マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

別所町の行事

2012年04月30日 07時39分38秒 | 楽しみにしておこうっと
8月に行われている二日酒。

太鼓と鉦を叩いてナムアミダを三回唱えるから「サンブツモウス」という。「殿さん供養」とも呼んでいる二日酒の行事だ。

寺の行事は4月のお大師さんや11月の十夜もある。

いずれもその日にしかお堂に上がらない。

本尊が開帳され拝むことができるのはそれらの4日間だけだ。

神社の行事には数々ある。

9月は風の祈祷の籠り。

夕飯後に布団を社務所に持ち込んだ当家がその夜を過ごして籠る。

一番トウ、二番トウ、三番トウ、四番トウと呼ばれる四人の当家だ。

昔は各家の代表者も布団を持ってきて籠ったそうだ。

雨が降れば箕に着せて持ってきた。

一輪車に乗せる人、布団を担ぐ人など様々だったらしい。

ゲヤは社務所に上がれず、極楽寺本堂で籠る。

ゲヤと呼ぶのは不幸ごとがあった家のこと。

充てる漢字はおそらく下野であろう。

明くる日はカイトノモリと神社で倒木跡周りを12回も回る日送りがあるそうだ。

10月はマツリ。

以前は10日、11日だったが、今年から体育の日辺りに寄せられた。

土曜日はモチツキ。

日曜日は当家宅のよばれにメンメンボウ。

メンメンはめいめい。

ボウはお盆が訛って呼ばれるようになったのであろう。

風呂敷に包んだ塗り椀を持参する。

よばれのあとがお渡り。

暗がりだけに提灯を灯して神社へ参る。

当家衆は紋付袴姿だという。

クニョと呼ばれるものを供えるらしい。

クニョとは一体何だろうか。

「供御」ではないかと話す村人。

御供が逆転して供御になったと思えば面白い呼び名である。

翌日の月曜日は祭日。

六社権現のマツリだという。

当家宅で奉る御供には4段重ねのコモチや2尾の背開きカマスがある。

それにダイコンに竹で挿した松、竹、梅。

目出度い御供なのであろう。

座の料理にはカキ、マツタケ、シイタケ、コーヤドーフ、カマボコ、コンニャクなどなど詰められた重箱。

一番トウの家で営まれるそうだ。

村の行事は六社権現のマツリとは別の日にコンピラサンのマツリもある。

御幣を作ってカイトノモリに参る。

重ねモチを供えるらしい。

また、7月には弁天さんのマツリも行われている。

弁天さんは水の神。

水鏡とも呼ばれている弁天池を奇麗に清掃する。

池水を入れ替えてマツリをする。

元々は水溜だったことに由縁するマツリだそうだ。

(H24. 3.15 EOS40D撮影)
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別所町極楽寺お釈迦さん

