マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

山田・新調出番待ちのカンピョウ干し竿

2018年08月08日 09時35分01秒 | 民俗あれこれ(干す編)
6月半ばともなれば、そろそろ準備にとりかかる。

私ではなくて農家の人たちだ。

それもユウガオを育ててカンピョウを作っている人たちである。

これまで幾つかの地域でカンピョウ干しを取材したことがある。

初めて取材したのは平成22年7月17日に訪れた田原本町の多。

その年、その月の24日は天理市の嘉幡町もあったが、いずれも高齢者だった。

その翌年には両軒ともやめられた。

聞いていた周辺地も巡ったがすでにやめていた。

それから3年後の桜井市山田の茶ノ前垣内である。

カンピョウを干すには竿がいる。

その存在に気づいたのは平成24年の4月10日だった。

多や嘉幡で構造物を拝見していたのでそれが何であるのか、すぐにわかった。

竿の持ち主は昭和4年生まれの高齢者。

元気でいる限り、カンピョウ干しをしていると云っていた。

この日は明日香村の飛鳥に取材がある。

その通り道に拝見したカンピョウ干し構造物に変化が見られた。

支柱は以前のままであるが、竿が新しくなっていた。

奇麗に藁を縛りつけている。

縛った紐はなんとなくPP紐のように思えるが、藁束に見慣れたものがある。

古びた紐のようなものがあるからこれは使い古した簾であろう。

簾の再利用ははじめて見た。

これも記録と思ってカメラに収めた。

(H29. 6.30 EOS40D撮影)
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八釣のキリボシ大根干し

2017年10月25日 08時59分48秒 | 民俗あれこれ(干す編)
干し物が目に入ればついついシャッターを押す癖がある。

生活民俗は突然にして現れる場合がある。

明日香村八釣の小正月の小豆粥御供の状況をくまなく探そうと思って集落を巡る。

前夜か今朝に降ったと思われる雪の痕跡は茅葺家の屋根にも白く染めていた。

下を見れば農作物を栽培している場にも遭遇する。



集落景観に薄雪の情景を撮っていた付近に干し物が見つかった。

材料はキリボシ大根。

細く切った大根は猫若しくは野鳥の餌食にならないように防虫ネットの中に入れて干しているものもあれば、平たいトロ箱に撒いて干しているものもある。

よく見れば、とろ箱にも網目のネットを被せるようにしてある。



雪は止んで青空が広がってきたから、覆いのネットを外された。

(H29. 1.15 EOS40D撮影)
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佐紀町の筵敷きダイコン干し

