いエアコンは、平成30年の9月3日にリニューアルした。

実弟三男とともに、割りあいに近い北加賀谷にあるジョーシン電気に発注し買い換えた


それから起った何度目かの圧迫骨折に入院。

退院しても奈良の我が家で介護療養。

結局はほとんど使用していないほぼ新品のようなエアコンも撤去の運命に・・

エアコン下にあるあるごちゃごちゃした飾り物。

真下にあるのは地デジテレビ。

その付近に、思い出の写真がいっぱいある。



おふくろ自身の写真に孫たちに姪っ子たちも。

地デジの左側は鏡台。



化粧におめかし。出かける先は多方面にわたる。

つい数年前までは、ここ住之江からバスに乗って心斎橋大丸や梅田までとことこ歩いて出かけていた。

最後の最後まで働いた保険屋さん。

大きくて、重たい荷物が二つ。

私でさえ重たく感じた保険屋道具一式。

私ら3兄弟を、保険稼業で育ててくれたもんだ。

居間は四畳半。



北になる別室は三畳部屋に、祖母が見守ってくれている。

毎日のように、ご飯、おかずなどを供えてチーン。

祖母に願った元気で暮らせますように、見守ってください・・と。



掃除機は、炊事場の横。

炊事場から南側にベランダ。



ドアにも据えた手すり。

買い取りの手すりは、ここベランダ以外に数本。

撤去する際には、奈良の我が家に移す予定にしている。

ベランダにでたら旧国道26号線を走行する車がよく見える。



そのベランダ越しに見ていた普段のおふくろ。

そっちに行くから、と電話を入れておくと、その時間に近くなればベランダに出て、いつも待って歩いてくる姿を見ていた。

元気なころは、北の三畳の間のガラス窓を開けて見ていた。

人物がわかれば、4階の窓から手を振っていた。

到着がそうなら、見送りも同じように手を振っていた状況が瞼に現れる。

ベランダで思いだす、恐ろしい事件があった。

平成27年の5月11日。

おふくろからの電話はいきなり伝えてきた「火事やー、火が燃えているぅーーーー」。

叫ぶ、「隣が燃えているぅーーーー」に、その状態が想像できたから、大声を出した。

「すぐ、すぐにや、何が何でも、振り返らずに、とにかく階段を下りて、外に逃げろーー❣」。


隣家の火災に見舞われた。



壁掛け電話の右手は洗濯機置き場。



洗濯した水は、右手のお風呂場に排水。

逆に給水は、蛇口から。

ここは脱衣場を兼ねた空間。

なお、左手にトイレがある。

様式便器のトイレ。

入居してから45年間も活動してきた大ベテラン便器がある

洗濯機もまた新しい。

三男が手配してくれたのだろう。



浴室は、要介護になってからは、入浴支援の道具も据えた。

ただ、一人ではリスクを伴う要介護者。

入浴支援スタッフにきてもらっていた。



ラストの映像は、シャープ製の冷蔵庫。

右・左のどちらかでも開閉できるドアがある。

ただ、こうしてみると、結局は右手側しか使うことないよな。

その上に載せていたエンジ系真っ赤な色の電子レンジも、まだまだ使える代物。

撤去の際には、大決断をするような気がする。

1時間も滞在していた見納めの居住地。

会話は尽きないが、そろそろお昼にしましょう、と階段を下りるおふくろ。

域も、帰りも階段の手すりが役立った。



しがみついて上り下り。

踏み外してはもともこうもない。

慎重体制に下りていく。

その姿を撮っていたら、足元にからみつく動物。



じゃれて、じゃれつくたぶんにご近所さんの飼い猫。



おぅおぅ、お前も見送ってくれてんだよな、と。

回転に寝た猫のウィンク。



ようやく下りてきたおふくろも無事に着地した。

(R3.10.28 SB805SH 撮影)

ふり返る令和3年9月の介護まとめ

2023年12月25日 08時31分32秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くことは、まずないが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