2012年04月29日 06時24分55秒 | 奈良市(東部)へ
3月第一日曜に弓の的が行われた奈良市別所町の金刀比羅神社。

六社権現を祀る。

そこには神宮寺と思われる極楽寺がある。

昭和52年に県文化財に指定された本尊の木造阿弥陀如来坐像が安置されている。

ときおり寺を訪ねる人がいるという。

前もって参拝を願われる人には用意しておいたご朱印が授けられる。

地蔵菩薩立像と不動明王立像も配置したありがたいご朱印だ。

普段は一般公開をせず閉扉しているお堂。

厳重なセキュリティで守られている。



そのお堂の回廊に置かれていたヤマダケの矢と竹で編んだ的は弓の的行事の名残。

鬼の的は見られないが竹が残されている。

竹はウラとオモテを交互に編んでいる。

それを貰って帰る村人たち。

味噌とか醤油樽の上に置いておくと美味くなるという。

お札を括ったサカキもある。

それは行事に供えられた祈祷札でオンダ苗とも呼ぶが墨も朱印も滲んでいて判読できない。

「頭」の文字だけが読めた。

おそらく牛頭天王の文字ではないだろうか。

弓の的は最初に長老が矢を射る。

矢の数は12本。子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の方向を時計回りに射る。

それは12神。

最後に鬼の的を射るのだが、閏年は閏月があるだけに1本を増やすから一年の月数だ。

その様子は平成17年に拝見したことがある。

太鼓を打って長老から4人の当家衆に替わる。

それぞれが代わる代わるに鬼を射る。

それが弓の的の行事である。

それはともかくお堂には涅槃の掛け図が掲げられる。

めいめいは風呂敷包みを抱えてお堂に上がる。

中身は涅槃さん供えられる御供だ。

持参したお盆に乗せたまま供える。

数年前(5、6年)に表具した掛け図の前に供えてお堂に座る。



ローソクに火を灯すが村人は座ったままだ。

念仏を唱えるわけでもなく談話する。

温かいストーブがお堂を包む。

この日に集まった人は8人。

村の行事などを話している。

ひとときのお釈迦さんと呼ばれる涅槃会を過ごした人たちは供えたお菓子などを風呂敷に包んで持ち帰る。

御供のお下がりは家で食べるのだ。

(H24. 3.15 EOS40D撮影)
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野依涅槃の団子搗き

2012年04月28日 08時41分39秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
宇陀市大宇陀の野依にはかつて神宮寺があったそうだ。

それは仏母寺(ぶつもじ)と呼ばれていた。

廃仏毀釈のころであるかどうか判らないが現在は白山神社の社務所内。

涅槃の掛け図を掲げて涅槃会を営まれる。

そこに供えられるのが涅槃の団子。

小さな団子をいっぱい詰めた桶を奉る。

当番(小頭)の人と両隣の人たちや総代らが手伝って作ったネハンダンゴ。

ウルチ米が4斗でモチ米は8升。

米を洗って乾かすのに一週間もかかった。

カラウスで製粉したダンゴ粉はお湯を入れて大きなダンゴにする。

それを蒸す。

手でちぎってギョーザのような形にする。

さらに棒状にして伸ばす。

それを小さく包丁で切っていく。

両手で丸めてできあがったネハンのダンゴはシート一面に広げておく。

朝から支度して昼の休憩を挟んで作ったダンゴだ。

桶などを洗って干して一段落した。



ほっとした時間帯である。

並べられたダンゴの数はいったいいくつ。

ざっくり数えて100個が41群。

単純計算の結果では4100個にもおよぶ。

明日に行われる涅槃会を終えて社務所でダンゴ撒き。

手に入れようと、手に手が伸びて騒然とした雰囲気になるそうだ。

一日経てばネハンダンゴは堅くなる。

家で食べるときにはホウラクでゴロゴロしながら焼いていく。

サトウジョウユを浸けて食べる人もあれば、ゼンザイや味噌汁に入れて食べる人も。

また、一旦は蒸してキナコダンゴにする人もあるようだ。

ネハンダンゴは食べることで無病息災や魔除けの御利益があるとされる。

(H24. 3.14 EOS40D撮影)
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凄麺横浜とんこつ家

2012年04月27日 08時01分56秒 | あれこれインスタント
ラーメン凄麺横浜とんこつ家は218円。

セブンイレブンで売っていたインスタントラーメンだ。

昼は軽く食事を摂る。

おにぎりの日もあるがたまにはラーメンにすることもある。

それは時間的に余裕があるときだ。

太い麺だけにお湯を入れてから5分間待つ。



ス-プは液状で、具はチャーシュ。

それよりも大好きなネギがたっぷり。

ホウレンソウも入っている乾燥具材もある。

出来上がれば2枚のノリを置いていただく。

生ラーメンとも思えるような麺作り。

ツルツルの喉越しがいい。

出しは濃い目。

美味い一品である。

(H24. 3.14 SB932SH撮影)
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目撃獅子舞から各地の大神楽へ

