マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

北海道釧路・近海商店の炭焼きさんま丼

2018年12月31日 08時08分15秒 | あれこれインスタント
昼ご飯はこれでも食べておいてと云われていた。

買い置きしていたレトルト食品。

製造販売する会社は北海道釧路の近海商店

このようなレトルト食品は近くのスーパーでは売っていない。

取材地の平群町檪原を離れて1時間強。

帰路の途中に立ち寄った平群町のザ・ビッグ・エクストラ。

以前はなかったと思うのだが・・。

この店でも売っていない商品は大和郡山市小泉町にあるスーパートライアルである。

買い物を済ませてまずは湯沸かし。

レトルト食品は湯せんで温める。その間に買ってきたものを冷蔵庫に収納する。

湯せんは5分間。片身のさんまが3枚ある。

タレは一袋。

粉山椒も付いている一品である。

丼は小さ目にした。

普通サイズであればついついご飯を盛りすぎる。

そう思って小さ目の丼にした。

炊きたてホクホクのご飯をシャモジで掬って丼椀に盛る。

お茶碗一杯程度の量である。

帰路の途中の午前11時。

買い物中にお腹がぐうぐう言い出した。

今朝の朝食時間が普段よりも少し早めだったからであろう。

丼に盛って袋から絞り出す3枚のさんま。



どんぶりが小さいものだから、一枚が溢れてしまった。

この一枚は皿に移した。

かーさんが食べるであろうと思ったからタレも粉山椒も1/3を残した。

さて、近海商店の炭焼きさんま丼のお味はいかが、である。

口に入れた途端に吐いた言葉は、むちゃ美味い、である。

さんまは骨もなく箸で切れるくらいの柔らかさ。

タレとともにご飯も一緒に口の中。

唸る味付けはタレのおかげか。

山椒はどちらかといえば緩い。

山椒らしくないというか、苦手な私でもまったく感じない香り。

袋にはごっそり残っていたのだろうか。

ま、とにかく美味い、の一言である。

これは次回も買い、であるな。

(H29.10. 7 SB932SH撮影)
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手配が早い

2018年12月30日 07時53分59秒 | むびょうそくさい(おかん編)
家族が帰ったあとのおふくろの身体状況は、翌日の6日に介助に来てはじめて知る。

家族ともなれば見舞いでもなく、介助である。

実際に介助するのは院内の職員。

看護士さんであったり、介護士であるが・・・。

落ち着きを取り戻したおふくろは横になって寝ていた。

コルセットの肩当ての部分は身体から離れて浮いているが、背中はがっちりガードしているのだろう。

目を覚ましたおふくろが云った。

昨日はあれから3回も出たというのだ。

溜まりにたまった便がでなかった。

もよおしても人生初めて体験するコルセットに馴染めず、出なくなる。

止まったらもう出ない。

そういう状態であったが、家族が帰った時間後にもよおした。

それも立て続けに3回も。

すっかりきれいさっぱり便を排出したおふくろは気持ちがすっきりしたという。

腸内はすっきりしたが、馴染みつつあったコルセットの締めがきつく感じるようになった。

苦しいからと看護士さんに頼んで緩めてもらったという。

ちなみに入院当初は許してくれていたおにぎりに巻く味付け海苔がある。

残り枚数がないので、また持ってきてほしいというが、これは却下された。

その代わりと云っちゃなんだが、前日におふくろが食べたいと家からもってきた煮豆がある。

これは可能なのか、看護士さんに申し出たら、塩分が少ないということでお許しがでた。

ありがたいことであるが、この一品を部屋に出しっぱなしにするわけにはいかない。

千円払って冷蔵庫とテレビ兼用のカードを購入する。

冷蔵庫の場合は一日100円も消費する。

専用カードは千円。

10日間はそれで間に合うから、そこで保管することにした。

そうこうしている時間帯。

向かいのベッドで横たわって寝ていた婦人が起き上がった。

顔を見て間違いないとおもったから声をかけた。

その婦人も私を思い出された。

同じ病室に居た患者さんは長安寺町に住むNさんだ。

もう何年も会っていないNさんとここで会うとは思ってもみなかった。

Nさんは私が送迎ドライバーで勤務していた接骨鍼灸院の通院患者さんだった。

当時の年齢は80歳だったように思える。

しょっちゅうではなかったが、稀にお願いしたい身体状況に鍼灸院はOKを出して送り迎えしていた。

平成23年のころであるから、実質7年前に送迎させてもらっていた時期である。

空白期間は長かったがすぐに思い出された婦人はこの二日間はベッドに居なかった。

その間は許可をもらって自宅へ戻っていたというのだ。

自宅に戻ったら農作業。

収穫したヒラタネカキを選別していたら腰にきた。

家におればついつい農作業をしてしまう。

病院におれば寝てばかり。

いつも動いていたいNさんはしょっちゅう口も動く。

懐かしさもあるが口は止まらない。

急遽、同部屋に入院したおふくろにも声をかけたかったが、横になっているので、それはできなかった。

それが「あんたのお母さんやて」・・。

送迎のときも優しくしてくれたと云うNさん。

「お母さんにも優しいのね」と云ってくれたのが嬉しい。

Nさんが元気だったころ。

10月半ばから下旬までの期間限定に自宅前で果物や野菜の売り子していた。

屋号は長正(長安寺の主人名)と聞いていた。

懐かしい話題に売り子姿の写真を撮らせてもらったことがある。

平成23年の10月17日だった。

買った黒豆が美味しかったこともあり、4日後の21日に再訪。

カメラも一眼をもってきて撮らせてもらった。

あれからもう6年も経っていた。

翌日、7日はコルセットをさらに緩めてもらったから、10時間もぐっすり寝られた、と喜んでいたそうだ。

見舞いから自宅まで。

その行程にあるウエルケア悠に立ち寄った。

それより先に電話があった担当SされるケアマネジャーになってくださったFさんとの面談である。

現況を伝えたら、入院介護中のケアマネジャーは特に動きはなく、退院後になるという。

後日、そのような状況になれば、連絡させていただくことにした。

(H29.10. 6 記)
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10日ぶりの入浴に補装具コルセットを装着した日

