マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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通所介護サービス一日体験の日

2019年04月08日 08時50分55秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この日は通所サービス施設の一日体験日(有料)。

受け入れる施設がどうなのか、自らの体験をもって可否を問う。

行先は我が家から車で数分の地にあるウエルケア悠。

この日の送迎ドライバーは施設に所属するケアマネジャーのFさん。

介護福祉士の資格をお持ちのベテラン女性だ。

お迎えは玄関で靴を履こうとしていた上り口まで。

お気に入りの靴が入らないと訴えるおふくろ。

原因は足の浮腫であるが、なんとか履いて送迎者に乗る。

施設は屋内専用のリハビリ用の履物が要る。

動きやすくて滑りにくく、であるが、極端な滑らーず具合ではつまずくことになるか靴底の構造が大事。

ところが足に合わなければなんにもならない。

付き添いできた家族さんは施設が準備したスリッパに履き替える土足厳禁の施設。

施設の案内、説明を受ける家族さん。

利用者は施設担当者が引導して既利用者が座る臨席に座らせた。

通所施設は曜日ごとに最大50人。

この日は欠席者があっていつもより少ないそうだ。

体温計、血圧測定、入浴、リハビリは午前中いっぱい。

昼食は午後12時10分。

昼食前に口を動かす体操をする。

これもリハビリ運動の一環である。

なにをするかといえば、発声練習。

大きく口を開けて「あやとりいす とりあいうえお カキのみ くわのみ かきくけこ さんかくしかく さしすせそ」を発声する。

昼食メニューを紹介されて配膳される。

おふくろの食事ほぼ完食だ。

もよおしたときにはトイレへの誘導もされる。

体験学習に来たおふくろは介護士から紹介される。

そのときに受けた“思い”は帰宅してからわかったのだが・・。

説明はまだまだある。

リハビリ作業士によるリハビリマッサージもあれば、器械を使ってリハビリ療法もある。

患者自身で決めるフリーリハビリもある。

レクリエーションにハーモニカ演奏もあれば、指先で作る手作りあれこれも。

この日はクリスマスイベントで赤帽子を被せて唄うイベントだった。

午後3時のおやつにショートケーキ。

そして、トイレ誘導。

夕方レクリエーションの歌いがあって午後4時に終わる毎回のスケジュール。

また、10月に増床した際に患者さんが調理を自立できるキッチンも作ったという。

施設担当者の願いが叶った最新の厨房施設。

患者さんが自宅に戻られても、ふらつきもなく調理ができるようにするリハビリキッチンにへェー、である。

他にも毎回に入浴する集合浴場とか、T病院にもあった機械浴などの設備も見学した。

広々とする1フロアいっぱいに介護道具を設備しているが圧迫感はない。患者さんの移動がスムーズに、そしてコケることのないような真っ平な床面。

いたり尽くせりのウエルケア悠との契約を交わす。

書類は居宅介護支援契約および居宅介護支援事業事項説明書に個人情報保護契約書も。

自筆サインして押印した。

通所の希望曜日は火曜、金曜。

正式な通所契約は医師の審査待ち。

25日には決定されるようだ。

帰宅してぐったり疲れた様子。

陽が暮れてもリビンクでうたた寝していた。

起きてからひと言呟いた。

一日体験に嫌なことがあったことから、行かない、と言い出したのだ。

入院していても状況は異なるが、意見を押し付ける男性が居た。

「テレビが見えないからそこどけ」、とキツイ口調を発する男性患者。

おふくろと同様に病院内で難儀していた患者さんもいたそうだ。

施設で紹介されているときに感じた視線。

わたしの顔を睨みつけるように見ていた女性患者。

睨みつけられることもしていないのに・・嫌な患者さんがいるから行きたくないという。

女性患者は認知症だった。

そのような患者は何人も居るそうだ。

病いに冒されているとはいえ、体験したときに睨みを利かせた女性に恐怖感を覚えたようだ。

同じ曜日に通所するなら行かないとまで宣言した。

困ったのは家族だ。

行かないとなればずっと我が家のリビングに座り続けることになる。

それが息苦しい。

おふくろといえどもずっと付き合っている時間は持ち合わせていない。

たかだか6時間であっても息苦しさから解放されたい。

通所サービス利用を拒む理由の一つがこれだ。

ただ、隣に座った通所患者のおばあさんは大阪・西淀川区からきた一番の高齢者。

97歳の女性は元気。

隣席で食事を済ませた97歳の女性の顔をみたら、ご飯粒があるとわかって、取ってあげたら喜んでくれたという。

嫌なこともあったが、喜んでくれた1件もあった体験の思い。

おふくろは家族の心中を察している。

こんな身体で申し訳ない。

家族に多大な迷惑はもうさせたくないと・・。

入院等の費用は家族が建て替えて支払っている。

建て替えた費用は、いずれ年金が入ってくる。

入れば返金するが、少しでも出費を抑えたいのが気持ちにある。

一回当たりの費用は明確だ。

回数を減らす手もあるが、我が家に居る場合ではリハビリ運動ができない。

何もしなければ目に見えて体力が落ちる。

なんとかしようと自己努力もするおふくろ。

いかせん我が家では無理がある。

専門のリハビリ療法士や作業療法士が医療として就いてもらう。

少額の費用で支援する介護認定。

そこに有難さを感じてくれればいいのだが・・。

家族に心の負担を軽減する。

そういう結論になったおふくろがOKを出したのは契約日の26日の午前中だった。

(H29.12.23 SB932SH撮影)
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80日間の籠りからようやく離れて

2019年04月05日 08時20分05秒 | むびょうそくさい(おかん編)
何かと忙しく、駆けずり回る毎日。

退院の方向が定まった今日この頃に日々の動きを記録しておく。

15日、アピタ大和郡山店で購入した杖に名前シール貼ってもらう。

入院しているT病院のM看護師さんよりケアマネジャーのFさんを紹介してもらい、施設ウエルケア悠を訪れた。

そして、担当が決まっている大阪・住之江地域包括支援センターの担当者名をFさんに伝えた。

大和郡山市と住之江区の二つの地域包括支援センターにおける介護者の情報を共有できるようにしておくのだ。

前日に逃した大魚の座椅子をどうしても手に入れたくアピタ大和郡山店のリビング担当のKさんにお願いして昨日にある婦人が買われたときのレジ記録を調べてもらった。

記録された時間は午後3時12分。

確かにあったということで他店舗に在庫があるのかどうか、なければ同型を追加発注するので待ってほしい、ということで結果を待つ。

それから3日後の12月18日の夕刻に、依頼した高座椅子が入庫できたと電話があった。

購入は翌日の19日。

販売価格は5378円。

アピタの5%会員割引した結果、税込の5109円で購入することができた。

おふくろの喜ぶ顔が想像できる。

なお、座椅子はアピタ自社製品で特注中国製の肘つきこげ茶色チェアだった。

と、いうことは、他のスーパーセンターとかDIYのお店では取り扱っていないので見ることはない。

16日、T病院のT看護師より電話があった。

正式に決まった退院日は12月20日。

もう少しのリハビリを繰り返すことで安心して退院できる。

18日、T病院のT相談員より電話があった。

担当されるケアマネージャーサンデイに情報を連携したいので紹介してほしいと言われて、名を告げる。

19日、明日が退院になる前の19日。

午後5時からウエルケア悠に所属するケアマネジャーのFさんは通所サービス担当者のⅠさんを紹介してくださる。

通所施設における利用の面談である。

身体状態など調査に、“食べ物の好き嫌いは叶えられないが、アレルギーの場合は好き嫌いも逆に考えれば後天的アレルギーの場合もあるので食べてからでは遅かった、というような結果にならないよう”意見だけは述べさせてもらった。