2017年08月19日 09時29分28秒 | 民俗あれこれ(干す編)
山上八幡神社の板注連縄を拝見して平城京大極殿北集落を抜ける。

八幡神社がある山陵町からはそれほど遠くない地に神社が三社も並んでいる。

並んでいると云ってもやや離れている。

祭祀する地区それぞれの氏神さんである。

そこも通り抜けて帰ろうとしたら刈り取りを済ませた稲作地の向こう側にキラキラ光る白いものがあった。

何かをそこで干している。

モチなのかそれとも・・・。

それを拝見したく車を停めた。

その場は民家の真ん前。

つまりは敷地内である。

門屋の方から男性が現われた。

天日干しをされている状況が美しく写真を撮らせてもらいたいと伝えたらどうぞ、である。

昨日までは雨が降っていた。

曇り空が続く12月。

収穫したダイコンを何時干していいやら困っていたそうだ。

この日の朝は氷点下。

五ケ谷辺りは畑に溜まっていた水が凍っていた。

たぶんここらもそうであったろう。

朝は寒かったが晴れ間が射し込んだ。

天気が良ければと待っていた日がやってきた。

そう判断されてダイコン切り作業。

輪切りしたダイコンを1/4に切る。



それを敷いた筵の上に広げる。

筵は風に飛ばされないように両端に紐を結んで固定している。

ご主人がいうには天日干しには風が吹かないと・・という。

ダイコンは水分がある。

筵であれば乾いたダイコンは難なく剥がれる。

カンピョウ干しの場合も同じだ。

水分があるカンピョウは竹竿であっても金属ポールであって、そのまま巻いたらへばりついて剥がれなくなる。

そのために工夫したのは竿に稲藁を巻くことである。

特に麦わらであれば難なく剥がれる。

筵を敷かれたのは賢明な措置なのだが、乾くには相応しくない。

つまりそこに必要なのが「風」である。



昔は柿の木の枝にぶら下げて天日干しをしていたという。

ダイコンは切ることもなく葉っぱを付けたそのままの形のダイコンの首に藁紐で括る。

輪っかにした藁紐を枝に引っかけて天日干し。

その形態のほうが風に当たりやすいから乾きが早いのである。

昔からダイコン干しは横にある柿の木を使ってきたというご主人の話しだった。

そういえば私の頭の中の記憶が蘇ってきた。

そんな方法論を話してくれたご主人はどの神社が氏神さんになるのか聞いてみた。

ここは佐紀町。

旧村の景観をみせる村で育った。

ここより東は歌姫街道。

その街道沿いの東はかつて畑だった。

今では新しい家が建っているが、昔はなかったという。

で、氏神さんと云えば釣殿神社

そうだったのか、である。

で、あれば名前を知りたくなって質問した。

質問したのは前掛けと呼ぶ注連縄である。

ご主人が云うにはその注連縄は歌姫街道沿いに建つ集会所で結うそうだ。

30日の大晦日の朝、大祓いをしてから拝殿前に運んできた注連縄を架けているはずだという。

拝殿に架けるということは奥が社殿である。

つまりは前に架けるから前掛けというのであるが、かつては「ゾウガイ」と呼んでいた。

その表現は間違いないと思う。

県内各地事例によれば簾型の注連縄は「ドウガイ」若しくは訛った「ゾウガイ」である。

地域によってはもっと訛った呼び名もあるが、民俗語彙からしても間違いない。

そんな言い方を覚えておられた昭和9年生まれのご主人に出会ったことに感謝する。

(H28.12.15 EOS40D撮影)
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下笠間の売りものカケダイ干し

