マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ふり返る令和4年1月の介護まとめ

2024年07月31日 07時31分50秒 | むびょうそくさい(おかん編)
おふくろの介護に大阪・住之江へ行くことは、もうないと思うが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

正月元日。



大晦日の晩の排便は5日目にすっきりしていたおふくろ。

翌朝の元日におせち食べ。雑煮は2杯も。



それから1時間後の午後1時、眠たいというので寝に行ったらと伝えたら、トイレしてそれから寝ると動いたおふくろの排便失敗。

おむつして排便漏らしは初めて、便器も手すりもぬすぐった可能性のある箇所すべて除菌テイッシュ。

綺麗にしてもらったおふくろ。

横になったベッドにすぐ寝た。

起きた時間は午後5時半。

腹が減った、雑煮食べたい、と訴える。

シャワーで汚れたお尻とか、洗ってもらって気持ちいいから入浴したいという。

それは無理、とかーさん。

シャワーしているときのおふくろの状態は浴槽縁に掴まっているものの小刻みに震え。

身体を支えるだけで膣が痛くなる。

もう無理やと伝えたが、もう1箇所入所できるところ早く探したいと訴える。

かーさんがLINEに姪っ子のKから年末メッセージ。

張り子の寅の置物がある信貴山朝護孫子寺に参詣したくても大勢になるからお家でほっこりするって・・伝えてくれた。

正月三日の午後6時半。

貴ちゃんからおめでとうの電話。

どちらも長話になると、替わって話す。

生活費は?。

たけちゃんが世話してくれたトヨタとか、他にも修業したことがあり少額だが厚生年金があるらしい。

しかもふーちゃんが息子のために残してくれた基金で暮らしているが、いずれ破綻を迎えるのでは、と心配しているんだよ。

4日に食べた一杯は、辛み大根おろしを入れたおそば。



これが旨かった、とおふくろも喜ぶ。

5日、コロナ第6波の拡大化は確実性を帯びてきた。



奈良は54人。

隣県の京都は92人(うちオミクロン10人)。

滋賀が54人であるが、三重は3人に、和歌山は4人。

しかし、安心してられない大阪が244人(うちオミクロン8人、但し前日は124に対して58,又翌日の6日は505の18と比較的少ないと感じる)に、東京が390人(うちオミクロン17人)。

西の国の山口県は104人(岩国米軍基地感染から職員感染し市中感染へ)。

広島は138人。

沖縄はなんと623人(沖縄米軍キャンプ感染から職員感染し市中感染へ)・・

年末年始以前からの人の動き、流れによる市中感染拡大なのだろうか・・

12日、今夜も食後に排便。

5日連続の排便に何かの前触れなのか、逆に気になる・・・

ちなみに、今夜の晩食は、業務スーパー売りのスパイシーカレーチキンレッグ。



おふくろはカレーも食べる。

スパイシーさが、気になっていたが、少量なら、そんなこと、気にせず食べていた。

14日のコロナ状況。

発表されたこの日の・令和4年1月14日土曜のコロナ新感染者数は・・・

大阪が、2826人。

奈良は158人に、京都は671人。

兵庫が929人に、滋賀は281人。

和歌山149人の発表に、奈良県教育委員会は他府県への修学旅行は取りやめ、奈良市は対外試合に市外対戦を諦めた、と・・

18日に届いた春日大社からの重要な伝達はがき。



コロナ禍にたくさんの詣で客でいっぱいになるのは避けたい。

例年、多い2月3日の節分万灯籠。

令和4年については、神事参列に参拝は中止の伝達だ。

22日、かーさんが、次点にしていた選択肢に見つけた有料老人ホーム施設。

住宅型有料老人ホームのリールホーム学園前がある


同施設は、ハッピーガーデンなどを経営するハッピーサービスグループのような企業のリールステージグループらしい。

新大宮にあるらしいリールステージ?。

それはどうやら、学園前北東にあるリールホームのようだ。

営業担当に尋ねた必要な要件。

入居用件を判断するT病院で検査した診断情報提供書。

その提供書は、入手後すぐに、車内で撮影した携帯画像がある。

特に必要なMRSA(※喀痰検査・・他に尿検査、血液検査があるそうで、どの検査結果によって評価は判断に差があるらしい)結果の陽性について、である。

ハッピーガーデンでは問題なしと判断され受理されたが、ここリールホーム学園前は受理されなかった。

どうやら新規の経営施設は判断経験が薄く、受理はしないが、ハッピーガーデンとか筒井のスーパーコートが受理するのは、経験があり、陽性であっても経験上感染症は低いと判断しているからだ。

筒井のスーパーコートに予約を入れよう、と決断し、かーさんが電話をかけたたが、現在も外出不能状態の施設。

それならハッピーガーデンの大安寺施設も京成施設も候補に揚げておくのが賢明であろう。

そこで、今国府のフォーユー大和郡山の施設も見学してみることにした。

23日。

昨日、電話した今国府のフォーユー大和郡山からの答えは、MRSA(感染症)判定結果により受理はできない、ということだった。

その件は、施設に出勤されていたハッピーガーデンのTさんに電話した。

「主人と相談した結果、ホームハッピーガーデン京西や、大安寺施設も視野に入れているので、登録をしておきたい」、とお願いしたら担当のKさんから電話があった。

「入居申請の登録はします」と、いうことだ。

大安寺施設の担当もしているようで、同様に登録される、とわかった。

まずは、ほっとしたかーさんであるが、他にも登録をしておきたい、とまたまた施設を見つけてきた。

新大宮の駅前近くにある、という住宅優良型老人ホーム奈良桃寿園施設も見学希望を依頼した。

24日は28日に、見学に出かける桃寿園。

だが、ハッピーガーデンの京西・大安寺に頼んでいるし、もし桃寿園が登録してください、と伝えられたらどうしようか、という。

かーさんの迷い。

あれこれ心配する心の迷い。

こっちに頼んで、こっちも頼んで、早く決まったとし、桃寿園が先に決まったら・・・

とりあえず入居し、ハッピーガーデンから入居の順が早くならなかったら、それはそれでえーし、でも早くなったら・・・と、迷い。

それはある意味、背信行為を思う心が、そう迷わせている。

どちらも忌憚なく本音で伝えて、こういうことしになりますが、というか、それとも桃寿園については見学レベルにとどめておくか、どっちかにしたらどう、と伝えたが・・・・

スーパー松源に、1本78円で売っていた。

2本くらいなら、と思ったがど、重たいからやめた。

いや、実はオークワで1箱買ってくるつもりにしている・・・と、いえば、1箱?

