マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

金梅吉の特製ラーメン

2014年07月31日 08時41分30秒 | 食事が主な周辺をお散歩
先日、通りがかった三輪大神神社の大きな鳥居が見える169号線。

食事処かどうか判らないが、280円のきつねうどんが書いてあった立て札が目に入った。

素麺工場と思える駐車場にあったお店は仮店舗のようだった。

「そうなんだ」と思ってもう一つの店に向かった。

そこは十年も前に入った店。たしか「かど屋」だったように思える。

何年か前には店名が替っていた。

オーナーが替ったのであろうと思っていたお店は大神神社の大きな鳥居の前にある信号地。

場所は変わらず角地であるが、立て看板に韓式食堂とある。

お店の立て看板はもう一つ。

それに書いてあったランチサービスメニュー。

特製カレー、ラーメン、ビビンバが500円。

すべて食べても500円ではなく、一品の値段である。

選んだのは迷いもなく、特製ラーメン。

出来あがるまでの時間に尋ねた当主はこういった。

「「かど屋」が開店したのは昭和の末頃。今年で26年にもなるが、5年ほど前に韓式食堂に店を替えた。馴染みのお客さんはメニューが替っても相変わらず店に寄ってくれる。間違っては困るから「かど屋」を示す大きな提灯はそのままにしていた」と云うのだ。

十何年前に食べた料理は覚えていないが、値段の割に美味しかったことを覚えている。

そう思って入店したお店は「金梅吉」。

「きめきち」と呼ぶようだ。

数分待ってテーブルに運ばれた特製ラーメン。



見た目も味も醤油味。

チャーシューならぬ、ベーコンハムが乗っている。

にぬき玉子は半分。

ネギに細く切ったハクサイ盛っている。

黒いのはキクラゲだ。

つるつる食感がたまらない。

麺も美味しくいただける醤油味は濃いめ。

どちらかと云えば東京ラーメンと思ったさっぱり味。

こってりこてこてを好む人には満足できないと思うが、一杯が500円の特製ラーメンは値段相当の妥当な味だった。

(H26. 2. 7 SB932SH撮影)
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吉隠および白河の行事調査

2014年07月30日 07時17分48秒 | 楽しみにしておこうっと
この日も『桜井市文化叢書(民俗編)』に書かれていた行事の調査。

昭和36に発刊された史料である。

そこに書かれてあった吉隠(よなばり)の旧暦正月七日の行事。

「宮座の結鎮祭」である。

「結鎮」はおそらくケイチンであろう。

そうであれば鬼打ちと思えるのだが・・・。

大字吉隠には春日神社の他、天満神社、狭井神社の行事日もあった。

お寺は薬師如来を安置する極楽寺もある。

始めに訪れたのは吉隠東之堂極楽寺である。

急こう配の坂を下りて、それからぐるりと回って登る。

近道もあったがそうした。



村内に人かげが見られないが、青面金剛石仏を安置する庚申堂の前に立ててあった二本の竹。

右側には竹で編んだものがある。



紛れもない旧暦閏年に行われている行事の痕跡。

形式で判断するに隣村の角柄と同じようなゴクダイであろう。

されるとすれば今年。

3月終わりころに再訪して尋ねてみたい。

お寺近くに天満神社があるらしいが判り難い。

一旦、車を走らせて谷道から登った。



そこにあった天満神社。

痕跡は見られないが、半紙に包んだモチが数個あった。



何を意味するのか判らないがお供えであることは間違いない。

狭井神社の場所もある程度は判ったが、春日神社が見つからない。

春になれば耕作する村人が居るであろう。

その頃にもう一度立ち寄りたい。

この日の調査はもう一カ所の大字白河(しらが)。

探す神社は秉田(ひきた)神社。

旧暦正月十一日に行われていると思われる「鬼鎮」であるが、神社はさてどこにある。

集落はある程度離れている。

ぐるりと旋回するように集落を通り抜ける道がある。

ところが一部が工事中で通行止め。

おそらくその先が秉田神社と思われるが行くこともできない工事中。

諦めて下った田畑で作業をされている婦人がおられた。

もしやと思って尋ねた結果は2月11日。

村の戸数は35戸の集落であるが、「ケイチン」と呼ぶ行事は村行事でなく、特定家の6軒の営み。

我が家も該当すると云う。

宮さんで行われる「ケイチン」は弓で鬼の的を射る行事。

村に疫病が入り込まないように祈願する正月行事である。

史料に書いてあった「鬼鎮」は「ケイチン」と呼ぶのである。

弓・矢は梅の木で作る。

梅は厄払いの木。

「ケイチン」行事に相応しい道具である。

2軒の当番の人が作っておくそうだ。

日程は判ったが、始める時間は当番の人が決める。

早いうちに訪れたいとお願いしたのは云うまでもない。

(H26. 2. 7 SB932SH撮影)
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竜谷の行事調査