面談が終わった午後6時。

T病院のN看護師が退院時に次の通院日までの服用処方箋を渡される。

また、通院が決まったいむらクリニック宛ての処方箋に紹介状も渡された。

20日、おふくろの退院日。

12月の請求総額は6万8210円。

内訳は、生活療養負担額の”食事代”が24160円。

一割限度の患者負担額は44050円、クレジットカードで支払った。

受け取った資料は、退院証明書に処方箋一覧表。

通所サービスを受け入れてくれたウエルケア悠の指定書類は担当した医師に記入してもらわなあかんが、医師は出張中。

出張より戻って記入してもらうが、明日になるという。

退院したら何をしてほしいか。

92歳のおふくろの希望は、帰宅までにしてほしい美容院へ、である。

21日、我が家で久しぶりに過ごしたおふくろ。

ぐっすり眠ったそうだ。

リハビリ介護士がつかない退院後。

朝食を済ませてしばらくしてから自宅付近を歩いてみる。

おふくろを介助して出かけたかーさん。

この日はほんまに穏やか。

快晴に歩いて気持ちよかったと戻ってきた。

自宅付近の短距離を杖つき歩行。

初めての経験に戸惑いはないようだ。

T病院のT看護師より、医師の処方箋できたと電話があったが、ウエルケア悠の指定書類については未だだ。

その件については12月14日にT病院のY看護師に依頼していたが未だだという。

どういう具合になっているのだろうか。

調べてもらったウエルケア悠指定書類の医師の検査および診断書(診療情報提供書)は、翌日の15日に病院の総合受付に廻されて、医師に渡ったそうだ。

昨日に聞いていた遅れの理由は出張中。

どうも曖昧なことだけに、預かり書をもって総合受付に尋ねた。

時間帯は正午である。

その結果は・・・医師に廻されているにはいるが、医師のところで止まっていたようだ。

それは困る。

指定書類ができなければ、通所サービスを受ける介護施設の利用ができない。

なんとかならないのか、とプッシュ。

それから3時間後の午後3時に電話が鳴った。

その結果・・・遅れている理由はおふくろが退院間際に出血した件があったからだ。

出血が起こったのは、おふくろが鼻の内部にできていたかさぶたを剥がそうと爪でひっかいたことによるもの。

血液検査は時間を要する。

出血理由に菌がからんでおれば、通所施設は受け入れるはできない。

なんということか。

かさぶたのせいでこうなるとは予想しようもない。

検査結果は検査機関から未だ届いていない。

が、明日の22日に概略結果が「-」とあれば25日の月曜に診断書を発行できる。

ところが結果が「-」以外の場合は一週間もかかるらしい。

その対応でよろしいでしょうか、ということになった。

そのことについてウエルネス悠に確認してほしい、というT病院。

難儀なことになってしまった。

その直後に、ケアマネジャーのFさんから診断書のデキ具合問合せに、かくかくしかじかと伝えたら、直接にT病院の総合受付担当者に確認をとる、ということになった。

Fさんが直に確認する。

そういうことで手は離れたが・・・。

ウエルネス悠の指定書類はいわゆる診断書である。

受け入れられない診断結果であればいいのだが、要は受け取った側のウエルネス悠の医師の診断をもって受け入れ可否をするということだ。

25日の月曜に届く診断書に何ら問題がなければ、火曜日の26日から受け入れて、施設の利用が始まることになるだろう。

この日の午後5時前にケアマネジャーのFさんから電話があった。

主たる介護支援は大阪の住之江地域包括支援センター。

当面は大和郡山市で介護することになるから、住之江地域包括支援センターから依願という形で大和郡山市の地域包括センターが実質的に動くということになる。

その施設は我が家から車で5分もかからないウエルネス悠である。

その大阪の住之江地域包括支援センター経由で住之江区役所からの届出書類が送られてきたそうだ。

その書類に家族さんの承諾を、ということで私が自筆署名をしなければならない。

午後6時、我が家に訪問してくださったFさんが持参した各書類の確認および捺印である。

書類は、居宅サービス計画作成、介護予防サービス計画作成、介護予防ケアマネジメント依願(変更)届出書。

事業所はウエルケア悠、被保険者が大阪市長宛提出並びに要介護認定等の情報提供に係わる申出書に申出者はウエルケア悠。

被保険者がおふくろで大阪市住之江区保健福祉センター長宛書類に自筆する。

これら一式書類は大阪の住之江地域包括支援センターの担当主任であるBさんに送られる。

その手続きに必要な要介護4の介護認定書はFさんが一旦預かって、住之江に送られる。

そして、追加タイフ処理に゚印刷された帳票で返送されるそうだ。

また、Fさんには服用処方箋お薬手帳貼付けシートコピーも手渡した。

22日、実弟夫妻が我が家に居るおふくろの見舞いに来てくれた。

迎えの駅はJR大和小泉駅。

今後に発生すると考えられるおふくろの移転である。

転居となれば引っ越しである。

この年度に引っ越し体験をした実弟夫妻のアドバイス。

タンスは処分して、ガス電気設備はそのまま残して、家ごと売り出したら身軽になった。

引っ越し業者は三重県のハート引越センター。

さまざまな要求に応えてくれたという。

おふくろの引っ越しはタンス、風呂浴槽、衣服なども。細々したものも処分するが、着物は上等なので捨てるには惜しい。

処分の切り分け次第で引っ越し費用に差がでるようだ。

(H29.12.21 SB932SH撮影)
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同じ形式の低床高座椅子を求めて

2019年03月31日 09時15分49秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろが我が家で過ごした試験外泊の翌朝である。

食事をするのに食卓前に座るのだが、長時間も座ったあとの立ち上がりが困難とわかった。

これまで2カ月間も病院ベッドに高椅子暮らしであたから、膝を屈めることが少なくなったのが要因である。

そこで求めることになった低床型座椅子。

外泊を終えて杖を買いにきたアピタ大和郡山店のリビングコーナーに立ち寄った。

思ったような形の座椅子はあるのか、ないのか。

これはどうなんだろうかと思って展示してあった座椅子を引っ張りだして試用してみた。

座り心地は良い。

ソファであればお尻がぼこんと入って腰を上げるのが難儀する。

また、背もたれが斜めになればなるほど起き上がれなくなる。

つまり、ゆったり感は不要なのだ。

座の部分は斜めであれば背中は後方になる。

だからすぐには立てない。

私は心臓病で手術をした。

成功はしたものの心不全に陥った。

それ以来、ソファに座れない。

座っても端っこの方にちょこんと座るだけだ。

奥まで座り込んでしまうと呼吸がしにくい。

息苦しくなるから滅多に座ることはない。

おふくろは心臓病ではないが、膝の力がそうとう弱っている。

お尻が立て膝よりも下にあれば立ち上がれない。

なにかに掴まって手で支えないと立てない。

その高さは実に微妙。

高くもなく、低くもないほどよい高さ。

試しに座ってもらったら気に入ってくれた。

さあ、レジにと思ったが、5%割引券を忘れた。

一旦は戻って持って来てから買おうと思ったところにある婦人がキョロキョロ。

試用していたときに現われた婦人はえっ、という表情であった。

これっ、買われるのですか、と尋ねられた。

5%割引券のことは言いづらく・・どうぞといって譲ったら、その婦人はありがとうとお礼をいう。

レジに走っていった婦人は店員さんを連れてきた。

これですと指で示した低床型座椅子。

店員さんがいうには現品限り。

それでもよろしいでしょうか、といえば、婦人はそれで・・。

店員さんがふと漏らした声は3割引きだったような気がする。

展示している座椅子しかないから、現品限りの得値。

5%割引券がなくとももっと安い値段で引き取られていった。

あーなんということか・・。

値札はたしかではないが、4千円台だったような気がする。

おふくろは云った。

ベージュ色の風合いも良かった座椅子をなんで買わんかったのかいって云われるが・・。

アピタ大和郡山店の南側店舗はDCMダイキ。

ここでも何らかの座椅子があるのではと思って探してみたらあった。

ただ、最低でも7千円台。

しかもおふくろが気に入った同様の商品はない。

翌日、富雄南イオンタウン内にあるニトリも見てみたが、同様の形の商品は見当たらない。

逃した獲物はどんどん大きくなって膨らんでいる。

前日に逃した大魚の座椅子はどうしても手に入れたくなって再び訪れるアピタ大和郡山店。

リビングコーナー担当の店員Kさんにお願いした。

婦人が買われたときのレジ履歴から探せばなんとかなると思われて、その時間帯(午後3時12分)を伝えた。

その日の夕刻に店員さんから電話が架かった。

アピタ西大和店にはリビングコーナーはないから、そこにはない。

他店舗もあたってみてあれば、取り寄せるし、なければ本社に伝えて在庫があれば同型を発注、なければその旨をお伝えするので、それまで待ってください、ということになった。

それからの数日後。

電話が架かった。

見つかったということである。

ありがたい知らせに思わず\(^o^)/をする。



おふくろが退院する前日に立ち寄って購入した低床高座椅子は新品。

箱を開けて中身の座椅子を確認する。

ベージュ色の座椅子に間違いない。

やっとのことで手に入れることができた店員さんに感謝する。

ところでこの座椅子は中国製であるが、アピタ独自で開発した自社製品。

それゆえ型番がないのだろう。

翌日に退院したおふくろが真っ先に座ってくれた。

とっても座り心地が良いと云ってくれた。

(H29.12.14 SB932SH撮影)
(H29.12.19 SB932SH撮影)
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退院、移転先が決まればケア相談に引っ越し手配

2019年03月29日 09時02分20秒 | むびょうそくさい(おかん編)
12月11日、大阪市都市整備局住宅部管理課から大和川住宅移転斡旋住戸決定通知書が届いた。

えっ、まさかの、こんなに早く決定されるとは思ってもみなかった。

早くとも半年は過ぎる、と思っていた。

大和川住宅は鉄筋コンクリート造りの5階建て。

おふくろは4階に居住しているが、エレベーター設備はないから歩いて階段の上り下り。

4階まで47段もあると云って、毎回の上り下りに段数を数えている。

8月初めに発症した痛みに歩行困難。

しばらくは我が家に来てもらって養生していた。

壁伝いに手をついて倒れないように歩きでトイレの往復。

その身体状況に、今後のためにと思って居住する地域の住之江地域包括支援センターに相談したのは9月27日だった。

主目的はケアマネジャーのお願いである。

時期はいつになるのか予想はできないが、いつかはやってくると判断される“介護”である。

介護にあたる住居などもお話したら1階への移転希望をされては、と云われた。

そのような対応があることさえ知らなかった。

ありがたい情報に市営住宅入居移転申請したのは10月半ば。

申請願いは市営住宅を監理する大阪の阿倍野住宅管理センターであった。

主治医診断書を添付の上、申請書に但し書きとして“階段昇降は困難・無理”であると復帰後の状況が見込まれることも記して申請した。

その結果が届いた。

移転先はなんと、なんとの居住する棟の1階だった。

おふくろにそのことを伝えたら、知っている人が多くいるところやし、その階には介護施設に通所している人もいるので話が通じるからありがたいと云ってくれたが、部屋の向きは東西、まったくの逆向きであるから、住んでみれば、しばらくは落ち着かないであろう。

