マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

今回、初参加の第8回 大和郡山「あったか」写真フェスタ 展】

2023年08月31日 07時07分13秒 | しゃしん
[ 第8回 大和郡山「あったか」写真フェスタ 展について ]

開催会場: 奈良県大和郡山市北郡山町211-3  入場無料/2時間まで駐車場無料
DMG MORI やまと郡山城ホール 1F展示場

開催日時: 令和5年8月31日(木)~9月3日(日) (※4日間)
   午前10時から午後5時まで
   ただし、初日の31日は設営のため、午後1時より
   最終日の9月3日は、撤収のため午後4時まで

主催: 市民団体の「四季の会」(※ 代表 塚本貴行氏)
  ※ 令和2年度「大和郡山市まちづくりアイデアサポート事業」支援決定団体

奈良新聞社さんも、イベントスケジュール(8月24日現在)に取り上げてくれた大和郡山「あったか」写真フェスタ

第8回の今回は21名(※うち8人が初参加)の市民が参加、市内外の景観・自然・行事などを自由に表現
それぞれが思い思いの写真を展示する「あったか」フェスタ

今回、初参加の私は、「カンピョウ」をテーマに、「カンピョウ」に纏わる多くの映像を出展する

なお、出展のうち3点(※組作品)については、令和2年2月15日から奈良県立大和民俗公園内・旧萩原家住宅ならびに旧赤土家離れの古民家会場に展示していた企画展「私がとらえた大和の民俗 9回 ―つくり―」の出展作であるが、世界中が、果ては日本国内においても新型コロナウイルスの感染拡大影響を避けるため、すべてのイベントや集会を原則中止・延期に。

その動静から、奈良県も県施設事業のすべてを中止せざるを得ない状況に陥り、県立民俗博物館事業も急遽、期間途中ではありましたが、中止の決断に至った。

予定していた期間のおよそ1/3期間を中止。

観覧を予定していた方々に、ご迷惑をかけることになったわけだ。

この大和郡山「あったか」写真フェスタの初参加をキッカケに“リ・ビュー”作品として、再登場することにした。

※ 添付映像は、やまと郡山城ホールが報せる8月スケジュール(※21日現在)より抜粋、画面撮りした。

(R5. 8.21 SB805SH撮影)

天理市柳本町・新町の太神宮祭

2023年08月30日 07時36分07秒 | 天理市へ
7月16日と伺っていたが、前週の日曜日に移った天理市・武蔵町の「郷神さん」

行事調査は、来年廻し。

その足で調べておきたい天理・柳本の太神宮祭。

コロナ禍の時代に、さまざまな行事は中止されているが、ここ柳本はどうされているのだろうか。

天理市の柳本の民俗調査をしていた際、ネットに見つかった史料がある。

見つかった史料は、PDF形式の『やまとし美し(※うるはし) 柳本』。

柳本町の略歴史に、年中行事や観光施設を案内する観光マップである。

柳本町自治連合会町づくり推進委員会と奈良県地域デザイン課が共同作成したマップは平成27年3月に発行したとある。

これまで調査したことがある県内事例の一つに「だいじんぐう(太神宮)」がある。

大方の地域で行われている「だいじんぐう(太神宮)」行事は、毎年の7月16日。

行事場は、地区に建つ「太神宮」石塔、若しくは「大神宮」石塔である。

地区に構成する伊勢講、若しくは村自治会が営む「だいじんぐう(太神宮)」行事。

かつてというか江戸時代に流行ったお伊勢参り。

集団、あるいは講中から選ばれた人たちが、伊勢を目指す行幸の出発に、行程の安全を願い、無事に戻ってこられるよう拝んだとされる「だいじんぐう(太神宮)」石塔である。

「伊勢街道(※古来は上ツ道と呼ばれていた上街道)沿いに建つ常夜灯の前に参集。江戸時代から続いている伊勢行きの安全を祈願する行事(※若干補正)」とある「だいじんぐう(太神宮)」参拝の日程は7月下旬とある。