2014年07月29日 08時00分56秒 | 楽しみにしておこうっと
昭和32年に発刊された『桜井町史続(民俗編)』に書かれていた桜井市竜谷(りゅうたに)の宮座。

旧暦の正月7日に行われている「七日座」を短文で紹介されていた。

今から57年前に発刊されている史料を手掛かりに訪れた竜谷の集落。

しばらく歩けばお寺が目に入った。

そこは小安地蔵尊を安置する龍谷寺はあったが、村人の姿は見られない。

たしか、もう少し上がれば神社があるはずだと思って足を伸ばした。

そこにあった神社は龍谷三輪神社の表記がある。

参籠所を思われる建物がある。

屋根の構造が今までみたこともないような造りである。

なんとなくお堂のようにも感じる屋根。

葺きは赤い鋼板だ。



本殿はなくご神体とされる杉の大木がある。

下ろうと思ったときに見かけた車。

おそらく村の人だと思って駆けつけた。

降車された婦人は二人。

この地に来た訳を伝えた。

返ってきた答えは旧暦でなく正月の7日であった。

かつては旧暦であったと思われるが、鹿路が出里のNさんは存じていないと云う。

婦人の家は平成23年にトウヤ(頭家)を勤められた。

鶴の文様をあしらった日の丸御幣を残しておられる。

ススンボの竹に括りつけた御幣はトウヤの印し。

正月7日は宮座行事の「七日座」。

かつてはトウヤ家でキナコを塗した茹でゴボウを作って供えていた。

ごーさん札は予め、トウヤ家が刷っておく。

宮さんに参ってからお寺に。

ごーさん札はあるが、祈祷はどうやたしていないようだ。

そのころ竜谷寺横にある公民館に村人が集まってくる。

ナマスやクロマメなどの煮もの料理もあったが、今ではパック詰め料理に替ったという。

竜谷集落は20戸だが、トウヤを勤めることができるのは12、13戸ぐらいになる廻り。

負担も厳しく、トウヤを勤める家人もいない家では断りもあるそうだ。

そういうことで料理は簡単に済ませるようになったらしい。

キナコを塗した茹でゴボウは水引で括る。

当時の様相を取材された本(畿央大学・冨岡典子氏著)があると見せてくれる。

著者が記念にということでくれはったと話す『大和の食文化』は平成17年の発刊である。

秋にはマツリがある。

かつては10月28日だった。

前日のヨミヤにはトウヤが作る三角錐型のメシを供える。

その名は「オニギリ」。

形状から推測するには、各地で見られる「キョウノメシ」と同じである。

一つについて一升米のご飯で作る。

それは三品ある。

炊いたご飯(かつては蒸しご飯)をさらし布に入れて「オニギリ」の型を作る。

例年、上手に作られるおじさんがおられるのでいつも頼んでいると話す。

マツリでは12個の月の数のモチと家族の人数分のコモチ(これをキゴのモチと呼ぶ)も作ってお寺に供える。

その場でモチは焼いて食べていたが、今ではパック詰め料理になったと話す。

ご飯で作った「オニギリ」は冷えれば堅くなる。

トウヤはそれを貰って帰る。

自宅で食べるには堅い「オニギリ」。

お粥にして食べるが、量が多い。

親戚筋にも分けてあげるぐらいの量はあまりにも多いということで、今では四合の「オニギリ」になったと云うからやや小さめ。

それを「オゴク」と呼んでいる。

「オゴク」を充てる漢字はおそらく「お御供」であろう。

それはネムノキのまな板に乗せる。

翌日のマツリはトウヤ家で千本杵でモチを搗いたゴクツキ。

現在は公民館でするようになったが、県内では数少なくなった千本杵。

ハコヤの木の杵で搗いているそうだ。

いつしか体育の日に移ったマツリの日。

ヨミヤ行事も含めたような形式になったもようである。

なにかと忙しい時期。

最近は11月3日の祭日に替えたそうだ。

朝から御幣を作るが、それは神職。

三輪大神神社の神職が出仕される。

千本杵は午後のことである。

婦人が話した「七日座」の月の数のモチ。

思い出されたのが「お月見」。

お月さんに供えるドロイモの数も同じように月の数。

家族の人数分のドロイモも供える。

皮を剥いて洗って皿に盛る。夕方にはカドに供えておくと云う。

傍らには取ってきたススキやハギも添える。

お月見の日は毎年替る中秋の名月日。

ススキもハギも揃わない年がある。

県内では見られなくなったイモのお供えは貴重であろう。

是非ともお伺いしたいものである。

(H26. 2. 6 SB932SH撮影)
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杜もと牛たん丼たれ味

