マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

旧都祁村荻の村産直販売所

2018年05月19日 09時24分58秒 | 民俗あれこれ(売る編)
全廃の可能性が高まった県内のフキダワラ習俗に愕然とした天理市山田町を離れて次に向かう地は旧都祁村の一つ。

荻に向かう。

気になっていた村の産直販売所である。

施設は末広屋大野橋直売所の名が正式。

ここに行けば美味しいものがある。



自家栽培の採れたて野菜に高齢のばあちゃんたちが真心こめて作っているイロゴハンやちらし寿司。

行けば何かがある。

もう一つの目的は民俗行事について教えを乞うことである。

その前に確認しておきたいことが一つある。

それはここで売っていた猪の焼肉の件である。

美味しそうな香りに釣られて買った焼肉。

冷めてしまったらとんでもない臭い。

えー匂いではなく腐った臭い。

戻しそうになる強烈な臭いがたまらんかった。

もし、この日も売っているなら、ご注進したくて立ち寄った。

店番していた二人の売り子さん。

あの猪肉を焼いて売っていたのは村の人ですか、と聞けば、そうではないという。

肉を焼いて売っていた男性は荻ではなく、隣村の下深川に住む男性だという。

ときおりであるが、店の横で売っているが、場所借りして売っているから、売り物についてはお店に責任はないという。

注進はできなかったが、原因を教えてもらった。

冷めたら臭いのは猪の下処理が上手くできていなかった証拠。

それも血抜き処理をしていなかったからや、という。

私らもいっぺん買って食べたら、とんでもない臭い、味だったという。

なんてこったい、である。

話題は民俗行事に切り替える。

一つは2月15日に行っているという子供のネハンコ。

もう一つは4月28日に村神主が山に登って、荒神さん参拝をしているという。

詳しく知らないから区長に聞いてみたら、と云われるが、次回廻しに尋ねるとして次の地へ向かった。

その道沿いである。

荻に珍しい、てっぺんに杉の葉をつけたコイノボリの支柱がある。



今年もしていたのが嬉しい。

初めて見たのは平成26年の5月6日だった。

なぜにここにあるのか尋ねた結果は、道行く人たちに愉しんでいただこうということだった。

(H29. 5. 5 SB932SH撮影)
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川上村大滝にやってきた移動販売とくし丸

2017年11月27日 09時33分01秒 | 民俗あれこれ(売る編)
およそ8カ月ぶりにやってきた川上村の大滝。

これより高原に向かう途中に聞いておきたい大滝の地蔵さんまつりである。

正式な行事名がそれであるのか、どうもわかっていない。

数年前より探していた地蔵さんまつりがようやく実現できるが、行事日は3月、それとも4月であるのか。

平成28年4月24日に訪れた大滝で出会えた辻井酒店の店主の話しによれば、3月24日であった。

来月になるので念のためと思って辻井商店を伺ってみた。

ごめんくださーいと大きな声をあげたら奥からご婦人が出てこられた。

酒店は親戚になるという辻井商店。

なるほどである。婦人がいうには3月23日に近い日で、だいたいが第三木曜日になるという。

前日の第三水曜日は器械で搗く餅搗き。

隣近所の7人ほどで事前準備。

今年は3月23日の木曜日になりそうだとカレンダーを見てくださったが、なんとなく不安にかられる。

地蔵さんの祭りは、婦人の姑さんが地蔵さんをもってきて始めた行事のようだ。

般若心経三巻唱えて、炊いたアズキゴハンを皆と一緒にその場で食べる。

それからゴクマキをすると云っていた婦人が、嫁入りした翌年の昭和34年9月26日である。

その年に発生した伊勢湾台風によって住まいが流されてしまった。

大雨のその日はみるみるうちに紀の川が洪水状態。

足元にピチャピチャきた途端に流された。

それはほんまに恐ろしかったという。

こうした伊勢湾台風の影響で大滝どころではなく、過去最悪の洪水に下流域も含めては甚大な被害が出た。

伊勢湾台風の洪水によって、紀の川流域治水はもとより日本の災害対策は、根本的に河川改修の変更を迫られた。

その治水をするために生まれた大滝ダム建設であった。

地蔵さんのまつりを取材させていただく旨、お願いをして村を離れようとしたときだ。

商店向かいの場に軽トラが停まっていた。

運転手が飛び出して商店街に建つ何軒かのお家に声をかけていた。

軽トラは全国1000店を目指して広がる移動販売スーパーのとくし丸

県内のスーパーヤマトーと提携したと奈良新聞が報じていたこれだ。

山間部にとってはありがたい新鮮な食料を届けてくれる移動販売スーパー。

欲しいものがあれば要望を叶えてくれるのがありがたいという。

特に車という足がない人は助かると話す生活支援。

尤も、移動販売車は以前から営業されている人がいる。

例えば豆腐屋もそうであるが、生活食材となれば、豆腐一丁では済まされない。

私が初めて見た天理市藤井の村であった。

山間部にやってくる移動販売車が助かりますと、買い物困難者の村人が云っていたことを思い出す。

ただ一点、気がかりなことがある。

私は数年前まで患者さんを自宅まで送り迎えする送迎ドライバーの職に就いていた。

2人制の交替制であったから休みはとれた。

ところが体調を壊して短期、長期間の入院を経験した。

短期間であれば、私が復帰するまで連続勤務で逃げられたが、長期間となれば交替要員が補充されるまではずっと我慢の子、である。

個人事業主であるドライバーさんは仕入から販売に営業もする。

すべて一人の独立体制に休みはない。

その人がずっと健康であることは考えられない。

体調を壊した場合はどうしているのだろうか。

ちなみに「㈱とくし丸」の「とくし」は「篤志」の意味をもって事業名にしたそうだ。

耳に残りそうな、「とく とく とーくっのとくしまるー ・・・ なかまがよってくるとくしまる ♪」のテーマソングがスピーカーから流れてきたら・・・集まってきた。

(H29. 2. 3 SB932SH撮影)
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下笠間の売りものの角結びカケダイ