2012年04月26日 06時44分12秒 | 楽しみにしておこうっと
大和郡山市の額田部町を通過しているときだった。

白っぽい装束に身をかためた二人の男性が歩いていた。

それは獅子舞を演じる姿だ。

一人の男性が獅子頭を抱えている。

通り過ぎる一瞬ではあったが、大和の行事のなかでその姿を見ているだけに間違いはないだろう。

付近に住むYの話によれば、獅子舞をする大神楽は昔から来ているという。

今では若い人になったが、以前は年寄りだったそうだ。

朝一番にやってきて、お金を渡したら玄関前で剣の舞をしてくれた。

家内安全を祓ってもらったという。

毎年、学校が春休みになる前の日に来るという。

ジャンガラと呼んでいた鉦や太鼓はなかったが、笛一本で吹いていて、終われば頭を被るような格好で獅子頭をパクパクさせていたと話す。

この日の朝に訪れた大神楽はお札を2枚置いていった。

一つは玄関に貼るという。

もう一枚は今年初めてもらったもので「天照皇大神」のお札。

Yさんが続けて話した大神楽はもっと昔のこと。

推古神社を新築したときは大勢の大神楽がやって来て、傘回しの曲芸をしていた。

村人が大勢来ていてゴザを敷いて見ていたと話す。

M氏によれば、それは40年ほど前のこと。

推古神社の本殿を建てなおしたとき奉納された獅子舞の大神楽。

それは4人以上も来ていて、傘回しの曲芸もしたそうだ。

同じようにゴザを敷いて見物していたと思い出された。

子供の頃、獅子舞の大神楽が来て剣の舞をしていたと話すKさん。

生まれ育った長安寺町でのことだ。

氏神さんの厳島神社には大神楽がなかった。

ところが隣村の池沢町の春日神社では大神楽があった。

何の祭りかは覚えていないが、伊勢の大神楽がやって来て傘回しをしていた。

一行は4人ぐらいだったので道具も多く、大八車に載せてきたという。

獅子舞が来ていたという長安寺町に住むNさん。

酒屋とか商売屋さんは金持ち。

多額の金を摘んで舞ってもらった。

そのときの鉦の音を覚えているそうだ。

横田に住むHさんの話では、氏神さんの八幡神社に大神楽が来ていたという。

随分前のことだが、肩の上に乗った人が演じていたというからおそらく接ぎ獅子舞だったろう。

こうした神社で奉納されていた大神楽は県内のあちこちで聞くが今は見られない。

随分と前になくたった大神楽。

聞いた話では年老いて引退し、祭りから大神楽が消えたという。

その名残の一枚が残されている橿原市東坊城町の杵築神社。

社務所に当時の写真を拝見したことがある貴重な一枚だ。

天理市の楢町に鎮座する楢神社ではかつて大神楽が奉納されていた。

一枚の写真が『楢町史』に掲載されている。

拝見すればゴザが敷いてある。

日傘をさして見る人もいる。

夏祭りだとすれば7月16日。

現在は大神楽は見られないが、その日を「ダイカグラ」と称している。

天理市櫟本の膳史(かし)に住むNさんが話す大神楽は和爾下神社の秋祭りだったというがおそらく夏祭り。

それを奉納していた大神楽の人は帯解(今市の東)のほうから来ていたという。

そんな話題をしていた二日後の都祁針。

前年度頭家を務められたM家の婦人の話では当地にも大神楽が行われているという。

今は曽爾村今井の獅子舞保存会になったが、かつては伊勢の大神楽だったそうだ。

その獅子舞は数え42歳と61歳になる男性が厄除け祈願奉納として村人に披露してもらうのだ。

昨年に取材させてもらったのは曽爾の獅子舞だった。

そのときに聞いたのは15年前までは伊勢の大神楽だった。

それは二組だったという。

一つは天理市の櫟本から、もう一つは奈良市の京終だったという。

櫟本の組は演じる人が亡くなったことから来られないようになった。

それにつれて京終もいなくなった。

そうした事情で相談したのが伝統芸能を継承している曽爾村だったのだ。

厄除け祈願する男性はその年によって人数が変わる。

多ければ獅子舞の費用負担が少なく、人数が少なければ負担が重くなるという。

奈良市別所町の村人から聞いた話では、ゾーク(造営上棟祭)で奉納された大神楽は本場伊勢桑名の大神楽だという。

オヤマの道中もあったそうだが、雨が降ってきたのでわりかし短めやったと話す。

それはともかくここも獅子舞の大神楽がやって来ていたとそうだ。

4、5人がリヤカーを引いてやってきた。そこには獅子、天狗、太鼓、笛、鉦などの道具箱(唐箕)を乗せてきた。

どうやらリヤカー(若しくは大八車)だったようだ。

村にやってきたのは2組。一つはTの組で京終から来ていたという。

もう一つはMの組で天理から来たようだという。

どうやら都祁針も別所町にやってきた大神楽は同一であるようだ。

当件とは直接関係はないが、櫟本の市場に住むFさんの話では和爾下神社の祇園祭で立山があったと回顧された。

(H24. 3.12 SB932SH撮影)
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23回忌でにぎり長次郎