2018年12月29日 08時16分31秒 | むびょうそくさい(おかん編)
毎週の月曜と木曜日が定例の入浴日。

2日に採寸したコルセットが出来あがる日でもある、この日は木曜日だ。

午前10時以降の何時になるかもしれないが、入浴の介助があると聞いていた。

入浴後に着替える着衣は何枚も要るとかで用意してきた。

着いた時間帯は午前10時半。

介助の二人が動き出した。

ベッドに横たわったままの状態で移動する。

フロアーは同階の南側にある。

ナースステーションの前を通って角を曲がれば入浴場の真ん前。

そこで入浴ができるようにストレッチャーに移す。

高さを合してさっと移す。

プロの仕事は実にスマート。

家族の介助ではそうはいかないプロの仕事に感謝する。

入浴は30分間。

3人かかりで綺麗にしてもらったおふくろが戻ってきた。

10日ぶりの入浴に、さっぱりして、とても気持ちいいと云う。

運ばれるまでは話し声は小さかったが、大きな声が出るようになった。

実はお風呂に入るまでは、もうどうでもえぇわ、と呟いていた。

さっぱりしたら気持ちが切り替わったようだ。

コルセットの装着予定時間は午前11時だったが、30分経過してもやってこない。

看護士さんに尋ねたら緊急の患者さんがおられて採寸などで、30分から1時間も遅れていると伝える。

そうとなれば、付き添い家族は早めの昼ご飯。

地下1階にコンビニエンスストアがある。

かーさんはそこでコーヒーにサンドイッチ買い。

私は先に所用を済ませたスーパーマツゲンで税抜き298円の三色おむすびセットを買っていた。

2年前にも利用したことがある地下1階のコンビニエンスストアの弁当はやや高めで品数も少なかったと記憶する。

塩分含有量の心配もせなならんので先に買っておいたのだ。

三色おむすびセットの塩分含有量は3.28g。

これぐらいならまったく問題がない。

コンビニ弁当に限らずスーパーの弁当も含有量が多い中、この程度の含有量であれば、心臓病の私にとっては救いである。

地下1階のコンビニエンスストアの奥はイートインコーナーがある。

そこでいただく早めの昼ご飯。最近はお腹が減ることが多くなっているので嬉しい。

三色おむすびは鮭フレークに佃煮昆布にツナマヨネーズ。

程よい塩分で美味しい。

フライもんはコロッケに鶏の唐揚げ。

コロッケに味は有るが、パサパサなのが難点だ。

その点、唐揚げは味付け良し、ジューシーさも良し、だった。

玉子焼きもまぁまぁ美味しくいただけた。

もう一つは照り焼きタレを塗した鶏肉団子。

これも美味かったので満足である。

食べ終わって外を見ていたかーさんは気がついた。

帽子を被ってはいるものの、あの後ろ姿に見覚えがある。

はっと椅子から腰を上げて走っていく。

近所に住む親しい婦人であった。

病院で出合う病いの話題。

ご互い、それぞれが病い持ちに花が咲く。

コルセットもでき上っていると思って、思い腰をあげて病室に行けば、調整の最中だった冨金原義肢製作の義肢さんがおられた。

担当主治医の指示を仰いでリハビリ担当の理学療法士も付いて調整してくれていた。

微妙な調整具合に何度も尋ねるおふくろの装着具合。

心地よい締めもあるが、背骨が曲がらないように締め付けも必要だ。

肩バンドの締めもあるし、腹バンドの締め具合も緩めではなくある程度のキツさが要る。

ベッドの上部を斜めに上げて装着する。

ほぼ座っているかのような傾きである。

コルセットは反り返るぐらいに締め付け調整。

座っても、横になっても痛くないようにする。

調整が終わってコルセット補装具の引き渡し。

満足できたところで現金支払い。

領収書に主治医意見書が手渡される。

その主治医意見書に書いてあった正式病名は「第6胸椎圧迫骨折」である。

何故に骨折に至ったのか・・。

それはわからないが、一般的に骨粗しょう症の人たちの場合はクシャミ、咳払い、寝返りがほとんどと聞いている。

骨はそれほど弱くなったということだ。

民俗行事の取材先の高齢者が話していたことを思い出す。

クシャミしたら骨が折れて3カ月も難儀したということである。

ちなみに入院当初に聞いていた入院は2週間。

その日数は安静加療であった。

2週間経ったらもう退院だと思っていたが、そうではない。

リハビリを重ねて退院したとしよう。

それで治ったということにはならない。

一般的な年齢の人であっても3カ月はコルセットを装着したままの日常の暮らしである。

高齢者はその倍の半年間も要するというのだ。

つまりは通院して身体状況の確認をする。

おふくろの骨は骨粗しょう症であるから半年間もコルセット生活になるということだ。

肌身離さずのコルセットは汚れる。

汚れたら洗う。

その場合は内部に納めている金属片を外に出す。

出さなくとも洗いは可能であるが、水分を嫌う金属片はできれば抜きだし。

どういう具合にするのですかと聞けば実演してくださる。

これならできそうだ、と思ったが、嵌めるときは逆向きにならないようにするのが注意点だ。

理学療法士が来るまではおふくろも昼ご飯。

今週のメニューによれば牛肉と油揚げが入ったカレーうどんであった。

ブロッコリーやカリフラワーの野菜サラダにフルーツヨーグルトで一式。

運ばれた昼ご飯にカレーの香りはない。

もちろんうどんもない。