そんなに買ってどこへ置くの?とボルテージが急上昇。

声を荒げていうものだから、つい口走った。

向こうの廊下に置く、と少し大きめの声で伝えたら・・・おとうさんは、いったい私をどう思ってんや・・・

心臓バクバクする状態に反論する気も起らない。

25日。

かつて住之江に独り暮らししていたときは、うがいをよくしていたおふくろ。

いつしか生活の慣れが消え失せ、うがい効果も忘れているような・・・

食事の前にしょっちゅうするようになったゲーゲー。

嘔吐でもないようだが、盛んにゲーゲーをするようになってきた。

T病院の先生からも、ガーガーするのはうがいに効果がある。

退院直後はしていたが、いわれたことも覚えてないおふくろ。

かーさんが懇々と伝えたうがい効果に、再び目覚めたようで、デイサービス施設の幸寿苑でもするようになった、という。

回数はと聞けば4回に、えーっ。

4度も洗面所に行くようになったんだ、と喜んだが、それは1回当たりのうがい回数にがっくりした。

我が家の洗面所での昨夜のうがい。

ガーガー、ガーガーに喉が切れるんちゃうか、と思うほどのうがい行為。

頭を反らしたら、後ろにひっくり返りそうになるので怖い、と云い出した。

この日は、私の通院日。

帰り道にふと、思い出した。

あらゆる箇所に手すりを設置してきたが、のちのちにわかる都合の悪さ。

いちばんに使ってほしいおふくろが使いやすい位置に据える手すり。

天理のダイキに立ち寄り買ってきた。

帰宅するなり、直ちにはじめた取付作業。



本数が多く綯えばなるほどに作業の「慣れ」がわかる。

据えた手すりに、いっぺんやってみ、と伝えたら、左手で支える。

その左手、しっかり握っていた。

これなら大丈夫、といってくれたので、こっちも安心した。

26日、大阪市認知医務センター介護保険担当より届いた要介護要支援認定更新申請。

通常更新してください、とあるのでケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに相談した。

訪問調査手続きを発行しているが、現在はオミクロン株発生状況に難しい。

だが、要介護3認定のままでは、再調査したら要介護1に介護施設利用も相応しい形にしたい。

添付資料に例え個人情報番号記入などマイナンバー関係の項目があるが、個人情報の取扱から鑑み現状記入しなくてもいいように、なっている。

枠はあるが、現在は記入不要の項目。

その他ややこしい部分もあり、ケアマネジャーのFさんが代行手続きされるので、介護認定保険証を同封し、一式資料をケプランニングディ1に送付してほしい、といわれた。

届いたら主治医関係など項目記入に電話入れる、と・・・

大阪のコロナ禍は、介護認定者の同居する家族感染が多く、オミクロンはデルタ株よりも圧倒的に多く、うつされるケースが多い。

デイサービスは中止、自宅待機が多い。

保健所は全件把握が困難な状態。

東京と同じように保健所を通さず、直接連絡・連携している。

うわさが噂を呼び、高齢者はあっちにこっちにうろうろ。

井戸端会議がコロナをうつしているようなもの。

拡大するにつれ、大阪を歩く人の姿が少なくなった。

ワクチン接種の3回目接種の動きは遅い。

2回目接種から9カ月、遅れている・・・

27日、食後の後片付けも終わってテレビを見ていたおふくろ。

また、いつもの通り。

がっつりテレビを見ているか、寝ているか、二つに一つ。

入浴終えたかーさん、トイレに入っているという。

それからしばらくした午後9時20分ころ、叫ぶ声は漏らした証拠。

以前よりかはマシになったが、ときおり必要とする汚した衣服の着せ替えにおむつも・・

えらいすまんな、ごめんな、というが、もうちょっと早くにトイレに行っておればと思うが、いつも遅れる。

そのままベッドに横になろうとしたけど、まだ顔も洗ってないし、うがいも歯磨きも・・

パジャマに着替えたおふくろ、パジャマに付着したゴミを拾っている場合か・・・

28日は、施設見学応対してもらった住宅優良型老人ホーム奈良桃寿園。



施設長のYさんが、話してくれた介護の世界に入った20歳のころ。

当時は、橿原市桃寿園の特別養護老人ホームに就いていた。

施設のケアマネジャーは、都合がとれずM氏は紹介できなかった。

奈良市民の介護の受け皿に、現在入居室数が50。

実質、2室の空きがある。

空き部屋は2階、4階のいずれか。

入居となれば奈良市に住民票を移す必要性がある。

特にデイサービス受ける場合に、いつはハッピーガーデンの入居が遅れ、さきに桃寿園に入居した場合の切り替えに退去は可能であるが、入居に30万円の支払いが要る。

入居が3カ月以内であれば、利用した日割り、108円計算した分だけの支出で済むそうだ。

MRSAは陽性と聞いているが、現状頻繁に痰吐きがなければ問題としないが、仮にひっきりなしの状態であれば精密検査の要請・要請反応が4以上であれば医療行為をしてもらわなあかんから入院措置を求める。