2014年07月28日 07時21分42秒 | 食事が主な周辺をお散歩
数週間前に新聞チラシに入っていた牛タンの杜もと。

天理店の開店デビューに伴う大和郡山店のチラシには100円引きのサービス券があった。

いつかは使いたいと思っていた。

大和郡山店は開店当初にでかけたことがある。

そのときに注文したのは税抜き920円の厚切り牛塩たん定食だ。

ジューシー歯ごたえあった牛たんはとても美味かった。

毎回それを食べるにはサイフの銭と相談しなくちゃならないどころか、とてもじゃないが無理。

出費は生活を脅かす。

そんな大げさなと思われようが無理なものは無理。

手頃感があるこれならと思ったにんにくねぎ塩たんした丼は税抜きで390円。

リーズナブルな丼であるが、サービス券は使えない。

規定によれば500円以上の品でなければならないのだ。

そうであればと思って、この日に注文したのが税抜き520円の牛たん丼たれ味。

これなら100円サービス券が使用可能で支払いは446円になる。

食べるのにいちいちサイフと相談しての注文である。

店内には数人の人たちが待っていた。

ほとんどどころかすべての人は定食である。

しばらく待ってでてきた牛たん丼たれ味。



小皿に盛っているのはにんにくチップ。

丼注文のサービスのようだ。

薄切り牛たんを盛ってある丼。

細く切った白髪ネギも盛っている。

僅かに見えるのがタマネギである。

美味そうだ。

思わずがっつり箸を突っ込む。

丼を口元にもっていって放り込む。

甘辛出汁が絡んだ牛たん丼は思った以上に美味いのである。

ネギはシャキシャキ。

タマネギも絡んで牛たんは口の中で味が広がる。

出汁がご飯に染み込んでいて美味しいのであるが、どうもおかしい。

ご飯がやや固めなのだ。

芯もあるように感じるご飯。

麦とろご飯なら許せるが、これは困った。

堅くて仕方がないご飯にまいった。

量は多めのご飯が食べ辛い。

ほかほかのご飯であれば、もっと美味しかったろうにと思いながら食べた。

後半はどうして食べようかと悩んだ結果は・・・。

サービスで付いていたにんにくチップをご飯にふり掛けた。

香ばしいにんにくチップが口の中で踊りだす。

これが美味いのである。

味付けに使ったと思われるにんにくをコガシにしたものであろう。

一品に出しても良かろう。

(H26. 2. 6 SB932SH撮影)
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切幡の二月初午

2014年07月27日 09時20分45秒 | 山添村へ
雪が舞うこの日は寒い。

前日は穏やかな日であったことから一層厳しく感じる寒暖差。

昨年は成人の日に大雪となった山添村の切幡。

残雪で登ることも困難だったそうだ。

二月初午の日には村の人たちが参拝する山に登る。

そこに鎮座するのは稲荷大明神。

当番の人たちが道造りをされた山の階段を登っていく。

整備された階段は登りやすいが急な坂だ。

山頂から見下ろせば切幡の集落が見える。

稲荷社の前は小高い平坦の場。

そこにブルーシートを広げて座る村人たちは19人。

お供えはいなり寿司だ。

傍らには紙で包んだお供えもあるが、誰が供えたのか判らないと話す。



揃ったところで、供えたアズキメシとジャコを参拝者に配る。



風も冷たいこの日の場はとんどもなく寒い。

周囲に布を張って風を除けたときもあったそうだ。

お神酒をいただく村行事に平成3年、11年に寄進された正一位常森大明神・稲荷大明神の幟がはためく。



雪が舞う日になった切幡の二月初午。

しばらく歓談されていたが、たまりかねて僅かの時間を過ごした村人は散会した。

(H26. 2. 4 EOS40D撮影)
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切幡の節分の魔除け