平成30年7月10日に訪れた柳本

五智堂傍に建つ薬師堂行事を尋ねていた

話者は、上街道と新道が交差する十字路角地に建つたばこ屋さんの奥さんだった。

7月16日に行われる太神宮祭は、伊射奈岐神社宮司が出仕される。

上街道はお伊勢さんに参る道。

ここ柳本は、上街道沿いに、太神宮石塔は何カ所かに建っているが、祭礼をしているのは新町、鳥居、戎、片原、上長岡になる、と話していた。

それから4日目の7月16日も訪れた柳本。

伊射奈岐神社を西に下った上街道と交差する地に、四方竹を張っていたのだ。

上街道辻に近い位置に建つ石塔は常夜灯。

その並びにあった石塔。

欠損ではないが、風化激しく彫った文字は判断できないが、状況からみれば大神宮石塔。

通りがかりに撮っていた時間は、午後4時半。

もう少し待っておれば、お供えなどが拝見できるのだが、この日は予定がある。

これから向かう先は、明日香村豊浦甘樫垣内の大神宮行事

聞き取り調査する時間もなく立ち去ったが、16日は確実にしているとわかったから、武蔵町の「郷神さん」を外した次の行先と思って車を走らせた。

ところが、先に見つかったのは、新町の太神宮祭だった。

上街道を通り抜けようと思ってハンドル切りかけた辻。



お供えをしている状況に、取材チャンスを見捨てるわけにはいかない。

地区代表の新町自治会自治会長他、長老らも許可をいただき、早速の突撃取材。

17軒の新町自治会。

口々にしゃべりはじめた「まめんどう」。

ここにある建物が「まめんどう」に果てさて・・。

「まめ」みたいなお堂なのか、それとも「めんどう」な建物なのか・・・。

ここがそうやと、指さしたその建物は珍しい形態の傘堂。

「まめんどう」をキーにネットをぐぐったら「五智如来を表す不思議建築の『長岳寺五智堂』・・」が、一本足で建つ不思議な建造物は、国の重要な文化財。

真ん中の柱は心柱。

一本の柱で支える建造物は、どっちを向いても正面に見えることから。

「まめんどう」と呼ばれている、と話す。

充てる漢字が「眞面堂(まめんどう)」。

管轄は、東に数キロメートル離れた地に建つ長岳寺

心柱上部に、四佛の梵字額があり、全体で五智如来を表しているそうだ。

今日の目的は、「眞面堂」でなく、辻際に建つ石塔である。

西に「太神宮」、南に「天満宮」。

北に「永代常夜燈」。

それぞれの方角から拝礼する石塔。

「太神宮」は、伊勢神宮に。

「天満宮」は、柳本の氏神社である伊射奈岐神社に・・・。

かつては、まめんど川と呼ぶ小川の傍に建っていた。およそ50年前。

この辻から東を南北に走る国道19号線と結ぶ拡幅新道の工事。

それまでの道、つまり村の里道は、石塔の際々を東西に向かう旧道が一般道であった。

新道を地図で見ればよくわかるが、もともとある里道から、大きくうねって作道されたバイパス道である。

86歳のNさんがいう。

75年前のここは小学生のころの集団登校の集合場所。

柳本小学校に集団登校していた3地区(※笠堂とも呼ばれる真面堂”まめんどう”村と新地に新町地区)の子どもらが集まる場だった。

当時の子どもらは、太神宮塔の周りをぐるぐる廻ったり、石塔に攀じ登って遊んでいたそうだ。

また、現在は、ここに石塔はあるが、実は移築したもの。



元の位置は、四つ辻のど真ん中に建っていた、という。

台座に「新町中」。

東の面に「天保八年(1837)」□□建之」とある歴史建造物。

今から185年前の住民。

新町中の人たちが、「文政のおかげ参り」が流行った8年後に建之したもようだ。



さて、お供えを並べて、祭主を待つ新町地区の人たち。

予定時間を、少し過ぎたころに到着した笠松健宮司。

本社の伊射奈岐神社行事の大神宮祭を終えてからやってきた、という。



宮司の到着を待ってローロクに火を灯した。

コロナ禍の今年は、新町中の厄払いも兼ねて行われた太神宮祭。

神式に則り、祓詞に修祓。



蝋燭を灯した祭壇に供えたお神酒の口開け、献饌、祝詞奏上、代表者による玉串奉奠。

撤饌を経て神事を終えたらお神酒を口にする直会。



その場で立ったままの直会。

コロナ禍の今年は、あっさりと締め括られた。

祭壇などを片付け、すぐに解散された。

宮司は、次の祭典場に直ちに移動。

次の場の取材に、車で後を追っかけた。

(R3. 7.16 SB805SH/EOS7D撮影)

