マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

栗野岩神社・田休みのお垢離取り

2020年07月13日 11時01分40秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
この日は毎年に行われる地域活動がある。

6月と11月は大和郡山市の全域対象に地元区域を一斉に奇麗にするクリーンキャンペーン。

前年は、自治会役員にあたっていたこともあり、塵の回収までお付き合い。

午前中いっぱいは地区から移動するわけにはいかない。

今年は役も離れたが、清掃活動を済ましてから取材地に向かう。

車を出していざ出発するが、後ろ髪を引かれる思い。

後日に聞いた地区の人たちの話によれば、同地区に住まいするHさんのガレージに集まって恒例の宴をしていたという。

それだけで収まることなく、繰り出したみなは市内中央に移動してカラオケに没頭していたそうだ。

毎年の6月第一日曜日は行事取材が重なる日。

午後の行事であれば十分に間に合うが、午前中であれば、取材事情を伝えて出発することもある。

そういうわけで、住まいする地区を出発した時間は午前8時半。

清掃活動を終えてからの出発であるが、行先は宇陀市の大宇陀。

取材先は大字栗野。

1時間半も要する車移動である。

到着した時間は午前11時。

目的地の岩神社に人の姿は見られない。

一週間前の5月27日にも訪れた栗野に、今もしていると話してくれたFさんによれば、朝は早い、という。

その日に「田休みのお垢離取り」のあり方を教えてくださった。

鳥居を潜って岩神社との間を往復していた。

その回数は33回。

お垢離取りは、神社に自生する榊の葉、或いはお家にある木の葉を33枚摘んでもってくる。

その葉を神社北裏に流れる奇麗な小川の水に浸ける。

流水に浸した葉を手にして鳥居を潜る。

岩神社の社殿に向かって、水滴のついた葉を振って飛ばす。

清らかな小川の水で払って清める作法がお垢離取り。

水に浸けた水滴を飛ばして祓う。

33回も繰り返すお垢離取りの作法は、いつしか体力的にもしんどくなり短縮することにした。

本来なら、一人で33回も繰り返す作法であるが、しんどくなったら、例えば連れてきた2人の子どもに、或いは孫にも手伝ってもらう。

33回の垢離取り回数を子どもや孫に分担してもらうワケだ。

子どもを一人前の扱いにした年ごろなら1人で33回。

仮に孫3人ですれば垢離取り回数は11回でアガリになる、という。

平成21年8月23日に行われた桜井市修理枝・八王子神社の風鎮ノ祭の日に行われるお垢離取りもまた榊の葉だった。

数取りは禊の化粧川にある小石。

その小石は神社境内に置く。

その数も33回だったが、高齢化により極端に縮めて数取り石は3個にしている。

奈良市の旧都祁村に属する相河(そうご)町の薬師ごもりの日に行われるお垢離取りもまた33回であったが、当地も高齢化により工夫する垢離取りのあり方。

地区を流れるムカイ川と呼ばれる小川まででかけて、ちぎった南天の葉を川水にしゃっしゃと浸けて清める。

薬師さんに戻って参拝。

再び、小川に出かけて南天の葉で水垢離。

これを33回も繰り返していたが、一日で仕上げるのは身体的に難しくなり、都合3日の間に済ますようにした、という。

山添村の北野でも33回を繰り返すお垢離取りをしていたと聞いた。

天神社参道下にあった小川に浸けて清める葉は椿の葉。

盆踊りの日に行われる会式の日だった、と聞いた。

小川ではなく神社にある手水鉢の水に浸けて33度の参拝を繰り返すのは、奈良市の旧月ヶ瀬村・桃香野八幡神社で行われる枡型・弁天一万度祭に用いる葉もまた椿の葉である。

地域によってはさまざまなあり方がみられるお垢離取りは、一定の行事でもない。

行事もまたさまざまであるが、その日でなければならない地域特有の祓い清めにされる願掛けではないだろうか。

栗野の田休みのお垢離取りに使われる水祓いの葉は榊。

この葉は、願掛けの人数を見越してそれなりの本数を宮役員のNさんが、用意している。

葉の数は33枚。



枝ごと伐った榊を社務所前の石段上に置いていた。

数年前までは、参拝される各自が榊の葉を用意し、お垢離取りをしていた。

尤も神社境内に掲げる由緒書によれば、榊だけでなく照葉樹である。

Fさんが云うように、お家にある葉でも構わない。

柔らかすぎる葉は水に浸けたらよれよれ。

水滴のつく照りのある葉であれば垢離取りができる、ということだった。

33枚の葉がある照葉樹は枝ごともってきていた。

お垢離取りは豊作を願う農家の習俗。

昔は、田植えが終わったそれぞれの家単位でしていた。

田植えを終えたあくる日か、二日ぐらい経った日に垢離取りをしていた、というFさん。

宮さんの岩神社行事にそれはない。

葉付きの枝を集めて提供するようにした、とその後にお会いしたNさんが話してくれた。

境内を見渡したときである。



足元に数枚の葉が散らかっていた。

鳥居を潜ったそのときに落とした水祓いした榊葉である。

ざっと数えた枚数は42枚ほど。

何人の人が来られたのかわからないが、お垢離取りの証しに違いない。

神社に参拝する田植え休みの日。

田植えが無事に終わり、豊作を願っていたと想像する神聖な場に御供がある。



社殿下にある石つくりの花立に賽銭入れもあるが、そこはまた玉ぐしを載せる台でもある。

その賽銭台にあった五枚の葉。



榊の葉を表にのせた洗米は、まさに御供である。

件のFさんが、「垢離取りに、お神酒と洗い米も持っていった。水に浸けた葉っぱ。清めたあとに洗い米を盛ってお神酒とともに供えていた」と、話していた通りの様相に感動する。

垢離取りの時間は、特に決まっていない。

村の人が揃って一斉に参ることもなく、めいめいが順次参拝する、と話してくれた状態であるが、散り散りばらばらの時間帯だったのか、それともたまたま何人かがめぐり合わせに、積もる村の話題に談笑していたのか・・。

