マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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オークワ田原本町店のミックス焼きそば

2014年04月30日 07時11分29秒 | あれこれテイクアウト
仕事を終えて直行する取材先は田原本町。

道中で昼飯を調達したお店はオークワ田原本町店。

手軽な弁当を探してみる。

あれやこれやと迷って選んだ弁当はご飯でなく焼きそばだ。

うたい文句に「ソースが決めて・具だくさん」と書いてあったミックス焼きそば。

ソースは濃厚特製とある。

特製とあるだけにオークワのオリジナルであろう。

透明パックの蓋を開けずとも具がたっぷり入っている状況がよく判る。



青のりを振り掛けた焼きそばのソース。

それが特製なのだろう。

具材は今まで拝見したこともない切り口のイカがある。

エビも入っている焼きそばが美味しそうに見えて買った値段は298円。

お得な値ごろ感である。

袋は要りませんと伝えたレジ支払いは2円引きで296円になった。

お店備えつけのレンジでチンしていただく焼きそばは美味かった。

うたい文句通りの濃厚ソースは口に合う。

何の形か判らないイカは四切れあった。

ムキエビも同じように四切れだ。

イカはやや固めだったが、ぷちゅっと感が良いのはエビだ。

キャベツ、ニンジン、タマネギ、ピーマンなどの野菜を絡めて作った焼きそばが美味い。

欲を云えばもう少しのタマネギがあればと思った。

添えつけの紅ショウガも絡めて食べる、食べる。

(H25.12.23 SB932SH撮影)

雑穀町の神農さん

2014年04月29日 07時20分01秒 | 大和郡山市へ
冬至の日にシンノウサンの掛軸を掲げるK家。

大和郡山市の雑穀町が住まいである。

同家は『郡山市史』で紹介されている町屋の一つ。

先祖さんは御殿医の旧家と聞いていた。

婦人は大和郡山市の観光ボランティアガイドさん。

城主の柳澤家に仕えた御殿医と話していたが、事実は柳澤城主が甲府から転封される前からの郡山藩の町医であったと話す。

旧家は近年に於いて建て替えられたので当時の面影は見られないが、今尚、神農さんの掛軸を掲げてお供えをすると云う。

神農さんの尊像を描いた掛軸には「上古元来三皇身 耕田稼穡教農民 口爵百草為薬性 醫道流傳始初人 大明國許暻徴書 落款」の文字が書かれているが、詠みは判らない。

お軸は表装を仕直しており、記銘もなく、製作年代は不明である。

神農さんを祭る行事は大阪道修町少名彦神社や奈良高取町の土佐恵比寿神社の神農さんがあるようだが、いずれも11月22日である。

新暦、旧暦の違いであるかも知れないが、雑穀町では12月22日の冬至の日である。

この日のお供えはお頭つきの魚、ナンキン・ダイコン・ニンジンに洗い米を二杯。



毎年このように供えていると云う。

お供えをするが、手を合わすことも念仏を唱えることはない。

「単に供えるだけだ」と話すK家の現当主の祖母は医者であった。

医師を継ぐこともなく医院を廃業したが、今でもこうして医者の神さんとされる神農さんの掛軸を掲げて祭ってきたそうだ。

祖母の姉が嫁いだ先は安堵町窪田の中家。

中世士豪の平城居館を残す建物は国の重要文化財に指定されている。

嫁ぎ先の中家で生まれた長女の嫁ぎ先は大宇陀の片岡家。

今でもご健在の老婦人がそうだと話す。

片岡家は代々大庄屋を勤めてきた由緒ある旧家。

寛文十年(1670)に建築された入母屋造りの家屋は茅葺きの主屋。

宇陀市の重要文化財に指定されている。

また、行者講の取材先であった市内白土町の喜多家も中家繋がり。

同市の丹後庄町の松本家もそうであった。

取材先の人と人の繋がりには旧家が繋がり。

神農さんの出合いに感謝し手を合わした。

(H25.12.22 EOS40D撮影)

小山戸都祁山口神社の正月飾り

2014年04月28日 09時03分18秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
早朝から都祁山口神社に集まってきた大字小山戸と相河の氏子たち。