4日、かーさんが新聞読みのときに気がついた症状。

左目で見る文字の左側が欠損し、右側しか見えない。

そのうち、周りが霞んでいるような感覚に陥る。

午前11時のバスに乗って出かけた大沢眼科に緊急の願い。

右目眼底に出血。

レイザー照射処置。

瞳に出血でもあれば照射処置は不可。

順番待ち多く、終ったのは午後1時。

スーパーオークワに立ち寄り、お寿司を購入した。

そんなワケで、お家で一人待っているおふくろに、連絡し伝えたお昼の食事の遅れ。

かーさんは、午後もクラブ活動が入っていた。

本来なら、食後すぐの午後の時間帯であるが、今日に限りの午後3時に入ると遅延連絡。

さて、眼科検査の結果はどうなのか。

医師の説明によれば、後頭部の一部が一時的に血液の流れが停止した可能性も考えられる、とのことだ。

帰宅に乘ったバスの乗車中に症状は消えたが・・・

今のところ、これまでどおりの右目だけで見れば、私の顔さえ識別ができない。

不安定な眼の状態に、歪んで見えるようだう。

6日、昨日に続いて、今日の午後2時半にも便が出た、と喜んで伝えるおふくろ。

排便は、昨日の9日も順調な上に、10日の今朝も柔らかそうだったというおふくろ。

13日、住まいする奈良県のワクチン接種率は1回目が69.2、%で、2回目は67.4%。

全国では、半数越えの50.9%だから、平均よりも、頭ちょっとぐらいは抜けてる、第11位だった。

14日。今朝は、ちょびっと出たというおふくろの排便。

しかしだ。

便が出た感覚がない、という。

なんとなく感じる排便に便器を覗いてもない、という。

午後3時、トイレから大声で呼ぶかーさんの名前。

大きな声に、昼寝を起こされたかーさんに伝えたことばが、「トイレに失敗した」。

排便した便は、便器内にもあるが、足元マットに踏んづけたようだ。

べっとりする便汚れに、掃除はパンツもこれやという靴下にべったり。

風呂場に、蛇口の水圧活用に洗いをするが・・・

おふくろが移動した、あるいは触れたところがみな。

トイレ内も廊下もべっちょり。

除菌濡れテイッシュで、綺麗にしたあとベッドでおむつ履き。

こういう状況は何度もあるから2、3日替えでもえーからおむつにしてくれ。

そうしたら安心できるから、と話したらすぐにそうしたが・・・

もう一方の靴下もべったり。

自分が踏んだ便もわからなくなり、あとで気づく。

掃除に午後4時半までかかった。

この後も繰り返すであろう、と判断し、話し合った結果である。

その話に思い出したおおばあさん。

大阪・住之江北島の住まいところ。

歩き姿の後ろを見たら、でボトボト落としていた状況・・・

かーさんは「そんなこと聞いていないからうちのおおばあさんが漏らしていた小水だったのでは」、といえばおふくろの口から、「今、初めていうけどおおばあさんはパンツでなく腰巻だったから畳の上に、ぼたぼた落として・・・こんなことになったから、とふーちゃん電話した」と、話す。