2017年08月28日 09時45分14秒 | 民俗あれこれ(売る編)
当月の1日に下ごしらえをしてベランダ干し

日にちも経っていたからカラカラに乾いていたカケダイ。

それからの寒風に晒してさらにカラカラ干し。

年末近くになれば売り物にするための角結びをすると聞いて再訪した。

カケダイを作って売り出すお店は宇陀市室生下笠間の宮崎商店。

同商店でカケダイを作って販売していると知ったのは、この年に行われた虫送りの日だった。

入店したお店の神棚に吊るしてあったカケダイを見て驚いたものだった。

作るところ、干すところなどの作業場面を記録させていただきたいと取材をお願いしていた。

同商店をはじめて知ったのはそれよりもずっと前。

平成17年の6月16日だった。

虫送り行事のことについて情報を得たく入店したお店であった。

玄関ドアガラスに何かしかの印があったが、気にもとめなかったのでそれが何だったのか、まったく記憶にない。

朧気ながら脳裏にあるのはお札だったような気がする。

それから県内各地でさまざまな民俗行事を取材するようになってからはお札が目に入ればついつい写真に記録する癖がついた。

商店に着いたときのご主人は畑から引いてきたダイコンを洗っていた。

3本とも見事な形に育ったダイコン。

悩ましい姿のダイコン足だけではなく、仏手のように見えるダイコンもある。

見ていて飽きないダイコンの姿に思わずシャッターを押す。

作業する場はベランダ下にある小屋である。

案内されるご夫婦についていく途中に拝見した干し物。



皮を剥いて半割りした種付きの柿である。

渋柿もこうしておけば美味しくなる。



隣の籠は熟しの柿に蜜柑。



家でできたこれらは家で食べるもん。

商売には出していない。

売り物にしているのは階下の作業場にある棒ダラである。



何日間も水に浸していた棒ダラである。

今年は5尾を買って製品化している。

お客さんに売るものもあるが、我が家の正月に食べるものもある。

カラカラ状態の棒ダラを購入したら、とにかく水溜めに漬け込んでもどす。



棒ダラは炊き方が難しいという。

一日たっぷり時間をかけて炊く。

味付けは本だしにコブ(昆布)を使う。

箸で突っついて柔らかくなってから味付けする。

棒ダラの仕入れ先は奈良県中央卸売市場。

北海道で捕れたタラは11月ころにここで乾燥させる。

タラは10本、11本、12本入りで売っている。

近頃は棒ダラも高くなった。

だいたいが半身で買う。

上等もんであれば半身で8千円。

一尾であれば1万3千円にもなるという。

棒ダラは家で炊いてコブ(昆布)巻きにする。

10cmぐらいの長さに切って昆布を巻いて作る個数は100個。

棒ダラとカズノコさえあれば正月三日間を暮らせるとご主人はいう。

正月用に作る一品はもう一つある。

魚のエイである。

これもまた卸売市場から仕入れる。

その量は50kgにもなる。

仕入れたエイの内臓を取る。

タワシでこすって取り除いた内臓部を綺麗にする。

昔はそうしていたが、今は内臓処理をしたものを入手しているという。

エイを食べるのは正月。

煮凝りも欲しいから作る。

この煮凝りがたまらなく好きなお客さんもおれば、アツアツご飯にのせて食べたらとても美味しいという人も。

そういう人にも応えてあげたいから毎年作ってきた。

昔は匂いがキツく臭かった。

いわゆるアンモニア臭である。

ヌルヌルしているエイは塩を塗して揉む。

よく揉んでヌルヌルを取る。

そして水洗い。

それから甘辛く味付けして鍋で炊く。

甘辛いではあるが、どっちかといえば辛いエイの味。

調理されたエイはお店で販売する。

そのような正月用の調理商品作りを交えながら作業をされるご主人。



ベランダで干していたカケダイを降ろす。

カケダイは2尾で1セット。

この1セットを「ひとかけ」と呼ぶ。

売るときもそうだが、「ひとかけ」と云えば2尾の1セットである。

以前は竹の竿を水平に立てた「ハサ」に干していた。

イヌワラをエラから口へ通してツノムスビ(角結び)。

ツノムスビにすれば藁縄は緩まない。

「わしらはどこでも、いつでもツノムスビや」という。正月飾りの門松はオン松(雄松)とメン松(雌松)揃って一式。

門松を立てる心棒に杭を打ち込んで松を固定する。

そのときもツノムスビをしているという。

だいたいが12月28日にしている門松飾り。

ご近所のⅠさんは注連縄を作る。