2017年08月08日 08時34分50秒 | 民俗あれこれ(干す編)
半年前の6月19日ことだ。

虫送り取材に訪れた宇陀市室生下笠間に入店したお店にカケダイと巡り会った。

カケダイは干したもの。

腹合わせした2尾の干し鯛は太い藁をエラから口に通して吊っていた。

その姿は同地に住むⅠ家で拝見したことがある。

写真を見れば腹合わせというよりも口合わせのように見えるカケダイに驚いたものだった。

ダイコクサン(大黒さん)、エビスサン(恵比須さん)の神棚に供えていた民家のカケダイと同じように吊っていた。

6月に店主から伺っていたのはこのカケダイは手造りであることだ。

12月になれば寒くなる。

尤も今年はすでに何度かの木枯らしがやってきた。

やってきたものの天気は良くなったり雨が降ったりであった。

そんな日々であるが、もしやと思って訪問した。

お店におられたのは店主の奥さん。

話しによればたった今、出かけたという。

なにかと忙しい店主のようだが、今年はベランダで干していると云われたので、ご無理を云って上がらせてもらった。

なんも掃除をしていないのでと申し訳なさそうに話されるが、ありのままの状態が民俗そのもの。

それで良いのである。

ベランダは古くもなくどちらかと云えば最近の造り。

ベランダ床も家壁も真新しい。



金属竿にナイロンロープでぶら下げたカケダイがずらりと並ぶ。

壮観な姿に思わず生唾を飲む。

これこそ民俗の姿に感動してシャッターを押す。

大小あるが、それぞれの鯛は腹合わせ。

こうして干すには事前の作業がある。

中卸しに頼んで仕入れた生鯛は腹だしをして塩漬けにする。

漬物樽に仕込んで塩漬け。

何日もかけて漬けこんだ鯛を取り出して紐で吊るす。

塩漬けした鯛は尻尾から汁を垂らす。

昨年にしたときはそれに気づくのが遅れた。

垂れた塩漬け鯛の汁が一滴、二滴。

ぽたぽたとベランダ床に落下した。

布巾でふき取ってもなかなか取れない。

汁痕は生魚の匂いが残るからなかなか取れなかった。

それまでは庭というか地面に立てた竿に吊るしていた。

垂れた汁は地面に埋もれるから痕も匂いもない。

そのつもりで仕掛けたらそういうことになった。

反省された今年は下に発泡スチロール箱を据えた。

距離があれば垂れた汁の跳ね返りが辺りに飛ぶ。

これもやっかいと考えて黒いゴミ袋を箱下に仕掛けた。

端っこを紐で括って竿に結ぶ。

こうして出来上がったカケダイの干し場。

拍手したいぐらいの方法であるが、寒風が吹かないとデキがよくないらしい。

今年の天気は実に難しいという。

2尾でワンセットのカケダイはこの場に10セットも吊るした。

購入する人は高齢者ばかり。

正月の歳神さんを迎える在り方は80歳以上でないと誰もしないだろう。

それ以下であればたぶんに関心がないだろうが、いつまで続けられるや、と云った奥さんは注文がある限りという。

注文は予めする人もおれば突然にやってきて買っていく人もあるらしい。

逆に注文されていて来なかった場合もあるという。

忘れてはったのか、それとも・・・。

家人医引き継ぐものがない高齢者であればいつしか途絶えることになるだろう。

ちなみに購入者はここ下笠間で数軒。

隣村の山添村毛原や岩屋の人も引き合いがある。

何度か訪れる民俗行事取材の際に一度聞いてみたいカケダイの風習。

ところで買っていく人によっては田植え前にカンカンに干したカケダイは塩出しして食べているという。

うちの旦那さんの誕生日に売り物のカケダイをたっぷり水に浸けて塩出し、焼いて食べたのはご主人であるという。

買ったある人が云った。

塩出ししなかっても猫は食べる。

病気になると思ったが、猫は喜んであっという間にたいらげたそうだ。

ところでカケダイを作って売っているのはこのお店だけでなく県外の三重県にあるという。

県外と云ってもここよりそれほど遠くない名張市にあるらしいが、お店はわからないようだ。

の名張市に年に一度のハマグリ売りにも店主が行っているという。

2月8日のえべっさんの日。

安くて美味しいと評判のハマグリ売りは市がたつほどの賑わい。

機会があれば出かけてみたい。

話題が尽きない下笠間のカケダイ話し。

話しが長引いて夕方5時の村内通知の鐘の音が聞こえる。

その数秒前には私の携帯電話が同時刻の合図をする。

その音は・・といえばウグイスの鳴き声。

かつて仕事をしていた関係で設定していた。

館の利用者に悟られないように設定していたウグイスは患者さんを送迎していた時間帯にも鳴いた。

昼の時間になればそのときも・・・。

車の外やろか、ウグイス、あれぇ、である。

5時の時報から少しずつ脱線してしまった。

12月に入ったこの日辺りの日の入りが一番早い時期であると天気予報士がテレビで伝えていた。

そのことを聞くまでは一番早いのは冬至の日だと思っていた。

実はそうではなかったことを知るのである。

この日の奈良市の日の入り時刻は午後4時46分。

ここ数週間はとにかく日が暮れるのが早くなったと思っていた。

自宅におれば雨戸を閉める時間が早くなるのである。

夕方5時の前。

辺りはもう真っ暗。

雨が降る日はもっと暗い印象があるから、ついつい雨戸を締めてしまう。

テレビが伝えた本日の日の入り時刻がそれを物語る。

ただ、その予報によれば11月28日から12月11日の期間がそうであるようだ。

(H28.12. 1 EOS40D撮影)
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切干ダイコンの天日干し