翌日の12日。移転先は決定したが、正式の移動は審査があってのことだ。

その状況であるが、おふくろが戻ったときにお世話してもらう住之江の地域包括支援センターにも連絡をする。

移転が正規になった場合にしなければならない引っ越しに介護向き室内の改修工事などの手配もある。

はじめてのことだけに未体験ばかり。

いろんなことで支援お願いしたい地域包括支援センターである。

また、この日は一日外泊が認められ、退院の方向性も決まったことを住まいする大和郡山市のケアマネジャーにも連絡する。

その件を電話で伝えたら、明日13日の午後3時以降に伺いたいということだ。

その次の翌日の13日の動きはさまざま。

まずは前月11月の入院費用の請求支払いである。

請求金額の総額は先月より1万円も少ない9万7千円ほど。

医療費は91歳高齢者の一割限度額負担額の57,600円。

これ以上の高額医療費はあり得ないが、お世話になったオムツ代と食事代がある。

オムツ代は1,040円で済んだが、食事代は別途ということで38,400円。

食事は完食の毎日3食。

先月より2日分ほど多くなった。

もっともオムツ代は月初めまでしていた枚数だけの支払いであった。

請求金額の内訳はそれだけでなく、別途扱いの口腔ケア費用が1,350円だった。

支払はクレジットで済ませて許可をもらっていた外泊の準備をする。

外泊理由は「試験外泊」。

外泊場所はおふくろの息子の長男宅の我が家である。

借り住まいの我が家に戻るにはリハビリ運動に使っていた杖を借用する。

慣れた杖にはネームも貼っているからおふくろ専用でもあるが、病院の付属品。あくまで借用である。

そして毎日の処方箋服用である。

院内であれば食後に必ず看護士さんが間違いのないように手渡してくれる一日分の夜、朝、昼の処方箋薬だ。

私が運転する軽バン。

それほど遠くない位置に停められた場所に歩く姿に不安はあるが、難なく、これまで通りに乗車できた。

遅い速度で我が家に戻った時間帯は午後3時半。

2カ月ぶりの我が家に玄関を上がってリビングルームに。

ここまでまったく何の問題もないスムーズな動きである。

座る席はソファ。

腰を下ろすと深みに尻、となるが、なんとか席を立つこともできるようだ。

ただ、これまでとは慣れない姿勢。

背中に装着しているコルセットはいつ外せるやら・・だ。

痛みはないようだが、できうる限り、院内でしてきたときと同じように手で支える場所さえあればなんとか対応できる。

ただ、院内と同じような椅子に高さのあるベッドがあれば、と思った。

と、いうのもコルセットと背中にどうしても隙間が生じる。

空間があるから背中の温かさが逃げてしまう。

隙間に手揉みの使い捨てカイロ。

入院直後は寒い、寒いと訴えた際に使っていたカイロであるが、その後はまったく利用することもなかった。

当時、買った使い捨てカイロは30枚入り。

一度も使うことなく我が家に置いていたが、早速の再出番。

こういう非常時に役立つ。

おふくろが希望する退院日は一週間後の12月21日辺り。

それまでの一週間にお会いするリハビリ療法士、看護士、介護士などさまざまな人たちに礼を伝えたいという数日間を考えたわけだ。

この日に退院することを伝えていたウエルケア悠のFケアマネジャーが面談を、ということで訪問してくれた。

私ら家族が希望するのは入浴付きにリハビリ運動ができる通所デイサービスである。

介護認定が4であれば一か月に利用できるポイント数が多いから、週2回、あるいはそれ以上も可能というが、どれだけの費用がかかるか、である。

ざっと概算された1回当たりの費用は5千円。

予想を上回る金額におふくろが云った。

そんなに高いなら利用したくないと云いだした。

もっともあくまで概算なのできちんと精査したものを後日に提供します、という声に期待を寄せる。

さて、本日借用した杖である。

要介護が重度であれば、例えば足が四つもある歩行補助杖などはレンタルもできるが、介護4であれば、そのような杖を使うほどでもないからレンタルはないという。

つまりは自身で一般的に売られている杖を購入することになる。

Fさんのお母さんも要介護に杖の保持者。

柄の良い高価なものも売ってはいるが、平凡なデザインの杖を買って百均に売っているような可愛いシールを貼っているという。

名前シールを貼って自己表示することなく百均シールで可愛くデザインしたものを喜んで使っているそうだ。

先駆体験者のアドバイスに、なるほどと相槌を打った。

今の状況での相談はそれぐらい。

とにかく自立して住之江に戻られる状態にしていきましょう、である。

おふくろが本日始めて対面するFケアマネジャーとの顔合わせ並びに相談事はここまでだ。

次の相談事は移転の件である。

引っ越しをして新しい住居に住むとなれば、不要なものは捨てて、おふくろの身を軽くしようと思っている。

通知があったことは大阪の住之江地域包括支援センターに伝えていた。

忙しく動き回って仕事をこなしているセンターのBさんより電話が架かった。

正式に伝える「移転先決定通知」を受けて今後の対応に何をすればいいのか、を相談する。

気になるのは引っ越し業者の選定と介護用の住宅改修サービスである。

Bさんが云うには、住宅改修は1階に住民票を移してから、ということだ。

住民票が移されてからの手続きは改修工事をしたい、例えば手すりはどの位置、段差の除去はどうすればいいのか、である。

介護保険の住宅改修の利用限度額は20万円。

その1割か2割が自己負担になる。

また、介護保険の住宅改修とは別に「高齢者住宅改修費給付事業」があるらしい。

いずれにしても手続きの順序は、改修希望の場所を写真に撮って書類申請。

次に業者の見積もりをとって核にする。

それに問題がなければ区役所介護福祉課の担当者が現地確認。

その結果、問題がないと判断されるまで。

最終的に承諾されるには長期間を要するらしい。

まずは、引っ越し転居が先立つから引っ越し業者の見積もりからになる。

移転先が正式に決まれば、たぶん移転期限が設けられるであろう。

年末辺りになるのかどうか、今のところは予想もつかないが、通知が届くまでにしなくてはならないのが引っ越し業者の選定である。

おふくろが住んでいる住宅ポストにいつも投函されるチラシに引っ越し業者もある。

事業者の所在地はどこも明示していない。

連絡先は0120か、もしくは携帯電話番号である。

信頼できる業者であるのか、さっぱり掴めない。

事業者名でネット検索してもHPですらない。

一社は見つかったが、評判は二つに分かれる。

引っ越しでなくて異業種であっても、どこの業者であっても評判は分かれる。

口コミも探してみたが似たり寄ったり。

逆に口コミのすべての評判が良い場合は、なんとなくサクラのような気がしてならない。

また、チラシが多いのは遺品整理業者である。

高齢者団地であろうが、なかろうがポスト投函は団地に多いような気がする。

そんなあれやこれや頭に入れておいて地域包括支援センターに相談したら、これまで利用歴があった業者を探してくれた。

ところが業者数が少ないから判断できないので、わざわざ隣接事務所の担当者に聞いてくださった。

利用業者は何社かあるらしい。

なかでも評判が良かったという業者を教えてくださった。

ありがたいことである。

事業者の所在地、社長名、連絡先電話番号である。

ありがたいことにその業者は廃棄処分込みこみで処理してくれるそうだが、電気やガス製品の取り外し、取付は・・・と聞けば、もう一度確認をとってくださった。

結論から言えばクーラーなどの電気製品の移設は専門業者を連れてから一括契約で済むそうだ。

これまで実績がある業者であれば安心できる。

また、他社見積もりがあればさらに安くしてくれるというからそれもありがたい。

ここまでわかればひと安心。

それまでに大和郡山市内のケア施設で受けるサービスで自立しておきたいおふくろの身体状態。

良い状態で戻れるとともに、丁度そのころがピカピカの転居先。

うまく重なって戻ってからが住之江でのケアになることであろう。

外泊の夜を過ごした翌朝は14日。

その夜のトイレは2回。

特に問題もなく、昼間も同様の壁伝いをすることなく歩いていけたという。

布団から起き上がる際は近くにあるテーブルとかに手をついて身体を支えるように上半身をあげてから膝を立てれば起き上がれる。

ただ、食事をするのに食卓前に座るのだが、長時間に亘って座り続けたあとの立ち上がりが困難だ。

これまでの2カ月間は院内ベッドと椅子暮らしに膝を屈めることが少なくなったのが要因であろう。

つまり、お尻を床に下ろして座り込んだ場合である。

その状態から身体を持ち上げるどころか膝で支えることもできない。

時間が立てば少しはマシになるかと思われるが、低床型の座椅子が要るのではと思われた。

外泊も時間切れ。午後3時には病院に戻らなければならない。

我が家の玄関土間。

床の高さは40cmもある。

私はどうしているのだろうか。

意識していないから思い出すのに立ち位置まで。

そうだ。下駄箱の縁に手を置いて身体を支えていた。

場合によっては反対側のガラス窓の桟に手を置いていた。

自然とそうなる手の支え方。

若い時なら土間にある靴に足を突っ込むところから始まる。

つまりは土間に先にあるのは足。

手で支えることなく下りて靴を履いた。

草履であっても同じである。

そうしなかったおふくろは手すりに手を添えることなくいきなり玄関の床に腰を落とした。

ドスンと音がしたくらいだから尻もちである。

この尻もちによって圧迫骨折に陥った事例はよく耳にする。

痛くはないというが、後日を待たなければ後遺症・・のこともあるが、玄関に手すりの設置を考えたが、改修費用は介護から出ない。

我が家の改修工事は自前工作の手すり、となる。

乗車時に杖はどうすればいいのか。杖をつきながら乗車しようとするおふくろ。

杖に気をとられて車に手を添えることを失念してしまう。

それこそ危険。

乗車時の杖は不要である。

では、どこに・・。

杖は床に放りだせばいいのである。

我が家の車は軽バン。

後車の床に寝かすよう置く。

丁寧な置き方をする必要はない。

その行為で良いと知ったのは、6年前。

接骨鍼灸院で患者さんを家前まで迎えにあがる送迎ドライバーをしていた。

その行為を教えてくださったのはFさん。

当時、足が不自由な80歳の高齢者だった。

正式に退院すれば自前の杖が要る。

そう思って病院に戻る前に立ち寄ったアピタ大和郡山店。

同店は介護用品も販売している。

いろんな形、柄の杖が商品棚に並んでいる。

アドバイスもあるが色柄のない製品を手にする。

何本か選んで手にする。

借用していた杖よりもぐっと軽い杖。

ハンドルも手に馴染みやすい形状の杖。

これに決めたと買った杖は3300円。

ついでに見ておこう、リビングコーナーに移動する。



そこにあった木製座椅子に座ってみたらこれもまたお尻にフィットしたが・・・・なんというか、血眼になって探していた婦人に譲ってしまった。

そうして規程時間内に戻ってきた病院。

途端にアピタで歩いていたときよりも早くなった。

院内はいつもリハビリしていたから安心できる施設。

アピタは始めて出かけた施設。

始めて体験する場は不安さが先走りして、というか慎重さで遅くなるのだろう。

戻ってきて看護士さんらに見せる買いたての杖。

ほんまに、これは軽いって大評判。

本来なら時間に間に合って入浴もできるのだが、疲れたといって明日にした。

入浴よりも気になっているのは後ろ髪。

3カ月も美容院に行っていないから伸び放題。

首がうっとおしいからとY看護士に美容カットを尋ねたら、院内では10日に一度の割合であるという。

いわば美容師の院内出張。併設する幸寿苑に出入りする美容師だった。

その日の夕刻、Fケアマネジャーから電話が架かった。

要件は前日に伝えられたウエルネス悠契約関係の情報である。

予め、要介護4の場合の単価は要支援よりも高額になるが、週3回の通所サービス利用ができると聞いていた。

通所サービスは自宅までお迎えにくる送迎付き。

一日コースの通所さービスに20分程度のリハビリ運動もできる。

昼食におやつもあるし、その日に通所する人たちとお遊びなどのコミュニケーションもある。

入浴は集団で入ることのできる設備がある。

要介護4の単価から計算したら1回辺りの費用は2500円。

これなら1週間に2回の利用として1カ月に2万円。

1割負担の費用という。

施設は利用契約する前、500円で短時間の見学体験もできるそうだ。

介護施設は年末の12月30日まで。年始は正月2日からサービスをしているという。

通所利用は施設医師の検証に指定書類診断書が要る。

前日にその用紙をもらっていたので外泊から病院に戻った際にY看護士に渡してお願いしておいた。

(H29.12.13 SB932SH撮影)
(H29.12.14 SB932SH撮影)
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外泊に向けて身体の復帰状態を診る

