マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

菟田野古市場通りの米穀燃料店・神棚に張りだし造りの御供棚

2024年02月08日 07時35分18秒 | 民俗あれこれ
数年前の平成28年の6月12日。

取材地は桜井市の笠。

地区の行事に「テンノウイシキ」があった


漢字で表記すれば「(※牛頭」天王社の会式」。

神社行事であるが、仏式用語の会式。

民俗行事に拝見したかった藁つくりのカタチ。

編んだ藁は4種類。

一足半の牛の藁草履に人が履くような藁草履。

その藁草履は三つのカタチ。

子どもの藁草履に、女の藁草履。

さらに男の藁草履。

他地区では見られない藁つくりのカタチ。

それらすべてをつくり、会式に奉納された男性。

お家にあがりや、と云われて入った室内に見た神棚。

神棚の前、少し離して設えた板一枚の御供棚。

はじめて拝見した暮らしの民俗


いずれもブログに公開した貴重なあり方。

妻の実家にも同じような形態の神棚・御供棚がある、と伝えてくれた知人のNさん。

その後も、同様の事例も見つかった。

地区は奈良市中山町。

ご自宅拝見までは至らなかったが、男性が話してくれたそのカタチをイラスト化して、見てもらったら、これだ、といってくれた箱型のような御供棚


天井から1本の吊り棒があった。

神棚とは別に設えた箱型御供棚は、ボルト止めした鉄製の吊り仕様。

吊り位置は中心だからくるくる廻る造り。

その事例と、よく似ている御供棚は、大和郡山市雑穀町にあった。

お家行事のサンニンサン取材の際に、話してくださったかつての形状。

当時をとらえた写真も拝見した。

これら、仕様の違いはあるが、神棚から少し離した場に設えた別途構造の、いわば張りだし造りの御供棚。

お家のあり方だけに、事例はどれほどあるのか、それさえさっぱりわからぬ暮らしの民俗。

以前、妻の生家にある、と伝えてくれた高取町に暮らすNさんから、10月はじめのころにメールをいただいた。

「ブログで神棚のことを書かれていましたね。いつでも来てください、といいながら中々実現してません。だいたいは、毎月1回に家内の実家に母親のご機嫌伺いに行っています。ほとんどが日曜日の訪問ですが、今度の訪問時に来られますか?今のところ、24日の午後が有力です・・・」。

続けて「第三日曜日は、いつも宇太水分神社の秋祭りでお渡りや太鼓台が出て賑やかなのですが、今年もコロナで、神事のみの祭事は17日になるようです。ですから、訪問日を1週間延ばそうか、と家内と相談しています」と、あった。

調整した来訪日は10月24日の午後。

歴史も文化も記載されている「まちづくりマップ 菟田野古市場」裏面に生家が載っている、という地図を確認して出かけた。

その通りも、宇陀市菟田野古市場の地に鎮座する宇太水分神社も存じている。

平成17年の2月7日、ずいぶん前になるが、宮司お一人で祭礼をしていた年頭に豊作祈願する御田の祈年祭を拝見していた

本日の行先は、地元宇陀の地に商売されていた米穀燃料店。

ご挨拶に伺った米穀燃料店は、知人のNさんの妻の生家。

店主は、分家四代目の昭和33年生まれのYさん。

N妻の弟さんが継いできた米穀燃料店。

本家は、当家より西に建つ3階建ての家屋。

Nさんは、数年前から神棚に張りだし御供棚を私に見せたい、と伝えていた築造140年の建屋。

大正時代の建屋にある、と云われて案内された座敷。

まさに、これだ。



正面から拝礼、拝まさせていただいた神棚。

その前に設えた御供棚。



2段構造が見える正面から、左から寄って撮った神棚と御供棚の配置関係。

お燈明などを置く張りだし型の御供棚は珍しく貴重な神具。



一歩、下がって底面を拝見する。

神棚と御供棚との間隔がよくわかる。

天井から下げる支柱は、左右にそれぞれに一本ずつ。

天板がある御供棚の構造は桜井市の笠で拝見したカタチと同じようだ。

出入口から入室したその部屋は、かつての帳場であろう。

商売している感がある昔ながらの雰囲気を醸し出す。

帰り際にもらった実成りの柿は、N家で採れた柿。

自宅の畑に育つ甘柿は2年おきの実成りに収穫する。



お土産にいただいた甘柿。

数が多くて、ご近所さんにおすそ分けした。

(R3.10.24 SB805SH 撮影)