感動にシャッターを押していたときに現れた宮役員のNさん。

たぶん来るだろう、と思って私を待っていたそうだ。

数えた葉の枚数は42枚ほど、と伝えたら、垢離取りの枚数は省略したのだろう、という。

一人33枚であれば、5人の場合は165枚。

小川、鳥居、参拝に33往復のところを略していたのであろう、と・・。



神社にいちばん近いところに住むHさんも一緒になって立ち話。

お聞きしたいことはまだまだあるが、長居はできない。

次の取材がある。

取材先は明日香村の上(かむら)。

家さなぶりに行われるナワシロジマイであるが、ひる飯を摂る時間の都合もあり、一旦は離れた栗野の地。

再び戻ってきた時間帯は午後4時だった。

参拝はめいめいの時間帯。

どなたかが参拝されていたら、と思って再訪する。

上(かむら)のナワシロジマイを取材していた写真家のKさんとともに訪れた。

午前中に拝見していた賽銭台。



枚数が2枚に減っていた。

どうも午前中に拝見した雰囲気とはまったく違う様相である。

御供の洗米は、数時間の間に野鳥が食べてしまったのか、それとも・・。

頭の中で疑問符模様がチラホラ出てくる、そのときである。

再びお会いしたNさん。

午前中にあった御供は片づけた、という。



その後の時間帯は不明だが、2人がお垢離取りをされた証しであった。

聞くところによれば、一週間前に伺ったFさんは、午前7時の朝いちばんに参っていたそうだ。

その時間帯に1人、2人・・。

Nさんは、夕方のどれくらいの時間帯まで待機されるのか、と聞けば状況は判断するという。

実は、本日のお垢離取りの参拝に、鳥居から賽銭台までを盛り上げた。

段丘上に固めて参道も、参拝者のことを考えて、サラエで調えたNさんのお役目に感謝である。

見ておきたい神社北裏の小川。

何某かの痕跡があるのでは、と思って目を凝らして見た奇麗な小川。



まさに聖水のような奇麗な谷湧きの水だった。

さて、岩神社に今月行われる村行事がある。

6月の最終日曜日は春日社行事の夏祭りとある。

Nさんが云うには、その行事は田植え終いの夏祭りである。

その日に来てくれたら区長のFさんを紹介する、というありがたいお言葉。

田植え終いは6月末にならんとできない。

村の各家が行う田植え作業。

そのすべてが終わらないと夏祭りは始まらない。

実は、と切りだすNさん。

ハウスに建築用のパイプを組み立てた棚を設営している。

1丁にもなるN家の田んぼ。

ハウスで育苗している苗箱の枚数は150枚。

田植えは、夏祭りを迎えるまでに済ませておくからと・・。

隣で話していたHさん。

Nさんは、村でいちばん遅い田植えだという。

Nさんの出里は、宇陀市榛原の池上。

かつては苗代田にローソクと線香を灯して豊作願いをしていたそうだ。

苗代田に籾撒きをしていた、というから直播の時代。

その場には藁束もあった、という子どものころの記憶を話してくれた。

栗野の今は直播する家はない。

N家以外の栗野のみなは、JA購入の稲苗。

ほぼ揃った日程で田植えを終えるが、ハウスで育苗するNさんは、他家より遅れる。

ある年のお垢離取りは第二日曜日になったこともあったらしいが、今は第一日曜日に定着したようだ。

岩神社の行事は、6月最終日曜日に行われる春日社行事の田植え終いの夏祭りの他、10月第二月曜日に行われる主祭神行事の秋祭りと11月第二日曜日に行なわれる宗像社行事の亥の子祭りがある。

これまで毎年に亘って行ってきた岩神社の三大行事であるが、来年度から三大行事を纏めて1本化する、という。

えっ、である。

大改正ともいえる栗野の行事。

6月の春日社の夏祭りも11月の宗像社の亥の子祭りも廃し、秋祭りだけの一本化。まさかの展開に驚くばかり。

そうとわかれば、栗野行事は、今年が最後になる夏祭りに亥の子祭りは外せない。

他に行事取材があったとしても、栗野行事は先決、最優先。

最後になる今年の夏祭りは、ハリガタニ垣内が最後の役目であるが、垣内在住は6軒だ。

5斗に21臼も搗く御供搗き。

搗き初めに杵と臼で搗く餅搗きも拝見したい。

1臼終えた後は、3台の機械で餅搗き。

ふるに稼働する餅搗きに、電動の餅切り機械も用意するらしいが、なんせ大量の餅搗きをさばくには、例年よりかもっと早くにしないと間に合わない。

時間を早めて朝7時から始めたとしても昼過ぎまでに終わらせなければ、祭りのお渡りは出発できない。

そんなことも話してくださった栗野の夏祭り。

是非とも寄せていただきたく、区長さんによろしくお伝えくださいとお願いした。

(H28. 5.29 SB932SH撮影)
(H30. 6. 3 EOS7D撮影)
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大宇陀平尾・I家の雛壇飾り

2020年01月27日 10時17分06秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
この日は3月3日の雛祭り。

