マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

伊賀市・下阿波の民俗

2018年06月10日 09時18分36秒 | もっと遠くへ(三重編)
体験する食事会にもてなしのフキダワラに同席させてもらった三重県伊賀市下阿波在住のM家。

ありがたいことに田植えを終えた田圃の一角にフキダワラを供えてくれた。

形式だけでも記録させてくださいと願った取材に応えてくださったのが嬉しい。

そのM家の屋内にある神棚に珍しい形の注連縄を飾っていた。

大黒さんを祭っているという神棚に、である。

その注連縄は「ウマ」と呼んでいる。

「ウマ」はご近所に住まいする老人が藁で作っていたという。

その「ウマ」は買ったもの。

年神さんを祭る注連縄に「ウマ」があった。

奈良県内ではたぶんに、この形を見ることはないだろう。

この注連縄が「ウマ(馬)」であると紹介されていた本がある。写真家Kさんが、この年の平成29年の暮れに「この本、凄くない」と手渡されて読み始めた本である。

尤も写真が多いから、見るに読むであるが・・。

凄い本は、平成29年11月に工作舎より発刊された『しめかざり—新年の願いを結ぶかたち―』。

著者は香川県生まれの森須磨子氏。

グラフィックデザインの仕事を続けながら、年末年始は全国各地へ出向いて、調査探訪するさまざまなしめ飾りの形態。

20年間も探訪し続けて収録したしめ飾りの写真のすべては著者の撮影。

取材もすごいことだが、収集力もすごい。

とらえたしめ飾り映像が眼前に迫ってくる。

集めたしめ飾り標本は、なんと400点も。

そのすべてを載せているわけではないが、それでもむちゃ多い。

蒐集されたしめ飾りは「かたち」別に分類され、それぞれに解説を入れている。

現地で聞取りした生の声というのも嬉しい書物。

「かたち」は宝珠、打出の小槌、松竹梅、鶴、亀、宝船、俵、ちょろけん、海老、蛇、椀、杓子、馬、鋏、鶏、正月魚、縣の魚、鳩、眼鏡、蘇民将来、お顔隠し、七五三縄、おっかけ、玉飾り系、牛蒡じめ・大根じめ系、前垂れ系、輪飾り系などを27分類。

多数の実物しめ飾りをもってこれほど整備した人は見たことも、聞いたこともない。

ただ、私が知らないだけなのか・・。

とにかくすごい人が凄い本を出版された。

『しめかざり—新年の願いを結ぶかたち―』に掲載された「馬」の形とほとんど同形態だったのが、M家の「ウマ」注連縄である。

それもそのはず、森須磨子氏が著書に載せた「馬」の蒐集先が三重県伊賀市だった。

森氏はキャプションに「馬」注連縄を「トシガミ様の乗り物」と紹介していた。

また、蒐集された「馬」注連縄を作っていた人は80歳を過ぎた職人さん。

もしかとすれば、M家が買った人と同一人物である可能性が高くなった。

M家にはもう一つの架けモノがあった。

匂いが臭くなったので捨てたというカケダイだった。

これまでカケダイの民俗は奈良県室生の下笠間で拝見したことがある。

1カ所は地元で今でもカケダイを作って、馴染みのお客さんに売ってきた宮崎商店のMさん。

もう1カ所は同地区にお住まいのI家のカケダイ

Iさんがいうには、地元の宮崎商店で買ったものではなく、三重県名張市まで買い出しして買ったカケダイ。

名張市に年に一度のハマグリ市で売っているカケダイを買っていたと話す。

ハマグリ売りの露天商市は三重県名張市鍛冶町の蛭子神社で行われる八日市祭りにある。

別名が戎祭りである八日市祭りは毎年の2月7日、8日の両日に亘って行われているようだ。

下阿波のMさんは、おそらくこの祭りに出かけて買ったのではないだろうか。

詳しく聞いている時間がなかったので、「馬」作り人を訪ねるまたの機会にしたい。

M家の神棚にあったもう一つの祭具。

Mさんの話しによれば「わくぐり神事」で授かったようだ。

これもまた調べてみれば、三重県四日市の大宮神明社で行われている夏祓い神事の「輪くぐり神事」。

授かった祭具は破魔矢であろう。

(H29. 5.11 EOS40D撮影)
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伊賀市下阿波・M家のフキダワラ御供

2018年06月09日 08時47分46秒 | もっと遠くへ(三重編)
フキダワラの季節には少し早いが、仲間の集まるからと云ってこの日の食事会の主役を飾ったザル盛りのフキダワラ。

これらはもてなしの食事用である。

食事を済ませて、これから田植えを終えている一角に供えるために作るフキダワラ。

Mさんは蕗の葉を慣れた手つきで漏斗状にして炊いた大豆ご飯を詰め込む。

三つ作ってボール型のザルに盛った。

それを抱えて田んぼにでる。

土手より下ったところにコンクリート造りの水路口がある。

そこはいわゆる水口にあたる処。

縁に置きましょう、と云われて供えたシーンを撮らせてもらった。



念願叶ったフキダワラ御供の記録撮影である。

この日、特別に実施してくださったMさんに感謝申しあげる。

ところで、取材させていただいた女性のうち、一人がこの日のことをFBのトモダチらに伝えていた。

なかでもお一人が反応された。

それは伊賀市霧生の地で高齢者が“さぶらき”と称して昔にしていた様子を再現、伝えるものであった。

「それはサブラキ・・・田植え前の儀式。煎り大豆をご飯に炊き込み。蕗を摘んで準備する。大豆ご飯を握って黄金の稲穂をイメージしたきな粉をトッピング。蕗で包む。蕗のスジで上を縛ったら完成。いざ田んぼへ。田の神様に祈りを捧げ、直会として共に食し、みんなで田植え・・・豊穣の秋となりますように」と結んでいた。

それを「サブラキ神事」だというが、アップされていた動画を拝見してなんとなく真似事的創作イベントのように思えたが、どうだろうか。

(H29. 5.11 EOS40D撮影)
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伊賀市下阿波・もてなしフキダワラ作りの体験学習食事会@園飯