切幡・T家のぶとくすべ・再現

2023年11月22日 08時15分03秒 | 民俗あれこれ
若奥さんに伝えたお願い。

何かと忙しかったから失念していた、という。

その忙しさも終えて電話をくださった山添村切幡のT家

電話で伝える声の主は、Tさんの奥さん。

生まれも育ちも切幡。

親戚筋に、私も度々お世話になった同切幡のOさん。

なにかと教えてくださるお二人だが、虫が嫌うぶとくすべについては、これまでまったく話題にあがることはなかった。

きっかけはぶとくすべを見た、という同村遅瀬のUさんが発信されたFB記事である。

撮ってきたばかりだ、というぶとくすべ映像に、目が点になった。

端切れ(はぎれ)を巻いて藁紐で締める。

燃えカスがあるからぶとくすべに違いない、とUさんが伝えてくれた。

急ぎ駆けつけた令和元年の9月18日。

そこで見たぶとくすべは、まさにくすぶったまま、火は消えていた




燃えた痕跡は黒くなった燃えかすでわかる。

ぶとくすべを作って立てたお家。

くすべた理由もわかった。

取材してから、是非とも拝見したくなった作り方。

昨年も、今年も新型コロナ禍に、T家はどうされているのだろうか。

農家だけに稲作をしているに違いないが、ぶとくすべは、その年限りではないだろうか。

もしされていなければ、作り方さえ見ておきたいと思って電話をかけて、お願いした取材である。

稲刈り前の時季に、新しい村長を選ぶ選挙がはじまった山添村。

同時に村会議員を選ぶ選挙もある。

令和3年3月末の山添村の人口動向。

世帯総数は1349に人口が3360人の村の存続と将来を決める選挙。

午前中に済ませてほっとひと息ついたTさんの奥さんが電話をしてくださった。

若奥さんに云われていたことを思いだして電話した、という。

電話口で伝えるぶとくすべ。

古いものを巻きつけて作ったぶとくすべは、田んぼの仕事をしに行くときにもっていった。

巻き方が緩かったら崩れてしまうから、しっかり縛っておく。

昼間はあまり虫が寄ってこないが、朝・夕は特に虫に噛まれる。

だから畑作業に欠かせないぶとくすべ。

実りのころになったら出没するイノシシ。

稔った稲を食い荒らす。

イノシシは燻した煙を嫌うようで、夕方にくすべておく。

イノシシに荒らされんよう稲刈りするときも、ハザカケしてからも、ぶとくすべに火を点けて、くすべておけば寄ってこない。

使い方の状況を伝えてくれた奥さん。

現在地は都祁白石。大宇陀経由で吉野町の香束に取材があるから、終わってから、伺わせてもらいます、と伝えた。

切幡の地に着いた時間帯は午後3時。

玄関から大声で呼んでも声がない。

同家が生業にする三輪素麺の製麺工場から音が聞こえる。

そういえば、同家に来るまでの道沿いにもう一軒の製麺工場がある。

選挙支援の関係で仕事は、この日の日曜日も機械を動かしていた。



それはともかく、出入口前に設置している木製テーブルに・・・

えっ、まさかこれがぶとくすべ。

2年前、畑の柵にあったぶとくすべ、と違って、生葉をまるでスカートのように穿かせていた。

初めてみる形態である。



その生葉は、懐かしいバランの葉。

常緑多年草のバランは、極端にいえば、常にきれいな緑の葉を見せてくれる葉だ。

バランがなければ、ホウソ(※ナラ)の木の葉も使う場合もある。

ようは大きな葉であるからヤツデの葉もくるん、くるんに包んでおけば、火は衣服に燃え移らない。

それもなければ、孟宗竹の葉も使ってきた、という生活の知恵である。

先に、と思って撮っていたら、奥さんが顔を覗かせた。



もうすぐ製麺作業が終るから・・と、いって手にもったぶとくすべを撮らせてもらった。

後片付けを済ませたT・Oさんも、息子のMさんも・・。

若奥さんもみな、久しぶりやね、といってくれる家族。

孫さんも同居する三世帯家族。

合間に、尋ねたお盆のときの刺しさば。

昔しは食べていた塩辛い刺しさば。

焼いてから、酢に浸けて食べていた、という。

また、刺しさばの色はこげ茶であるが、トビウオの場合は白いが、刺しさば同様に塩辛い印象が今も記憶に残っているようだ。

上がってゆっくりしてや、といわれて玄関間に入る。

作業を終えた親父さんに息子のMさんの奥さんも話してくださる。



今では、入手しにくい端切れの綿代わりに、タオル生地を利用してぶとくすべの心棒をつくる。

綿代わりのタオル生地はほんわか。



綿の着衣などの端切れ生地とは、まったく異なる風合い。

とにかく、ぎゅっと絞って心棒の形にする。



そしてモチ藁で強く縛って崩れないようにしてつくった。

さて、気になるのがバランの葉である。



縛ったモチ藁は縄締め同様に端に伸ばして撚りする。

紐にあたる部分を腰辺りに括って取り付ける。

見本にこんなやり方だ、と教えてくれたパイプ棒。



これは見本で、本来は近くで見つけた木の枝。



まっすっぐでなくても構わない木の枝を縛ったぶとくすべの藁に通して、固定させ、ズボンのベルト通しにさす。

これで、動かないだろう、と実演してくれた。

ズボンのベルトに通した位置は丁度、腰の位置。

同じような形態で、畑作をしていた、と語ってくれた山添村・大塩に住むYさん。

まさに、その通りの姿、形であった


実演は、もうひとつの体形がある。



ぶとくすべの尻尾にあたる藁紐。

これをズボンのベルトのバックルにあたる部分に結んで固定する。

身体を動かせば、垂らしたぶとくすべは、ぶらぶら揺れる。

