マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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初午およびニノ初午にハタアメが見られる地域分布を調査

2016年09月30日 09時51分58秒 | 民俗あれこれ(ハタアメ編)
初午、或は二ノ午の日にハタアメ(旗飴)を地域に住む子供たちに配ったりする地域がある。

地区の稲荷社に供えたハタアメを配る地域もあるが、圧倒的に多かったのはお稲荷さんを祀っていた商家や商店などにやってくる子供たちにあげていた、ということだ。

稲荷社に供えたハタアメを地区の子供たちに配っている地域を挙げる。

ひとつは、平成26年2月14日に訪れた桜井市箸中・稲荷大明神(※7)の二月初午祭だった。

10年前まではあったと村人が話した地域は高取町丹生谷・赤穂稲荷大明神

神社にやってくる子供たちに配っていたという。

三月のニノ午にハタアメを供えていたのは桜井市三輪字馬場・成願稲荷神社(※7)であるが、配る対象者は子供でなく、参拝者だった。

葛城市山田に鎮座する三神社(※7)でも参拝する村の子どもたちに配っていた。

平成17年ころぐらいまではあったとされる桜井市多武峰の談山神社末社の三天稲荷神社(※7)。

地域の人は親しみを込めてサンテンサンの名で呼んでいた稲荷社に子供たちが集めた奉賛金を奉った。

行事が終われば奉賛金と一緒にハタアメを貰っていたらしい。

談山神社の禰宜さんの話しによれば、子供たちは浅古辺りの地域の子たちのようだ。

神社行事は大和高田市岡崎(※7)の稲荷神社にもあるらしいが、実態は拝見していないので不明である。

祭り行事でお世話になっている三郷町の坂本巫女の話しによれば出仕される広陵町中に鎮座する小北(こぎた)稲荷神社にハタアメを供えていると連絡があった。

写友人のUさんが調査された情報もある。

広陵町中の小北(こぎた)稲荷神社の分霊を祀ったとされる橿原市小房町に鎮座する小北(こぎた)稲荷神社にハタアメ御供を見たそうだ。

また、前述した葛城市山田に出仕された持田宮司が出向かれる兼務社が鎮座する大字山口や梅室にもあったと聞いた。

梅室は途絶えたようだが、山口は今尚供えているようだ。

先のUさんが足で稼いだ情報に屋内に祀ったお稲荷さんの神棚にハタアメを供える家もある。

橿原市小房町の〇石亭は食事処であるから商売繁盛にお稲荷さんを祀っている。

なるほどと思った。

Uさんが調べた地域に同市膳夫町がある。

当地では4軒の民家・商店が貰いにやってくる子どもたちに配っていたそうだ。かつては商売をしていた民家に駄菓子屋もあれば新聞屋さんも、である。

Uさんの行動範囲も広い。

さらに判った地域は同市の南八木町。

製菓店の稲荷神棚に旗飴どころか、稲荷寿司やセキハンも供えていたという。

つい先日に知った御所市の玉手。

同じように稲荷社を祀っている民家が配っていたことも知った。

ハタアメは奈良県特有であるのか、ないのか。

それを調べるにはネットで語られるスレしかないであろうと思って相当数の時間をかけて拾い上げてみた。

結論から言えば前述した地区もあるが、並べてみれば桜井市、橿原市、大和高田市、広陵町、葛城市、御所市などの県中央部。東西に広がる幅狭い地域で行われていることが判ってきた。

詳しくは避けるが、大雑把な地域を羅列する。一部については断定できずに当て推量で分類した地域(※)もある。

どのような処であったのか、さらに分類すればより判りやすいかも、と思って仮整理する。

(※2)は駅前商店街、(※3)はスーパーレジ配り、(※4)は商店、(※5)は商家、(※6)は民家、(※7)は神社としておこう。

奈良県の東部から西部に向けて辿って所在地市町村を並べてみる。

まずは、桜井市。多武峰(※7)、倉橋(※6)、浅古(※6)、河西(※6)、外山(※5)、三輪(※7)、箸中(※7)、大福(※5)にある。

橿原市は膳夫町(※4)、出合町(※4)、常盤町(※3)、石原田町(※3 中断)、山之坊町(※4)、醍醐町(※3)、葛本町(※6)、新口町(※4)、北八木町(※4)、八木町(※4)、南八木町(※4)、小房町(※7)、四分町(※3)、大久保町(※2)、久米町(※2)、見瀬町(※4)、小綱町(※5)、曲川町(※2)だ。

なお、出合町や石原田町もあったが現在は中断しているとUさんが云っていた。

南へぐっと下がって高取町は丹生谷(※7)がある。

大和高田市は土庫(※6)、大中(※7)、岡崎(※7)にある。

さらに西へ西へと向かうが、田原本町にはなぜか該当する大字が出現しない。

そう思っていたが、この年の6月25日に訪れた矢部にあった。

あったといっても随分前のことである。

ハタアメのことを話してくれた男性は三代目を継ぐ呉服屋店主。

商売につきもののお稲荷さんを祭る。

地区ではたったの一軒の商売屋さん。

子供がもらって嬉しいハタアメを置いていた。

2月の初午の日である。生活文化の変化に伴っていつしか廃れた。

「もらいに行きな」という育った文化に馴染まない親の一言で廃れていったように思える。

広陵町では中(※7)、南郷(※6)だ。

葛城市は山田(※7)、山口(※7)、新庄(※4)、當麻(※4)。

北に上がった香芝市の旭ケ丘(※4)、穴虫(※4)があった。なお、梅室(※7)は中断している。

そして、御所市の玉手(※6)である。

これまで挙げた市町村は奈良県中央の盆地部。

若干の地域に北部寄り、或は南部寄りもみられるが、ほぼ平坦盆地部の距離20kmを横断している。

分布は、ほぼ帯状に広がる特異な地域はだいたんに仮想する。

古代の官道の横大路に沿っているように見える。

幅広いこの横断地帯を勝手ながら「ハタアメベルトライン」の名で呼ぶことにした。

なんとなく人の手によってハタアメ文化が流通したとも考えられるが、ハタアメ文化は古代まで遡ることはないと思う。

ただ、何故に横断したのか、どこが出発点だったのか、もう少し情報がいるだろう。

今もなおされている地域を訪ねてハタアメをどこから調達しているかを調査してみたい。

製造元、或は販売元も調べることで点が線に繋がるのでは・・・と思っている。

ただ、未確認ではあるが、宇陀市の大宇陀(※4)にもあったような小学生のころの体験談スレがあったことを付記しておく。

スレ書きしないハタアメ体験者は、もっと多くの地域にあったような気がしてならないことも付記しておく。

不確かな情報だが橿原市新口町の商店(街)にあったハタアメを「おばちゃんハタアメ頂戴」と云って襲撃していた記事がある。

橿原神宮近くのニュータウンに住む人が平成25年3月7日の夜にアップしたブログに陸上練習に行った帰りに娘がハタアメを貰ってきた。

ちなみにある人のコメントによれば橿原神宮前駅から畝傍御陵前駅辺りにあったという証言もある。

駅でいえば金橋駅や耳成駅、大福駅の商店にもあったという人もいる。

駅は不明だが戸山にもあったという人もいる。

また、橿原市葛本町耳成(南)小学校辺りにもあったとか耳成の商店(オークワ耳成店レジでも)とか公民館で配っていたとかネットスレにあった。

耳成山は木原町。

そのレスには葛城市の旧當麻町でもあったと書いてある。

レス人はハタアメと呼ばずに「ノボリ」と称していた。

香久山地域では午の日に旗飴を求める子供らが商売をしている処を巡って貰っていたようだ。

それも平成27年3月7日の土曜日の初午の日。

信憑性が高い旗飴情報をFBで挙げていた。

稲荷社の存在記述もない香久山地域の膳夫町。

平成28年3月1日にUさんは小学生がペダルを漕ぐ自転車に並走して膳夫町の初午のハタアメを追跡したそうだ。

Uさんの話しによれば、飴屋(卸しは島商店?)が関係するようだ。

葛城市、大和高田市、川西町、広陵町、橿原市、桜井市・・・宇陀市榛原などの地域はどうやら神社行事との関係もなく、飴屋などの商売屋が地域の商売繁盛を願ってしているのかもしれない。

