マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

下永東城のお渡りは目と鼻の先に・・

2022年01月16日 11時40分04秒 | 川西町へ
西城キョウの蛇農具作りを撮らせてもらったお礼に訪問する川西町の下永。



この年も苗代に立てていた御符にイロバナを撮っておく。

伺った方々が話してくださった下永の行事。

取材時、西城のトーヤ(当屋)を務めていたHさんは昭和14年生まれ。

出垣内でいちばんの年寄りだ、という。

この日は生憎不在のため話してくださったのは婦人になるが・・。

撮らせてもらった写真をお渡しし、次に訪れた地域は東垣内。

畑におられたAさんは昭和18年生まれ。

西城は西、東に出垣内の3垣内。

であるが、さらに分割していると話してくれたA婦人。

出垣内、西側。公民館より西北にあたる垣内が、北垣内に南垣内。

そして東垣内からなる4垣内の廻りになる、というから実にややこしい。

西城も子どもの少子化。

現在、2人の男児がいるが、まだ小学生の年齢。

キョウ行事に膳にはいるイリクに到達する年齢は、もっと先。

満年齢が17歳にならなければ、膳をともなうイリクの儀式はできない。

儀式はできなくとも、ジャをつくり、送っていく形式は絶やせない。

そのため、イリクに到達するまでのジャつくりは自治会が代行している、という。

少子化は、キョウ・ジャ・イリク制度だけでなく、東・西城ともにマツリのトーヤ(当屋)制度にも大きく影響する。

一方、将来を見据えて判断された東城。



マツリのトーヤ(当屋)は、これまでお家から出発し、八幡神社までお渡り、参拝していたが、新築移転した東城公民館に替えた。



民家から公民館。

こうしたマツリの場の移行事例は、県内各地に拡がりつつある。

(R2. 5.10 SB805SH撮影)

下永吐田・H家の苗代まつり

2022年01月05日 10時35分39秒 | 川西町へ
午前中は奈良市押熊町。

夕方は大和郡山市の南。

大和川を越えたらすぐ、川西町の吐田に着く。

昨年の5月19日である。

隣村になる下永でされている松苗、イロバナの分布調査に訪れていた。

ふと思い出して急行した地は吐田の北吐田。

8年ぶりにお会いしたHさん。

畑地を巡回していたときにお会いした。

たまたまの出会いである。

当時、産経新聞の奈良版に連載していたシリーズやまと彩祭のゲラ記事の検証に伺っていた。

悩まされた表現は「トーヤ」。

充てる漢字は、頭屋と聞いていたが、どうも違うらしく、Hさんの記憶は頭家表記であった。

念のために継承されてきた古文書をもって検証してみようと資料を漁ってみた。

すると、「トーヤ」の漢字表記は、一定でないとわかった。

頭屋もあれば、頭家もある。

一転、二転もしていた漢字表記に断定するのは難しい。

北吐田(きたはんだ)の宮座の人たちによって行われる莊厳(しょうごん)行事だけに悩まされたが、最後は決断するにかない、と「頭家」に決められたことを思いだす。

そのHさんが話してくれたH家の苗代つくり。

例年の4月29日。祝日である。

その日の午前中に終えた苗代に花を立てる、と。

だいたいがそれくらいの日にしていると云われるので、また寄せてもらいます、とお願いしていたが、午前中は護符を立てる押熊。

優先度が上がった押熊行きに決めた。

気になるのは、H家のイロバナ立てである。

されているのか、どうか、行けばわかると思って車を走らせた。

そのときの立ち話である。

今も会員登録しているから大和郡山の柳澤文庫に出向くそうだ。

今は、企画展だけになったが、その当時の学芸員は藤本正文さんだったから、熱心に学んでいた古文書勉強会。

実は私も存じていた藤本学芸員であるが、勤務地が移ってから通信は途絶えた。

そういえばお盆のときの「サシサバ」はご存知ですか、と尋ねたら、ずいぶん昔のことのようで、親父さんの時代に食べていた、という。

Hさんが、記憶の片隅の残るサシサバの映像を思い出してもらえば、と思って発刊されたばかりの山と渓谷社刊の『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』を献本していた。

