マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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小夫・龍吐水に和製消防バケツ

2018年09月30日 11時28分37秒 | 民俗あれこれ(消防編)
龍吐水は木製手押しの消防ポンプ。

両方から天秤を押して溜めている水をホースで吐き出す。

まるで龍が水を吐くような形であるから龍吐水の名がついた。

現代の消防ポンプはため池などに給水用のホースを落として吸い上げる。

龍吐水は構造上、吸い上げる要素がない。

では、どうして水を溜めるのか、である。

水を汲むのは手動的。



バケツで汲み上げ、その水を龍吐水に入れる。

吐く量があれば溜める量もある。

つまりは何個もの人力によるバケツリレーがあったと推定される。

それだけの数が要るということは人数もそれなりに確保しなければならない。

そういえば小学校時代だったと思うが、バケツリレーの訓練があったような記憶がある。

それは町内会の消防訓練であったかもしれない。

ちなみにバケツを充てる漢字を「馬穴」と名付けたのは夏目漱石のようだ。

今ではバケツといえば金属製のブリキ。

時代は不明だが昔はそのような道具ではなく、竹で編んだ籠のようなものに柿渋で作った和紙を重ねていた。

頑丈な和紙は水を通さない。

重宝したと思われるが、ネットをぐぐってみても出現しない。

忘れ去れた貴重な道具は元大庄屋の家に残されていた。

この年の4月に訪れた宇陀市榛原の柳。

かつて大庄屋だった柳のある家も同じような道具が玄関軒に吊るされていたことを思い出した。

(H29. 8. 6 EOS40D撮影)
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地域の夜回り警備

2017年08月27日 08時47分47秒 | 民俗あれこれ(消防編)
拍子木打って、「火の用心、マッチ一本火事のもと。焼き肉焼いても家焼くな・・・」はない、と思うが・・・。

ところで「火の用心」の詞は江戸時代。

享保元年(1716)の「岩淵夜話」に「一筆申す 火の用心 おせん痩さすな 馬肥やせ かしく」があるようだ。

地元の夜警情景の記録をしたいと思っていたが、当日は風雨厳しく中断されたようだ。

「火の用心、カチカチ・・・」の声も聞こえてこなかった夜であった。

その夜の前日である。



立ち寄った墓地に「火の用心」の立札があった。

ローソク、線香の消し忘れを喚起しているのか、それとも不審火・・・を喚起しているのだろうか。

いずれにしても火事は怖い。

この年の12月22日に発生した新潟県糸魚川市で発生した大規模火災。

ラーメン屋店主の火の不始末。

中華鍋に具材を入れて、コンロに火を点けたまま店を離れた。

離れてからどれぐらいで出火したのか存知しないが・・。

鍋でもフライパンであっても、またお風呂の空焚きであっても時間が経過するとともに発火する。

そういった実験は注意喚起のためにもテレビで放映することがある。

昔、昔のことだが、我が家でもおばあさんが鍋を焦がしたことがある。

焦がすだけであったのが幸いだ。

私が子どものころだったから、随分前のことであるが、そのときに教わったことが「火は怖い」である。

奈良県立民俗博物館で写真展を開催された。

今年のテーマは「住」である。

私が出展したテーマ作品は「火廼要慎(ひのようじん)」。

3枚組で発表した。

住まいする建物が焼けてしまったらすべてが消える。

金では買えない大切なものがいっぱい消える。

火事になるより泥棒に入られるほうがマシだと云う人もおられるようだが・・・。

火災保険に入っていて何らかの保障はあるが、これまで生活してきたものは戻らない。

火事は怖い。

一軒の不始末によって起こされる類焼、延焼に手の打ちようがない。

「マッチ一本・・火事のもと・・」、カチカチ。

(H28.12.24 SB932SH撮影)
(H28.12.26 SB932SH撮影)
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思考した「住」テーマに選んだ消防がある町