寝たままのベッド生活では汁けのある食事は摂ることはできない。

ご飯は特別に作ってくださる三角おにぎりだ。

ソーメンは絶対的に無理。

箸を使って食べることが不可能。



そういう患者さんには串挿し食事。

それであれば片手でも口にもってこられる。

ただ、串挿しの奥の方は食べにくい。

座って食べるようであれば難なく食べられるが、寝たままでは串を掴む手の動きがままならない。

元気な人であれば、何してんのや、と云われそうだが、障害をもつ人にとってはそれさえ難儀するのである。

入院する前から食欲が少なくなってきたおふくろ。

結局、口にしたのは串挿しフルーツと1個のおにぎりだけだった。

えー匂いがする串挿しの牛肉。

ネギとか梅やきの炊いたんを試しにいただいた。

味付けは美味しいが、手元側に残った串挿し料理は私でさえ食べにくかったことがわかった。

ここ最近のおふくろは血圧が高めである。

入院するまでは一般的数値の血圧。

130もないぐらいであったが、入院してからはこれまで味わったことのない異常状態を感じてか、高血圧になってしまった。

そのことがあって病院食は減塩料理。

串挿しブロッコリーやカリフラワーの野菜サラダなんてものはまったく味がない。

味のないものは食べられないといって一切を口にしない。

時間帯は午後1時20分になっていた。

問題なく装着が終われば理学療法士によるリハビリ運動に入る。

足揉みが気持ち良いと声をあげるおふくろ。

膝曲げに蹴りを10回。

昨日までは5回であったが、コルセットをしたら倍の回数にする。

しかも力強いリハビリ揉み。

そうであっても気持ち良いと声をあげるおふくろ。

運動を終えて気がついたK理学療法士。

腰や背中を抑える道具が要る。

この日までは病院にある柔らかめのクッションをしていた。

もう少し張りのある堅めの座布団やクッションを持ってきた方が良いと伝えられた。

そういえば、私も入院中は腰マクラで腰や背中を抑えていた。

そのことを思い出した。

明日になるけどもってくるわと約束する。

痛みもまったくないようになってきたこの日の身体状況が嬉しい。

気持ち良い、を連発するおふくろの顔も嬉しいと云っている。

ちなみに理学療法士は2交替制勤務。

担当のKさんは大阪八尾。

おふくろの住んでいる大阪住之江もよくしっているという。

なぜにしっているかと云えば、通っていた大学(コスモスクエア駅・森ノ宮医療大学)があるというのだ。

なるほど、である。

以前の勤務地はここではなかった。

仕事は重労働。なんとか別の医療機関に転職したいと考えていたら、友人はここが良いと奨められて転職した。

それが良かったと笑顔で応える若者よ、これからもよろしくお願いします、である。

病院を離れたら次の行先は大和郡山市の市役所。

時間帯は午後3時半である。

地元の大和郡山でどのようなケアを考えておいたらいいのか。

相談する窓口はどこにあるのか。

おふくろが住まいする大阪であれば、住居番地を包括する地域包括支援センターになる。

それは9月27日に伺って解決した。

私が住まいする家で介助をしていくにはどの地域包括支援センターなるのか。

前日に電話で確認をとったかーさんの話しによれば市役所内にあるという。

課名は地域包括ケア推進課。

主な業務が地域包括支援センターと高齢支援係の二つ。

大和郡山の地域包括支援センターは南部にも数か所あるが、我が家の地番から云えば市役所内の地域包括支援センターであるとわかった。

門を叩いてお願いしたら職員が席についてくださった。

経緯は8月初めから始まる。

細々なことは省いて身体状況と療養地に入院した病院に大阪住之江の地域包括支援センターなどのことを伝えた。

特に相談すべきは認定区分の変更手続き。

それはここ大和郡山でなく大阪住之江になる。

つまりは住民票があるべき所の地域包括支援センターが担う。

そうだったのか。

主たるセンターは大阪住之江。

大和郡山の地域包括支援センターは大阪住之江からの委託を受けて動くということだ。

なるほど、である。

もう一つは私どもにとって考えておかなくてはならない施設とケアマネジャーである。

それについてはかーさんもそこにしたいと思っていた、住まい地に近いウエルケア悠が良いでしょう、である。

両者とも直ちに手配してくださるというからありがたい。

もう一つの悩みどころは長期不在になりそうな大阪住之江の郵便ポストである。

これまで週一ペースで住之江に出かけて必ず確認していた郵便ポスト。

ほとんどが宣伝パンフとかチラシである。

その中に埋もれそうになっている重要な通知書である。

今回の介護認定とかの通知は最も重要な通知書がどこかに紛れ込んだらエライことになる。

そうであれば、郵便物転送をしておけばいいのです、と云われる。

そうやったんや。

引っ越しで転居してしまう場合は転送をお願いすることは認知していたが、我が家で療養している場合も郵便物転送をしておけばいいのだ。

帰り道ついでに立ち寄った郵便局。

指定の用紙に記入してお願いすれば一週間後にはその手続きが実行されるようだ。

これで、一件落着である。

(H29.10. 5 SB932SH撮影)
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マルちゃんの和庵天ぷらそば