小屋の横に設えた苗代。

南側に挿していたイロバナを撮っていたら、駐車した車を見つけた家族さんが窓から覗かれて・・・。



名を名乗ってお父さんおられますか、と声をかけたらお家から出てこられた。

会うなり話してくださった県立民俗博物館事業の「私がとらえた大和の民俗―つくる―」テーマに揚げた古民家展示の写真展のことである。

H家もしていた、という「カンピョウ」。

3枚組のカンピョウ写真で展示した作品に感動した、と。

大きく育てたユウガオの実。

ざっくり円盤状に切る道具は両手で支える餅切りだった。

名前はなかったが、皮を剥く道具もあった。

その皮剥き道具の刃は剃刀。

長く、長く剥いたカンピョウは、展示写真と違って、屋根の低い作業の小屋根に片方を。

もう片方の竿の先を小屋前に就きだして支柱を立てて支えた。

その竿には麦わらを巻いていた、というからこれまで取材地で見たのと同じである。

カンピョウのタネは需要があった。

実生で育苗したカンピョウの苗は、スイカの苗に接ぎ木。

その方が丈夫な苗に育つ。同じようにカンピョウをしていた地区に田原本町の黒田を思い出された。

懐かしいカンピョウ干しの事例が吐田にあった。

そのことも嬉しいが、展示に来てくれたのが2月23日。

年賀状に案内してあった写真展、天理教月並祭を終えてから見に行った。

3月8日までの展示であったが、新型コロナウイルス拡散防止対策の関係で2月27日からは中止。

ぎりぎりセーフで見られた写真展。

また味わってくださったら、と思って特別にもっていた図録を差し上げた。

さて、苗代の件である。

作付け品種は馴染みのヒノヒカリ。

県内取材地のあちこちで栽培されているヒノヒカリである。

何年か前のこと。村の人が出かけた川合町・広瀬神社の砂かけ祭りに出かけて際、松苗をたばって持ち帰った。

その松苗は、村に戻って分けてもらった。

豊作に立てるという松苗を苗代に立てたが、住まいする地の氏神さんではないからと、それっきりのようだ。

イロバナを立てる位置は南側の畝の前。

本来なら水口付近に立てるようだが、お家は意識していないので、いつもこの位置にしている、という。

今年のイロバナは、お家に咲いたコデマリにドイツアヤメ、つまりジャーマンアイリス系のイリスとツツジ。

そろそろ陰に入る夕暮れどき。

丁度の時間帯に撮らせてもらった吐田のイロバナ。

Hさんが住まいする北吐田の氏神社は杵築神社。

3月は大祭であったが、新型コロナウイルス拡散防止対策の関係で、神社庁からの指示を受けた神主は、神事を含め、一切の年中行事を中止した、という。

3密に避ける散髪屋さん行き。

耳にかかるところは、娘さんに刈ってもらって対応するのも、既往症に何かが起こってはなるまいと日々気をつけている、と話してくれた。

(R2. 4.29 SB805SH撮影)
(R2. 4.29 EOS7D撮影)

夕映えの魔除けの宝扇

2021年02月07日 09時43分31秒 | 川西町へ
田んぼハンターの〆に選んだ下永の苗代に立てる唐招提寺の魔よけの宝扇。

昨年同様の日に伺ったら、その日にしなくて、寒冷紗を取り払ってからと・・。



お電話くださったその日の夕刻に、なんとか間に合った時間帯。



田主さんの心遣いが助かります。

(R1. 5.23  EOS7D撮影)

下永東城・キョウの雄蛇

2020年07月07日 09時39分08秒 | 川西町へ
西城の雄蛇を見届けて東城の雌蛇を拝見する。

東城のノガミの場もまたヨノミの木がある。

ノーガミサンの塚とも云われるその地(※小字瀬屋垣内塚)にセンダン(※栴檀)の枝葉で覆った籠がある。

昨日に調えた雌蛇の籠の内部にカワラケの眼がある。



そこにおられるというような雰囲気にある眼もまた、西城の雄蛇と同じようなつくり。

この塚にミーサンがいる、という所以であろう。

(H30. 6. 3 EOS7D撮影)