2017年07月14日 08時41分36秒 | 民俗あれこれ(干す編)
天気が良い。

明るい日差しを浴びる朝。

杏町からラ・ムー京終店に向かう道は岩井川の川筋沿い。

ならまちへ向かうとき、最短にある道はよく利用する。

ここを通るたびに意識する白いもの。

平成19年の2月3日のことだった。

北側にあるお家の塀の前。

戸板を並べて干していた。

車を停めて撮らせてもらった白いものは切干ダイコンだった。

細く短冊状に切ったダイコンを並べて天日干し。

燦々と照る太陽の恵みを浴びて色もつく。

こうして作った切干大根は売り物だった。

作っていた男性に話を伺ってわかった切干大根は奈良の三条通りにアンテナショップに出していた。

わざわざ買いに行ったこともある。

ずいぶん前のことであるが、ここを通るたびにそのことを思い出す。

当然ながら夏場は見られない天日干し。

寒風が吹く晴天の日に干す。

たしかそう話していたと思う。

いつしかその光景は再び見ることはなかった。

あれからほぼ10年も経つ。

畑作もやめはった。

そう思っていたこの日。

思わず急ブレーキを踏み込んで停車した。

再び目にした切干大根に感動する。

戸板は当時と違って桟のある蚊除けの網戸のように思える。

風が吹けば通り抜ける網戸。

さらしに天日。

滅多に見ることのない光景にシャッターを押した。

※HPに掲載していた当時のコメントは「光り輝く白い絨毯。自家栽培ダイコンを天日干しにして切干ダイコンを作っている。ダイコンを細く切り短冊状に仕立てあげ、二日間寒風に干したのち、蒸してさらに四日間(晴天時は三日間)天日で干す」と書いていた。

(H28.11.11 EOS40D撮影)
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室津のハザカケ

2017年05月26日 11時03分22秒 | 民俗あれこれ(干す編)
この日は朝から写真展の設営だった。

初めてのことだけに思ったよりも時間がかかった。

ある程度どころか設計図まで作って決まりの場所に直線を描く。

その線は単なる紐である。

それに家庭用品のスプーンを重し代わりに括って垂らす。

これで垂直がわかる。

水平は天井部分にあたる処に印。

そこから定量のメモリをとって印をする。

赤い印は8枚組を水平に保つためにほぼ正確な位置に印をする。

両側と中央部にも垂らした紐がある。

それぞれが定量。

それに沿って水平に張った紐に合わせて貼付け固定材を壁打ち。

写真額の裏面にも材を貼る。

両者をくっつけるのは両面テープ。

底部にあたる部分を虫ピンで止める。

ただそれだけなのだが時間がかかった。

設計図はそれでよかったのだが、計算通りにならないが世の常。

一人でできると思っていたが無理がある。

そう汲み取っていた写真家Kさんが助け舟。

パネル作りから随分と協力してくださった。

午後はKさんの希望を叶えたく東山中に繰り出した。

行先は山添村の室津。

田楽系の神事芸能を撮らせていただいたトウヤ家を目指す。

室津の神事芸能を取材したのは平成18年10月15日。

詳しいことも知らずに当時お世話になっていた奈良女子大学の武藤康弘(現在は教授)とともに行動していた。

氏神さんへのウタヨミ奉納を終えた渡り衆はトウヤ家に戻っていく。

講師に言われるままについていった。

渡り衆はトウヤ家に着くなり座敷でオドリコミの作法をしていた。

予測をしていないから何が始まったのか、わからないうちに作法は終わった。

その一瞬はなんとか撮れた。

それもフイルムである。

当時の撮影はフイルム機だった。

屋内であったが絶えず動き回る作法が撮れた。

感謝の気持ちもあって、平成21年9月28日に発刊した初著書の『奈良大和路の年中行事』に掲載させていただいた。

発刊されて間もないころにお礼に著書を献本した。

トウヤを務めたUが喜んでくれはった。

それから丸7年も経ったU家を訪れる。

屋内から出てこられた奥さん。

その節はありがとうございましたと今でも覚えてくださっていた。

ありがたいことである。

今年のトウヤを務めるのはなんと、なんとの室津の宮司さんだった。

それなら話は早いと思って里道を下る。

そこは始めて通る道。

下っていく途中に目にした構造物。

これはなんであろうか、である。

構造物といってもクリの木のような樹木に竹竿を水平に架けているだけである。

樹木は2本。

その右側には二本の木材で足を組んでいた。

そこに当てて右手の樹木に黒いアンテナ線のようなもので括っていた。

それで固定している構造物はなんとなく何かを干す道具であるように思った。

付近を歩いて探してみた。それより少し上にあった竿に稲架け。

この場は4本の樹木が並んでいた。



そこにそれぞれPP紐のようなもので縛って固定していた。

竿を架けるには丁度いい樹木であるが、このような在り方を見たのは始めてだ。

後日に聞いた室津のハザカケ。

風景写真家のYさんがいうにはここ室津の特徴であるらいい。

(H28.10. 1 EOS40D撮影)
(H28.10.15 EOS40D撮影)
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永谷のハデ架け