2019年03月19日 10時33分43秒 | むびょうそくさい(おかん編)
発症して救急車で運ばれた緊急入院した日は10月2日。

あれから2カ月も経過した12月。

月日の流れが早く感じる。

ほぼ毎日が介護というか、おふくろの身体状況や希望に応じて動き回った2カ月間。

振り返ってみればいろんな対応があった。

最初の発症は8月5日。

それから数えること、4カ月間。

気が気ではない身体状態に落ち着く暇もない。

入院加療に2カ月も経てば、ほぼ安定している身体状態。

病院側からは退院の話しは一切聞こえてこない。

今後はどのような診療計画になっているのか・・・知りたくて毎日のリハビリ運動をしてくださっているリハビリ療法士に尋ねてみた。

その答えは・・ちょっと待ってください、だ。

退院できる目標日については、12月より3階に職場転換したKリハビリ療法士に相談して決めるというAリハビリ療法士が伝えてくれた。

それから数日後の12月5日。

院外に出てリハビリ歩行訓練をすることになった。

朝9時に鳴った我が家の電話。

架けてきたのはおふくろだ。

一時間後の朝10時から院外歩行訓練をしてくれる、と伝えてきた。

伝えたかったのは、今日から始まるという嬉しさであった。

そうであれば、実施の状況を見学したい。

そう思って病院に急行する。

家を出るときは木々が少し揺れていた。

日当たり良好であるが、日陰になれば冷たい。

外に出られるような服装をしているのだろうか。

ふと、心配になって飛んでいった。

着いた時間帯は午前10時ちょっと過ぎ。

病院駐車場に入庫する。

発券機から出てくる駐車カードを取り出せばゲートが開く。

その場は新館1階部分。

暗がりである。

空きがないから奥へ行く。

奥にもある駐車場は陽当りが良い広々とした所であるが、そこへ向かおうとしたら、リハビリ中のおふくろの姿が見えた。

えらいところにいてるんや。

大急ぎで車を停めて寄ってみたら、驚いて振り返った。

上着は数週間前におふくろの居住地から持ってきたもの。

これは間に合ったが下はパジャマ姿。

ほっかむりを被ってリハビリ療法士に巻いてもらったというマフラー姿。

この場は風当り良好、ではなく吹き抜ける風は止まることのないビル風が発生するところだ。

陽が当たる青天井駐車場は温かったというが、この場は駐車する患者さんも見舞客も必ず通行する道でもある。

病院関係者も利用するここは日陰。

夏場は涼しいが秋口からは寒くなる。

この日の風は木枯らしが吹いたと思える状態だった。

寒さ厳しいこともある。

はじめての院外歩行体験は足元がおぼつかない。

病棟フロアーはまったくの平たん。

ガタガタするところがない。

ところが院外は凸凹。

駐車場は若干の斜め。

アスファルト舗装であれば、まだマシだが、青天井駐車場は施工もしていないから砂利道。

そこは怖くて歩きにくかったという。

寒さはマフラーのおかげもあって温かかったという。

翌日の6日も屋外歩行訓練。

見舞いに行った時間帯は間に合わず。

すでに訓練を終えて病室に戻っていた。

おふくろが云う訓練コースは昨日と違って、行院を離れて北寄り半周を廻ってきたという。

暖か日和のこの日は陽気な日。

陽の当たる場所を廻ってきたこともあって、戻った病室で汗が出た、と云っていた。

7日。看護士の話しによれば、入院してから3カ月。

それ以上の入院はできないので、退院となります、と伝えられた。

すでに退院した知り合いの長安寺町に住むNさんが、そう云っていたことを思い出す。

それはズレることなく、お正月を挟まない12月28日が限度となると云う。

それまでに家族さんでしていただきたいのは一日外泊を希望してほしい、ということだ。

外泊することによって本来の暮らしに慣れてもらうことになる。

具合が悪かろうが、退院はしなくてはならない。

自宅ケアに介護を要するが、一泊二日の普段の暮らしを体験することで、これからをケアをどうしていくかを決める判断材料になる、ということだ。

とりあえずは我が家でケアする外泊に杖は要るのか要らないのか。

杖は買取りで数千円。

レンタル制度があるとも、ないとも・・。

我が家にベッドはあるが、息子の部屋。

2階に上れば可能であるが・・・。

以前、聞いているレンタルベッドのことも考えなければならない。

我が家での入浴は厳しい。

浴槽のもんだいではなく、浴室の寒さである。

病院のお風呂は温かい。

それに慣れた身体は・・・夏場であれば何も考えないが、冬場は厳しい。

こういう場合はケア施設利用。

こういった件については我が町のケアマネジャーに相談していかねばならない。

次の展開に向けた動きをそろそろ、するか。

ところで本日の院外歩行訓練。

時間帯は午後と伝えられていたが、患者さんの関係もあって早くなる、と伝えられた。

その時間帯は入浴時間に重なってしまう。

この件についてはリハビリ療法士と看護士で協議してもらうしかない。

いつもニコニコ笑顔で寄り添ってくれるS看護士も調整してくださって、30分程度の院外歩行を先に。

汗をかいたリハビリ運動の後は入浴して汗をさっぱり綺麗に流す。

そういう調整になった両件とも家族見学が可能。

リハビリ運動はこれまでそうしてきたが、入浴も・・。

この週初めから個室風呂になっていた。

団体入浴であれば、見学はできないが、個室入浴であれば、どうぞ、ってことになる。

入浴状況の一部始終を見学させてもらったのはかーさんだ。

息子といえども、入浴見学はちょっと遠慮したい。

先にした院外歩行。

天候の良い日にしかできない外周道路の歩道部を歩く歩行リハビリはふらつきがある。

尤も歩道と云えるような道幅でもないし、雨を流すために縁から斜めになっている。

それに慣れるのは時間がかかる。

恐る恐るの足取りである。

杖をついて歩くおふくろは、ちょこっと余所見をすることもある。

そのときに発生するふらつきが気にかかる。

付いていたリハビリ療法士の観察も一致する。

そういう状態であれば、突然の対応を要する。

つまり、独り歩きはもってのほか、である。

住まいであれば壁伝いとかでふらつきを抑えることはできるが、屋外では常に危険性を背負って歩かねばならない。

足をぐねていつ倒れても対応するには杖だけでは心もとない。

いわば、介助が必須、ということだ。



その場合の介護は手をそえるていどで杖をつく反対側に寄りそう。

杖をもつ側につけば、杖を蹴ってしまい、歩行を邪魔することが多々あるから、そうしてくださいということだ。

歩道がない道路を歩くのは、健全な人では気が付きにくい。

それは段差や斜角度である。

足元がおぼつかない高齢者や身体障がい者にとっては苦難の道。

少しでも歩きやすいようにしてほしいが・・・。

ともかく歩行はおふくろが動きやすい形ですれば良いと云ってくださる。

型は特別決まっているものでなく、ひょこひょこ、であってもこけないように足取りであればいいと・・。

周回コースは短距離。

北に向かって信号三叉路を右に曲がれば酒屋兼果物屋と喫茶店の辻に出る。

そこから南に向かって病院に戻った。

リハビリ療法士が云うには、長距離は心臓に負担かけるのでしていないそうだ。

前回も戻ってから測った血圧は高くなる。

長距離であれば、益々負担をかけることになるので避けたい、ということだ。

いずれにして、ふらつきがあり、独り歩きはいつ倒れてもおかしくない危険な状態。

自宅であれば、の壁つたいでトイレも行けるが、屋外はそういうこともいかない。

また、膝を無理にあげない、擦り歩きが望ましいともいってくれた。

また、自宅に戻っての階段の上り下り。

リハビリ状況では手すりもあるから大丈夫だが荷物を持つことは避けるべきであるとも伝えられた。

いずれにしても外泊をすることで自信をつける。

それが第一である。

また、布団から身体を起こす場合はちかくにある手を沿えるものに捕まって起きる、などいろいろな観点から教えてくださる。

今週になってから個室入浴風呂利用になった。

自宅に戻っても、入浴、洗い、着替えなどすべてが独りでえきるようになる訓練でもある。

こういう設備をもつ病院は多くない。

おふくろが入院している病院であるが、私も利用している泌尿器科診療院。

急性期ならびに回復期リハビリ病棟を併設する病院である。

リハビリ病棟ならではの設備で着替え場は広く、車椅子も十分におさまる広さ。

家族が見守るなかで入浴状態を観察することも可能な病院。

これなら自宅に戻っても大丈夫と判断ができる。

家族が安心できる病院が住まいする地域にあって、ほんとに助かっている。

入院は3カ月期間まで。

年末、正月を挟むことになるので、12月28日が限度日。

それまで家族が判断する退院日。

それまでの外泊日は自由に決められる。

家族希望によったら、何度かの外泊も可能であるが、だらだらする必要はない。

外泊することによって、いけそうだと踏んだら、入院費を抑えるためにもできる限り早くに退院日を決めたい。

そう思っているが、かーさんは18日の想定していた。

ところで、リハビリ療法士がいうには、初めて圧迫骨折と思われる痛み症状。

発症した8月以前の状態には百パーセント戻れない人が多いのが実態、現状では夜間トイレは一人にさせておかないようにと云われたが・・・。

それから二日後の9日。

家族が要望した泊許可願いの日程は12月13日水曜日の昼食後。

翌日の14日は午後4時より利用できる院内個室入浴までの後3時に戻るという計画だ。

特に問題はないということで承諾された。

退院の見込みが現実的になってきた。

退院後の落ち着き方はどうするか。

いきなり大阪一人暮らしはさせたくない。

本人にとっては長年住み慣れた土地、部屋が落ち着くのはわかっているが、無理がある。

居住地は5階建ての4階にある。

おふくろが数えた階段の段数は47段。

上り下りの訓練はしているが介護を要する。

高齢者、しかも介護認定が4。

1階に移れるよう、市営住宅の移転申請をしているが、いつになったら決定をくだされるのか、だれもが予想できない。

そのこともあるが、まずは外気・・普通の暮らしに慣れることである。

我が家でしばらく暮らしてもらって養生する。

ただ、我が家の家の構造は介護に適していない。

しきいなどの段差はあるし、手すりもない。

なくてもいけそうな気もするが、寒さ厳しくなった今日此の頃。

奈良県南部の山間地では積雪もある日々。

外気はもちろんだが、我が家のお風呂は洗面所も含めて、とても寒い。

高齢者だけにヒートッショクにでもなれば、エライことになる。

できることなら、入浴サービスをしてもらいたと考えて12日に連絡した大和郡山のケアマネジャー。

外泊日の13日に面談、ならびにケアプランをお願いすることになった。

(H29.12. 5 SB932SH撮影)
(H29.12. 7 SB932SH撮影)
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リハビリの歩行訓練は階段の上り下り

2019年03月11日 08時50分22秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この日は実に気持ちが良い。

