マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

冬野・畑の民俗探訪

2018年11月30日 09時51分47秒 | 楽しみにしておこうっと
9日の日にも訪れた明日香村の冬野。

鼻持ちならない撮影隊に気分が鬱陶しくなったから、場を離れた。

この日であれば鬱陶しい撮影隊とは遭遇しないだろう。

期待値はゼロだが、なんとなくそう感じたから出かけてみた。

車を停めた場は通称冬野墓と呼ばれている宮内庁管轄の良助法親王(りょうじょほっしんのう)の墓前の道路際。

私が探す目的地は波多神社。

9日に訪れたとき、鎮座地にたどり着かなかったから再調査である。

カーナビゲーションが示す神社の位置はまだ先だ。

道があるようでない道はどこなのか。

民家が数軒ある。

その間をぬって里道をゆく。

どこまで行っても目的地らしき雰囲気に到達しない。

里道と思っていたが、むしろ山道に近い感じの道。

この先、どこまで行くやら、である。

水溜している施設があった。

ここは冬野の水源地。



傍にあった石仏は2体の不動明王。

近くに地蔵尊らしきものもある。

いずれも最近と思われる花を飾っていた。

参拝に花を立てたのはおそらく冬野の人であろう。

が、人影はまったく見られない。

諦めて来た道を戻った。

民家の1軒に冬野総代表示があった。

お声をかけたら屋内から声がする。

ご主人はI総代だった。

当地に訪れた目的地の波多神社は逆方向にあった。

民家傍にある坂道を登った処に鎮座するが、ここら辺りは獣が多く、田畑を荒らすために電柵を設置しているという。

総代に尋ねたのは波多神社の行事である。

波多神社の行事は昭和62年3月に発刊された『飛鳥の民俗 調査研究報告第一輯(集)』に紹介されている。

9月14日は例祭のマツリ。

この年は次の日曜日にあたる9月17日を予定していたが、台風15号が上陸する可能性があることから、これよりずっと前の週になる9月2日の日曜日に済ませたという。

台風が来なかったら14日以降の日曜日にするというから、取材は来年に持ち越しになった。



神社へ行くには電柵を外してあがってくれても構わないというお言葉に甘えて足を運んだが、外すには注意が必要だ。

おかしな部分を触れたら感電する。

かつて電柵にズボンごと引っかけたときの恐ろしさを思い出して断念したが、向こうの方に見える神社の鳥居をカメラに納めた。



向こうにあるのは地蔵尊のように見える。

総代が話した行事は飛鳥坐神社の飛鳥宮司が御湯をするらしい。

『飛鳥の民俗』に例祭のマツリのことが書いてあった。

かいつまんで列挙しておく。

頭屋家で一年間祭るオカリヤは既製の形。

注連縄を張る。

昼前に篠竹の御幣を立てる。

神饌は朱塗り膳で供える。

祭典後にハマチ或はカツオの焼物など馳走をよばれる。

直会が終わればオカリヤや御幣を次頭屋に送る、ということだ。

ちなみに総代が話してくれた行事に仏事がある。

毎年の8月17日は観音講の行事である。

17日は観音さんの縁日。

講中の営みを拝見したいとお願いしておいた。

二つの行事の詳細は行ってみないとわからないが、楽しみは一年後に、としておこう。

集落から下って隣村の畑に向かった。

その途中に思わずブレーキした地に石仏があった。

錫杖をもつ姿の地蔵石仏。



その隣は庚申さんだ。

箱入り酒がお神酒であろう。

石仏2体の姿がなんとも言えない佇まいを装っていた。

畑に降りて少し歩いてみる。

誰一人として遭遇しない畑の集落に神社があった。



扁額などから八幡社のようだ。

昭和62年3月に飛鳥民俗調査会の編集・発刊による『飛鳥の民俗 調査研究報告第一輯(集)』がある。

大字畑は二村。

上に上畑、下に下畑がありそれぞれに氏神さんを祭る神社がある。

上畑の神社の氏神さんは旧くは木花咲夜姫命だった八幡神社である。

下畑の神社は春日神社。

二村ともそれぞれに垣内ごとの3組に分かれる宮講があると書いてあった。

また、畑は隣村の入谷、栢森、稲渕の4村とともに参拝する飛鳥川上坐宇須(※宇佐)多伎比売命神社がある。

マツリに参拝する各村の座位置は決まっているとある。

上畑の神社行事については『飛鳥の民俗』に書かれていないが、下畑の春日神社で行われるマツリに記載があった。

記事によれば、10月13日は頭屋家の御幣切り。

御幣は篠竹に挟んでヤカタに御幣を立てる。

また、境内では御湯の作法がある。

祭事が終われば籤引きで決める頭屋決めがある。

興味深いのは神職こと斎主が座る円座に乗せた新藁は、持ち帰って妊婦の腹に巻いておけば安産になるという。

言い伝えの安産で思い出した大和郡山市柏木町素盞嗚神社の宵宮がある。

柏木町の安産願いの印しは御湯をされる巫女さんの腹に巻くサンバイコである。

いただくモノは違っていても安産の願いは一つ。

子孫繁栄である。

また、直会と思われる座の膳に蒲鉾や芋、大根、牛蒡、松茸(椎茸)、白和え蒟蒻、柿、高野豆腐にアンパンがあると書いてあった。

大字畑の民俗行事は神社行事だけでなく村の年中行事に取材心が惹かれる行事がある。

一つはカラスノモチである。

鏡餅をとった残りモチのカラスモチは12個。

例年は12個であるが、閏年は13個になる。

餅つきの翌日に田畑に出向いて、「鳥来い、モチやるわ、ギンナン三つとかえことしょ」とおお声を挙げて畑に蒔く。

カラスノモチは畑以外に大字上居(じょうご)にもあった。

「カラス来い、モチやるわ 十二のモチは、お前に一つ、自分に二つ、ゴンゲンさんに三つ、ツレ(宙で)取ったら皆やるわ」と叫んで一升枡に12個(閏年は13個)入れてやりに行くと書いてあったが、今でもしているとは思えないカラスノモチの習俗であるが、かつて天理市の藤井や奈良市の誓多林町でされていた民俗を収録したことがある。

畑の年中行事はまだまだあった。

ウラジロを敷いた三方に盛る鏡餅、蜜柑、柿、昆布を玄関に祭る。

これを戸主から順番に頭上に掲げる作法をする。

戸主が終われば家族に廻して家人それぞれが頭上に掲げて拝むように作法をする。

これを元日祝いのイタダキまたはイタダキノゼンと呼んでいた。

奈良市長谷町・誓多林町や山添村周辺の奈良県内東部山間部は今でもイタダキノゼンをしているお家があるが、畑ではおそらく中断しているのだろう。

他にも初山、山の神、七草粥、ウヅキヨウカ、八十八夜のレンゾに8月13日のソンジョサン(※先祖迎え・送りであろう)。

また、下畑にはかつてイノコ行事をしていた記録がある。

平成11年に発刊された『奈良県立民俗博物館だより』に明日香村下畑で行われていたイノコ行事のことが書かれているそうだ。

各家を巡って「ホーレン」と呼ぶ稲の藁で打ちつけていた。

藁の内部には「クワエのヤ」を入れていたとある。

「クワエ」は「クワイ」が訛った表現であろう。

ちなみにクワイを充てる漢字は「慈姑」である。

「ヤ」はクワイの芽。矢のように突き出ているからその名で呼んでいたようだ。

イノコの詞章は「いのこのばんに おもちつかんいえに はしでいえたて かやでやねふき うしのくそでかべぬって ここのよめさんいつもらう 三月三日のあさもらう」であった。