2018年12月28日 10時39分14秒 | あれこれインスタント
今朝も寒い。昼間も寒い。

肌寒い一日に温かい麺をいただこう。

最近買ったらしいマルちゃんの和庵(なごみ)の天ぷらそばが我が家のストック棚にあるのでそれに決めた。

ずいぶん昔に食べたような気がする。

特徴もない味だったのか、買った記憶はあるが、食べた記憶がない。

蓋を半分開けて粉だしを入れて、お湯入れの3分間待ち。



早速、箸で摘まんだそば麺。

するするっと入っていくが、熱いが先だった。

ふーふーするのを忘れていたから、火傷しそうな出汁温度。

その関係なのかわからないが、味が薄い。

先に入れていた粉だしが全体に回っていないのだろう。

そばはよれよれの柔らか目。

蓋に書いてあった「粋な歯ごたえ のどごしなめらか!」の謳い文句。

歯ごたえはまったくない。

手ごたえもない。

コシもない。

ないないづくしのそば麺に出汁が薄い。

せめてと思って食べるエビ入り天ぷら。

これまでどのカップ麺を食べても美味しさを感じない天ぷら。

揚げたてでなくともいいが、揚げる油を替えるだけで、旨くなるのに・・・と心の中でつぶやく。

天ぷらは具材もあるが、決め手は油である。

どこかのスーパーに売っている惣菜コーナーの天ぷら。

値段なんてどうでもいい。

カスみたいな味に油が臭くて食べる気がしない天ぷらを買う人の舌が信じられないのである。

あるスーパーの天ぷらよりはまだマシな和庵天ぷらそばといいたいところだが、旨くはないと云っておこう。

それにしてもだ。

どのメーカーの天ぷらそばカップ麺が一番美味いのか教えてもらいたいものだ。

(H29.10. 4 SB932SH撮影)
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所用で巡る大阪市内の三つの駐車料金

2018年12月27日 09時36分43秒 | いどう
この日の午後は所用で大阪市内の3カ所を巡っていた。

ビジネス街というか、大都会の所在地を探すのもカーナビゲーションが頼り。

なければ難儀するであろう。

それよりもっと難儀するのが所在地近くの駐車場。

数は多いが、高さがある軽バンは立体駐車場には入庫できない。

できるところもあるが、ビジネス街は入庫する駐車場入口に高さがない。

高さ制限が1m〇cmまでと表示しているが、入ってみればなんとかなるだろうと思って入ったらストップがかかる。

しからば、屋根なしのオープン駐車場にしか停められない軽バン。

探してみればあるにはあるが、所在地から遠く離れる。

利用料金に有無を言わさない・・・。

駐車時間別に記録してみた。

1番目は13時27分~15時00分までで、利用料金は1500円(利用時間は1時間27分)。

停めた駐車場はタイムス24常盤常磐町2丁目。

所用に立ち寄ったビル。

その1階にあるのぞみ信用組合。

かつては大商信組合の名前だった。

用事は長年に亘って放置していた出資金及び普通/定期預金解約手続きである。

毎年に送られる配当金はごく僅かである。

もうここまで来て利用することもないから解約する。

解約金などは振込口座で支払われる。

念のために持ち帰ってきた振込先用紙。

口座番号を記入し、翌々日の4日に送付するも”住所”が未記入だったと担当のHさんから折り返し郵送すると電話があった。

解約払い戻し通知並びに送金は翌年の平成30年6月27日に送付された。

2番目は15時24分~15時53分の300円(利用時間は29分)。



用事はおふくろが長年に亘って利用してきた大丸友の会の解約手続きである。



駐車場はほどほど離れた地にあるビッグステップ゚駐車場。



入庫した駐車場は地下だった。



平成29年8月、9月分の会費2万円を支払って満期受取りは年末の12月1日以降にしてくださいと伝えられた。

ラストは16時34分~17時5分までの1200円(利用時間は31分)。



第11回フォトサークルDAN選抜写真展を拝見したく富士フィルムフォトサロン大阪。

利用した駐車場はリパーク南船場14。



写真展会場は近いが料金は高い。

締めて本日の支払い合計は3000円になった。

(H29.10. 3 SB932SH撮影)
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切羽詰まって救急車コールした整形外科医の診察