宮総代や社守さんに人足だ。

早速作業に取り掛かる。

この日は本社など御社尾さん、森神さん、水神さん、元社と伝わる水湧きの場などに正月飾りを調える。

この年は3度も雪が舞った12月。

最近珍しいと云う。

つい先日も降った雪が溶けて境内は水浸し状態で靴ではドロドロになる。

平成27年には造営の儀が行われる都祁山口神社。

20年に一度の一大行事である。

年明け早々には造営の契約をする。

それから本格的な工事が始まると話す。

境内にある燈籠、遥拝の石碑などは既に移動させている。

中央辺りには年越しのとんども設えた。

太い木を刈り取って組んだとんどはブル-シートをかけて保護しておく。



予め作っておいた小縄。

それにはウラジロ、赤い実を付けたフクラシの木に松の小枝を括りつける。

社務所などありとあらゆる箇所に掛けるので本数は24本もある。

御社尾(ごしゃお)さんと呼んでいる磐座(いわくら)は都祁山口神社後方の山にある。

元慶三年(878)、水分(みくまり)の神が白龍となって天から降りてきたと伝わる神石だ。



作りたての小注連縄を鳥居に括りつけて、山で採取したサカキを水挿しにいれておく。

拝礼を済ませて下る参道脇には「都祁直霊石」の標石文字を刻んだ場にもサカキを立てる。



貞観年間(859~)、藤原氏と名乗った豪族の子孫とされる都祁直(つげのあたい)を祀った霊石である。

本社下に門松を立てる。

木製の枠を組んで葉ボタンを添える。

三本の竹で組んだ門松も立てる。

土を入れ込んで南天、梅にクマザサも添えた。

ここに飾る大注連縄は参籠所で縄結い。



モチ藁は槌で打ちつけて藁打ち作業で柔らかくしておいた。

三人がかりで藁を結う簾型の注連縄作業は時間がかかる。

数本ずつ手渡して編んでいく。

門松の間の寸法を測っていた。

その長さに合うように編んでいく。

できあがればオン松、メン松の間に括りつける。



その間、末社、御社尾、森神さんなどにも門松を立てていた。

ようやく作業を終えてお神酒をよばれる氏子たちはほっとした表情をみせた。

平成18年12月末に訪れたときの正月飾りも参考に出展しておこう。


(H18.12.29 EOSKISSⅢ撮影)

大きな違いが見られるのは葉ボタンが加わったことと、門松の土台だ。

この年は木製であるが、当時は竹で編んだ土台であった。

(H25.12.22 EOS40D撮影)

的野の阿弥陀如来磨崖仏

2014年04月27日 09時14分34秒 | 山添村へ
的野集落の南の外れ。

道路脇に燈籠があった。

傍には南天や菊の花が飾られていた。

何があるのか立ち止まって拝見した布目川対岸東。

そこにはすくっと立つ磨崖仏があった。

阿弥陀如来立像は流麗な八頭身で、鎌倉時代後期の作とされる。

(H25.12.21 EOS40D撮影)

明星評判屋かきたまうどん

2014年04月26日 07時50分42秒 | あれこれインスタント
山添村の大字春日から大塩、的野を巡っていた。

とうに昼時間も過ぎていた。

忙しく駆け回っていたのでお腹が減ったことも気がつかずにだ。

すべての用事を済ませてひと息つく。

ようやく食べる時間がやってきた。

この日も車に詰め込んだカップ麺は明星評判屋かきたまうどん。

前日は降雪であった。

この日も寒いが雪はない。

身体は冷え切るであろうと思って持ってきたのはカップうどんである。

カップうどんであるのに湯入れ3分間。

できがあがりが早い。



ふわんと香るカップ麺は食欲をそそる。

蓋に表示してあったふわふわたまごがたっぷりと浮いている。

美味そうだ。

カツオ出汁であろうか、味は美味しいほどである。

麺も固くなく喉越しが良い。

アゲさんも入っているが細かい形が十個ほど。

もう少し大き目であれば味も染み込んでもっと美味しくなるのでは思った。

(H25.12.21 SB932SH撮影)