御幣はご主人と決まっているようだ。

「こんな結びは若いもんはできんやろな」という。

そのⅠさんの家にあったのがカケダイだった。

拝見したのは平成22年1月4日である。

見て撮ってくれてかまわんよと云われて撮らせてもらった。

丁度そのころの28日、29日にお客さんがカケダイを買いにくる。

の有無確認に電話がしょっちゅう鳴る。

まだか、まだか、と催促する人もいるらしい。

カケダイにする魚は真鯛だった。

それは昔の話し。

今はニュージーランド産の冷凍レンコダイ。

11月のかかりに仕入れた。

エラを抜き取って内臓も取る。

塩を内蔵に詰め込んで漬物樽に漬け込む。

樽底に置いて並べる。

塩もして置いて並べる。

何層にもなったという塩漬けである。

10日ほど経てば水が湧いてくる。

湧いた水はほかして樽に移す。

その樽でもう一度塩漬けにする。

その場合のカケダイの置き方は表面から裏面に替える。

つまりは両面とも塩漬けするようなものだが、実は出してみればわかるのだが、塩漬けしていた裏面はまだ赤身状態なのだ。

干す前の作業もずいぶんと手間をかけていたことを知るのである。

表も裏も塩漬けしてようやく樽から出す。

それから干す作業に入る。

干す日に冷たい風がないとなかなかできない。

寒いだけではできない。

風が吹かないとカケダイができあがらないのである。

カケダイにツノムスビ(角結び)をする縄は市販のロープである。

その縄をエラから口に通すのであるが、なかなか上手いこと通らない。

そこで登場するのが竹で作った通しの道具である。



節目がある先端は先を尖らす。

手で押し込む側は二つに割っている。

割った部分にロープの先を挟む。



挟んだロープが外れないように指で割いた竹を抑えながら通す。

かつては竹でなく金属製のハサンバリだった。

炭焼きの道具にそれがあったらしい。

金属製よりも竹製の方が柔らかいから手に馴染む。

1尾に通したロープの長さをとる。

ツノムスビができる長さに合わせて鋏を入れて切る。

もう1尾のカケダイにもロープを通す。

同じようにエラから口へと通して腹合わせ。



ロープの位置を調整してモチワラを取り出す。

2尾のエラの中に食い込むように揃える。



親父さんもこうしていたが、なぜにそうするのか聞いていない。

型崩れを防止しているのか、それとも飾りなのか・・・わからないまま続けているという。

モチワラ挟みが済めば、本格的にツノムスビをする。



カケダイに回すようにロープを締める。

ぐっと締め付ける。



一方のロープは逆に回して二本のロープを綺麗に揃える。

ぐっと締めて弧を描くようにロープを回す。



さらに締めてもう一本をくるりと回して締める。

結び目ができてさらにぐっと締めつける。



ロープの端をもって、これもまた円を描くようにロープ締め。

言葉ではなかなか説明し難いツノムスビである。



注連縄もカケダイもツノムスビも、本来ならモチワラである。

モチワラは茎が長いし、粘りもあって結いやすいといいながら作業を進める。

余った端っこは鋏で切る。

これでできあがりだが、最後にエラ挟みのモチワラを切る。



2尾のエラを中心にはみ出たモチワラを切る。

ほど良い長さがバランスをとる。

今までみたなかではどうやらカケダイの端から少しでるくらいが丁度いいように思える。

昔は40カケ(ひとかけの40倍分)も作っていた。

それだけ需要があったということだ。

どこの家でもそうだが、長年続けてこられた家の風習も先代がいなくなれば代を継ぐことは稀である。

今年は8カケになってしまったという。

山添村岩屋に住んでいたFさんもカケダイを作っていたという。

同じように竹を割ってエラ通しをしていたそうだが、竹割りは半割りか四つ割りだった。

Fさんが作っていたもっと大きなカケダイだったが、鯛ではなかったようだ。

それは食べるカケダイ。

カラカラに干したカケダイは下笠間のⅠ家のように恵比寿・大黒さんに供えるものだが、食べる場合は5月のモミマキのころ。

一尾のカケダイを水出しする。

時間をかけて塩漬けしたカケダイの塩分除去。

きっちり塩抜きして食べていた。

今では食べることもなくなってきたからレンコダイも小さくしたようだ。

(H28.12.26 EOS40D撮影)
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高取元配置薬家の神農図と行商道具