2018年06月08日 08時43分13秒 | もっと遠くへ(三重編)
今年も相も変わらずの水口参りに遁走している。

奈良県内の事例を求めて各地域を駆け回る。

山間では4月初めにする地域もみられるが数は少ない。

多くみられるのは盆地部の平坦である。

早い処では4月半ばという地域が多いが、最も多くされている時期は4月末から5月初めの連休のころ。

世間の人たちは遊びにでかけるGWであるが、農村はこの時期に焦点を合わせているかのように集中している。

例年は見られても再訪してみればやむを得ない事情で止めた処もある。

地域の都合ではなくお家の事情である。

その状況は常に見ておかなければならないと奈良県内各地を走り回っては白い幌を被せた苗代を探す。

そのころの時期の山間部は田植えが始まっている。

それも東山中にあたる地域でしかみられない田植え前の農家の儀式がある。

儀式といっても大層なことでない。

田植え機を入れて始めて田植えをする場にウエゾメ(植え初め)と呼ぶ儀式である。

地域、或はお家によって供え方は異なるが、これまで拝見してきたウエゾメにフキダワラを供える処がある。

田植え始めの場に12本のカヤを挿すとか、クリの枝木に幣を垂らすとか。

地域によっては初祈祷でたばったお札を立てるという地域もある。

また、すべての田植えを終えたときの在り方もある。

いわゆる植え終い(※仕舞いとも)である。

田植えに残しておいた苗さんである。

その苗を手にしてサシナエをしている人はよく見かけるが、残った苗さんをオクドサンに供える処がある。

そのときにもフキダワラを作って供えるお家がある。

また、田植え作業の休憩中に自宅で作ったフキダワラを食べることがある。

かつてというか、今では想像しがたい農作業中における小腹を満足させるケンズイ(間食)時間帯のフキダワラ喰い。

藁紐で括って腰にぶら下げて田んぼに出かけたと話す人もいたが、いずれも高齢者である。

近年、数か所においてその記録を録ってきた。

今ではしていないが、高齢者の記憶は文字で記録してきた。

昨年に状況を調べた結果は・・辛い現状である。

今年もそうであるのか現地を訪れる。

やはりである。

この日の午後は天理市の山田町(上山田・中山田下山田)から山添村の北野のフキダワラ探し。

昨年に拝見した天理市山田町の下山田

一軒のお家がしていたフキダワラはない。

ないどころでない。

例年していたハウスは荒れ放題。

廃れるどころか田植えもしていない現状に危機感を覚える。

大字北野はもちろん、ない。

訪ねた大字大塩の住民は奥さんが緊急入院でそれどころではない状態だった。

隣村の大字箕輪在住の女性は昨年までしていたという。

身体が思うように動けなくなったというのが理由である。

一年早ければ、と悔やまれるが、部外者の私が口にするわけにはいかない仕方のないことである。

平成2年11月に月ヶ瀬村(現奈良市月ヶ瀬)が発刊した『月ヶ瀬村史』にフキダワラのことを書いてあった。

大字の石打、尾山、長引の神社では苗代祭や種蒔祭を行っている。

旧月ヶ瀬村は三重県寄りの村落。

北に向かえば京都の南山城が近い。

米の豊作願いに収穫を感謝する行事は新年祭(祈年祭)から始まって収穫感謝祭(新嘗祭)で終える。

神社行事と連動するかのように農家自身で行われてきた家の習俗行事がある。

さびらきの名で呼ばれる田の植え初めの行事。

そのさびらきにフキダワラを田んぼで食べて祝った。

フキダワラは煎り豆のご飯をフキの葉に包んだものである。

また、さなぶりの名がある植えじまい(※終い若しくは仕舞い)に茹でたソラマメを食べる。

稔った稲を刈り終えたときも行事をしていた。

稲刈りに要した農具を祭るのである。

農具はカマ、ナタ、ノコギリなど。

それら纏めて箕に並べて炊いたセキハン(赤飯)を一升枡に盛って供える。

その場に供えて燈明を灯した。

いわゆる刈りじまい(※終い若しくは仕舞い)とか、カマ納めと呼ばれる儀式である。

大和郡山市の田中町の農家はこれを「カリヌケ」と呼んでいた。

収穫後には二股のダイコンと煎った大豆をえべっさん(エビス天)に供えるところもあったそうだ。

そこで思い出したのが奈良県ではなく、三重県である。

山添村からまっすぐ東へ名阪国道を走る目的地は三重県の伊賀市下阿波である。

昨年の平成28年8月17日にBSで放送されたBS-TBS放送の「美しい日本に出合う旅―三重で歴史散歩―家康と伊賀忍者の里・絶景の滝めぐり」という番組である。

サブタイトルに惹かれたわけでもない三重県の美しい日本にどういう出会いがあるのか、少しだけ興味があったので録画していた。

朝食時間の合間に見る録り溜めたビデオ映像。

その日の気分で録画した番組を決める。

この放送を見たのはずいぶん後だ。

1、2カ月も経ってからのことだったと思う。

何気なく見ていた番組に突然現れたフキダワラ。

出演している女性は煎った大豆を入れたご飯を炊いていた。

付近にあるフキを採ってきて茎軸の筋を引いていた。

何本かの筋を引いていた。

その様子は私のおばあさんもそうしていた。

ずいぶん前のことは記憶の片隅に残している。

私の子どものころの様子であるが、たぶんに私もしていたような気がする。

引いていた手が黒くなることを知ったのはそれから十数年も経ったころである。

引いた筋だけを残して本体の茎は取ってしまう。

フキは佃煮にしていたことも記憶にある。

おばあさんか、おふくろが煮ていたのか、それまでは覚えていないが味は記憶にある。

はっきり言って旨くない。

子どもの口には合わなかったが、いつしか大人になるにつれ旅の宿でだされる料理で味わうようになった。