橿原市の石原田町にもかつてあったが売っていたスーパーがなくなって、それ以来、店屋が購入できずに中断したようだ。

また、山之坊町ではオークワ前のクリーニング屋が配っているそうだが、仕入れ先が困難になっていることからやめる可能性があるそうだ。

なお、出合町は今でもしている。

なお、FBでUさんの記事を見た人がコメントを寄せていた。

葛城市の新庄屋敷山や大和高田の大中チャンチャン(大中春日神社)で貰ったという情報もある。

畝傍南小学校校区になる橿原市見瀬町にもあったようだ。

また、校区でいえば桜井市浅古校区の桜井南小学校児童だった人も懐かしいと書いていた。

アップしていた記事の日付けは二月初午。

平成23年2月8日の午の日だったが地域は断定できないが、なんとなく談山神社下のある大字(下居・浅古・倉橋辺りか)になるのかどうか判らない。

参拝した三輪恵比寿神社のお神酒がある。

氏神さんの初詣に山道を登る。

その神社景観はなんとなく下居もしくは倉橋のような気がする。

頁をぐぐっていけば「祭講」の記事があった。

かつては20軒以上もあった「講」は平成20年10月25日(土曜日)には11軒とある写真は庭に設えた祭壇(祭講の小床の名があった)。

平成19年12月2日(日曜)に十三仏来迎図を掲げて唱える念仏講もある。

1月14日の朝9時はトンド焼き。

15日の朝はトンドの火で炊いたアズキガユを箸に見立てたススキの茎で食べた。

そのススキは苗代の水口に花とともに立てる。

家人の実家では正月に“長者どん”や山ノ神“の風趣もあったとある地はどこだろう。

驚いたのは曾祖父の生誕地が大宇陀の元和五年から続く大庄屋・重要文化財の寛文十年築造・茅葺民家(入館料300円)だった。

香芝市の和菓子サロン「一絵」<香芝穴虫・葛本町>で“デコ寿司マイスター”資格をもつ女性が伝えるハタアメ。

平成25年3月5日は初午で稲荷社(磯壁稲荷社か)のお祭り紅白餅、赤飯に旗飴を供えると書いていた。

葛城市には今でもその風習が残っているというのは実家で暮らした小学生の頃のようだが、勤め先の香芝市の和菓子サロンでも旗飴を販売しているとある。

ちなみに実家は和菓子屋「菓匠庵おのえ」。

葛城市新庄167番地。

販売していたと思われるハタアメを探してみたい。

また、香芝市にある保育園に旭ケ丘せいか保育園<旭ケ丘>がある。

そこのブログに旗飴を貰ってきたという記述があった。

橿原市八木町(北八木から南八木区間の商店:八木駅から八木西口駅)にもあったというブログでは稲荷社のことには触れていない。

あるコメント者が云うには大宇陀にもあったらしい。

ハタアメを置いている商店で貰う子供たちの声を集めてみてふと考えた。

商売をしている家はたいがいお稲荷さんを祀っている。

商売繁盛、豊作を願う商家を狙っていけば効率的だったという証言もある。

屋敷の守護神としてお稲荷さんを祀った家もあろう。

すべてがすべてではないが、農村行事でなく、町屋の文化だと思った。

桜井市、橿原市より西側に位置する大和高田市の住民も旗飴文化を体験していたようだ。

大和高田市土庫の土庫小学校児童だった人がいうには他の校区になくて、土庫に絞られるようだ。

広陵町南郷に住む写真家のFさんが子供のころに貰っていた旗飴はお稲荷さんを祀っていたご近所が配っていたという。

また、当地には稲荷神社があることから関係があるかもしれない。

なお、三郷町の坂本巫女家が祭祀される地域に広陵町中(萱野)に鎮座する小北(こぎた)稲荷神社初午祭<護摩焚き・御供撒き>がある。

神事は三月初午の日。坂本家は剣舞を所作される。

平成25年3月5日(午の日の火曜日)に行われていた同神社に居る坂本さんがアップした記事がある。

後日にここではハタアメがあると伝えてくださった。

その他ネットスレには山口県や福岡県にもあったということが書いてあったが、真偽は定かでない。

また、北九州市門司港の傍にある「山本菓子店」で製造したともある。

どうなんだろうか。

調べてみれば山口県下関の小月観音寺の4月21日に行われるお大師さんのときに配られたとある。

下関の彦島では弘法大師入定の3月21日の彼岸に旗飴行事があるという。

同県の豊浦郡豊田町もお大師さん。

同じような旗飴であるにはあるが、日の丸の旗がある。

奈良県中部文化のお稲荷さんの初午とはどうも違うように思える。

写真は3月13日に撮らせてもらった葛城市山田三神社初午祭に供えられたハタアメ御供である。

(H28. 2.20 記)
(H28. 3.13 EOS40D撮影)

山田三神社の初午祭

2016年09月29日 09時32分13秒 | 民俗あれこれ(ハタアメ編)
初午、或はニノ午の日に奈良県の稲荷社行事にハタアメ(旗飴)を供える地域が存在することが判ってきた。

すべての稲荷社ではなく、特定の地域のようである。

これまでに拝見した地域は桜井市箸中・稲荷神社、同市三輪・成願稲荷神社のニ社。

かつてはあったとされる地域に高取町丹生谷・赤穂大明神がある。

箸中は新暦2月の初午の日、三輪や丹生谷は新暦3月のニノ午の日に行われている。

他所にもあるのではと思ってネットを駆使して探してみた。

一つは広陵町中に鎮座する小北(こぎた)稲荷神社で、もう一つは葛城市山田に鎮座する三神社が見つかった。

小北(こぎた)稲荷神社に出仕されている三郷町の坂本巫女の話しによればニノ初午の日だった。

この年は主治医より車の運転をしてはならないと厳命されていたので訪れることはできなかった。

もう一社の三神社に出仕・奉職される宮司は大字笛吹の持田宮司。

当地では村の都合もあってニノ午の日ではなく、だいたいが第二日曜のようだ。

五日前の診断で主治医から許可された。

近距離でという条件付きだ。

持田宮司に連絡をとって出かけた大字山田。

地図でだいたいの在所は判るが、村の人が集まる三神社の位置はどこであるのか。

近い付近に来たものの行先が判らない。

庭におられた男性に場所を尋ねたら、ここより山の方へ行ったところだと云う。

その場はすぐにわかった。

三神社境内には村の人たちが集まって何やら仕掛をしていた。

木材を組み立てている男性たちが云うにはこの日の初午祭の供えられたモチを撒く場の櫓である。

何年か前に村にいた大工さんが作ってくれたという。

紅白の御供餅は当番の人が搗いた。

杵ではなく器械で搗いたというモチゴメの量は六斗。

三升で一臼搗いたというから相当数の量になる。

三神社の名がある通り、三神柱を祀っている。

祭神は伊邪那岐命、大山咋命、豊受姫命の三神であると、調べられた神社役員が平成22年に書き残されている。

葛城市のHPによれば、江戸時代は日吉大権現、明治三年には熊野祠、明治十二年に現社名の三神社になったそうだ。

大字山田は明治十三年の行政区域は忍海郡の山田村であった。

現在の葛城市内の一部に属しているのは山田村以外に忍海村、新町村(南花内村一部が独立)、南花内村、薑村、林堂村、西辻村、平岡村(平岡村の一部が独立して寺口村に)、山口村、笛吹村、脇田村、梅室村である。