2012年04月25日 06時45分34秒 | 食事が主な周辺をお散歩
平成二年に亡くなった祖母は92歳だった。

平成元年の秋に大病を患った翌年のことだ。

退院してから京都の病院まで見舞いに行った。

年老いた祖母はそこに居た。

動くこともできずに新しき年が明けたことを喜んでいた。

それからしばらくした節句の月に病院から知らせが届いた。

駆けつけたときには時すでに遅しだった。

霊安室で対面したことを覚えている。

私が退院して元気を取り戻して安心してあの世にいってしまったのだろうか。

あれから20年以上も経った23回忌の年忌法要。

家族それぞれが20歳も前の光景を思い出す。

その日以来、法要に来てくださっている住職は大阪平野の大念仏。

奇しくもその大念仏からやってくる大和のご回在を取材するようになっていた。

街道を巡る如来さんに手を合わせている。

23回忌のこの日も住職に参ってもらった。

お寺では事務方だったが大和のご回在に出かけたことがあるという。

ご自身が担ったときはマイクロバスだった。

それまでは禅門たちがリヤカーで運んでいたという。

その時代の経験はないが各地を巡っていたそうだ。

度々の取材地である室生の下笠間。

当時は泊りもあって堂内で寝泊まりした記憶があるそうだ。

そのときの話される長老たちの豊富な話題に盛りあがったそうだが、記録をしておけばと今更ながらに思うと話す住職。

念仏は諷踊(ふじゅ)だそうだ。

当家の23回忌にその話で盛り上がった。

大和郡山市の額田部融通寺、矢田町通の円融寺住職のお名前も飛び出す。

ありがたいことだ。ちなみにO住職のお寺は平群郡下垣内の円通寺。

本山を含め同寺の取材もいずれお願いすることであろう。

そうして始まった祖母の年忌供養。

最後になる弔いあげは10年後の33回忌となる。

ちなみに13回の法要に際して、それぞれの菩薩や仏さんが仏事に充てられた追善法要の十三仏がある。

初七日は不動明王。二七日は釈迦如来。三七日は文殊菩薩。四七日に普賢菩薩。五七日が地蔵菩薩。六七日は弥勒菩薩。七七日は薬師如来。百カ日が観音菩薩。

一周忌は勢至菩薩。三回忌に阿弥陀如来。七回忌は阿閦如来(あしゅくにょらい)。十三回忌は大日如来。三十三回忌が虚空蔵菩薩である。

長い修行の締めくくりとされる弔いあげの33回忌を迎えて故人は菩薩の世界に入り、ご先祖さんは守り神になるというが・・・。

数えてみれば23回忌にあたる仏さんはない。

17回忌、27回忌もそうだ。

何故なんだろう。

そんな疑問とは関係なく久しぶりに出向いた大阪市内の住之江。

日曜日はどこもかしこも満員御礼。

入店した木曽路は予約客があり1時間待ち。

仕方なく昨年6月にも行ったこともある「にぎり長次郎」に切り替えた。

そこでも駐車場が満杯。

これまた仕方なく近くにある指定されたタイム制のパーキング。

2時間以内はお店で出される無料サービス券で助かる。

長次郎で頼んだ寿司は「花ひとひら」の寿司御膳。



もう一つは京にぎりの「大原」だ。

いずれも1480円。

前回は日替わり定食があったが、それはない。

980円の竹御膳を頼んだことを覚えている。

一挙に500円もプラスされた御膳。



それが出されるまでのお口初めに頼んだのが980円の「海の幸五点盛り」。

これは美味い。

トロトロのマグロにサーモン、タイ、イクラなど。新鮮な魚に舌が唸る。

御膳のにぎり寿司はいずれも11点だが、なんとなく「花ひとひら」のほうが上等のように感じる。

しかも、「大原」には付いていないサラダまである。

これがまた美味いのだ。

共に茶碗蒸しと赤だしみそ汁が付いているのだが・・・。

お腹一杯の満足寿司だった。



ついでに頼んだ120円の生ゲソ。

コリコリ、シコシコ、歯ごたえがあって、そんじょそこらのゲソではない・・・と思うから2皿にした。

そうそう、御膳に付いていた香物が美味しかったのだ。

べったら漬けだ。

これが気になって仕方ない。

それだからその一品を頼んだがメニューにはない品書き。

しかし、まぁなんですな。

頼んでみるものです。



出てきたのは漬けものの盛り合わせ。

シャキシャキ感のミズナが美味すぎる盛りは380円だった。

(H24. 3.11 SB932SH撮影)
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長滝町コンコンサン

