マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

下笠間・真っ盛りの稲刈りにハザカケも

2023年12月07日 08時01分57秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
行事取材に向かう道。

都祁白石から室生小原、染田を経て笠間経由に目的地の山添村の毛原へ

白石の信号に確認した角の商店。

そう、いつもお世話になっている辻村商店。

東に向けハンドル操作。

すぐに現れる村の境界向こうが室生の領域。

抜けたら街道筋に広がる田園地。



向こうの方に見える農機具は染田の野鍛冶家だろうか。

稲刈りはあちこちの地域に見られた。



目的地は、もうすぐ、という処に見たハザカケ。

この日、はじめて見る景観に急停車。

公民館の駐車場に停めようとした手前に、真っ最中の稲刈り作業を見た。

バリバリ音を立てて銀穂の波を刈っていく。

お昼を食べて、すぐに取り掛かった稲刈り作業に見惚れてシャッターを押していた。



撮影は稲刈りが主体でなく、ふと目に入った川向こうに見えたハザカケである。

これまで、いくつかのお家の民俗を取材させていただいたF家。

4月3日の旧暦桃の節句の蓬餅つくり

5月半ばは、田植え初めにされるウエゾメ

11月23日は、亥の子のクルミ餅。

その日は、新米を奉納し、新穀感謝祭をする村行事がある。

これら農耕に関する家行事に村行事であるが、ハザカケをしているとは聞いてなかった。

それだけに、見つけたときは、小躍りしたものだ。



近くまで寄って撮らせてもらったF家のハザカケ。

手前にコスモスが咲く田園地。

向こうに見える下笠間の集落。

長閑な景色に佇んでいた。



架かる橋を渡ったそこは、稲刈り機が、右に前進。

狭い稲田に切り返すUターン。

左に往復する稲刈り。

籾ごと収穫して袋詰め。

しばらく見ていた稲刈りに、ふと視線を移したその先に建つ民家。

建物でもない、色合いの何かが、奥の方に見える。

携帯電話のレンズでは遠いから、はっきりしないが・・。

あれは、ハザカケでは?。

2階・・たぶんベランダであろうか。

そこにハザカケが見える。

寄り道していたハザカケ撮影は、ここまで。

ハンドルを戻して再出発。



すぐのところにあった下笠間の掲示板。

9月、10月の行事予定にコロナによる中止が多い。

旧村であろうが、新町であろうが、中止の判断はやむを得ない対策である。

毛原も同様の対応をされている可能性が高いだろう。

(R3. 9.19 SB805SH 撮影)

箕輪・大安の良き日に田植え

2020年05月14日 13時07分26秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
例年に大安の良き日を選んで日を決めた山添村箕輪のK家の田植え日。