かつてお家で祭っていた雛壇飾りを町おこしに開放、見学できる地区イベントが多くなった。

不要になったコイノボリを纏めて揚げるのもその一つの好事例。

処分されることなく、再び日の目を見るイベント見たさに観光客が殺到するところも増えている。

その雛祭りに欠かせないのが御供のヒシモチである。

お家でなく神社行事にヒシモチを供えるところは多くない。

現状ではそうであるが、かつては三月節句に供えていたという証言もある。

今もこうした行事をしているところはないのか探してみる。

これまで拝見した奈良県内地域の数か所に、今もなお行事にヒシモチ御供をしている在所があった。

一つは宇陀市大宇陀野依の上巳の節句。

二つ目は山添村切幡の桃の節句。

三つ目に旧都祁村になる奈良市南之庄町の節句。

四つ目は桜井市瀧倉の節句である。

また、奈良県外になるが、京都府相楽郡笠置町切山の節句にも継承されていた。

他所でもありそうにも思えるのだが、神社の年中行事に節句そのもの行事名が見当たらない。

そこで探してみる節句のヒシモチ。

人から聞いたのか、それとも報告資料で知ったのかわからないが、宇陀市大宇陀の大字平尾の水分神社で行われているというメモがあった。

もしかとして3月3日。

世間が賑わいをみせる雛祭りの節句の日に訪れた水分神社。

境内は綺麗に掃除をされていたが、人の気配は感じない。

そうであれば度々訪れては行事、風習、訛り詞などを教えてくださるI家を訪ねるしかない。

そう思って進行の向きを替えた。

ご自宅前まで来たら、一輪車に採取した野菜を載せて運んでいる婦人が見えた。

手を振ったら気づかれた。

節句につきもののヒシモチの件を尋ねてみれば、今日は何もしていないという。

自転車に乗って一緒に戻ってきた孫娘を祝う雛壇飾りがある。

立ち寄ったのだから見て、と云われて座敷に上がらせてもらう。



玄関土間に飾ってあったミニの雛壇はチョコレート会社製。

この年の1月に発売されたばかりの飾れるチョコレートだそうだ。

座敷奥にあるのが本物の七段飾り。



ヒシモチは手間がかかるので、今年はしていないと申し訳なさそうに云われる。

また雛寿司に“かきまぜ“もしてたんやけど、今年は・・・。



“かきまぜ“って何、である。

婦人のS子さんが云うには“かきまぜ“は、ここらへんの訛り詞。

“五目ご飯”とか、“五目メシ”と呼ぶこともある“かきまぜ“は、ちらし寿司のことだった。

こういうお話をしてくださるのも嬉しい民俗語彙。

ありがたいことに、今年のトウヤに電話をしてくださる。

不在で確認はとれなかったが、トウヤさんは「4月になったらヒシモチをしようか」と云っていたそうだ。

Ⅰ家がトウヤを務める場合もヒシモチを作って神社に供えている、という。

そのヒシモチの形は2段。

土台のヒシモチはヨモギを混ぜて搗く。

ヒシモチは一段で、その上に丸い白餅をのせる。

トウヤでなくとも毎年の桃の節句に作って供えていたそうだが、今年はお菓子の雛霰。

高齢になれば少しずつ簡略化しているようだ。

ちなみに今年のトウヤさんは6月のチマキも供えるはずだと話してくれた。

これまではチマキも手造りであったが、今は和菓子屋が販売するチマキになるかもしれないが、トウヤが供えるだけなので、行事日は固定でなく、トウヤ都合の日にしているという。

供えるところを見たいと話したら、そのお願いをトウヤに連絡しておくから・・と。

平尾の集落戸数は30軒。

マツリに出仕される関係家は14軒に減ったという。

大トウ、小トウの二人が年中行事を支えるから、廻りは7年に一度になる。

(H30. 3. 3 SB932SH撮影)
(H30. 3. 3 EOS40D撮影)
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栗野の初誕生杉の葉付きのコイノボリ

2019年11月01日 10時24分05秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
大宇陀栗野の岩神社のお垢離取りの様相を話してくださった中出垣内のFさん。

ようやくというか、ほぼ現在の在り方に参拝の時間帯も教えてもらった。

また、6月末辺りの日曜日に朝から杵・臼で搗く餅つきもある夏祭りもあるとわかった。

是非とも訪れたい大宇陀栗野の年中行事である。

国道に出てほんの少しを走ったところにコイノボリが立っていた。

一瞬で判断したそのコイノボリの支柱に思わず急ブレーキをかけた。

奈良県内では滅多に見ることのないてっぺんに杉の葉を残した杉材のコイノボリ支柱である。

千載一遇のこのチャンスを逃しては・・・。

今後も出合うことが少ない貴重な初男児誕生の習俗を撮らせていただきたく呼び鈴を押したK家。

屋内から出てこられた若いお母さんに取材の申し出をお願いして撮らせてもらう。

孫の長男が誕生した祝いに家の山に入ったのはおじいさんだ。

4月の初めに目をつけていた杉材があった。

その杉の木をコイノボリの支柱にする。

伐り出すのはお父さんに旦那さん。

そして弟さんの男3人が伐り出した杉の木は山から運んで自宅まで運んだ。

杉の木の皮を剥いだ美しくした木肌であるが、てっぺんにある葉は切り落とさない。

葉を付けたままの支柱を立てるには掘った穴に埋めるだけでは倒れてしまう。

横から支柱を支える添え木が要る。

外れないように大きなボルトで固定する。

固定といっても、実は傾けることのできる構造物である。

吹き流しに父鯉、母鯉に長男鯉がそろって並べばいいが、この日はなかなか吹いてくれない。

待っていたらふっと風が吹くときもある。

そのときになれば初誕生を祝う鯉のぼりが空に泳ぐ。

鯉のぼりを揚げ始めたのは4月半ば。

風が強い日とか雨天の場合は揚げない。

天気が良くて、できれば風のある日に揚げる。

祝っていた鯉のぼりもそろそろ納めどきにしようと思っていた日に撮らせてもらったのが嬉しい。

このような風習はまったく知らなかったという若いお母さん。

お嫁さんに来て長男が生まれた。

長男のときに葉付きの支柱を立てる。

次男の場合は緑の鯉のぼりを付け足すだけで、新たに支柱を立てるわけではない。

翌年の節句のときの支柱は葉を切りとって矢車に取り換える。

一生に一度の鯉のぼりの支柱の在り方である。

吹き流しに家紋を染めて、子供の名前を入れることも考えたが、最終的にはそれを外したという母親。

昨今の文化的風潮に右へ倣え、であったようだ。

ちなみに栗野の地にもう1軒。

すでに風車に切り替えて揚げていたコイノボリのある家。

石垣風情のカド庭に立てていたB家を訪ねたことがある。

婦人のはなしによれば初孫の長男が生まれたその年に揚げたコイノボリの支柱はヒノキ葉だった。

その年に見かけたコイノボリは2軒。

昨年は1軒が揚げていた。

今年はここK家。

なんとなくであるが、毎年に揚げることはないように思えてきた。

(H30. 5.27 EOS7D撮影)
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ようやく見えてきた栗野のお垢離取り

2019年10月31日 10時11分21秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
平成28年の5月29日、調べていた大宇陀栗野のお垢離取り