2017年07月20日 09時50分39秒 | 民俗あれこれ(売る編)
御所市宮前町神農社の薬祖神祭行事の取材に同行してくださったN家に伺う。

私が取材したなかに神農さんの掛図を家の床の間に掲げて祭る行事がある。

一軒は元藩医の家

もう一軒は往診していたお医者さんの家

いずれも大和郡山市内である。

神農さんは医療関係のお家で継承されてきた事実を知ったわけであるが、薬祖神祭行事の取材に同行してくださったN家は元配置薬家。

正月などの目出度い日とか他の日にも掲げてお供えをしていたと云っていた。

先代の父親は配置売薬業。

奈良県外各地の顧客先へ出向いて売薬をしていたという。

床の間に掲げていた時代はNさんが子どものころ。

売薬に地方に出た父親が家に戻ってくるのは盆と正月ぐらいしかなかったそうだ。

神農さんの掛図を見た記憶にあるのはその盆と正月。

そのときにしか掛図は掲げなかったのであろう。

床の間の記憶にあるのは神農さんの掛図の前にあった鏡餅ということはお正月らしい雰囲気であったことがよくわかる。

正月が明けて売薬仕事に向かう際に掛軸を掲げて商売繁盛を願った。

仕事道具を床の間に据えて旅の安全を願ったのであろう。

Nさんはそう云う。



私が神農さんの掛図を拝見したいと希望したものだから父親が商売に使っていた柳行李を座敷に出してくれていた。

今でも使えそうな柳行李は五段組み。

もう一つ、木製の蓋付きの箱もあるから正確にいえば6段組みといえばいいのだろうか。



それぞれをばらして並べてくれた。

行李の四つは内張りがある。

何を書いた書類なのか、文字がたくさんある。

一般的にコリヤナギ(カワヤナギ例もあるらしい)や竹が原材料の柳行李

職人さんが編んで作った製品は隙間がある。

虫食い被害も受けやすいヤナギ。

防虫に和紙でくるんで柿渋塗り。

内部に貼って強度をあげる意味もあったのではないだろうか。

行商に柳行李が使われたのは、軽さである。

収納する商品の大きさを考えてのことだと思われる内部の区切り板も組立型である。

運んでいるときに行李の中でゴソゴソしないように工夫されている。

手前にある木製箱に皮製の帯ベルトを納めていた。

このベルトは販売する薬に顧客台帳などを収納した柳行李を締めた。

倒れても崩れないようにしっかり締めた商売道具は大風呂敷(一反風呂敷)に被せて包んだ。



両端になる部分を引っ張って紐のようにする。

それを背中にもっていって両手を広げて背中に回す。

腰を上げて首辺りで結ぶ。

そういう具合に調えて父親は玄関を出ていったのであろうと再現してくださった。



再現時は商売の品々は入っていないので軽いが、詰まってあれば相当な重さになったであろう。

こうして担いだ大風呂敷に白抜き文字がある。



「鯉膽丸(りたんがん)本舗 株式會社きぬや薬舗」が製造する薬などを顧客に届けていたのであろう。

きぬや薬舗は風邪薬のメトン錠や頭痛・歯痛などに効果を発揮する医薬品ソラジンも販売している御所市今住にある薬製造会社である。

大風呂敷とともに錠剤入れに使っていたと思われるビニール袋も残していた。

この風呂敷でわかるように父親は同社の専属配置薬業、いわば売り子(行商人)であった。

N家を取材した半年後の平成29年6月7日である。

NHK奈良放送局が夕方の情報番組である「ならナビ」で30数秒間若しくは2分間に纏めたアーカイブ映像を流すようになった。

開局80周年を迎えたNHKが過去にとらえた映像は今となっては貴重な映像である。

4、50年前の奈良のさまざまな文化的記録映像が映し出される。

突然に始まったアーカイブ映像。

映し出した映像は昭和41年に記録された「高取町の薬の行商」である。

今からほぼ50年前の映像に登場していた人たちは男性ばかり。

畳部屋には何人もの人たちが薬箱の行李詰めをしている。

箱はN家で拝見した柳行李だけではなく、ほとんどが皮製の行李だった。

アーカイブ映像はモノクロだから色合いは不明だが、なんとなく黒色のようにも思える。

半年後の平成29年6月21日に訪れた大淀町の大字大岩。

そこで拝見した配置薬業の家。

今もある柳行李を拝見した。

その家は風呂敷もあるが、行李を肩にかけて運ぶ道具であった。

まさにアーカイブ映像で見たそのまんま。

皮は合成皮革であったことがわかった。

アーカイブも大字大岩で拝見した行李は5段組み。

同じように仕切り板があり、そこに薬箱を詰めていた。

詰め込みが終われば行商の出発。

単車後ろの荷台に積んで出かける人もおれば歩いていく人も。

歩いて出かけた背たろう姿は再現してくれたNさんと同じであった。

この「高取町の薬の行商」映像は録画したが、NHK放送局のネットで拝見できればなお嬉しいと思っていたら、Nさんがわざわざ探しだしてくれたのでリンクしておく。

大阪市内の住之江区が私の生家。

今は公団のような5階建ての市営住宅。

それ以前はほったて小屋のような安物木造家だった。

戦時中に罹災した人たちのために建造された市営住宅である。

今でも頭の中に残る配置薬箱の映像がある。

赤色に近い茶、それとも黒色だったか覚えていない。

小さな取っ手がある引き出し形式の薬箱だった。

中でも鮮明に覚えている絆創膏の名前。

キズリバーテープである。

製造販売していた会社は共立薬品工業㈱である。

他にも真っ赤な色合いの小袋にあった風邪薬もあった。

大阪の改元の風神さんでもなかったような気がする。

我が家の薬箱は現存しておれば・・・。

そう思っていた。

気にかけてはいるが、電話を架けるほどでもない。

実家に行く機会があれば、そのときにでも、と思いつつ、おふくろと会う機会は度々あるのだが、ついつい失念してしまう。

結局、訪れた日は平成29年の6月16日。

大字大岩と前後するように機会が突然とやってくる。

おふくろに薬箱の存在を確かめた。

そういえば木造住宅から5階建て団地に移ったときはあったという。

あった記憶を手掛かりに押し入れや棚を探してみる。

どこを見ても見つからない。

大阪市営大和川住宅の団地移転した時代は昭和50年代初頭。

入居した時期は昭和52年だったか。

おふくろが住む実家は木造一階から団地の4階に移った。

そのころも来ていた配置薬の男性。

大阪市の西成区から来ていたことを覚えているという。

半年にいっぺんは配置薬の置き換えにきていたが、いつのころか来なくなった。

理由は記憶にない。

仕事を辞めたのか、亡くなられたのか。

こちらから断ったのかまったく覚えていない。

おふくろも覚えていた薬箱の色はやはり赤色だった。

箱に取っ手があったことも記憶が一致するも箱がない。

始末したと思われる薬箱は記憶の中にしか存在しない。

私の知人に名高い写真家がいる。

その奥さんは秋田県が出身。

生まれ育った生家に奈良の配置薬があったという。

住所が奈良県高取町だった記憶があるという。

電車に乗ってとことこ行ったのかどうかわからないが、何日間もかけて顧客に配置薬を届けていたのだろう。

ちなみに富山県配置薬が始まった年代は元禄三年(1690)。

江戸城中で前田正甫が反魂丹によって三春城主の腹痛を治したことが発端である。

その場に居合わせた諸国大名が反魂丹を売り広めることに懇望したことが拍車をかけ、中国・九州地方から全国に行商圏が拡大したのである。

奈良県の配置薬は推定40年後の1730年

その年代の史料はないようだが、奈良県が整理した「薬の歴史と配置薬の沿革(薬の年表)によればそう書いてある。

その年表には年代は不明だが、同時期に滋賀県、佐賀県も配置業が始まったように記載していた。

尤も県の「薬業通史2章3大和売薬の成立展開売薬業の展開と配置売薬」によればはっきりしているのは文化十年(1813)、高取市尾村の奉公人東谷善七郎が御所今住村の中嶋太兵衛(創業元禄二年の丸太中嶋製薬㈱)から家伝の目薬を東国に売り広める際に書き留めた史料に「西国三十三カ所」がある。