昨日は冷たい風が吹いていたが、この日は穏やかな日だった。

かつては植え初めにカヤ差しもしていたし、フキダワラもしていた。

平成28年までしていた植え初め。

ここらはオツキと呼ぶウツギ(空木)の枝木を12本ずつ。

左右に挿していたが、足が思うように動かなくなったことから、翌年に断念した。

白の丸大豆をご飯に混ぜて炊いたものをフキ(蕗)の葉に広げて、そのフキ(蕗)の筋を用いて括って作るフキダワラ。

そのフキダワラを食べていた、というからおそらくケンズイ(間食)のときに食べるご馳走であったろう。

田植えを終えたときのさなぶりはしていないが、田植え休みと称して身体を休め、馳走を食べていた。

植え初めの話題を提供してくださった夫妻。

明日は、家族揃って田植えをすると云った。

お言葉に甘えて作業を撮らせていただくことにしたK家の田植え作業に伺った。

親父さんは80歳。奥さんは75歳。

息子夫婦に孫までが揃って、眼前に広がる田んぼで田植え作業。

穏やかな日の田植え作業を取材させていただく時間帯は、午後と伺い、やってきた。

レーキを手にして田植え機を操縦する孫さんに指示をするのは息子さん。



田植え機の動く方向に畝を行く息子さん。

息子さんと孫さんが田植えの中心的戦力。

山添村切幡でしていた田植え作業もまた同じく3世代家族だった。

80歳の親父さんは、二人が田植えをしやすいように田植え機が畝を跨ぐ器具運び。

その都度において動く。

息子さんも親父さんと同様に主役の孫の動きをみて周辺作業は、器具の移動もあれば、苗運びもある。

下の田んぼから始めた田植え機作業。



親父さんが先に移動して運んだ乗用田植機用アルミブリッジ・スロープ。

大型の滑り止めの専用ブリッジもある時代。

これがないと段差のある田に移動できない。できないことはないが、田植機の重さで畝が崩れるとか、雨後であればぬかるみとまではいかないが水含みの土地は柔らかいから車輪が滑ってしまう。

開発、販売された時期は存知しないが、かつては“あゆみ”板と農家の人たちが呼んでいた木製の長板。



「歩み板」をキーに検索すれば、乗用田植機用アルミブリッジ・スロープが数多く登場する。

1例、2例、3例・・。



サシナエもしつつ、力仕事のブリッジ移動の段取りをする親父さん。

75歳の婦人は、苗運びもするが、サシナエが主。



嫁入りしたころの昔は直播きだった。

今みたいにこんなに長くもない成長した育苗を束ねて藁で括って田植えさんの目の前に放っていた。

当時は、田植え機も耕運機もない時代。

牛が耕していた。

現在はJAから苗を購入する時代。

山間地の品種はヒトメボレが多い。



ずいぶんと変化してきたと回顧される婦人。

20年前までは、節句にヒシモチやチマキを作っていた。

餅を搗いて作る節句の和菓子は、我が家で製造していた。

製造はしてきたが、販売は別の会社がしていたらしい。

また、息子が誕生した5月の節句に、所有する山に出かけて植生する杉を伐採。

自宅まで運んだ杉は枝を伐り、皮を剥いで、一本の竿にする。

てっぺんだけに杉の葉を残して作った支柱に誕生祝いの鯉幟を揚げた。

孫さんが田植え機を操縦するくらいに育てた息子さんが生まれたときの民俗は、今や過去のことである。

息子さんのお嫁さんは田植えを終えた苗トレーの洗い。



その合間に話してくださる出里岩屋の話題。

箕輪にはなかったが、岩屋にはサシサバ習俗があった。

両親が揃っていたら、干物のトビウオを2尾。

片親であれば1尾のトビウオ。

塩辛いトビウオを供えて食べていた、という岩屋の習俗。

トビウオではないが、サシサバを今でも売っているお店がある。

山添村北野にある大矢商店は存じているが、サシサバを売っているとは知らなかったそうだ。

岩屋にはお店屋さんはなく、行商が売りに来ていたらしく、その行商から買っていた、というトビウオである。

同じくトビウオ習俗のあった大字大西。

在住のFさんが、正月のイタダキの作法をしてくださったときに聞いた話題。

サシサバもあればトビウオもあった。

また、隣村の大字菅生にもあった、と云っていた。

ちなみにお嫁さんの友達が、嫁いだ先の三重県青山である。

ここにもサシサバをしていた、と聞いている話題提供に興味を惹かれる。

サシサバの文化領域は三重県にもあった事実に、また調べる地域が増える。

機会があれば調査に伺いたいものである。



さらに話してくれた嫁入りのときの風習。

嫁入りしたその年の初節句は、祝いにヒシモチとかチマキを実家に贈ったことも話してくれた。

民俗は、お嫁さんが話してくれたように婚姻関係による伝播が文化を繋げ、地域に根付くことも多々ある。

金沢市図書館に所蔵の日置謙編『加能郷土辞彙』がある。

金沢文化協会が昭和17年に発刊した語彙集。

その語彙のひとつである「サシサバ(刺鯖)」記事が341頁にある。

「・・・宝暦の調書には、羽咋郡西海刺鯖、風戸・風無・千浦・赤崎・前濱・村から御用に付き指上げるとある。刺鯖(サシサバ)の製法は、背割りにして内臓を去り、3、4時間水に浸して血液を去り、水滴を除き、鯖生目30貫目を■13貫目にて、約1週間漬け、清■の溶液で洗浄し、同大のものを2尾宛を重ね刺し、ハサに掛けて乾かすこと1週間にして、■柱の結晶するを期とし、魚簗の上に■筵の荒く厚きものを敷き、その面に鯖を格子状に積むこと高さ六尺に及び、周囲を筵及び菰で密閉し、十日許を経て脂肪の浮き出で橙黄色を呈した時全く功程を終る」とあった。