病院のリハビリ室から眺める矢田丘陵が見える。

その先、右の方角には生駒山の遊園地も見える快晴の日だった。

リハビリ室で筋肉マッサージをしてもらったおふくろは新館側の階段を降りていく。

左手は手すり。

右手が杖つき姿。

降りる速度は割り合いに早い。



階の段数は1階分に10段。

4階から降りて病室のある2階まで。

一段、一段降りに慎重さは求められる。

リハビリ療法士が付き添って見守ってくれる歩行訓練は当然である。

一歩間違えれば転倒。

退院された自宅で転げて再入院になったという事例はままあるようだ。

病室からずっと杖つき歩行も慣れてきた。

階段登りもラクラクの様子。

住まいする市営住宅はエレベーターのない建物。

住居は4階にある。

今まで難なく、といいたいところだが、手すりに掴まって上り下り。

4階までの階段数は47段。

それを見越したリハビリ運動。

1カ月前はリハビリ室の水平棒を掴まり歩き。

病室フロアーはよたよた歩行器ぐらいの状態だったが、見る見るうちに回復してきた。

この1カ月間の身体状況の変化はどうであったのか。

忘れないように記録したメモを遡って回復に向けた経過状況をみる。

前日の11月27日。

服用薬分包はご自身でしてもらいます、と看護士さんから伝えられた。

薬の服用は個数など誤りが多いと聞く。

防ぐには予めに分包をして容器などに振り分けておく。

骨折入院するまでは自分でそうしていたが、入院ともなれば看護士の手によって分包される。

食事を済ませたら、看護士はその食べた量を目分量でチェックして記録する。

それから分包した薬を患者さんが食べているテーブルに置いて指示をする。

確かに服用したかどうかも見ている。

いつも診ている看護士さんから忠告を受けた。

おふくろは人が良いものだから隣り合わせた患者さんが訴えることに耳を貸す。

耳だけで良いのだが、品物まで貸してしまう。

これは院としては問題である。

何度も目撃されたらしい。

患者さんの声を聞いてあげて話しをしてあげる。

好意的な話しでよければいいが、徐々に親交もできてくるからついつい「出来る」ことを勝手にやってしまう。

貸したつもりが、相手は「私のんや」ということになりかねない。

若干の痴呆症がある患者さんもいる。

そうなればいらんトラブルになってしまう。

そこで云われた「勝手にしたらあかん」で、ある。

それにしてもこの日は見舞いが3組も。

従妹姉妹の2人に実弟夫婦、もう1組はおふくろが生まれた実家母屋の従弟の嫁さん。

元気づけてくれた。

先週16日は入浴日。

25日の今日は機械入浴も除外されて一人で入浴できるようになった。

浴槽に入る、出るは自分の力で跨ぐ。

もちろん手すりを掴んでのことである。

入浴は浸かるのも、身体や頭を洗うのは自分である。

看護士が見守る中、数人の患者さんとともに入浴するが、背中洗いだけは介護士さんの手を借りる。

院内の浴槽は段差が少ないが、若干の跨ぎがいる。

こうして、あーしていると身振り手振りで説明してくれる。

21日は、従妹のねーちゃんにその娘の姪っ子も見舞いに来てくれた。

先月の10月26日に受けた2度目の介護認定調査。

その認定審査された結果が届いたのは3週間後の17日だった。

結果は要介護4。

初回認定は要支援の2であったが、一気に繰り上がった。

そのことを伝えた住之江敷津浦地域包括支援センターのB主任が云うには、次回は半年後になるという。

そのころは予想もつかないが、下がることはないような気がする。

14日。午前中に行われたリハビリ運動は杖つきの階段上り下り。

10段をラクラクとこなしたのでリハビリ療法士もびっくりしたらしい。

ただ、実際は5段階段の6往復。

片道30段の倍ということらしい。

らしいというもなんだが、実際の動きを見てみたいと思った。

ところで、本日は1カ月の入院費用の支払い。

請求金額は10万3千円ほど。

医療費は91歳の高齢者であるから一割限度額負担額の57,600円。

それ以上の医療費はないが、これまでお世話になったオムツ代と食事代がある。

オムツ代は4,400円で済んだが、食事代は別途ということで37,680円。

食事は完食しようが、しよまいが毎日3食。

多額な支出は予想していたが・・。

請求金額の内訳はそれだけでなく、口腔ケア費用の1,344円もあれば、診断書発行料もある。

私が入院していた天理の病院は手術代も検査、診療費、薬代に食事代も込みこみの医療費算定。

1カ月分の医療費は高額医療費申請をしていたから限度額の67,800円で済んだ。

特に大きい食事代が別料金となれば生活費が圧迫する。

政府にお願いするのはこのような不公平さをなくしてほしいわけだ。

12日。病室ベッドの横に配置するお丸形のポータブルトイレ。

夜のもよおしは寝ていたベッドから離れて用を足す。

その際にはナースコールをする。

コールをするのはそれだけになった。

病室フロアー内であれば、別室のトイレに行くとか、食事する共用コーナに行くとかは自由に行動してください、ということになった。

ただ、自由といっても歩行器を利用した上でのこと。

リハビリ運動は階段の上り下りも始まっている。

杖をついて5回もしたというが、段数はよくわかっていない。

なんとなく6往復の計30段のようだが・・。

リハビリ運動はリハビリ室が主。

何回も往復する杖歩きの速度は早くて、すたこらさっさという感じだ。

この日にKリハビリ療法士が私に伝えた目標感は病室フロアーの自由歩行を杖歩きができるように、ということだった。

11日。階段の上り下りを3回もチャレンジした、という。

左手を添えるのは階段の手すり。

右手にステッキ風の杖で身体を支えて上り下り。

おふくろの姿をみたリハビリ療法士は目をむいたように驚いたらしい。

歩行器利用であるが、病室内にあるトイレの行き来も可能になった。

ここT病院の新館は見舞客も利用できるトイレがある。

病室廊下に数か所。

それに病室内トイレである。

これまで私が見聞きした病院で見たことのない病室内トイレはありがたい。

ただ、念のためということでナースコールをしてからになるから、用足しコールは早い目に、ということである。

7日。明日からは病室内移動は歩行器になると云われたそうだ。

ずいぶんと長い間をお世話になったオムツもようやく卒業になった。

6日。実弟夫妻に姪っ子が見舞いにきてくれた。

4日。この日は初の杖歩き。

おふくろ人生初の杖歩きである。

8月に発症したときは初の介護認定をした。

そのときに受けた介護認定聞取り調査に答えていた杖歩き。

あんなんしたくない、といっていたが難なくこなしているのが嬉しい。

そういえば、介護のデイサービスに介護施設利用の入浴がある。

何度かの院内入浴に慣れたのか、嫌がっていた入浴デイサービスもOKサインを出した。

人と人に間近に出会っては嫌がっていたが、院内経験のおかげであろうか、嫌がることもなくなっていた。

この日は従妹ねーちゃんの娘夫婦が見舞ってくれた。

2日。午後3時にリハビリ運動が始まると聞いて、共用ルームの食堂で待っていたが、前の患者さんの治療が遅れている関係で、もっと遅れそう。

買い物があるし、待ちきれないから病室を出た。

11月1日。前夜というか、この日の夜中の午前3時。

排尿に尿管をつけている部位が痛くなったそうだ。

あまりの痛みに耐えきれずのナースコール。

痛みを伝えた看護士さんは尿管を外してくれたのですっきりした、と開口一番に話す身体状況。

先月の10月2日に入院してずっと装着していた尿管がやっとのことで外された。

排尿が自由になれば、車椅子移動ができるようになったが、看護士立会の下である。

この日は気持ちもよくなって院外につれだしてくれたという。

連れ出してくれたのは看護研修生のOさん。

コンビニ際の外アプローチ道から門扉を抜けて看護学校が見えるところまで連れてくれた。

それが嬉しくて楽しそうに話してくれる。

天気も良かったので、そこに15分間も佇んでいたそうだ。

この日は口腔外科医による細菌感染予防。

歯間ブラシで歯を掃除してくれたという。

次回は11日。

定期的にしてくれるようだ。

こうした経緯もあったこの日もリハビリ運動がある。

病室に着いたとき、おふくろはリハビリ療法士とともに廊下に出ていた。

リハビリ室に向かおうとした矢先。

突然にもよおした大の便。

用を足して身体の状態を整えている、という。

それから出かける4階のリハビリ室への移動はリハビリ療法士が押す車椅子だ。

リハビリ運動は膝を高くあげて跨ぐ訓練。

これを2往復する。

測った血圧は120台。

まったく問題のない血圧に続行する。

次は車椅子から離れて立つ場合である。

まずは車椅子の手すりに手を添えて、その手を支えに立つ。

そして、歩行機械の水平棒の手すりに手を添えて、その手で身体を支えて移る。

力はそれほど入れていない。

移動動作は特にしんどさはない、という。

主治医の石崎医師も見にきた状態観察。

それを見て医師は云った。

判定は順調である。

こうして1カ月間を振り返ってみれば、いかに回復は順調であったことがよくわかる。

しかも、その回復時期が想定していたよりも早かったのだ。

(H29.11. 1、2、4、6、7、11、12、14、21、25、27 記)
(H29.11.28 SB932SH撮影)
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尿管が外された