天理・武蔵町の郷神さん調査

2023年08月29日 07時45分29秒 | 楽しみにしておこうっと
天理市杣之内町に住むN氏もが編集の一員としてまとめた『天理市の歳時記』の控えが手元にある。

平成22~23年度・天理市社会教育委員会(生涯学習・人権部会)が編集した史料(仮版)に、7月16日に行われる地域行事がある。

「郷神さん」の名称がある武蔵町の行事。

「地区の東の入り口にあたるところに、「太神宮」の文字を彫った石塔の灯籠。5組の伊勢講加入所帯から1名が代表に参加する。宮座5人衆とともに祈願する行事。終えた講中は、各組の当番家で伊勢神宮に祈願し、会食をする」と、ある。

平成23年の7月16日の午後6時に「ゴウシンさん」のメモ書きがあった。

何かの具合に、武蔵町の行事を知ったからメモしていた、と思うのだが、記憶にあるのは、その「太神宮」塔に、しめ縄を張った四方竹を通りがかりに、目撃したからであろう。

その日は、明日に行われる毎月の営みに準備していた田原本町・伊与戸の大師講の人たちにゴウシンサンの件を聞いていたから、海知町に武蔵町などに行っていたのだろう。

コロナ禍の時代に、さまざまな行事は中止されているが、「郷神さん」はどう対応されているのか、も知りたくて車を走らせた。

尤も、武蔵町の「郷神さん」も中止の判断をされているなら、そのまま戻ってくるワケにはいかないから、外したときを考え、その先にある柳本も調べることにした。

自宅からおよそ40分で着く武蔵町の太神宮。

人影もなく、四方竹を張った形跡すらない。

この状況で吹きさがるわけにはいかない、と判断して近くの民家を訪ねた。

奥から出てこられたY家婦人が云うには、先週日曜の11日。

午後5時だったか、6時か覚えてないが、実施していた、という。

16日の固定日から、みなが集まりやすい日曜日に移していたのだった。

実施しているとわかったが、来年はどうなるのか、村でいろんな意見が出ている、という。

コロナ禍もあるが、若いもんから意見が出ているそうだ。

数組が交替する年番組によって実施してきたが、組自体を辞退するような動き、もあるらしい。

史料によれば、5組が交替する年番対応だったが、おそらく組によって、軒数の隔たりが出てきているのではないだろうか。

また高齢化への片寄り。

或いは、若いもんばかりの組では、仕事で村の行事に参加し難くなったのか。

県内、どこも同じような問題を抱える課題に、今、大きく変容しようと協議を重ねているのかもしれない。

もしかとすれば、だが来年の「郷神さん」は中断している可能性もあるようだ。

(H23. 7.16 記)

天理本通り・食料品店の刺しさば調査

2023年08月28日 08時14分08秒 | 民俗あれこれ(売る編)
今年の2月。

雪の降る日に立ち寄った奈良の天理本通り

なにげに入店した食料品店に、棚売りしていた干物のヒダラがあった。

ヒダラを売っているなら、もしかとしてお盆に食べる刺しさばも売っているのでは、と思って声をかけたら、売っている、という。

千載一遇の出会いにご縁をいただいた刺し鯖売り。

半年後の夏。

売られる時季になれば、教えてください、とお願いしていた。

そろそろ入荷される時季になった、と思って電話をかけたら、6月末に製造販売元に発注し、7月初めに入荷した、という。

売り場の写真を撮らせてもらっていいですか、とお願いしたら、値札は外しときます、という。



SNSに投稿されるのは構わないが、商売上、競合他社に、商品値付けを知らせるのは、御免やで、と・・。

枚数にして十数枚の刺し鯖。



売りきり注文した刺し鯖は、7月末で販売を〆る。

1カ月に売りきる刺し鯖であるが、昨年は早めに売れたようで、追加発注をした、という。

刺し鯖を買う客層は、どんな人なのかわからないが、数年前の行事取材に出会った旧五ケ谷村に住む平成27年当時82歳のIさんは、ここ本通りで刺し鯖を買っていたと、想定される食料品店。