2017年02月16日 09時41分10秒 | 民俗あれこれ(消防編)
前日は長時間に亘る6回目になる「私がとらえた大和の民俗」写真展の打合せ。

テーマの“住”に難儀しているカメラマンが半数。

この日は2回目になる打合せ。

自分自身のテーマに写真を明確に示したのは私の他にSさん、Nさん、Mさん、Mさん。

2テーマから絞り込みをかけるのはUさんやNさん。

テーマが決まらないから、まだ写真は提示できない。

松井さんは欠席だが絞り込んできた。

写真3点は決まったがテーマタイトルがまだなMさん。

3点を選んでテーマタイトルを決めようとするMさん。

欠席されたSさんも苦しんでいるようだ。

みなは生みの苦しみに悩まされているようだ。

人それぞれ、さまざまな思いでテーマをどうするかに悩まれている。

私と云えば紆余曲折。

今回のテーマは「火廼要慎(ひのようじん)」に決めたが、ここまでくるにはそうとう悩んだものである。

前年の12月打ち上げに決まった6回目のテーマ。

どこへも行けない身体だった自宅療養中は考える時間がたっぷりあった。

たぶんに“住”が決定されることだろうと家で吉報を待っていたら、その通りになった。

そのころに描いていたテーマは神さまが住まいするオカリヤを揚げていた。

式年造替で建替え工事される期間は別のところでお住まいになる。

仮屋である。

造替だけでなくマツリにおいて一時的にお旅所に向かわれる場合もある。

そのときは一時的に作ったオカリヤに移られる。

また、神さんを収めたヤカタの場合もある。

ヤカタは次のトウヤ家に移るような場合もある。

廻り地蔵さんはそういう形態である。

神さんは神棚に納められる場合もある。

一時的であろうが、神さんが住まいする処に違いはない。

神さまがあれば、仏さまの事例もある。

とはいっても仏像ではなく、先祖さんだ。亡くなられたら墓に移る。

移る場合にチョーローソクの道しるべというような風習がある。

仏さんの草鞋や指標ともなる卒塔婆もあれば迎えの六地蔵もある。

被写体はさまざま。

仏さんは動く。

盆ともなればオショウライサンとなって下りて来る。

迎えは線香とか藁松明。

先祖さんを迎えたら仏壇におられるということになる。

では、そのときの先祖さんは墓地にいないのか・・・、である。

迎えた家は仏壇の前にそれこそ先祖さんを示した位牌を並べる。

県内でよくみられるお盆の在り方に仏さんの住まいを・・と考えてみた。

それとは別にオクドサンとも呼ばれている竃もどうかと考えてみた。

住まいに火がなければ食事はできない。

そう思って揚げてみたこれまで撮った写真。

田原の里の現役のオクドサンに室生下笠間で撮らせてもらったこれまた現役のオクドサン。

旧月ヶ瀬村の動態保存されている菊家茅葺家も考えてみたが、どうもしっくりいかない。

写真を並べてみてもインパクトを感じないのだ。

ふっと頭をよぎったのは「火」である。

山間などで度々目にした旧家の茅葺民家。

茅葺でなくとも屋根の下あたりにある「水」の文字装飾。

火事にならないような祈りの建造物。

取材した宇陀の佐倉にあったコイノボリ柱跡撮影のときに話してくれた堂辻の婦人。

棟上げの際に納めた棟木の材料はミズキの木だったという。

火事にならないように「水」に願いをかけたミズキの木だそうだ。

重伝建に揚げられていなくとも県内各地の家々にみられる「うだつ」がある。

類焼を避けるためにも煙が隣家にいかないように構造化された「うだつ」を充てる漢字に「卯建」とか「宇立」がある。

これらを紹介した写真を並べてみてもこれまたインパクトがない。

ないというより上手く表現ができないのが断念の理由だ。

住まいする建物の構造的なものを民俗的主観からどのような映像を描くか・・。

「火」で思い起こすのは火事そのもの。

起こしてもならないし、類焼被害もかなわん。

もしもの万が一に少しでもタシになるのが損害保険の火災保険。

おふくろは長年に亘って販売していた外務員だった。

我が家も借家の場合は家財保険に加入していた。

自宅を建てたときになって初めて掛けた保険金は火災保険。

保険なんて必要ないという声を聞くことはあるが・・・起こしてしまえばたいへんなことになると思った私は絶対に必要である決断して掛けていた。

保険を掛けることによって戒めていたのである。