山野草の味を覚えたのは信州、岐阜、或は福島などで泊まった民宿だったと思う。

それた話しは戻しておこう。

炊きあがったアツアツの煎り大豆入りのご飯をロート状にしたフキの葉に入れる。

一旦は椀に盛って、それをロート状にして持ったフキの葉に押し込む。

葉は全体を包み込むように端っこを絞る。

絞った先をフキの茎を引いた何本かの紐をくるくると巻いて締める。

形は丸い。

これまで私が拝見してきた奈良県のフキダワラにない形である。

フキダワラはその名の通りに「俵」型。

米俵を意識した包み方である。

俵型に握ったおにぎりもそうだが、どちらも豊作を願った形である。

地域によっては俵型でなく他のにぎり方。

フキダワラも同じように他の包み方。

その差は地域だけでなくお家の在り方によっても違いがでる。

決して誤りではなく、それもまたそこにとっては正統なのである。

フキダワラを作った女性は田植えを終えてすくすくと育った田んぼに向かう。

丸い型のザルに盛ったフキダワラは数個を選んで藁製のサンダワラに盛った。

その場で手を合わせて拝んでいたことからさぶらき、若しくはさびらきの作法であろう。

名称もまた地域差はあるが、いずれも農家における田植え初めの儀式である。

番組ナレーターが伝える言葉は「伊賀の郷土料理はお供え物。伊賀の里山で食べるご飯を紹介する」であった。

こうした一連のフキダワラの映像に喰いついた。

地区場所はテロップに表示された「三重県伊賀市下阿波」。

その地のどこかに住んでおられる女性を求めて車を走らせる。

山添村からおよそ40分弱。

カーナビゲーションにインプットした下阿波へは川沿いの県道163号線を走る。

ビデオ映像の景色は山間部辺り。

そう思って車を走らせる。

カーナビゲーションが指示したルートは村中の狭い道。

集落は目と鼻の先にあるが、狭くて車が入れない。

軽自動車であっても入れなさそうな道は不入の道である。

ゆるゆるバックして県道に戻った。

すぐ近くに二人の婦人がおられたので集落並びにフキダワラのことを聞いてみた。

そこは下阿波でもあるが、須原(すはら)の地。

80歳代の婦人がいうには子供のころの記憶。

キナコ飯を包んだフキダワラは午前10時に午後3時のケンズイ(間食)のときに食べていた、であった。

探してみても、今どきそんなことをしている人はおらんやろ、という。

そりゃそうである。

80歳代であれば子どものころは70年前になる。

継いでいる家はみられないという。

下阿波の集落はそこより少し戻った地。

県道を挟むように民家がある。

そこで尋ねてみては、と云われていくがどなたもいない。

たまたま来られたのは年老いた婦人と娘さん。

コイン型精米所に米袋を運んで精米する。

その人たちにも声をかけて聞いてみた結果は・・。

高齢の婦人が云うには娘はすることないが、かつておばあさんがしていたという。

本人も継がなかったが、おばあさんはフキダワラに包んだご飯を美味しそうに食べていたそうだ。

フキダワラを作っている人であれば料理好き。

〇〇さんかもしれないと云われて探してみる。

服部川に架かる橋を渡って真っすぐ。

どんつきを左折れしたら神社がある。

そこよりすぐ近くにある家を訪ねたらテレビに出演されていた婦人が家から現れた。

都合、ここまでやって来た経緯を伝えたら驚きの様子。

なんでもそのテレビ出演の前にも出たことがあるという。

番組はタレントが日本国じゅうの民家を巡って、お家の方が作った料理をよばれるBS-ジャパン制作の「トムさんの田舎のごちそう」という番組だ。

奈良県では奈良テレビ放送でたんまに放送していたので見覚えがある。

女性がこの番組に出演されたときもフキダワラがテーマ。

昔ながらの「野上がり食」に食べていたフキダワラを平成25年6月23日の放送に出演していたそうだ。

この年の田植えは訪れた2日前の5月5日にされた。

蕗の葉はまだまだ若い。

熱々のご飯を包んだら破れてしまうからしなかったという。

この日の自宅に生えている蕗の葉の状態を見ていわれた。

これならなんとかできるであろうということで数日後の11日を設定された。

その日は彼女の女性友だちが来訪する。

それに合わせて友だちに作り方を教えてあげようということで日にちが決まった。

そしてその日がやってきた。



先に到着したのは私だった。

この日のもてなしフキダワラ食事会のプレゼンターは主催者のMさん。

おもてなしを受ける人たちはMさんが繋げるFBトモダチ。

そのオフ会も兼ねているという。

この日のために考えてくださった献立メニューは4品。

お品書きを見せてくださる、1.フキダワラ、2.春野菜のハーブパン粉焼、3.みょうが芽のおよごし、4.ぎぼうし茎の炒め物。



“およごし”は聞き始めの言葉。

長野県の方言でゴマ和えのこと。

ゴマ和えは胡麻で汚すことから胡麻の“御汚し“の名が付いたと教えてくださる。

汚すというマイナス用語に”御“を付加したように思える”およごし“。

例えば”おつりがくる“の”釣り“に”御“を付けるのと同じように思える。

長野県がご出身のMさん。

長野県の上田高校に通っていたという。

ご縁があって長野県から遠く離れた当地に住まいされてさまざまな活動をされているようだ。

ちなみに先に簡単説明してくれた4品の料理ポイント。

フキダワラは煎った大豆を入れてご飯を炊く。

ご飯を蕗の葉で包む。

春野菜のハーブパン粉焼はパン粉を塗してオーブン焼き。

スナップエンドウやニンジン、ジャガイモ、パプリカ、アスパラに帆立のワイン塗しにパセリ、バジル、ニンニク、チーズ、塩、胡椒で味付けする。