一方、現在の御所市内に属している一部の地域は東辻村、北十三村、柳原村(今城村・新村・出屋敷村の合併)である。

山田の三神社に出仕される持田宮司は大字笛吹に鎮座する葛木坐火雷神社は周辺大字14ケ村の総鎮守社。

夏祭りや秋祭りに十二振提灯を献灯する氏子圏は多い。

大字山田もその一つ。

大字笛吹の他、南花内、新町、林堂、南新町、薑(はじかみ)、山口、西辻、脇田、平岡、忍海、梅室、東辻がある。

大字山田の戸数は昔も今もほとんど変わらずの17戸。

荒れた土地であったゆえ、酪農を主に生業とする地域は今でも4軒が乳牛を飼って生産する酪農家があるという。

ゴクマキ櫓を組み立てて宮司を待つ村人たち。

三神を祀る社殿の他、不動明王や灯籠などにはやや大きめの紅白餅を供えていた。

ありとあらゆる箇所だけにその数は多く、19ケ所にもなるそうだ。

三神社社殿はその一つ。

三神社社殿に同等ぐらいの社殿にも紅白餅を供えている。

正一位白髭大明神の名がある社殿だ。

白髭大明神は稲荷社。

他にも白主大神、白光大神などの名がある石神もある。

それぞれの稲荷社は信者さんたちが建てたようだと村の人がいう。

鳥居付近に建つ碑文塔がある。

供養塔と思われるそれには「西川タツ刀自之碑 大正十五年三月建之」とある。

村人曰く、当地に住んでいた碑文の女性に信仰を寄せていた講中が建てたという。

碑文建之の金額多寡は判らないが村費用も入っていたそうだ。

女性は拝みさん。

拝んでもらったら願いが叶ったといって、多くの信者さんが集まって仕えるようになり、講として徐々に膨れ上がったようである。

行をしていたと伝わる行場はおそらく不動明王の石仏を祀る滝であったと思われる。

現在の神社下は駐車場になっているが、かつては水田だった。

土地を宮さんに寄付されて土地利用を転じたそうだ。

前述した白髭大明神などの稲荷社は総本宮とされる京都伏見の伏見稲荷大社から寄せたらしい。

ちなみに白髭大明神拝殿に大太鼓がある。



大太鼓の台や太鼓を吊るす側面もあるが、肝心かなめの太鼓がない。

いつ盗られたのか判らないが、空洞である。

その台には四人の施主名が朱書きされていた。



山田の隣村にある新庄(吉川平蔵・川井リ□)が二人。

道穂(正本峯郎)と平岡(岡本国松)はそれぞれ一人ずつの計四人だ。

表面には「白髭大明神 代師 忍坂 こま 中井伊七」の名が記されていた。

「忍海」ではなく「忍坂」である。

「忍坂」は現桜井市の忍阪に違いない。

大太鼓がいつ寄進されたのか年代を示すものはなかったが、それほど古くはないだろう。

それにしても大字山田にあった大太鼓によって周辺近隣の平岡や新庄に道穂(みつぼ)。

しかも、稲荷信仰の師と考えられる人物は桜井市の忍阪。

周辺に住む信仰者によって支えられていたのであろうか。

この日は初午祭。

場は信者たちによって建てられたと思われる建物内で行われる。

何年か前までは信者さんがおられた。

その人を中心に村の人たちが行事の場に集まって般若心経を唱えていたという。

場の一角にある社殿は三つ。

中央にも左右の社殿にもお供えがある。

中央に供えたハタアメ(旗飴)。



これを探していた。

信者さんが生きていたころは、大勢の村の子供がいた時代。

お下がりのハタアメを貰いに来る子どもでいっぱいになったと話す。

ハタアメはそれぞれ色柄が異なる五色の幟旗。

5本揃って1組になる。

お店から購入したハタアメは50本というから10組である。

最近は貰いに来る子どももみなくなった。

そういうことで、昨年までは100本を供えていたが、この年は50本にしたそうだ。

村の厄年の人が供えるハタアメであるが、対象者がなければ村の費用から捻出するようだ。

ハタアメは村人が作ったものではない。

販売しているお店から購入する。

この年は御所市東辻の「あたりや」。

お菓子などを売っているそうだが、調べてみれば総合食品センターというから地域のスーパーのように思える。

この店になければ他店になる。

高田高校のすぐ近くにある大和高田市大中南東の森食品。

ここも地域のスーパーのようで販売店。

ハタアメを製造している店ではなさそうだ。



右の社殿の謂れは伝わらないが、左は「レイジンサン」の名がある。

充てる漢字は判らないという村人たち。

もしかとすればだが「レイジンサン」は「霊人さん」かもしれない。

その社殿だけはご飯を供えるようにと講中から伝えられている。

その場にはパンも供えているし、稲荷寿司に巻き寿司もある。

ご飯であれば何でも構わないそうだが、かつてはアブラゲとともに炊いたアブラゲゴハンだった。

ニンジン、シイタケなども入れて醤油、味醂で味付けしたアブラゲゴハンはイロゴハンとも呼んでいた。

当地のほとんどが稲荷社、しかも信者が亡くなって講組織が消滅した今も村人が継承している初午の供え方である。

信者さんがおられた時代はお供えを置く場所も決まっていたが、誰もいなくなった今ではどれが正解なのか誰も判断ができずに、だいたいがこういう感じだったと云って供えている神饌は生鯛、紅白二段餅、洗米、シイタケ・スルメ・コーヤドーフなどの乾物、野菜に果物だ。