下永東城・キョウのコモグサ作り

2020年07月06日 09時55分11秒 | 川西町へ
西城の蛇つくりを見届けてから再び立ち寄った東城の公民館。

午前11時の段階にしていた作業は、ほとんど出来上がり。

ジャジャウマの形を整えるコモグサにセンダン(※栴檀)の枝葉。

いずれも近場で採取してきた自生する植物が材である。

コモグサは真菰。

水洗い中のこの真菰集めが難しい。

ある年は河原に生えていた真菰の一切が刈り取られたこともあった。

コンクリート護岸になった川に生息数は減少。

この年は隣町の天理市の前栽を流れる川まで出かけて採取してきたそうだ。

採取してきた真菰は水道水で洗って10本ほどを束にしてバンド止め。

ずっと前は藁で作った藁紐で括っていたが、いつしか市販のpp紐止めに移った。

それも替わって百均にでも売っている簡単に結束できるバンド止め。



効率化を考えて、5年前に切り替えたそうだ。



結束バンドで束にしたコモグサは水きりに干しておき、準備が調ったところで透明ラップに包んだハッタイコ(※麦焦がし)を、そのコモグサ束内に詰め込んで作り上げる。

蛇は麦藁で作る

コモグサ作りよりも先に作っていた蛇は眼も入れて完成。

青々に繁った花芽もあるセンダンの枝葉で蛇を納める籠全体を覆っていたから眼は見えない。

下永の氏神さんを祭る八幡神社下がりの白色の陶器製のカワラケの内底に墨で眼を入れるところも拝見したかったが、すでに終わっていた。

内部に仕込まれた東城の蛇は西城の雄蛇に対して雌蛇。



籠の内部で出発を待つ姿は、平成19年の6月2日にとらえたブログを参照できるようリンクしておいた。

当番の組は、南垣内、中垣内、巽垣内、北垣内、東垣内、西垣内の六垣内。

決まった垣内順に廻りをするから6年に一度の調整作業にあたる。

また、八幡神社の秋祭りに出仕する祭り当屋は7人制。

男系親子三代が揃わないと当屋は断らざるを得ない、というFさん。

1番当屋が気遣い、気苦労にたいへんな負荷がかかる。

父親が当屋になったときは、仮子でメンツを揃えたが、今は息子も孫もいないので断らざるを得ない、と頭を下げる。

籤による当屋決め。決定通知は公民館に貼りだされる。

今年の平成30年と31年度の当屋氏名に1名が同姓同名だったことから、籤総入れ替えをした模様だ。

調整作業を終えた公民館。

明日は膳のスシメシなどをいただく饗に利用される。

今年の秋祭りの百味の御食の場に利用される公民館はその後に解体され、翌年に児童公園内に新築される予定だ。

建て替えを機会に、これまで一番当屋の家からお渡りをしていたが、新公民館での支度に、出発地も新公民館に移ることから、お渡りはテントを張ってするようだ。

(H30. 6. 2 EOS7D撮影)

下永西城・キョウの雄蛇

2020年07月03日 09時37分05秒 | 川西町へ
かつては、西のほうにあったという川西町下永・西城のノガミの場(※小字野神)。

大和郡山市額田部町が所在地の奈良県浄化センター(※昭和49年6月供用開始)建設に伴い、敷地内にある公園外れの一角になる東側に移った。

この日は朝から取材続き。

宇陀市大宇陀町の栗野で行われた田休みのお垢離取りに明日香村上(かむら)の家さなぶりの取材を終えてやってきた時間帯は、午後6時を過ぎていた。

キョウに祭った西城の蛇の姿を拝見したくやってきた。

平成19年の6月3日以来のノガミ場は、記憶も鮮明にあるからすぐにわかった。

日が暮れる戦前のノガミ場の森は、ほぼ暗がり。

ヨノミの木に立てた西城の蛇は雄蛇。

眼にインパクトがある雄蛇は口開けの姿。

頭は真上にあるゆえ、ストロボを当ててみたい気もあるが、鬱蒼とした雰囲気のその存在がわかる方がよかろうと思って、かすかな灯りを頼りにシャッターを押した。

蛇の長さは5mほどであるが、蛇巻きに支えた青竹の長さは6m半。

蛇頭は暗闇に潜めており、まったく見えない。

撮る位置を替えて青葉を背景に、その存在を見つけた雄蛇。



獲物を狙っているかのように見えた蛇の表情をとらえた。

昨日にお会いした今年のトーヤ(当屋)を務めるHさんの話によれば、1年前に立てた昨年の雄蛇は竹と目玉書いたカワラケ(※裏は何も書かない)が残るだけで、麦藁は風雨に晒されて翌年清掃するときには何もない、という。