数値が下がった入所者もおられるが、半年に一度は検査してもらう。

室内持込は「火」をださないモノ。

使わないもの仏壇は置いてもいいが、線香、蠟燭の「火」は禁ズ。

「火」をともなう、ガスはもってのほか。

ホットカーペットは、可である。

空き室利用の家族面談に室内エアコンある。

足元から冷たい風が吹くからなんとかせなあかんから対応考えない、と・・・

要介護3なら、実質16万円で済むが、介護4以上は20万円になる。

明白な認知症は受け入れない。

入居後に暴れる入所者は退去願う。

あちこち他人の部屋とか、施設事務所のドアを開ける男性は退去してもらった。

要は手のかからない範囲の人を受け入れる考え。

玄関に掲示したように、現在はコロナ禍のため、面会は謝絶。



お菓子などを見舞いにすることもあるが、今は遠慮してもらっている。

入院していたT病院で、対応したような職員が受取り、入居者に手渡す方策をしているが、正月にちょっと家に戻って外泊は、現在認めていない。

コロナのおさまり具合によって緩和することはあるが、現在は未定。

昨年の令和3年の11~12月はそうしてきたが、オミクロンの拡大に対応を戻した。

ただ、指定される医院の通院への外出は家族さん送迎等で行うが、用件外の外食・家食は認めない。

全体通じて良心的な応対、本音で伝えてくれる姿勢に桃寿園もいいが、現在の入居者、室内環境などをおふくろが受け入れるかどうかわからない。

次回、日にちを決めて、入居者見学をお願いした。

(R4 1. 4、 5、12、18、25、28 SB805SH撮影)

加茂町銭司のオニの竿立て

2024年07月30日 07時58分07秒 | もっと遠くへ(京都編)
数年前に聞いていた“オニ”の存在。

滋賀県の民俗を主に取材してきた写真家のKさんが、話していた“オニ”の存在である。

聞き取りされた銭司の人たちがいうには、竿に“オニ”がある。

その“オニ”を立てる。

そして翌日に“オニ”は竿ごと倒す。

実は、直近になってわかったことは、当日に立て、当日に倒すようだ。

銭司の子どもたちが描いた“オニ”。

描いて、立てて、倒すという“オニ”とは、一体なんであるのか。

興味を惹かれる銭司の民俗行事にようやく出会える。

“オニ”を描く日は、正月明けの休みの日。

描く子どもたちは小学生。

3学期がはじまる前の日曜日に、公民館に集まる。

この年の令和4年は1月4日の火曜日になった。

年末年始の冬休み期間中であれば、子どもたちも集まりやすい。

そういうことで決まった日である。

午前10時に参集する子たちは小学6年生以下、幼稚園児や保育園児も参加できる。

なんでも、令和4年は8人であるが、うち6年生は2人。

だから、翌年に参加できる子たちは6人で描くことになる。

“オニ”の絵描きに“オニ”の足つくり。

どうやら足は、タコのような足であるが、タンザクを繋げたような仕掛けらしい。

これらが揃ってから、“オニ”を木に貼り付けるらしい。

これらの話を聞いていても、見ていないだけに実感はわかない。

4日は、私の都合があり取材はいけないが、8日の土曜日が本番らしく、その日はなにがあっても訪れたい。

そしてやってきた午前9時。

この日も同行の写真家K氏。

年末に行われた京都府加茂町銭司(ぜず)宮小谷に鎮座する春日神社の砂撒き。

この年は、遷宮仮宮期の砂撒きの位置は、例年と変わりなくであるが、門松を立てる位置は、春日神社向かい側にある建物の前に設営された。

正月三日は、勧請縄かけ。

そして、本日は宮座行事にあたるオニの竿立て。

4日に子供たちが描いた赤オニ、裏面が青オニのようだ。

かつては、春日神社の東・西両座の年長男児家、でつくっていた。

それぞれの西座、東座の年長家に集まり、描いていたが、現在は銭司の公民館。

昭和60年ころには、既に両座ともが、公民館集まりだったそうだ。

また、“オニ”立ては、両座の2本であった。

平成29年まではそうしていたが、少子化などから考慮され、1本立ちに移した。

なお、ブログ「歴史探訪京都から~旧木津川の地名を歩く会~」によって詳細な「銭司の鬼立て」記事を公開していた。

その記事によれば、小正月行事のようだ。

さらには、子どもたちの減少により、一度は中断。

ところが、その年に村で火事が起こった。

そのことがあり、長老の判断で復活し、続けてきた“オニ”立て行事。

はじめて拝見した赤オニ。

怖いオニでなく、柔らかい笑顔の様相の赤オニの角は1本。



史料によれば、赤オニの角は2本。

青オニの角は1本、とあったが、この年は逆だった。

オニを描いた模造紙。

そのオニは、何年も使いまわしてきた木造枠。

表に赤オニ、裏面に青オニを描く際は、かつて使用していた木枠のオニを見本(※たぶんに平成29年のオニであろう)に描くのだが、その年、その年の年長者が描くので、その子の気持ちが表れているのだろう。

その見本のオニは、消防団倉庫にあった。



許可を得て撮った旧い様態のオニは、次の年も、その次の年も見本にしていくだろう。

つまり、後でわかるが、一年、一年に新しく描いたオニは、破り捨ててトンドで燃やすのだ。



木枠は例年使用。

オニの絵は、毎年が替わるわけである。

朝9時に集まった人たち。

4日に用意していたオニとか葉付きの竹も確認したら、そろそろ上げようか、と動き出した。

予め、公民館の駐車場に掘っていた竿竹を支える穴。

深く掘った穴に竹を突っ込む。

4人がかりで立てていくオニの竿立て。



竹の葉がある先に、両座の赤・青オニを取りつけた。

木枠のオニだけに、重量は相当な重さだ。

外れないようしっかり括っているオニ。

ロープは3本。

しっかり引っ張って立ち上げる。

3方に長いロープ。



固定する箇所は決まっているのだろう。

その間に、穴にはめた竹をしっかり固定させる。

太めの椎の才木(※一般的には割り木)を打ち込み。



何本も打ち付けて支柱が傾かない、いや倒れないようにガッシリ詰める。

ロープも解けないようにしっかり結ぶ。

時間にしておよそ20分の作業に、無事立ち上げたオニの竿立て。



現在は1本になったが、西座・東座それぞれが上げた2本時代の写真を拝見した。

カタチは今とまったく同じ。



ヒラヒラ、風に泳ぐ足の長さ、本数も同じ。

今日のように、木津川から吹く風があれば、なんとも気持ちいい景観。

見てわかるオニのカタチはまさに神社様式の千木(ちぎ)