2018年12月26日 08時20分44秒 | むびょうそくさい(おかん編)
十津川村から戻ってすぐさま確認したおふくろの状態。

旅先の十津川から9月30日に架けた電話の声は相変わらずの状態だと伝えていた。

何かが起これば直ちにケータイしてくれと頼んでいたが、翌日の10月1日もかかってこなかったから現地から電話を入れた。

相変わらずの状態という状態そのものが不安で仕方なかった。

大和高田駅で解散したあとは孤独にさいなまれる。

もう、車いすには乗り込めないだろうと思っていた。

そうであればおんぶするしかない。

何日か前もそうしたかったが、本人は身体が痛くておんぶどころではなかった。

中腰もできない。

膝で立つこともできなかったから諦めた。

結局はハイハイの這いつくばり移動でなんとか間に合った。

帰るなり、かーさんが云った言葉は「明日のブロック注射も歯医者も行けません」であった。

最悪のおんぶも閉ざされた。

どうすることもアイキャンノット。

お手上げだ。

おふくろを運べないなら救急車。

行先は大阪・住之江の須見整形外科医院。

救急車にお願いしてもそりゃ無理だ。

あり得ない選択であるが、大和郡山市内の医院なら可能である。

もう一つの選択は往診治療である。

須見整形外科医院でしてもらおうとしていたブロック注射を往診医にお願いする。

いきなり電話をしてくれるのだろうか。

これもまたあり得ない選択である。

悩んだ解決手段はそれぐらいしか思いつかないが、果たしてそれでいいのだろうか。

かーさんと相談した結果は、介護であろうが、何であろうが、相談したいことがあれば大阪・住之江の地域包括支援センターへ電話してくださいの一言である。

助けを求めるのはここへ頼むしかない。

そう思って就寝についた。

おふくろは食欲も落ちていた。

なんとかしたいが、明日の2日の朝を待つしかない。

2日の午前9時である。

番号をプッシュする先は大阪・住之江の地域包括支援センター。

受話器を取られたから相談にのってくださるB職員の名を告げて指名する。

B職員とお会いしてお願いにあがったのは前月の9月27日

翌日の28日から痛みが強くなり、今はもう歩くことも不可能な状況でどうすればいいのでしょうか、とお願いする。

28日、29日、30日、1日の4日間の身体状況を伝えたら、介護と治療は別、と云われた。

介護よりも優先すべきは治療。

介護はそれからだと云う。

この言葉に、はっと気がついた。

そうなんだ。

痛む原因を探って判れば適切な処置をする。

それが医療である。

身体状況から専門家による運搬が望ましい。

望ましいというよりもそれしかない。

つまりは救急車の要請である。

救急車の行先は県内の大病院に。

レントゲン検査などがきちんとできる大病院。

おふくろのカルテがある大病院ならもちろん、である。

私が伝えるおふくろの現状。

話しの状況からB職員が推測された結果は、圧迫骨折のように思える、ということだ。

ハイハイで移動しておれば手や腕に負担がかかり、いずれは全身が動けないようになる、という。

B職員は介護福祉士。

経験豊富な職員の体験を話される。

要介護の患者さんを介護していた。

おふくろのような痛みが突発的に発症した。

介護している家といえば患者さんがお住まいする自宅で発症した。

動かすことはままならない。

こういう場合も救急車を呼ぶことになる。

ものごとは先に解決すべきことを優先する。

こういったご指示を伝えてくださって心のもやもやが溶けた。

すぐさま救急車を呼びたいところだが、急激な変化に対応するのはおふくろである。

相談した結果をおふくろに伝える。

痛みは辛い。

なんとかして欲しいと願っているのはおふくろ。

そうさせてあげたい手段が救急車。

検査もしてもらって治療に専念しよう、と話しかけたら、そうして、と答えた。

事情を察して同意したおふくろはよろしくお願いします、と手を合わす。

救急車をコールする役目はかーさんにバトンタッチ。

私であれば、長々といらんことまで話してしまいそうだから、交替してくれとバトンを渡した。

10年以上も前のことだ。

隣に住んでいた老女が倒れた。

救急車をコールしたのはかーさんだ。

経験があるからバトンタッチした。

簡潔明瞭に伝える。

後は救急受付者の質問に対して答えるだけだ。

受話器を置いておよそ7分後に到着すると伝えられて外で待つ。

玄関を出て外に。

しばらくすれば遠くの方からサイレンの音が聞こえる。

それは小さな音であったが、徐々に大きくなる。

自宅近くになればピタッとサイレンが停まった。

時間は午前10時56分になっていた。

玄関先に出て救急に我が家はここですと手を振って合図する。

一人の隊員がすぐさまおふくろが居るリビング部屋に飛び込む。

身体状況を問診する隊員。



もう一人の隊員も降りて来て、レスキュー担架やストレッチャーがすんなり通れるように息子次男の単車を移動してくださいと云われる。

一人ではなかなか動かせない重たい単車。

私も手伝いましょうと云ってくれたのが嬉しい。

そうして担架になんとか乗せてから車付きストレッチャーへ。

時間帯は午前11時11分。

身体状況は歩けないもの。

一分一秒を争う緊急具合い。

移動する際に痛さを感じさせないようにしてくださる。

かーさんも乗り込んで、いざ、出発・・・にはならない。

救急車が向かう先は車内から連絡をされる電話でやり取り。

受け入れ先の病院が決まればお教えしますので、待ってくださいと云われる。

私は愛車に乗って待っていた。

決定した時間帯は午前11時12分。

早い決定である。

先に出発した救急車。

同乗しているかーさんから電話が鳴った。

行先は田北病院だ。

私もおふくろも入院・治療を受けた病院。

どの道を行けばいいのか周知している。

私は救急車が移動した方向とは真逆の方向で走る。

地区をぐるりと旋回して田北病院に向かう道に出合う突然サイレンを鳴らしはじめた救急車。

住宅地から現れた。

そこからは幹線道を行く救急車。

私は真逆の地道を行く。

たぶんに次に出合う場所はあそこだ。

そう思っていた通りに遭遇する。

私が病院に着いて玄関に向かっていたら、救急車はもぬけの殻。



早くも救急診察室に入ったようだ。

その時間は午前11時23分。

いかに近くであるのかよくわかる。

まずは午前11時30分にはじまったレントゲン撮影。

診察した医師が云う。

レントゲン検査の結果は「骨折しています」である。

詳しい部位を診たいからと云われて、その次にはじまったMRI検査。

時間帯は午前11時50分だ。

精密な画像が得られて呼び出された診察室。

そこで説明される医師は副医院長のⅠ整形外科医師。

レントゲンの結果では不鮮明で骨折は認められなかったが、MRI検査では骨折が判明した。

その箇所は胸椎(きょうつい)。