慌てて飛んできた叔母のふーちゃんは呼び出しをくらったわけだ。

「矢田の伯母ちゃんは、病気になってベッドでも便をもらすようになった。そんな始末はみな私もしてきたが」・・・

「同じようになったとは」・・・

そんな会話中に左腕がプルプル震える。

そういえば、幸寿苑にお世話なっているときは便をもらしたことがない。

プルプル震えるのも幸寿苑で便をもらさなくて、我が家で漏らすのは緊張感の緩みからか。

震えは、過去圧迫骨折で入院治療のとき、ペンを持つ手が指が震えて架けなかったのもみなストレス。

えらい迷惑かけてもたとか、えらいことになってもた、とからくる精神的ストレス。

おむつ履いて安心したら、ブルブルは停まる。

19日、洗顔してもう寝ますから、といってベッドに、しばらく経ってから、いいだした。

便がでそうだから、かーさんの名を呼んで、というから、声かけたら、そんなん私になんでいわなあかんのん・・・

おしめとパンツがわからへんねん、というおふくろ。

あの日の翌日からは、毎日に履き替えているおむつ。

馴染んできたこの日、便は便器に出た。

綺麗に拭いた。

若干付着したが、テイッシュでぬぐって流した。

おしめしてるから、おしめの中にしていいのかわからへんねんから、かーさんの名を呼んだんや・・

ベッドに戻ってからさっきと違って、優しく伝えるかーさん。

そもそもパンツとおしめの違いもあるけど、おしめの効能が理解できていなかった。

赤ん坊のときと同じ・・・「初めてのおむつ、なんとか~・・」。

20日、に電話した大阪・大和川団地班長のMさん。

明後日の22日は、そちらに行く予定。

自治会費を収めたい、と伝えたら、昨年の実施に余剰金が発生し、その金額から各戸ごとに分配払い戻しされ、それをもって充当したので残りは4200円になった、と・・・

また、敬老祝いに昆布と商品券が配られたので、玄関ポケットにいれておきますから・・と伝えてくれた。

22日、前回のことである。

幸寿苑から戻ってきたときにあった報告。

身体に赤い部分、幸寿苑の医師が確認したところそれはヘルペスでは?、と云われたそうだ。

皮膚科の小野クリニックは、祭日に火曜が休診日。

ということは・・・

大阪住之江の用事は、さっさと済ませて戻ってくるようにしなければ・・・

午後4時までに戻ってこれるよう、さっさと用事を済ませたい。

自治会費払いに班長のMさんから聞いた、現在の班の所帯数は3戸。

5階建ての市営住宅。

階段を挟んだ向かい合わせの玄関単位でわかる戸数は10戸。

それが、なんと、現在も暮らしている戸数は3戸。

M・M家とY・M家に、以前班長を務めた方は団地から出られた。

また、4階に住んでいたBさんは、すっかりきれいに片づけて自治会払い・・・

実質的に生活しているのは、団地でなく介護施設。

いずれ退去されるのだろう。

空き家バンクの考えもないし、若い人は好まない団地。

収入額が規定に届かないこともあって空き家が増える一方である。

市は、今後の将来にどういう構想をもっているのだろうか。

ニュースや情報番組から知る住宅都市公団は、部屋は若い人たち向けにリニューアルするとか・・・

居住者に任せる自由型のリフォームも容認したとか・・・



そんなこともせなんだ、大和川団地完成は昭和47年(1972)。

築後すでに48年・・・の、鉄筋コンクリート造の市営住宅は、ほんまどうするんやろか・・・



幸寿苑から戻ってきたおふくろは、すぐさま私の車に移乗。

目的地は、皮膚科診察に内科診察も診てくれるご近所の小野クリニック。

途中、郵便局に立ち寄り、封書送りの切手を購入して、令和4年度年金変更届を投函した。

このころから雲行き怪しい真っ黒な雲。

クリニックに駐車したと同時に土砂降り。

なんとか車から降りてもらう。

私は傘を持つ役。

かーさんは、おふくろの介助。

なんとか車から降ろして院内に移動。

その間の3人は、そろって雨濡れにビシャびしゃ。

診察する間に、一旦は家に戻って濡れた衣服替え着衣探し。

かーさんに、電話しながら探したおふくろが必要とする上着。

そして見つかった上着をもって、再び戻った小野クリニック。

おふくろは、すぐに診てもらった。

その結果である。

結論からいえば湿疹。

しかも水疱のない湿疹だからヘルペスではない、と判断された。

塗り薬を処方してもらい、ほっとしていたおふくろ、とかーさん。

お家に戻るときは雨やみ。

一滴も降らない雨やみ。

アレは、この日3度目の強い夕立だった。

23日の深夜である。

小便をしたくて入室したトイレの便器に・・・

目がおかしくなったのか、これはなんだ。



今まで、見たこともない状態に、浮かんだ????ばかり

不思議な物体、としか言いようのないカタチ。

便器に、なんでこんなのが?あるんや。

当然ながら、小便は不可能。

見たこともない、この白いモノはナニ?