ここでいう東国は「東三拾三ケ国」とあるから東国の坂東三十三番観音。

東西の観音巡礼地に配置していたとすれば旅のお伴の配置薬。

そうであるか、ないかは事実関係を示す証拠がないからなんともいえないが・・・。

残していた道具はもう一つある。



煙草パイプのように見える矢立である。

鞘の部分に刀のように納めているのは筆。

その矢立に墨壺も付いている。

訪れた地域で販売記録をとった帳面に文字を書く。

その道具が矢立。

行った先々で墨壺に水を入れて筆を浸す。

そうして文字を帳面に書いていた携帯型の筆記用具である。

現代ならタブレット端末で記録している時代。

ルート販売をしてきた配置薬行商人が必須としてきた道具は柳行李ともども今や入手困難な商品である。

父親は身体都合を理由にきぬや薬舗専属の配置薬業を辞められた。

道具は残ったが、一番大切な得意先台帳(得意帳)は辞めるときの売り物になる。

売り子(行商人)を継いだある人に台帳そのものを以って売り払ったからどこの地域の誰に売っていたかはN家には伝わっていない。

どこの会社であっても顧客、取引先は重要な秘匿なデータ。

私も31年間務めた会社の重要なデータ情報は何人たりとも漏らしてはならないと退職の際に心の中に仕舞っている。

顧客情報ではないが、私の記憶のなかにある情報も、である。

それはともかく、N家もまた半年後の平成29年6月21日に再訪した。

その日に訪れた大淀町の大字大岩での取材を終えた帰り道に立ち寄った。

そのときに拝見した父親の「配置従業者身分証明書」。

昭和61年1月1日に発行された写真付きの証明書は奈良県知事が「上記の者は、医薬品の配置販売に従事する者であることを証明する」とあった。

有効期限は昭和61年12月31日までとあるから一年間における従事証明書である。

今から31年前に使われていた証明書もまた貴重な証言者である。

この証明書は「配置販売における区域」が明示されている。

区域は岐阜県に鹿児島県。

顧客がお住まいの両県であるが、Nさんが云うには主たる販売地県は鹿児島県だったそうだ。

元々は鹿児島県だけであったが、いつしか岐阜県も担当することになったようだ。

許可書に近い預かり証もある。

奈良県家庭薬配置商業協同組合が発行する「医薬品販売業許可証預り証」である。

拝見した預かり証は昭和60年1月1日から昭和62年12月31日までが有効期間。

販売区域は鹿児島県であった。

「医薬品販売業許可証」は「更新」の印があり、「上記の通り許可になりました 許可証は組合にてお預かりいたします」も書かれていたから、別途に「医薬品販売業許可証」があったろう。

つまり、身分証明書は奈良県より、「医薬品販売業許可証」は奈良県家庭薬配置商業協同組合が発行・許可していたのである。

また、「医薬品販売業許可証」は奈良県家庭薬配置商業協同組合が発行する関係で従事組合員は同組合の定款によって出資者となる為本証券も交付されなければならないようで、昭和38年5月1日登記付けで「奈良県家庭薬配置商業協同組合出資証券」書が交付されていた。

なお、販売に取り扱う品目も明示されており、主に専属のきぬや薬舗が製造する薬が14品目。

他に祐徳薬品工業㈱、㈱大石膏盛る堂、㈱雪の元本店、㈱大塚製薬工場、東洋フアルマ㈱、和泉薬品工業㈱の製品も取り扱っていた。

徐々に品目が増えていったことがわかる史料である。

ちなみにNさんはご近所で売薬をされていた家を訪ねたそうだ。

我が家にあるのならその家にも可能性があるのでは、と思って家人に尋ねてみれば神農さんの掛図はなかった。

何軒かの売薬家に尋ねてみたが一軒もなかったというからN家の神農さんは貴重なものである。

他家の売薬業では見られなかった神農さんの掛図。

父親が薬を仕入れていた薬の製造業社では今でも家の床の間に飾っていると知って、近所の現売薬家の方に案内されて2社を訪ねた。

その結果は、2社共に掛図はあるが、掲げることはなく函に仕舞ったままであった。

ただ、祭り方は、N家と同じように神饌もなく床の間に掲げるだけだったそうだ。

そういう点では大和郡山市の元往診家と同じである。

貴重な品物に纏わる行商の一部分を聞いていた時間帯はお昼どき。

予めである。

お店で買っておいたお寿司があるから一緒に食べてくださいとテーブルに運ばれた。



巻き寿司にいなり寿司がとにかく美味しい。

N家のもてなしに感謝しながらいただいたお寿司にご馳走さまでした。

なお、大和の売薬については奈良県の薬業史・通史が詳しい。

是非、参照していただきたい。

(H28.11.16 EOS40D撮影)
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どさくさ餅は八月十四日に販売

2017年03月29日 09時41分54秒 | 民俗あれこれ(売る編)
写真の文字を見て「八十四日」と読む人は・・・・八十四夜と思うのだろうか・・。

今年の土用入りは7月19日。

その日だけに限定販売される土用餅を売っていた和菓子屋さんは桜井市箸中にある北橋清月堂。

旧街道に建つ。

毎年の8月14日に「どさくさ餅」を販売される。

見かけ、味は土用餅とまったく同じだと店主は話していた。

当日に買ってみたいが、売り切れ必死のようだ。

それでもなんとかあるだろうと思って萱森に行く途中に立ち寄った。

店主が話していた通りに「どさくさ餅」の文字を書いてガラス戸に貼っていた。



おそるおそる入店したら最後のお一人さん。

その分だけあった。

実にラッキーだった購入時間は午後4時半。

買占めではないが、棚から消えて売り切れた。

(H28. 8. 1 EOS40D撮影)
(H28. 8.14 EOS40D撮影)
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刺しサバを売る店