田植しているときとか、雑草抜きの場合もその姿。

下側になるぶとくすべの先端に火を点ける。

燃やすのは綿生地。

化繊では一気に燃え上がるが、綿生地はじわじわ燃える。

炎は発生せず、じわじわ燃えて煙が出る。

炎を立てない状態で煙らせることを”燻べる“と、いう。

燻りの煙は上昇するが、風などで拡散されるから、目が痛いとか,、鼻の孔にすっと入るなんてことはなかった、という親父さん。

くすべて虫を、あるいはイノシシを追いやる。

”ブヨ“に噛まれたら痛痒くなると、口にした若奥さん。

えっ、”ブト“とは呼ばずに、”ブヨ“なん?。

旦那のMさんもそういうが、実際は、話の加減。

状況によって、”ブヨ“ということもあるし、”ブト“とも、呼ぶこともあるなぁ、と・・・

先に揚げたブログ記事。

T家のぶとくすべのシシオドシ(猪脅し)記事にも書いたように、ここT家も同じ、”ブヨ“でも”ブト“でもかまへんが、”ブヨ“クスベとは呼ばずに”ブト“クスベ。



「昔から、そう云ってるけど、なんやろね」、とみなが首を傾げていた。

今から2カ月前のことだ。

ぶとくすべ民俗を気にしてくれていた写真家のKさんが、愛媛県では、呼び名が違っている、と伝えてくれた。

なんと、その名は”ブトイブシ”。

そんまんま、読んでわかる”ブトイブシ”。

そう、虫は”ブト”。

そのブトを燻すから”イブシ”。

つまりは燻蒸である。

燻るを燻す。

つまり漢字は同じでも、読みが異なる地域文化。「民俗行事」、「風習」を、キーワードにネット検索したら、ケッコーな確率でヒットした、という。

Kさんが見つけたネット情報は、私もヒットしたことがある愛媛県生涯学習センター/データベース「えひめの記憶」

かなりの民俗語彙がある、とみられる愛媛県生涯学習センター/データベース「えひめの記憶」。

ヒット出現率が高い「えひめの記憶」の情報に助言されることが、多々あった。

ずいぶん昔のことだが、「えひめの記憶」のタイトルに、えっと声を揚げたこともある。

実は、勘違いも甚だしい間違った印象に、思わず、えっ。

それは、「えひめの記憶」を、「えひめ丸の記憶」に見誤っていたのだ。

愛媛県宇和島水産高校練習船「えひめ丸の事故」が、頭の中に形成された誤変換によるものだった。

そのことはともかく、虫除けのぶとくすべ、でなく、「ブトイブシ」がキーだったとは・・・

“くすべる”も、“いぶす”も、同じ漢字。

”燻”べるに“燻”す。

一般的活用が「いぶす」で、「くすべる」は地方ワードなんだろう。

鹿児島弁、土佐弁用語に、あがっている”燻”べる(くすべる)

大阪、奈良も同じでは、と思うのだが・・

とは、いっても、燻してつくる「いぶりがっこ」は、東北秋田県の名産。

発祥は湯沢市内にある漬物屋さんが1964年製造・販売した際に名付けた登録商標であるが、いずれにしても地方ワードなんであろう。

それにしても、キーワードの「ブトイブシ」を、よう見つけてくださったことか。

「ぶとくすべ」では、ひっからなかった「ウエブリボ」に見つかった「ブトイブシ」

「ぶとくすべ」は、地方語なん?。

念のためにネットをぐぐったら、武蔵野美術大学美術館・図書館に「ブトクスベ」が見つかった。

使用されていた地域は、山口県阿武郡。神奈川県歴史博物館・特別展示出品目録にあった。

実物がどんなのかわからないが、事例の一つに揚げられるような気がする。

ちなみに、「ブトイブシ」は、夏の季語。

俳句季語辞典に載っている


この「ブトイブシ」について、情報を伝えてくれたKさんに感謝申し上げ、またこの場を借りて、御礼申し上げるしだいだ。

(R3. 9. 5 SB805SH/EOS7D 撮影)

大塩・母親から継承したY家のブトクスベ

2023年10月01日 07時28分31秒 | 民俗あれこれ
昼前に伺い、5年ぶりにお会いした山添村大塩住民のYさん。

通院している天理の病院でなんどかお会いした。

ご自身の身体のこともあるが、奥さんの付き添いが多かった。

心臓手術後の経過確認に通院していた循環器内科の診察待ちにばったりお会いした日は平成27年11月17日だった。

そのときに言葉をかけてくださったYさん。

「身体大事にせーや」だった。

次の機会は、平成28年3月8日。

診察終えて、食事に入店されるご夫妻の姿を遠くから拝していた。

数カ月後の平成28年7月18日。

Yさんが、畑作業に今でも使っている道具にブトクスベがある、と話しておられたので、そろそろ暑くなる季節だから、ブトクスベの出番の状況を知りたくて電話した。

このときの奥さんの具合は・・・月2回診察になっていたから、取材に応じられない状況にお断り申された。

その後の平成29年5月5日。

取材途中に訪れた表敬訪問。

ご自宅におられたYさんに挨拶させていただいたときのお声・・・・

前月の4月29日、奥さんの容態が急変。

事態は緊急入院措置。

話している時間もない状況に、これから毎日が付き添いしなければ・・・と。

お願いしていたフキダワラ取材は、一旦取りやめ。

その年の平成29年11月に亡くなられた、と知ったのは数か月後の翌年の平成30年2月16日であった。

FBに、Yさんのお名前が目に入った。

自然に出力されたYさんのお名前に間違いない、と判断し、FBメールにお願いした友達リクエスト。

FBメールに入れたコメントは「ご無沙汰しております。大和郡山市の田中眞人です。私も利用しているFBに突然のごとく、Yさんのお名前が出てきて、思わずリクエストボタンを押しました」