かつては旧暦の11月15日であったが、12月1日に移ったとあるが、戦時中に中断したようである。

さまざまな年中行事があった大字畑。

かつての民俗の掘り起こしに、体験された人の記憶を辿ってみたいものである。

(H29. 9.14 SB932SH撮影)
(H29. 9.14 EOS40D撮影)
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サンヨー食品のサッポロ一番油そば

2018年11月29日 09時15分25秒 | あれこれインスタント
所用で立ち寄った大阪住之江にスーパーサンディがある。

大和郡山市内にもあるが、最近はご無沙汰している。

務めていた送迎の仕事を辞めたことによる影響もあって疎遠になった。

尤もスーパートライアルとかラ・ムーに山陽マルナカなど多くの店に行くようになったのも理由の一つである。

たいそうなことでもないが、それだけの理由である。

ただ、住之江にはこのスーパーサンディか、スーパーサンコーが近くにある。

あってもほとんど、というか99%がスーパーサンディ。

商品棚にあった「油そば」の大きな文字に引き込まれていく。

以前も食べたと思うが、この日の値段は特売。

一杯ぐらいなら、と思って買っておいた。

サッポロ一番油そばは醤油味。

それも濃厚な醤油ダレ。

旨みたっぷりの醤油調味ダレはどろっとしている。

お湯注ぎ4分間。

あちち、と云いながらお湯捨てに苦労する。

蓋を引っ張返して取ってしまう。

あれば食べにくい。

邪魔になるだけなので取っ払う。

液体ソースになっている調味ダレは蓋の上に置いていた。

インスタントカップ麺で液体ソースが添付されている場合は、いつもそうしている。

温めればソースが出やすくなるし、袋の中にも残さない。

最後はこれまたいつも通りであるが、箸で挟んで絞り出す。

これを指で抑えてする人もおられるが、指が汚れるだけだし、抑える指の圧力しかないから簿妙に残る。

私は随分と前から箸で挟んで絞り出してきた。

袋入りの山葵も生生姜も同じようにしている。



絞り出した醤油調味ダレを麺に落とす。

かかったところだけが色がつく。

大きな鶏肉そぼろにもソースがかかる。

シャキシャキ感が強いキャベツもナルトにもタレが浸みこんでいくが、混ぜてしまえば、ほとんどが底に沈む。

美味しいタレも底に沈む。

麺をある程度ひっくり返してタレを絡ませる。



それでも液体ソースは底にとごってしまう。

麺を箸で掴んでは底の液体ソースに絡めて食べる。

これが美味いんだな。

たまらん味に食が進む。

麺は太麺。

タレの絡み良くて、モッチモチの食感に喉が唸る。

あっという間に食べきった。

この日の昼食は油そばだけでなく冷凍の焼きめしも添えた。



焼きめしは残り物の味の素の具だくさん五目炒飯

金華ハムのだしでコク深いと書いてある。

旨さがあるから掬ったスプーンの上で爆ぜる。

そんなことはないが、放り込んだ口の中で踊り込み、であるが、なんとなく嫌みのある味も混ざる。

それが何であるのかわからないが、口の中に残る。

金華ハムはともかくニンジン、ネギ、タケノコ、クワイ、シイタケのすべてが中国産。

こりゃまいりました。

ちなみにサッポロ一番油そばの塩分含有量は3.3g。

産地はどこに書いてあるのだろうか。

(H29. 9.13 SB932SH撮影)
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魚輝水産住之江店の本格かす肉うどん