奥に在庫もあるのでは、と思って尋ねた、今年の仕入れ枚数は・・・。

これもまた企業秘密・・と、いうことだ。

おまけに、店名も伏せてほしい、と願われた。

これまで、県内3カ所、3店舗で売っている刺し鯖は、すべて味見した。

いずれも、一口食べて、しょっぱぁーい、と、思わず口に出るくらいに塩辛い刺し鯖。

ここ本通りで売っていた刺し鯖一枚を購入し持ち帰り。



ノルウエー産の鯖を、刺し鯖に加工販売する水産加工事業者は、福井県丹生郡越前町のヤマヒラ商店㈱

若狭名物の一本丸ごと串焼きする焼き鯖の作り方は、テレビやSNSなどで多くの事例を紹介されているから、その加工手段はわかるのだが、刺し鯖は・・・

機会があれば、刺し鯖民俗調査の一環に刺し鯖加工はどのようにされているのか、工場見学してみたいものだが・・。

買ってきた刺し鯖は、今も冷蔵庫保存。

焼きを入れて、我が家で食べることになれば、また公開しようと思っている。

ちなみに、製品は真空パック売り。

店主の話によれば・・・。

かつて売っていた刺しサバは、日焼けのように真っ黒けだった。

昭和40年代の刺しサバは真っ黒けだったが、いつしか健康志向に清潔さを求められ、塩分は10%~15%どまり。

真空パック技術もあってパッケージ化。

汚れもつかない刺しサバ売り。

独特の匂いも拡散しない真空パック保存。



その昔は、パッケージもなく、真っ黒けの刺しサバをそのまま棚売りしていた時代を忘れそうになる。

ここら辺りの人は農家が多い。

暑い夏にバテないよう塩分を摂ったようだ、と話してくれた。

「刺しサバの流通は、福井・小浜から送りだされるサバ街道によって、奈良にも流通したと思う。7月末で売りきるのは、お盆のお家の刺しサバ習俗とは関係なく、8月10日ころまでに食べていた。お盆に食べる、というようなあり方ではなかった。だから7月末で売りきる」と、断言された店主であった。

(R3. 7.15 SB805SH撮影)