2014年07月26日 07時46分21秒 | 山添村へ
前日の3日は節分。

午後の3時頃に飾ったと云うイラギイワシ。

天理市藤井町と同様にイワシはお頭だけである。

玄関・納屋などのいたるところの戸口に取り付けた。

それからフクマメを持って神明神社に出かけた。

その頃はもう夕暮れどき。

拝殿にフクマメをおまして戻った夜は玄関や囲炉裏場、座敷などに豆を撒いた。



雨戸も開けて一升枡に入れた豆を撒いていた。

昔しは田んぼまで撒いていた。

撒いた豆は歳の数だけ読んで(数える意)食べている。

山添村切幡の住民はいつもこうしていると話す。

ヒイラギイワシは何故に頭だけなのか。

「イワシの頭も信心から」の言葉がある。

辞典によれば「ヒイラキイワシ」は「柊鰯」と書いて「ヒイラギガガシ」と読む。

別名に焼いたイワシを刺すことから「ヤイカガシ」。

漢字は「焼嗅」を充てている地域もあるらしいが、県内事例の聞き取りでは「ヤイカガシ」の名は聞いたことがない。

平安時代に書かれた紀貫之の『土佐日記』にヒイラギイワシの習俗があった。

民間において、それが現代まで続いているヒイラギイワシ。

これこそ民俗ということだ。

(H26. 2. 4 EOS40D撮影)
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藤井の節分の魔除け

2014年07月25日 07時18分10秒 | 天理市へ
節分の前夜に立てたというヒイラギイワシ。

天理市藤井町に住むN家で拝見した。

ヒイラギには棘がある。

鬼の目を刺すとされる。

イワシは臭いから鬼が近寄らないという考えから門屋、玄関、納屋など戸口に掲げて鬼封じする魔除けのまじないである。

旧家では、ごく普通に見られる風習である。

立ち寄った天理市藤井町の民家でもそうされていたのである。

ご夫人の話しによればヒイラギイワシは2日の夜に刺して飾ったと云う。

イワシは焼きイワシの頭だけだ。

胴体の身は食べたのかどうか聞きそびれたが、3日はフクマメを神棚に供えたと話す。

その日の夕方は、氏神さんの三十八神社に出かけた。

一合枡に盛ったフクマメを持っていった。

家族の人数分のフクマメは拝殿に撒いた。

「オニワウチ フクワウチ」と云いながら撒いたと云う。

それから歳の数を数えて、撒いたフクマメを拾って帰った。

村人それぞれがやってきて、同じようにそうしていると話す。

家に戻れば「オニワウチ フクワウチ」と云いながら玄関、座敷へ撒いたと云う夫人の話し。

できれば取材をお願いしたいものだ。

(H26. 2. 4 EOS40D撮影)
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日清でかやき大盛鉄板マヨのソース焼きそば

2014年07月24日 08時48分30秒 | あれこれインスタント
今日の車中食は家から持ってきたカップ焼きそば。

つい先日にビッグ・エクストラ天理店で買ったものだ。

ラーメンよりも大好きな焼きそばは好物である。

自宅では生麺の焼きそばを度々食べる。

鉄板じゅうじゅう。ソースを絡めてできあがり。

ひいた油で照りがある生焼そばはいつも紅ショウガを入れて食べる。

そんな情景を思い出しながらお湯を入れた。

たっぷり入るから魔法瓶の湯は空っぽだ。

カップ焼きそばはラーメンよりも大量に湯を要することを初めて知った。

この日は寒いが、たまには焼きそばをと思って選んだ商品。

捨てる湯もたっぷりで多少の時間がいる。

捨てても、捨ててもなかなか湯が切れない。

外気の寒さで冷たくなってしまうのではと思ったぐらいだ。

湯切りをした麺に掛けるソースは粉。

全体に絡めるには難しい。

香ばしい香りが立ちあがる。

添付してある辛しマヨネーズは液体だ。

当然でしょうに・・・。

ぶちゅぶちゅと袋を押して流れるマヨネーズ。

うたい文句どおりの辛し味は妙に良い。



家で焼く焼きそばもそうしたいが、同じ味の辛しマヨネーズは売っていない。

どこの商品だったか覚えてないが、一度買ったことがある。

それは似ても似つかない辛し味。

決めてもなく薄いのである。

そんなことも思い出しながら食べた鉄板マヨのソース焼きそば。

さすがに食べても、食べても減らない大盛りの量は130g。

一般的なカップラーメンが60gだから、結構な量だ。

汁けもない焼きそばは後半パサパサ感の麺。

油が欲しい。

(H26. 2. 4 SB932SH撮影)
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箸中の二月初午祭