2017年05月23日 09時01分05秒 | 民俗あれこれ(干す編)
旧西吉野村の永谷(えいたに)にハデ架けをしていると聞いたのは数週間前。

十津川村の内原滝川、風屋、谷瀬など各地のハデ架けを取材して帰路途中に立ち寄った旧大塔村の阪本住民からである。

在地の阪本にもあったと云っていた。

Iさんが教えてくださった永谷のハデ架けの存在を確かめたく、この月の15日に取材した。

想像していた情景ではないが時間もなかったことから中途半端になった。

吉野町の香束で一本竿のハザカケ景観を撮っていた時間帯は午後3時

日暮れる時間も早くなっている。

先を急がねばならないと走ってきた。

それから1時間半後。

着いた時間は午後4時15分だった。

着いて勢い集落を巡る。

十日も経てば稲刈りも終えてハデ架けをしているだろう。

街道に沿って峠まで行く。

その手前にもあったが下りながら撮らせてもらおうと思って奥に向かう。

峠を越えてさらに進めば和歌山県の西富貴に出る。

そこから山を下っていく道は旧大塔村阪本と結ぶ一般県道の732号線。

北上すれば五條市の大津町を経て犬飼町に着く。

西に少し走れば和歌山県の橋本市になる。

和歌山県と奈良県の境目にある県道だそうだが、私は走ったことがない。

話はUターンして永谷のハデ架けに戻そう。

例年であれば稲刈りはとっくに終えて、今の時期なら稲架けから干した稲を降ろして脱穀しているぐらい。

今年は珍しく秋雨前線や台風の影響で長雨が続いた。

天日干ししたお米はとても甘い。

ふっくら炊いたご飯はおかずがなくとも美味しい。

おかわりしたくなるご飯の味を忘れたくないと云ってわざわざ大阪から我が家までお米を買いに来る人がいると電話口で語ってくれたYさん。

四日前の21日だった。

それからも連続する晴天は見込めない日々。

天日干しの稲架けを下ろすのは天候次第。

晴れ間が数日続く日を選んで息子に来てもらうと話していた五條市・旧西吉野村の永谷を再び訪れた。



奥にあるお家は不在だった。

十日前に来たときはまだ稲刈りもしていなかった。

着いたこの日はすでに干してあった。

色合いからみれば日にちはずいぶんと経過している。

刈り取った間なしであれば稲の色がある。

青色が消えている状況からみれば一週間ぐらいかもしれない。

多段型の竿は何本あるのだろうか。

数えてみれば10本、いや1本の場もある。

下から4段目ぐらいまでは手が届く。

そこまでなら一人作業で済むが、それ以上の高さはそういうわけにはいかない。



ここのハデ場に梯子がある。

右端は数段までの高さ。

左側の梯子はもっとある。

てっぺん部分に上がることは可能だが、すぐ傍にある鉄製の台はなんだろう。

下部に車輪があるから左右に移動できる台である。

位置を固定しているのは角材。

そこへ揚げるにジャッキは要らないのだろうか。

いずれにしても梯子に乗ってその台に上がる。

安定している台も下でするのと同じように一人作業で済ませることができる。

上手いこと考えたものだと感心する。

さらに近寄ってみれば二股木の棒があった。

長さ違いの2本立ては刈った稲を多段型ハデ場に登った人に渡す道具。

若い人であれば地上から高い所に登った人には放り投げて届ける。

投げるには肩の力どころか体力が要る。

若い人にはできても高齢者では無理がある。

そこで役に立つのが二股木の登場である。

二股部分に稲束を架けて竿のように突き上げる。

それで届ける道具であるが、渡す距離によって使い分けているのだろう。

その場を下っていくときに目に入った二人。

お声をかけている時間がないから失礼したが思った通りの高齢者だった。

聞き取りをしたかったが、時間がない。

申しわけなく、頭を下げて次の場に向かう。

それほど遠くない場に多段型のハゼがある。

竿は10段である。

十日前に来たときは稲刈り真っ最中だったY夫妻。

そのときに撮らせてもらった写真を渡す。

今年の長雨に天候不順。