興味深い宝暦時代のサシサバの作り方である。

Kさんも合いの間に話してくださる箕輪の民俗。



かつて村は50軒もあったが、徐々に減り続けて現在は45軒になった。

村を出る人もあったが、今では家ごと消滅する時代になった、という。

箕輪に寺院はなく、神野寺の住職が来てくれる。

三柱神社の行事に秋祭りはあるが、これといったものがない。

ただ、5年後にはゾーク(造営事業)が待っている。

今度のゾークは拝殿を新築する計画があり、そのためにも預金をしている。

神社行事に大字室津の奥中弥弘宮司が出仕されることなど話してくれた。

午後3時過ぎにとった休憩。



当地ではケンズイ(間食)と呼ぶことはなかったが、私も呼ばれて美味しいカップアイスをいただいた。

生まれたひ孫は1歳2カ月。

父親になった孫さん。



学生時代に付き合っていた孫さんのお相手の出里は近隣でもなく、遠く離れた福島県。

K家の隣家のお嫁さんもまた遠く、西日本の岡山県。

今の時代は、地方から出てきて勉学する大学時代からのお付き合い。

さらには外国の人との婚姻。

田舎もずいぶんと変わり、話題も変化に富んでいるようだ。

和気あいあいの時間に、話題も広がり腰が重くなりそうだが、お礼を伝えて場を離れて帰路につく。

そのころともなれば西の方からやや黒い雲が流れてきた。

帰宅するころには雨も降りだした。

その夜は土砂降りの雨。

翌日も雨の日。

ときには昨夜以上の土砂降り模様。

その日が大安でなくてよかったが、暦の大安を第一義にするのか、それとも気象状態を選択するのか。

えー日にするという農家さんは、どちらを選んでいるのだろうか。

ところで育苗していたプレートである。

かつては木製だったとテレビ番組で紹介していた。

重さのあるプレートを軽く、そして頑丈なモノにしたのは、アイリスオーヤマ社であった。

メーカーは違えどもプラスチック製のプレートへの転換発想はその時代の悩みを一気に解決した画期的な考え方である。

(H30. 5. 6 EOS7D撮影)

和爾町・マコモダケの成長具合

2018年10月02日 07時22分33秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
稲作直播き農法のその後を拝見した天理市和爾町。

営農組合は稲作だけでなく、マコモタケも植付けしている。

これもまた、1カ月と10日ぶり。

育ち具合はどうなっているだろうか。

直播き農法の場からはそれほど遠くない。



数百メートルも移動すればマコモタケの植付け場が目に入る。

時間帯は午後5時20分。

陽が暮れるにともなって、マコモタケの影が伸びていくが、マコモタケそのものは思うほど大きくはなっていない。

むしろ横に伸びているような気がする。

稲でいえば分けつの状態であろう。

マコモタケが育っていけば見えるようにわかる。



根っこからすぐ上の部分が太くなる。

葉は袋状にも思える姿。

その中にできる食用マコモタケは太い。



植付けから3カ月後の10月には収穫されることだろう。

思いはもう食べることしか浮かばないマコモタケ。



影の扱いもあるが、レンズ角度の変化にともなう映像描写が面白くてあれやこれや場面を替えてとシャッターを押す。

(H29. 8. 6 EOS40D撮影)

和爾町・96日目の直播き苗の成長具合

2018年10月01日 09時15分05秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
1カ月と10日間。