2019年02月01日 09時31分27秒 | むびょうそくさい(おかん編)
夜中の3時に排尿口が痛くなった。

あまりの痛さに我慢ができず、ナースコールをした。

飛んできた看護士に伝えたら尿管を外してくれた。

先週に聞いていた尿管外し。

リハビリ状況も良く、車椅子移りも難なくできるようになったし、歩行器リハビリも問題ない身体状況を診ていた看護士さんから、その状況次第で外します、と伝えられていた。

それが週初めの月曜日にいきなりやってきた嬉しいニュース。

痛みもすっかり消えて、排尿するトイレ便器に座ってできたのが嬉しいという。

尤もトイレ内では看護士の立ち合いの下でということだ。

万が一、トイレ中に目眩なんてものが発症すれば倒れてしまう。

あくまで万が一ではあるが・・。

午後のリハビリ運動は2時半ことから始めたという。

この日の朝は一番の冷気。

起きてから数時間は足元に「ゆたぽん」を欲する我が家の室内。

昼頃になって、ようやく「ゆたぽん」外し。

あんなに寒かった朝と違って、午後は温かい。

上着一枚も脱ぎ捨てるくらいの気温になった。

そのような気象状態に外気に触れさせてあげたいと車椅子に乗ったまま、看護研修生のOさんの援助で院外に連れていってもらった。

院外へ出るには地下1階にある院内施設のコンビニ際の外アプローチ道を利用する。

表通りであれば、車の往来も激しいから、そこは避けて反対側に、である。

かつてはその反対側が病院の玄関口であったが新館ができてからは正面玄関口が表通り側に移った。

裏側になったところには門扉がある。

医院関係者がそこを出入りする門扉を抜けたら看護学校が見える。

勉強しているのはここですと指を挿して説明してくれたのもOさんだ。

彼女は本日をもって看護実習課程を終える。

再来週もあるらしいが、別の病院になるようだ。

今年度卒業見込みのOさんは明るい子。

表情も看護対応も素晴らしい。

卒業してどこかの病院に勤務することになれば、すぐさま環境に慣れて力を発揮することだろう。

どんな話をしたのか聞いてはいないが、その場で15分間も佇んでいたようだ。

そんな話を聞いたのは午後3時。

着いたときにはリハビリは一時中断中だった。

外気をすって気持ちも身体も一新されたのだろうか。

4階のリハビリ室にいきかけたときである。

急にもよおす大きい方。

あーベチャベチャになってしまって、理学療法士に研修生も迷惑かけたと車椅子で項垂れていた。

落ち着きを取り戻した後から聞いた話ではベチャであってもパンツ型のおむつは水分を吸い込んでくれる。

サラッとしていたそうで、お尻拭きは綺麗にしてもらったと喜んでいた。

尿管はとれたが、自分の足で動くことはまだまだ。

急なもよおしにはまだまだおむつのお世話になりそうだ。

しばらく休憩していたら落ち着いた。

血圧測定の結果を診て、これなら大丈夫と判断がくだされてリハビリ室へ再出発する。

で、本日のリハビリ運動は・・膝を高く上げて跨ぐ訓練を2往復もこなした。

初めて見る道具は水平棒の下に並べる。

高さが20cm弱。

水平バーは鉄の棒を曲げたもの。

その本数は6本。

高さがあるから膝を上げることになる。

いっち、にっ、いっち、にっと声をかけてリズムをとりながら足を揚げて前に出す。

一歩、一歩の前身に右足、左足。

最初の1往復は踵が水平バーにあたってしまうが、理学療法士からコツを教われば、2往復目はバーにもあたらない。

それだけ膝が上がっている証拠である。

短期間でここまで膝があがるとは・・。

測った血圧は120台。

まったくもって問題のない値である。

車椅子から離れる場合は車椅子の手摺りで支えて自分の足で立つ。

そして、歩行器に移る場合も、歩行器の手摺りを支えて身体を移動する。

その移り方が実に早くなっている。

しかも、しんどくはないというから、その後の回診に来られた主治医のⅠ整形外科医師も眼を細めて順調な仕上がりに喜んでくれている。

ちなみに本日いただいた10月31日付けの「リハビリテーション綜合実施計画書」である。

26日に面談をしてくださった主治医にKリハビリ理学療法士が策定してくださった今後のリハビリ計画である。

心身機能・構造に対する1カ月間の短期目標は「稼動域改善、筋肉維持の向上、疼痛緩和」だ。

改善に向けた具体的なアプローチは「関節稼動域訓練、筋肉維持強化訓練、リラクゼーション」であった。

関節稼動域、筋力低下はともに四肢・体幹。疼痛は腰背部。

これらの機能を改善するアプローチはより具体的にどうしていくのか、家族にはまだ見えない。

毎日のリハビリ運動を視察させてもらうことで理解させてもらっている。

また、その他に「幻暈(めまい)・嘔気(おうき;はきけ)等の出現あり」、と表記されているが、この点については具体論の記載がない。

また、基本動作それぞれに現状評価されている。

寝返りは自立。

起き上がりは一部介助で見守り。

座位も一部介助で見守り~軽介助。

立ち上がりも一部介助で見守り~軽介助。

立位も一部介助であるが、見守り~中等度介助となっていた。

すべてが介助しなくとも自立を目指す短期目標は基本動作の自立で、アプローチはそれの練習につきる。

次の項目は活動である。ADL(日常生活動作)自立度は10~0までの数で数値化されている。

満足域10点は食事だけだが、よくここまでこられたものだと喜んでいる。

評価5は移乗、トイレ動作、平地歩行、更衣の4項目。

残り項目である整容、入浴、階段、排便管理、排尿管理はゼロ評価である。

これらADLの短期目標は移動手段の獲得、トイレ・入浴等ADLの獲得で、アプローチは歩行訓練にADL訓練とあった。

活動にはコミュニケーションもある。

理解、表出とも良好である。

次は社会参加である。

短期目標は自宅か息子宅に退院先を定め、アプローチに4階までの階段昇降の獲得が必要なために訓練を要する、ということだ。

1カ月後の短期目標は、とにもかくも移動手段の獲得にADL(日常生活動作)の獲得である。

今から1カ月先にはすべてのADL(日常生活動作)が評価10になればいいのであるが・・・。

お目出度い結婚式に出席するつもりだったおふくろ。

結婚する娘さんの母親は私の従妹。

小さいころから私ら男3兄弟とともにしょっちゅう遊んでいた1男2女の従妹。

2女のKHちゃんから電話があった。

電話が鳴った家はおふくろの住まい。

娘が結婚するから「おばちゃん、出席してな」というお願いだ。

式典は12月17日の日曜日。

お願いの電話があったのは随分前の10月以前だったか。

そのころのおふくろは、大阪・梅田まで歩き、バス、地下鉄を乗り継いでひょこひょこと出かけていた。

ところが急な容態の変化に陥った。

原因は圧迫骨折。

原因がわかって即刻の入院治療の身になったのは10月初め。

完治するには数か月間の治療どころか介護の身である。

おふくろは申しわけないから断ってというが、なんなら私が出席すると手を挙げた。

そうしてくれたら従妹も娘さんも喜んでくれるだろう。

従妹が生まれる前から家族付き合いをしていた一家。

親父さんはおふくろの兄。

おふくろの兄弟姉妹は10人もいる。

それぞれ連れ合いの叔父、叔母もいる。

大阪・滝谷不動にある母屋に集まるお盆参りに十数人。

従妹の子供たちだけでも30人規模になる昭和30年代のころ。

賑やかなお盆であるが、何かとそれ以外におふくろは兄弟姉妹の家によく出かけて行った。

そのときに伴する私ら3人兄弟もまた仲良しこよし。

大人になっても変わらない従妹の間柄。

それもこれもおふくろがあちこちの叔父、叔母家に寄っては何かと世話をしてきたからである。

「おばちゃん、結婚式に出てなぁ」と従妹がお願いする娘さんの結婚式に応えて、おふくろの代理を務めさせてもらうから、とKHちゃんに電話したのは10月27日。

おふくろが入院中の病室からした電話に「まこちゃんが出てくれるんや。嬉しい」の喜ぶ声が返ってきた。