山添村春日のアタゴサン

2014年04月25日 09時19分59秒 | 山添村へ
つい先日、NHKの番組であるならナビで山添村春日の申祭りを紹介していた。

馴染みの人たちが出演していて祭りのことを語っていた。

みなさん元気にしているし、宮司を勤める柳生の筒井一雄さんもお元気な姿で神事を勤めていた。

ここ数年間はご無沙汰している大字春日。

紹介された申祭りは何度か取材をさせていただいた。

それとは別に大字春日の祭りである若宮祭典のオトナ祭りに興味をもって取材したこともある。

これらは数年前に発刊した『奈良大和路の年中行事』に相当数の頁をさいて春日の「オトナ祭り」を紹介したこともある。

久しぶりに村の人たちの顔を見たくなって出かけた。

この日はアタゴサン。祭事の場は春日神社向こう側にある山の中。



金比羅神社、愛宕神社に天明元年(1781)に建之された冨士大権現を祀っている。

金比羅神社の行事は春と秋に行われるコンピラサンがあるが、愛宕神社の行事はこの日限りだ。

コンピラサンには幟を立てて祭りらしくなるが、アタゴサンに幟は見られない。

ひっそりとした祭りだと話す氏子たち。

あれから4年も経過すれば年齢を重ねた氏子も足腰にくる。

山を登るのも難しくなった人もいる。



それぞれの社に賽銭を捧げて手を合わせる。

アタゴサンには神職が出仕しない。

代表者が愛宕神社の前に立って祓えの詞を述べる。

集まった氏子たちも一緒に唱和する。



玉串奉奠をされて終えた村の祭りはどこか風情を感じるのである。

昔の愛宕神社は鎮座する山のてっぺん辺りにあったそうだ。

いつの時代か判らないが、当地に遷したと云う場には享保九年(1724)の刻印がある手水鉢もある。

その頃に社を寄せたのであろうか。

かつて大字春日は大字広代(ひろたい)の方角にあった。

山脇と呼ばれる地が火事になった。

それを供養するようになったという日待ちも兼ねてのアタゴサンである。

村の集会センターに戻った人たちは会場で直会。

この日は日待ちも兼ねた祭りの直会。

数年前から忘年会も兼ねるようになった場にはすき焼きの用意もした。

昔から牛肉のすき焼きだと話す寒い日にはご馳走である。

大字春日の庚申さんは二カ月おき。

御供はなぜかパンになったと云う。



3月中旬には春日神社境内社の木の宮神社で「キノミヤサン」と呼ばれる村の行事もあるそうだ。

いつかは再訪してみたいものだと思った。

(H25.12.21 EOS40D撮影)

笠で一期一会

2014年04月24日 08時51分27秒 | 桜井市へ
笠に住む婦人の東さんは里山工房を営んでいる。

貰ってきたハスの実の穴を利用して、端切れで作ったまあるい形のものを埋めて美しく飾る。

折り鶴や稲穂も添えて作る。

黒い実も入れておく。

ならまちで売れば500円。

竹編み籠いっぱいにして置けば観光客が買ってくれる。

笠のそば屋でも売っているが300円。

そば喰いの人が買ってくれる。

工房の主たる本業は草木染め。

紫草の根っこが原材料。

それで染める。

藍染もしている。

郡山の綿元さんで藍染もしている西井さんに指導してもらっている。

(H25.12.20 SB932SH撮影)

トライアルのカキ&海老フライ弁当

2014年04月23日 07時16分50秒 | あれこれテイクアウト
通じが悪いのに時間ともなればお腹がすく。

この日は極端に気温が低い。

平坦では雨だが、山々では雪が降っているであろう。

温かいラーメン、それともうどんにするっ、と思っていたがお腹のすき具合がそれを越した。

仕事を終えて直行したトライアルスーパー大和小泉店。

いつものニコマル弁当を探しだす。

どれにするかいつも迷う250円の弁当。

今回はカキ&海老フライ弁当にした。

自宅で食べようと思って湯を沸かしたがインスタントのすまし汁も味噌汁もない。

チキンラーメンでもいいかと思うが量が増える。

諦めて弁当をレンジでチンした。

こんな安い弁当なのに海老フライだと思って食べたら食感が違う。

海老は海鮮であるが、まったく違う魚だ。

なんの魚か判らないが、のり弁当などに入っているアレだ。

パックの表示と違いますやん。

ラベル印字の誤りと思ってレシートを確認した。

中身と違う弁当はレシートもカキ&海老フライ弁当である。

今年は偽装表示事件が報道でもてはやされた。

有名レストランに旅館まで・・。

とうとうスーパーまでそうなってしまったのか。

250円程度のことで怒ってどうすんのと云われても偽装表示には違いない。

なぜにそんなことを云いきれるのかといえば、陳列してあったニコマル弁当に海老フライ弁当があったのだ。

見た目も判る海老の尻尾があった。

その弁当、海老フライに魚フライもあった。

海老はあるから誤表示とは云い難い。

たとえ250円であっても偽装なのであるが、これまた美味しい弁当。

いつも満足するが、この日のご飯はやや固め。

チンが足らなかったのか、それとも部屋の温度が低すぎたのか・・・。

(H25.12.18 SB932SH撮影)