茗荷芽のおよごしは茹でが決め手。

ぎぼうし茎の炒め物は塩揉み。

塩の量に揉み加減で味を決めるなどなど聞いているうちに、今日は素敵な日になりそうだと思った。

FBのトモダチに繋がる人たちは3人の若い女性。

伊賀市や名張市で有機農法をしている人たち。

お部屋でしばらく待っていたらやってきた。

取材に寄らせてもらっているゆえ3人に自己紹介。

本日の取材の主旨を伝えてご一緒させてもらうが、撮影は極力、お顔を写さないように最大限の努力をする。

本日の献立に料理をする材料集めがある。

ご自宅周辺にある食材を採取する。

本来、どのような土地に生えているのか、どういう具合に育っていくのか、自然農法に目覚め、学習されてきた女性たちに、教えもするMさん。

勉強は目で見るだけでなく、自らの手で触って感触を確かめ、場合によっては生の味も・・。

本日の料理はだんどりがある。

料理に詳しいMさんが若い女性に伝える場でもある。



まずは綺麗な大豆を選り分けする選別作業。

カメムシが齧った痕は黒くなる。

農薬を使わずに育てた自家製大豆だからカメムシも齧る。

つまりは虫も美味しいということ。

カメムシが若いとき、育ってきた大豆の汁を吸う。

その痕跡がある大豆は不味いという。

色具合で除ける。

薄い緑色の大豆は除外する。

細かいところだが、微妙な色具合で選別するには時間がかかる。

農薬を撒けば、それはラクであるが、無農薬大豆の選別作業は5倍の時間がかかるそうだ。



ちなみに老眼の私の目でははっきり認識できないが、ぐっと近づいたらその違いがよくわかる。

選別作業に並行して次の作業にも取り掛かる。

お米も自家生産。

一般的な炊き方と同じようにお米の量と適量の塩に水加減。



選別した綺麗な大豆をフライパンで煎る。

少し煎った大豆は軽量して炊くご飯の量に合わせて、再度煎る。

適当に木のしゃもじで混ぜて火を通す。

黒くなる手前で火を止める。



パン粉をボールに落してパセリ切り。

鋏で切って細かくする。



オリーブオイルを垂らして混ぜる。

一方、ざく切りしたニンジンとジャガイモは小鍋に入れて下茹で。

あっちもこっちもいろんな作業があるからカメラマンは忙しく動き回る。

その都度、メモにする調理方法も、である。



煎った大豆と云えば炊飯器のお釜に沈んでいる。

若干ぷかぷか浮く大豆は実が少ないから除けておく。



エクストラバージンオイルを混ぜたパセリ混ぜパン粉に生の帆立も入れて、次はお外に出て生野菜の収穫移動。



ぷっくら膨らんだスナップエンドウを採取する。

手で摘まんだだけで採れる。



私の大好きなスナップエンドウ。

この時期になれば道の駅とかで売っているから見つけては買ってくる。

調理はかーさん任せ。

私は食べる専門でいただくスナップエンドウ。

食べ方といえば塩は無用のマヨネーズオンリー。

噛んだらぶちゅっと飛び出す甘い汁。

皮も甘いし、発泡酒が実に美味しく飲める。



真っ赤な苺も収穫。

採れたて苺はデザートに・・。

持ち帰って調理を続行する春野菜のハーブパン粉焼。

下茹でしたニンジンとジャガイモにパプリカ。

見た目で美味しさが伝わる艶々の帆立。



その上にパラパラと落とすスナップエンドウは水洗いしておくが、忘れてならないスジ取りである。

生で食べても美味しいスナップエンドウ。

甘さがわかる。

生で食べて美味しければそうする。

茹でて美味しければ茹での料理。

炒めて美味しければそうする。

まずは自分の口で確かめて料理法を決める、というMさんの食育指針である。

春野菜のハーブパン粉焼は下にパセリ混ぜのパン粉を敷いた。

今度は上からも振りかける。

覆いかぶせるようにパン粉を落とす。



適当な長さに切ったアスパラやあしらいのプチトマトも盛ってバージンオイルをたっぷりまんべんなく落とす。



そうして最後に市販のとろけるミックスチーズもたっぷり盛る。

料理はこれで終わりでなく高性能のオーブン焼き。

焼きは機械任せ、である。

再び外に飛び出して山菜の収穫。

ご自宅周りに自生する茗荷の新芽にぎぼうし茎と蕗の収穫である。

ニョキニョキとこんなに新芽が出ているのは初めてだ。



曲げて、ポキッと折れるところがある。

ポキ、ポキと折って収穫する茗荷の新芽。

こりゃ美味いだろうな。

次はぎぼうし茎。

花の咲く時期はまだまだ。

初々しい葉の色であるが、料理に使うのは茎の部分。



これもポキっと折れる。

ワラビもゼンマイもそうだが、ポキッと折れる箇所が採れ位置。

それを知らずに根っこ辺りまでぐぐっと無理やりする人もいるが、いかに自然慣れしている、していないかの極みの別れ道。

近年、道の駅によく売られるようになっているが、どのような土地に生えているか出かけて探ってみるのが近道。

生えている土地が平たんなのか、それとも斜めなのか。

乾燥地か湿地帯か。

陽当たり、日陰に半日陰。

生息地周辺にどのような植物が植生しているか。

そういったことを現地で学習するのが大切だと思っている。

ただ、ときおりニュースに出る誤った認識で、或いは見間違い、判断誤りなどで食害事故に遭う情報にいつも困惑してしまう。

Mさんはしっかりとした見識をお持ちだし、経験も豊富である。

長野県ではぎぼうしをコウレッパと呼ぶ。

春の山野草の王者の一つにウルイがある。

これもまたぎぼうしの仲間のオオバギボウシ。

懐かしいと云えば嘘になるが、私は山野草がたまらなく好きである。

30歳前後のころからはまった趣味の一つ。