火災保険で思いだした生まれ故郷の住まい。

市営住宅は戦後に建った戦時被災者用の住宅地。

一階建ての木造住宅で暮らしていた。

一段上がったコンクリートの土間。

右手に居間。

左手が炊事場だった。

そこに貼ってあった「火の用心」。

大阪市消防署が発行したと思っている火と避けのお札は自治会が各戸に配っていた。

開け閉めする玄関の真上には逆さまに書いた「十二月十二日」のお札があった。

おばあちゃんが書いて貼っていたお札は泥棒避け。

どちらも家を守ってくれる護符である。

そうだ、これがある。

県内の伝統行事の取材に家の在り方と云うか、風習といえようかの祈りのお札がある。

このような家を守るお札は建屋の内部。

たいがいのモノは玄関の真上。

尤も「十二月十二日」のお札は窓やドアのすべてに貼って泥棒が入ってこないようにおく。

そこには米寿祝いのテガタ(手形版)もある家がある。

そういう家は表玄関に飾っているのは同じく米寿祝いの飯杓子。

どちらも祝いの印の飾り物家を守るものでもない。

泥棒除けではないが、悪魔というか鬼が入ってこないように挿しておく鬼(災)避けヒイラギイワシも形態もある。

守り、祈るお札などは他にもありそうだが「火の用心」に着目した。

「水」の飾りや「うだつ」も火の用心。

「うだつ」から思いだした土蔵。

火事になっても土蔵に置いてあったものは焼けずに済んだという話は度々耳にする火防の土蔵である。

外から開けることしかできない厚み密閉性のある扉で入室するがこれもまた写真にし難い。

火災保険も写真で表現するには難しいから外す。

考えてみれば愛宕さんのお札があった。

愛宕さんは京都の愛宕神社。

愛宕さんに参って拝受してきた護符がある。

村の行事に愛宕さんなど神社や寺に代参をしてお札をもらって帰って村に配る地域は多い。

火伏の神さんのお札が家々どころか集落全体を守る祈りの札。

場合によっては村の辻に愛宕さんの石塔を立ててオヒカリを灯す廻り当番を設けている村もある。

愛宕さんの行事で名高い橿原市八木町の愛宕祭がある。

かつて町内で火事が発生した。

それからは愛宕さんを地区38カ所に亘って祭っている。

八木町では祠(神社)に提灯を掲げ、神饌などを供えて「阿太古祀符火迺要慎」と書かれたお札や愛宕大神の掛け軸を祀っている。

中世以来、戦火に巻き込まれてきた八木は、火事に見舞われないように火防(ひぶせ)の神さんとして崇められてきた京都の愛宕さんを信仰してきた。

近世江戸時代は火事が多くなり、町家・庶民に信仰が広まった。

奈良県下には愛宕さんを信仰する愛宕講がある。

それは数軒規模ではなく地域ぐるみとして行われている。

1軒の家から発生した火事は風に煽られて類焼、そして大火となれば町を焼き尽くす。

そんな被害を受けたくないから愛宕さんにすがった、ということである。

県内の行事に出かける町や村には消防団がある。

火消しの人たちが活躍することもない地域でありたいが・・・。

消防団の倉庫には必ずといっていいほど火の用心のお札に火消し道具がある。

ついつい拝見してしまう消防団の倉庫。

お札に示された文字は何であるか、である。

奈良市消防署もあれば愛宕さん発行の護符もある。

それらは村の代参がもらってきたものもあれば自治会経由で配られたものがある。

お札はいつまでも貼っておくことはない。

神社や寺で拝受したお札は年に一度のトンドで燃やして焼納める。

貼ったままにしておく家は圧倒的に多いが、祈祷札を含めて纏めて保管する箱がある。

玄関などに設置した災避け札もあれば、そういったお札を纏めて入れる箱がある。

事例的には極端に少ない。

トンドで焼くまでのお札の行方を紹介するのも面白いが事例が少なくて会話が発展しないと判断してお蔵入り。

お札は祈り。

次の行為は警告である。

つまりは火の用心カチカチで拍子木を打って地区を廻る自衛である。

暗くなってから拍子木をもった子供たちが地区を巡って火の用心をする。

「マッチ一本火事のもと」大声をかけてふれまわる。

大阪の市営住宅に住んでいた時も年末にみられた自治会の自衛的行為。

全国的な光景であるが、子供ではなく男性が古い太鼓を打ってふれ廻る地域があった。

橿原市の古川町で行われている夜警の様相はインパクトがあると思って決まりの一枚。

警告をしても火事は発生する可能性はゼロとはならない。