すると、要求に応えたYさんのアクションがあった。

「リクエスト承認ありがとうございます。お元気でいらっしゃいますでしょうか。相も変わらず、よろづ検診に行っています。3カ月に一度は循環器内科、半年に一度は血管外科医師の診察。良くも、悪くもならない状態ですが、生きています」と、コメントした。

Yさんからの返事は「お元気でお過ごしとのこと,安心しました。昨年の11月に妻が亡くなりました。今は慣れない寂しい一人暮らしです。また御茶でも飲みに来てください」だった。

亡くなったとは、何度かの訪問にももてなししてくださった奥様のお顔が脳裏に浮かんできた。

FBメールに入れたコメントは、「えー、そうだったのですか。これまで何度か火曜日の循環器内科受付でお会いしたことがあったのに・・・。行くたびに、おられるかなと探していました。お悔やみ申し上げます。また機会設けて寄らせてもらいますのでよろしくお願いします」、とした。

その後は、数回のメールをしていたが、ご無沙汰してしまった。

気がつけば、コロナ禍に突入していた。

村のマツリのほとんどが中止、中断の道を選んだ。

が、村行事の中でも中断しない習俗もある。

また、村の暮らしに欠かせない作業は中断と、するワケにはいかない。

ここ数年間の行事取材は、コロナ禍であっても、なくてもしなければならない暮らしの習俗に絞った。

山添村の大塩もまた中止、中断であるが、例えばお盆の習俗に墓掃除に墓参りなどはやめるワケにはいかない。

そのような習俗は、どうされるのだろうか。

足を運んで取材、それが私の取材スタイル。

1週間前の7月24日に訪れた大塩

たまたまの出会いに、今日の8月1日に地区にある井戸を清掃する、と話してくださった大塩の七日盆の井戸替え。

作業名称は井戸替えであるが、作業の内容は水溜めの槽のゴミを取り除き、綺麗する井戸浚えである。

作業の取材を終えて立ち寄ったY家。

お会いできたYさん。

実に5年ぶりのご対面である。

あがってや、と伝えられたそこはいつものお部屋。

客人と会話する、つまり応接間。

旧家のお家は、どの地域であってもみな同じの玄関あがりの間である。

先に、お願いした奥さんをまつる仏壇。

おりんに鳴らしたチーン。

手を合わせて、線香をあげさせてもらった。

Yさんが、いつもの美味しい茶を淹れてもらったお茶。



甘くて、とろっとした味わいや、と伝えたら、1袋持って帰り、とくださった。

Y家のお庭の植栽に思わず見とれていた。中でも私の好みの山野草がある。

この時季に咲いていた真っ白な風蘭の花。

見惚れているワケにはいかない。

そう、アレを見せてやろう、と移動した。

Y家の駐車場は、坂道を下った村の道沿いに建つ車庫。

そこにおりや、といわれて待っていた。



これがそうだと、持ってきたブトクスベは、母親から作り方を継承した姿、形。

この日のために、わざわざ作ってくださった母親譲りのブトクスベ。

太さは5cm、長さは20cm。

再生利用の端切れの綿の布を芯にしっかり縛った紐は藁紐。

これだけの藁でしっかり縛ったらほどけないブトクスベ。



このブトクスベに木の棒を突っ込み、ズボンのベルト止めの輪の部分に2カ所をひっかけ、腰に固定する。

虫は煙を嫌がる。

ブトクスベに火を点けても燃え広がらない。

じわじわ燃えはするが火の粉は出ない。

出るのは煙だけ。

くすぼった煙で虫を追いやるブトクスベ。

虫を殺すのではなく、虫が嫌うようにくすべる。

煙、それ自体によって虫が寄ってこない。

自然界と共生する道具が煙。

それによって虫が寄ってこない、自然界と共生する道具がブトクスベ。

Yさんは、スマホの利用者。

通話などを主に利用しているが、どうもフェースブックの使い方が、よく理解できたいな、という。

メッセンジャーも、あのときぐらいからはじめたようだ。

使い方が、あまり詳しくないから、無駄な情報は排除したい、という。

なるほど、実は私も不必要な情報の多さに辟易している。

排除、削除するのも世の状況を知る手がかりのひとつ。

無用な情報を削除するのも、日課だと思うようにした。

で、ないとストレスばかりが増えるだけ。

消すことは、ある意味時間つぶしでもある、と伝えたら、そうか、とおっしゃた。

帰り際に、これも持って帰りと、言われて受け取ったカボチャ。



Yさんが自家栽培している小型カボチャは、天然の甘さが美味しいというぼっちゃんかぼちゃ。

持ちかえったぼっちゃんかぼちゃは、翌日にかーさんが調理してくれた。



おふくろも、美味し、美味しいと食べていたぼっちゃんかぼちゃ。

お茶も、カボチャも、この場を借りてお礼申し上げる次第だ。

(R3. 8. 1、 2 SB805SH/EOS7D撮影)