銭司の神が大空に届くかのように立てた。

葉付きの竹はおそらくヒモロギであろう。



神が降り立つ場所。

つまりは神座。

とんどもその謂れがある


銭司の西座・東座それぞれの神。

だからこそ、銭司の宮座行事である。

このような形式を拝見するのは初めてだ。

神聖なオニの竿立てであるが、なぜにオニなのか。

さっぱりわからぬ銭司のオニの竿立て行事。

一旦は、ここで解散する。

この日の午後4時前に、再び集まってくる。

6時間ほど立っていたオニは、倒されるのである。

一日、数時間限りのお披露目を終えたオニは役目も終えるようだ。

撮影・取材していた私たちも解散。

午後までの時間を有効に使いたく、すぐ近くに立ち寄りたい同町の加茂町井平尾にこれより向かう。

ちなみに、消防団倉庫に木津川市消防団の消防車を停めていた。



出番はないと、思われるが市内でトンド焼き行事をする地区がある。

そこへの出動に待機しているようだ。

もちろん、ここ銭司のトンド焼きは10日である。

ここオニの竿立てをした駐車場で実施されるトンド焼き。

朝は早く、午前7時と聞いている。

(R4. 1. 8 SB805SH/EOS7D 撮影)

格段にネタが旨くなった「旨ねた100円まつり」のはま寿司下三橋店

2024年07月29日 07時54分08秒 | 食事が主な周辺をお散歩
あーいそがし、あーいそがしの日に選んだ食事処は、はま寿司下三橋店。

数日前、新聞に折込んでいたサービスクーポン券もあるから、はま寿司。

昨日からはじまった我が家の一部リニューアル工事。

今日の夕方には終わるだろう。

ずっと立ち会うわけにはいかない本日は、午前中から正午過ぎまでが泌尿器科診察。

午後は歯科医院もある。

ばたばたするなか自宅を出てから電話が鳴る。

洗面所にあった壁据付の通気口。

ゴミと思って捨てたソレはフィルターだった。

壁紙貼りしていた職人さんの話によれば、百均にでも売っているエアコン用のフィルターで充分。

必要な大きさに切って使用する、と伝えられて買ったダイソー。

次はガソリン補給。



そしてやってきたはま寿司下三橋店。



通常150円ネタの厳選まぐろとろが100円である。



本日は平日の月曜日。

ありがたい平日サービスの90円。

消費税が10%だから、正味99円なんだが・・。



大粒!青森県産のほたて焦がし醤油も99円。

むっちゃ大きいほたてなんだな。



コリコリあわびも99円。



あった。



辛くてうんまい、美味しい辛味噌担々麺は50円割引券のおかげもあって451円。









先に食べたのが誤りだったが、旨さには勝てん。



厳選まぐろとろが旨かったから、これもそうだろと注文した99円の厳選まぐろ炙りとろ。

うまみが消えていた炙りにがっくりしたが・・。



大とろサーモンは2貫で99円。



ラスト注文は99円のピリ辛まぐろユッケ。

あぁー美味しかった。

レジ支払いに適用してもらった新聞折り込みチラシ。



本来なら、支払い額は1100円だが、クーポン券の割引後が946円。

こんなけ食べさせてもらって千円を切っためちゃ旨の「旨ねた100円まつり」に感謝、感謝した。

(R4. 1.31 SB805SH 撮影)

正月飾りの橙は酸っぱぁーい

2024年07月28日 07時51分49秒 | だんらん(正月編)
正月の餅は2段重ねの鏡餅

一年を目出度く重ねる願いから2段、あるいは3段重ね

大、小の重ね餅。小が月(陰)に、大が日(陽)を表しているとも・・・

そして、鏡餅の上にちょこんとのせる柑橘類は、橙

代々が継承され、お家が繁栄されますように、と願うカタチ。

そのカタチが、近年において葉付きのみかんに移っている。

その大きさも、小みかん。

多くのスーパーが売り出す年末売りに橙が見当たらない。

“代々””に意味がある”橙”は、どこへ行ったのやら・・

”橙”は、その年になった実を落とさずに何年も新しい実をつけている、とネットにあるが、実際は見たことがない。

もちろん、”橙”の生産者は存じているわけだが・・・

主な生産地は、静岡県に和歌山県や福岡県がそうらしい


平成25年度の収穫量は静岡県が273tで和歌山県が139t。

2県で、全体収穫量の半分を占めている
そうだ。

ちなみに、令和2年の収穫量は、およそ700t。

静岡県が251tで和歌山県が149t。

続いて77tの福岡県である


我が家に供えた正月飾りは、唯一見つけて買ってきた”橙”。

昔から、”橙”は酸っぱい、といわれてきたが、実は口にしたことがない。

一度は、味わった方が、いいだろう、とひと房を口に入れた”橙”が、酸っぱぁーい。

喉が、いがらくなるほど酢っぱい”橙”。

クックパッドに紹介されている”橙”は、マーマレードやジャムつくり

なるほどやけど、私なら橙ポン酢がお奨めだね

(R3.12.27 SB805SH 撮影)