どことなく柔らかそうにも見える得体のしれない物体。

便器にぽっかり浮かんでいるようにも見えてきた。

浮かんでいるのか、それとも膨れ上がっているのか。

いやいや水を流しても便器に残ったままになっているのか・・・

異常な状況に正常な判断ができない。

可能性として、考えられるのはおふくろが便器にポトンと落としたこと。

それくらいしか想定できない。

想像を超えた異様な事象に、この異常時を独りで処置をするわけにはいかない。

とにかく現状を見てもらい、詰まった状態を現認してもらいたく、ムリ・クリ、声出し。

部屋のドアを開けて、声かけ。

ぐっすり寝ていたかーさんを起こした深夜の時間帯。

こんな事件は初体験や。

記録としてとらえた時間は午前2時45分。

僅かに見えるピンク色の線。

おふくろが穿いているパンツ型おむつは真っ白。

ピンク色なんて見たことない。

ぷくぷく浮いているのか、泡なのか。

トイレの灯りは昼光色LED。

はっきり見えないその物体はなんだ。

かーさんが手でちょっと押してみた得体のしれない物体。

ぷよっとして柔らかい感触。

手で持ちあげるわけにはいかないから、炊事場に残していた使い古しの割りばしで摘まんだ。

持ち上げるのも、相当な重さ。

なんだこりゃ?

後でわかったことだが、便器に溜まっている流し水を給水した尿もれパッドの状態である。

便器の底になにかゴミのように見えた汚物。

カスのようにも見えた汚物のカスが浮かんでいた。

それは水に流せば流れていくが、よぅよぅ見たその尿もれパッドにも汚物がちらほら。

排便をもよおしたのか・・

持ち上げたバッドをそのまま捨てるわけにはいかず、トイレに予め置いていたビニール袋に収納。

翌日の木曜日は日常処理するゴミ収集日。

こんな重たいもん、他のゴミと一緒に入れて破れやしないだろうか。

ちと心配になったが、中に詰めて大きなゴミ袋を持ったら、普段と変わりない。

これで、よしとしよう。

朝、起きてからでは記憶も覚えてないと判断して、ベッドに寝ていたおふくろを起こした。

ぼぉーっとしながらも起きて、尋ねた直近に用を足したトイレで何があったのか、結果は・・。

なにか知らんねんけど、見たこともないモノが便器に落ちたんや、という。

それは排尿した後なんか、と聞いてもよくわからないと答える。

そのときに思い出した1件。

幸寿苑から戻ってきたときにおふくろが、かーさんに伝えたこと。

入浴済ませて着替えに、穿いてきパンツ型おむつを、職員さんが誤って捨てたらしい。

着替え用に下着パンツは、所有する袋に入れておいたが、職員さんは気づかず、幸寿苑が用意していたパンツ型おむつを代用に穿き替えたようだ。

伝えた状況にどんな具合になっているかは確認しなかったかーさんはパッドがあったとは認知していなかった。

事情がようやく呑み込めてきたかーさん。

おふくろが穿いているパンツ型おむつに、新聞紙でパッドをかたどって、こうなってたんや、とおふくろに説明して、やっと理解したのである。

えらいことさせてごめんな、とおふくろはいうが、状況がわかったから、もーえーよ。

次回からのデイサービスに、予備としてパンツ型おむつを入れとくし。

今度、迎えにくる送迎ドライバーさんに、こういことで、と話しておくから、安心して寝―や、と伝えて事件は解決した。

この晩は不眠だったかーさん。

それからの午前4時にはすっと寝落ちしたそうだ。

翌日の24日は通所サービスの曜日。

送迎にIケアワーカーに伝えた。

ヘルペスではなく、一般的な皮膚湿疹に薬剤塗り薬摘要した。

幸寿苑で履き替えのパンツ型おむつにパッドもあった。

それが深夜の3時に、便器落としにてんやわんや・・・を、伝えたら幸寿苑でもよくあります、と・・・
ちゃんちゃん、であった。

かーさん、彼岸の墓参りに、姪っ子のMと駅前新店のカフェランチ。

姪っ子Mの母親は、認知症診断に要介護1か、2に認定されたそうだ。

その状態がわかっていても会話にならない苛立ちに父親は怒鳴るらしい。

26日の午後10時。

テレビは見終えてトイレ行き。

入浴を済ませたかーさんがついて、トイレ入るまで見送ったというのに・・・

しばらくして大きな声で呼ぶかーさんの名前。

おとうさんも来て!、と大きな声。

なにがあったのか。

ずり落ちたズボンが足元に絡んで動けなくなって思わずタオルかけの金属棒をつかもうとしたが、タオルに手がかかってタオルごと滑って、後ろに倒れかけた。

腰は打つところまでいってないが、内側に閉まるドアが、座り込んだおふくろの身体によってドアが動かないから助けようにも助けられない。

なんとか身体を動かしてドアを広げて入室したかーさん。

脇を抱えて抱き上げ、立たせた。

お尻も打ってなくてほっとした・・・

原因は、ズボンのチャックを締めないからずり落ちることにあった。

常にそうしていたらしい。

椅子から立ち上がって、廊下にでたときもずり落ちたまま。



なんと横着な。

それが原因?