建物はこうしてみると三つの社殿が並んでいる位置は拝み殿のようだ。

社殿前の導師が座る場もないぐらいに御供を置いている。

はみ出た御供で拝み殿は半分ほどだ。

信者さんがおられたころの、この場では毎月の1日と15日に拝んでいたそうだ。

その社殿の鴨居に般若心経の書を掲げてあった。



書体や配置、台紙の色合いを見て思いだした。

大和郡山市石川町の観音堂で拝見した般若心経の卓台とそっくり同じなのだ。

山田の台紙は額に入れられているものの若干ことなる。

左端に「祈願交通家内安全白髭講信者一同 昭和五十三年歳次戊午秋日 歳雄謹書」が書かれてある。

講中の名称は「白髭講」だったのだ。

この日、拝み殿に集まったのは女性がほとんど。

男性は僅かの数人。

奥の離れにも座っているが写角に入らない人数だ。

ハタアメの話題に一人の女性が話してくれた出里の思い出話。

御所市の玉手の体験である。

「お稲荷さんを祀っている家を廻ってハタアメを貰っていた」というのである。

何軒あったのか、どこから入手したのか覚えていない子どもの頃の記憶。

機会があれば地域を巡ってみたいものだ。

村には無住の浄土宗法城寺がある。

どちらかと云えば村の会所として利用しているのは同寺になるそうだ。

時間ともなれば持田宮司が到着された。

すでに供えてあった御供の並びに手をつけることはない。

村人が継いだ信者さんの並べ方を踏襲するということである。

宮司の務めは行事もそうだが村人への祓い清めが主である。



修祓、宮司一拝、祝詞奏上、代表区長の玉串奉奠を終えて拝み殿を降りる。

これより壇上にあがるのは村人である。

導師が一人、太鼓打ちも一人。



大正十三年生まれの老婦人が後ろに就く。

祭壇に立てたローソクに火を灯す。

稲荷社と思われる祭壇の神さんに向かって般若心経を三巻唱える。

座敷いっぱいに広がった村人たちの手には拍子木。



カチ、カチ、カチと叩く音が大きいのか、太鼓を打つ音や導師が唱える声は打ち消されていた。

最後に「はらえたまえ きよめたまえー かんこん しんそん にかんたん(そう聞こえたが・・・)」を唱えて祭典を終えた。

これより始まるのは村人楽しみのゴクマキ(御供撒き)。



この年は友人関係にある外国の人も参加していた。

どう思われたのか、感想を聞きたかったが、言葉は通用しないと思って遠慮した。

ゴクマキの場の後方は鳥居がある。

その向こうは参道だ。

染めた赤旗の文字は黒抜きの「正一位白髭大明神」。

今でこそ僅か数本になったが、かつては集落内どころか山麓線を越えて東に下った境界地あたりまで、ずらりと旗が連なっていたそうだ。

ちなみにいただいた一本の旗飴は帰宅して家で食べた。

想像していた味はキャンデイに近いのでは、と思っていたが、そうでなく和菓子屋さんの味。

ザラメなのかどうか判らないが、どこか懐かしい味がする。

なお、持田宮司の話しによれば隣村の大字山口にもハタアメ御供があるという。

当地には稲荷社がある。

行事は2月の初午だ。

同じく兼務社の梅室も初午にハタアメ御供があったが、宮さん行事が負担になった長老たちはやむなく中断したらしい。

(H28. 3.13 EOS40D撮影)

はらぺこ食堂のからあげ弁当

2016年09月28日 08時43分44秒 | あれこれテイクアウト
今日のお昼はどうする、というかーさん。

週に一度はほっかほっか亭弁当の「とりめし」を買って食べる。

「とりめし」は税込みで430円。

唐揚げも多くて味はジューシー。

この弁当はなにが旨いかっていえば出汁なのだ。

添えつけの出汁をジョロジョロとかける。

ジョロジョロという擬音であるが、それほど量が多いという表現である。

ご飯に染みた出汁。

唐揚げを食べなくともこれだけで飯が旨い。

旨いから食がすすむ。

唐揚げは半分ぐらいにして鶏肉団子も外す。

桜漬けもいらない。

値段はそれで半分・・・せめて1/3程度にならんもんかいな、と思う。

そういう機会があれば、と狙っていたチャンス日。

私の狙いは久しぶりに食べたいはらぺこ食堂のからあげ弁当だ。

車の運転も許可されたら行くべし、と待っていた。

歯医者に市役所に続いて車を走らせる。

かーさんは市役所の用事を済ませてほっかほっか亭へ。

私はその間にはらぺこ食堂へ向かう。

注文は心に決めていた税込350円のからあげ弁当。

待つこと10分。

いつもよりかは長い。

この日は弁当待ちが3人。

食堂で食べていたのは4組。

昼時間ともなればお客さんでいっぱいになる。

出来上がった弁当を手にしてかーさんを迎えに行く。

帰宅したら丁度の昼どき。

蓋を明けていただきます。



なんせでっかい唐揚げが五つも入っている。

一口で食べられるような代物ではない。

下味がついているから不要なのだが、心臓病に悪い塩をちょっことつけてほうばる。

中身はこれもまたジューシー。

一切れを交換しようと云ったかーさん。

はらぺこ食堂の唐揚げも美味しいというが、全部は食べられないから「とりめし」で良いと云った。

はらぺこ食堂の弁当ご飯の盛りも多い。

お腹は満腹になった。

ちなみにもう一品は味噌味で煮込んだと思われるモツ肉だった。

関西ではドテ焼きで呼んでいるモツ肉はトロトロ。

お酒のアテにしたいくらいである。

(H28. 3.23 SB932SH撮影)