今夜のおかずに業務スーパー買いのお造り盛り合わせも

2024年07月27日 07時58分40秒 | あれこれテイクアウト
帰路の途中にそれぞれの業務スーパーがある。

南の方角なら、馬司町・県立中央卸売市場に近い店舗。

東の方角なら、大安寺に近い店舗。

北から戻ってきた場合は、奈良市・宝来にある奈良店。

今日は、北から戻ってきたコースだから、奈良店。

野菜、果物売り場から魚介に肉売り場。

冷蔵ショーケースにあったお造り盛り合わせ。

その数、多く5種盛り。

ぶつ切り、大きめに切った鮮魚は、すべてが切り端。

鯛に平目が舞い踊る。

おまけに本鮪は赤身にトロ。

烏賊もあればハマチまで、と思っていたらとろとろサーモンまでも。

お値段は・・・・・税抜き480円。

こりゃぁ、買って帰るべし。

まぐろがあるから、おふくろも大喜びの6種盛り。

前述したグリルチキンBPのせ北海道産じゃがいもポテサラもそろったところで晩飯。

えー夢は見たかい。

(R4. 1.28 SB805SH 撮影)

Tポイントで買うファミリーマート北郡山店のグリルチキンBPと北海道産じゃがいもポテサラダ

2024年07月26日 07時53分05秒 | あれこれテイクアウト
思うのほか、ときおり気にしたら、えー具合のTポイントが溜まっていることに気づく。

所用を済ませて帰路に就く。

そうだ、途中にあるファミリーマートにトイレをお願い。

緊急措置に助けてくれたファミリーマートに恩返し。

地元に戻ったところに、いちばん近いファミリーマートは、北郡山店。

さてさて、溜まっていたTポイントで何を買おうか。

前々から、気になっていたお母ちゃん食堂グリルチキンブラックペッパー仕立て。

80g入りのグリルチキンブラックペッパーは、税込み198円。

今夜のおかずにもなるグリルチキンブラックペッパー。

これ1品だけじゃもったいない。

味を膨らませるもう一品は、税込み128円の北海道産じゃがいもポテトサラダ

皿に盛ったらポテサラチキンが出来上がる。

チキンは手で割いて食べるのが佳し。

ポテサラも皿にのせておかずになった。

二人で食べる量としては十分。

Tポイントが溜まったら、また、ファミリーマート買い。

ほかのコンビニエンスストアじゃ使えないTポイント。

ドラッグストアのウエルシアで購入することもあるので、これでいいのだ。

(R4. 1.28 SB805SH 撮影)

たまに数値はでるが安心範囲内

2024年07月25日 07時41分37秒 | むびょうそくさい
昨年末の令和3年12月27日。

そのときの診察結果は、特に問題なし。

PHは8。

一桁台であれば、まったく問題なし。

白血球の数なんて、ゼロに等しい0~1。

年が明けたら正月気分。

食事制限がある方は、気をつけなきゃならない正月の過ごし方。

「~ ♪ ~ デカンショォー デカンショォ~で 半年暮らす あー ヨイヨイ ♪ ~」ではないが、正月三が日は、ほんまに飲んで、飲んで、寝て暮らす人は、おらんやろ。

そのことは、ともかく無事に暮らした三が日。

その後の状態が、どうなっているのか・・・

で、今月の泌尿器科検査は、

PHは7。

白血球の数は、3~4。



赤血球でも1~2に、ほっとした。

(R3.12.27 SB805SH 撮影)
(R4. 1.31 SB805SH 撮影)

滝本・Y家の暮らし歴史・文化を知る民俗譚2

2024年07月24日 07時44分06秒 | 民俗あれこれ
サフランの香りに沸騰した天理市滝本

話題は、再び、地下倉庫に戻ってY家が所有する民俗の用具などを紹介してもらう。

昭和19年から20年の期間。

そのころは、13歳から14歳のYさん。

天理女学校時代に作業をしていた、という柳本飛行場の整地。

そこでの整地作業に、「さしいなう」をしていた、という。

えっ、「さしいなう」とは、なんだ?

Yさんが、いうには”さし荷担う“である。

つまり”さし”で”荷なう”こと。

二人で担ぐモッコ運び。

整地に出てくるゴロ石を、モッコに入れてオーコで担ぐ。

前に一人、後ろに一人。

二人で担いでゴロ石を運ぶ。

頭ぐらいの石をゴロ石、といい、16個ほどの石をモッコに入れて運ぶ女学生。

授業の代わり、週に1度や2度目は修身として習っていたそうだ。

モッコは2種類。

縄編みと稲藁編み。

数本の稲藁を掴んで放り込む。

ラッパのような口に数本の稲わらを入れて手動の足踏み式機械の縄綯い機。

その縄綯い機で、長い稲わら縄をつくっていく


なお、電動式縄綯い機に移ったのは、戦後復興の時代、私が生まれた1951年前後になってからだ。

その電動式縄綯い機でさえ、農作業から消えた。

1970年代と聞くから、大阪万国博覧会を境に営み、暮らしがどっと変化した。

ちなみに県立民俗博物館には、こういった縄綯い機が屋外展示をしている。

古民家の正面からでは見えない裏にある


さて、モッコで運んだゴロ石。

その石は、竹で編んだ“スダテ”のような場に収め、コンクリートを流して滑走路に固める。

その固めに、鉄筋はない。

鉄は、どんなものでも軍に集められた。

鐘楼まで軍に没収された鉄のない時代に、代用したのが竹である。

日本は、石灰を産出する国だから、コンクリートは製造できたが、鉄は軍備。

不足の時代に工夫した代用竹。

だから、“鉄筋コンクリート”でなく“チッキン(※竹筋)コンクリート”と呼んでいた、と笑うが、現在はSDGsの時代


「放置竹林の増加に伴い、土砂災害が多発するなどの“竹害”を解決できるのに加えて、強度や耐久性に優れ、環境にやさしい建築材を開発することでSDGsにも貢献できるとして、竹筋に着目した」事業が存在している。