泥田の田んぼでも稲刈りをせざるを得ない状況に奥さんが天を見上げて高笑いしていたことを思い出す。

その表情をとらえた写真を渡したら、また笑ってくれた。

ちなみにご夫妻が住む家の前を通る道は西熊野街道と呼ぶ。



3年前の豪雨で谷から流れる水が溢れて前庭が水浸しになった。

牛小屋や厩にトイレもあった処が流されたと話す。

旅人が往来する“くもすきの山”に宿場があったと云われたが、“くもすき”って何だ?。

まさか“くもすけ”のことでは、と思ったがツッコミは入れなかった。

「ハゼ」、或は「ハデ」と呼んでいる多段型の稲架け。

11月の始めのころまでこうして干している。

干した稲は稲架けから降ろして籾をする。

それを「モミスリ」という。

「モミスリ」は動力電気でしている。

「モミスリ」したお米が美味しいと云って20年ほど前から毎年のように来て買ってくれる人が要る。

息子さんが広陵町に住んでいるらしく、今年も来るのだろう。

そんなに美味しいY夫妻が作付する品種はコシヒカリ。

タンカンコシもあるコシヒカリは風に強い。

5月20日頃に田植えをして育てたコシヒカリは天日干しで美味くなるという。

以前、何カ所かで貰った天日干しのお米をよばれたことがある。

ところが、私の舌では味に違いがわからない。

甘くて美味しいという永谷の米も試してみたいと思った。

ところで前庭に干し物があった。



今年になって初めて作ったゴーヤ。

知り合いから干したら美味しくなると云われて干している。

実成が悪くて、採りごろやと思っていたら赤い実になったゴーヤもあったそうだから天候不順が影響したのだろうか。

山で採れるゼンマイの収穫時期は5月初め。

これも干して保存食にしているという。

ここ永谷ではコウヤマキを栽培している。

15年ほど前から和歌山の新宮からわざわざ来られて買ってくれる人がいる。

さまざまなことを話してくれる永谷に年中行事がある。

3月の初午は川向こうの稲荷さん。

11月7日は山の神さん。

8月16日は地蔵寺で施餓鬼。

村の人たちが集まってくるようだ。

永谷の西熊野街道をさらに下った地に多段型のハデがある。

竿は10段である。

西熊野街道の端際に建てたハデは十日前に稲刈りを始めたY家が所有者。

入村した際に走っていた道路から見えた稲刈り親子がY家だった。

時間帯は午後5時15分。

滞在してから1時間も経過する。

西の方角をみれば黒い雲が被ってきた。

すぐにでも雨が降りそうな気配である。



高台から周りの景観を見る。

街道にはみ出すことのないように建てた構造物にある実成の稲の色は二色。

枯れた色は十日前の9月15日に刈って干したもの。

青々とした色は訪れたこの日に刈りとったもの。

遠景で拝見してもそれがよくわかるハゼの景観である。

ハデ向こう側の街道から架けていた息子さんの姿は見えない。

手の届く範囲内であるからなお見えない。

それ以上の高さに掛ける場合は梯子を架けて登らなければならない。

息子さんは登って竿を跨る。

跨るだけでは足を掛ける際に体制を崩すおそれがある。

そうならないように膝と足の部分を竿に絡ませる。



2カ所を固定することによって体制を保ちながら作業をする。

天候不順の毎日に待ってられないと判断されて、姉妹二人とともにこの日にやってきたという。

高い位置に跨っておれば降りることはない。

相方のお姉さんが下から稲束を放り投げてくれる。



受け取る弟は右手で竿を掴んで左手で飛んでくる稲束をがっちり。

絶妙なコントロールもあるが、呼吸合わせが大事だ。

作業を拝見していると左右とも同じ量の束ではないように見えた。

手渡してもらった稲束をくるりと返す。

その際に分量の多い方をくるりと180度も反転させるように竿の向こう側に。

こちら側は少ない。

次に受け取った稲束はカエシをつけずにそのままの状態で分量を分ける。

このときの向こう側にするのは少ない方。

およそ1/4と3/4ぐらいの量を交互に束分けて竿に架ける。

つまり、交互に量を分けて竿架けしていることがわかった。