取材先に出かける方角が違っているのか、天理市和爾町を通ることはなかった。

西名阪国道を利用することもなかった。

気にはなってはいるもののわざわざ出かけることもない。

身体の状況もあるし、執筆に時間を割きたいと思って、盛夏の期間は取材を抑えていたが、この日は月ヶ瀬月瀬の取材

帰路に選んだ迷走の寄り道の一つは取材のお礼に訪れた桜井市山間。

そこからの下りは西名阪国道の旧五ケ谷地区を通り抜け。

視界が拡がる和爾町の営農組合に着く。

前回に拝見した直播き状況はどのように変化しているのか。

期待に胸が高鳴る。

観た瞬間に声がもれた。

これは一体何である、だ。



状況は掴めず、拡がる草原のような景観に頭を捻る。

ここは紛れもない直播きの田。

水を張ったときの田の状態は知っている。

こんな段差はなかった。

しかも、青々に育った稲が波打っている。

大波、小波の大草原の景観が不思議でならない。

育って稲穂の伸び方によってこうなるのであろうか。

それは肥料多寡の関係であろうか。

それは違うと思う。

直播きの籾種はカルパー粒剤を回転する籾に塗していた。

剤の塗し状態に差はないはずだ。

遙か先に見える生駒山の鉄塔。

撮った時間帯は午後5時。

夕陽の時間帯まで待つこともない。

撮る場を若干左右に振って農小屋を入れてみた。

稲の高さがわかるかもと思ってシャッターを押したそこも大波、小波の草原状態。

思わず、「♪ かぁーぜーにふるえる~ 緑のそぅーげん~・・・♪」を口ずさむ。

そのムードはもう一つ左右に振った映像で止まった。



まるで何かの車輪が草原を走っていったかのような轍がある。

たしか、前回に訪れた6月26日にはなかったような気がする。

(H29. 8. 6 EOS40D撮影)

榛原萩原小鹿野・豆植えの印

2018年08月14日 08時47分27秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
小鹿野中組は前日の土曜日にされた。

一方、隣組の中組東は日曜日。

日程決めの決まりは特にない。

講中と相談して日を決めるだけだ。

区長より中組東の日程を聞いてはいたが、講中はまだお会いしていない。

もしかとすれば、あのお家であろうと思ってまずは庚申堂に向かってみる。

その庚申堂の真ん前に道路を隔てた向こう側に稲作田がある。

草刈りをした土手下の崖ぷちで畑作業をしていた男女二人がおられた。

お声をかけたら、私が取材すると区長が伝えてくれていた講中の代表者だった。

夫婦揃っての畑作業は宇陀の黒豆植えだった。急な崖は滑りやすいし、登りも難しい。

足を踏ん張りながら植付けする箇所に竹の棒を挿していく。

その位置が植付けの目印で、奥さんが種を埋めていた。

やがて山影に隠れるお天道さん。



崖はもちろん、挿した竹の棒もシルエットになった。

その姿はまるで墓標のようにも見えた。

(H29. 7. 1 EOS40D撮影)

和爾町・圃場の育苗状態

2018年08月04日 09時27分17秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
前回に訪れてから2週間経過した圃場の状態を確かめにやってきた。

この日は朝から奈良市ならまち界隈の民家の習俗を撮らせてもらっていた。

もう一つの習俗取材時間は夜間になる。

そこへ出かける行程に見ておきたい苗状態である。

稲苗はまだまだ細い状態であるが、どことなく分けつが始まっているように思えた。

手前は隙間というか、空間が広がる疎らの直播き。

他の田んぼを見てもわかるように。

畦近くの撒き状態はまんべんなく撒かれたように思える。

そこより数メートル向こう。

特に中央部は苗、苗、苗どころか葉が生い茂っているように見える。

時間帯は午後7時前。

農道を往来する車のヘッドライトが照らしていた。

(H29. 6.26 EOS40D撮影)

上・ナワシロジマイの泥田田植え

2018年07月17日 09時02分12秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
本来なら翌日にされる庚申さんのさなぶり参りを拝見させてもらったF家。