天井を見上げ、あれが、“チッキンコンクリート”や。



そこに見た竹で編んだ“スダテ”の電灯。

そっくり似ではないが、竹編みの仕組みを観て、思い出したそうだ。

また、稲藁は”スサ”と、呼び、土壁つくりに。

山に出かけて採取した赤土と練り混ぜてつくった土。

その土壁つくりに必要な竹。

今風の家でなく、昔の家屋はみな土壁。

我が家もそうであるが、内部を見てもらったらわかるように、竹を編んだところに土壁塗り。

”スダテ”は、魚を追い込んで手つかみ漁をするときの竹で編んだ簀。

その生け簀は、簾と同じような道具


大和郡山市内に多くみられる金魚の養魚場がある。

出荷の際に金魚を追い込む道具もまた生け簀である


女学生も動員していた整地作業。

昭和19年の12月7日の午後1時36分に発生した南海沖大地震(後年に改め昭和東南海地震)

地震のときは天理女学校・桜井女学校と同じ学舎内で遭遇した。

その日は、たまたま女学校にいた。

大きな揺れに、すぐさま飛び出した場は運動場。

揺れは、体育館だけが収まっても横揺れにガッシャ、ガッシャ音がした。

その女学校の門は、今も残っている。

小学校は6年生、4月からは女学校の1年入学。

13歳の子どもは、5年生になった昭和24年に天理女学校を卒業した。

寒いから毛糸にミトンで編んでつくった。

軍手が手に入らん時代。

上は女学生だが、下はモンペを着ていた。

女子制服も作っていたから、今でも裁縫が達者。

戦時下の暮らしに、大地震を体感、記憶も話してくれた。

そのころに食べていた手造りのおやつ。

サツマイモを潰し、餡を混ぜた。

サツマイモ・餡は溶いた小麦粉に挟んでつくっていたしきしき焼き


鉄製のほうらくで焼いていた”しきしき焼き”。

山添村は、それを”しりしり焼き”と呼んでいたらしい。

12月30日は、正月の餅搗き。

知り合いを呼び、30人もの人たちが機械式餅搗き。

仕上げに杵と臼で搗いた丸餅の正月の餅。

ネコモチを何本かつくって、コウジュウタ(※コウジブタ)詰め。

乾いてから切り、キリモチにしていた

豆腐に大根、里芋に、餅もいれた雑煮。

雑煮の餅は、一旦取り出して、皿に移す。

その皿に盛っていたキナコを塗して食べるキナコモチ。

テレビ番組にでも取り上げられる奈良特有のキナコモチ雑煮
であるが、全県におよぶものではなかったようだ。

正月雑煮は、オトコが台所に立って調理していた。

初水は若水(※わかみず)を汲んで、その若水で雑煮を炊いた。

大晦日の夜の里芋は、頭芋(※かしらいも)を食べる。

お椀に入れた煮もの。これも大晦日の夜に食べる。

正月三が日、その年の厄年の人がにらみ鯛を食べる。

食べる、と云っても睨むだけだからにらみ鯛。

マツリの夜宮にカケダイをしていたかも・・と

マツリにカケダイの登場は極めて珍しい。

以前、拝見した民家でしていたダイコクさんとエビスさんに供えたカケダイ

また、奥大和にあたる川上村・高原十二社神社の夏季大祭のほか、田原本町蔵堂・村屋坐弥冨都比売神社摂社に恵比須社の三夜待ちに拝見したことがあるカケダイ。

それら3例と、ここ天理の長滝と一致するのか、どうか確信がもてない。

トーヤの膳にはモッソがあった。

鯛やこんにゃく、豆腐、里芋にくるみの餡。

芋を包み込むようにくるんでいるから“くるみの芋餅”も膳にあった。

膳の食は、ヒノキの葉に盛っていたそうだ。

そうそう、モッソをつくる道具がここにある、と棚から下してくれたマツリの道具。



モッソつくりの円筒形のワッカが3種類。

虫喰いもある祭具に年輪、滝本の歴史の深さを知る。

大小三つのワッカ。



その大きさに飯を詰める祭具である。

詰めた飯を取り出した、ソレがモッソ飯。

そもそも”モッソ”と、呼ぶ道具は、地域によってさまざま



ここ滝本では筒型だが、四方系の枡型もあれば、バケツのような円錐型もある。

”モッソ”は、これら飯を詰める道具。

詰めてできあがった飯を”モッソ飯”と、呼ぶ。

長滝では、3段の飯を詰めてつくったモッソ飯を中央に、そして餅は四隅に配置する。

前月の9月12日に訪れた際に、聞いていた長滝の宮座

Y家が、トーヤに務めたのが最後に村座になった。

20年前に記録したビデオに最後の宮座を収録していた。

神饌御供を供えていた祭具、道具は燃やそうとする意見もあったが、大切な道具だけにY家が預かり残した“モッソ”がこれだ。

宮座は解散。

その行事の仕組みも解放された。

また、また箱から出てきた用具。

一目でわかった高枕。



明治生まれの私の祖母もしていた高枕は、台形よりもっと高い高枕だった。

ただ、Y家のような綺麗なものではなく、頭を支える部分はほとんど木材。

頭を支える布はもっと薄かったような気がする。

子どものころ、おばぁちゃん、ちょっと使わして、と言って枕にしたが、子供でも肩が凝ってしまうほどの高さだったことを覚えている。

家の高枕は、おそらく箱枕。

箱に二つの高枕がセットされているから「夫婦枕」




しかも家紋もあることから、嫁入り道具として持ち込まれたのであろう。

ときおり、オークションやメルカリに見つかる高枕。

価格帯は、そんなに高くない


そして、またまた見つかったY家の掘り出し物。

まるで、発掘調査をしているような気がしてきた銅鏡である。



古式鏡でなく、時代的には江戸時代。