何故にそうするのか。

簡単なことである。竿に架けた稲はぐっと押し込むようにして詰める。

そうすることで偏らずに左右のバランスもとれ、数多くの稲束を架けることができるのである。

単に写真を撮っているだけではそういう工夫に気がつかない。

民俗は作業の在り方も観察することも大事なのである。

この動作を何度も繰り返すうちに雨が降ってきた。

急がねばならない・・・。

母親を手伝う弟と二人の姉。

その作業をずっと見ていたら日が暮れる。

奥にあることがわかっている永谷のハゼ場。

少しずつであるが十日前に訪れたお家もハゼに架けていた。

色は枯れているからこの日ではない。

これより十日前も夕方近くまで作業をしていたようだ。

立ててあった二股の木。



長さが若干異なる木は何。

当家のご夫妻もまた年老いた二人。

お話は伺えなかったが、高齢ともなれば稲束は投げることもできない。

その作業を補助するのが二股の木である。

たぶんにご主人は高い竿に登る。

下におられる婦人が二股の木に稲束を架けて上に揚げる。

ご主人がおられる高さに木の棒を持ち上げる。

手の届くところ持ち上げるまで。

それで稲束を掴む。

これの繰り返し。

これもまたたいへんな作業である。

下から刈り取った稲を運んできたのは妹さん。

キャタピラ駆動の小型動力運搬車でガタゴトガタゴトの音をたてながら運んできた。



運搬車のエンジン部はクボタ社製SUPEROHV。

メーカーは違うかもしれないが、十五日ほど前に取材した十津川村の谷瀬のOさんも同じような運搬車に積んで運んでいた。
 
雨は小雨。

9月半ばであっても暮れる時間は早い。

急がねばならないハゼ架け作業。

弟さんはこの日しか仕事を休めなかった。



持越しはできないから照明器を持ち出した。

投げる方も受け取る方も難しい作業を難なくこなしていた。



永谷には国道沿いにも一カ所あるが、天気次第で伸び伸びのような雰囲気のようだ。

たいへんな労力をかけて干す作業を撮らせてもらった永谷。

翌年の平成29年3月12日に訪れた大淀町大岩に住むKさんは国道を通る度に構造物が気になっていたと云った。

とても大きく長い木製の構造物はダイコン干しでもなく柿を干すわけでもない。

私がとらえた写真展「ハデの景観に」を見られて納得したと云っていたことを付記しておく。

なお、永谷には宿泊できる温泉施設がある。

平成27年4月に創業した「西吉野桜温泉」である。

手軽にいただける一品料理もあるし、最近になっては始まったジビエのシカやシシ肉料理もある桜温泉は日帰り入浴も魅力的。

季節問わず、訪れてみたいと思うが・・・。

(H28. 9.25 EOS40D撮影)
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吉野町香束のハザカケ

2017年05月22日 07時15分00秒 | 民俗あれこれ(干す編)
宇陀市榛原の篠楽(ささがく)の取材を終えて進路を旧西吉野村に向けてハンドルを切る。

旧西吉野村に向かうには榛原からは一挙に南下する。

吉野町の三茶屋(みつぢやや)から右折れして吉野川の畔にでる。

そこからは東に東へとひたすら走って五條市の本陣信号を左折。

吉野川に架かる大川橋を渡る。

そこからはずっと南下。

山に入っていく。

そういうコースを選んで車を走らせる。

三茶屋の信号を右折れ。

そこから道なりに走る。

柳を抜けてしばらく走れば左手に一本竿を架けたハザカケが目に入った。

時間帯は午後3時。

じっくり眺めている余裕はないが車を降りてしばしハザカケ景観を撮っていた。

この地は吉野町香束(こうそく)。

前月の8月24日も訪れた地である。

その日は夜間。

地蔵盆の提灯の灯りに釣られて車から降りた。

そのときも先を急がねばならないから短時間の撮影だった。

(H28. 9.25 EOS40D撮影)
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再訪、内原のハデ