美味しいものがどこら辺りに自生しているか探しまわったことがある。

ただ、ウルイは東北地方に見られる山野草。

ネガマリタケも食べてみたいが、その地方まで出かけないと食べられないのが悔しい。

ちなみに私の山野草熱は市内で行われていた自然観察会の参加が発端。

学習本は市販の本。

1冊は昭和58年4月に主婦の友社が発刊した『山野草カラー百科』。

もう1冊は平成元年に日本放送協会が発刊した『別冊NHK趣味の園芸―山野草ハンドブック―』。

他にもシュンラン、カンランが充実していた山野草本をもっていたが、未だ行方不明。

どこに雲隠れしたやら、である。

セリの葉っぱにとてもよく似ているチャービルもあるという。



食の情報を教えながら大きな葉になった蕗の葉も採取していた。

両手では抱えられなくなった大量の収穫山野草に思わず笑みが毀れる。

お部屋に戻って再び調理に移る。



ぎぼうしも蕗も水洗いする。



ぎぼうし茎はさらに塩揉みをしておく。

茗荷は鍋で湯掻いておく。



そろそろ下準備ということではじまった蕗の茎の軸の筋取り。

蕗の茎を手にもって葉を下に。

茎の折口からちょっと摘まんで筋を指先掴み。

そのままざっと下ろす。

葉の付け根のところで停止する。

取った筋は切らずにそのままにして下に垂らす。



何本もの筋ができあがる。

こういう具合にして作ると若い女性たちに実演で示すお手本学習。



何枚もしていくうちに慣れて、手際も良くなる。

何枚かの蕗の軸取りをしている間に茗荷が茹で上がった。

湯気の上がった茗荷が美しい。

一方、茗荷の胡麻和えに欠かせない胡麻摺り作業。

昔懐かしいすり鉢にすりこ木。

ゴリゴリ、ゴリゴリと胡麻を摺って潰せば香ばしい匂いが立ち上がる。



汁気がでたところで湯掻いた茗荷を投入する。

ここからはお箸の出番。



混ぜて、混ぜて胡麻を和えてできあがる。

丁度そのころに炊きあがった大豆ご飯。



炊飯器の蓋を開けたら、まるで大豆の海である。

しゃもじで掻き混ぜて、これまたできあがり。



あとは蕗の葉に包むだけだ。

蕗の葉の軸取りは順調に捗っていた。

何枚も重ねた蕗の葉に細い軸の皮を付けたままの状態。

芯となる柔らかい茎は切りとって他の料理に使う。

ここからがフキダワラ作りの本番。

蕗の葉の中心部。

利き腕が右手の人は左手。

手のひらを広げるのではなくげんこつ。

ぐっと握りしめるのではなく、そっと広げる。

ぽっかり口があいたような感じ。

そこに蕗の葉の中心部を入れて窄める。

写真ではわかりやすいが、文で説明にするのはとても難しい。

要は蕗の葉を漏斗状にしてご飯を入れる壺のように形作るのだ。

壺口はやや広い。



広げた口に予め茶碗一杯に盛っていたアツアツの大豆ご飯をそっと落とす。



蕗の葉の大きさもあるからそれほど多くない量を窄めた蕗の葉に詰める。



そうして蕗の葉を丸めて包み込むように萎める。



葉の縁を寄せるような感じで萎めて、皮を削いだ軸片を紐代わりに結ぶ。



外れないように内に通して、一丁できあがり。

軸取り作業は皮を引いて剥ぎ取った紐状のもの。

大豆ご飯を包んだフキダワラがバラバラにならないよう括る道具であった。

M家で作られるフキダワラの形は丸っぽい茶巾袋のようである。

ところが、である。

2カ月もすれば第一子誕生予定の女性が云った言葉。

私の記憶にあるのは俵型。



たしかこんな形やったと思うといって実験的にそうされた。

私が奈良県内で拝見してきたフキダワラはまさにその形。

フキダワラはその名前の通り“蕗で作った俵”である。俵は米俵を模している。

つまりは豊作を願った形である。

三重県名張市にある「名張近鉄ガス」が料理教室で紹介するフキダワラ作りがある。

その形は俵型でなく茶巾袋型である。

三重県では田植えの農耕神事に供えられてきた蕗俵(フキダワラ)として紹介している三重県の郷土料理の一つである。

ほんのちょっと間で作り方を覚えた女性たちの手造りフキダワラ。



大きなザルに形を調えながら盛っていく。

六号の分量で炊いた大豆ご飯。



数えてみたら30個にもなったフキダワラの姿がとても魅力的に見える。

オーブンで焼いた春野菜のハーブパン粉焼ができたし、キンピラ風に炒めたぎぼうしにみょうが芽のおよごしも。

予定していたお品書き料理のすべてができあがった時間帯は午後1時。

できあがったご馳走は山小屋風のお家でよばれる。

3人の女性たちの満足なお顔で伝わる料理の美味しさ。



蕗の葉の香りがすごく良い。

アツアツの炊きたてご飯だから、蕗の葉の香りがより一層わかる。



三重県の郷土料理にあがっているフキダワラをメインに据えたこの日のもてなし食事会は大盛況。

ぎぼうしはアゲサン(油揚げ)と塩麹で炒めたもの。

美味いと一言。



茗荷は初春の味。

旬の味わいを新芽で味わうとは思ってもみなった。



オーブン焼きの春野菜ハーブパン粉焼きは美味すぎる。

特別にMさんが作った料理にピクルス漬けがある。



タケノコ、ニンジン、蕗の茎、黒豆は贅沢な一品。

デザートにこれまた自家栽培の苺。



無農薬の苺はとても甘くて美味しかった。

ゆったり寛がせてくれたもてなしの会を銘々しておこうと決まったその会名は「園飯」。

読み名はそのまんまの「そのまんま」に思わず拍手。

上手いこと名付けたものだと感心した。

(H29. 5.11 SB932SH撮影)
(H29. 5.11 EOS40D撮影)
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伊賀市下阿波のフキダワラ調査