渋谷良一・南岡誠宏写真展in神戸元町Birdiephotogallery

2014年04月22日 09時05分41秒 | しゃしん
「東北・福島からのたより そして神戸」と題して始まった二人展。

委託・受託仕事の関係で知り合った二人。

平成23年3月11日に襲った東北地方太平洋沖地震によってさらに心が繋がった。

渋谷良一・南岡誠宏は写真が共通点の二人は交流を深めた。

南岡誠宏は平成7年に1月17日に発生した阪神・淡路大震災に遭遇した。

彼は高校の後輩。

我が母校である大阪府立東住吉工業高等学校の卒業生だが、就職先も同じだった。

彼は新卒入社だが、私は途中入社だった。

その後は何人かが卒業して会社に入社した。

記憶を辿ればたしか母校の体育館の壇上にあがって会社説明したことがある。

それを聞いていたIくんが新卒で入社した。

その翌年に入社したのが彼だった。

その後に入社したYくんもいた。

道は繋がったがやがて消えた。

先に卒業していた私は4期生、彼は7期生だった母校は消滅した。

平成17年3月末、大阪府立高校の改革方針にそってクリエイティブスクール(多部制単位制)の課程になった大阪府立総合高等学校として改編され、大阪府立東住吉工業高等学校は閉校された。