いつにされるのかわからないものだから、翌週の6月5日も訪れた。

その前の5月15日も調べにきていた。

平成29年の5月8日も訪れて調べてみたが・・。

かつての話題提供をしてくださるが、実施日がとんとわからない。

話してくださったお垢離取り。

全容は見えないが、想像するイメージは見えてきた。

聞き取り調査に来てからこの年で3年目。

実際に、今でもお垢離取りをされている方に出合いたいが、そんなに上手く出会えることはないだろう。

縁を求めてやってきた3年目の栗野の地。

どなたかお会いできればと思って当地を散策した。

火の見櫓から少し南に下ったところに数軒の家がある。

声が聞こえるお家に足が自然と動く。

そこにおられた娘さんと父親に尋ねた栗野のお垢離取り。

村から通知が届いた連絡文書に書いてあった日程は6月上旬の日曜日。

一週目か、二週目なのか。実施時間も書いていない通知文だった。

親子で話してくださった下垣内のNさん。

子供のころの記憶によれば、葉っぱにご飯を盛って供えていたそうだ。

70戸からなる栗野に庚申講はあるが、離脱する家もある。

また、解散した別の講もある、という。

講の営みは当番家で行っていた。

当番の廻りは講中の順。

講中を迎える接待が大層になっていた。

現在は数組の講があるらしい。

話してくださったN家は、農家ではないから、垢離取りは86歳になる隠居のN家が詳しいようだ。

家はそこだ、というから訪ねてみたが不在だった。

本人は不在だったが、庭にすごく素敵な山野草鉢がいっぱいあった。



その美しさに見惚れてしばらくは佇んでいたいイワチドリ



すいぶん前であるが、私もイワチドリを鉢栽培していた。

環境が合わなかったのか、一年ぽっきりだっただけに、蘇る美しさは映像に記憶させてもらった。

そのNさんが、北の方からとぼとぼと歩いてくる。

平成28年の5月15日、神社前を歩いていたNさんである。

2年前にお会いしたときと同じように杖をついて歩いていた。

覚えてはるかな、と思って声をかけたが、「聞こえない」という。

後でわかったが、2年間の経過にずいぶんと耳が遠くになったそうだ。

「お垢離取りってなんですか」と云われたときはショックだった。

逆に言えば、2年前に話してくれた体験談が、実に貴重なもの、と思えるのだ。

Nさんの件は断念。

次はどこに・・。

車道から見える中腹の高台に民家が見える。

なんとなくお家におられるような気配を感じて立ち寄った。

広地に車を停めさせてもらって声をかける。

たしか人影が見えたと思うのに返答はない。

山に登ってしまったのか。

呼び鈴を押せば若い女性が玄関に出てこられた。

お垢離取りの件を尋ねたら、義理のお母さんが詳しい、という。

たしかそこらへんにおったはずだ、というから待っていたら、ひょっこりお顔が見えたFさんに教えを乞う。

出里は隣村の菟田野であるが、垢離取りなんぞはなく、嫁入りしたとき聞かされて驚いたものだった、という。

それから長年に亘ってしてきた垢離取りを「田休みのお垢離取り」と呼んでいる。

中出垣内に住むN家は農家さんだからこそ、すっと口に出る「田休みのお垢離取り」である。

かつては、鳥居を潜って岩神社との間を往復する。

その回数は33回。

垢離取りは、神社に自生する榊の葉、或いは家にある木の葉を33枚摘んでもってくる。

その葉は、神社北裏に流れる小川の水に漬ける。

水に浸した葉を手にして鳥居を潜り、岩神社・社殿に向けて葉についた水滴を飛ばす。

清らかな水で祓い清める作法がお垢離取り。

33回も繰り返すお垢離取り。

いつしか体力的にもしんどくなり短縮することにした。

本来なら、一人で33回も繰り返す作法であるが、しんどくなったら、例えば連れてきた二人の子どもに、或いは孫にも手伝ってもらう。

33回の垢離取り回数を子どもや孫に分担してもらうワケだ。

3人ですれば垢離取り回数は11回でアガリになる、という。

昔は、田植えが終わったそれぞれの家単位でしていた田休みの垢離取り。

F家は田植えを終えたあくる日か、二日ぐらい経った日に垢離取りをしていた。

水で清めた葉をもって神さん参りして、その年の豊作を願っていたのである。

垢離取りには、お神酒と洗い米も持っていった。水に浸けた葉っぱ。

清めたあとに洗い米を盛ってお神酒とともに供えていた、という。

葉に洗米を盛って供える、その場所は社殿下にある一対の花立ての間の祭壇である。

垢離取りの時間は、特に決まっていない。

村の人が揃って一斉に参ることもなく、めいめいが順次参拝する。

F家は朝の7時ころからしている、という。

できれば、F家のあり方を撮らせてもらえばありがたいが、恥ずかしいから、とやんわりお断り・・・。

「岩神社は女の神さんやから」と、いうFさん。

「女は構うことができないので神社行事のすべては男でしていた」が、今の時代そういうわけにもいかなくなった、とも。

岩神社の年中行事に夏祭りと秋祭りに亥の子祭りがある。

栗野の垣内は下垣内に中出垣内。

上垣内にハリガタニ垣内(針ケ谷)垣内の4垣内が廻る当番垣内。

ただ、ハリガタニ垣内の軒数は他の垣内と比べてとても少ない6軒垣内。

その垣内でトーヤ家を選んで祭りを営んできたが、軒数の多い下垣内は軒数分けした2年間の営み。

平成30年の今年であれば秋祭りと亥の子祭りの2回連続の当たりである。

また、中出垣内も軒数が多く、来年の平成31年の夏祭りと秋祭りに当たるそうだ。

(H30. 5.27 SB932SH撮影)
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野依を経て栗野のコイノボリ

2018年05月30日 08時48分24秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
この日の目的地は吉野町の小名(こな)である。

何年か前に、小名に卯ツキヨウカのテントバナがあったと聞いたことがある。

話してくれたのはHさん。

ただ、Hさんが話してくれた実情は、当地で聞取りをした平成25年。

話してくれた村の人が云ったのは、数年前のこと。

たったの1軒がしていたというテントバナであった。

そのことを存じている人が見つかれば、と思って出かけた。

道中に立ち寄った宇陀市大宇陀の野依。

そうだ、この日は花まつり甘茶かけがあった、と急に思い出しての立ち寄りである。

この年も対応していた両頭家。

小頭家のN夫妻に黙々と今年も清掃されていた大頭家のNさん。

実は、と云い出した今年の灌仏会。

花まつりに甘茶かけをしていたが、今年が最後になったという。

なんという奇遇であるが、写真を撮る気持ちも起らずお参りをさせてもらった。

Nさんお話しによれば、前のお釈迦さんが行方不明になったその年の一時だけの対応である。

急遽、紙製のお釈迦さんを作って、参拝者を迎えたこともあったそうだ。

その翌年に作ってもらったお釈迦さん。

もう15年前のことであるが、お釈迦さんがお釈迦さんのお蔵入りになるのはとても残念に思う。

場を離れるのも辛いが、これが見納めの野依の花まつり。

この日は参拝者も皆無状態。

これもまた残念なことである。

昨年のお礼を伝えて車を走らせる伊勢本街道こと国道370号線。

気持ちの良い風が流れていた。

その風に泳いでいるのはコイノボリ。

思わず車を停めて田植え前の荒起こしをしている耕運機の姿も入れて撮っていた。

振り返ってみたお家に数人が集まっていた。

何事かお話しの最中だったが、気になっている栗野の垢離取り行事についてご存じであれば教えてもらおうと思っての声かけである。

タバコ自動販売機設置家婦人曰く、垢離取りのことは知っているが、行ったことがないという。

残念ながらのことであるが、婦人の出里がなんと野依であった。

住んでいたころの野依である。

村を流れる宇陀川にある小石があった。

その小石を33個。

白山神社前に運んでいた垢離取りを思い出された。

(H29. 5. 8 EOS40D撮影)
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本郷・椿寿荘の本郷池内に飼うヤギ