2014年07月23日 07時19分11秒 | 桜井市へ
先月半ばに訪れた桜井市の箸中。

小正月のビワの葉乗せの小豆粥御供やカヤススキ立ての調査であったが、見つからなかった。

途方に暮れて立ち寄った国津神社に二人の男性がおられた。

なにやらせわしく社務所に運んでいた。

その日は老人会の集まりがあると話していた。

そのときに教えてくださった初午の行事。

「二月初めの初午にするんや」と云っていた。

話しにでてきたお供えのねじりん棒の飴が気になった。

行事を終えた時間帯にやってくる「子供たちにあげるんや」と云っていた。

その様相を確かめたくてやってきた国津神社境内にはたくさんの幟を立てていた。

昭和11年、28年、32年、それぞれの年代に寄進された幟は赤色や黄色、白地だ。

「正一位姫國大明神」、「正一位政國大明神」、「正一位玉由大明神」、「正一位稲荷大明神」などの染め文字がある。

二月初午の行事は本社の国津神社でなく、境内に鎮座する稲荷大明神である。

お供えはハタアメ(旗飴)と呼ぶ楕円形の色柄飴だった、青色、黄色、赤色、緑色の旗を飾った飴の他、赤一本線の飴もある。

それがねじりん棒と呼んでいた旗飴であった。

丸い頭があるハタアメにはいろんな種類がある。

青色、黄色、赤色、緑色の他、赤の一本線もある。

ぐねっと曲がっているねじりん棒である。

社にはウスアゲ、シシャモメザシにモチ、モナカ、キュウリ・サツマイモ、ミカンなどを供える。



お稲荷さんに向かって一同は大祓えの詞を奏上した。

次は鏡池にある弁天さんこと市杵島姫社。



次は地蔵さん。



次は金毘羅大権現に移ってお参りをされる。



再びお稲荷さんに戻って、最後に「九日さん」と呼ばれる社に参拝される巡拝の在り方であった。



箸中の祭礼は正月に行われる国津神社の二日正言講や桧原神社で行われる正言祭があるが、それらは正言講(左座・右座)と敬神講の二つの講で営まれる宮座講の行事である。

元旦祭、祈年祭、風鎮祭、秋祭り(両講)、新嘗祭、桧原祭は村行事であるゆえ、祭祀は2年任期の議員こと氏子総代らが役目にあたる。

議員は上・中・下垣内の157戸から選ばれた代表の11人。

この日の二月初午祭は氏子総代らが営んでいる。

村人が寄せた紅提灯も掲げた二月初午の日。

かつては御供に赤飯もあったが、モチに換わった。

五穀豊穣を祈願する巡拝は十数分で終えて社務所で会食をする。

それからの数時間後。

やってくる子供たちを待つと話していた。

調べてみれば三輪の大神神社の末社の成願稲荷神社でも三月初午があるらしく、やはりハタアメがもらえるらしい。

葛城市山田にある三神社の二月初午や大和高田市の岡崎稲荷神社にもあるそうだ。

丸い頭があるハタアメにはいろんな種類がある。

(H26. 2. 4 EOS40D撮影)
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亀畑佐紀神社の節分祭