家族は朝から田植えに忙しく動き回っていた。

あちらこちらにあるF家の田んぼ。

山側の棚田に小さな田んぼが点在。

平たんなら田植え機も入れやすいし、機械が動く範囲も平らだから仕事はしやすい。

ところが山間地ともなれば一定の形ではなく。

田植え機をどこに入れてどう植えるか。

その田んぼが終れば次の田んぼ。

そこへ行くにもどう移動していくか。

どう動くか、頭の中にある行程設計図通りに運転する。

いくつかの農家さんの田植えをみていてたいへんだと思った。

息子さんの手を借りて行ってきた田植え作業もいよいよ佳境に入った。

最後にする田んぼは家の真ん前である。

前日までは苗代田だった田んぼを起こす。

谷水を引いて水張りをするが、多くは要らない。



泥田程度になったところにトラクターを入れて掻き混ぜる。

狭い田んぼに数往復するトラクターは泥を掻いている。

代掻きであるが、何度も、何度もハンドルを切り返して往復する。

ある程度できあがったところでトラクターの役目は終わった。

これから始まる田植えにトラクターは無用。



狭い土地に角度のキツイ坂道。

曲がり方を誤れば危険なことになる。

何十年もそうしてきたから慣れはあると思うが、見ているほうがヒヤヒヤする。



そうして出番するフロート付きの、と思ったがそうではなかった手押し二条植えの田植え機である。

運転操作は息子さん。

幾度も支援してきたから慣れているのだろう。

トラクターを仕舞った親父さんはエブリで代掻き。

エブリで撫でるように泥田均し。

泥田を満遍なく均して泥田と水面を保つ。

息子さんが植える作業の間隙をぬって泥田均し。



その波模様が美しい。

均し方が上手いから波も綺麗になる。

端から上出した二条植え。



泥田に足をとられて操作がし辛い。

ぬかるみの田んぼはどこでも苦労されている作業である。

これくらいの広さであれば手植えする方が早いと判断されて母親とともに作業を切り替えた。



最後の一枚は手植え。

こうしてすべての田植えを終えた。

苗代田だった田んぼは田植えの場。

役目を終えたということで、この一連を「ナワシロジマイ」と呼んでいる。

丸一日の作業を終えたトラクターも田植え機もドロドロ姿。

勢いのあるホース水で洗い流して綺麗にする。

田植えの日の最後はどの農家でもしている作業〆である。

(H29. 6.11 EOS40D撮影)

和爾町営農圃場の種撒き発芽15日目

2018年07月14日 09時02分40秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
この日は田植えを終えた農家の方の田植え終いの在り方が聞けるかもと思って大和郡山市の横田町や天理市の勾田町の田んぼを訪ねる。

結果はといえばハズレだ。

横田町で2組の現役農家に聞いたが、家を建て替えた際にあった竃はキッチンが洋式化して消えた。

勾田町は数日前に田植えを終えていたから拝見もできなかった。

大和郡山では櫟枝町にある「大峰山上 六十六度 供養」石塔の寄進年を探ることであったが、記銘刻印は風化しているのか判別はできなかった。

それなら、ではないが、さほど遠くないところにある天理市和爾町の営農組合の直播きの発芽状況を見てみたくなった。

ポツポツ芽生えた状態であった6月4日

それからほぼ一週間後。

その後の発芽状態をみておこうと思って車を走らせる。



着いてみればすっかり様相が様変わり。

疎らだったポツンポツンはなくなり、細い稲苗の葉が逞しくなっている。



水田いっぱいに広がる稲苗の景観にうっとりする。

一方、隣の田の畔はふっくらほんわりした白い帆のような植物が風に吹かれている。

梅雨入り宣言があったのは6月7日。



それからは雨も降らずに気持ちよさそうな風が頬を撫でる。

白い帆のような植物はチガヤ。

もっと早い時期であれば花に蜜がある。

開く一歩手前の蕾状態の花を口に銜えて噛めば甘いが、ここまで育ってしまったチガヤを口の中に入れたらとんでもないことになってしまう。

この時期のチガヤは見るだけー。



そう思ってしゃがみ込んでチガヤにレンズを向けるが息苦しい。

ファインダーなんてものを覗き込むには身体が無理だ、と悲鳴をあげる身体。

ローアングルで構えるのはとても辛い。

リハビリ運動をしても治る見込みのない身体にやるせない。

(H29. 6.10 EOS40D撮影)