地産地消・産直のお店や道の駅などによく見かけるようになった生キクラゲ

2023年07月17日 07時49分05秒 | 民俗あれこれ
近場に店舗を構えている産地直送よってって大和郡山店。

なにかと買う、必需品の食料。

野菜に果物。加工食品に肉、魚介にさまざまな総菜。

見て廻るだけでも楽しい。

最近でもないが、仏さんの花も買うようなった。

出かける度に、発見する新しき売り物。

なかでも、必ず買ってしまう生キクラゲ。

食の人数が少ない我が家では多くの量は困っちゃう、だ。

とにかく少量入りの商品。

今回も買ってきた2品のキクラゲ。

一つは、160円売りの三重県産の「木の子の里生きくらげ」。

黄色のラベルに目が動いた。

イノコ行事ねはん行事などの調査、取材に度々訪れることがある三重県名張。

名張のイノコ行事調査にわかった対象地域。

初瀬街道沿いに集落がある安倍田(あべた)に結馬(ケチ若しくはけちば)、井出(いで)、黒田(くろだ)、矢川(やがわ)地区。他に上三谷、竜口を含めた地域全体が、かつては「錦生村(にしきおむら)」で、あった。

地元の人たちは、「にしきう」と、呼ぶ錦生村。

その「錦生(にしきお)」を、冠に商品名が「錦生キクラゲ」。

まさか、産地であったとは・・・

事業者は、安倍田に立地の「木の子の里 錦生事業協議会」。

生産する4品目のキノコ。

シイタケにハタケシメジ、アラゲキクラゲ、乾燥アラゲキクラゲのキノコが、三重県県「みえの安心食材」に2021年に認定されている。

現地を存じているだけに、買わずにおれない「木の子の里生きくらげ」の生キクラゲ。

キクラゲの生産販売事業者は、もう一つある。

大阪・富田林(とんだばやし)産の生キクラゲは、130円売り。



やや少量生キクラゲは、生産者の名も表示した純国産菌床栽培

そう、近年は、さまざまな事業者や、農業生産が初めてだという生産者さんもおられる。

テレビでもある人のドキュメントを放映していたのも伺える、生きくらげ栽培の現況である。

ちなみに、ほとんどが菌床に植え付けたキクラゲは、私の家の庭に自然発生した「アラゲキクラゲ」

モノは試しに、と思って調理した「アラゲキクラゲ」。

あれこれ調理した料理は、どれもこれも美味い

やがて、ほんまものの「アラゲキクラゲ」は消えた。

が、こうして、地産地消・産直のお店や道の駅に売っているなら、新鮮だし、綺麗に売られている。

ためらうことなく、買ってきた生産者さんたちが栽培した活きのいい生きくらげ。

店舗売りに見た、あれこれ入れ替わる新しき生産者たちも販売する生きくらげ。

今後、大手スーパーから中小スーパーまで、より市場が拡大するであろう

(R3. 6.13 SB805SH撮影)