2014年07月22日 08時16分30秒 | 奈良市へ
当家らが話すには奈良市佐紀の亀畑佐紀神社は超昇寺の鎮守社で天武期の673年に創建されたようだ。

戦前までのマツリには勅使が詔(みことのり)にきていたという神社というだけに古社の様相である。

かつては「超昇寺村」の鎮守社になる亀畑佐紀神社は二条町住民の20数軒で営んでいる。

拝殿に上がれるのは座入りした男だけで、生まれたばかりの男の赤ちゃんのときに「出産子酒」を供すると云う。

かつては一老と呼ぶ長老を筆頭に、二老、三老・・・八老までの八人衆と下に六人衆からなる宮座があった。

それは50年ほど前のことである。

当時は、一老が村神主を勤めていたと云う。

今では宮座組織を解体し、一老は総代に呼び名を替えたと話す。

村神主を辞めた関係だと推測する。

現在の神職は手向山八幡宮に奉職していた人に来てもらうようになったと云う。

神職の話しによれば、当時勤めていた父親の代を継いで現在に至るそうだ。

門外釣殿神社の節分を拝見して、大和郡山に戻ろうと思っていたが、亀畑佐紀神社には明かりが灯っていた。

その場におられたのが年番を勤める3軒の人たちだった。

昨年に訪れた際に年番さんに聞いていた亀畑佐紀神社の節分祭。

そのことを伝えて、行事取材にあたった。

急なお願いに快く応じてくださった年番さん。

ありがたいことである。

平成24年に立ち寄った際に年番さんから聞いた簾型の注連縄。

その年の大晦日に訪れたことがある亀畑佐紀神社。

掛けられていた簾型の注連縄や砂モチを撮らしてもらったことも伝えた。

村の行事をこうして知らないうちに撮ったのであるが、「ありがたいことだ」と返答された。

この年の年番のなかの最長老は二老さんであった。

数分後に参拝に来られた一老さんも突然の訪問に喜んでくださった。

二条町の座行事はいくつかがある。

秋のマツリにシトギと呼ぶ神饌があると聞いていた。

平成24年の年番さんが話していたシトギは、「家で米を挽いて粉にする。水に浸して塗りの椀に盛って供える。神事を済ませて座小屋で、それを取り分けバランに乗せる。座の人はそのシトギを食べる」と話していた。

シトギを充てる漢字は「粢」である。

シトギを食する行事はこれまでの取材で数カ所にその存在を知ったことがある。

奈良市池田町の熊野神社で行われていた御田植祭八朔祭月並祭

大和郡山市満願寺町の古田神社のお盆祭の住吉祭り・宵宮座・例祭の座・新穀感謝祭

天理市杣之内町の木堂の八王子行事の秋の彼岸講である。

シトギは食することはないが、お供えにあったのは天理市荒蒔町勝手神社の神縄掛だ。

拝見はしていない行事に奈良市柳生町山脇の山の神がある。

ごくごく僅かな行事例である。

シトギが登場する県内事例は他にもある。

清めに撒いているのは御湯の神事だ。

それほど多くない県内のシトギである。

この日の節分祭にはシトギの登場はなかったが、長老はマツリの神饌に「ヒトギ」があると話していた。

「ヒトギ」はおそらく「シトギ」が訛ったのであろう。

「ヒトギ」はマツリだけでなく、7月7日に行われる弁天さんにも供えると云う。

弁天さんは神社登り口に祭られている社である。

かつては御前池下の弁天池とも呼ばれる佐紀池にあったそうだ。

道路を造る際に、この場に遷したと云う弁天さんの行事に供えられる「ヒトギ」の姿はいずれ拝見いたしたくお願いしたのは言うまでもない。

この夜の節分祭には、拝殿に幕を掲げられる。

ところが、前年勤めた年番さんからの引き継ぎに手違いがあった。

掲げる幕が手元にない事態となったのである。

本来ならば幕がある状態であるが、例年と異なる状況を撮るわけにもいかない。

なんとか判らないようにという条件で撮らせてもらった節分祭。

神事を始める前には作業がある。



まずは、お供えを包丁で切ってヒモロギで括る。

その役目は神職が勤める。

かつては一老がされていたのかも知れない作法である。

息を吹きかけないようにマスクをする神職。

丸物神饌のダイコン、ニンジン、ゴボウ(二つ分け)を三方に乗せる。



「春日大社では今でも熟饌です」と神職が云った。

イワシは三尾と決まっていると云う神饌。

三方に乗せたフクマメなどを手渡しで座小屋から献饌する。



厳かに行われた神事は祓え、献饌、祝詞奏上、長老の玉串奉奠を経て撤饌だ。

神事は拝殿に登った男性らで勤められる。



女性は登ることができないから、拝殿下で神事を見守っていた。

こうして神事を終えた人たちは座小屋に上がった。

座は西の座、東の座に分かれて座る。

初めに年番の人が折敷を席に置く。

お重に詰めていた肴はゴボテンとヒラテンの二種類のテンプラだ。

この年は「近鉄百貨店で買った上等もんだ」と話す。

お神酒は上座の神職、次に東の座の長老、次に西の座の長老と年齢順に座した人たちに注いでいく。

乾杯をすることなく、注がれた順にお神酒を飲み干す。

まずは一献ということで二老もいただく。



ひと回りすれば、今度は熱燗になった。

これもまたひと回りの二献目。



こうして「献」をすれば、テンプラを肴に直会となった。

その間の年番の婦人らは忙しい。



供えたフクマメを小皿に移して半紙包みのオヒネリにする。

この年の参拝者はお一人だけだった。

節分の日だけに家からフクマメを持ってこられた。

それは神饌に供えるフクマメに足しておられた。

オヒネリにしたフクマメは授かって持ち帰る。

フクを捧げてフクをいただくということであろう。

(H26. 2. 3 EOS40D撮影)
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