2018年11月28日 08時46分14秒 | 食事が主な周辺をお散歩
綺麗に美容してもらったおふくろとともにお昼ご飯。

美容室は住み慣れた大阪市内の住之江。

食事処も住之江に決めていた。

前日に果物を持っていきたいと云っていた実弟夫妻も合流して食事処に向かう。

そこはおふくろが住む居住地からほど近い所にある。

とは、云っても自力歩行に難があるおふくろは歩きでは到底無理な距離。

車に乗ってもらって着いた食事処は先月に2度も利用した「マルヤス水軍」の住之江店。

みな揃って美味しいと喜んでくれるからまた行きたくなる。

しかも、同店は座敷もある。

実弟夫妻も一緒になれば5人席。

ゆったり落ち着いて食べたい。

それがお店決めの第二条件。

第一条件は料理の美味しさをしっているからクリアーしているから、ここしかないと決めてやってきたら、なんとなく雰囲気がおかしい。

停めた駐車場に店から出てきた割烹姿が二人。

慌てていた。

何事かと思えば、11時半に開店した店内の灯りが真っ暗なのだ。

割烹姿の料理人曰く、全館が停電になっているという。

直ちに関西電力会社に緊急コールをするもまだ到着していない。

近隣のお店も停電のようだというが、一般民家はそうでもないようだ。

つまりは屋外に誰も慌てふためく人の姿がない。

お店の人がいうには近隣も含めて店舗だけが停電しているという。

復旧の見込みは今のところはない。

待っているわけにはいかないから、食事処を切り替える。

急展開に決めた食事処は何度も食事をしている「魚輝水産」の住之江店。

おふくろの居住地にほぼ含まれる幹線道路沿いにある。

「マルヤス水軍」住之江店からおよそ5分も要しない地にある「魚輝水産」の住之江店。

実弟夫妻はこれまで入店したことがないという。

あれやこれやとメニューから選んだ商品は・・。

ブリのアラが入っている赤だし付きの海鮮丼ランチ。



税抜き価格が500円のワンコインである。

これは奥さま方二人が注文した。

おふくろと弟は税抜き価格が480円の〆のざるそば。

蕎麦麺は北海道産そばを使用している、とメニューに書いてある。

おふくろはそれだけでは満足できずににぎり寿司も。

頼んだにぎりは税抜き価格が320円の中トロまぐろにぎり2貫。

脂がのって美味しいと連発していた。

いつもの私であれば海鮮丼にするのだが、まぐろ丼を探していた。

それはメニューにはなかった。

方向を一転してメニューの麺類に目がいく。

税抜き価格が580円の本格かす肉うどんである。

メニューには手延べうどんを使用しているとあったが、一度は口にしてみたかった「かす」うどんに決定する。

「かす」うどん文化の始まりは大阪の藤井寺が発祥の「加寿屋」さんになるそうだ。

「かす」は牛肉の脂かす。

「油かす」の表現が一般的であるが、これは牛のホルモン。

それも小腸を細かく刻んで、油で揚げる。

流行りとなってからは中小スーパーでも固まりの油かすを売るようになった。

油かすはお好みに入れても美味しい。

旨みがでるのである。

油かすは云うほど油、油はしていない。

どっちかとおえばさっぱりとか云う人も・・。

ただ、スーパーで売っている固まり油かすはけっこうなお値段である。

我が家の家計簿に合わない価格に手は伸びない。

尤も、伸びない理由は他にもある。

家人が好まないのである。

私はすき焼きの具材のなかでもとびきり好きなのが牛脂である。

たまらない魅力は子どものころからの大好物だ。

それとは違うものであるが、試し喰いをしたくなって注文した本格かす肉うどんは香りからしてたまらない。



旨さが鼻の中に吸い込まれていく。

うどん出汁には脂が浮く球体面は見られない。

脂であるのに球体がない。

これってどういうこと。

まずはと思って箸で摘まんだうどん麺。

丸くも四角でもないうどん麺。

どちらかといえば平麺だ。

それも名古屋が有名な平たい麺と云えば「きしめん」である。

その「きしめん」みたいな食感以上につるつる感丸出し麺はやや中央部が膨らみをもつ。

喉越しがたまらないのもあるが、決して柔らかくはない。

コシがあるのだ。

噛み応えのある麺に思わずバンザイしてしまう。

出汁は醤油味をベースにしているように感じるが、醤油っぽさはまったくない。

昆布出汁なのかな。

旨みのある出汁に、これはっと云ったのはかーさんだ。

牛肉はバラ肉。

脂身もあるし、歯ごたえもある、肉々(憎々)しい牛肉も美味い。

うどん麺も牛肉もなかなか減らない。

白髪ネギに刻みネギと相まって喉の奥に吸い込まれている。

ところで肝心かなめの油かすである。

食感は牛脂とはまったく違う。

トロトロ感はまったくなく、ガシっとした噛み応えのある脂カスだ。

噛めば噛むほど旨みがジュワー。

あー、これも堪らん。

麺も油かすも牛肉もたっぷりな分量。

美味しさ満腹に感動する。

そういえば、メニューに「かすは国産黒毛和牛の甘味の強い(油)かすを使用し、うどんは日本伝統の手延べ製法で作っているコシのあるうどんを使用している本格かすうどんです」とある。

控えめな書き方。

もっと、強気のインパクトある発言であっても良いと思う。

そのことは後から気がついたことなので、女店員さんに伝えなかったが、あまりの美味しさにこりゃたまりまへんと満面の笑みで伝えたら、ありがとうございます、と喜んでくれた。

喜ぶのはこちらの方だが・・。

旨さを満喫した本格かす肉うどんの販売はつい最近の数か月前になるそうだ。

絶品のかす肉うどんは私の中の人気一番になった。

また、寄せてもらいます、と云えば、今度来られたら、また違う新メニューが登場するらしい。

ちなみに当店で初めて食べた〆のざるそば。



美味しいを連発しながら食べていた。

先月に食べた「マルヤス水軍」のざるそばとはまったく違うが、これもまた美味しいという。

麺は「マルヤス水軍」がやや中細麺。

魚輝水産のざるそばはやや細麺。

出汁の絡み具合がいいのだろう。

そうそう、中トロまぐろのにぎりは大満足していたことも記しておく。

(H29. 9.10 SB932SH撮影)
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頭の装いは馴染みの美容師さんに