横井町・瘡神さんの青井神社の夏祭りは・・

2023年08月27日 07時58分13秒 | 奈良市へ
前年の7月15日、16日の両日は、下見調査をしていた。

調査地は、奈良市横井町の青井神社

昭和40年過ぎまで行っていた瘡神さん。

「旧添上郡明治村(※明治22年成立~昭和30年消滅)・北永井村小字登坂」の地に鎮座していた、と教えてくれたのは、現在、大和郡山市・櫟枝に住むIさんだ。

Iさんに初めて出会った場は櫟枝の地。

水口まつりの実施状況を調査に現地入り

県内事例にまず浮かぶことがない苗代に立てる護符がある。

最近は、印刷された護符も見かけるようになってきたが、古来より版木刷りだった。

刷りに使用するのは筆墨。

版木でなくとも、墨書されているケースが多くある。

その墨に、なんと、竈で火をくべた際、竈の内部に付着する「煤」を集め、水に溶かした「墨」だった。

触感がザラザラしていたのでわかった古来の手法。

尤も、今もなお本格的な墨の原材料は、灯明を燃やした際に発生する「煤」である。

そのことを確認したく、集落に移動。

そのときに出合ったのが、Iさんだった。

そのIさんは、かーさんが所属する卓球クラブの会員。

ひょんなことからわかったご縁つながり。

Iさんが、思っている私なのか、それとも・・・

きちんと挨拶しておきたい、と思って出かけた表敬訪問

顔が一致した、と云ってくれた。

そのIさんが、生まれ育った出里が、奈良市横井町。

かつては「旧添上郡明治村(※明治22年成立~昭和30年消滅)・北永井村小字登坂」の地。

そこが瘡神さんこと、青井神社。

それもまた、ご縁と思って昨年に調べた地に、まさしく青井神社が鎮座していた。

鎮座地は、代々社家を務めるお家が所有地。

前年の今頃に伺い、取材願いしたくさがみさんの夏祭り。

行事日程を伺っていたので、その時間に間に合うよう出かけた。

到着した時間は、午後1時半。

提灯も立てている青井神社。

角庭の表玄関入口から、白い玉砂利を本殿まで敷いていた参拝道。



小雨降る状況にタープを張っていた。

夏祭りの様相に、やっと出会えた青井神社の夏祭り。

入口に古くから使われてきたことがわかる太鼓(※昭和初期製作)を据えていた。



おそらく夏祭りの神事をはじめる呼び太鼓であろう。

呼び鈴を押して挨拶した青木家。

屋内から出てこられた家族さん。

奥さんが話してくれた今日の夏祭り。

提灯1基を立て、雨天予想に神職も濡れるからと、タープも張り、御供も供えた。



が、当主の旦那さんが急遽、事情を生じたため、今年の行事の取材には、応じられないので、来年にまたお越しください、と伝えられた。

事情が、事情だけに、ご心配される家族さん。

頭を下げて帰路に就いた。



たしかに天候は不安定な状態。

しばらくしたら真っ黒な雲湧き。

天理と同様のどしゃぶりになった模様。

後片付けも難儀されたことであろう。

帰宅してからのネット調べ。

奈良市の施設、南部公民館情報によれば、「・・・『青井社由緒書』には、疱瘡を病んだ小町の夢にあらわれた神童のこと、平癒した小町は、自分の黒髪を切り、地中に埋め塚とした。小町塚鎮守疱瘡神といい、社殿のなかに土を盛り上げた土壇があるようだ。なお、青井社絵図によると、小町伝承の霊水の井戸は、神水として描かれている。井戸は現存する。・・・[「小町の宮」碑 由来記 (帯解寺)より抜粋]」、とあった。

南部公民館から東に行けば帯解寺がある。

その帯解寺の寺域に、平安時代の歌人、小野小町にまつわる「小町の宮」がある。

「小町宮址」が確定して以来、小町の命日である4月24日は、法要を執り行っている、とあった。

青木神社・グーグルクチコミに、小野小町伝承の書き込みがみられた。

(R2. 7.16 SB805SH撮影)
(R3. 7.15 SB805SH撮影)

横井町青井神社・瘡神さんを訪ねる下見調査

2023年08月26日 07時42分31秒 | 奈良市へ
「生まれ故郷に今でも疱瘡まつりをしてるやろか」。

そう話していた女性は大和郡山市内の櫟枝町に住むIさん。

嫁入りしてからはずいぶんとご無沙汰している故郷。

自家用車に乗ってあっちこち出かけるIさんは、現役バリバリ。

年齢は88歳の卓球クラブ員。

噂によれば、それは、それはお元気なご様子。

出里は奈良市横井町。

今でも疱瘡神社を「くさがみさん(※瘡神)」と呼ぶIさんが育った時代。

「旧添上郡明治村(※明治22年成立~昭和30年消滅)・北永井村小字登坂」の地に鎮座していたようだ。

疱瘡神社の鎮座地を探す目的に出かけた令和2年7月15日。

所在地がまったくわかっていないから、カーナビゲーションの力を借りて探した下見調査は、果たして・・・

北に向けて走っていた国道。

右手に、見えた鎮守の森。

その辺りに行けば、なんとかなるだろう。

う一ん、鳥居が見つかったが、ここはどこなんだろうか。

水草がいっぱいに広がっている石の構造物。

これはいったい何だろうか。

水は溜まっているが、実に浅い。

手水鉢でなく、これは礎石では、と思った。

鳥居から西へ、西へと参拝道。



振り返り見れば、東に山々が。ここからは見えなかったが、左手に若草山がある。



奥に入って参拝。神門をくぐって、本殿に参拝。

ここの神社は、いくり(伊久里)の杜に鎮座する穴栗(あなぐり)神社。



万葉歌碑を設けている神社に訪れる人は多く、鎮座地が「日本書紀」景行天皇の条にある「春日穴咋邑」に推定されていることから歴史ファンも来訪しているようだが、私の調査は民俗行事。