2017年05月12日 09時38分51秒 | 民俗あれこれ(干す編)
再び訪れた十津川村の内原(ないはら)。

数日前の10日に訪れたときと同じように思えたハダ架けの景観がある。

集落戸数は10軒満たない。

うち、ハダ架けをしているのは2軒。

上流の奥里もしていたそうだと聞いている。

急な坂道を車で登る。

そうでなければ壊れた心臓が弾けそうだ。

急な登りはまだ不完全な身体では無理がある。

そう思って車で登る。

家の周りなど、あちこちに点在する多段型のハダ架けに見惚れて巡っていた。

せっかく乾いてきたというのに雨が降りそうな気配である。

雨が降れば天日干ししたお米は湿ってしまう。

仕方なくブルーシートをかけて保護するが・・・。



ご主人のNさんは干して10日ほどもすれば下ろすと云っていた。

下ろす時期は天候状態によって日にちを決定される。

晴れ間が数日間続く場合であるが、今年は長雨。

下ろすタイミングが難しいという。

ハダ架けは刈り取りから始まる。

それも天候次第。

下ろすのも天候次第。

気象状態に左右される作業はカンピョウ干しも同じだと思った。

このハダの竿、支柱は金属ポール。

木造であれば大工さんに作ってもらうが費用はかかる。

金属ポールであれば83歳の私でも組むことができるし費用も助かると云う。

ハダに登って稲架けをするのは旦那さん。

若いときの奥さんは下から稲を投げて渡していた。

年老いたらそれは無理。

二股木に稲藁を架けて下から持ち上げるようにして旦那さんに渡す。

つまりは二人がかりでする作業である。

一人だけでは高い竿に架けるのは無理がある。

谷瀬のOさんが云われた危険回避はよくわかる。

稲架けは9月初めに1回目。

天気が良くなった9月10日が2回目の稲架け。

3回目は15日だった。

一挙に行う作業は老夫婦にとっては負担がある。

天気の具合をみて作業をしているという。

天日干しは天候次第。

降ろす時期もこれまた天候次第でカラカラに乾いた日が三日以上続けば降ろして脱穀するそうだが・・・今年の長雨でいつになるやらと云っていたのが印象的だった。

(H28. 9.15 EOS40D撮影)
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再訪、滝川のハダ

2017年05月10日 09時21分04秒 | 民俗あれこれ(干す編)
この日は芋名月の十五夜だ。

日が暮れて辺りは真っ暗闇に包まれる。

その時間帯がくるまでに見ておきたい十津川村滝川のハダ。

区長こと総代の話しによれば、今では稲作をしていない家もあるそうだ。

稲作はしなくとも稲束を干す構造物はそのままにある。

保存しているわけでもなくそのままにしてある。

そういえば支流滝川に架かる橋の近くに多段型のハダ架けがあった。

これまでの云十年。

二十歳のころからずっとここに来ていたが、あるにはあるという認識だった。

それが何であるかは、この年(歳)になって初めて知った。

二十歳過ぎから数えて四十年以上にもなる。

ずっとこの場に立っていたハダ場がある。

主(あるじ)はいなくともその存在感は大きい。

長年に亘って存在感を示していたものが川向こうにある。



多段型のハダ架けは今でも現役。

4日前に拝見したときと同じ状況である。

干した稲束はいつ下ろされるのか・・・。

この日の夜。

すぐ近くで人の動く姿があった。

時間帯は午後7時半ころだった。

そのことについては後述する。

橋近くにある多段型のハダ架けに見惚れていた。

これより上流に向かう。

車のエンジンをふかせて走らせる。

数十メートルも走らない処で目に入った多段型のハダ架け。

稲刈りを終えた田んぼは点々点………。

その向こう側にあった屋根付きの多段型のハダ架け。



ここ滝川ではどこでも同じであるが、赤いトタン屋根が映える情景もまた良しと思ってシャッターをきった。

段数は6段。

他より少ない段数であるが、これまた良し、である。

ここは十津川村でも無名の大字滝川。

川の名も“滝川”。

最上流にある滝百選の「笹の滝」は有名であるが・・。

滝川の裏地垣内。

ここでは3軒ぐらいがしていた。

私的にはとても素敵な景観である。

川を渡る手前の向地垣内は昔にしていたハダ場。

高齢化によって放置、

それもまた原風景らしい景観を醸し出していた。

(H28. 9.15 EOS40D撮影)
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