2018年04月17日 07時11分07秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
椿寿荘の朝食を済ませてひと段落。



落ち着きのある朝にゆとりを感じる。

これほどゆったりできた時間、私にとってはご馳走の寛ぎタイム。

部屋でのんびりさせてもらってチェックアウト。

大宇陀本郷の空気がとても澄んでいる。

ここは高台。



まだ若い枝垂れ桜が植栽されている場に鳥居がある。

その後も愉しませてくれたのが、椿寿荘の本郷池内に飼っていたヤギである。



ヤギは白黒の2頭。



白色のヤギは角が生えている。



金網から見つめていたら寄ってきた。

その場は餌場。

細かく砕いた野菜が餌。



黙々と食べていた2頭のヤギ。

孫でもおれば喜ぶのであろうが、我が家の息子たちはまだ独身である。

ちなみに帰り際になってもう2頭のヤギがやってきた。

どうやら、それぞれの種類ごとのペアレントだった。

(H29. 4.28 SB932SH撮影)
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20年ぶりに宿泊する宇陀本郷の椿寿荘

2018年04月16日 09時05分56秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
過去4回ぐらいは泊まったことがある宇陀市大宇陀の本郷にある椿寿荘。

当時は県の老人保養センターだった。

たしか75歳以上は2割引だったような気がするが・・。

家族揃って泊まったこともあるし、弟家族とかおば家族とも連れだって行ったことがある。

ゆったり寛げる施設はお気に入りだった。

なぜにこの施設を知ったのか覚えてないが、ロビーに一冊の小冊子があったことを覚えている。

その小冊子は全国にある老人保養センターを紹介した本。

月ごとに棒グラフがあった。

その棒グラフは施設ごとの頁すべてにあった。

棒グラフは12カ月。

グラフの値は利用者数。

つまり、何時の季節が多いか、少ないか一目でわかるグラフだった。

この小冊子は素晴らしいですねとフロントに伝えたら余分にあるから差し上げますと云われてくれた。

それからというものは旅の便利帳になった。

おふくろを連れて旅に出る。

四国も行ったことがある。

なんせ、行き先に応じた施設がその小冊子に載っていた。

予約の電話を入れては旅に出る。

75歳以上の特典もあるが、全般的に公共宿泊施設とかわりない。

どちらかといえば他施設よりも安かったような記憶がある。

それ以上によかったのは料理が旨いことである。

とにかく美味しい料理に特別料理を頼むこともあった。

ここ椿寿荘では鯛のアラ煮を頼んだことがある。

甥っ子はその味を今でも覚えている。

こんなに美味しいのは、ここ以上どこにもない。

おふくろも美味しいと云っていた。

特に強調したいのは老人に優しい料理である。

どれをとっても固くなく、柔らかいのである。

口当たりも良いし味も良いから全部をたいらげる。

しかも椿寿荘は温泉がある。

芯まで温もった身体は火照るが冷めにくい。

よく泊まったのは冬場だ。

外は寒いのに部屋中は熱いほどだった。

年月は覚えてないが予約した日が大雪になったことがある。

我が家を出ようにも道路は20cmも積もっていてタイヤが滑る。

下りはなんとかいけても登りは到底無理な大雪だった。

とてもじゃないが車を出すことはできない。

仕方がないから椿寿荘に電話をした。

大宇陀も相当な大雪だったが、近鉄榛原駅まで迎えに車をだしますから、どうぞ、ということだ。

というわけでその日の足はバスと電車。

乗り継いで到着した榛原駅。

中型の送迎車が来ていた。

当然ながらのチェーン走行。

ガチャガチャ音を立てて走る。

ガチャガチャは音だけでなく身体も微々の上下振動。

本郷池にある椿寿荘は凍り付く急坂。

難なく車が登っていった。

そんな思いであるが椿寿荘は実に20年ぶり。

外観はまったく変わっていない。

左にある温泉浴場もそのまんまだ。

玄関まで迎えてくれる職員さん。

県の職員ではなくNPO団体の職員さんだ。

県が外部団体に経営を団体に委嘱して継承された椿寿荘は「かぎろひの里 椿寿荘」として生まれ変わったが、建物など施設は昔のまんま。

20年以上も前はなかったエレベーターがある。

これが設備された前から利用していた。

高齢者にとっても便利な昇降機。

あるのとないのとえらい違いだったとこを覚えている。

椿寿荘宇陀寮は県営施設として昭和46年に開設された。

今から46年も前のことである。

それが寝耳に水のように突然に発表された施設の廃止である。

老朽化を理由に平成21年3月に廃止するという情報である。

そのことを知った団体はNPO法人「宇陀街づくり研究会」である。

県は土地を除く施設の無償譲渡公募をした。

4団体が応募。

公募審査委員会は地域の活性化を高めると判断されて「宇陀街づくり研究会」に決まった。

その件については新聞報道で知っていた。

同年の平成21年4月より同団体で運営されるという記事を読んでとても悦ばしいことだと思っていた。

予約した時間に着いておふくろとかーさんを降ろす。

私は大宇陀に用事がある。

大宇陀も拝原もお世話になっている取材先がいっぱいある。

お礼に出かけたい箇所は2カ所。

1件は大宇陀万六で製造販売されている和菓子屋さん。

“志を乃屋”・野口昇栄堂である。

1月21日に取材した万六のカンセンギョ(寒施行)写真をさしあげようとしたが定休日だった。

仕方ない。

会いたい人はもう1件ある。

榛原笠間でほうれん草栽培をしているご主人だ。

たぶんに作業場におられるだろうと思って訪れたらまさに出荷作業中。

年から年中、栽培、供給しているほうれん草栽培はいつも忙しい。

3月5日に行われた榛原笠間桜実神社の祈年祭の御田植祭の写真である。

ご主人が写っている数枚をさしあげたかった。

おられてほっとする。

立ち寄ったのは供えた杉の実の模擬苗をいつ立てるのか、である。

今年は冷え込んだ。

電話もしたが、冷え込みが長引いて遅霜がずっと続いている。

なんとかハウスに育苗した箱を置いた。

2回目は3日後になるようだと云われた。

できるなら29日にお願いできないかと申し出たらそうするという。

ありがたいお声に飛びついた。

そんなことがあって戻ってきた椿寿荘。

二人の女性は只今温泉中。

戻ってくるまで待つことにする。

その間にしておきたい作業がある。