出雲ぶれーど・うのぶっかけうどんと稲荷寿司

2016年09月28日 08時30分33秒 | 食事が主な周辺をお散歩
榛原から戻って白河に向かおうとしていた。

時間帯は丁度の昼時。

ここら辺りに手打ちうどんの看板があったようだ。

いつからその店があったのか記憶にないが、FBやブログに食べ歩記を書いている人がいた。

ネットをぐぐっていたら、たまたまそれが目に入った。

とても美味しそうに感じた味の評判に釣られていつかチャンスがあれば・・・と思っていた。

その場所が桜井市の出雲だった。

紹介されていたブログには店内の様相もアップしていた。

雰囲気はごっちゃごちゃしている感じだ。

立ててあった玄関看板の当日メニューに530円のクリームチーズバター味「釜kiki・」や450円のバターとしょうが味「KBG」が書いてあった。

食べてみたいような気もするが、バター味は口や胃袋に味覚が残りやすい。

私だけかもしれないが、割合に残食感があるのが嫌気。

次の行程もあるので今回は遠慮する。

ドアを開けて入店する。



奥の厨房にはご主人が、手前に並べた天ぷら、ご飯ものの横には奥さんが迎えてくれる。

ざっと見渡して即決する。

430円のぶっかけうどんだ。

もちろん「温」ではなく「冷」である。

それを伝えた奥さんが云った。

麺の味が判るのは「ぶっかけうどんに尽きます。特に冷やが」・・である。

チェーン店でもそうだが、ぶっかけうどんの冷たいのんを頼むといつもそういう答えが返ってくる。

これが嬉しいのである。

頼んで間違いがないぶっかけうどんにもう一品。

目に留まったのが稲荷寿司だ。

やや小ぶりであるが、2個で100円。

チェーン店にある稲荷寿司の半分の金額だが、味は極上の倍額以上だった。

稲荷に味が浸みてとてもジューシー。

美味すぎる。

なんなら稲荷寿司だけでも良かったかなと思えるほどである。

この日、訪れて食べていたお客さんは家族連れ、子連れ、友達などのグループ連れなどが5組。

食事中とか出来上がり待ちで店内はいっぱいだった連休初日である。

注文後の十数分。

しばらくすればぶっかけうどんが運ばれた。



麺に出汁も入っていますが、足らないと思う場合は、別途の出汁もご利用くださいと伝えられた。

ぶっかけうどんにはダイコンおろし、もみのり、かつおぶしにレモン一切れを盛っている。

ご主人が旨いとお勧めする盛りであろう。

レモンを絞って麺に落とす。

一切れなので多くはないが、香りがぱっと広がる。

絞った指も同じように香りつき。

テーブルも香りが広がる。

最初の一口はそれだけ。

出汁の味とレモンの香りを味わう。

実にさっぱりした味である。

麺は強烈なコシがある。

噛み応えがある麺は手打ち。

店主の腰が入った麺をがっつり、さっぱり、爽やか、爽快感の三拍子で味わう。

一口、二口はそうした。

追加の出汁も入れてみよう。

一口、二口食べた。

味は若干濃くなったがさっぱり感は変わらない。

どこからくるのだろうか。

ダイコンおろしにレモンの相乗効果なのかもしれないが、モミノリはモミノリの味。

気にかかるのはかつおぶしだ。

ふわーっとした削りふしではなく、どちらかといえばかつおぶし粉に近い。

細かい粉の味が出汁に反逆しているかのように思えた。

私の好みである天かすがあれば・・と思ったが、もう遅し。

気がついたのは食べ終わってからだった。

トッピング用に二種類の天かすがあったのだ。

一つは市販と思われる丸い揚げ天かす。

もう一つはがさつい形の天かす。

本来の天かすである。

僅かに残った出汁に入れてみた。

揚げた油が良いのだろう。

丸みのある甘い味がする天かす。

次回、訪れた際には配膳されたときにトッピングしてみよう。

ところで「ぶれーど・う」には定休日がある。

火曜日と第一土曜日。

覚えておくと助かることもある。

また、昼間であっても麺が完売した場合は店終いになることもある。

(H28. 3.19 SB932SH撮影)

釜揚げ讃岐うどん香の川製麺法隆寺店のぶっかけうどん

2016年09月28日 08時20分15秒 | 食事が主な周辺をお散歩
つい先日に入手した釜揚げ讃岐うどん香の川製麺のスタンプカード。

今月末までに来店1回ごとのシール貼りを2枚貼ったら会員カードに差し替えられる。

今月末まであと2週間。

無理にでも食べにいかなあかんと思っていた。

チャンスは突然のごとくやってきた。

かーさんは友達と遊びに出かける。

昼食はどうすると聞かれた。

答えは即答。

うどんを食べに行くと伝えた。

通院している歯医者は午前11時の予約。

リハビリ兼ねた運動に歩いていく歯医者は片道ジャストの1km。

時間は14分。

往復距離の2kmで本日のリハビリを終える。

歩いて戻った自宅から出かける足は我が家の車。

医師から近距離で、かつ単独運転でならばという条件で運転を許可されている。

事故は起こしてはならないが、万が一は自己責任においてということだ。

目指すうどん屋は法隆寺店。

西名阪高速道路の法隆寺ICを通り越して南下する。

それほど遠くない県道沿いにある。

この道は広陵町や河合町へ向かう道。

何度か通ることがある。

西穴闇信号付近にある讃岐うどんの看板は覚えているが、香の川製麺とは知らずにいた。

自宅からの距離は片道で9km。

近場であることからチャンスカードのシール貼りをお願いする店はここにした。



注文はいつもの通りの税込280円で提供されるぶっかけうどん。

ゆで麺よりもこっちの方が、味具合がよく判る。何度か行った讃岐うどん店の店員さんもそう云っていた。



天かす、刻みネギに生生姜をトッピングしていただく。

ガツーンと返される強烈なコシ食感。

先日に食べた五位堂店はやや緩めだった。

パンチが利いた強いコシ麺は和歌山の川辺店で初めて食べたときの食感と同じだと思った。

とにかく美味しいが、いつもうどんだけ。

揚げたて天ぷらや作りたておにぎりとか稲荷寿司も食べたいが価格帯が馴染まない。

かき揚げ天ぷらは140円。

関西特有の紅色生姜の天ぷらも140円。

スーパーで買えば同じような値段の生姜天ぷらもあるが、山陽マルナカのマックスバリューでは税抜き78円だ。

プライスカットでさえ同じような80円前後。

どうしても比較してしまう価格差。

生姜天ぷらはどこで買っても同じ味。

仕方なく120円台の生姜天ぷらを買って食べたこともあるが、値段以上の味わいを感じたことはない。

だから、欲しくても買わない。

いずれも1個が100円のおにぎりや稲荷寿司の飯類も手が伸びない。

これもまた、スーパーで買えば半額の50円。

店にもよるがとてもジューシーだ。

川辺店で食べた稲荷寿司はとてもジューシーだったから不味いわけではない。

価格帯が懐と合わないのである。

ところで五位堂店では値段が判らなかった鶏弁当、海老天丼は法隆寺店に表示してあった。



鶏弁当ではない鶏天丼であるが、これは520円。

海老天丼は540円だった。

(H28. 3.16 SB932SH撮影)