2017年03月11日 08時42分11秒 | 民俗あれこれ(売る編)
桜井市瀧倉の取材を終えて食事処を探す。

向かう先は都祁の針テラスだ。

県道を東に向かい旧都祁村へ。

吐山の信号を左折れして北上する。

吐山の信号の次に信号が現われるのは白石の地である。

その信号地にあるお店は入店したことはない。

入店してもないから何を売っているのか存知しない。

ところがだ、ここの商店が作ったパック詰めの御膳をよばれたことがある。

箸袋に書いてあった商店の名は辻村商店。

よばれた大字は忘れもしない。

山添村の的野である。

平成25年の10月14日の宵宮と翌日15日のマツリを取材させてもらった。

その宵宮に当家もてなしの昼の膳をよばれた。

とても美味しかったことを覚えている。

それだけのことだが、よばれた味印象は今でも記憶に残っている。

その店の表を流し目した。

えっと思った文字が飛び込んできた。

その文字は「刺しさば」。

再び、えっである。

特撰生鮎とか大阪西瓜など、空箱を店前に積んでいた処にあった。

行く人たちに気がつくように貼っていた「刺しさば」の文字。

これまで何度も通っているお店に「刺しさば」を売っていたとは・・。

初めて知った事実に思わずお店に飛び込んだ。

「刺しさば」を売っている店はこれまで民俗取材でお世話になった山添村の北野・津越のOさんが経営する商店がある。

お盆の家の風習にサシサバのイタダキサンがある。

お店で売っているし、家で行われるイタダキサンも撮らせてもらった。

売っていたサシサバを始めて見たのはその商店だった。

売っているのはそこだけと思っていた。

だから、えっというわけだ。

時間は午後2時前。

ぺこぺこに減ったお腹を満たすことが先決だ。

そう思って食事後に立ち寄った。

まずはお店の人に「刺しさば」話を聞け、である。

店主は白石の神社行事に出かけている。

お相手してくださったのは奥さんだ。



「刺しさば」はお店の自家製。作って売るようになって40年。

塩をいっぱい振って梅雨の晴れ間に干す。売りもんの「刺しさば」は百尾も造る。

つい先日から売りに出した「刺しさば」はお盆の季節もん。

前述したサシサバのイタダキサンに捧げて家人が食べる。

以前、私も津越の大矢商店で買って食べたことがある。

とにかく堅いサシサバ。

カチカチに干した身をほぐすのはなかなかのもんである。

堅い身は箸で突いてもほぐれない。

ぐいぐい力を入れてなんとかほぐれだす。

一口食べて・・・。

仰天する味につい口にでたのがしょっぱぁ、である。

奥さんが説明してくださっている間はお客さんもいた。

その男性は3尾も買っていった。

話しを聞けば常連さんでもなく、私と同じように通りがかり。

「刺しさば」の表示に釣られて入店したという。

詳しくは聞けなかったが、かつて食べていたことのあるような雰囲気だった。

サシサバのイタダキサンはしていたかどうかわからないが、「刺しさば」の味を思い出されて買ったようだ。

奥さん曰く、お盆には広げたハスの葉に「刺しさば」を並べる。

両親が揃っておれば供えた「刺しさば」を食べるが、片親なら食べられないと云う。

と、いうことはご近所かどうかわからないがイタダキサンの風習をしているかも知れない。

予約の「刺しさば」に五枚、七枚の纏め買いの注文もある。

梅雨明けのころは屋外で干しているかも知れない。

塩をたっぷり入れて干すところを取材してみたいと思ったのは云うまでもない。

ちなみにお聞きした食べ方である。

一尾を6個に切って焼く。

塩辛くもなくなった刺しサバは茶粥に入れて食べていた。

冷たい茶粥は夏に最適。

サバに身をほぐして食べたら美味しいという。

(H28. 8. 1 EOS40D撮影)
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土用入りの土用餅