左側の柄鏡にあった刻印は「藤原光長」の名が・・・



銘に「藤原光長」があった柄鏡は、以前にも見たことがある。

稲刈りの〆に行われる農家さんの習俗。

大和郡山市・田中町に暮らすM夫妻にお願いし、カマ納めのカリヌケを取材していたときだ。

お家に、柄鏡があると教えくださり、記録に撮らせてもらった


そのうちの一枚にあった刻印銘記が「藤原光長」。

三つ葉葵の紋がある柄鏡には驚いた。

「藤原光長」は、江戸時代の中期から後期にかけての鏡師。

ここY家が所蔵していた銅鏡の文様に松の木を描いている。

中央に刀の鍔のような紋様がある。

これもネットオークションに多くみられる「藤原光長」記銘

レファレンス協同データベースによれば、「広瀬都巽『和鏡の研究』(角川書店、1978年再版)P159~の“江戸時代の鏡工”中に“鏡師銘記集”として鏡師が紹介されている。そこに同名があり、鏡師であったようであるが詳細はわからない。インターネットにて“鏡師、藤原光長”で検索してみると、江戸時代中期以降~大正頃に“光長”を襲名していた鏡師のようである。鏡の作製数も多く、ネットでオークションに出されていたりもする」と、あった。

柄鏡はもう一枚ある。

右手の柄鏡も銅鏡であろう。

左の「藤原光長」記銘の柄鏡より大きい。

この柄鏡にも刻印があり、「天下一田中伊賀守」記銘。



ただ、紋様は皇室の紋章として知られる16菊花弁。

いわゆる菊の御紋の菊花紋章であるが・・・

江戸時代、幕府により厳しく使用が制限された葵紋とは対照的に、菊花紋の使用は自由とされたために、一般庶民にも浸透し、菊花の図案を用いた和菓子や仏具など、ほか飾り金具にも用いられ、各地に広まった菊花紋章。

銘に「天下一田中伊賀守」もまた、鏡師。



鋳物師や、ここ鏡師にも”天下一”を称した作品を製作する人たちがいる。

山梨県立図書館・レファレンス事例集によれば「柄鏡は、室町時代の末期から製作されていたようですが、文字入り鏡は主として江戸時代後期の所産です。桃山時代、織田信長の手工芸者の生産意欲の高揚促進を目的とした政策の一つで ある“天下一”の称号公許制度により、鏡に“天下一”の銘が施されるようになりました。江戸時代には鏡師全員といっても過言でないほど使用するようになったため、天和二年(1682)に、“天下一”の使用禁止令が出されました。そこで、“天下一”の代わりに、石見守、肥前守といった受領国名を使用し始めました。江戸後期になると、作者銘は“橋本肥後守政幸”というように、姓・守名・名乗という長いものが好んで使用されました」と、ある。

そうであれば、Y家が所有する「天下一田中伊賀守」柄鏡は、使用禁止令が出される前。

つまり、天和二年(1682)以前に製作した、と推定される逸品。

織田信長の時代にはじまった、とされる工人に「天下一」の称号。

鏡師だけでなく茶釜を作る釜師や、鉦などを製作する鋳物師、漆工品の塗師{(ぬし)にも付与されたという「天下一」。


旧いものであるには違いない。

ただ、Y家が所有する「天下一田中伊賀守」柄鏡に、三文字の墨書が見られる。

後年において、どなたかわからないが、墨で印しを入れた「丼イシ?」は何らかの暗号か?

「天下一」の称号はもう一枚ある。

柄鏡でなく、見た目では札型の小型手鏡。



たぶんにたわわに実った葡萄をあしらった紋様に、またもや天下一の称号の「天下一杢村因幡守」記銘。

年号でもあればいいのだが・・・

続いて取り出された一品。



見慣れない道具だが、柄鏡と同じ場所に保管していたことから、柄鏡を見ながら、お化粧をするおはぐろ道具。



当初は、仏具では、と思っていたが、柄鏡合わせにお化粧道具のおはぐろ一式であった。

次に見る道具は、ホッカイ(※地域によっては、ホッカイが濁ったボッカイ)。

ぼっかい事例を拝見した地区に吉野町・吉野山口神社がある。

ここ山口のほか、香束(こうそく)、西谷、平尾、佐東、峯寺の六カ大字からもちこんだ「ぼっかい」によって運ばれた神饌餅


ちなみにホッカイを充てる漢字は「行器」である。



Y家が所有する「ホンホッカイ」は、4本の足がある。

嫁入りの際、実家の両親或いは付き人が担いで婚家に運ぶ「ホンホッカイ」の中身は、目出度い赤飯だった。

赤飯は、婚家の隣近所に配るが、その際に配る容器は各家が使っている重箱。

一方、丸みを帯びたホッカイは、これも目出度い紅白饅頭を詰めていることから「マンジュウホッカイ」と呼ぶ



「マンジュウホッカイ」は婚姻から一週間、或いは一か月後に、実家の両親が「娘がこれからよろしゅうに・・」、と持ってくる、と話してくれた。

なお、「ホンホッカイ」に「マンジュウホッカイ」は、それぞれに一対ずつである。

この日も、また長居してしまった天理市滝本に住むY家の民俗譚。

午後2時から5時まで。



先に紹介してくださったサフランを含め、およそ3時間にわたるY家の暮らし民俗を聞き取りさせていただいた。

車に積んでもって帰ってや、といわれて受け取った雌蕊つきの4株のサフランに、家の実成りだから、と富有柿も、椎茸も受け取った。

同行取材していた写真家のKさんと、分け分け。



この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第だ。

(R3.10.31 SB805SH/EOS7D 撮影)