背骨の一部に変形が認められる。

正常な背骨であれば四角いが、骨折と判断される骨は一定の長さより短いという。

背骨が折れてあれば、他の背骨も折れている可能性がある。

骨折が判明した上の部分に下の部分も診ておこう。

念のために首から下の頸椎や骨盤の可能性もあるから大腿部・臀部も診ましょうということで、その2カ所を追加にMRI検査をしてみようということになった。

MRI検査はだいたいが20分もかかる検査。

2カ所もあるから合計で40分。

先ほどの検査も含めたトータル時間は1時間以上にもおよぶ検査に、おふくろの身体がもつだろうか。

91歳のおふくろの我慢はどこまでできるか・・、というよりもガンバッて欲しいのである。

それらが終わった午後1時50分。

長時間に亘った検査はようやく終えた。

それから始まった医師の診断結果は、胸椎骨折が2骨とわかった。

痛みの原因は骨折であったのだ。

その部分を映像で示してくださる。

2骨のうち、下の骨は白い映像。

それを診た医師は、この骨折は最近というか、直近に発症したもの。

その真上にある骨折カ所は黒いことから、以前に発症したものと推定される。

骨折部に発症した日付け記録はどこにも書いていないが、考えられるのは白い骨折は9月21日の夜に発症したものであろう。

骨折はあったが、痛み激しく動けなくなったのは9月28日だ。

そのときにはさらに損壊が酷くなったのかもしれない。

黒い骨折は間違ってなければ8月5日。

その日は背中が痛かった。

翌日の6日は腰の辺りが痛くなった。

そして、7日が強い痛みに歩けなくなった。

後日にわかったことだが、5日の前は胸が痛かったというのである。

MRI検査は横から撮影された画像を映し出す。

背骨が曲がる部分は第5骨・第6骨辺り。

猫背姿になる辺りだ。曲がった背中に沿って神経が走っている。

その曲がったところの骨折部が神経線スレスレに当たっているようだという。

その神経が擦れて当たることによって痛みが発症する。

それは当たった部分以外にも影響を与える。

背中が、腰が、臀部が、太ももがと痛み部分が移動したのではなく、擦れた神経が線を伝って他にも痛みを発症したのであろう。

痛みの原因のそもそもは今回の検査で判明した第5骨・第6骨辺りの圧迫骨折であった。

救急に診てもらった8月7日の大阪住之江の友愛会病院も同じMRI検査。

精度は異なるかもしれないし、痛みがあった部分しか検査していなかったことも。

発見できなかったのは、友愛会病院のせいでもないが、その上部の骨折であったことがようやくわかった。

今さら悔やんでも仕方はないが、あのときにもっと積極的に医師に詰めておれば・・ここまで病状が悪化もしなかった、なんてことを言いたくもなる。

原因がはっきりすれば治療処置であるが、骨粗しょう症による圧迫骨折を治すには安静加療しかない。

我が家で安静状態を診ることは不可能である。

トイレもそうだが、身体を動かしてしまうから安静を保つのは無理がある。

先生、お願いします、と要請するしかない。

医師が云った。

入院を受け入れることは可能であるが、ナースステーションより離れた病室になるが・・である。

動けない状態であれば遠く、近くは関係ない。

認知症の疑いがまったく認められないおふくろの意識。

遠いところですが、良いでしょうか、の答えはよろしくお願いします、である。

原因は骨折とわかっても、骨粗しょう症による圧迫骨折だけに手術を施すなどの根本的な治療はできない。

安静加療、しかも自然治癒に任せるしかないという入院措置である。

入院は2週間。胸椎骨折をガード、フォローするには特殊なコルセット装着が必要になる。

製品はアメリカ製。

一人、一人の身体つきが違うから採寸して補装具を調整しなければならない。

この日に駐在していた㈱冨金原義肢の義肢装具士の手によって採寸された。

座っているのも難しいおふくろの採寸は寝たまま採寸。

時間もかかったようだ。

調製、出来上がりは3日後の10月5日にでき上がる。

そのときに支払う現金払いは高額。領収書並びに医師の意見書を添えて大阪住之江区の区役所に申請する後期高齢者補助手続きによって9割が戻ってくる。

1割負担でも4900円ほどになるから補助がなければ負担額は大きい。

でき上って装着するコルセットは背骨をがっちりガードする上半身装具。

逆に背中を前に屈めることはできないデメリットもある。

医師はもう一つの補助具を勧める。

勧めるといっても半ば強制である。

それはエコノミークラス症候群の防止である。

身体が太っている人ほどかかりやすいエコノミークラス症候群。

震災などで避難に選んだ狭い自家用車暮らし。

稀には飛行機の乗客にもあり得る症候群を防止するには足元に履くストッキングである。

91歳のおふくろは肥満体でなく、どちらかと云えば痩せている方だ。

そういう場合は症候群にはかかりにくいが、長期間に亘って寝たきり安静状態を保つには血の流れが遅滞する。

それを避けるためのストッキングは血液が堪らないようにする装具である。

ストレッチャーで運ばれたおふくろは病室へ。

部屋のベッドに移されてやっと落ち着いた。

ある程度の用意をしていたが、足らないものがいっぱいある。

自宅へ戻って大急ぎのUターン。

ベッドに横になったおふくろは入院を受け入れてくれたと、手を合わせて喜んでいた。

自宅に戻った時間帯は午後4時半にもなっていた。

落ち着いたところで報告しなければならないのは住之江の地域包括支援センターへの報告である。

検査の結果や入院になったことを伝えなくてはならない。

相談にのってくださったB職員に、おかげさまで原因もわかって安静加療に地元大病院の田北病院に2週間の入院などを伝えたら、今後の対応も考えてほしいというアドバイスである。

一つはおふくろが住んでいる4階から移転して1階に移っていただくこと。

これは大阪阿倍野の監理事務所に出向くことだ。

もう一つは移転ではなく、独り暮らしそのものが不可能になることも考えられるので、介護を受けられる高齢者マンションを探しておくことである。

できれば往復など負担軽減を考えて大和郡山市内の施設を市内の地域包括支援センターへ申し出て教えてもらうことである。

介護保険サービスの提供を受けるには、まずは、地域包括支援センターへ出向くこと。

サービス提供にどういうものがあるのか、認識するとともに、認定を受けた要支援の区別変更申請をすることである。

現状をみれば、要支援ではなく要介護になるべき状況であると判断された。

申し出をするときは「私の名刺を提示してください」と云われるB職員の心遣いが嬉しい。

その夜は身も心も解けてぐっすり寝てしまった。

(H29.10. 2 SB932SH撮影)
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滝川渓谷に咲く山野草―振り返れば14年前.2―