大岩に移住された古民家にさまざまな民俗用具を観る

2023年02月06日 08時25分49秒 | 民俗あれこれ
「おおいわ結いの里」に出会った民俗用具

うちにはもっとたくさんのモノがあると云ってくれた管理人のNさん。

ここ、と案内してくれたお家は古民家。

数年前、大阪から移住されたN夫妻が、現在の所有者である。

元々の住民が遺した民俗もあれば、Nさん夫妻が大阪から持ち込んだ民俗もあるらしい。

案内の道すがらに見た格子窓の家。

生活されているのかどうかわからないが、廊下にそっと置いている懐かしい道具が格子越しに見えた。

若い子たちは、見たこともないと思われる火鉢。

私が大阪に生まれ、暮らしていたバラック小屋のような木造市営住宅。

戦時中に見舞われた米国軍による大阪・大空襲にみな焼けた罹災者が移住した居住地に生まれた。

小学生の何年生だったか、記憶は遠い昔。

その家で祖母は和装つくろいをしていた。

どうしたのか、それは知らないが、水に濡れた綿を火鉢周りに置いて乾かしていた。

やがて乾きになった綿が、ふっと燃えて上昇した映像だけは脳裏に焼き付いている火鉢の思い出。

沸かしたお茶もそこでチンチンの音が鳴っていた。

そんな、かつての暮らしの情景がふっと蘇った火鉢。

ストーブは、とても重たい鉄製のガスストーブ。

大阪ガスの製品だった。

近年に見た鉄製(※鋳鉄)のガスストーブは、県立民俗博物館に展示物品として並べていた。

同じ型式ではないが、ネットにあったむちゃ重たい鉄製のガスストーブ

その鉄製ガスストーブが、えらいことになった。

ストーブに暖をとっていたそのとき。

いきなり接続していたガスの管が外れた。

ガス管の先。なんと焔が・・。

まるでバーナーのような勢いで火を噴いている。

その勢いで、管の先が、蛇のようにくねくね曲がる。

まるで生き物のように・・・

こりゃえらいことになった。

中学生だった私はオロオロするばかり。

と、そこに2歳下の実弟次男がとった行動は実に沈着冷静だった。

止まるまでの火吹きのガスホースはくねくね動き回る。

足で踏んで止めようとしたが、そりゃ無理。

火吹きのホースを両手でもった次男は、90度以上に折り曲げてガスの噴出を停めた。

火吹きの状態は落ち着き、ガスは止まり、火も出なくなった。

元栓を締めに走った私であるが、腰が抜けるほど緊張感が走っていた。

その私をさておき、次男は緊急対処に自信をもった。

およそ55年以上も前の体験。

原因は鉄製ガスストーブに接続するガスホースの管止め器具がうまくはまってなく緩んでいたことによるもの。

その後に開発されたコンセント型ガスソケット・ガス栓カチットの登場により安全性が飛躍的に高まった。

カチット製品が登場するまでの期間は、二度とそのようなことが起こらないよう、安全に安全を点検するクセがついた。

ここで長話になっても仕方ない。

足をあげてN家の古民家に向かう。



辻にあった常夜燈2基ある。

正面から見た左側に建つ常夜燈。

「古座中」に目が動いた常夜燈は「八幡宮」。

もしかとすれば、であるが、大岩に宮座があったのではないだろうか。

黒田一充論文「関西大学博物館着紀要」・『奈良県庁文書の宮座調査資料』がある。

『昭和十一年祭祀並宮座調』と、『昭和四年大和国神宮神社宮座調査』史料から調べられた当時の調査データからは、大岩の宮座は収録されていない。

尤も、大淀町に記載があったのは、大淀町増口・水分神社だけしか記録されていない。

増口の宮座は「大字上市宮座に12人。増口宮座は最年長者が当番神主」に就くというだけだ。

座名も記載されていないので、詳しくはわからないが・・・、大淀町の他大字については全く記載がない。

たぶんに県庁から求められたアンケート調査に回答されなかったのであろう。

気になる大岩の「古座中」。

古座があれば、新座があってもおかしくない。

大岩は、かつて西の大岩に東の大岩の2地区であった。

たしか2地区それぞれにお寺さんがある。

東に大蔵寺、西は西照寺があるから、神社も同じように、東に大岩神社、西が八幡神社であろう。

実は、撮った常夜燈の右側にも石塔がある。

比較的、新しく建之された感のある石塔正面に刻印もなかったので記録に留めなかった。

そういえば撮った左側の「古座中」もどことなく不思議さを見せる。

「古座中」の刻印があるその下の台座と石塔にのせている笠・宝珠との風合いが異なるのだ。

機会あれば、尋ねてみたい大岩の文化歴史のひとつである。

その辻から少し歩いたところが、移住した我が家だというNさん。



その角庭にあった井戸に目がいった。

生活感のある井戸は、現役であろう。

木の蓋に井戸水を汲みあげる電動ポンプがある。

かつては手押し式の井戸水汲み。

その当時以前は、釣瓶(つるべ)式の水汲み。

時代文化とともに使いやすさが暮らしを豊かにしてきた。

この日は、時間的な余裕もなく、N家に拝見したい民俗用具を先行するが、古き井戸を守ってきた当主とは、是非ともお聞きしたい「井戸替え」と「井戸神まつり」がある。

N家の門をくぐったそこにあった大量の物品。



なにからなにまでごった返し状態。

N夫妻がかつて集めたさまざまな民俗道具に埋もれそうな情景である。

興味そそられる数々の民俗用具をじっくり見ていたいが、今はその余裕はない。

ただ、その用具の中から、是非とも撮ってほしいと、視線を感じた木製の彫り物。

さりげなく置いていた彫り物は、長寿の印し。



表情豊かに、微笑みの高砂人形尉(じょう)・姥(うば)の板彫りである。

こっちに行くと玄関、と案内されたそこにドーン。



存在がすごいこいのぼりの支柱。

ながーい木(※長生き)の呼び名がある、かつて杉の葉を天頂にもっていたこいのぼりの支柱である。