下りたズボンに足が絡んで動かなくなるのは当たり前や。

横着なことしたらあかんのや、わかっているやろ、と声を荒立てたくなる横着行動。

それは絶対にしないこと、を約束してもらいたい。

私が、かーさんにちゃんというから・・・

こんなことがいつ起っても、おかしくないときがきた。

トイレに、廊下同様の手すりをセッテイングした。

明日は、ご近所にあるDCMダイキに行き、長さが相応しい手すりを購入する。

おふくろが、この位置でいけるかどうかの位置調整にトイレットペーパーの位置も変更することにした。

そして、出かけた27日。

トイレに設置したい長さが相応しい手すりを購入したく出かけたご近所のDCMダイキ。

実は、DCMダイキは、自宅からみて、ほぼ同距離くらいの北、南のそれぞれに店舗があるDCMダイキ。

北は、富雄南イオンタウン内にある富雄南店。

南はスーパーアピタの並びにある大和郡山店。

面積の違いは当然だが、入口から奥へ、奥へ歩かなあかん大和郡山店に対して富雄南店は、左右に広がる。

商品揃えの違いもあるし、店員さんの動き、反応な顧客満足度の違いもある。

今日の決め手は、介護用品の品揃えである。

置いてある場所は、中央に近い。

おふくろが売り場まで歩けるかどうかも店舗選びのポイントになる。

選択に迷いなく大和郡山店に決まった。

おふくろに乘ってもらって走った5分ほど。

ほんに、すぐ近くがありがたいい。

トイレ室用途に使用したい木製手すりは、2本。

両手遣いに身体を起こす手すり。

長さは300mm。

丁度いい手頃な長さの手すりは2本買い。

価格は2156円。

介護認定は受けているが我が家に設置するには保険は適用できない。

おふくろが住まいしていた大阪・住之江の団地の居住地に設置であれば、ケアマネージャーの判断、そして最寄りの区役所に申請し、介護用具事業所に手配。

と、なるが、息子の家には一切、介護制度には含まれないから、いわゆる自腹払い。

減額、割引きサービスは一切ない。

今日の目的は、もうひとつ。

おふくろがやっと応じてくれた手押し老人車。

いわゆるシルバーカーである。

重さ、操作性に色、柄が選択要素。

さまざまな見本にちょっと試しの体感具合。

色、柄も気にいってくれた大阪・堺市海山町が所在地の福祉総合メーカー・㈱幸和製作所が製造販売の製品。

TacaoFシルバーカー・コンパクトタイプ。

品名がシプールで品番はSICP02。

価格は税込み11880円。

通販の楽天市場の売値は、ほんの少しお安い11600円であるが、送料が要る。



代金支払い、軽バンの荷台に積みこんで持ち帰り。

お家の廊下にもマッチング。



部屋の境目に段差があるから、その操作を身体で覚えてもらわなあかんが、すぐに慣れるだろう。

28日、東北・仙台に住む実弟次男が、今年も送ってくれた県産の新米。

美味しいから食べてやーと、贈ってくれた10k入りの「宮城ひとめぼれ」。

おふくろにかーさん。そして私の3人でいただく東北の米贈答、宮城県産の「宮城ひとめぼれ」。



「コシヒカリ」と「初星(はつぼし)」を両親として、平成3年(1991)に宮城県古川(ふるかわ)農業試験場に誕生した

「宮城ひとめぼれ」は、冷害にとても強く、味とかおりが良いねばりの強いお米、と謳っている美味しいお米。

贈ってくれてありがとう。

(R3. 9.14、22、23、27、28 SB805SH 撮影)