2012年04月24日 06時43分26秒 | 天理市へ
天理市長滝町は山の上。集落は山々に囲まれている。

その山の一つに鎮座する稲荷社に参る人たち。

長靴を履いている。

前日に降った霙(みぞれ)雨がたっぷりと山に染み込んでいる。

急な山道はドロドロで泥濘状態。

昨年は大雪やったから登りも下りもたいへんやったと口々にいう村人たち。

山の上の稲荷社に参る。

お稲荷さんは初午に参るのが本来だが寒い日は厳しいからと3月の初午にしているという「コンコンサン」。

村の人はそう称している。

そんな山道を予め道造りをしていた厄の人。

初老と云う42歳の男性二人は、登りやすくするため、山道を階段状にしてロープを張っておいた。

これは決まりでもなく自主的な行動だとAさんは話す息子さんがこしらえたありがたい道造りだったのだ。

ありがいのはもう一つある。

運動靴でやってきた私は山に登ると聞いて諦めようとした。

そこへ長靴を履いたご夫婦に出合った。

それなら貸してあげると云って家まで取り戻ったKさんに感謝する。

距離はそれほど長くはないが急な山道の勾配はきつい。

同行しなければ山中で迷いようになる地に稲荷社があった。

そこには穴を掘って火を起こしている。

それも厄の人がこしらえたのだ。

社には幟が立てられている。

「正一位稲荷大明神」と「伊予良大明神」の二つだ。

朱塗りの鳥居はオトナ衆が建てたという。

ここは標高500m。

社が鎮座する山は隣村の苣原町との稜線。

下の谷は伊予良と呼ぶ小字である。

昔はこっちから登ってきたというが使うこともなく荒れたそうだ。

下の谷は原野で耕地だった。

田んぼもあったという。

かつて猟師がいた。

「ケンケンサンに願をかけてキジとかウサギを獲っていた」という。

社が古くなって屋形を建てたのは25年も前。

ケンケンサンはお稲荷さん。

コンコンサンに参るというのも親しみを込めたお稲荷さんの愛称であろう。

京都伏見から勧請を受けて祀った稲荷社はキトラ(亀虎)の方角。

村を見守る位置にある。

参る人は高齢者が多い。

急な山道を登る逞しさに生活ぶりに感動する。

この日は13人。

例年ならもっと多いのだがと話す長滝町の戸数は26軒。



お稲荷さんだけに御供はアカメシと呼んでいるアズキのメシに三角のアゲ。

さらにタマゴもある。

それは生タマゴやミヌキタマゴに半熟タマゴ。

特に決まりはないがそれも御供さんだ。

巻き寿司も見られるさまざまな御供は各家がこしられたご馳走だ。

お神酒を供えて手を合わせる。