どなたにも遭うことなく、ほんの数分間の滞在。

鳥居をくぐった辺りから、やぶ蚊がいっぱい。

痒みは、身体のあちこちに広がる攻撃。

早々、退散した神社。

時間帯も夕刻近く。

その日の下見はここまで。

翌日の16日にも訪れた奈良市横井町。

実は、手元に出里が横井だ、と云ってくれたIさんのメモがある。

よくよく見れば、「くさ上さん」に、「青井神社」のメモ記である。

そうか、「青井神社」が、探していた瘡神さんこと、瘡神神社であったのだ。

ネットに、見つかった青井神社

ネット情報によれば、上街道沿いにある青井神社。

立地がわかった以上、再訪問するしかない。

関係者と巡り合えるかもしれない。

そう、思って車を走らせた。

その地は、まさに奈良から天理に向けて南北につながる上街道。

古来は、上ツ道と呼んでいた。

天理からは桜井へ。

そして長谷寺までの一本道。

の見方えあれば、長谷街道。



昔から街道沿いに暮らしてきた人たちは、必ずや上街道か長谷街道、と話してくれる歴史的に旧い街道である。

ちなみに、昭和初期の8年に発刊された高田十郎編/『大和の傳説(絶版)』に、疱瘡神・青井明神の項に掲載されているようだ。



広地に車を停めて、少し歩いたところに見つかった「青井神社」。

民家の庭に鎮座していた「青井神社」。



扁額をみて、間違いなくここだ、と思った。

神社の関係者は・・・。

立地する民家に住む方に尋ねるのがたしかな情報、と思い、呼び鈴を押した。

屋内から出てくださった青井家の家族さん。

大学生と思われる若い男性の話によれば、当主は今、出かけているので詳しいことはわからない、という。

ただ、前日の7月15日の午後の時間帯に、神職に来てもらって神事をしていたようだ。

名刺を渡して、来年の15日に、また伺います、と伝えた。

あらためて拝見した青井神社。

扉は閉められているので、内部の様相は見えないが、社前に建つ石燈籠に「疱瘡神社」。



比較的新しい、文久二年(1862)の建之である。

(R2. 7.15、16 SB805SH撮影)

見納めの矢野建彦遺作展~大和路をみつめて~inDMG MORIやまと郡山城ホール

2023年08月25日 08時18分53秒 | しゃしん
14日、水曜日の初日は正午から。

最終日の19日、月曜が午後3時まで開催していた「矢野建彦遺作展」。・・終了しました

かつてないレイアウト構成に大作が映える。

駐車場から見た窓に3枚の写真を並べたら、写真か美術画廊そのものである。



通る人が目につくようになっているし、これまでどこの展示でも閉ざしていた西側のパネルを取っ払って、中央向こうから来られるお客さんの目が行くようなレイアウト。

実に開放的な展示構成に目を見張る。

受付は故矢野建彦さんの妻。

朝から展示作業協力、出展作もある写真家のNさんと話していたおりにいわれた。

「この展示終えたら額縁はさておき、プリントはみなに持って帰ってもらおうと考えている」、に、えっ・・・

会場でばったり出会った写真家たち。

しばらくぶりだね、にDMG MORI やまと郡山城ホール1階にあるカフェ・カステッロでお茶会。

写真家Kとの話題は民俗。

山添村・的野八幡神社社務所東に二十三夜講碑がある、という。

奈良県内に、ごく僅かしか見つかっていない二十三夜講碑。

神社行事や、村行事を取材してきたが、そりゃ知らなんだ。

場所は、あそこだと認識しているので、また再訪してみたくなった講碑の状態。

また、県外の民俗に話してくれた和歌山県の花園御田舞(おんだまい)。

隔年実施に、ひっそりしていると思って訪れたが、カメラマンの多さに驚いたそうだ。

御田舞に、60年に一度の所作もあるようだ、と現地で聞いたその舞。

60年間の空白期間にはてさて。

行事の所作以上に、装束に祭具もある。

これらすべてを村の人たちが後継に繋ぐ手段は?