私にとって寂しい閉校はもう一つある。

大阪市の住之江で勉学していた大阪市立南陵中学校だ。

平成5年、南稜中学校と加賀屋中学校の校区を再編されて中学母校は廃校となった。

母校がないのがどれほど悲しいことか。

ちなみに卒業した大阪市立敷津浦小学校は今でもあることだけは認識しておこう。

復興を願った写真展は32点。

穏やかな日常や美しい景観を映し出す福島の情景。

復興をなしとげた普段の姿を捉えた神戸の街がある。

3週間前、県立民俗博物館で開催されていた「第3回 私がとらえた大和の民俗」写真展に来てくださった南岡くん。

彼が初の展示する二人展は是非行かねばと思って車で駆け参じた。

会場は神戸市中央区元町通り1丁目11-7の「Birdie photo gallery」。

最寄りの鉄道駅は阪神元町駅である。

駅から歩いて1分間。

すぐ近くであるが、近鉄郡山から電車を利用すれば片道940円。

往復では1880円もする。

奈良交通のバス代は往復で420円。

歩き、乗り継ぎ時間がかかる。

乗車時間はおよそ1時間半だ。

阪神高速道路の東大阪線より3号神戸線を利用して最寄りの京橋出口までの片道料金は900円。

往復でも1800円である。

電車賃とほとんどかわりない。

歩き・電車の乗換を避けたほうが良かろうと思って自家用車で目指す。

土曜日であれば阪神高速道路の混み具合も悪くない。

すいすい走ることだろうと思って平日を避けた。

奈良からは地道の阪奈道路を利用する。

阪神高速道路の入り口は水走(みずはい)。

我が家からはほぼ30分少しだ。

難なく通り抜けて京橋を目指すが、魚崎辺りから混みだした。

道路情報によれば生田川までが渋滞区間だ。

少々時間がかかったが京橋に着いた。

そこから神戸元町に向かうが車が多いし信号待ちも長い。

団体観光バスが道路に停まって乗客を降ろしている。

予め探しておいた駐車場が見つからない。

ぐるり周回せざるを得なかった元町付近の道路状況は最悪だ。

なんとか停めたタイムパーキングは「デビス元町ステーション」。

そこから歩いてすぐ近くだと思っていた「Birdie photo gallery」が見つからない。

それより二本筋下は神戸元町の中華街。

元町通と栄町通に跨る通りは南京町と呼ばれているが、通称であって正式な地名ではない。

早々と中国旧正月の「春節祭」の幕を掲げた長安門が迎えてくれる商業通りの南京町。

買い物観光客でごった返す中華街には目的がない。

平成堂ビル4Fにあると聞いていたが該当するビルが見つからない。

仕方なく携帯電話を鳴らしてみれば彼が出た。

近くに居るらしいので待つ。

3週間ぶりに出合った彼の体型は・・・お腹が出すぎだろう。

おぼこい顔は歳がいったがあまり変わりない。

ギャラリーは13時から開くと云う。

それに気がつかずやって来た神戸元町。



開店するまでま近くの喫茶店の「EVIAN COFFEE SHOP」で腹ごしらえ。

注文したのは580円モーニングセット。

サンドウイッチにはハムか、タマゴか、どちらかを選ぶ。

私はタマゴにした。



彼はと言えば直前に食事を済ませたそうだ。

積もる話に花が咲いてあっという間の一時間後に店を出た。

隣の店は「金時食堂」。



うどん・そばは250円に110円の「しる」もある格安食事処。

それにしても「しり」って何、と思いながら展示会場の「Birdie photo gallery」がある平成堂ビル。



何の表示もないから判らないはずだ。

狭い階段を登った4階にあったギャラリーはこじんまりしている。

渋谷良一氏との出合い、復興の願いを込めた展示作品を一枚、一枚ごとに話してくれる。

彼の心が伝わってくる作品群はどちらかと云えば説明的なタイトルに気が向く。

見たまま、感じたままが多い。

復興に願いを込めて私ならこういうタイトルをつけたいと彼に伝える。

鉄橋を通り過ぎる写真がある。

それなら「機関車」ではなく「帰還車」にしたいと思うのである。

震災以前の姿になった町や村に戻っていく。

そう思ってタイトル名を付けた。

農作物も魚介もこんなり獲れて豊作になった。

そんな情景も加えて展示してほしい。

だるま作りの作業を撮影したことがあると云う彼。

それならラストはだるまだ。

七転び八起き。

それが復興の力添え。

負けるもんかと心情を表現するには締め括りが要る。

それにはだるまが大切なのではと思って伝えた。

そんな話をしていた1時間後、やってきた拝観者が扉を開けた。

お二人の顔を見て驚く。

上牧町に住むカメラマン夫妻だ。

旦那さんは元会社の上司。

写真心を教えてくださった師匠さんでもある。

この写真撮りになったのも、作品を通じて切り取り技の心得を伝授してくださったおかげだ。

奥さんは幾度となく大きな賞を獲得されている。

久しぶりに顔を合わしてこれまた積もり話しをしていた十数分後にも扉が開いて顔を出した写真家の野本さんは上牧町の隣町に在住する。



南岡くんとは同じ会社であるが、大先輩のご両人は親会社。

3人は親会社の写真クラブ員だったことを覚えている。

一同が揃うのは何十年ぶりであろうか。

関係会社だった私たちはお互いの近況も話しのタネ。

共通する話題は写真である。

長時間に亘って滞在した神戸元町はさらにごった返していた。

これより数時間後に点灯される神戸ルミナリエの観光客の人の波。

とてもじゃないが、見る気がしない。

阪神大震災の年の平成7年12月に開催された復興の灯がルミナリエ。

犠牲者への慰霊と鎮魂のために神戸の復興・再生を願って始められたのだ。

ルミナリエを見ることもない帰宅道中は行きも帰りも阪神高速道路。

3時間半も停めていた「デビス元町ステーション」に支払った駐車料金は土曜日料金で2100円。

スムーズな帰り路は片道1時間半。

走行距離はおよそ80kmだった。

(H25.12.14 SB932SH撮影)

明星評判屋鶏南蛮そば

2014年04月21日 07時21分05秒 | あれこれインスタント
ふんわり鶏団子入りの明星評判屋鶏南蛮そばカップ麺は出汁が良い。

前日食べた麺のスナオシカレー南蛮はトウガラシが利きすぎて何を食べているのか判らない味だったが、これは美味い。

そばにカレーは合わない。

麺もそばらしい感じがする評判屋鶏南蛮そば。

湯を少しにしたのが良かったかもしれないが・・。



ネギも大き目。

これが良いのである。

コクがあるそば味はお気に入り。

団子とは思えないような食感のふんわり鶏団子は許せないが、味に満足した。

(H25.12.12 SB932SH撮影)