2018年11月27日 09時06分28秒 | むびょうそくさい(おかん編)
9月8日は二日前の6日もそうだったが、この日も独り入浴。

今夜も入浴は独りで入れるようになったから入らせてと云いだして入浴する。

痛みがなければここまえ復活することができた。

嬉しいのは私たちであるが、おふくろはもっと嬉しい。

そのおふくろ、入浴あがりに洗濯機の上に置いた眼鏡がないという。

洗濯機の蓋に置いた眼鏡はふとした拍子に壁際に落ちたのかもしれない。

そう思って洗濯機を前方に傾けて斜めにする。

壁やら床の隙間にあったのは、昔しに落としたと思われるモノが出てきた。

タオル、履物などなどだが、眼鏡はない。

蓋を開けた際だ。

どういう具合になってそうなるのかわからないが、洗濯槽の内部に落ちた可能性も否定できない。

そう思って洗った着衣やタオルなどを槽から引き上げる。

眼鏡が紛れ込んでいないかどうか、一つずつ解くように広げる。

それでも見つからない眼鏡はどこに行ったのだ。

空中に消えたのかもしれない。

そんなことはあり得ない。

マジックが我が家で発生することはない。

それぞれ2回ずつ探してみるが、ない。

半ば諦めていたおふくろは思い出した。

おふくろが持参してきた袋を探してみれば、あったという。

マジックでもなんでもなかった。

認知症のたぐいかと思うが、前回に置いたことのある洗濯機の蓋。

そのときの印象が混同、それとも強い印象が記憶の断片に残った。

記憶に印象付けられたようであるが、探しても見つからない最中に私は云った。

眼鏡ぐらいなら買ったら良い。

失くしたものは買えば良い。

そう云っていたが、実際は記憶間違いであって、袋の中に存在していた。

再びこの世に出現したおふくろの眼鏡はオール金フレーム。

純金で作られた眼鏡フレームを買うときのことを思い出した。

買った眼鏡は60万円。

20年ほど前、保証人になってくれとおふくろは私に頼んだが、断った。

金のフレームにする必要性はない。

ない上に金額の高さに唖然として断固として断ったことを思い出した。

それが今回の大騒動になった金フレーム眼鏡。

結局は月賦で買ったという眼鏡。

生年月日から、本日の日にち、時間、食事、行動もきっちり云えるおふくろ。

二日前の介護認定調査員も驚かれた認知度あい、いや違った、記憶。

断片的でもなく脈々と話せる記憶であるが、つい最近の記憶の勘違いなんて誰しもあると思っている。

翌日の9日の朝。

起床したおふくろは腰辺りが痛くて歩きは不自由であったが、なんとかトイレに行く。

何故にそうなったのか、考えられるのは痛み止めの薬の服用である。

本人の意思で服用を停めていたというのだ。

それも期間が1日半。

我慢できると思って、そう判断したらしい。

薬を飲めば、それから数時間後には効き目を発揮する。

そうであれば、記録してはどうかと勧めた。

痛みが出たときの時間。服用したときの時間。

再び痛みが発症したときの時間。

我慢できる、できないではなく、発症した時間を記録することで、薬の効き目がどれぐらいあったのかが、わかる。

なぜにそうするのか、といえば良好に向かっていると感じられたからだ。

痛み止めの薬は毎日飲む。

或いは一日3回も飲むというような処方がある。

服用量はそれで良いのか。

むしろ飲み過ぎると身体によくないと云われているロキソニン錠。

痛みは人それぞれである。

錠剤の量も人それぞれである。

にも拘わらず・・・というような医師もあるやに聞く。

で、あれば、当初は必要事項であっても経過する状態によって換えることも考えないといけない。

それが傷みの間隔である。

発症する、服用する、その間隔を計測する。

決して感覚ではなく、間隔を実測する。

長ければ長いほど良好に向かっているということだ。

一時的に我が家で介助していたおふくろが希望を申し出る。

昨夜に三日前も我が家のお風呂は独りで入浴できるようになった。

髪の毛も洗うし身体も洗うが、身だしなみはそれだけでは済まない。

気持ちも新たに美容室に出かけて装いしたいと云う。

我が家の近くにも美容室はあるが、やはり馴染みのある美容師さんにお願いしたい、ということで住み慣れた住之江の美容室ノア。

美容してもらう日も決まった。

一時的都合で我が家にきていたおふくろは4日ぶりに居住地に戻った。

その晩に痛みが出てきた。

当然ながら痛み止めは飲んだ。

きっちりメモも書いておいた。

それから何日経ったのだろうか。

毎日、毎日が痛みのない生活におふくろはしゃんとしだした。

メモした10日から6日経った16日になっても痛みはない。

嬉しいが、また、いつ痛みが出るのか、いらん心配をしてしまうのが怖い。

(H29. 9.10 SB932SH撮影)
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檜前・冬野の民俗探訪

2018年11月26日 08時48分29秒 | 楽しみにしておこうっと
昭和62年3月に発刊された『飛鳥の民俗 調査研究報告第一輯(集)』がある。

編纂は飛鳥民俗調査会だ。

その中に明日香村大字檜前(ひのくま)にある於美阿志(おみあし)神社の行事が書いてあった。

「座は大講・新講・戦後組織されたおみあし講、大講の座の営みは一週間前に吉野川水垢離小石3個。9月5日米洗い・6日餅搗き(塩餡餅)・7日餅座・8日本座を8日に一本化、頭屋床の間オカリヤ、葦編み菰敷き・高杯盛り・御供下げ一升餅切りは髪の元結切り→現在は糸切り、杉板御供48枚(餅2個・餅3個・餅4個・餅6個を置く杉板はそれぞれ12枚)。8日は宵宮座の馳走(揚げ物多種類・底に油揚げ二枚敷いた平椀・汁椀・テショ皿盛り・クズシつくね薯)。9日は宮送り、午後1時頭屋女児正装板御供頭上にいただき作法、宮参り後に頭屋受け渡し、三献の酒宴(牛蒡のハリハリ・蒟蒻のピンピラ・蓮根・汁椀、一巡後に取り盃・飯椀を客前に進めおく・〆の当主口上に客人が詞返し)、神官祝詞奏上経て御幣納め、頭屋は月に3回が宮参り<三日(さんじつ)>・灯籠火点け」である。

宵宮に祭りは10月の7日、8日にあったが、今は集まりやすい土曜、日曜に移った。

神社前に御輿蔵がある。

まま高い蔵であるから御輿はそんじょそこらのようなものではないらしい。

昔は子どもが御輿に乗って村内を巡行していたが、今は少子化。

仕方なく、子ども不在の神輿であるが巡行しているという。

当家のK夫妻は昔から当村に住んでいたわけではなかった。

少し離れた隣村(大根田)で生まれ育った旦那さん。

一時は大阪市内の福島に住んでいたそうだ。

現在の屋敷は夫妻が建てたものではなく、明日香村に出仕する宮司家が住んでいたそうであるが、諸事情で家屋敷を手放すことになった。

不動産屋が売りにだしていたのを買い付けて住むようになったが、元々の住民でないから村行事を詳しく説明することはできないという。

ただ、9月の8日、9日にしていた神社行事の宵宮座、宮送りは記憶にあるようだ。

トーヤ(頭屋)制度もあった講中は三つの組があった。

いずれもご馳走を振る舞うなど、トーヤ渡しの引継ぎもあったが、何らかの理由で途絶えた。

9月の行事はなくなったが、10月のマツリはしている。

かつては10月の7日、8日であったが、現在は土曜、日曜。

サラリーマンの人が多くなり、行事日を替えたそうだ。

檜前は60戸ほどの集落。

うち20軒は祭りに来られて神事をしているようだ。

於美阿志(おみあし)神社は歴史ある神社。

この日も勉強されている団体が奥の神社前で何やら解説をされていた。

歴史ウォークの人たちであろう。

平成13年4月8日に拝殿を竣工された。

そのときの宮司、3人の神社役員、総代、副総代、4人の評議員が名を連ねている。

境内には稲荷神社などもあるが、祠もある。



格子扉の向こうにある石仏は紛れもない庚申さん。

青面金剛の立ち姿である。

庚申さんの周りには木の棒がいっぱいある。

目を凝らしてみれば文字が見える。

おそらく旧暦閏年に行われてきた閏庚申の塔婆である。

手前にある塔婆の願文は「干時 昭和参年閏弐月当ル今年閏弐月六日修之 上垣内講中当宿」。

その向こうにある塔婆は「干時 昭和四十六年閏三月 当ル 四月十一日 云々・・」。

その隣は「干時 昭和四十七年五月二十七日・・・」。

左に目を移したところにも立てている閏庚申の塔婆の願文は「・・云々青面金剛大童士天下泰平家内安全・・云々」とか「奉 祈南無青面金・・」とあることから繋ぎ合わせてみれば「奉 祈南無青面大童士天下泰平家内安全・・」であろう。