WI-FIのセッテイングである。

利用できると知って持参したパソコンとタブレット端末の無線接続のセッテイングである。

WI-FIはFreeWI-FI。

接続メニューから選んでクリックすればすぐさま繋がった。

これだけでネット環境が整った。

ありがたい施設である。

早速、インターネットを立ち上げて連絡しておきたい処にメールを送る。

ところがいくら待っても終わらない。

何かが邪魔をしているようだ。

同じ事象は有馬でも発生した。

セキュリテイの関係でメール受信は可としても送信は抑えているようだ。

セットアップや送信などで手こずって焦り。

温泉から出てきた二人とバトンタッチして湯舟に浸かる。

疲れもぶっとぶぐらいの心地いい温泉の湯。

それもただ一人。

戻ってきた二人も貸し切り状態だったという。

たしか何組かの客人がいたはずだが・・・。

予定よりも20分遅れで始まった大宴会ではなく我が家の3人だけが占領する宴会場はテーブルに椅子だ。

昔の大宴会場は畳座敷だった。

カラオケ設備などを設置している舞台は変わっていないが、敷きもんを敷いた会場とはなんとなく違和感がある。

ここでかつて歌っていたカラオケ三昧の独り舞台。

ついでに乗ったかーさんも歌っていた。

子どもたちはカラオケに飽きたどころか、何曲もガンガン歌っていた私に、もぅ煩いと云って耳を塞いでいたことを思い出す。

思い出は尽きない。

ようやく席に着いて会席をよばれる。

始めに頼んだビールで乾杯。

税抜き価格の500円の瓶ビールは500mlの中瓶。

風呂上がりのビールに癒される。

おっとその前に注がれたグラスがある。

それは食前酒の梅酒。

ウメッシュと云って一杯。

これが美味いんだな。

おふくろも酒を飲まないかーさんも美味しいと云ってぐぐっと飲んでいた。



さて、会食のなかから最初に口にしたのは胡麻豆腐。

癖のない味に惹かれて小刻みの四口でいただく。

上品な味が美味いのである。

先付けは三品。

イカ細切りは梅和え。

真ん中はまるで見た目がオレンジ。

薄い玉子焼き巻いて切ったらでてきた感のものは海老味だった。

巻貝は何だろう。

タニシじゃないことはたしかだが・・・。

思い出したバイ貝。

でもなんとなく違うような。

ツブ貝という場合もあるが・・・。

お造りは三種盛り。

マグロにどでかいボタンエビに皮つきイサキ。

夏のもんやけど早々と水揚げされたのかな。

翌日の帰りがけにフロントで聞いた板前さん。

仕入れは奈良県中央卸売市場だと知ってなるほど、である。



椀物はかぶら蒸しの一品。

たぶん真薯(しんじょ)であろう。

中から溢れる美味しさが口の中に広がる。

上品な一品が嬉しい。

一口で食べるよりもちょびちょびいただきたい真薯は中から細かく刻んだ海老の味がする。

おふくろもかーさんもそう云ったから海老真薯であろう。

細く切った青物も甘いタレで美味しくいただく。



海老真薯を焼いたサワラで包みあげ。

旨み味噌と絡み合う和食の一品に舌が唸る。

細かいタケノコも旨み味噌和え。

この旨み味噌は何でできているのだろうか。

木の葉で和えた味噌のような感じもするのだが、アクもなくくどくもないので美味い。

上等の一品は板前さんの腕。

それが味わえる椿寿荘。

20年前の料理はまったく覚えてないが、おふくろがとにかく柔らこうて美味しいと連発していた。

おばと一緒に来ていた姪っ子が特別に注文した鯛の煮つけ。

先にも書いたが、これはたまんない味やと喜んでいたことを思い出した。

天ぷらの野菜はなんだ。

野菜というよりも春の恵みの山野草のように思えた。

私はこれを見るなりウドの葉っぱだと云ったが、かーさんはあれやという。

あれやというのは葉っぱの先がトゲトゲのある葉。

でもそれでは葉の真下にある茎が太目のタラの芽。

ウドであればそんなに太くない。

色合いもケバケバしいタラの芽よりもあっさり淡白な色のウド。

そう判断したが・・・。

仲居さんの答えはウドであった。

天ぷらはカボチャもあるがもう一つはなんだろう。

思い出せない。



形でわかるのは海老天。

そりゃだれでもわかる。

口にいれて歯で噛んだらプリップリの海老。

むちゃ美味すぎる。

茶塩をちょうちょいとつけていただく。

頭も尻尾も美味しいエビ天が2匹。

おふくろは3匹もあったよというが証拠は消えていた。



そろそろ煮えてきた地鶏のすき焼き。

甘くて美味しい千切り野菜は何と尋ねるおふくろ。

仲居さんの答えはタマネギ。



旨みのあるタマネギに細切りのゴンボに絡んだすき焼きは美味い。

添え物の生卵につけていただいたが、堅くない。

地鶏は堅いと思い込み。

とても柔らかいのであるが、皮辺りはシコシコ。

だし汁と合いまった噛み応えのある地鶏に大満足する。

茶碗蒸しにギンナンがある。



思い出せないが他にもいろんなものが入っていた茶碗蒸しは上品な味だ。

ホッキ貝寄せのサラダは辛子酢味噌が利いていてとても美味しい。

我が家でもときおり買ってくるプチプチがある。

この食感がたまらなく好き。

味付けしたナガイモも美味しい。

飲んだビールは3本。

中瓶だから1500ml。

我が家で飲む量は500mlの発泡酒が1本。

そのあとはカルピスソーダで割った酎ハイだ。

これを2杯。

ほぼ同じような量である。

そろそろお腹が満腹以上の張りがでてきたのはそのせいかもしれない。



デザートは三人とも味わったことのないもの。

舌触りはなんとなくザラっとしている。

甘くて美味しいデザートには違わないのだが。

・・・。

それにしても和食に洋風のデザート。

椿寿荘の板前さんって凄いと思った。

どこでもそうだが最後に配膳されるのはご飯と汁椀。



あつあつふっくらご飯にそっと振りかけた煮ジャコ。

良い香りに食欲は増すが、胃袋は満腹状態でうわべだけいただいてジ・エンド。

ワカメの汁椀で〆させてもらった。

翌朝は快晴。

真っ青な空に椿寿荘裏に咲く桜が映える。

黄色の花はヤマブキ。

目の覚めるような景観に見惚れて、前夜の余韻を楽しむ朝食をいただく。

メインは鮭の塩焼き。

煮キャラブキを添えている。

他にはキンピラゴボウにコーヤ、シイタケなどの煮しめ。

温泉玉子に冷奴豆腐。

汁椀は焼き揚げ。

香ばしくて美味しかった。

(H29. 4.27 SB932SH撮影)
(H29. 4.28 SB932SH撮影)
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野依・稲苗に出る露の謎解き