釜揚げ讃岐うどん香の川製麺五位堂店のぶっかけうどん

2016年09月28日 08時10分43秒 | 食事が主な周辺をお散歩
カーナビゲーションに設定した葛城市山田を目指していた。

大和中央道を南下して川西町、広陵町、香芝市から葛城市に向かっていた。

ナビゲーションの指示はまったく違っていた。

それを無視して車を走らせる。

到着する時間はお昼前になると想定していた。

調査に都合する時間が余らなければ・・・と思ってコンビニのパンでも買おうと思っていた。

五位堂駅辺りから左折して踏切を越えようとしたときだ。

うどん製麺店の看板が目に入った。

それは釜揚げ讃岐うどんの「香の川製麺」だ。

同店を初めて知ったのは紀州和歌山だ。

和歌山市民会館で開催される写真展を拝見するために走っていた。

国道24号線和歌山バイパス線にあった看板が釜揚げ讃岐うどんの「香の川製麺川辺店」だった。

食べたうどんは釜揚げではなくぶっかけうどん。

確か、税込280円だったことを覚えている。

美味しかったうどんは奈良県にもあるのか、帰宅してからネットで探したら、あった法隆寺店。

いつかは食べてみたいと思って頭の中に地図を書き込んだ。

もう一軒あることはすうっかり忘れていた。

それが五位堂店だったのだ。

思わず、ここだと思ってUターンする。

入店する前からワクワクする。

紀州和歌山で味わえたうどんを食べる。

ドアを開いて入店する。

レーンに並ぶところは川辺店とほぼ同じ配置だ。

何をしますかの問いに思わずでたのが「釜揚げうどんの冷たいのん」。

うどん麺を茹でる若い兄さんがきょとんとして答えた。

「釜揚げは温いのんだけなんですが・・・」。

そりゃ、そうだ。

頭はぶっかけなのに店外にずらりと立てていた幟に影響されたのか、頭の中は釜揚げになっていたのである。

すぐさま訂正して頼んだ麺は「ぶっかけの冷たいのん」である。

並ですか、それとも大ですかと問われても答えは一つ。

並である。

大の場合は420円。

差額は並から140円増し。

量は多くても食べられないから並でいい。

レーンにはさまざまな揚げたて天ぷらがある。

大好きなかき揚げもあるが、今回は税込み280円のぶっかけ一品。



天かすや刻みネギに擦り生生姜をトッピングする。

出汁は辛くも甘くもない昆布出汁。

コシが強い麺とともに口いっぱいに広がる。

歯ごたえある麺の食感がたまらない。

冷たいぶっかけうどんは夏に最適だが冬場も美味い。

生生姜の風味がきりりと引き締めてくれる。

ところで注文したときに案内されたスタンプカード。

お持ちですかと伝えられた。

スタンプサービスの内容は確かめもせずに、何かの折に使う可能性もあるだろと思って貰った。

スタンプカードに書いてあったサービスは来店1回ごとのシール貼り。

2枚貼ったら会員カードに差し替えられる。

シールはいつ、どこで貰えるのか判らないが、交換したらいなりとかおにぎり、天ぷらが何品注文しても10円の割引。

また、10日・20・30日のうどんの日にはうどん各種が30円引き。

お得なサービスを受けるスタンプカードは3月末までが募集期間。

4月になれば発行されない。

えーときに入店したのだが、次回はいつ入店できるだろうか。

その締め切りについては何も書いてないが、3月末までだろうな。

ところで同店に「出来たてお持ち帰り弁当 かけうどん 鶏弁当 海老天丼」の案内があった。

他店にあるのか、ないのか知らない特別メニューを食べてみたいと思ったが値段はいくらなのだろうか。

それにしても店舗は平成22年6月に開店していたそうだ。

これまで何度も通った国道道。

ひっきりなしに夫妻や家族で連れだったお客さんが入店する。

人気のお店に気がつかなかったのはなんでだろう。

(H28. 3.13 SB932SH撮影)

山陽マルナカのカツ丼とうどんセット

2016年09月28日 08時05分59秒 | あれこれテイクアウト
自宅より歩いても、車で出かけても2kmの近さにある山陽マルナカは富雄南イオンタウン内にあるマックスバリュー店。

毎週木曜日は玉子1パックが安い。

その日に合わせて食材などを求める。

野菜、果物、練り物、魚類、肉類、冷凍食品・・数えたら限りがない。

お寿司コーナーに立ち寄っては貼られた値段シールと格闘する。

とはいっても殴り合いではなく、家計費との葛藤である。

いつぞやは冷やしうどんに稲荷や巻寿司がセットになった食品を買ったことがある。

冷やしうどんは柔らか麺ではなく、やや硬め。

シコシコとまではいかないが歯ごたえを感じる麺は出汁に浸けて食べる。

これが美味いのである。

同じ値段で売っている冷やしうどんに天ぷらセットもある。

これもまた美味しいのであるが、売り場コーナーは異なる。

調理をしているのは店内奥。

揚げたて天ぷらやフライもある。

ここの天ぷらは油が良いのか、美味いのである。

この日の昼食はどれにするか。

選んだのは税抜き398円のカツ丼とうどんセット。

冷やしうどんは調理味付けしたキツネのアゲサン半切れがついている。

飯物はお寿司ではなく丼。

シールを見ればカツ丼。

たぶんに豚肉で玉子とじに刻みネギがのっている。

買い物を終えて自宅に戻るなりの昼食時間。

パックの蓋を開けたら香りが・・・なにも浮かばない。

冷えているのだ。

袋入りの出汁は我が家の鉢に入れる。

トッピングは市販の天かすに刻みネギだ。

うどんをほぐすように伸ばして出汁椀に浸ける。

麺を箸で摘まんで口にずるずる。

だし味とともに喉越しが通る感じがたまらない。

出汁はやや甘党だが、キレがある。

好きな味付けはたぶんに昆布出汁。

半切りのキツネアゲも食べる。

これまでは美味さを感じなかったが、この日のアゲサンは出汁が浸みて美味しい。

つるつると冷やしうどんが口のなかで泳ぐように、というか吸い込まれるように入っていく。

あっと云う間のうどん喰いの次はカツ丼。

めんどくさいのでそのままいただいた。

冷たいカツ丼は飯も冷たい。

出汁が浸みていない飯は美味くない。

パックの裏側に豚肉の銘柄が書いてあった。

今流行りの三元豚のローストンカツはポーランドが原産地だった。

今度、食べるときには半分残したカツ丼だけをレンジでチンしたいと思った。

(H28. 3.10 SB932SH撮影)

大柳生・吐山・篠原「大和の太鼓踊り」の講演と体験ワークショップin奈良県立図書情報館

2016年09月27日 10時08分25秒 | 民俗を聴く
忘れないように書き込んでおこうと思った講演会と体験ワークショップがある。

奈良県立図書情報館で行われた一日限りのイベント。

奈良県内の大柳生・吐山・篠原で行われている「大和の太鼓踊り」をテーマに開催された。

このイベントを知ったのはたまたま登場したFBのイベント紹介である。

どういう関係からこれが登場したかは判らないが、主催に「奈良の文化遺産を活かした総合地域活性化事業実行委員会」がある。

この実行委員会の存在は存じていない。

いつできあがったものかも判らないし、何をしているのかも判らない団体である。

ここに並列表記した(事務局)に「奈良県教育委員会事務局文化財保存課」の課名がある。

記されていた電話番号も課の番号である。

イベントタイトルからでも判る大和の伝統的な民俗行事の太鼓踊り。

大柳生は奈良市東部山間にある大柳生。

吐山は旧都祁村にあった現奈良市都祁吐山町。

篠原は旧大塔村の篠原。

現在は吸収合併した五條市内の大塔町篠原である。

イベントチラシに「県内では45もの祭りや行事が、国や県の無形民俗文化財に指定されています。今回は、“太鼓踊り“をテーマに3地域を取り上げました。”頭“と”体“を使って地域と文化財を知る、感じる、つなぐ、きっかけになればと思います」と書いてあった。