その後の11月2日。

結婚式出席状に「私、田中眞人は、都合によりおふくろの代理として出席させていただきます」と記載して郵送していた。

(H29.11. 1、2 記)
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リハビリ道具が歩行器になった

2019年01月29日 10時13分05秒 | むびょうそくさい(おかん編)
朝飯も昼飯も食べてベッドに仰向くになってリラックスモードになっていた28日。

突然であるが、背中に痛みを感じた。

不安があったから午後3時に予定していたリハビリ運動は1時間遅らせて午後4時から始まった。

装着に時間がかかって離床も遅くなってしまった。

かーさんを迎える時間は過ぎていたが、やむなし。

遅れても構わないからといわれていたので、甘えたが・・・これがおかんむりの原因になった。

で、翌日に聞いた水平棒支え歩きの回数は三回も往復したという。

順調にリハビリしているので安心した日だった。

29日、朝飯を食べてからベッドで寝ていたらそのままぐっすり。

よう寝られた、と目を覚ましたおふくろの顔はシャキとしていた。

二度目の起床時間は午前11時過ぎ。

しばらくは近況報告をする。

昼食の準備が調えば、配膳する職員が病室にお迎え。

車椅子移りがスムーズにできるようになってきた。

患者さんと向かいあう共有ルームへ行く間は自力ではまだまだ、である。

向かいの隣も患者さん。話しかけてくる患者さんもおれば、黙々と食事をする人も。

そのような状況であるが、いろんな顔ぶれもあれば、大きな窓ガラスの向こうは外の景色が見える。

それが気持ちいいといっていそいそと出かける、ではなく、車椅子押してもらうのだ。

食後に行われた午後3時のリハビリ運動。

水平棒支え歩きは今日も往復三回もできた。

しんどくないからとても気持ちが良かったと携帯電話で伝えてきた。

30日は月曜日。

午前中は機械浴。

洗髪も一人でできるようになった。

機械浴では12分間浸かったので身体も気持ちもサッパリしたと云う。

そして午後のリハビリ運動。

リハビリフロアーから廊下までの長い距離に歩行器利用のリハビリ運動。

初の歩行器であっても慣れるのは早い。

調子が良いからと、片道3回も歩けたのが嬉しい。

ただ、Kリハビリ理学療法士が家族に尋ねた斜視。

左目が斜視の可能性があるようだと伝えてくれたが、斜視症状は初めて知るもの。

云われるまではまったく気づかない斜視はいつごおろか、と問われても、わかりません、としか言いようがない。

何故にそれを聞かれるのか、といえば、斜視が目眩の原因であるかもしれない、ということだ。

(H29.10.28~30 記)
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一歩、一歩の成果が励みになるリハビリ運動

2019年01月27日 09時47分59秒 | むびょうそくさい(おかん編)
今日も来てや、の要望に毎度、毎日に出向く病室。

この日の顔もさっぱりしていたが、こんなんあったんやで、という感じで話し出す腹痛騒動。

お腹が痛くなって苦痛だったコルセットを看護士さんにお願いして外してもらった。

背中からコルセットが押さえているのか、それともお腹がくっついているのか・・・。

ゴムが緩いパンツ型おむつが押さえているのか、それともこれまで何度も着ているバジャマのゴムがキツイのか。

浣腸をしてもらったらスッキリしたと話す。

このときの状態を診ていたM看護士が云うには、昨晩からやや固めのおかいさんに替えてからも完食したという晩御飯。

朝はお腹が張っていたが食べきれずにいた。

お腹がパンパンになって痛くなった。

ここらあたりがキリキリ痛んだ。

そういう状態を診た看護師さんは、食事の量と消化の関係と判断されて浣腸をしたという。

そういうわけでスッキリした顔になっていた。

スッキリしたお腹に昼食は美味しく食べられたという。

この日の午後3時がリハビリ開始。

まずは足揉み。

「食べやんと筋肉がつかへんから頑張らな」、と気合を入れるリハビリ担当のK理学療法士の声にガンバルおふくろ。

そのころ丁度に始まったじーんせーい、ワンツーワンツーの音楽が拡がる共有コーナーに集まった車椅子患者の集団体操である。

3時20分、車椅子移りをしようとしたが、お腹が痛いと訴えた。

その件に関しては後述するが、外していたコルセットの再装着である。

理学療法士がぼそっと口に出した言葉。

朝に訴えたおふくろの要望に外したコルセットが緩めなくてもいいような箇所も外していた。

お腹の部分だけで良かったものの、肩当て、背中当ての部分も緩めて外した。

見かけは変わりないが、いわばバラバラの状態になっていたコルセットは全面的な調整を要する状態。

おふくろの体形に採寸して作ったコルセットの調整部分を手直しする。

箇所ほとんどであるから調整時間がけっこうかかる。

調整する理学療法士が云った。

このコルセットは寝ているときは外しても構わないということである。

許可は主治医からあったそうだ。

ようやくコルセットを装着して離床。

手すりに身体を支えて立つのであるが、怖さがあるのか、すっと立ち上がらない。

「しっかり立つ」の声がかかれば、すっと立った。

おふくろがキムタクそっくりだというK理学療法士の声に難なく立った。

なんとできて血圧を測る。

特に問題はない値である。

ようやく出発する車椅子。

廊下に出たとたんに要求する排便。

廊下には数か所のトイレがある。

おむつはしているが洋式トイレでしたいと云う。

看護士さんが診ましょうか、と云われても選んだのはKさん。

それだけ信頼しているKさんもトイレに入って状況を診る。

時間はかかったが、難なくできて、これまで嫌がっていた洗浄シャワーもするようになった。

介助なく始末できたのが嬉しいが、それで綺麗に取れるわけでもなく、療法士の手を借りてお尻拭き。

午後4時、4階までは車椅子移動。

窓から若草山が見える理学療法室でリハビリ運動。

コワゴワもなく動きも早くなって水平棒に手を添えて歩く歩行運動。

時間はあっという間の一挙に往復する。

ただ、歩き方を見ていたら、膝は上がっていない。

どちらかと云えばすり足のように見える。

動きがいいので、もう一回しましょうかと、云われたが、これでいい、だ。

4階に戻ってきて病室に、と思っていたがそうではなかった。

車椅子でこのまま居たいというのである。

そうであれば、ナースステーション前の共用ルームに何人かおられる患者さんが座っている席に行こうか、といえば、そうしてという。

初回の介護認定調査のときにはノーと云っていた集団の中。

これじゃあかんと思って頑張ってみようと思ったのか・・。

でもなく、病室よりも明るい共用ルームの方が心が晴れ晴れになると思ったのである。

自ら言い出して、決まった席につく。

共用ルームには四人掛けのテーブルが数台ある。

そのテーブルには名札を貼っている。

つまりは指定席。

患者さんどうしが会話ができる仕組みになっている。

夕食はどうやらここで食事をするらしい。

馴染んでくれたら嬉しいおふくろに手を振って離れたときにY看護士が伝えた低温火傷。

原因は両腰、2カ所に当てている「ゆたぽん」である。

当てていた「ゆたぽん」は、寝返り、起き上がりに身体を動かす。

その際にズレてしまった「ゆたぽん」が肌身に当たっていたので、低温火傷の症状がでているから注意してください、という。

その言葉は看護士さんにそっくり返す。

おふくろは云われたことは素直に応じるので、そう云ってあげてくださいと、返した。

(H29.10.27 SB932SH撮影)
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介護再認定調査員聞取りもあれば今後の治療計画の面談も