2018年05月27日 08時28分09秒 | もっと遠くへ(三重編)
午前中いっぱいは奈良市米谷町で行われていたノヤスミのタケノコ飯を取材していた。

午後に訪れたのは奈良県でなく、三重県である。

米谷町は旧五ケ谷村。

名阪国道にはすぐ入れる地。

そこより福住、そして針。

まだ先の山添村からまっすぐ東へ名阪国道を走る目的地は三重県の伊賀市下阿波である。

平成28年8月17日にBSで放送されたBS-TBS放送の「美しい日本に出合う旅―三重で歴史散歩―家康と伊賀忍者の里・絶景の滝めぐり」という番組があった。

サブタイトルに惹かれたわけでもない三重県の美しい日本にどういう出会いがあるのか、少しだけ興味があったので録画していた。

朝食時間の合間に見る録溜めのビデオ。

その日の気分で録画した番組を決める。

この放送を見たのはずいぶん後になってからだ。

1、2カ月も経過したころだったと思う。

何気に見ていた番組に突然現れたフキダワラ。

出演している女性は煎った大豆を入れたご飯を炊いていた。

付近にあるフキを採ってきて茎軸の筋を引いていた。

シーンが替わってフキダワラの形になっていた。

女性は田植えを終えた田んぼに向かう。

丸い型のザルに盛ったフキダワラ。

中から数個を選んで藁製のサンダワラに盛った。

その場で手を合わせて拝んでいたことからさぶらき、或はさびらきの作法であろう。

名称もまた地域差があるが、これは農家における田植え初め儀式、若しくは田植え終わりのさなぶりであるかもしれない。

番組ナレーターが伝える言葉は「伊賀の郷土料理はお供え物。伊賀の里山で食べるご飯を紹介する」であった。

こうした一連のフキダワラの映像に飛びついた。

場所はテロップに表示された「三重県伊賀市下阿波」。

その地のどこかに住んでおられる女性を求めて車を走らせる。

山添村からおよそ40分弱。

カーナビゲーションにセットした下阿波へは川沿いの県道163号線を走る。

ビデオ映像の景色は山間部辺り。

そう思って車を走らせる。

カーナビゲーションが指示したルートは村中の狭い道。

集落は目と鼻の先にあるが、狭くて車が入れない。

軽自動車であっても入れなさそうな道は不入の道である。

ゆるゆるバックして県道に戻った。

すぐ近くに民家があった。

二人の婦人がおられたので、下阿波集落ならびにフキダワラのことを聞いてみた。

そこは下阿波でもあるが、須原(すはら)の地。

80歳代の婦人の子供のころの記憶である。

キナコ飯を包んだフキダワラを午前10時と午後3時のケンズイのときに食べていた、という。

探してみても、今どきそんなことをしている人はおらんという。

そりゃそうだろう。

80歳代であれば子どものころは70年前になる。

継いでいる家はみられないという。

下阿波の集落はそこより少し戻った地。

県道を挟むように民家がある。

そこで尋ねてみてはと云われていくがどなたもいない。

少し広い場で待っていた。

来られたのは年老いた婦人と娘さん。

コイン型精米所に米袋を運んで精米をし始めた。その人たちにも声をかけて聞いてみた。

結果は・・。

高齢の婦人が云うには娘はすることないが、かつておばあさんがしていたという。

ご本人は継がなかったが、その当時のおばあさんはフキダワラに包んだご飯を美味しそうに食べていた、という。

フキダワラを作っている人であれば料理好き。

あの人かもしれないと云われて探してみる。

服部川に架かる橋を渡って真っすぐ。

どんつきを左折れしたら神社がある。

そこよりすぐ近くにある家を訪ねたらテレビに出演されていた婦人が家から現れた。

都合、ここまでやって来た経緯を話したら驚きの様子である。

取材主旨を伝えたら、丁度いいという。

四日後の11日にお友達を呼んでもてなし料理の一つにフキダワラを作るという。

田植えはこのGWに期間中に済ませていたが、良ければ、それを拝見したテレビ映像と同じようにしましょうか、という返事に嬉しさがこみ上げる。

ここまで来た甲斐があった。

帰路につくその前に拝見しておきたい地元氏神さんを祀る神社にお礼の参拝をしておこうと思った。

神社は延喜式内郷社の阿波神社。

延喜式といえば修正会・オコナイで作法される神名帳詠みがある。

神名帳に東海道・伊賀の国に阿波神社

そう同名神社であるだけに神名帳に載る比定社になるそうだ。

四国・徳島の阿波国。阿波国造を務めた息長田別命の子孫が、伊賀の国に移住し、阿波君の祖人である息長田別命を祀ったのが阿波神社とも・・。

社務所か参籠所かよくわからないが境内に併設する建物がある。

看板を拝見したら下阿波小規模多目的集会所の表示があった。

(H29. 5. 7 SB932SH撮影)
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名張市鵜山福龍寺のオコナイ

2013年04月26日 08時34分39秒 | もっと遠くへ(三重編)
午前中いっぱいかけてオコナイの飾りつけを終えた一行は頭屋家で接待料理をいただく。

男の子が誕生した頭屋家の祝いのもてなしだと云う。

子供の誕生がなければ公民館で行われる区長の接待だそうだ。

会食を済ませた人たちは再び公民館に集まってくる。

午後も作業がある。

村人が到着するまでに作るのが「キョウ」である。



型押しして作るキョウのメシは四角。

四隅に僅かな尖がりが見られる蒸しメシである。

「キョウ」を充てる漢字は「饗」。

午前中に村の戸数分を作っておく。



そのうちの一つは風呂敷に包んで氏神さんに供える。

地主神とされる地の神さんこと八柱神社はかつて八王子社と呼ばれていた。

膳に乗せて本殿に供える。

寺行事であっても御供を地の神さんに食べてもらうのだ。

かつては蒸したキョウのメシを一旦は菰に広げていた。



冷ましてから型枠に詰め込んでいたが、現在は炊いた炊飯器からしゃもじでよそって型枠に詰め込む。



「キョウ」の膳には2本のゴボウと角切りのダイコンに水漬け大豆を添える。

やってきた村の人が公民館に上がって席に着けば汁椀とともに配膳する。

汁椀はトーフと乾燥した赤いサトイモの葉っぱを入れた味噌汁。

ダシジャコの香りが漂ってくる。



キョウ作りや接待役は区長と手伝いさん。

午後の時間帯も接待に忙しい。



キョウの膳は食べることなく汁椀をよばれて本堂に上がる。

かつては福龍寺本堂に上がってキョウの膳をいただいていたそうだ。

なお、汁椀については見学者にも振舞われるありがたい鵜山のもてなし。



この年は頭屋の子供も席に着いた。



生まれて間もない赤ちゃんは祖母が抱いて村人たちへのお披露目。

蘇民将来の子孫誕生をみなで喜び合う。

キョウの膳を公民館でよばれたあとは本堂でのオコナイに移る。

オコナイの法要をする僧侶は薦生(こもう)の妙応院住職。

鐘が撞かれて始まりの合図。



この日のオコナイに参集した村人は24人。

本堂がいっぱいになった。

導師の真言読経、般若心経に続くお経の途中で「ランジョー」が発せられると縁にある太鼓(奈良県無山で大正11年に製作 中川祭太郎張替)を打ち鳴らす。

太鼓は本堂廻りの回廊にある。

堂外で鳴らすのであるが扉は閉めたまま。

「ランジョー」の声が聞こえにくい。

ドンドコドンドンと太鼓を打ちながら心経を唱えるは6分間。

ぴたりと止んだ太鼓打ちの僧侶は斎壇に座り直す。

村の人の名を詠みあげる時が流れる。

耳を澄ませてじっと待つこと25分後のことだ。



「ランジョー」が発せられた。

「今だ」と気合を込めてドン、ドン、ドンと叩く太鼓打ちは組長の役目。

わずかに1回の作法で終えたランジョー(乱声)は村から悪霊を追い出す所作である。

2月11日には大般若経の転読法要があると案内される僧侶もほっとした顔つきになった。

福龍寺には六百巻の大般若経が現存しているが法要には使わない。

「奉施主入飯道寺 正和二年(1313)」に寄進された大般若経典。

飯道寺は近江の国。

甲賀郡の経典がなぜに鵜山にあるのか、記録も伝承もない。

昔は経典を納めた箱をオーコで担いで村中を巡ったものだと話す。

また、地主の神さんとされる八柱神社の棟札に「正和六年(1317)」の年代が書かれてあったそうだ。

時代的に一致する大般若経典と棟札が伝わることから福龍寺とともに社殿があったと思われる。

八柱神社は五男三女神を祀り、江戸期には八王子社と呼ばれていたというから牛頭天王社であろう。



こうして長丁場のオコナイを終えた村人たちは祈祷された「大地主神 八柱神社 大御歳神」のお札と「ソミノシソンナリ」の護符を授かる。

大正時代の末頃まではランジョーが発せられるとともにナリバナを奪いあった。

現在は争奪戦にならないようにコヨリクジを引いて当たりのナリバナを背負って持ち帰る。



祈祷札はT字型に切り込みを入れたハゼの木に挿して持ち帰る。



お堂の下ではそれらを受け取る人でいっぱいになるが名前を呼びだしてのことだから争奪戦にはならないのである。



「チバイ」はと言えば生まれたての子供を抱く頭屋と6歳以下の子供(男女)がいる家だけが受け取る印だ。

この年は生まれたての頭屋があったが、なければ区長が代役を勤めると云う「チバイ」はすくすくと育ってほしいという願いがあるようで、神棚に一年間奉って翌年のどんどで燃やすそうだ。