2018年12月25日 06時38分50秒 | もっと遠くへ(十津川遊び編)
14年前の目的は渓谷河原で過ごすアマゴ釣りだった。

今では釣りもしなくなった川遊び。

花背より下流。

笹の滝よりさらに下った渓流も楽しんでいた場であったが、土砂崩れによって下る道が消えたから河原に下りられなくなった。

その地に今でも咲く山野草がある。

岩に染み入る山の水。

滴る山の水は万年雪ではなく万年水。

その岩場にひっそりと咲いていた花はイワタバコ。

イワタバコは夏の花。

これまで8月末から9月初めに訪れた彼の地に咲くイワタバコがまさかの10月も咲いていたとは驚きである。

尤も咲いていたのはこの一輪だけであったが・・。

ここより数十メートル離れた場に咲いていたホトトギス。



たぶんにヤマジノホトトギス。

これもまた彼の地ではイワタバコと同じ時期に咲く山野草であるが。

同じく一輪だけが残っていた。

(H29.10. 1 EOS40D撮影)
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滝川渓谷に咲く山野草―振り返れば14年前.1―

2018年12月24日 07時24分39秒 | もっと遠くへ(十津川遊び編)
かつては滝川最源流の廃村花瀬の地まで行ったことがある。

滝川は風屋ダム湖下に流れる鮎が生息する渓流。

滝川口バス停留所から溯っていく。

バス停留所は下地、滝川、向地、導水路前、内原、内原橋を経て奥里まで。

そこからは歩きで遡る。

とはいっても、毎年の足に利用するのは自家用車だ。

何キロメートも行けば「日本の滝100選」に選ばれている笹の滝口に着く。

目指すはそこよりもっと奥の最奥地。

車道が途切れたところに吊り橋が架かっていた。

そこはいつしか入山できなくなったが、深山渓谷で大アマゴにイワナも釣ったことがあった。



岩場に咲いていた可憐なセッコクもあった。

透明度が高いブルーグリーン色の渓谷はもう見ることのない奥地が懐かしい。

禁地になってしまった花瀬の地は諦めて行先を替えたのは何年前であったろうか。

振り返ってみれば平成15年が最後だった。

(H15. 8.30 J-SH53撮影)
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この年の内原のハダ

2018年12月23日 09時02分32秒 | 民俗あれこれ(干す編)
内原の集落の佇まいがお気に入りだ。

一年に一度しか訪れないが、初めて訪れてから早や40数年。

いつまでもここにいたくなる景観に見惚れていた。

今年も十津川村の内原(ないはら)に来ることができた。

訪れる日程が定まらず、結局決まった日は9月末の土曜日。

台風は通り過ぎて、爽やかな秋風が吹いて、透き通った青空が広がる日になった。

前会社の友人たちは日頃の行い・・・なんてことは誰も云わない。

私が晴男だからや、という人もいない。

それはともかく、数週間に亘って真っ青な空から降り注ぐ天の恵みの光を浴びていた多段型のハザカケ。

昨年に話してくださった昭和7年生まれのNさんは今年も元気でおられるのか。

ただ、ただ、それが気がかりだった。



内原の景観は例年とまったく同じ。

多段型の竿は何基もある。写真にはとらえていないが、これの倍以上もある。

昨年は8月末から9月末まで干していた長雨の年。



今年はそうではなかったが、年老いた奥さんとともにハダカケをしているNさん。

1基だけが残っていたのは嬉しいが、いっぺんに作業ができなかったように思った。

(H29. 9.30 EOS40D撮影)
(H29.10. 1 EOS40D撮影)
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2017十津川遊びp2