参拝者が揃ったところで代表者が祝詞を奏上した。

急なにわか頼みだったが難なくこなした神主役。

サカキを振って祓いをする。

「しじゅう(始終)に(二)無事で過ごせるようにと厄の人を祓う。



村の豊作も願ったコンコンサン参りは下げた御供を口にする。

各家の美味しい味がする御供を食べながら談笑する。

竹で燗をしたお神酒もいただいて身体はほくほく。

アゲも焼けば焦げ目もついて美味しい。

ほどなく山の上の時間を過ごしたあとは生えているビシャコ採りに勤しむ男性たち。

お稲荷さんにも奉った樹木は持ち帰って家の神棚に供えるという。

そのビシャコは風がすく処はすくすく育つ。

風が通るからだという。

実がついているビシャコは商品価値がないとNさんは話す。

ほどなく過ごしたコンコンサン。

下りは滑りやすいので、一歩、一歩足元を踏ん張りながら下った。

雪が降ったときはお尻から滑ったと笑いながら下ってゆく。

(H24. 3.10 EOS40D撮影)
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寿司ごのみにシカ肉

2012年04月23日 07時45分15秒 | あれこれテイクアウト
ハッスル店は各地にある。そのうちの一つが天理市の田町にある。

たびたび購入する旅の途中下車。

この日は土曜日。

いつもなら399円で販売されている各種の弁当が299円。
なんと100円も値引きだ。

どれを食べようかと迷って選んだのが「寿司ごのみ」。

取材を終えて再びやってきたハッスル3。

今夜は十津川の民宿津川から送られたシカ肉で焼き肉だ。



親父さんが鉄砲で仕留めたシカ。

ときおり送ってくれるありがたい山の恵み。

獲った日付けを記している。

昨年1月30日に仕留めた猪、2月23日も猪、12月23日がシカ肉だ。

野菜も添えなければとニラとモヤシを買った。

ピーマンも欲しかったが高値で断念。

ついでにチクワとテンプラも・・・・。

それはともかく昨年9月の山崩れの「後遺症が常によぎるんです」と民宿のねーちゃんが電話口で話す。

雨が降ればがけ崩れで通行止め。

先日も七色がそうだったとニュースが伝えていた。

心配はまったくないのだけど、雨が続けば当時の山崩れを思いだすそうだ。

春になって天候もよくなってきたらお客さんも増えてほしいと願っている。

(H24. 3.10 SB932SH撮影)
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小林町新福寺観音堂オコナイ