第一部は“広く知る“に「大和の太鼓踊り~風流踊りという芸能~」をテーマに元京都学園大学准教授の青盛透氏が語る基調講演がある。

第一部のもう一つに”それぞれを知る“がある。

前述したキーワードに挙げている大柳生・吐山・篠原、各地域の太鼓踊り映像で観て地域の人から話しを聞く、である。

第二部は各地域の太鼓踊りを教わって一緒に体感してもらおうというプログラムだ。

協力に大柳生町自治会、吐山太鼓踊り保存会、篠原おどり保存会のみなさんが登場する。

共催は奈良県立図書情報館。

今回のイベント資料に太鼓踊りや奈良県の指定無形民俗文化財に関連する図書館所蔵リストが配布された。

研究者にとっては調べる手がかりになりそうなリストであるが、ここでは省く。

到着したときはすでに講演会が始まっていた。

後方にビデオ収録していた二人は顔馴染み。

頭を下げて静かに席につく。

そこで気がついた筆記用具。

メモを残すに必須アイテムが要る。

ボールペンを忘れたことに気がついたが、遅し、である。

頭の中に映像や語りを残そうと思っていたが、帰宅して数か月も経過すれば真っ白。

残ったのはケータイ電話で撮った体験ワークショップの様相である。

篠原おどりは講演会会場。

持ち込まれた太鼓とバチがある。

そこには艶やかに舞う女性陣が使う扇だ。

太鼓は10張。



その中に古くから使われてきた太鼓がある。

じっくり拝見する余裕はない。

太鼓を打つ人は床に座る。

後方には扇を手にして舞う。

篠原踊りの艶やかさはここにあるが、太鼓を打つまでの体験だけに太鼓役は座って打つ。

足の振り付けはないが、長老が唄う篠原踊りの唄が哀愁を帯びていた。



その場に居た人物はどこかでお見かけしたことがある。

名前が思い出せない。

もしかとすればと思って声をかけたら川上村東川在住のMさんだった。

実に9年ぶり。

平成18年9月18日に訪れた烏川神社の豊穣祭の千本杵以来である。

千本杵で餅を搗く際に唄われていたご仁である。

「めでた めでたの 豊穣の祭り ソリャー豊穣の祭り イョー みなの幸せ ソリャー祈りましょ おもしろや」とおめでたい言葉が連なる伊勢音頭の囃し歌だった。

この場に来られていたのはたぶんにご招待。

東川には大きな祝いごとにしか登場しない太鼓踊りがある。

私が取材した日は平成17年11月13日

東川では古典太鼓踊りと称していた。

太鼓踊りのつながり関係で来館していたのであった。

9年ぶりにお会いしたMさんとは年賀状でやり取りをしていた。

その賀状に書いてあった川上村のビッグイベント。

話しを聞いて納得した土蔵生誕百年祭である。

体験ワークショップは篠原だけでなく大柳生もある。



踊り演舞は場所をとる。

他地域に影響を与えることなく一室離れた場で行われた。

自治会長自らが演じる足腰。

イチ、ニー、サーン、シーと数えながら跳びながら移動する。

太鼓を胸に付けての踊りはそれが慣れてからだ。

もう一つの団体は館の外庭だ。

チャンチャチャチャンの鉦の音にドン、ドンと打つ太鼓。

足さばきは身体ごと左右に動く。

シデ振りと太鼓打ちは中央で行われる。



民俗行事を丹念に追いかけて写真を撮っているTさんも体験していた。

ところで青盛透氏の講演語りである。

メモがないからまったく思いだせない。

配布された資料を紐解く。

と云っても書き写している間に思いだせると思って書きだした。

資料のタイトルはコラム②の「“風流”と“風流踊り”」である。

前年の平成27年11月3日に取材した行事がある。

それは奈良県ではなく京都府南山城村で長く伝承されてきた田山の花踊りである。

現地で拝見した踊りは奈良県内の太鼓踊りとは異なるものだと確信した。

主に三重県に伝わる太鼓踊りは服装も所作も異なる。

敢えていうなら奈良市月ヶ瀬の石打で行われている太鼓踊りが近いと思っていた。

石打は三重県寄りに近い地域。影響を受けたことは当然であろう。

田山の花踊りを調べるに、一般公開されているネットを駆使して探した。

見つかったのは「三重県インターネット放送局」が公開している三重県内の伝統行事である。

そのすべてではないが、一部にカンコ踊りとかを解説していた断片的な報告書が添付されていた。

執筆者にこの日語りをする青盛透氏や植木行宣氏、鬼頭秀明氏、長谷川嘉和氏らの名がある。

取材地によっては㈱CNインターボイス社がまとめた報告書もある。

これらは「平成22年度ふるさと文化再興事業地域伝統文化伝承事業」の報告書の一編である。

地域的な伝承はコラム②にも書かれているから読んで欲しいし、県内で民俗行事を写真でとらえている写真家は特に拝読して欲しいと思うのだ。

質問した内容はメモも捕っていないのでまったく思いだせないが、青盛透氏の回答は「女装は間違いなく風流である」と云ったことだけが記憶にある。

“風流”は“ふうりゅう”でなく、“ふりゅう”と呼ぶ。

コラム②によれば「貴人に下賜(かし)された装束や道具の豪奢な飾りの意味があり、そこから趣向を凝らした造り物、仮装行列、また、それに伴う歌や踊りの意味として用いられた。

大治四年(1129)六月十四日条にある『長秋記』。

美麗な飾りの意味であり、芸能そのものではなかった」。

「鎌倉期、平等院で催された延年風流に大がかりな造り物があった。院政期からか鎌倉期の祭礼に、山鳥の毛をつけた笠を被り、装束を着たきょうの町民や郊外村民が領主や貴人宅を訪れて歌舞を演じていた」。

寛喜二年(1203)七月七日条の『名月記』である。

このころの風流は「歌や舞が伴う囃子物。芸能風流はプロの集団ではなく素人の手による芸能であった」。

室町期、さらに広がる風流は正月の松囃子、盆の念仏風流、雨乞い風流、・・・季節の行事、信仰とは関係なくあらゆるものに付随するもになった。

戦国期には歌謡小唄を組み合わせた踊り唄も。

唐織物の小袖で衣装を統一した踊りが登場したことを書いているのは大栄元年(1521)七月十四日条にある『春日社司祐維記』だそうだ。

風流踊りに特化したものが女装。

京都、奈良、大坂などの都市部に流行。

これがいわゆる“風流踊り”であると氏が伝える。

こうして講演や体験ワークショップを書き残していたら、ふと思いだした。

青盛氏に質問した内容が頭の中に湧いてきた。

京都府南山城村の「田山の花踊り」に登場する「唄付」である。

唄付は「フクメン」の女装化であった。

(H28. 3.26 SB932SH撮影)