くぐりかけた玄関の真上に見た記念のしゃもじ。



墨書名は、先代の住民であろう。

県内事例にある民家住民の祝い事は八十八歳の米寿の祝いのしゃもじ。

あるブロガーさんは、桜井市金屋に見たしゃもじは、長寿祈願若しくは御礼とあった

ある工務店さんが歩いた初瀬街道。

名張市の鹿高集落に見つけたしゃもじはテハンも・・・

尤も、テハンなら私も記録した室生下笠間の事例を公開している。

玄関くぐってすぐ、いきなり見上げた天井。



木製の梯子を据え付けていた。

2階にあがる梯子は垂直立て。

非常用の梯子でなく、物の上げ下げに使う梯子だろう。

なんせ、まだ居住してから月数が経っていない。

一部始終がまだわかってない、という。

一間に一歩入ったそこにオクドさんとも呼び名がある火焚きの竈(かまど)。

竈よりも先に気づいた天井につくられた構造。

竈の煙を排出する煙突の先にあった。



古民家にあがるとき、常に見てしまう天井の構造。

そう、ここにも見つかったススダケを据えた構造。



竈や囲炉裏にくべる焚き物。

燃えた火にくすぶる煙が上昇した天井に煤がたまる。

もともとは女竹(めだけ)と呼ばれる竹に煤が付着しているから、煤竹(すすだけ)と呼ぶ。

その煤竹の隙間に木材の欠片。

たぶんに杉皮だと思うが・・

さて、竈である。

タイルを貼りつめた竈は、そんなに古くないが、なんとも不思議なカタチ。

半円に切りとったかのように思えたお釜が気になる。

半円球のような形の古釜は、茶釜のようなぶつぶつ凸凹はないが、鋳物製の飯炊き釜。



なんやら文様が見られるが、判別不要。

こんな形の羽釜(はがま)は、これまで見たこともない

蓋を取ってみたら、なんだ、というかもしれない。

その蓋に置いた道具は拍子木。



今もきれいな音が出る拍子木に、思わず詞がでてきた「火のようじん~カチカチ マッチ一本 火事のもと~カチカチ ・・・」。

腰を下ろして見た竈の焚口。



これもまた鋳鉄製であるが、なんと「火の用心」と漢字の文字があった。

素晴らしい「火の用心」の文字に、毎日の火焚きに注意を払っていたことだろう。

火場にある竈に見た「火の用心」は、確認できたが、護符はない。

まあ、出入り口の玄関内部にもあるのでは、と思っていた逆さ文字で書かれた「十二月十二日」の護符。

泥棒除けの護符であるが、移住されたN夫妻は、泥棒除けの護符も「火の用心」も知らない、という。

大阪吹田出身の旦那さん。

千里ニュータウン開発や仕事柄、万博事業にも絡んでいたそうだが、護符は知らない分野。

生まれ育った地域に見られなかったようだ。

その玄関表にあった紐引きカウベル。



そして、生まれ故郷の淀川に泳いでいた地域に見たことがある竹製のモンドリ。

大きな仕組みだが、さて何の魚を採っていたのだろうか。

(R3. 2.17 EOS7D/SB805SH撮影)

おおいわ結いの里に出会った民俗

2023年02月05日 07時30分18秒 | 民俗あれこれ
お土産に、東京成城石井特選銘菓の「春のおこし」をいただいた平日だけのモーニング喫茶きまぐれやから、施設「おおいわ結いの里」に移動する。

距離にして200メートルくらい。

まだ、駐車場は未整備だが、先週まで開催していた奈良県障害者大芸術祭・ブライベート美術館、「おおいわ結いの里」のときにあった仮設駐車場に車を動かした。

ここ大岩の雪に埋もれるおおいわの里に停車した場が仮設駐車場。

看板はなくなったが歩いていく道。



農小屋に冷たさを象徴する”つらら(氷柱)”があった。

雪はほぼほぼ溶けたが、つららはピーンと張ったままだ。



玄関横に置いてあった木桶。

来客を迎える花活けに使っていた木桶に墨書がある。

判読した墨書は「下市樽吉作」の担ぎ桶。

年代記銘に「昭和弐拾壱年九月三日新調」。

「上(の)喜多所有」と、ある。

帰宅してから調べたネットくぐり調査。

おそくら高取町製薬会社の喜多製薬ではないだろうか。

民俗用具資料としても貴重な道具であるが、実際はどのように使用されていたのか、今では尋ねるすべもない。

さて、「おおいわ結いの里」の受付、施設管理されている管理人のNさんにも、二人の写真家を紹介しておこう。

ともに民俗を調査、撮影している写真家。

目につくもの多く、話題の拡がりになかなか前に行かない。

Nさんが受付していた、そこにも民俗の用具があった。

これまでの体験では見たこともない箱。

よく見れば、置き薬・配置薬の薬箱。



意匠図案は間違いなく名古屋城であろう。

名古屋製剤社製配置人まるはち商會、とあった木箱の薬箱の現在は、「おおいわ結いの里」の受付に利用している。

入室料にいただく受付金銭箱。

用途はずいぶん変わったもんだ。

別途にあった紙。



これもまた名古屋製剤社製配置人まるはち商會が、訪問するお家が、希望される配置薬の種別を指定する要望注文票である。

顧客と配置人が交わす注文書であるが、若い人には、さて何のことやら、であろう。

大広間にあがった二人。

履き心地を確かめたくなって試着した。

カラフルな色柄にお好みを選んだ室内履きの足半(あしなか)。

思う存分に足が動くようだ。

世の女性の大半が欲しくなる足半(あしなか)。

管理人のNさんがつくって、世間に拡げる会の催しも計画している、という。

蒙古襲来の鎌倉時代。

草鞋の機能に草履のカタチ。

草履にかかとの部分のないカタチが足半(あしなか)

関東武士によってつくられ、普及した足半は、飛脚に農民まで利用していた、とある。

織田信長は、合戦に向かうとき腰にぶら下げ、手柄を立てた者に・・。

ちなみに東京・上野に建つ西郷どんの銅像に足半(あしなか)が見られるようだ。



履き心地に満足いった二人は、即時購入された。

(R3. 2.17 EOS7D/SB805SH撮影)