和爾町営農圃場の種撒き発芽10日目

2018年07月06日 09時14分54秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
発芽状況を見るのはこの日が初めてだ。

播種作業の初日は5月24日。

播種作業を拝見したのは2回目になる26日。

雨天の関係でそうなった。

この日は京都府久御山町の取材帰りの午後に立ち寄った。

特に急ぎの用事もない午後3時。

広がる圃場に広がる水溜めの水田。

遠くから見ればただの水溜め田。

近寄ってみればポツン、ポツンと何かが浮かんでいるように見えた。



もっと近づけば水面から伸びる細長い葉っぱが見える。

知らない人から見ればただの雑草。

こんなとこでも雑草が生えている。

雑草ってどこでも蔓延る。

庭の雑草取りがたいへんやという人園芸好き。

「ヘイ」取りが一番の手間がかかるんやという人は農家さんだ。

その手間のかかる「へい」取り作業も写真で記録したいが、時季は今ではない。

今は播種した籾種が発芽している状況を記録する。

そう、これは5月26日に播種した水田である。

正確にいえば播種後9日目の発芽状況。

育つ具合がそれぞれの関係で疎らである。



疎ら状況の水田隣の田は育つ勢いが見える。

播種したときの泥田に埋まり具合もあるし、水張りの高さも関係するのだろう。

水田一枚、一枚を見れば成長する具合が違いを見せる。

尤も播種のバラツキ状態もあるけれど・・・。

時間は刻々と変化する。



お日さんの傾き加減で光る水面が浮かぶ田もあれば、水張りが少なくて浅い田もある。

こういう場合はヤケに緑色が目立つ。

5月22日に訪れたカルパー粒剤衣付け作業の際に聞いたマコモタケの植付けがある。

マコモタケは稲科の植物であるが、タケノコの一種でもない。



何年か前から栽培するようになったマコモタケは県の特産や天理市の特産品。

「天理うまいもん」の一品として紹介されているという。

収穫は10月。

それまでの作業になにがあるのか聞かずじまいであるが、耕起は5月29日、マコモの苗取り・植付けが30日と聞いていた。

植付け地は和爾営農組合ライスセンターより数百メートル。

農道を走っていてそこにあることに気づいた。

ところで、マコモタケは隣町の奈良市高樋町も植え付けている。

高樋町の宮総代がそう云っていたことを思い出した。

ピンが甘いこの写真はどこが狙いなのか。

実は正面に見える小高い山をとらえていた。



戦後間もない昭和23年ごろだったと思いだされる営農組合員。

今から70年も前のことである。

和爾坐赤坂比古神社で行われた御田植祭に集まる高齢者集団の二十人衆。

うち十五人衆が一言云った話である。

十五人衆は昭和13年生まれの79歳。

まだ子どものころである。

親父もそうだが、村の人たちが外地から戻ってきた。

その時代までは雨乞いをしていたという。

その地があの山やと指をさす。

その山の下に池がある。

その池堤で雨乞いをしていたという。

雨乞いは祈祷を頼んだ当時の神職がしていたと話す。

(H29. 6. 4 EOS40D撮影)

和爾町営農組合のカルパー籾種播種散布作業

2018年06月26日 09時00分53秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
前日は大雨で中止された和爾町営農組合のカルパー籾種播種散布作業にようやく出会えた。