2018年03月28日 09時22分11秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
荒起こしをした田んぼにJAで買った苗箱を並べたのは3日前である。

状態をみて毎日の水やりをしていた。

気温が上がれば幌を捲って風を通す。

温度調節は小まめにする。

そう話してくれた宇陀市大宇陀野依在住の田主の奥さんは被せていた白い幌を捲って育っている苗の状態を見せてくれた。

苗を見るとなにやらキラキラ光るものがある。



その数はとても多い。

水玉のように見えるが、水玉ではない。

苗が汗をかいたようにも見えるが、汗でもない葉先の丸い水玉はどうやら滴のようで、夜露のようにも思えた。

時間帯は午後の6時半。

昼間の気温がどんどん下がって肌寒くなる夕刻時間は脱いでいた上着をもう一度着る始末。

その気温差の関係でそうなったのか、それともこの時間だけでなくもっと前から幌内部で露状態になっていたのか。そ

うであれば、昼間の気温が高い時も内部で発生していたのか、疑問がふつふつと湧き上がる。

自然に生えている草の夜露とか朝露に濡れる体験をしたこともあるし、拝見したこともある。

夜露といえば小林明さんが歌う「窓は夜露にぬれてー♪都すでに遠のく・・」のフレーズ。

それは歌詞にもなるし、季語にある「白露」や「甘露」もあるが苗代の幌内の発生条件は何であろうか。

露が発生する基本的な原理は、冷えたものが接した空気の温度が露点以下に下がって空気中に存在する水蒸気が水滴に変化して物体の表面についたもの。

木の葉の表面に発生する場合もあればギザギザ葉の突出先端部につく場合もある。

稲苗は草の葉と同じ。

草原の葉っぱもそうだ。

草葉そのもの自身が水分を排出している場合もあるらしい。

ただ、私のクエッションは苗代である。

拝見したここの苗代は荒田にそのまま据えた苗箱である。

一般的には水苗代。

つまり苗床があって、その部分までヒタヒタに水を張って育てる方法である。

水苗代であれば気温の急激な変化があったとしても空気中の水蒸気は集めることはないだろうと思っていた。

その謎は数日後に訪れた和歌山県在住の写真家Kさんが伝えてくれたメールにあった。

住まいは田園地。

毎年に稲作もしている写真家である。

尤も作業のほとんどは旦那さんになるそうだが・・・。

Kさんが云うには苗代の苗に水滴がついてこともあったという。

その綺麗な水滴は自然の産物。

思わずカメラに収めたそうだ。

Kさんの話しによれば、苗代の場は水田ではなく土の田んぼである。

野依と同じように苗はJAから購入する。

育苗された苗を購入して荒田に苗箱を並べて、幌を被せる。

まったく同じ方法である。

Kさんが云うには水苗代では水滴が発生しない。

発生するのは荒田の場の苗代田である。

地表にそのまま置いた苗の場合に発生するという。

つまりは水田と地表の温度差。

水田の場合はどちらかといえば冷たい。

土であれば温かい。

その温度差でなるかならんか、であった。

(H29. 4.16 EOS40D撮影)
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野依・M家の荒起こし田苗床の水口マツリ

2018年03月27日 09時34分25秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
写真家Kさんに見てもらいたい場はどこにあるのだろうか。

着いた時間帯は午後6時直前。

焦る気持ちに田んぼを探すが見つからない。

ここは宇陀市大宇陀の野依。

先月の3月15日に行われた仏母寺の数珠繰り涅槃会行事の際に教えてもらったM家の田んぼである。

涅槃会に数珠繰り法要、ゴクマキを済ませた村人は正月初めに祈祷されたごーさん札を持ち帰る。

すべての人たちでなくごく数人の農家さんである。

そのお札は苗代に立てる。

数年前までは白山神社下にある苗代田にあったが、今はない。

顔見知りの元総代にお願いすれば紹介してくださったが、顔合わせはできていないMさんである。

だいたいの場所を聞いていたので付近を探してみる。

陽も暮れてしまった午後6時10分。

白い幌を被せた苗代田がようやく見つかったが、そこは水苗代田でなく荒田であった。

丁度そのころに畑から戻ってきた婦人に声をかけたら、元総代が紹介してくれたお家であった。

想像していた水苗代でなかったから、見つけにくかったのかもしれない。



「苗の育ち具合を見てね」と云われて幌を捲る。

その瞬間に水滴が玉のようについたJA購入の苗。

大安の日にしたかったが販売時期があわず、4月13日の先勝の日に立てたそうだ。

M家は日にち固定ではなく先勝か大安の良い日に畑地に苗箱並べて、割ったススダケに挟んでお札を立てる。

霜が降りなくなる時期になれば幌を外す、ということだ。

霜にあたれば黒くなる。

霜がはっせいする時間帯は朝日が昇る前。

ジャガイモの芽に水をあげると霜にならんように、早よ起きてしているねんという。

かつてはモミマキしたときに立てた。

お米がたくさんできるように願って立てた。



それが終わればドンド焼きをしていたそうだ。

モミガラを焼いて油紙を引いた。

そうすれば芽が出やすいようになると話す。

一枚が百円もするJAの苗。

家で苗床、苗代をするなら安く済むのだが、50枚程度なので発注している。

これが100枚から150枚もなるようであれば、考えどころ。

穴の開いていないシートを敷いて購入した苗箱を並べる。

幌を被せてからはじっと我慢。

霜はもう降りてこないのか、確実的になってから幌を開ける。

井出から上流は電動ポンプで掻い出す田んぼ用の水。

風雨、天候によって雨量は変化する。

一定量にならない天水田(てんすいだ)だけに頼ることなく、水がある水路にパイプを引いて電動の揚水ポンプの力を借りて水を揚げるということだ。

苗の成長具合よって水やりをするが、水やりはたいへんやから揚水に頼る。

そういうことだろうか。

5月の末までは水やりをしているという婦人の話しである。

立ち話をしている間にあっという間の夕闇。

ちょっと待ってね、と云われて急ぎ足で動き回る奥さん。

家の奥にも、畑のあそこにも動き回っては運んでくれる自家栽培の野菜類。



キャベツ、レタスに、キクナ、カラシナ、葉バナ、ほうれん草、三つ葉、ブロッコリー。



しかもコゴミまで摘んでくださった。

一挙に、しかも大量にこんだけもいただいた新鮮な生野菜はありがたく頂戴して帰ることにした。

(H29. 4.16 EOS40D撮影)
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野依・仏母寺の数珠繰り涅槃会