下部にも墨書が書かれているが、煤けているから判読不可。

埃に塗れているわけではないが、古くもない。

また、新しい年号ものの塔婆がないことから庚申講は廃れた模様である。

念のためにKさんに尋ねた結果は、40年も前に廃れたらしい。

塔婆の年号が一番近いのは昭和47年。

云われるとおりの40年ほど前になるから証言は正確だ。

ただ、祠は近年において新築したという。

その際にどっさりあった閏庚申塔婆を庚申石仏の周囲に並べることにしたらしい。

年号などの確認もなく並べたものだから、バラバラである。

里道を隔てた向こう側にも祠がある。

そこの格子扉から覗いてみたら、美しいお姿の坐像石仏がある。



これもまたKさんに尋ねたら薬師さんだという。

檜前の地は渡来した機織りが住み着いた処である。

そういうことで於美阿志(おみあし)神社は機織りの神さんを祀っている。

その神さんの関係で薬師さんを祀るようになったらしい。

そこらへんについては歴史研究家が詳しいであろう。

帰り際、ふと思い出された畑に立てていたお札。

施餓鬼のようなヒラヒラではないが、なんとなくのお札は竹に挟んでいた。

そこには松苗も立てたという。

ずいぶん前のことのようで、いつのまにか届けられなくなったと云う。

若干のお話しか聞けなかった檜前を離れて大字冬野に鎮座する波多神社を探す。

上(かむら)にあがる手前の大字細川の対岸に右折れするアスファルト舗装道がある。

カーナビゲーションが示す冬野は遠い。

緩いカーブもあれば急カーブもある登り全力の道にローリング走行。

どこまで行っても集落は出てこない。

途中に下る道はあるが、登りを目指す。

帰宅してから調べてみれば大字畑(上畑)と冬野の集会所があるようだ。

とにかくローリングが繰り返すアスファルト舗装道に右や左にひっきりなしにハンドルをさばく。

右手に見える明日香村のクリーンセンターごみ焼却施設も通り抜けて大字の畑。

眼下に見えたが先を急ぐ。

しばらく走っていけば数人の姿。左側には車が数台。

なにかがあるような感じであったので尋ねてみればこの先で撮影が始まるという。

撮影の邪魔になるからすべての車を移動させという。

そこより少し行ったところに三叉路がある。



右や左も行き止まり。

集落はどこにあるのだ。

その撮影隊の男性に聞けば、木村家に向かわれるのかと云われるが、私の目的地は神社である。

木村家とどういう関係にあるのか存じないが、鬱陶しい聞き方である。

こちらから木村家とは一切伝えていない。

まるで木村家には行ってはならない様子。

何様のつもりなのか。

鬱陶しい撮影隊に関係したくないと思った。

目指す波多神社は左の筋にあるという。

登って下っていけるが、車は通れない人道。

先にある談山神社から下った方が無難だという。

もうすぐ撮影が始まるというから遠慮して下った。

監督はあの有名な女流監督と云えば、そうだという。

撮影隊の男性がいうには右に数軒。

左も数軒の集落のようだ。

だいたいの場所がわかっただけでも御の字。

再訪するしかないと思ったが、神社名はよく読めば波多。

冬野の下にある大字も畑。

つまりは機織りの「機」ではないだろうか。

(H29. 9. 9 SB932SH撮影)
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介護認定は下りていないがゴミ収集は先に特別扱い願い

2018年11月25日 09時10分17秒 | むびょうそくさい(おかん編)
日増しに良くなる、と云いたいところだが、そうでもない身体状況。

見た目はわからないが足元はおぼつかない。

見ているだけでヒヤヒヤする住之江での独り暮らし。

9月4日にも架かってきた電話の声は歓びの声。

大腿骨リンパの腫れは治まった。

その辺りのところに触れてもそれがみつからないぐらいになった。

薬の効果があって消えたのだろう。

ところが、ないようになったが、昨夜はそのリンパがあった逆の方のところで痛みが出たという。

そのリンパは一晩寝たら何にも痛くないようになった。

どういう具合になるのか、心配していたが、何にも起こらないことがわかって、夕方の電話になったという。

ところで、だ。

身体が動くようになればゴミ捨て場まで行くつもりになっている。

そこで、階下のYさんに相談した。

Yさんは身体障がい者。

ゴミ捨て場まで動くことが不可能と判断されて、玄関までゴミ収集の人が取りに来てくれている、という。

何故に来てくれるのか。

ゴミ収集の人の話しによれば、事情があれば、そこまで取りに行くこともできると云って連絡先を渡されたそうだ。

ゴミ収集は大阪市の業務委託会社で市民の望みでそういう対応しているとわかったが、身体が動く人でも電話するらしく、その家の状況・状態を調査した上で決定するようだ

本人の身体状況を現認されて判定をするらしい。

その日は水曜日。

居住する大阪市営の大和川団地のゴミ収集日である。

指定された時間は収集時間と同じであるが、事務方が来られるようだ。

ドアのノックする音が聞こえる。

ジャストの午後2時に来られた人は大阪市の西南環境事業センターの職員だった。

おふくろ一人では不安。

本人も不安であるから立ち合いにやってきた。

明日は我が家に居ると想定しているおふくろの身体状況を介護認定調査員が面談等で調査される日。

大阪市の認定事務センター(介護保険)の派遣要請を受けた大和郡山市の介護調査員がやってくる。

そういうこともあって、本日はおふくろのお迎えも兼ねている。

さて、どのゴミ出し診断である。

身体状況を一目見られて判断した職員さん。

早速、問診ではなく、どういう具合にゴミ出しするか、である。

生ごみ、ガラス瓶、紙類などの選別である。

ゴミは普通ゴミに資源ゴミや古紙・衣類に分類される。

地方自治体どこでも同じだと思うが、分別収集である。

生ごみはしょっちゅう出るとしてもガラス瓶はどうなのか。

滅多にないが、あるときは出る。

そりゃそうだ。

古紙は新聞をとっていないので発生はしない。

ただ、ポストに放り込まれたチラシやパンフはだれもそこから盗っていかないから、放っておけば溜まる一方だ。

なんせ、おふくろは階段の上り下りができなくなった。

郵便も配達されるポストに行けなくなった。

これはどうしたもんじゃろが。

生きて食べているから生ごみは必ずや発生する。

それが大多数のおふくろのゴミ。

結論は毎週の水曜、土曜の午後1時に、居住する4階の玄関前に出しておけば収集してくださる。

神さんみたいの人やと思わず口に出たおふくろの思いはよくわかる。

大阪市営の大和川団地が建設されてもう35年以上にもある。

職員もそのことをご存じで団地の階段に泣かされるそうであるが、収集事業の特別扱いをしている人は、当団地だけでも6人は居るという。

私は建築後の数年間はここで暮らしていた。

木造住宅を解体して5階建てに転居。

転居先は抽選である。

35年前は誰しも若かった。

階段であっても生活に苦労を伴わない家族構成であった。

そのころも大ばあさんは80歳だったが、階段はまったく苦にしない人だった。

おふくろもそうであったが、とうとう来てしまった高齢者。

それぐらいの年齢の人が多い大阪市営の大和川団地。

元々の住民が移転したのだから、そうなるのは当然だったが、誰もこうなるとは考えもしなかった。

ただ、公営住宅はどこでもそうだったが、5階建てまでなら階段。

それ以上であればエレベータ設備が整えられる。

6階建てであれば、こんなに苦労はしないのに、と今さら悔やんでも仕方あるまい。

世の中がそうであったのだから。

今さらどうしようもない団地であるが、ゴミ出しの支援がありがたい。

私が居住する大和郡山市ではどうなんだろうか。

それにしても、だ。

えらいことになった。

いつもならかーさんが介助しながら入浴する。

それも我が家でないとできない。

二日に一度はかーさんが浴場をともにして診ていた。

我が家のお風呂は独り住まいする住之江の居住地のお風呂とは構造がまったく違う。

我が家のお風呂であれば湯船の高さは低い。

低いから跨げる。

跨げるが、湯船はある程度の深さがある。

それでも独りで跨げたのが驚きだ。

足が難なく上がる。

実際は難なくではないと思うが、これは画期的である。

10日ぶりに湯船に浸かってすっかり垢を落としたおふくろ。

お風呂からあがって云った。

頭も洗ってさっぱりした。

気持ちが良いと嬉しそうな顔をする。

久しぶりに心が休まって安眠できるだろう。

安心したのかぐっすり眠ったおふくろ。

痛みも疲れもなく食欲旺盛。

そこを我慢して食べ過ぎないようにしておくれと願った9月7日は介護認定調査員の面談。

実際におふくろと会っていただいて、問診を通じて身体、心身の動作状況なども見ていただく調査である。

午前10時、予定していた時間にきっちり来られた調査員は大和郡山市介護福祉課の職員さん。

おふくろに気遣いながらの問診に立ち会う。

救急で大阪の友愛会病院に行ったときもそうだが、初診は必ず本人確認をする。

氏名、誕生日に本日はいつですか、である。

応えられる反応ぶりで認知具合もわかる。

8月6日の発症を経て台風5号が吹き荒れるさなかの身体状況から、休診だった整形外科を諦めて救急受付した総合医科の友愛会医師の診断結果など、骨と痛みによる当時の経緯を説明する。