昔ながらの直播きでなく、動力散布機による現代的農法による播種作業である。

動力散布機の本体重量は12.8kg。



背中で担ぐ散布機に先日に作業されたカルパー粒剤の重さが加わる。

腰を上げて、さぁ出動。

散布機に付属する排出ホースを手にして水田周りの畦に入る。

畦を歩きながらホースを田に向けて籾種を飛ばす。



まさに飛ばすという表現よりも消防ホースを抱えて水を撒くような感じである。

市の施設管理のために消防訓練を受けたことがある。

そのときの実感は今でも忘れない。

消防水がホースより排出されるパワーが凄いのである。

排出される水の勢いに抱え構えた手と腕が弾かれ振り回されそうになった。

勢いに驚いてホースを抱える手を離したらとんでもないことになってしまう。

腰を落としてガッチリ構えて排出する。

そのときの記憶を思い出した。

装着した恰好を見て、失礼ながらもう一つの光景を思い出した。

それは映画ゴーストバスターズに登場する主役の恰好である。

映画の放射筒は短いが恰好は同じようなものだ。

播種に放出されるのは籾種だがゴーストバスターズは炎。

大きな違いはあるが、思い出した映像はミュージック付きだった。

畦からカルパー粒剤を撒いていく組合員。

畦近いところも中心部も撒く作業に慣れがいる。

直播きはまんべんなく撒かないといけない。

偏ってもいけないし、空白ができても・・。

散布機の排出量は器械にあるレバーでその加減を制御する。

排出圧力を制御するスロットルレバーを左手で閉じたり開けたりするかは操作する人の経験値。

上手い、下手は芽出ししたときの状況でわかるそうだ。

特に、であるが、初心者は散布する籾種がどこに飛んでいるのか見えない。

そういう場合はどうしても散布量が増えて、ある処ではついついレバーを開け過ぎて籾種だらけになるし、ある処は空白ということだ。

畦を歩きながら放出する播種は2周する。

作業を観察しているとホースは左右に振るだけでなく大きく傾ける場合もある。

それは遠くへ飛ばす方法だ。

田んぼの中心部辺りは相当の傾きをかけないと真ん中まで届かず、空白地帯になるらしい。



2周して戻ってきた組合員が云った。

レバーを操作しても排出量が少ない。

投入したカルパー粒剤はまだ残っているという。

調べてみれば原因がわかった。

投入した蓋があんばいと締まっていなかったのだ。

無理にねじ込んだ蓋の溝部分に隙間があった。

そこから「圧」が抜けて散布量が少なかったということだった。



カルパー粒剤とともに投入するのは除草剤に肥料もある。

そうすること合計は30kgにもなるというから相当な荷重が背中にかかっているわけだ。

「けっこー重たいんやで」と云った言葉が作業の大変さを伺える。

畦を歩くのも不安定な重さ。

2時間かけて7~8枚程度の直販作業は足腰がしっかりしないといけないが、作業している組合員のほとんどが和爾町の長老二十人衆。

高齢者にはこの重さが身体に堪えると云っていたのがよくわかる。

若いころに日本アルプスの白馬岳に登ったことがある。

二十歳代のころだから今よりは体力がある。

山岳部ではないからザックに詰めた荷物はたいしたものもなく重さは控えめ。

できるだけ軽量と考えて無駄をそぎ落とした30kg。

当時はカメラなんてものはまったく興味はなく、カセットデンスケの音声撮りだけは持参した。

ソニー製の初代カセットデンスケのTC-2850SDがある。

出番がなくなったTC-2850SDカセットデンスケは、今でも我が家の天井裏倉庫で眠っている。

機器の重さは5.4kgもあった。

数本のマイクロフォンに単一乾電池4本などの重さを加えたらそれだけでも肩に食い込む。

尤も白馬岳に持ち込んだのはやや小型軽量化した後継機種のTC-2220だった。

重さは乾電池含みの3.2kg。

2kgの差は大きかったことを覚えている。

あるブロガーさんはプロ仕様から民生用も一覧で紹介している。

懐かしいデンスケにうっとりしてしまう。

余談はさておき、話題は本題の直播きに戻す。

3周目を周回して戻ってきた組合員。

水抜きした田にそれぞれの方向からきた二本の筋が見える。

左は向こうの方から引いた。

手前はわかりにくいが、右側からだ。