2018年02月02日 09時14分53秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
宇陀市大宇陀野の大字野依。

この月の村行事は仏母寺で行われる数珠繰り涅槃会である。

6年前の平成23年3月15日に訪れたときに拝見した「アワメシ」の在り方に感動したものだ。

涅槃会に数珠繰りをされたのだが、その際に掲げられる掛図が御釈迦さん入滅を表現した涅槃図である。

祭壇に盛っていたのは、飯に挿して立てていた一膳の箸である。

葬送の儀礼にそうしている地域も少なくはない葬送の儀礼にそうしている地域も少なくはない。

私の故郷である大阪の南河内郡河南町にもあったことを覚えている。

同じ形式を「マクラメシ」と呼んでいたのは桜井市瀧倉。

拝見した行事は「鬼の葬式」の名で呼ぶ村行事だった。

平成21年3月3日限り
の行事だったように記憶する。

箸を立てた「マクラメシ」を膳盛る。

その膳には「死花(しか)」と呼ぶ大根に挿した幣もあった。

数珠繰りはかわらずされていると思ってはいるが、果たして「アワメシ」は。

また、涅槃会に念仏を唱える数珠繰りを終えて大量に撒かれる涅槃の団子撒きも気になっていた。

翌年の平成24の3月14日に訪れた涅槃の団子搗き。

できあがった丁度に寄せてもらったことがある。

野依の年中行事は大幅に改正されると聞いている。

手間のかかる部分は極力省いていこうということだ。

もしかとすれば涅槃会に撒かれる団子も消えるかもしれない。

最後になるのであれば、記念の記録と思って訪れた。



先に拝見したのは床の間に飾った涅槃の掛図。

その隣には三つの木樽に盛り込んだ涅槃の団子。

びっしり埋まっている。

いつもの年と同じように前日の14日に搗いた団子はまん丸い。

平成23年に拝見したときの団子の量は木樽が十もあった。

作業の手間、時間を少しでも負担減として3割に減らした涅槃の団子であるが、実は違っていた。

燭台も調えた場には気になっていた「アワメシ」もあった。

この年も同じように一膳の箸を立てていた。

「アワメシ」は蒸した米で作った粟飯。

黄色い粟粒が見えるだろうか。

涅槃さんの御供は例年が一緒ともいえないようだ。

この年はニンジンにシイタケだった。



お供えは観音さんを安置した仏母寺だけでなく氏神さんを祀る白山神社の他、本社殿下の愛宕社、弁天社や庚申堂などにも供える。



野依に庚申講もあるが、そういえばヤドの家で庚申さんの掛図を掲げて講中が集まる営みは話しに聞いていたが、この庚申石仏にはどのような形式で営みをされているのだろうか。

そんなことを思い出して僅かに朱の色が残る庚申さんに手を合わす。



忙しく動き回って供えていた大頭と小頭もひといきついてから始まった涅槃会。

これまで私が拝見したときの導師は先生だった。

仏母寺行事の観音講の寄り合いのときもそうだったし灌仏会も・・・。

この年は入れ替わりがあったのか存知しないが若手になったようだ。



ローソクに火を点けて、涅槃さんに手を合わせる。

そうして始まった般若心経は三巻。

それと同時に繰り出す数珠繰りに般若心経が流れる速度とともに・・。



調子は割合早めである。

心経を唱えるだけでは、と思ったのか、隣に婦人が横についておりんを打つ。

長い数珠を繰るのはもう一組ある。

お部屋を半分ずつ分けて2組目は心経を唱えている間に入れ替わる。

入れ替えるのは数珠であって場は替わらない。

座敷手前に座っていた人たちはどちらかといえば女性に子どもたちだ。



にこやかな表情で数珠を繰る姿に萌えてシャッターを押す。

三巻の心経を終えたら数珠繰りも終える。

〆にいただく涅槃の御釈迦さんに供えた「アワメシ」。

お椀ごともった小頭の奥さんが少しずつ箸で摘まんだ「アワメシ」は、手を広げた村人にさしあげる。



いわゆる御供下げであるが、箸は「アワメシ」に立てていたもののようだ。

手で受けていただく供物の「アワメシ」はありがたく頂戴する。

その形式は県内各地の何カ所かで見られるテゴク(手御供)の形である。

数珠などを片づけてこれより始まるゴクマキ。

涅槃の御釈迦さんに供えた涅槃の団子を撒く。

室内両側の障子扉を開けたところに位置した御供撒きの人。

マツリに着用する法被に着替えて座敷に座っている村の人たちに向けて撒く。

両手に盛った団子はまん丸い。

転げそうになって手から毀れそうにもなる。

そこんとこは上手く纏めて放り投げる。

天井まで届くことのないように配慮しながら撒いていく。



座敷にころころ転がる団子を拾いまくる。

ころころ転がせるように撒く優しい人もいる。

右や左から、果ては後ろからも転げてくる団子を捕まえるのに這いつくばる人もいる。

団子争奪戦にカメラの視線はあっちこっちに振り回される。

ふと、気がついた。

団子撒きをする人それぞれに木樽がある。

数えてみれば六つもあった。

涅槃さんに供えるのは少なくして残りは廊下に置いていたようだった。

それはともかく、実に愉しい団子撒き。

大人も子供もはしゃぎまわる。

これでもかと思うほど撒いた団子。



まだまだ木樽子どもたちにはもっと優しく差し出す袋の中に入れてあげる。

こうして涅槃会を終えたらごーさん札を貰って帰る。

特に必要な人は農家さん。

苗代に立てるごーさん札は苗がすくすく育つように豊穣を願う。



このごーさん札は、大晦日の夜中から社務所に籠った大頭、小頭が版木で刷ったものだ。

刷る時間帯は元日の朝だときいているごーさん札の正式名称は「降三世」のお札だと以前に聞いたことがある。

元日に刷ったお札は、3月1日の祈年祭に奉られて祈祷される。

そして、この日の涅槃会で授与される。

何人かの人が授与された「降三世」のお札はいつ苗代に立てているのか。

受け取った人がいうには特に決まりはないそうだ。

例年は4月10日ころにするから、そのころになれば前もって電話をすると云ってくれたTさんにすがるしかないのだが・・・果たして

(H29. 3.15 EOS40D撮影)
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