ナリバナを貰って家路につく笑顔の婦人たちの顔は実に嬉しそうだ。

背負った婦人たち表情がなんとも言えない鵜山の風情を醸し出す。



重たいから細かく刻む人や軽トラに乗せる人もいる。

風呂敷に包んだキョウのメシは地主神こと八柱神社のお札をハゼの木に挟んで持ち帰る。

お札とハゼの木は苗代、或いは田植え時の田んぼの畦に挿して、今年も豊作になりますようにと立てる。

ちなみにケズリカケとサラエは今年の頭屋が記念に持ち帰るが、その他の飾りやナリバナの台、ケズリカケ、サラエなどすべてが燃やされる。



かつてはダンジョーの作法を終えると始まった争奪戦。

子供たちも大勢おってサラエやスズメを奪い取ったと云う縁起ものだそうだ。

なお、手伝いにあたった頭屋家親戚のⅠ氏は東大寺二月堂修二会における「香水講」で、12日は神官装束になる泊りだそうだ。

この辺りは鵜山を含める地域(山添村広代など)で香水講の集団があるようだ。

お水取りの際に閼伽井屋に提灯を掲げる東香水講だと思われるのである。

また、鵜山には般若心経を唱える観音講もあると云う。

昔は大勢おられた観音講は今では3人。

少なくなったが毎月のお勤め。

般若心経を100巻も唱える。

大勢おられたときは早めに終わった般若心経は3人で唱えるには多い。

一人あたりが33、34巻にもなると云う観音講の営みは毎月17日。

かつては僧侶も来ていたが今は婦人だけの営みは14時から始めるそうだ。

何巻唱えたか判るように小豆を数取りにしている。

一般的には婦人の観音講であるが鵜山では男性もいる。

男性は3人でオトナ講でもあるそうだ。

10月中旬(第三日曜)辺りの日曜日に行われるマツリの頭屋は4軒で勤める。

ダイコン、ゴボウ、コンニャクの「タイテン」に大きな生の丸イワシを膳に盛ると云う。

山添村の広瀬住民のひと言から拝見した名張市鵜山のオコナイ。

奈良県内のオコナイと比較研究する意味合いも見つかった鵜山のオコナイは周辺行事も含めてさらなる民俗行事を取材したくなった一日である。

(H25. 1.13 EOS40D撮影)
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名張市鵜山のナリバナ