昔は、村の子どもたちが集金をしたお金で費用を賄っていたそうだ。

イリク入りした満17歳がオヤになる。

その年齢に近いものどうしが集まって、隣町の大和郡山市にある映画館に出かけて観ていた。何の映画だったかは、聞きそびれたが、歩いていくには遠い距離。

電車駅で一番近い駅は、近鉄電車橿原線のファミリー公園駅であるが、新設、営業した年は昭和54年7月。

Hさんは、昭和14年の生まれ。

最寄りの駅は、開業が大正12年の結崎駅であろう。

結崎駅から北へ数駅の区間に近鉄郡山駅がある。

駅を降りて西すぐの朝日町にあった映画館「大和劇場」であったろう。

Hさんが、子どものころのキョウ行事は、オヤ家が2軒、見習いになるハタラキの2軒の家が手伝って伝承してきた。

今では対象年齢の男児がいなければ、自治会が代行する形で継承している。

(H30. 6. 3 EOS7D撮影)

下永西城・キョウの蛇作り

2020年07月02日 13時58分27秒 | 川西町へ
この年、川西町下永を訪れること度々。

伝統行事の取材機会にご縁繋がりが次々と。

1月4日に行われた五人衆による牛玉宝印書の護符つくり

その護符は後日の成人の日に配られる。

その護符を苗代に立てる農家さん。

5月12日の地域調査は1カ所2カ所3カ所

広大なエリアに足を伸ばして調査した。

この日、訪れたのは苗代に唐招提寺行事の「うちわまき」に拝受した宝扇を立てたFさんが、村行事の「キョウ」の廻りに当番する組だと聞いていたからだ。

すくすく育った育苗に水やり。当番に出かける前のひと仕事である。

立てた日前月の5月19日。

「うちわまき」に出かけたその日に立てた

探し求めていた田主さん。

知人の先生に教えてもらってからようやく出会えた。

それはどこにあるのか。

探してみたが見つからなかった平成16年の5月。

翌年も探してみたが見つからず断念。

それから14年も経過した、今年に出合えた苗代の宝扇に感動。

そして、田主さんに感謝した日だった。

田主さんが役につくという「キョウ」の本番は翌日の日曜日であるが、本日は土曜日。

その準備作業である。

大和郡山市の南の端は額田部町。

大和川を越えたそこが川西町の吐田。

吐田から東側に位置する下永の地は、大きく分けて東が東城(ひがしんじょ)、逆に西側は西城(にしんじょ)からなる。

かつては6月5日(※現在は6月第一日曜日)に行われていた「キョウ」と呼ぶ行事がある。

祭りごとを終えたら施主のオヤ(※親)の家で膳を設けて村の子らに食べてもらう、いわゆる饗の膳である。

東城、西城それぞれにあるが、膳の盛りは異なる。

その接待膳から名が付いたともいわれる「キョウ」は、奈良県内の60くらいの地域で行われてきた野神行事のひとつ。

ここ下永では、「キョウノマツリ」とか、「ノーガミサン」ともいわれ、小字野神(※東城は神ノ木)の塚に奉納する藁で作った「ジャ(※蛇)」を奉納することから「ジャジャウマ」と呼ぶこともある。