それから始まる我が家での介助生活に受診など、本日に至るまでのその後の状況の身体、心身具合をおふくろ本人が問診に対応しながら現況を伝える。

「介護保険認定調査票」による問診項目は大きく分けて1.身体機能・起居動作、2.生活機能、3.認知機能、4.精神・行動障がい、5.社会生活への適応、6.過去14日間に受けた特別な医療、7.日常自立度がある。

細目は多岐にわたる問診。

調査員は優しい口調で、なおかつ触れざるを得ない調査項目にかける言葉も柔らかく。

一つ、一つの調査項目を丁寧に扱われる。

場合によっては起立状態や椅子に座っての動作確認。

就寝している布団の上での寝返りや起床状態もみる。

立ち上がって歩く状態も当然ながら観察される。

ヨタヨタ動きに手で支える近場のモノモノ。

途中ではぁと息をついて休憩しながら歩く動作に無理をなさらない程度に、そして普段の状態で動いてくださいと声をかける。

また、洗顔、歯磨きに洗身、入浴から爪切り具合まで問診される。

はっきりとした口調で応えるおふくろは耳も眼も良いから判断が早い。

移動、移乗に着衣着替えもあれば、普段服用している薬のことまできちんと答える。

細かいことはいくらでもあるが、すべては調査項目に従っての問診はおよそ1時間。

調査員から予め聞いていた通りであった。

主治医の意見書とともに提出される「介護保険認定調査票」はその後に行われる結果判定のコンピュータ判定と介護認定審査会の二段階で判定される。

それは申請書が受理されてから一月後になる。

受理されたのは8月18日。

発症した8月6日に緊急診察した7日からは随分と日にちが開いている。

なぜに遅くなってしまったのか。

それは台風5号のせいでもないが、8月8日には医院のお盆休診に入ってしまったからである。

やきもきしながら我が家でおふくろの介助をしていたことを思い出す。

申請をしたくても申請できなかった原因はお盆休診の関係である。

しかも主治医を整形外科の医師にするか、それとも内科の医師にお願いするか、である。

お盆明けに受診した両医師に相談してようやく受けていただくことが決まった主治医の選定である。

このような件も調査員にお話しさせていただいた。

また、接骨鍼灸院の患者さんを送迎していた関係で覚えた自動車に乗り降りする補助台も使用してきたことなども伝える。

いずれにしても結果は申請してから一月後。

認定の結果を待つことなく、今後自立生活を希望する住居地にある地域包括支援センターに並行的に相談を進めていくのも大切ですと勧められた。

今の状況から判断するわけにはいかないが、なんとなく“障がい高齢者の日常清潔自立度”がランク付けされそうだ。

と、なれば要支援の1か2に期待できそうだ。

その認定結果を待つことなく福祉用具の購入は限度額までであれば補助金が降りるらしい。

ただ、家屋の手すりなど家の改造費用となると、それは認定が下ってからになる。

仮に判定が下ってケアマネジャーが決まる前に地域の地域包括支援センターに相談し、ケアサービスのあれこれを聞いておくのも良し、早めに手配しておけば、今後の取り組みに進展が早くなるというアドバイスである。

なるほど、である。

介護申請は、私にとってもう2段階目に入っているのだと思った。

さまざまな問いに応えてくれる調査員は臨職。

私も7年半は市の臨職だったが、その職務期間に設立された地域包括支援センターについては詳しく知ろうとしてはいなかった。

身内にこういう介護の要件が出て始めて知る介護の世界。

その割にはよく存じている方ですし、理解は早いと調査員に云われたが、それは薄っぺらい表面レベル。

相談したいことは、その都度都度に応じていくらでも出てきそうだ。

仮に認定が決まったとしよう。

おふくろが住居する場は現市営住宅としよう。

そこで受けたい支援サービスは入浴である。

現状の身体状況では湯船の高さに足を揚げて入浴すうることは不可能だ。

例え、2、3日に一度でもいいから入浴のサービスを希望する。

屋外に出て歩くこともできない身体であるが、買物も支援して欲しい。

ゴミ出しの件は大阪市の環境センターの支援が決まったからそれだけでいい。

ちなみに大和郡山市もゴミ収集の支援はあるそうだ。

時間帯、日にちも特別に組むそうなので、一度、市のHPも見ておきたい。

(H29. 9. 6 SB932SH撮影)
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『奈良で出会う・天皇になった皇女たち』刊行記念懇話会in元履物屋のふくせ会場