奈良のきたまちはヒイラギイワシの習俗が色濃いらしい

2023年01月13日 07時24分12秒 | 民俗あれこれ
ところで、駐車場のあるこの通りにまさかのニの正月民俗が見つかった。

節分の民俗がよもや古都の町のど真ん中にあるとは、思ってもみなかったヒイラギイワシ(※柊鰯)との出会。

そういえば、この通りから北寄りの筋を東に向かえば転害門(※手貝門)に出会える奈良の道。

ならまち北とも呼ばれる古くから暮らしてきた人たちが住む通り。

近いと、いえば近い範囲にある。

参照したネット解説にあった「節分に柊鰯を玄関先に飾る風習が今でも残っているのは、奈良県をメインとした西日本エリアと関東地方の一部、福島県です。特に、奈良市内では柊鰯飾りをおこなう風習が色濃く残る傾向にあります」

「また、西日本の一部の地域では柊鰯飾りの風習の一つとして、柊鰯を飾った後、その日中にイワシを食べる習慣があるのも特徴」

“特に、奈良市内では柊鰯飾りをおこなう風習が色濃く残る傾向にある”と書いている。

へぇ、そうだったんだ。

ただ、気になるのは” 奈良市内“の範囲である。

前述のならまち北(※「きたまち」だけでなく、江戸時代中期の『奈良町絵図』に描かれた奈良町の区域でいえば、「ならまち」「きたまち」「京終(※きょうばて」」も含まれる。

数年前に訪れた「ならまち」の一角にヒイラギイワシの存在を確認したが、あまりにも広範囲に亘る。

全域に、どれほどのお家がされているのか、厳密に調べなきゃならんだろうな。

(R3. 2. 5 SB805SH撮影)

令和3年、特異日の節分

2022年12月31日 08時16分38秒 | 民俗あれこれ
なんやて?

今年の節分、2月2日だってな。知らんかったわ。

あんた、よう云うてくれた。

聞いてなけりゃ、危うく出演落ちになるとこやった、と頬どころか顔全体が真っ赤になった赤おにさん。

出演日は、毎年の2月3日。

ずっとそうしてきたけど、また、なんでやねん!。

なんでも、国立天文台によれば、3日以外の日になるのは昭和59年以来の37年ぶりやと。

ちなみに昭和59年の節分の日は、2月4日やったんやで。覚えているかい。

当時は、33歳。

現役バリバリのビジネスマン時代や。

そんなもん覚えているわきゃねーだろが。

それすらも記憶がないって、あんたも歳いったんやのぉ。

はいな。

詳しいことは、天文台が暦象年表に書いとるから、それ読んでくれたらえーんやけど、簡単にいえば、1年ごとの太陽年(※地球の公転周期)の365.2422日。

ところがカレンダー暦の1年が365日とくりゃ、微妙に誤差が生じるじゃろ。

1年に約6時間の遅れに、閏年には4年前より少し遅くなる・・ってさ。

また、節分の日が2月2日になるのは、明治30年以来の124年ぶりや。

へぇー、そうやったんや。

それこそ、わしゃぁ生まれてないから、知る由もないわ。

ま、とにかく2月2日の晩は、豆をくらってくるわ。

なっ、青おにさん。

そういうこっちゃやから、出番に、ほな行くで・・・。

ちなみに翌年の節分の日は、2月3日に戻るが、なんと2025年からは、閏年の関係により、4年ごとに再び戻って2月2日が、当面続き、その次のアタリ年は2029年になるそうだ。

しかも、もひとつおまけに、2058年から2090年になると、4年に2度も。

閏年の翌年、翌々年の節分も22月2日のようだが、直近はともかく、50年先とあれば・・・生存しとらんわ。

(R3. 1.26 SB805SH撮影)

正月三が日、初詣の人出は制限するんだろうか・・

2022年07月15日 08時55分30秒 | 民俗あれこれ
秋祭りの神振行事は、どことも中止を決断されているが、3カ月後の大晦日から正月三が日の初詣の人出は制限されるのだろうか。

例年、橿原神宮が100万人、大神神社が60万人、春日大社が50万人・・・。

新型コロナウイルス対策の3密避けた入場制限。

例年が300万人の成田山新勝寺は、分散参拝の呼びかけ方針を早々と決め、参道入口の検温に歩行者誘導をするようだが・・。

不特定多数の一般参詣者に・・・はてさて・・

(R2. 9.26 SB805SH撮影)

運搬・配送形態の対比

2022年06月29日 07時13分24秒 | 民俗あれこれ
拝見していた写真展会場を離れて、一歩でた舗道を歩いていたときに目撃した光景。

今どき流行りの“食”の請負委託配達人と大きな荷物から小物まで、さまざまな依頼物品を運ぶ専業従業者。

信号待ちしていた2組の後ろ姿に思わずシャッターを押した。

配達人はスピードが売り物の軽快な小型折り畳み自転車であるが、従業員は安全性を考慮したゆっくリズムの手押し車。

ちなみに、右手の業者はヤマト運輸。

行動範囲が拡がる運搬形態として後方にリヤカーを牽引する自転車仕様もある。

物流を運搬するリヤカーは道路交通法上「軽車両」扱い。

単体でも、自転車とセットでも車道左側通行であるが、港湾や卸売市場などではどういう扱いになるんだろうか。

(R2. 9.15 SB805SH撮影)