「キョウ」の行事を拝見したのは平成19年6月2日と3日の両日。

ずいぶん前のことである。

両日とも東城に西城の取材に駆け回っていた。

前準備のコモグサ、ジャ、ミニチュアの農具作りに饗の膳の準備もある。

東城では、饗の膳の準備とノガミ塚での祭りごと。

西城では、祭りを終えて戻ってきたオヤの家でもてなす饗の膳などを撮っていた。

前置きはそれくらいにしておき、先に挨拶だけさせてもらった東城の公民館を離れて西城に向かう。

近鉄電車の高架下を潜り抜けたそこに西城の集落が目に入る。

蛇つくりをしているであろうと思えるトーヤ(当屋)家を探して歩いたそこに庭干しがあった。



なんだろうと近寄ってみてわかったそれはねぎ坊主。

カメラレンズで見たねぎ坊主は、まるで生き物。

ころころ転がっていきそうな生き物のように見えたのが、逆に面白さがある。

その庭干しからまだ先だろうと歩いていったそこが西城の公民館。

着いた時間は午前10時。

早くも西城の蛇が出来つつあった。

14年ぶりに伺った西城に存じ上げている人たちはいない。

あらためて取材主旨を伝えて垣内代表の長老さんに挨拶をする。

昭和14年生まれのHさんが、今年の代表だという。

他、作業をしている垣内の人たちにもお声をかけて撮影する蛇。



足も取り付け、形が決まったところで散髪する。

鋏で刈って整える蛇つくり。

真剣な眼差しで整える若い男性は、今年初めて参加されたそうだ。



これまでは親父さんが担っていたが、この年初めての作業に、さまざまな段取りを知る。

一方、公民館内では、経木(ヘギ)の木で作るミニチュア農具の製作。



鋤や鍬を象ってこれから始める墨塗り。

この塗りでよくわかる鉄製歯の模擬農具は、穴を開けたところに竹串を挿してできあがる。

剝れないように接着剤を貼付して乾燥。

明日の出番に備えて固めておく。



実は、杉材でできている経木(ヘギ)は再生利用。

下永・八幡神社の祭りに用いられる経木(ヘギ)または片木(ヘギ)を再利用して作っている。

三本歯のフォーク鍬も女性が作っているが、昔は子どもたちが作っていた。



農具どころか、蛇も作っていたというから、今思えば凄い時代だったわけだ。

かつては36戸だった西城。

現在は34戸の4垣内。

中央の出垣内に、西側は公民館より西北にあたる北垣内・南垣内。

出垣内南側になる東垣内の4垣内が、当番制で持ちまわる垣内廻りの順である。

対象年齢の子どもがいない場合は、自治会が代行する。

7年前より、トーヤ(当屋)の場を移した公民館の作業。

この年は、対象年齢の子どもがいないことから自治会が代行する製作作業である。

蛇の形が決まったところで命を吹き込む蛇の眼入れ。



白いカワラケの底面に墨を入れる。

これが蛇の眼である。

左右、両目に墨を入れたカワラケは針金で縛って2枚合わせ。

蛇の眼を入れる箇所に空洞を設けている。



そこに入れた両目のカワラケはピッタリサイズ。

両目とも出来上がったら、2本とも首辺りに針金を通し、括って外れないように固定する。



地域の先輩たちが慣れた手つきで作る蛇頭。

その様相をしっかりと目に焼き付けておきたい次世代を担う若頭。



後に聞いた話では、若い二人はご夫婦。

お嫁さんは今年のトーヤ(当屋)を務めるHさんの娘さんだったとは・・。

蛇は藁つくりのままではよれよれ。



一本、筋の通った蛇にするために青竹を添えて固定する。

青竹の長さは、6m半程度。

藁で作った蛇の長さは、大人が両手を広げた幅の3倍の長さ。

およそ5mの蛇は、すべてが麦藁つくり。



こうして蛇の胴体、足の用いた残りの麦穂もまた次年度への引継ぎ。

種から栽培する西城の蛇である。



手伝いさんが、蛇の首根っこを掴んで、頭を上げたら、まるで生きているかのような状態になった。

大きな口も開けた蛇の表情が、とても愛らしく見えるほどデキが良い西城の蛇は、東城の雌蛇に対して雄蛇とされる。

青竹に固定するのも針金。



竹の節目に括ってずり落ちないようにする。

なんせ長い蛇を円筒形の青竹に固定するのは難しい。

頭持ちから、胴抱えに尻尾まで。

必要人数で蛇を固定するに捩じりを用いる。



捩じりは、竹に合わせてぐるぐる巻く。

短い間隔でなく長い間隔で巻き、要所、要所を外れないように針金縛りをするかと思えば、それはなかったが、その姿は草花で云えばまるでネジバナのように見えた。

出来具合を確かめるに公民館の屋根まで届けようか。



長さが決まったところで尻尾を括った。

一旦は下ろして最後の調整にトーヤ(当屋)が鋏を入れる。



Hさんの話しによれば、眼を入れたカワラケの内側には何も書かなかったという。

実は、東城の雌蛇の眼にはトーヤ(当屋)の名前を書いていた。

西城も同じようにされているのかと思って尋ねた結果は、ない、ということだ。

明日は、朝早くに大和川を超えた川向こうの岸下にあるノガミの場に蛇を送るが、先客取材がある関係で行事そのものは拝見できないから、翌日の3日に訪れて状況を拝見することにした。