第16回光匠会写真展in入江泰吉奈良市写真美術館

2016年09月27日 09時47分27秒 | しゃしん
つい先日お会いした元上司は婦人とともに写真クラブを運営されている。

会員の一人は堺で勤務していたときの職場仲間の人だ。

当時、仕事を終えて写真の講評をしてもらっていたのがそのときの上司だ。

写真展は毎年の案内状で通知される。

今回で16回目になる光匠会の写真展も昨年同様の入江泰吉奈良市写真美術館の一班展示室で開催される。

私はといえばカメラのキタムラ奈良南店で「食を干す」テーマに8枚組で展示している。

それを見てくださっていたご夫妻には身体のことで心配をかけた。

近距離、かつ単独運転の条件で許可されたことを伝えるためにも出かけたかった写真展だった。

会場は階段を降りて右旋回する場にある。

左は入江泰吉奈良市写真美術館本展の受付。

そこに見慣れた人が立っていた。

5カ月ぶりにお会いするKさんだ。

5カ月前は撮影を依頼された村行事のゾークを撮っていた。

そのときにお会いしたときは脈拍が110拍になっていた。

神社手前の若干の坂道を登るのが困難だった。

足が動かないというか、上がらないのだ。太鼓台の巡行を撮りたかったが、追いつけなかった。

そのときの様子は判らなかったというKさんは前回のゾークの状況をかすかに覚えているようだ。

それはそれももっと賑わっていたという。

祭典もそうだが、ゴクマキの量がとにかく多かったという年代は高校生。

隅から隅までの記憶はないらしい。

12月にアブレーション処置をした今の身体の脈拍は一挙に下がって40拍前後。

民俗行事の取材は自宅近所の3行事ぐらい。

10日ほど前に取材した村行事のオコナイに道具になる植材が変化していると話した。

オコナイに登場する植物は牛玉杖(ごーづえ)や乱声の叩き棒などだ。

護岸工事でカワヤナギが全滅して行事の材を変更せざるを得なかったという地域もある。

こういう状況に陥っている地域は増えつつある。

有名な東大寺・薬師寺などの大寺においても同じような現象が起きている。

村行事であれば、自然に生えた植物であっても村の人が採取するだけに集めやすい。

地元の自然は地元の人が詳しい。

山間の村であれば、山入りする人が生えている植生状況を知り尽くしている。

平坦ではそういうわけにはいかない。

取材地で話題にでる時期的な植生に松の木がある。

門松に立てる松はオン松にメン松の二揃い。

これを入手するのが難しくなって植木屋に頼む時代になっているのも現実だ。

調達できなくなって道具の材が代わる。

代替で継承する時代が長ければ長いほど変化の要素を忘れ去る。

こういう代替は文書化をすることがない。

口頭で引き継がれていくのが常である。

例えば長老が切り替えた状況を認知していたとする。

或はやむなく切り替えた植材を採取した人がいるとする。

だいたいが、その役目を担うのはトーヤさんだ。

トーヤの引き継ぎ書にそう書いてあれば後継者に伝わり、村の歴史が物語れるのだが、口頭の場合は記憶も曖昧になり、何十年も経過すれば代替わりで記憶は消える。

今日継承されている村でも、なぜにこの道具の材であるのか尋ねても答えは「判らない」である。

人の手によって変化をもたらせた植生の影響で行事やマツリに必要な道具が代替化する。

場合によっては道具そのものが廃止になった事例もあるやに聞く。

東大寺二月堂の修二会行事は講社(仁伸会・山城松明講・江州紫香楽一心講(フジヅル)・庄田松明講・伊賀一ノ井松明講・百人講・河内仲組・河内永久社・朝参講など)と呼ばれる組織の人たちが集め、運び込まれた道具の材料寄進によって支えてこられた。

松明の支柱になる真竹は入手しやすいが、一心講のようにフジヅルやタラ、ホウの木などある程度、植生範囲が特定地域にしか生えない植物を寄進する講社もある。

自然の恵みが変化し、入手、調達が困難になってくればどうするのだろうか。

難しい課題を抱えている。

考えさせる将来展望の長話に終わりはない。



ここらで一旦はお開きして光匠会写真展会場に移動する。

迎えてくれたのは前述したご夫妻だ。

その後の身体状況を伝えて、早速拝見する。

作品をひと通り見て回る。

気にいった作品があった。

一つは「火伏せ」。

もう一つは「雨の永平寺」だ。

その他にもいいなと思った作品がある。

「神代の音」、「リズム」くらいかな。

強烈な印象を受けたのは入口を入ったところに展示していた三枚組の「火伏せ」だ。

どの写真にも「水」の文字がある茅葺家屋をとらえた作品だ。

火災に見舞われないように屋根付近、三角部分の壁にある妻飾りの破風(はふ)文字は「水」。

それだけで消火機能は果たすこともない「水」の文字はまじない。

妻飾りの原型は火除けまじないの懸魚<げぎょ>)である。

作品の中央に配したのは大きく取り上げた妻飾りの「水」文字写真。

左右の写真は茅葺民家の屋根の内部をとらえていた。

「水」の文字は空洞。

白抜き文字のような感じだ。

屋根の内部は光がなければ真っ暗だ。

S暗闇のなかにぽっかり浮かんだ「水」文字。

外光を浴びた「水」文字は光が直線に伸びて屋根の下。

つまり天井板間へと繋がる。

光が当たった先には藁束が積んである。

そこに写りこんだ文字が「水」だ。

もう一枚も同じような感じだが、挿し込む光跡をうまくとらえている。

一般的に茅葺民家を撮影するには外しかから撮ることはできない。

作者は民家住民の許可を得て天井に登ったのであろう。

民俗的景観を表現した「火伏せ」の写真に感動したのであるが、「住」テーマの一つと思っていたものがガラガラと崩れた。

感動ものの写真はもう一枚。

「雨の永平寺」である。

雪か雨か判らないが、流れるように降り注ぐ状況の奥に僧侶が動く。

その場は楼門である。

霞むというか古風な色彩で描かれる絵画的手法の作品はどういう具合に撮ったのだろうか。

気になって作者に求めた。

細かく落ちる点々は雨。

その日は土砂降りだったそうだ。

流れる点が伸びる。

落ちる速度とシャッタースピードと相乗効果、とでもいった方がいいのか。

手前に流れる滴が点々の列で描かれる。

一直線に落ちる形跡は屋根から流れる溢れた雨滴だったのだ。

逆の方を向いて撮っていた。

僧侶が歩く気配を感じた瞬間に振り返って思わずシャッターを押した。

ゆえにピントを合している間もなかったという。

三脚もなく手持ち撮影。

ブレもなく、斜め感もなく、ぴたりと位置する水平状態を保った作品に圧倒された。



写真はいずれも光匠会代表からいただいた飲み物券が利用できる入江泰吉奈良市写真美術館の喫茶ルームでとらえたものだ。



展示された写真を拝見した印象が記録にのこればと思ってシャッターを押していた。

(H28. 3.12 SB932SH撮影)

菩提山町の年中行事

2016年09月26日 08時39分38秒 | 楽しみにしておこうっと
かつては氏神さんの春日神社でたばった松苗は苗代に立ててイロバナを添えていたこともあった。

田植えをして育てた稲作。

秋になれば収穫する。

いまでもそうしているが、収穫を終えた鎌納めの「カリヌケ」はしなくなったと云う。

鎌は箕の上に乗せる。

持ち合わせていた写真を提示すれば、まさに「懐かしいカリヌケや」と二人の婦人が口にした。

二日後の3月13日は女の籠りがあるという。

この年の13日はニノ午の日。

かつては朝から弁当を作って宮さんに出かけた。

弁当は神さんに供えた。

御供下げした弁当はめいめいが持ち寄った手作りの弁当だった。

お互いが食べ合っていたという。

今では手作りすることなくパック詰め料理になった。

行事の日もニノ午ではなく、村の婦人たちが集まりやすい日になった女の籠り。

その名のごとく女性だけが集まる村行事は「宮籠り」とも呼んでいる。

ちなみに今年の13日は花づくり家固有の行事がある。

同家が祀っている稲荷社の行事はニノ午の日。

特定日ではなく、毎年が変動する。

残念ながら先約があるから来年に持ち越しとなった稲荷社の行事は朝から忙しい。

稲荷社に供えるご馳走は、生御膳にアカゴハン。

同家は「ケンケンサン」と呼ぶ行事のお供えは炊いたアカゴハン。

円錐型に象った三角おにぎりを皿に盛って供える。

アカゴハンを充てる漢字は赤飯であろう。

ケンケンサンに食べてもらうに相応しいアブラゲや山菜の天ぷら、ニンジン、イモ、ナンキンに牛蒡のたいたん。

お魚や塩、酒を供える場は道路下の崖っぷち。

段差があるだけに脚立を立てないと供えられないという。

ちなみに同家になぜ稲荷社があるのか、である。

かつては漢方薬を製造、販売していた。

「はくちょうしん(白丁浸)」の呼び名がある薬の販路はなく、同家で売っていた。

目印は「血のみちぐすり この家にあり」の文字があった看板だった。

薬師寺の僧侶を務めていたときは同寺でも売っていたそうだ。

「白丁浸」は生薬。

トウキとかカンゾウなどを刻んで細かくした。

お茶のような感じで飲める薬は産前産後に効いたという。

ニノ午の日の行事は「どうか売れますように」と願ってケンケンサンに手を合したそうだ。

ちなみに同家は節分風習のヒイラギイワシもしている。

玄関、裏戸などありとあらゆる人が出入りする扉の脇にヒイラギイワシを挿していた。

(H28. 3.11 EOS40D撮影)