田植えを8日に予定していた山添村北野のI夫妻。
その日は所用で訪れることができないと伝えたら前日に植え初めをしてあげましょうとお誘いがかかった。
ご夫妻には度々お伺いし北野の暮らしの様相をお聞きしている。
「いつでも来てや、そうして私らの話し相手になってや」というご夫妻。ありがたいことだ。
さて、田植え初めの始めは氏神さんの北野天神社で祭礼された祈年祭でたばったサカキの「ミトマツリ」のお札を畔に挿す。
毎年2月25日に祭礼されるときに年預(ねんにょ)さんが作られるお札だ。
今回は明日になっているためそれは見られないが最初に12本の稲苗を田んぼに挿す。
横一列の12苗のようだ。
それに向かってカヤを12本とも畦に挿す。
苗とカヤが並列に並ぶことになる。
そこに田んぼ近くに生えているフキを茎から刈り取って葉下からちぎる。
それも12枚並べて3種が並んだ。
一年の月数を現すというが閏年であっても12本である。
そして持参した適量(数粒)のオセンマイをパラパラとフキの葉に落としていく。
フキの葉はオセンマイを乗せるお皿のようである。
山添村辺りの山間部では、JAから苗を購入するようになってから苗代作りを見ることがない。
昔は4月15、16日ごろが朝からシシマイだった。
午後はモミオトシをした。
そのときがナワシロマツリと言ってミトマツリのサカキを挿していた。
農家の営みにおける現在の豊作の祈りはいきなり田植え初めである。
それは植え初め(うえぞめ)、或いは植えはじめと呼んでいる。
いわゆるサビラキのことである。
手を合わせて「昨年もお米をとらせてくれたから、今年もとらせてください」と祈る。
苗がすくすくと育つように田んぼを守ってくださいと念じているという。
こうした農家の風習はほとんど見られなくなった。
「若いもんはこんな風習は知らんからいずれは消えていくんだろう」とご主人は仰る。
田植えが終わればその場で「ウエジマイ」の作法をされる。
それは明日になるんだがと、そのときに供えられるフキダワラとオツゲの木とみせてくれた。
オツゲの木はウツギの木だ。
今はまだ蕾だがもうしばらくすると白い花が咲く。
それをこの場に挿す。
フキダワラはその中にご飯を入れてワラヒモで結ぶ。
それを数個、フキの葉の辺りに置く。
フキダワラは田植えの休息時間に食べるものでもある。
熱いご飯を入れたフキダワラは香ばしくて美味しいそうだ。
そのときフキダワラは「オマチカネのオヤツ」と呼んでいる。
田植えが終わった北野では5月12日の九十八夜。
自然に咲き誇るヤマツツジが満開になるころで神野山に登っていたそうだ。
お弁当を持って頂上まで歩いた。
到着するころは汗が吹き出すぐらいだったという。
重箱に寿司を詰めたお弁当はツツジの根本で広げて食べたそうだというからいわゆる農休みの日であろう。
農作業はそれからも毎日が畑仕事。
そのキンズイのときに食べていたのがホガシワのメシだったそうだ。
若い葉を刈り取ってそこに熱いご飯を乗せて葉を被せる。
都祁南之庄や田原の里で拝見させてもらったものと同じだろう。
そのホオの葉は秋口に落ちている葉っぱを集めてくる。
葉は洗って湿らしておく。
その葉にミソを乗せて食べていたというから岐阜高山の郷土料理であるホオバミソ(朴葉味噌)のことであろうか。
(H23. 5. 7 EOS40D撮影)
その日は所用で訪れることができないと伝えたら前日に植え初めをしてあげましょうとお誘いがかかった。
ご夫妻には度々お伺いし北野の暮らしの様相をお聞きしている。
「いつでも来てや、そうして私らの話し相手になってや」というご夫妻。ありがたいことだ。
さて、田植え初めの始めは氏神さんの北野天神社で祭礼された祈年祭でたばったサカキの「ミトマツリ」のお札を畔に挿す。
毎年2月25日に祭礼されるときに年預(ねんにょ)さんが作られるお札だ。
今回は明日になっているためそれは見られないが最初に12本の稲苗を田んぼに挿す。
横一列の12苗のようだ。
それに向かってカヤを12本とも畦に挿す。
苗とカヤが並列に並ぶことになる。
そこに田んぼ近くに生えているフキを茎から刈り取って葉下からちぎる。
それも12枚並べて3種が並んだ。
一年の月数を現すというが閏年であっても12本である。
そして持参した適量(数粒)のオセンマイをパラパラとフキの葉に落としていく。
フキの葉はオセンマイを乗せるお皿のようである。
山添村辺りの山間部では、JAから苗を購入するようになってから苗代作りを見ることがない。
昔は4月15、16日ごろが朝からシシマイだった。
午後はモミオトシをした。
そのときがナワシロマツリと言ってミトマツリのサカキを挿していた。
農家の営みにおける現在の豊作の祈りはいきなり田植え初めである。
それは植え初め(うえぞめ)、或いは植えはじめと呼んでいる。
いわゆるサビラキのことである。
手を合わせて「昨年もお米をとらせてくれたから、今年もとらせてください」と祈る。
苗がすくすくと育つように田んぼを守ってくださいと念じているという。
こうした農家の風習はほとんど見られなくなった。
「若いもんはこんな風習は知らんからいずれは消えていくんだろう」とご主人は仰る。
田植えが終わればその場で「ウエジマイ」の作法をされる。
それは明日になるんだがと、そのときに供えられるフキダワラとオツゲの木とみせてくれた。
オツゲの木はウツギの木だ。
今はまだ蕾だがもうしばらくすると白い花が咲く。
それをこの場に挿す。
フキダワラはその中にご飯を入れてワラヒモで結ぶ。
それを数個、フキの葉の辺りに置く。
フキダワラは田植えの休息時間に食べるものでもある。
熱いご飯を入れたフキダワラは香ばしくて美味しいそうだ。
そのときフキダワラは「オマチカネのオヤツ」と呼んでいる。
田植えが終わった北野では5月12日の九十八夜。
自然に咲き誇るヤマツツジが満開になるころで神野山に登っていたそうだ。
お弁当を持って頂上まで歩いた。
到着するころは汗が吹き出すぐらいだったという。
重箱に寿司を詰めたお弁当はツツジの根本で広げて食べたそうだというからいわゆる農休みの日であろう。
農作業はそれからも毎日が畑仕事。
そのキンズイのときに食べていたのがホガシワのメシだったそうだ。
若い葉を刈り取ってそこに熱いご飯を乗せて葉を被せる。
都祁南之庄や田原の里で拝見させてもらったものと同じだろう。
そのホオの葉は秋口に落ちている葉っぱを集めてくる。
葉は洗って湿らしておく。
その葉にミソを乗せて食べていたというから岐阜高山の郷土料理であるホオバミソ(朴葉味噌)のことであろうか。
(H23. 5. 7 EOS40D撮影)