マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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下笠間I家のモチ行事

2009年12月14日 08時20分06秒 | 大和の郷土料理
下笠間のI家では年中に亘り餅を搗いているという。

三宝荒神さんは三段餅、恵比寿大黒さんの餅は小判型で二個、稲荷さんは中小の二段重ね餅、神棚、先祖さんも同じく中小の二段重ね餅。

年末の28日辺りに搗いて正月に供える。

荒神さんは慌てる神さんやから一番先に供えるという。

1月7日は山の神さん。

小判型の餅を男の人数分だけ供える。

二房の太い藁棒の中にモチを入れた。

モチの端っこを二つほど切り取って七草粥に入れた。

雑煮と一緒で取り出してキナコをつけて食べる。

綿を作っている時代やった、今はしてないと断って話されたのはナリバナの餅。

ちぎってヒラドの枝に取り付けた。

その木は手で触るとモチっとした木のツツジやったという。

おそらく五月に花が咲くモチツツジであろう。

旧暦の1月3日や十三夜、十五夜、二十三夜、二十六夜は月の数だけのモチを供える。

閏年は月数が13なので丸い餅数は13個にする。

それは中央に突き出したヘソのような形のモチだ。

その中には一つだけ形が違うモチがある。

三日月型だ。これにもヘソがある。

これをミカヅキサンと呼ぶ。

なお中央のヘソはホシサンと呼んでいる。

3月3日はお雛さんの節句。

大きな一対のヒシモチを作っていた。

お嫁さんの親元などに配った。

春のお彼岸はクサモチ。

ヨモギ団子だったといって餡をくるんでいた。

これは実家の毛原でしていたそうだ。

5月5日は男の節句。

軍配型のチマキを作った。

萱の葉を巻いて茎で締めた。

先っぽに竹の串を中まで差し込んだ。

男児が生まれた家はモチを搗いてチマキを親元に配っていた。

チマキは五本。五本で1束、それを2束で1組。

息子に子供ができたときは10組ほど作っていた。

チマキを食べるには釜で茹でてゴマシオをふりかける。えー味やったという。

ハゲッショウ(半夏至)、ハガタメ(歯固め)のモチはしていない。

お盆のときもない。

秋の彼岸もモチを供える。

セキハン(赤飯)も作っている。

九頭神社の秋祭りもモチを搗く。

昨年まではキョウをしていた。

17歳以上の男の子の数だけ作る。

昔はトーヤさんの家で作っていた。

トーヤさんは本トーヤにアイトーヤさんがあった。

朝6時ごろにモチをもらいに行く。

カマス、のっぺ汁にモチになる。これを受け膳と呼ぶ。

今年は10月18日の日曜日やった。

カマスは不都合のないように長さを測る物さしがある。

享保二年(1717)の銘記があるというからおよそ三百年も使っている秤だという。

その物さしで測って、長ければカマスの尾っぽを切るそうだ。

11月は亥の子の日のイノコモチ。

一年の締めくくりというか、正月にかけて供えるモチがある。

ミズのモチという押しモチ。薄く伸ばす。

それは若水さんのモチ。

元日の朝、主人が井戸の水を汲みに行って、バケツに括り付けるモチ。

長い箸にモチを挿す。先っぽは葉付きのコウジミカンを挿す。

こうしてその年も一年が始まる。

モチは家人の健康や豊作を年中祈る大切なハレの食べ物であろう。

(H21.11.22 SB912SH撮影)


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