2017年02月14日 09時14分00秒 | 民俗あれこれ(売る編)
四つ辻の処に昔ながらの風情をもつ店屋があることは知っていた。

十日ほど前に通りがかった桜井市箸中から芝へ抜ける旧街道に、である。

そのお店のガラス張り「七月19日 土用入 土用餅」の文字で書いてあった貼り紙があった。

「土用餅」についてはついこの前に聞いた「ハラワタモチ」の名もある。

地域によってはそう呼ぶようで、2カ所、2行事にその名のモチが登場する地域が判った。

ひとつは平成23年7月9日に取材した田原本町多の観音堂行事。

観音講の人たちが朝から作る御供にアンツケモチがあった。

このモチは別名にハラワタモチの名がある。

かつてはシオアンのモチだったというのが興味を惹く。

もう一つは未だ取材ができてない大和高田市の天道御供。

旧町名の元町二丁目・太神宮で行われる行事は土用入りの日。

そこで供えられるモチがハラワタモチとも呼んでいる土用餅であるが、どのようなモチなのか判らないが、やはりシオアンで包んだモチのようだ。

多の観音講が作って食べるハラワタモチは「ハラモチが良くて、腹痛を起こさない予防の意味がある」と話していた。

今年の土用の入りの日は7月19日。

例年であれば7月20日である。

ハゲッショの日もそうだったが、今年は暦の関係で一日早い。

特定の固定日ではなく暦の土用の入りの日に「土用餅」を食べる風習に和菓子屋さんがその餅を販売するのである。

前述したように多の観音講が作って食べるハラワタモチは自家製。

昔はどの地域でも家で作って食べるモチであったようやに、聞く。

ハラワタモチの名ではないが、どうしても食べたくなって街道沿いにあった和菓子屋さんの「北橋清月堂」のドアを開けた。

奥から店主が出てこられたので「どうしても食べたくなった」と告げた。



土用餅は1個が税込の130円。

かーさんと二人で食べる量は数個。

10個入りでは食べきれんと思って5個入りを買った。

店主が云うには、「昔から箸中の住民が買っていく」そうだ。

買っていくといっても毎年注文される予約販売。

予め注文があった個数の土用餅を作って販売している。

注文する家は和菓子屋さんがある下垣内の他、JR桜井線の線路を越えた東側の中垣内や車谷垣内の人たちになるそうだ。

作る餅はそれ以上に作って残りをお店で店頭販売。

売り切れはザラにあるようようやに話すから胸をなでおろす。

土用餅は仕入れたモチゴメで作る。

餡は小豆のこしあん。

しっとりした舌触りで、滑らかに喉を通る。

大きさは手ごろというか、やや小さ目。

波を打っているような感じの作りは味も同じようにと思ったお伊勢さんで有名な赤福餅。

そのような味とよく似ています、と店主は云った。

まさにその通りであった。



家に持ち帰ったらあっというまになくなった。

食べやすくて美味しいと云ったかーさん。

店主が作る土用餅は日持ちしない。

スーパーや最近はコンビニでも売っている土用餅はどちらかといえば数日間の日持ちがする。

後日の土用の丑の日にも通りがかったら「土用餅」の貼り紙がなかった。

まさにその日限りの販売の土用(入りの)餅である。

お盆の8月14日には「どさくさもち」を作って売っているという店主。

お盆に帰省する家族に墓参りをともにする親族らでごったがえす箸中のお盆。

家人はそれほどに忙しい。

忙しい合間をぬって食べることから「どさくさもち」の名がついたのか・・・。

お爺さんの代に和歌山から奈良に移った。

そのときからお店を構えている和菓子屋さんは親父さんの後を継いで云十年。

三代目になるという。

土用餅は食べる「民俗」。

かつて箸中で聞いていたダイジングサン行事を教えてもらう。

和菓子屋と行事の関係はお供えである。

もしかとすればダイジングサンに供える御供にモチがあるのでは、と思ったからだ。

箸中は大きく分けて下垣内、中垣内に車谷垣内の地区に別れている。

和菓子屋さんが建つ地区は下垣内。

その下垣内にダイジングさんがある。

光背に三輪山を配した処に建つ石塔の一つが大神宮。

そこでは7月16日にダイジングサンが行われている。

同月の24日は地蔵さんがある。

忌竹を二本立てて、そこに水平にした竹をもう一本。

時間ともなれば会所に保管していた提灯をぶら下げる。

北橋清月堂が作った餅などの御供を供えてお参りをする。

設営などは当番の班がこれらを担う。

下垣内の組は5班。

5年に一度の廻りになる。

そう話してくれた店主。

地蔵盆は下垣内よりも軒数が多い班、大字芝の方が賑やかになるらしい。

ちなみに箸中は和菓子屋さんがある通り付近、JR桜井線より西側が下垣内。

線路から東側が中垣内。

そこより山麓寄りが車谷垣内になるそうだ。

(H28. 7.19 EOS40D撮影)
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下笠間の売りものカケダイ

2017年01月03日 09時36分51秒 | 民俗あれこれ(売る編)
I家を出てからも高台と登っていった。

時間帯は夕闇。

石垣に囲まれた情景を撮りたくてここに来た。

“住”をテーマに撮っておきたい石垣構えの民家である。

そこから街道に出る。

ふと気になった民家がある。

立ち寄った民家は村の売店だ。

随分昔のことだ。

何年だったか記憶にないが行事のことを尋ねたことがあるお店である。

ガラス戸を開けて入店した。

目の高さより上に・・。

商売繁盛のシンボルでもある招き猫がある棚に、である。



そこに吊るしてあった魚は鯛だ。

それも生きた鯛でもなく生鯛でもない。

干した鯛は腹合わせに2尾。

太い荒縄でエラ通し。

輪っかにした部分で引っかけて吊るしている形はまぎれもないカケダイである。

カケダイは先ほど表敬訪問したI家にもあった。

それとほぼ同じではないかと思ったできぶり。

それをカケダイと云っていたのがI家家の奥さん。

拝見したのは平成22年1月4日である。

見て撮ってくれてかまわんよと云われて撮らせてもらった。

やや下からのアンダー撮影なので比較し辛いがカケダイの様相がよくわかる。

このカケダイがこのお店で売っている。

この日は6月。

残り物であるのか聞きそびれたが、店舗にある招き猫を置いてあった棚に吊るしていた。

店主がいうにはカケダイは売りもの。

11月も過ぎた12月。

寒さが厳しくなったころに店で作っているという。

何枚作っているのか、これも聞かなかったが需要があるから供給する。

鯛の内臓を取り出して庭先で干す。

いわゆる寒干しである。

カラカラに乾けばできあがり。

その情景は是非とも撮らせていただきたい。

店主にそう告げて店を出た。

(H28. 6.19 EOS40D撮影)
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稲渕・地元とりたてあすか産野菜売場のかんなびの里