2012年04月22日 07時46分49秒 | 大和郡山市へ
行事に先だって20本ものヤナギの木を調達してきた。

それはオコナイの勤行に際して奉られる。

処は大和郡山市小林町の観音堂。

お堂は真言宗豊山派新福寺の観音堂で創建はそうとう古い。

元禄年間に建立した杵築神社境内にあるお堂だ。

扉を開放することなく行われるオコナイ。

蝋燭の明かりに堂板のすき間からもれる外の光が堂内を荘厳に醸し出す。

正月始めに行われる初祈祷の修正会だが、当地は毎年3月3日だ。

春はうららか。梅の花芽もほころび始める頃だけに村の人たちは桃の節句とも呼んでいる。

祭壇にはお札がある。

「新福寺 寶印 牛頭天王」の書はいわゆるごーさんのお札。

中央には不動明王姿の朱印が押されている。

それは寶印。

「いつのころか判らないが牛玉宝印から牛頭天王に転化したのでは」と住職は話す。

杵築神社の祭神は素戔嗚命。

まさしく牛頭天王だ。

神宮寺であったと思われる観音堂。

お寺の行事であるオコナイは、いつしか神社祭祀の宮座(左座・右座)に移っていったのではないだろうか。

こうした事例は大和各地に見られる。

お堂に登った宮座の人たち。

いつもの顔ぶれだ。

オコナイは子どもが主役で行われている行事。

それゆえ学校が終わってからの時間帯となる。

この年は6人がやってきた。

堂内は狭くて20人も上がると座る位置も難しい。

子どもは内陣の縁を囲むように座る。

用意されていたフジの木を、早速手にするがまだ早い。

住職が「ランジョー」を唱えるときに叩くフジの木なのだ。



そうして始まった初祈祷の勤行。

数分後には焼香が回された。

身を清める意味があるという。

それからも続く読経。

20分も経過したころだろうか。

長いお経の途中で住職は子どもたちに「ここで叩くのだよ」と優しく声を掛けられた。

そうして発した「ランジョウ」。



それを合図にフジの木を激しく叩く。

心の内にひそめる悪魔を祓う作法だという。

バタ、バタ、バター・・・。

狭いお堂に叩く音が響き渡る。

さらにお経は全国の神さんの名を呼び出す神名帳へと移って「・・・春日大明神、大和、広瀬、龍田、大神、・・・ダイミョウジュン、ダイミョウジュン、ランジョー」。

カーンと鉦が打ち鳴らされ、縁を叩く行為によって村から悪魔を追い払う。

母親が抱く赤ちゃんも叩いている。



国家安寧、庶民の健康を願って本尊の観音菩薩に敬って申す。

「ダイミョウジュン ランジョー」・・バタ、バタ、バター・・・の縁叩き。

一般的なランジョウは二、三回であるが、子どもたちのためにと十数回も繰り返される。

鉦を連打されて終えた初祈祷はおよそ35分間。

悪魔を追い払って終えたオコナイは村の五穀豊穣を祈る行事である。

続いて唱えられた般若心経。

身体堅固、諸願成就、三界万霊、功徳など念仏を唱える。

そのあとは本尊観音さまの牛玉寶印を参列者の頭に押していく。



「オンソワカ」、手を合わせて身体堅固のご加持をありがたく受ける。

オコナイといえば御札の寶印。

それは厄除けの御札でもある。

5月初旬作った苗代にお花を飾って挿す。

豊作の願いがそこにある。

少なくなったが15軒の専業農家で挿しているという。

(H24. 3. 3 EOS40D撮影)
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大和な雛まつりの旧川本邸

2012年04月21日 08時11分51秒 | 大和郡山市へ
大正13年に建築された大和郡山市洞泉寺町の旧川本邸は木造の3階建て。

全面が優美な格子の外観は圧倒的存在感を放つ遊郭建築だ。

南側にはハート型の窓が見える。

意匠を凝らした内部の装飾は、遊郭当時の賑わいを偲ばせる建物。

現在は大和郡山市が保有しており、建築物の活用をどうするか検討している。

その先は不透明だが、先鞭を切ってプロジェクトが発足した。

市のアイデアサポート事業に選ばれた「城下町再発見プロジェクト」だ。

そのグループが主催する「城下町たてもの散歩」がある。

昨年の11月に行われた建物巡り。

歴史的建造物や町並みを次世代へ受け継ぎ、生活文化やなども含めて建物を後世に守り継ぐ大切さ。

それらを理解してもらおうとしたイベントである。

この春にも行われる予定だ。

そのことはともかく、ここでもお雛さんを飾っている「大和な雛まつり」。

寄贈されたお雛さんは8組。

14段の階段そのものを雛飾りにした人形は140体にもおよび圧倒される。

(H24. 3. 2 EOS40D撮影)
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