2019年01月26日 09時55分31秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この日は予約の要件が2件もある。

一つは入院している病室でおふくろの身体状況を現認調査。

もう一つは主治医による今後の治療計画の面談である。

2件とも重要な事項である。

時間的経緯を見ながら直接関係するもの以外もここにメモする本日の記録である。

毎日は病室のベッドに居るおふくろの状態伺い。

同室に市内長安寺町に住むNさんがおられる。

この部屋で3カ月も治療に専念してきたが、晴れて退院することになった。

それまでに渡しておきたい写真がある。

平成27年2月1日に撮らせてもらった長安寺町の大とんどである。

その日にお会いした自治会長らは一年任期。

ついつい差し上げるのを失念していた。

尤も、長期間に亘って私も入院・手術していたからではあるが・・。

その日は92歳になるNさんの旦那さんの顔は見なかった。

先だっては病室に奥さんを向かいに来ていた。

週に一度は許可を得て一時帰宅。

その迎えに来られていた旦那さんは7年前にお会いしたときよりも軽やかになっていると思った。

月に何べんかはゴルフ通い。

若いもんの要求に断るのも難しくて・・と、云っていたN家が所有する畑でするとんどの写真。

ありがとう、預かって当時の自治会長に渡しておくと、云ってくれたのが嬉しい。

さて、おふくろの身体状況である。

本日の午前中は週2回の入浴デー。

離床リハビリも兼ねて車椅子に乗って浴室に移してもらったという。

浴室にあるそのまま身体ごと入浴できる車椅子に乗り換える。

湯船は徐々に湯が増えていく。

お湯足しというのだろうか。

身体はそのままの位置でお湯の高さがあがって、やがて肩まで浸かる。

お湯に浸かるのは何日ぶりになるのだろうか。

おふくろが居住する部屋にある浴槽が高いこともあっていつのころか浸かることはなくなった。

8月に発症した痛み。

解消できて自宅に戻ったときもお風呂に浸かることはなかった。

なかったというよりも高さがある浴槽を跨ぐことができないからである。

そうであるだけにとても嬉しかったという。

自分でできるところは自分でする。

身体はまだまだ洗えないが、洗顔はできる。

石鹸をつけた手でごしごし思う存分、自分の力加減で洗える。

これもできるようになって入浴から戻ってきたおふくろの顔は綺麗サッパリしていた。

その入浴に立ち会ってくれた看護研修生のOさんはとても喜んでくれた。

食事もほぼ完食するようになって、毎日の食事に配膳されるおかいさん改め、ご飯を要求するまで回復してきた。

そういった状況にまで回復してきたので居住する地域の診療所である畠中医院に電話で伝える。

処方してもらっていた内服薬は、現在入院している田北病院に移管された。

薬の監理は病院の配下にある。

退院するまでそうなるだろう。

そういった時間を過ごして病室に来られた大和郡山市介護福祉課に属する調査員のOさんは今回の介護認定調査で2回目。

前回は我が家に身を寄せていたので我が家の部屋で切帰路地調査。

今回は入院先のベッドにいる状態で聞き取りとなった。

介護再認定を手配してくださったのは大阪市住之江区地域包括支援センターのBさん。

初期は私が大阪市認定事務センターに申請した。

申請は受理されて調査員を派遣する。

当時は身を寄せていた地区は奈良県大和郡山市だったので、今回と同様に大和郡山市介護福祉課に派遣要請されて調査員が来られた。

今回は再認定。

私の手を離れて、地域包括支援センターが直接、再認定の申請をされる。

そのことはBさんから聞いていた。

それから数日後。

10月16日に私の携帯電話が鳴った。

発信者は大和郡山市介護福祉課。

担当の職員が26日でよろしいでしょうか、という連絡であった。

その日の調査時間が決まれば、ナースステーションに伝えておく。

つまりは調査している最中に診療が重なって調査に影響を与えないようにするである。

尤も、それだけでなく、医療側から見てのおふくろの身体状況である。

本人の思い、勘違いは事実でない。

第三者からの視点を聞き取りすることによって整合性をとるのである。

ベッドに座ったままの聞き取り調査。

前回の9月7日以降の本日までの経緯を伝えて問診に入る。

前回もしているので重複事項は避けて、現況を掴むその後の状況の身体、心身具合は、前回も「介護保険認定調査票」の問診項目に沿って聞取りされた。

1.身体機能・起居動作(麻痺等の有無/拘縮/寝返り/起き上がり/座位保持/両足立位保持/歩行/立ち上がり/片足立位保持/洗身/爪切り/視力/聴力//)、

2.生活機能(移乗/移動/嚥下(えんした)/食事摂取/排尿/排便/口腔清潔/洗顔/整髪/上衣着脱/下衣着脱/外出頻度)、

3.認知機能(意思伝達/毎日課の理解/生年月日・年齢・氏名記憶/短期記憶/現在の季節/現在の場所/徘徊/外出帰還)、

4.精神・行動障がい(被害的物品盗難/作り話/泣き笑い感情不安定/昼夜逆転/しつこい同一話し/大声/介護抵抗/落ち着き/目が離せない/不要物収集癖/物品損壊衣服破り/酷い物忘れ/独り言独り笑い/自分勝手行動/話がバラバラ)、

5.社会生活への適応(薬の内服/金銭管理/日常の意思決定/集団不適応/買い物/簡単な調理)、

6.過去14日間に受けた特別な医療(処理内容/特別対応)、

7.日常自立度(寝たきり度/日常生活自立度)である。

こう云った項目すべてを現認調査された次は主たる受持ち看護士のTさんが補足するヒアリングに移る。

前回は1時間半もかかったが、今回は初期の経緯、家族構成などは割愛されたが、それでも1時間20分。

尤も看護士さんのヒアリングもあってのことだ。

ひと通り終えて、かーさんが気になっていた睡眠薬である。

この三日間は睡眠薬を飲まされたと云っていた。

二日間はそのおかげもあってぐっすり眠れたが、3日目は何回か夜中に目が覚めたと話していた。

私の入院体験のことであるが、睡眠薬の服用は患者さんに何も伝えずにそうすることはない。

そのハズであるが・・。

心配になって尋ねた看護士Tさんの回答は睡眠薬ではなく、目眩を訴えているので安定剤は投与しているが、睡眠薬といえるほどの眠り薬ではない、という。

20日に行われたCTスキャナー検査の結果はどないもなってなかったが、軽い目眩が起こっていると訴えるおふくろは、また起こるかもしれないという精神的な面で、そう感じている可能性が考えられる。

処方され服用している薬はどうやら抗目まい剤のようだ。

不定愁訴を訴えるおふくろの目眩に関しては上手く伝達されていないように感じた。

そのころ病室に来られた口腔ケア担当者。

先日に置いていた口腔処置同意書の件を尋ねられた。

その件はシートをもってナースステーションに預けたので、そちらで聞いてくださいと伝える。

連携が上手くできてなかったようだ。

午後4時の予定であった主治医面談は外来患者の関係で遅れていると師長さんが伝えてくれた。

終ってナースステーションに来られる時間帯が読めない。

待っている間もリハビリ運動が始まる。

主たるリハビリ担当の理学療法士はKさんであるが、この日は主治医面談に立ち会うために、通常のリハビリ運動を理学療法士はAさんに交替してもらっていた。

看護士さんも難儀するコルセット位置調整は専門家領域。

背中にコルセットが当たるらしく、痛いを連発していたが、調整をしてもらったら痛みは解消した。

AさんはKさんがお休みの関係で昨日の25日もリハビリ運動をしてくれたそうだ。

前日は平行棒を両手で支えて10歩も歩けたそうだ。

足膝屈伸運動などのリハビリ後の車椅子移りはベッドの手すりで身体を支えて難なく自力でいけたという。

見ることができなかった身体具合を伝えてくださって一安心。

少しずつ改善しているのが嬉しい。

午後5時、ようやく始まった主治医からの診療状況の説明。

骨折治療よりも目眩症状が何処まで落ち着くか、それが課題になってきたな、と云われる。

歩けるようになってもらう退院を目指すが、先だって診断書を書いてもらった市営住宅の1階への転居も早めて欲しいしな、とも云われる。

4階までの階段の上り下りができるように、なっ、と云った視線の先に立っていたリハビリ担当の理学療法士はKさんに向けて、リハビリは頑張ってもらうしかないな、と云った。

それもこれも満足できるような身体になりたいのはおふくろの心情も同じだ。

食事も、睡眠も、排尿排便がスムーズになるのがまずは専決事項。

そうなりゃ、ついこの前は勧められて見たたった30分のテレビ視聴も気持ちよく見られるようになるだろう。

また、明日は来るね、と云って病室を出た1階廊下ですれ違う女性の顔。

ほぼ10年ぶりにお会いした女性は大和郡山市社会福祉協議会ボランティアビューローのMさん。

市民交流館勤務時代にたいへんお世話になった人だ。

ボランティアとは・・を教えてもらった先生でもある。

何故にここに、と聞いたら実姉が当院に入院しているという。

お姉さんは大腿骨骨折になって入院した。

その期間中にベッドが落ちて違う部位も骨折した。

2度の骨折治療に鉄板が体内に。

大阪に独り住まいだった姉さんを住まいする九条駅近くに引っ越してもらった。

近くにいる方が介抱・介助支援に動きやすい。

今また、圧迫骨折になって3度目の入院。介助するのにビューローは8月に辞めたというMさんはバリバリ元気。

10年前とまったく同じ動きに、誠心込めた介助支援も見習わなければ、と思った。

(H29.10.26 記)
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