2018年12月22日 08時51分23秒 | もっと遠くへ(十津川遊び編)
ぐっすり眠って爽やかに起床する。

毎日をそうしたい。

前夜は寒い朝を迎えると思っていたがそうでもなかった。

清々しい朝を迎えた民宿津川。

トイレに行って用足し。

冷たい水で顔を洗ったら、しゃんとして身が引き締まった。

部屋に居るよりも外気が気持ちいい。

毎年そうしている朝の散歩。

そのうち排便ももよおす。

身体の内部がすっきりしたところで午前7時半の朝食。

シンプルな朝食が嬉しい。

テレビで映し出される旅番組の朝食のすごいこと。

どんだけーー、としか、声がでない。

どんだけ並べても食べ尽くせない量は一種の食害では、と思ってしまうぐらい。

ただ、この日も口にできない食べ物がある。

これだけは勘弁してくれょーと思わず口にして横の席に移す。

好きな人はなんぼでも、という食べ物であるが・・・。

朝食を済ましたら会計処理。

会費は一人当たりが1万円プラスのいくらか。

毎度、この朝に精算しているが、費用と参加人数のかげんで毎年が異なるが、基本の会費は1万円。

そこに若干の増資が発生する。

この点は例年よりは少しだけ、ほんのちょっとの高目になったが・・・。

一人当たりの宿泊費は9000円。

集金した会費から民宿費用を支払った。

宿泊費も支払ったら出発であるが、この日は4人。

記念の写真を撮ってもらった。

急ぐことのない、余裕のある出発に、かつて親父さんが集めた山野草を拝見する。

昔ほど手入れはできなくなった山野草の庭園は整理された。



減ったというが、見る楽しみがある。



時季はとうに過ぎてはいるが、いくつかのセッコクに花が咲いていた。

我が家にもセッコクはあるが手入れはいき届いていない。

その点、民宿津川さんの山野草は土台も美しい。

朝の光を浴びたセッコクの花を撮っていた。

これってもしかとすれば・・。



ねーちゃんに尋ねたらキイジョウロウホトトギス。

えっ、あの希少性の高いキイジョウロウホトトギスがここにあるなんて・・。

そう、整理されたから発掘されたようなものだった。

咲く時季は若干外れているし、葉っぱも日焼けしているが、紛れもない絶滅危惧種指定のキイジョウロウホトトギスである。

来年にまた来るから、綺麗な花を見せて、と願って祈年に撮らせてもらった。

ゆっくりしすぎていつもよりか遅い出発になった。

目的地はこの日も内原の広場。

安心できる場でもあるが、日陰が一つもないのが難点である。

広場に着く前に足を伸ばして撮っていた内原のハダ景観。

友人をここで待たすわけにはいかないから、ちゃちゃっと撮って広場に向かう。

着いた時間は午前11時半。

ゆっくりしすぎたわけでもない。

昼食時間の設営に合わせていたからにすぎない。

昨日と同様にちゃちゃっと椅子付き折りたたみ式テーブルを広げる。

組み立てることもなく、レバーを外して広げるだけで設営は終わる。

多少の力は要るが、脚を固定したらできあがる。

ありがたいアウトドア用製品は拾い物。

1カ月ちょっと前におふくろの介護の関係で立ち寄った大阪・住之江の団地に捨てられていた夢のお告げである。

設営はたったそれだけ。

早速はじまる調理の準備。

これもまた箱から取り出すだけのカセットボンベ方式のコンロである。

昔はアウトドア専用のガスバーナ式コンロも使っていたが、交換ガスの製品が高価になったとか、製品需要が少なくなり生産もされなくなったとかで断念。

一般的にスーパーでも売っている2千円前後の家庭用のカセットボンベコンロに全面切り替え。

今では2台で調理するコンロ。

スーパートライアルなどの激安店で売っているカセットガスは3本で200円前後。

2台使用で6本もあれば十分である。



調理始めは昨日と同様に塩もみしたキュウリにマヨネーズ付け。

調理しながらつまみ食い。

そして始まったフライパン料理。



まずはソーセージ焼き。

切れ目を入れて焼く。



一方のフライパンはイオンチルド焼きギョーザ。

焦げ目が付いたらできあがり。



次もフライパン料理。

玉ねぎをまず炒める。



そこに豚肉とニンジンを投入してさらに炒める。

さて、何ができあがるのでしょうか。

焼き加減を見計らって垂らすタレでわかった酢豚の元。



大きな紙皿に盛ったらできあがり。

炒めてから4分間でできあがった。

タレは日本ハム製の中華名菜酢豚。

旨さに定評がある中華名菜酢豚が美味しい。

さて、次は何を・・・。

料理長の頭の中には調理ストーリーがある。

そのシナリオに沿って料理ができあがってくる。



フライパンで焼いているのはモモ肉の鶏肉。

料理長が予め買っておいた鶏肉はブツ切りも2枚。

まんま一枚を焼いていく。

塩、胡椒してただ焼くだけでできあがる。



焼けた鶏肉は小型の包丁で切り分ける。

ソースを落としていただく鶏肉が美味い。



喉はカラカラ。

飲み物が身体に吸収されていくのがよくわかる。

次の料理に2枚のフライパンが同時に動く。

一枚はまるちゃんの焼きそば。

3袋の焼きそばを一挙に焼く。

フライパンじゃ毀れるかなと思っていたがそうでもない。



もう一枚のフライパンはキャベツ。

そこに細切れの豚肉も一緒にして炒める。

焼きそばもキャベツ・豚肉も丁度になれば合体する。



焼きそばの上に落としたキャベツ・豚肉に液体ソースを振りかけて混ぜる。

香ばしく焼けてきた焼きそば。



香りにぐっとお腹が鳴りだした。

紙皿に盛った写真よりもフライパンで焼いているときの映像の方がぐっとくる。

これで調理もひと段落。

寛ぐ4人の団らんに日差しは緩い。

雲の量が多いものだから日陰に身体が休まる。

食べる、飲む、喋るに盛り上がる。

そこで動いた料理長。

残った生卵はどうするか。

選んだ料理は茹で卵。



帰りの道中にひとつまみすることもできるからと茹でていた。

茹でる道具は片手鍋。

いつだったか覚えてないが、たしか100円だったような気がする。

時は流れて日が落ちる・・・ではなく、瞼が閉じた。

疲れがどっとでたのかぐっすり眠った。

こんなことは初めてだ。



何十年間も十津川に来ているが、1時間以上も眠っていたのはよほどのこと。

おふくろの介護はかーさんにまかせっきり。

電話をかけたらゆっくりしときと云われて安心したのだろうか。



撤収作業もらラクラクの折りたたみ椅子付きテーブル。

二日間も世話になった拾い物。

来年もまた働いてくれるだろう。

広場を出発した時間帯は午後3時。

この日の温泉地は滝の湯。



ありがたい優待券を利用して火照った身体を覚ました。

目が覚めたところで一路目指す大和高田駅。

再出発時間は午後4時を過ぎていた。

到着した時間帯は午後6時15分だった。



3人ともここでお別れだ。

二日間ともにありがとう。

一年ぶりに、喋って、笑って、喰って、飲んでいた4人だったが、それはもう愉快な時間を過ごさせてもらってありがとうございますを伝える。

自宅に帰宅した時間は午後7時ジャスト。

気配りをいただいて早く戻れたが、おふくろの容態はさらに悪化状態だった。

車いすに乗り込むこともできなくなってしまって、用足しも困難な事態に食事もままならぬ。

さてどうしようか、と・・・。

明日、大阪で診てもらった整形外科医院に出かけて、痛みが厳しいふくらはぎにブロック注射(神経注射)をしてもらおうと思っていたが、断念する。

おふくろが住まいする管轄の地域包括支援センターに相談しながら、今後どうしていくか判断したいと思っていると、3人の友人たちにお礼のメールを発信して眠り込んだ。

(H29.10. 1 SB932SH撮影)
(H29.10. 1 EOS40D撮影)
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