万が一、発生したときは何が有効的といえば初期消火である。

街道筋や旧家で見たことがある石造りかコンクリート製の防火用水。

村々では防火用水の池がある。

これらを挙げるのも良いが、ふと思いだしたのが斑鳩町の西里にあった民家一軒ごとに置かれていた火防の防火用水バケツ。

色はもちろん消防車と同じ赤色。

注意を引く色である。

2月4日に訪れたならまちの一角。

奈良市の高御門町にある家の門扉前に置いてあったバケツである。

色はくすんでいたが、元々は目立つ赤色の「消火用」バケツである。

バケツには満々と水を溜めている。

その情景に遭遇して斑鳩町の西里集落の映像が蘇った。

西里の各家では高御門町と同じように門屋前や門扉辺りに消火用バケツが置いてあった。

西里集落の中央には火伏せの神さんである愛宕さんの石塔がある。

同地区の総会に決まった人は正月明けに京都の愛宕神社に参ってお札をもらってくる代参の仕組みがある。

門屋に置いてあった消防バケツは火事を起こしてはならないという地域全体を守る防火活動の一貫である。

どの家も防火バケツを置くようにしたのは愛宕さんとは関係なく、集落の火の用心の決議事項。

バケツ一つで火事を消すのではなく、火事は起こさないという防火の心構えは高御門町にもあった。

住民の話しによればあるお家が起こしたボヤ騒ぎ。

自治会が決議した事項が消防用水バケツの各戸設置である。

ならまちの一角にある高御門町には町歩きをする観光客が多い。

消防バケツはまったく意識もせずに闊歩する。

足元にこういうモノがあると訴えたい写真を撮っていた。

上手くは撮れなかったが前回に数枚を提示したが、カメラマンの目をとらえることはなかった。

そこで思いだしたのが安政五年(1858)の龍吐水

160年前の消防道具はまさに時代を語る民俗でもある。

もう一つは城下町旧家に遺されていた火消しの道具だ。

旧家は甲府から殿さんともに郡山に越してきた武家。

紹介したい写真はどれにするか、である。

龍吐水をとらえた写真は大晦日に家の廻りにぐるりと架ける注連縄張りが主役。

うだつもある家だが脇役になった龍吐水は判り難いので却下。

旧家の火消しの道具がお気に入りだったが、博物館的写真だと指摘されてこれもまた却下。

そんなあれやこれやで撮りなおしに再訪した高御門町。

狙いは雨が止んだ街道をとらえてみたいと思っていたが、梅雨は明けた。

曇り空でもない日なら行くしかない。

とにかく時間がないから打合せの翌朝に走った。

行き交う人々の姿を入れて撮る場所はどこにするか。

初めて訪れたときの印象は強烈だった。

どちらかといえばバケツ中心。

でっかく取り上げて、町を闊歩する観光客狙い。

地元住民の生活感もだしたいと思うが、そんな計算通りに出没するどおりはない。

しかもこの日はごみ収集日。

景観的には悪条件。

そこは避けてバケツが三つも配置できる場所で人を待つ。



ご婦人が歩く。

坂道に自転車を押す男性も行く。

車や単車など荷物を運ぶ様相も撮る。

生活感があれば民俗になる。

消防用水バケツだけの斜視なら生活感は感じない写真になる。

ねばっていかねばと思っていたら日除けパラソルをさしていたご婦人二人が下ってきた。

何枚か、シャッターを切った。

撮った写真はシルエット風。

目の前に歩んできた婦人が着ていた服装は花柄。

さしていたパラソルも花柄。

おそろいですねと声をかけたら若い女性が応えてくれるが、もう一人の女性はわれ関せず。

若い女性曰く、母親なんですという。

お国は中国。

カメラを手にしていた父親とともに奈良の観光。

案内役になったのが娘さん。

なんでも神奈川県の大学で「民俗」を学んでいたそうだ。

消防バケツの話しが判る女性は日本語が堪能。

その都度に両親へ通訳をされる。

いい出会いは寺の前。

そこにあった瓦製のバラの花。

もしかとして牡丹かもと云ったのは日本暦が十数年の娘さん。

ここで別れて撮影位置を換える。

百メートルぐらいしか行き来しなかった街道の民俗を撮っていたが、これといった収穫はなかったがバラの花を象った門が目に入った。

(H28. 7.21 EOS40D撮影)
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ならまち・消防のある町