2018年11月24日 09時09分57秒 | メモしとこっ!
知人の編集者が編集を出かけた本が出版される。

その刊行記念に大和郡山市にやってくると伝えてくれた京都を代表する出版社・淡交社の編集者。

著書の『奈良大和路の年中行事』を編集の第一号に飾ってくれた恩人である。

もう何年ぶりになるのかわからないほどブランク期間はあったが、メールや電話のやり取りで繋いでいた。

特に電話で伝える近況はどうしても長話に発展してしまうのが、難点であるが・・。

お会いできる機会を伝えてくれたのが嬉しい。

その場に来られる二人が居る。

その二人が著者である本は発表されたブログから発展したご本。

お名前もお顔も存じていないが、詳細に奈良を語るブログ記事は拝見・拝読していた。

えー加減なブログがある中、それは秀逸な存在。

よく調べているものだと思っていた。

ときには先を越されてしまった、と思う記事もあるが、行事や習俗までは取り扱っていないように見受ける。

さて、刊行記念懇話会が開催される場は大和郡山市内のど真ん中。

もちろん城下町内である。

会場は城下町南にあった橋にかかる大門があった地の近くである。

大門の名前をつけたお風呂屋さんからすぐ近くに店を構えていた元履物屋の「ふくせ」が会場である。

発刊されたご本は『奈良で出会う 天皇になった皇女たち』。

皇女たち一人、一人を紹介する本は今まで見たことがない。

良いテーマに着目されて執筆されたのは生駒あさみさん。

イメージで皇女たちを描く絵師は上村恭子(やすこ)さん。

お二人ともお会いしたことがないからどきどきワクワクする。

会場に入ったとたんに気になったモノがある。

受付されて「いた男性の許可をいただいてケータイ画像で撮ってはみるが、無残にもブレブレ。

灯りが足らなかったから申しわけない画像になったが、2枚のお札の文字を読み取る。

一枚は「家内安全 五穀豊穣 慈照院圓應智覺大姉守護節分大祈祷護符 病難除去 商売繁盛」。

もう一枚は「商賣繁盛祈祷符」である。

神社やお寺であれば、社名、寺名で判断がつくが、このお札にはそれを示すものはない。

不思議な護符であるが、もしかとすれば、これは、と思える護符の発行者。

このときに到着した編集者が後日調べた結果は、昭和23年に設立された宗教法人のようだ。

護符を貼ってあった場は「ふくせ」の店内。

商売繁盛を願って貼ってもらった護符であろう。

ちなみに「ふくせ」は「福清履物店」、柳町商店街に架けていた店札が残されていた。

会場はお店より奥にある。

鰻の寝床の最奥である。

奥に通じるところどころに生活民俗がある。



レンガ造りでこしらえた竃がある。

レンガは崩れている竃に煙出しの煙突もある。

もっと奥には蔵もある。



今では生活感すら見られない鰻の寝床造り民家であるが、思わずケータイ画像で撮らせてもらった。

残された生活民俗を編集者とともに拝見していたら、開演時間になってしまった。

上座に座った著者に絵師。

進行役もそうだが、5人は著者らとともにならまちで活動している人たちだ。

話題は主役の『奈良で出会う天皇になった皇女たち』。



本になるまでの経緯を話してくださる。

生き生きと話される彼女たちの話題提供にふむふむと頷く。

この日はもう一つの発信がある。

5人は「フルコト」仲間。

活動の一部はテレビや新聞にネットも取りあげられたことはあるが、お店には行ったことがない。

なんとなくの雰囲気はあるが、これといって・・という実感が浮かばなくて申しわけない。

予告していた発刊日が遅れ、遅れのお詫び報告も兼ねたフルコトが発信する『比礼ふる』創刊号記念もあった刊行記念懇話会。

聴講していた人たちは女性がほとんど。

以前からお知り合いというか、旧来のフアン層のようにも思えた会場は熱気に溢れていた。



報告会が終われば著書を求められた人たちへのサイン会。

一同はさまざまに動きだした。

編集・発刊は淡交社の『奈良に住んでみました』もサイン会。

著書夫妻も後ほど名刺交換させてもらった。

落ち着いたところでフルコト5人組も名刺交換会。

会場を出た向こう側に本屋さんを開業している「とほん」さんも名刺交換。



会場におられたフリー編集者にも名刺交換させてもらった。

初めて体験する刊行記念懇話会は終わってからもどきどき感が残ったが、有意義に過ごさせていただいた。

(H29. 9. 3 SB932SH撮影)
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外川町八幡神社の八朔祭

2018年11月23日 09時32分58秒 | 大和郡山市へ
今年の正月2日に訪れた大和郡山市の外川町。

もしかとすれば砂の道があるかも、と思ってやってきた八幡神社。

我が家から車で数分の処にある神社。

何年か前にも訪れたが、その年は砂の形も影もなかった。

雨が降っても痕跡はあるはず。ところがその年はまったくなかった。

何らかの都合でやめたのかも、と思いつつも念のためのこともある。

参拝を兼ねて足を運んでみれば、あった

砂の道の写真を撮っていたところに村の人と出会った。

大晦日にしているという砂の道は正月迎えの準備の一環であった。

神社行事はいくつかある。

秋祭りは当然としても他に9月1日の八朔祭や12月1日の新嘗祭をしていると話してくださった。

あの日から9カ月後。

八朔祭を拝見したく立ち寄った。

現在は9月1日でなく9月の第一日曜日である。

行事の始まる時間はすべてが午後2時。

村の人たちが来られる前に、と思って早めに着いておいた。

しかし、いくら待ってもどなたも来られない午後の2時。

拝殿には祭壇とか椅子を並べていたからいずれはと思うが、不安さはぬぐえない。

その間に拝見していた狛犬に刻印があった。

「安政六年(1859)九月吉日 上村石工生田吉」と読める。

刻印の「上村」とは一体どこであるのか。

一般的にいえば當村の文字が考えられるのだが、“上村”は。

手がかりはないが、考えられるのは“上”の村である。

奈良県内で考えられる地は明日香村の上(かむら)であるが・・。

階段を登ってくる足音が聞こえてきた。

この日の行事を教えてくださったSさんら他数人。

宮総代を務めるNさんらに訪れた主旨を伝えて取材に入る。

そのころにやってきた宮司は久しぶりにお会いした市内池之内町在住の植嶋凞一宮司。

画家でもある宮司が描いた神社全景の絵馬。

直会殿に掲げている。

氏子たちが参拝する時間は聞いていた時間より1時間の差があった。

暑さを避けて1時間遅らせたという。

それまでに準備に余念がない6人の宮役。



今年収穫した稲穂など、神饌を祭壇に運ぶなど忙しく動き回る。

その間に拝見していた直会殿の掲示物。

数々の絵馬が掲げられている。

その一角には棟木もあった。



うち一枚は墨書書きで「天下泰平 五穀成就 奉改遷宮八幡大神寶 柞長久産子繁盛祈修 祭主矢田矢落神社社掌 辰己覚次郎」とあった。

「矢田矢落神社」と云えば、ここより西方に鎮座する矢田町の矢田坐久志玉比古神社のことである。

社掌こと当時の神職は外川町も兼務社であったが、時代はそれほど古くはなさそうだ。

もう一枚はその左。「・・・・文政八乙酉年(1825) 願主不明」とある。

書体が異なることから同じ時期とは想定できないが、これは遺さなければと掲げたのであろう。

時間ともなれば公民館に集まっていた氏子たちが参進する。



鳥居を潜って階段を登る。

一段と高くなった位置に手水がある。

そこで清めてから参進。

直会殿正中から拝殿まで一直線に登っていった。



修祓、開扉、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌、閉扉、宮司一拝で神事を終えた八朔祭。

籾植えから始まって育苗。

田植えから数か月。たくさんの稔り、収穫させていただけますようにと、願いを込めて拝礼する外川の氏子たち。

当地は早米。

伊勢も早いが外川も早い。

ほとんどが1カ月後の10月10日辺りが稲刈りになるという。

10月の第一土曜日は外川のマツリ。

しばらくは大風も遠慮してほしいものだ。

神事を終えた一行は階段を下りて公民館で直会。

かつては直会殿と会所に分かれて直会をしていたが、公民館に移したようだ。

神事に供えたお神酒は境内に撒く。



その場に建つ観音堂がある。

悔しいことに背丈ほどの高さがあった地蔵尊は盗まれてしまったと云っていた。

(H29. 9. 3 EOS40D撮影)
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白昼の団地に咲く白花サボテンは白昼の麗人