Tポイント付与30サービスは牛丼吉野家唐揚げテイクアウトに

2024年07月23日 07時35分44秒 | あれこれテイクアウト
ドラッグストアのウエルシアでかゆみ止め薬を買ってレジした。

そのとき出てきたTポイントが30ポイントも付与されるクーポン券。

利用する食事処は、全国どこにでもある牛丼吉野家。

どうせ使用するなら、家族も喜ぶ唐揚げは・・。



テイクアウトメニューにあった吉野家の唐揚げは1個が108円。

せめて3個。

ちょっと足らんな、と思って4個買いに出かけた最寄りのお店は、柳町に立地する大和郡山店。



しょっちゅう通る藺町線の一番南にある信号角地にある。

入店した時間帯は午後3時半。



さすがにこの時間帯のお客さんはさっぱり・・。

店員さんに提示したクーポン券にTポイントカード。

4個の唐揚げを持ち帰りしたいと伝えたら、3個、6個のまとめ回奈良少々お安くなる、という。

4個の場合なら、3個まとめ買いに税込み343円と1個売りの116円。

揚がるまではお席に座ってお待ちください、と案内された。

しばらくしたらお客さんが一人。

定食を注文していた。

8分間待ってお支払いは、クイックペイ。

クーポン券付与30ポイントに売り上げポイントが32ポイントも。

これで62ポイント増し。

おまけにまた出てきたクーポン券。

なんと牛角限定利用に300ポントも付与されるクーポン券の発行。

牛角って入店したことがない。

焼き肉が美味しいと評判の牛角。

スーパーで売っているのは牛角キムチくらいしか存じていない。

牛角にテイクアウトはあるんだろうか。

探してみれば奈良県に3店舗。

新大宮に橿原か葛城店。

弁当なら家人とも分け分けして食べられる。

心の中に決めたテイクアウト弁当は、880円のスタミナガーリックカルビ弁当。

若しくは780円の牛カルビ焼き肉弁当だな




で、本日目的は牛丼吉野家が揚げる唐揚げを食べることにある。

一人1個ずつ、今夜の晩食にぱくりと食べた家人たち。

めっちゃ旨いとは言わなんだが、ぺろりと食べきった。



私の口の評価は辛口。

ジューシーさにもの足りなさがある吉野家の唐揚げ。

鶏肉は柔らかいが、味ももの足りなさを感じる。

もっと濃い目の下味、醤油漬け、スパイスに期待していたが、巷の人たちは高評判


なぜだ・・・。

大きさ、重さは十分なのに・・。

やはり、揚げたての唐揚げはお店で食べるのと違うんやろね。

(R4. 1.27 SB805SH 撮影)

滝本・自家栽培されているY家のサフランに囲まれて

2024年07月22日 07時23分51秒 | 天理市へ
再び電話をくださった写真家Kさん。

Kさんが現地で巡り合った天理市滝本に住むYさん。

お話したいことがある、と私に同行依頼。

月の9月12日にはじめてお逢いしたYさんの情報は多岐にわたっていた

麦わら細工からはじまり、屏風つくりに地元滝本の領地地図を用いたとか、平成10年に発生した台風7号の影響を受けて作業した多くの樹木の植樹やら、古着から裁縫したリフォームもあれば、私が手を揚げて記録させてもらったぶとくすべ・・・

まだまだ、あるあるY家の民俗に様々な護符に、今も使えそうなカラウス。

住まいする地域の神社行事などなど。

そして毎年に、栽培されているサフラン。

そのサフランが咲いたから、お越しください、と知らせてくれた。

Yさんは、昭和6年生まれの90歳。

記憶は鮮明、明確に行動されているお元気な方だ。

お話は多岐にわたり、多くの情報に聞き取りは午後3時から6時ちょっと前まで・・・

さて、本日も、また長居をしてしまうかも・・

パエリヤ用途に、雌蕊だけを摘むサフランを、どっさり栽培しているYさん。

花が咲いたら撮らせてくださいとお願いしていた。

前回、同様、写真家Kさんとともに出かけた聞き取り取材。



先に見せていただいたサフランの栽培場所は、やや明るさがあり、通気もある地下倉庫。

サフランの開花期は、10月半ばあたりから12月半ばまで。



今が丁度の開花期に保管していた地下倉庫にいっぱい咲いている。

これほど多く、咲いておれば、実に壮観。



レンズをどこに向けていいのやら・・・



地下では暗いから、お外に出て撮らせてもらった自家栽培のサフラン。

一気に増えたワケではなく、少しずつ増えていった、と話してくれるYさん。

最初は、1球からはじまったそうだ。

一年、一年を着実に栽培してきたサフラン。

分球に分球を重ねて、これほど大量になった、と・・

サフランは、秋咲きのクロッカスの一種。

もともとは染料、香料、薬用として多く栽培されていたが、現在は観賞用として利用されているようだ。

サフランといえば、パエリアやサフランライスに用いられる黄色染め香辛料の原材料。

薬用、スパイスとして利用されるサフラン。

食べたことがない私でも、そのことは、なぜか知っていた・・・

おそらく、料理人がテレビで紹介しているのを覚えていたのであろう。



原材料になるのは、サフランの雌蕊。

3裂の濃い目の赤色雌しべを、しっかり乾燥させてつくる調味・香辛料。

その状態であっても、同じくサフランと呼ぶ。

こういうぐあいにするのです、と教えてくださるYさん。

午後3時ころの天候にサフランの花は生き生きしている。



地下倉庫で見るよりも、天然の明かりに映るサフラン色。

透明感がある淡い紫色が瑞々しく見える。

嗅いだ花の香りは、ほんわか。

独特の香りに癒される。



雌蕊を摘まんでは、手で受けて、次のサフランへ・・・



手のひらにおいた3裂雌蕊。



手のひらいっぱいになれば、容器に移して、また雌蕊摘まみ。



ひと房ずつ手にしては、雌蕊取り。



いちいちそれでは時間がかかるから、球根ごと手にして雌蕊取り。



サフランの栽培は、ベランダでもつくれるそうだ



なお、トップページにアップした植物は、Y家のお庭に植栽していたシキビ。

シキビの葉っぱは滑らかだが、「ビシャコ」の葉はギザギザ。

特長あるから、覚えておくといい、といわれた。

(R3.10.31 SB805SH/EOS7D 撮影)