直角に二本の二筋に斜めの筋。

いずれも左角にある田の排水口に集めている線引きである。

これは、いったい何であるのか・・。



隣の田で作業していた状況を観察してなるほど、と思った。

これは水抜きの導き筋である。

トラクターの後方にアタッチメントされた農具は特別注文。

特別だけに値段も特別の二桁の万単位。

営農組合の願いは負荷をかけず、効率的に水田に溝を切ることである。



これまでは人力だった。

鍬を持って一筋ずつ溝作り。

当然ながら長靴は泥田に沈んでいく。

泥田から足を抜くには身動き取れない。

動きにくいし、位置した場で鍬を入れて溝を切るのも体力が要る。

少しずつしか進めない。

何人もの人がそれぞれ分散して溝を切っていくが・・・これをなんとかしたい。

願いを叶えてくれた器具屋さんは手作りで仕上げた。

三角の溝切りは鉄製。



フインというか、トラクターの動きに合わせて左右自在に動く。

溝切りの幅は実測していないが、営農組合の要望通りの動きをしてくれる。



僅か数分で溝切は終えたが、排水口はもう少し幅を広げる。

人海戦術はここだけになったが、全体に対する負担はなくなった。



今年はほんま、ラクになったと皆が云う。

ちなみに蓋締めもきちんとした背負型動力散粒機はKioRiTZ(共立)のネーム入り。

㈱やまびこ製のDMC600若しくはDMC601。



散布する勢いが手に取るように見てとれる。

籾種を排出するホースの先端がスゴイ。



噴き出すと同時に煙のような噴霧状態。

塗布というか、籾種に衣付けしたカルパー粒剤が飛び散っているのである。



泥田に直接あたる籾種がバシバシ。

土砂降りに雨が降ったような跳ね返り



それでわかる勢い。

直播きの具合もさきほどとはえらい違い、である。

ベテランの3人目が登場する動力型散粒機の作業者。



そのころ丁度に隣の泥田で溝切するトラクターが現われる。

散粒機作業者と溝切が交差する間合いを見計らってシャッターを押す。

そろそろ本日の作業も半分が済んだ。

朝から始まってたったの30分。



後半も休憩なしに次の田にトラクターを移動して作業を続行。

その田の畔に咲いていたピンク色の花。

名前もしらない野草は和種でもないような・・・。

これってユウゲショウ?

それともヒルザキツキミソウ?

投稿したFBの画像から判断して自宅の庭にも咲いているとコメントしてくださった花の名前はアカバナユウゲショウ。



たぶん、そう、思うが、アカバナユウゲショウは四枚花弁。

私がこの場で拝見したアカバナユウゲショウは五枚。

その下のほうはなんとなく四枚花弁のように見える。

違いがあるのか、ないのか。

それともこれが変異花・・・。

写真で同定してくれたFB知人のらもさんの庭にも五枚花弁があるというから、何割かがそういう具合に芽出るのであろう。

和爾町営農組合の播種日程は5月24日から始まって29日まで。

本来なら28日で終える計画だったが、25日は土砂降りで中止した関係で一日分の遅れ。

何日か経てば水面下の泥田の中で根が出て芽も出る。

ぐんぐん伸びてやがては発芽した芽も水中から顔を出す。

日々の発芽状況を見ているわけにはいかないが、適度なときに見てくれたらよくわかると云われて、立ち寄る。

立ち寄る日は特別な日でもなく、行けたらの話しである。

和爾町営農組合の圃場を通り抜ける農道は車の往来が激しい。

特に朝、夕は道路を渡るにもひと苦労すると話していた農道はしょっちゅう利用している。

天理市の福住、旧都祁村、山添村へ行くには天理東ICから入って名阪国道を利用する。

針ICから北にも南にも。

五ケ谷ICからは旧五ケ谷村の各村の取材に行く場合もある。

その際に必ずといっていいほど利用する和爾町の農道。



県営圃場整備事業が竣工した記念碑がある。

起工は平成8年4月。

竣工は平成19年3月。

11年間もの工事を経て完成したときに建てたのが後方に見える和爾営農組合ライスセンターである。

完成してから十年間。

無料で通らせてもらっているだけに感謝しなければ・・・。

※農林水産省・北陸農政局が近隣で行われている直播き事例の紹介

(H29. 5.26 EOS40D撮影)
(H29. 5.26 SB932SH撮影)