2018年11月22日 09時27分22秒 | 自然観察会(番外編)
所用でやってきた生まれ育った地。

平屋の木造住宅から5階建ての中高層団地化になってから早や36年。

屋内も外観もほぼ昔のまんま。

少し変ったといえば、団地内の路上駐車を排除するために、団地内の道を有効利用に工事された有料駐車場がある。

そこに停めておけば安心だ。

駐車場から歩いてすぐ。歩いているときに、ふと、目に入った白い花。

それも見事な姿の大輪花。

美しすぎるその姿はまるで月下美人(※英語名は夜の女王)のように思えたが、時間帯は午後1時。

白昼の時間帯である。

白い花のサボテンの名は知らないが、その美しさから「白昼の麗人」と呼んでもいいだろうか。

それから4日経った9月6日も所用で訪れた生まれ育った地。

「白昼の麗人」はすっかり萎れて、見るも無残な状態。

麗人は命儚い短命であった。

(H29. 9. 2 SB932SH撮影)
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住之江・手造り弁当ひいらぎのおまかせ弁当

2018年11月21日 09時43分52秒 | あれこれテイクアウト
大阪市内、住之江に行く度に食べている食事処は2カ所。

大和川住宅のほんのすぐ傍にある魚輝と先月から行くようになった">マルヤス水軍

どちらも海鮮丼が安くて美味しい。

家族もそうだと云って、また来ようねとなる。

本日も所用に出かける住之江。

診察し終えたらたぶんに昼食時間。

買い物もしなければならないし、買ったものも運ばなければならない。

しかも、だ。

この日は所用を済ませたら一目散に戻らなければならない。

「・・ならない」表現はついつい多くなってしまった、今回の昼めし旅は、さて・・。

買物をするスーパーは住之江のデイスカウントスーパーサンディだ。

買い物ついでにここでも売っている弁当や巻きずし、ちらし寿司でもいいのだが、趣向を替えてみたくなった。

そのアテはスーパーサンディから道路向こう側にある。

一筋南寄りになる弁当販売のPOPは前々から気になっていた。

中身はどんなもんなのか、わからないが、大きな文字で「おまかせ弁当 税込み うまい 早い 安い 375円」。

通る度に気にかかるお店は「おいしい弁当 ひいらぎ」とある。

店名が「ひいらぎ」なんだ。

ヒイラギと云えば立春・節分に必ずや登場する尖った枝・葉をもつ。

焼いたイワシの頭だけを串にさしてヒイラギとセットで玄関や窓などに取り付ける。

鬼が家に入ってこないようにする習俗は「ヒイラギイワシ」。

そのヒイラギを枝・葉が尖っていることから「目突き葉」と呼んでいる地域がある。

「おいしい弁当 ひいらぎ」は、その「目突き葉」をイメージしているのかどうかしらないが、もしかとしたら、「鬼」ではなく、逆に「福」を呼びこんでくれるお客さんを言い表しているのでは、と思った。

最近は海鮮丼が続いていたこともあり、スーパーの弁当ではなく、手造りの弁当を食べてみたくなった。

前述したように一目散に戻らないと予定している時間に間に合わない。

弁当を買っておふくろの部屋で食べる。

家族だんらんになって弁当を喰う。

そうしようと決めてやってきた。

「おいしい弁当 ひいらぎ」はこじんまりしたお店。

駐車場はない。

店前の道路に停めざるを得ない。

仕方がないが、そうさせてもらった。

おふくろは歩きが不自由だ。

介助でないと倒れる可能性もある病人でもあるが、食欲は旺盛だ。

弁当メニューは自分の目で確かめたい。

そういって車から降りる。

降りる際も乗るときも補助する台が要る。

足元にそれを置いて足を置く。

一歩、一歩に時間をかけて外にあったメニューを見ていた。

おまかせ弁当はたぶんに日替わりのような気がするが、他には・・いっぱいある。

焼肉弁当、えびフライ弁当、からエビ弁当、ロースカツ弁当、タレカツチキン弁当、幕の内弁当、さけ弁当、焼きサバ弁当、ウインナー弁当、ハンバーグ弁当、チキンカツ弁当、ミックスフライ弁当、オムレツ弁当、からウインナー弁当、豚肉生姜焼き弁当、からあげ弁当、からコロ弁当、ミンチカツ弁当、からミンチ弁当、白身魚フライ弁当、から白身弁当、玉子焼き弁当、から玉子焼き弁当、ハムエッグ弁当におでん弁当、コロッケ弁当、のり弁当、もある。

これら弁当類はお手頃価格の430円に540円が大多数。

600円は3品で、860円は1品。

目移りがするなと見ていたら、店内から顔を出した店主が、どうぞ店内に入って見てください、と誘導される。

これらは注文の品。

あれとこれを何個とか頼んで店内で待つ。

スポーツマンらしい高校生が友だちの分も頼まれて買いにきていたのだろう。



その向こう側にいろんなものがのっかっている弁当がテーブルに並んでいた。

決まればぬくぬくのご飯を盛る、という。

これは店主が予め盛っていたおまかせ弁当だった。

どれを選ぶかはお好み次第。

おふくろはサバの焼き魚をメインにした弁当に決めた。

かーさんは店内で揚げている唐揚げの香りに釣られて唐揚げにハンバーグもある弁当にした。

サバの焼き魚もからハンバーグも玉子焼きがある。

私はご飯が既に盛ってある細切れブタ焼肉弁当。

チキンカツもあるからこれにした。

一品が税込み375円。

三つ買って支払いは1125円の現金払い。

注文してご飯を盛るだけだから、出来上がりが早い。

早いのは良いが、作ってから若干の時間が経っているからおかずは冷めている。

その点が、特定弁当との違いである。

買い物も済ませておふくろが居住する部屋で食べる。

部屋には3人も食卓するテーブルはない。

布団を敷いた場でいただくそれぞれの弁当。

どれもこれも美味しいと言い出す家人たち。

もちろん私もそうであるが、特に美味いのがご飯である。

ふっくらほくほくのご飯は甘くて口の中いっぱいに広がる。

おかずはこれもまたどれもこれも美味い。



ただ、かーさんが食べたハンバーグは手造りではなさそうだと云いだした。

食感でわかるハンバーグ以外は満足域。

特に美味しかったのが玉子焼き。

まるで家で作っているかのような美味しさがあると言い出す。

スーパーで売っている玉子焼きでは味わえない、手造りに乾杯である。



なかでもおふくろが食べたサバの焼き魚の副食になるジャガイモ、タマネギ、ニンジンの煮しめが抜群だという。

私はダイコンとコンニャクの煮物。



出汁が浸みこんで、とてつもなく美味い。

食べたあとでわかった味付けは店内で作っていたおでんだったんだ。

それも美味いがもっと旨いのは細切れブタ焼肉だ。

味は濃い目。

タレというか出汁というか、ご飯に浸みこんでこれがまた美味い。

たまらん味に、これは「買い」である。

ご飯の量も多かったが、私は完食。

二人は1/3ぐらいを残して晩食に廻すそうだ。

百円で買った2個の唐揚げがおかずというおふくろ。



大好物の鶏唐揚げはボリューミイ。

揚げたてであればジューシーたっぷりだったのに・・・。

それにしても本日はじめて食べた「おいしい弁当 ひいらぎ」はひっきりなしにお客さんがやってくる。

なんせダンプの運転手さんも車を停めて弁当を注文する。

人気店だと思うのだが「食べログ」には載っていない。

(H29. 9. 2 SB932SH撮影)
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