(H30. 6. 2 SB932SH撮影)
(H30. 6. 2 EOS7D撮影)

夕陽に映える苗代の宝扇

2019年11月14日 10時34分31秒 | 川西町へ
この日もまた訪れた川西町下永。

明日香村の上(かむら)で取材した帰り道に立ち寄った。

上(かむら)で同行取材していた写真家のKさんに見せてあげたい豊作願い。

育った稲が虫に喰われんようにしておく虫除けのまじない。

田主のFさんが数日前に立てた宝扇。

到着時間は午後6時直前。

夕陽が落ちるころであれば、丁度いいと思って立ち寄った時間帯。

田主のFさんは、苗代の水やりをしていた。

今年は何度も伺っては、その状況を撮らせてもらった。

何度も、何度も、だけに煩い蝿のようだと思われたかも・・。

前月の5月19日。

宝扇を手に入れたく出かけた奈良市・唐招提寺で行われる「うちわまき」行事。

この年は、抽選で拝受した宝扇。

持ち帰って、その日の夕刻に立ててくださった。

万が一、抽選に外れた場合は、1枚が千円で売っている宝扇を入手して、苗代に立てる。

当日が都合で行けなかった年もあるらしく、その年は立てられなかった、とも。



今年は、6月6日に池水を水路に流される。

水が流れるようになったら田植えができる。

今年は10日の日曜を予定しているそうだ。

(H30. 6. 3 EOS7D撮影)

朝日に染まる魔除けの宝扇

2019年11月11日 10時53分55秒 | 川西町へ
この日は下永で行われるキョウの蛇作り。

東城、西城ともにほぼ同じような時間帯でされるから、両地区とも拝見するには2年もかかる。

顔出ししたのは東城地区。

唐招提寺の「うちわまき」に行かれて入手された魔除けの宝扇を苗代に立てたご主人にお礼がてら立ち寄った。

先に出かけて拝見したい宝扇立ての苗代田。

昇った朝日の光を浴びていた。

逆光によって宝扇に描かれた巻物の梵語文字である。

何を書いてあるのか、まったくわからない。

「千手千眼観音菩薩と鳥須沙摩明王(うっさまみょうおう)」のご真意を梵字で記しているそうだが、ご真意はいかなる内容なんだろう・・・。

参照したブログ・・

(H30. 6. 2 EOS7D撮影)

下永東城・F家の魔除けの宝扇

2019年10月17日 09時46分08秒 | 川西町へ
一週間前の12日に訪れた際に話してくれたFさんは、唐招提寺に出かけて魔除けの宝扇を手に入れてから苗代に立てると話していた。

うちわまきは午後3時から始まる。

先着400名であれば朝早くからでかけなくてはならない。

それを避けた抽選若しくは一般購入になるのか、この日は土曜日だけに大勢になるからどうしようかと迷っていた。

入手は一年中売っている一枚千円もあるが・・。

いずれにしても行事が終わるのは午後4時。

それから家に戻られてすぐにされるのか、それとも翌朝に・・。

呼び鈴を押したF家。

ちょっと一服されていたが、来られたのなら立てましょうと云って苗代田に向かわれる。

ご無理をいって申しわけなく思い。

苗代田は水に浸かっている状態。

周りの田んぼはまだ荒起こしをしていないが、ジュクジュク地。

足元がずぶずぶならないように足を運んで松苗・護符にイロバナがある処に立てた。

苗代に立てた団扇は威徳のある魔除けの団扇と呼ばれている。

蚊も殺さずに追い払う魔除けの宝扇の力によって田畑を荒らす虫を追いやる。



その考えもあって育ってきた苗代に育つ稲苗を虫から守るのに立てるまじないだというFさんはその故事にあやかってこの年も宝扇を立てたが、毎年するのが難しくなってきたと話していた。

(H30. 5.19 EOS7D撮影)