実は、継承していくために練習を重ねている。

表舞台には登場しないが、継承していくために、練習場を地元会館に決め、本番さながらの所作を毎年行っているようだ、と・・・

ところで、知り合いの女性カメラマンが、参加している「城ケ丘写真クラブ」が、もう一方の写真クラブと合同展示される写真展の案内ポスターが・・・



本日の展示会場と同じ会場。

予定していたが・・・

(R3. 7.14 SB805SH撮影)

日清食品のラ王醤油味で食べる黒亭黒マー油かけから揚げラーメン

2023年08月24日 07時32分04秒 | あれこれテイクアウト
旨いと思い込んでいたラ王醤油味で食べる高菜から揚げラーメンの味は予想に反し、旨くはなかった。

5袋入りのラ王醤油味もいよいよラスト。

残りの1袋は、やっぱりというか、これしかないだろうと思って愛用している黒亭の黒マー油をかけて、ラ王醤油味の〆の旨味を飾りたい。

昨夜の晩ご飯におかずがから揚げ。

おふくろも大好きなから揚げがまたたく間に皿から消えていく。かーさんも大好き、私も・・・。

個数は数えていないが、ほんまに食べきれるんかいな、と思ったくらいのから揚げ個数。

すまんけど、2個残してほしいんやけど・・・。

玉子も落として炒めたもやしも売り切れ寸前。

明日のお昼にラ王で食べたいんだから、これもちょっと残してくれー、必死に叫んだ。

さぁさ、やってきたラ王醤油味喰い。

まずは、フライパンに散りばめたフライドガーリック。

煙が出る前に投入した、昨夜の残りもの。

もやしにちくわも入っていた炒め物残りを、香りづけ。



旨味成分が、ぎっしり詰まったところで火を切る。

もうひとつの残り物はから揚げ。

冷蔵庫に入れていたから、冷たい状態。

電子レンジでチンして冷たさをとっておく。

そして包丁を入れてスライス切り。

これがうまくいかなんだ。

包丁の研ぎが悪かったのか、スライス化できずにぐちゃぐちゃ。

食べて口の中に入ったら、一緒・・・、なんてことをいってもしゃぁない。

日清食品のラ王の湯戻し時間はおよそ3分間。

予めラーメン鉢に落としていた旨味スープを茹で汁で溶く。

すべての準備が整ったら、麺入れ。

次いでもやし炒め。



ガーリックの香りが食をそそる。

次にから揚げを周囲に・・。

最後に落とした黒亭の黒マー油。



たらーり落とした黒マー油。

その瞬間に旨さが、鼻に吸い込まれていう。



板海苔2枚を添えて、胡椒を振る。

何かが足らない。

おっと、忘れていた刻みネギ。

冷蔵庫には青葱しかない。

今から包丁を入れていたら、せっかくのラーメンがふやける。

刻みネギは断念したが、黒亭黒マー油かけから揚げラーメンがむちゃ旨い。

久しぶりに口にした黒亭の黒マー油が、うまっーーい。

ラ王そのものも旨いが、より一層に旨くなった。

箸が勝手に動く。

停めようにもとめられない箸の動き。

摘まんで食べる旨味ラーメン。

ずるずる、ずるずる、ずーっ。

ひっきりなしに動く箸、口、喉・・・ほんまに旨い。

〆に選んだトッピング。

見かけは悪いが、味は保証、絶品の味。

やっぱ、黒亭の焦がしにんにく黒マー油の力って、すごいわ。

高い評価に口コミされている黒マー油

これ1本で、本家本元の黒亭の熊本ラーメンよりも美味く食べられるのが嬉しい。

(R3. 7.12 SB805SH撮影)