2016年11月01日 07時51分16秒 | 民俗あれこれ(売る編)
ほぼ一年ぶりに訪れた明日香村稲渕。

ここへ来れば奥に入る際であっても誰かが居てはると思ってテント内を覗いてみる。

おっと目が合った。

車を停めてご対面。

二人の婦人が店番。

いつもの顔ぶれは自宅療養中にテレビで拝見した。

たしか、NHK奈良の夕方放送だったと思う。

テレビ局の人がテント内に入った。

なにを話していたのか覚えてないが、即座に案内する婦人たち。出演しているテレビに向かって拍手した。

元気な姿の婦人はここからすぐ近くにある飛鳥川に架かる飛び石に案内していた。

とにかくすぐ動くし、だれかれとなく気さくに対応してくださる。

テレビで拝見したよと云えばにっこり微笑む。

テントは稲渕で採れる野菜の物産展。

お気に入りのモノが並んでいたらサイフから取り出して料金支払い。

なんどとなく購入しては持ち帰る。

この日のお買い物はなんだ。

ぐるっと見渡して、これはなんだ。



目が点になった野菜は始めて目にする。

その名も「たこな」。

名前もそうだが、採りたて野菜も初めて目にする。

これって何ですのんと聞けば「たこな」と返す。

「たこな」はミョウガの親。

甘酢で漬けたミョウガの株が美味しい。

季節ものだと思うが、最近は年から年中問わずスーパーで売っているような気がする。

そのミョウガの親がこれだが、なんとなくニラの芽のようにも見える。

物珍しさで買った「たこな」はシーチキンにマヨネーズ和えが美味しいという。

細かくネギのように刻んで和える。

茹でることなく生和え。

味噌汁の浮かしも美味しいと二人の売り子が揃っていう。

帰宅してかーさんに作り方を伝えてよばれたが、である。

味が薄くてそれほど美味しくない。

実はマヨネーズ和えだけだったのだ。

シーチキンのことはすっかり失念していてマヨネーズオンリー。

味にパンチがない。

ごま油をかけたらどうなる。

そう思ってかけたら旨いの一言。

食べてみるもんだと思った食材野菜。

手軽に作れる野菜はこれもまたお気に入りに加わった。

「たこな」を買っているときにやってきた村の人の軽トラ。



荷台に採れたてのタケノコがどっさりある。

一般的なスーパーで買ったらケッコーな値段で売れると思う。

そうそう、この日の目的は「たこな」でもなく「タケノコ」でもないT家の「苗代作り」である。

平成26年1月12日に取材させてもらった講行事がある。

現在は4軒の営みであるが、明日香村で始めて知るオコナイ行事が見つかった。

講中の名は「ドウコウ」。

充てる漢字は「堂講」である。

行事の場は稲渕にある龍福寺だ。

寺僧侶は祈祷をされるがオコナイ行事の主役は講中である。

行事を終えた講中は祈祷されたネコヤナギの木に挟んだお札を持ち帰り、春を待つ。

そのお札は苗代作りを終えた水口辺りにお札を立てると話していた。

行事の取材はお札の行方を知ることで終える。

これまで県内各地で行われるオコナイやお田植え行事に登場する祭具の行方を拝見してきた。

ドウコウのオコナイのお札も記録しておかねばと思っていた。

その講中の一人とお会いしたのもこの日と同じ場の「地元とりたてあすか産野菜売場のかんなびの里」。

婦人は稲渕で行われている旧暦閏の庚申さんこと「モウシアゲ」のことも教えてくださった。

ありがたい婦人が元気でおられたら無性に買いたくなる産地採れたての野菜なのだ。

婦人が云うにはT家の苗床はできているということだ。

水を張って苗箱を並べる。

そう、聞いて苗代田の場所を確かめるに車を走らせた。



水を張った田んぼを拝見して、稲渕の集落をぐるりと周回して再び戻った売り場テント。

「あんたがここを出た直後にTさんが車に乗って出かけた。あんたとTさんの車がすれ違い。大声をあげたが、あんたは気がつかんかったようや・・・」というのだ。

その先のカーブを曲がった辺りでワラビを採っていると教えてもらって急行する。

テントから数十メートルのところに居られた男性。

他にもクワをもった男性が居る。

今日は水路に溜まった葉っぱやゴミを取り除く作業の日。



村総出でもないが、男の人たちは水路の整備に忙しい。

水路は飛鳥川の上流からの引き込み。

田に恵みの水を施す流路は農生活にとって重要な場。

草刈り作業もある川作り。

川の様相によって作業の幅は大きく異なることもあるが県内どこともこのように清掃をして恵みの水を得ている。

その作業も終わりごろ。

石垣の上の畑に居られたのがTさんだ。

2年ぶりにお会いした私の顔を見て「よー来てくれた」と云ってくれる。

Tさんの話しによれば明日の30日は土入れした苗箱にモミマキをするという。

苗床に並べて苗代田にするのは5月1日。

村に住む親戚筋とともに作業をする。

それらを終えてオコナイのお札を水口に立てるという。

話しを聞いてから2年後。

ようやく拝見することになる

(H28. 4.29 SB932SH撮影)
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再会のポン菓子

2014年09月09日 09時11分55秒 | 民俗あれこれ(売る編)
雛祭りではなく所用で立ち寄った明日香村。

石舞台から少し上の三叉路に見たことあるような移動販売車。

覗けばなんと、田原本町八田で緊急取材させていただいたぽん菓子売りの店主だった。

天理市、奈良市、広陵町、香芝市など広範囲に出かけると云っていた。

県内広し、奇遇な再会に店主も驚いていた。

前回の出合いに買ったぽん菓子は300円。

懐かしい味が美味しかったので、またもや買ってしまった。

売れ行きがもうひとつと云って売り場を移動しようと店仕舞い。

街に向かって下っていった。

(H26. 3. 3 SB932SH撮影)
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