2013年04月25日 06時50分36秒 | もっと遠くへ(三重編)
三重県で有名なオコナイに伊賀市島ケ原の観音堤寺正月堂の修正会(県指定文化財)がある。

同県の西方、名張市の地に鵜山がある。

鵜山の名称がある地は奈良県山添村にもある。

両県に跨る同名地の鵜山は明治のころ(と思われる)に行政区割りされ奈良県と三重県側に二つが存在することになった。

山添村大塩の住民K氏は奈良県側を西鵜山、三重県側を東鵜山と呼んでいる。

三重県側から言えば山添村の鵜山は大和鵜山と呼ぶ東大寺の所領地である。

西鵜山から峠を越えたすぐ近くに福龍寺がある。

真言宗醍醐派の福龍寺は伊賀四国八十八カ所の第51番札所である。

本尊十一面観音立相像は古くから妊婦尊敬として親しまれてきた子安観音だ。

この日は正月初めに行われる修正会。

いわゆる村行事のオコナイである。

早朝に村の人が持ち寄ったクロモジの木には玉子、或いは大きな繭のような形のモチを付けている。

その数は1本につき100個以上もある。

まるで白い花を咲かせたようにみえる。

鵜山の村は18戸。

それぞれの家が持ってくる「ナリバナ」である。

話によれば1本につき1升のモチを付けているという。

搗きたてのモチは柔らかい。

千切って丸くするモチをクロモジの木にくっつけていく。

ナリバナのモチは新芽がつくという意味がある。

豊作、多産の願いがナリバナに込められているのだろう。

一週間前に山添村広瀬の住民T婦人が話した「ナリバナがあって、食べたらすぐに身ごもった」というありがたいナリバナ。

婦人の出里が名張の鵜山。

子安観音にナリバナを捧げて願いが叶ったというわけだ。

ナリバナを持ちこむ時間はさまざま。

村人の都合次第であるから揃って来るわけではない。



ナリバナを受け付けるのは区長以下寺手伝いの人たちだ。



ナリバナを受け取ればお返しに数個のモチを付けた小さなナリバナを渡す。

一方、公民館には数本のナリバナが欄間から吊るされていた。



垂れさがるナリバナは一面に花が咲いたように見える。

村からは2本の提供があるナリバナである。

子供が生まれた家も2本のナリバナを捧げる。

圧巻な景観にしばし見惚れる。

かつては頭屋家へ捧げるナリバナであったが現在は公民館。

平成元年の頃は頭屋の家で行われていた記録がある。

公民館が新しくなって場を替えたそうだ。

寺や神社の行事、なにかにつけての寄り合いはここでするようになったと話す。

区長と頭屋、それぞれが2本ずつナリバナを持ってきた。

頭屋となるのは男の子が生まれた家。

実に久しぶりだと話す。

福龍寺本堂にはナリバナ以外に飾りつけを待つオコナイの品々が数品ある。



一つはフシの木を削った「ケズリカケ」だ。

3月に行われる東大寺二月堂で行われる修二会のケズリカケ(お水取りの神事の際にお松明の着け木に用いられる)によく似ているが削りは荒い。

フシの実は青い色になるそうだ。

十津川村の山の神にも供えられるケズリカケがあるそうだ。

もう一つは「サラエ(若しくはサライ)」である。



竹の先を6本に割いて直角90度に曲げたサラエに交互に取り付けた紅白の花。

ケズリカケと同じフシの木を使っている。

「ハナ」の別称があるサラエは曲げが戻らないようにマメフジの蔓で縛っている。

奈良市都祁針の観音寺で行われるオコナイの「ハナ(華)」と同じような形であるが針では7本割きだ。

針では曲げの部分を火で炙って曲げていたが、鵜山ではそうすることなく難なく曲げると製作者のS組長が話す。

奈良市都祁上深川の元薬寺で行われる初祈祷がある。

ここでもハナ(華)があるが、竹割りは三方である。

上深川においてもナリバナがある。

大当家が作って奉納するクロモジのナリバナ(モチバナとも呼ぶ)も見事な大きさだったことを覚えている。

それはともかく持ち寄ったナリバナを挿す台がある。

藁俵を丸く敷いた上に竹で編んだ籠を逆さにした台である。

台が倒れないように籠の中には枯れ葉を詰め込んで重たくする。

これをシンドカゴと呼ぶ。

本来は三段にする藁俵。

この年は一段であった。

ナリバナ台に挿す飾りものがある。



竹に挿したクリ、コウジミカン、サトイモ、輪切りダイコンは山の幸だそうだ。

押しモチもある山の幸は閏の年は13本。

合計で26本になるようだ。

ナリバナ台の中央に挿すのは葉付きの笹竹。

力竹とも呼ぶ男竹と若い竹のメダケ(女竹)だ。

その男竹の頂点にケズリカケを挿す。



葉がある細かい女竹の枝には「スズメ」の名称がある小さな三角形の木に色紙で作った造りものも挿す。

「スズメ」は赤、緑それぞれ6個の合計で12個。

一年の月の数のスズメは閏の年では13個になる。

実った稲穂に群がるスズメは豊作を表していると考えられるのである。

シンドカゴ、サラエ、ケズリカケ、スズメ、山の幸は1対。

本尊脇の内陣両側へ左右1対に設える。

シンドカゴには御供と呼ばれるクシガキ、ヒシモチ、2段重ねモチ、クリ、コウジミカン、トコロも供える。



正月の「オガミゼン(拝膳)」の内容と同じだそうだ。

オコナイに奉られる飾りものの造物はそれだけでなく「チバイ」と呼ぶものもある。



フシの木片の四方に「ソミ」「ノシ」「ソン」「ナリ」の文字がある。

コヨリ捩じりの青、赤色紙を付けて鮮やかな「チバイ」は護符を括りつけている。

それには「ソミノシソンナリ」の文字が羅列してある。

供えた家族の人数分だという「チバイ」は蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫成りという鵜山の住民たち。

この「チバイ」はオコナイ行事を終えてから受け取るのではあるが、受け取るのは6歳までの子供と決まっている。

この年は生まれた頭屋家と6歳の子供がいる2軒。

少なくなったと話す。

ちなみに鵜山でいう「スズメ」は島ケ原で「ツバメ」と呼んでいる。

島ケ原では「ソミノシソンナリ」の在り方は廃絶されただけに鵜山のオコナイはとても貴重である。

「チバイ」を本堂の柱に括りつけて午後の時間を待つ。

オコナイの準備作業をしていたのは区長と4組の組長夫婦と頭屋家とその親戚になる家人。

区長は1年任期であるが組長は2年任期だそうだ。

鵜山は18戸の集落だけに廻りが早いという。

かつては37戸もあった鵜山も徐々に減って18戸。

隣村の奈良県側の鵜山も18戸と聞く。

行事を勤めるのはたいへんだと話す。

(H25. 1.13 EOS40D撮影)
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三重県鵜山ナリバナの風習

2013年04月13日 08時03分01秒 | もっと遠くへ(三重編)
奈良県山添村の鵜山からそれほど遠くない三重県の鵜山にある福龍寺。

今年は13日の朝8時ころから集落の婦人たちが木にモチをつけた「ナリバナ」を持ってくると聞いてやってきた。

18戸すべてがそうであるのか判らないがお寺の本堂に供えたナリバナは壮観だと婦人は云う。

14時ころに営まれる法要を終えれば我が家が持ってきたナリバナでなく他の人が供えたナリバナを持ち帰って焼いて食べる。

そうすれば安産或いは子供ができると伝わる。

山添村広瀬の住民婦人の出里が三重県の鵜山だ。

そのモチを焼いて食べたらあっという間に身ごもったと話す。

そんな話を聞いて立ち寄ったのである。

お寺を拝見していたときだ。

ウォーキングをされていた村の婦人にその話をしてみた。

「すっごいナリバナがあるんよ」のひと言。

まさにそのとおりだと云うⅠさんは山添村の岩屋が出里。

話題が出里になって盛り上がった。

安産に良いとされる観音さんのナリバナは今でも続けていると云う。

ナリバナの風習は福龍寺で行われるオコナイである。

かつては1月13日の初祈祷であったが、何年か前に成人の日の前日に行われるようになったようだ。

そんな話を聞いた寺横にある公民館。

ススンボの竹を集めたように思えたが・・・。

(H25. 1. 7 SB932SH撮影)
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伊賀上野天神社の初詣

2010年02月02日 09時27分18秒 | もっと遠くへ(三重編)
お正月は初詣。

どこへ行けばいいのかホテルにあった伊賀上野の観光マップを開いた。

子供が小さきときに訪れた天神社。

そこなら覚えているが、写真が残っていない。

当時はカメラを持っていかなかったのだ。

それはともかく2台で神社に向かった。

ここら辺りだと思うのだが神社に入る道筋が判らない。

グルグル回った。

裁判所の前を三度も通った。

ようやく着いた天神社。

鳥居を潜っていけば初詣参拝の行列ができていた。

並んでいると声をかけられた。

なんとかぼすだちさんだ。

彼女の実家が当地にあることはブログで知っていた。

まさかここでお会いするとは、ちょっとした時間のズレで遭遇することができた。

うちは家族連れ、これもなにかの縁なのでおかんとかーさんを紹介した。

(H22. 1. 1 Kiss Digtal N撮影)
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続、一ノ井松明調進行

2008年04月17日 07時53分53秒 | もっと遠くへ(三重編)
笠間の峠越え。

(H20. 3.12 Kiss Digtal N撮影)
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続、一ノ井松明調進行

2008年04月17日 07時52分56秒 | もっと遠くへ(三重編)
一ノ井松明調進行。

(H20. 3.12 Kiss Digtal N撮影)
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