エバラ食品・プチッとうどん釜玉だしで食べるえび天うどん

2023年08月23日 07時48分56秒 | あれこれインスタント
前日にかーさんが買ってきた揚げたてのえび天。

売値が100円とは思えない大きいえび天。

食べて見たら・・スカスカ・・なんてことには、ならなかったスーパー松源。

お店で揚げる天ぷらはいずれも油がいいから、美味しくいただける。

私が、買ってきたのはスーパーサンデイにあった157円のニチレイの冷凍うどん。

その数日前に立ち寄ったスーパートライアルに見つけた178円売りのプチッとうどん釜玉だし。

3点揃ったから、お昼はこれにしよう、という。

冷凍うどんは茹で戻し。

冷水で洗い、氷水で〆た冷凍うどんは、コシが強くなる。

生玉子を落として刻み葱。

揉み海苔もぶっかけてからたらたら落とすプチッとうどん釜玉だし。

濃縮だしの鰹だしが香る旨だし。

ポーションタイプのプチッと容器にへばりついただしがもったいないが・・・。

久しぶりに味わう「焼津産鰹節と瀬戸内産煮干し」が香る讃岐風釜玉だし。



一口、二口、三口・・・これまで、食べていた旨味に悦びさえ感じる。

暑い日には、冷たいうどん。

コシの強い麺に最強の魚介だしに、しっとり・・。

これまで食べてきたプチッとシリーズ。

まだまだ食べてみたい商品がある

辛み系は、ご遠慮味になってしもうたから選択から除外。

期待する商品は、ゆず塩鯛だしうどんにカレーうどんとすだちおろしうどん、安価、特売コーナーに見つけたら、手を伸ばそう。

(R3. 7.13 SB805SH撮影)

ニチレイフーズのカレーうどんの素で食べるチーズかけ冷凍うどん

2023年08月22日 07時51分51秒 | カンタンオリジナル
レトルトパウチ食品のカレー製品は、世の中に五萬とあるが、格安値段で販売するケースは、特売しかない。

常に特売を謳っているスーパーもあるが・・。

地域カレートとか、特別調理した特別なレトルトカレーは、専門店の味を好む人向け製品。

私には不釣り合いな専店の味。

食べるなら専門店で、と思っている。

この日も、またハッスル5スーパーで売っていた59円売りのハウス食品・咖喱屋カレー

これまで食べてきた大満足の大辛以外も買っておこうと思って辛口に中辛も。

そろそろ、お昼ですから、どうされますか、の問いに答えたチーズかけカレーうどん。

やばいことに旨味に嵌ってしまったようだ。

今日買ってきたばかりの、ハウス食品・咖喱屋カレーは置いといて・・・。

棚から選んだレトルトカレーはニチレイフーズのカレーうどんの素。

カレーリゾットにも使える昆布だし風味仕立てのカレーうどんの素。

容量は、なんと、1~2人前とあるが、味は・・・。

辛口とも、甘口ともわからない表記なしのカレーうどんの素

つまりカレーうどん専用に作られた製品ということだろう。

ニチレイフーズのカレーうどんの素の賞味期限は2022年10月13日とあった。

1年どころか、1年と3カ月先が賞味期限。

買い置きしている箱入りレトルトカレーの賞味期限を拝見。

なんと、だいたいが1年半以上もある。

商品によっては5年保存タイプも販売されている。

長期間のうえ、常温状態で保存できるレトルトカレーは優れもの。

災害対策用に非常食としては最適だと、再認識した。

さてさて、話題は、十数年前に遡る。

かつて京都にすごく近い高原地区の一角にあった食事処。

住宅街にあったカレーうどん専門店。

その味は抜群の味だった。

だしは明らかに和風だし。

とろーり感のあるカレーうどん。

とろみ付けに用いた調味は小麦粉であろう。

そのとろみが、熱々カレーを冷まさない、食べきるまで熱々味を誇った実力あるカレーうどん。

もっぺん食べたいと探してみたが、見つからなかった。

息子の長男に聞いてみたら閉店したもよう。

残念だが、それからも夢見るあの専門店の味。

たしか長ネギが入っていたし、わずかだが牛肉もあったような気がする。

そのことはともかく、冷凍うどんを茹でて解凍している間に、カレー皿に盛ったカレーうどんの素を電子レンジでチン。

設定時間は1分40秒。

適当に決めたチン時間。



茹であがったうどん麺を、カレーうどんの素に盛っていく。

そしてとろけるチーズ。



ピザによく使われるタイプのとろけるチーズをのせて、再び電子レンジでチン。

チーズが溶けるていどなので、ここは30秒。

箱パッケージに調理時間は10分とあったが、およそ3分間でできあがった。



福神漬けを添えて、チーズカレーをうどんに絡める。

絡めて、絡めて口に入れた一口目。

大辛でもない、辛口でもない。

やはりというか、甘口に近いカレーうどんの素であるが、これもまた旨い。



若干の塩味をもつチーズが利いているのだろう。

とにかく、最後まで美味しくいただいたニチレイフーズのカレーうどんの素で食べるチーズかけ冷凍うどん。

次に挑戦するレトルトカレーは、さてどうするか。

(R3. 7.10 SB805SH撮影)