2016年09月23日 08時56分59秒 | 民俗あれこれ(消防編)
前月に訪れた奈良市の「ならまち」。

建ち並ぶ町屋のそこらじゅうに赤色の消火用バケツがあった。



経年劣化であろうか、バケツは日射によって色落ちしたと思われるやや薄桃色に変色しているものもある。





消火用バケツはブリキ製もあればポリバケツ製もあった。



置いてある場は門塀前もあれば、建屋、或はガレージ扉などなどだ。

あるお家の女性が話すには隣組、それとも隣町から出火したことがあり、その後において火災が発生すれば類焼しないように消火用バケツを置くようになったと話していた。



消火用バケツを置いてある町屋はどれほどあるのか、あるとすればどこまでの範囲なのか、この日に訪れる奈良町資料館に行くついでに調べることにした。

前回は平日だった。

時間帯もあるが、行き交う人はそれほど多くはなかった。

この日は日曜日。

「ならまち」を散策する人はまあまあ多い。



闊歩する人は間違いなく観光客であろう。

町屋を改築したフアッショナブルなお店や飲食店など、どこに落ち着こうかと散策していた。

通りがかる人はお店を見るが、私が求める消火用バケツには目がいかない。

まったくといっていいほど気がつかない。

ここにもある、あそこにもある。

見つけてはしばし立ち止まって町屋の景観を見る。

主役の消火用バケツを配してバックに町屋を置く。

観光客が闊歩する状況も画面説明上に写し込む。

狙い日は雨の日だった。

しとしと降る雨に傘をさす人を配置する。

そんな状況を撮りたかったが、降ったのは夜になってからだった。

消火用バケツは置いているが、他所に医院を構えたお家にも消火用バケツがある。

真横にもう一つのバケツもある。

それは甘味処のお店屋さん。

暖簾に気がつく観光客はいるが、バケツは目もくれない。

その場でシャッターを押していたら扉がガラガラと開いた。

少し開けた扉からお顔をだしたのは老婦人。

たしか、前月に訪れたときは赤いポリバケツがあったように思えた。

老婦人がいうには奥に移したという。

婦人は大正11年12月生まれの94歳。

生まれも育ちもこの町屋。

今でこそ北行き一方通行になっている町屋筋が目の前にある。

若いころは馬車が通っていたと思いだされた町屋筋はとても狭い道。

消防車が入れなければ火災は広がることになる。

そういうことで一方通行になった町屋筋であるが、家ごとに置いてある消火用バケツは初期消火が役目だ。

婦人が生まれたときから消火用バケツがあったわけではない。

女学生を経て大学生になった。

20年どころか、30年前。

ずいぶん前のことだ。

戦後の何年か、経ったころに隣組でボヤ火災が発生した。

類焼は免れたが、大火になれば町内に広がる恐れもあると判断されて消火用バケツを置くことにした。

決断されたのは老婦人の父親。

町内会の会長を務めていたときにボヤ騒ぎがあったと話す。

当時は町内会の会費を捻出してバケツを買ったそうだ。

水溜めをしているバケツは長年経過するうちに色落ち、穴あき、破損などで買い替えしていたが、軒数が多いだけに費用もかかる。

いつしか個人対応になったようだ。

それぞれの家が買い換えるようになれば、好みによってバケツの形状も変わる。

それが現在の状況になったようだと話すS婦人。

奥行きは拝見しなかったが300坪にもあるという。

週に何日間は茶道の稽古をされている。

とはいっても先生は婦人ではなく、若い男性だ。

普段はひっそりしているが、この日は稽古をする人で茶室が賑わうらしい。

それがいちばん嬉しいのですという高御門の住民に元気をもらった。

そこより南下する町屋筋。



ほぼ、どの家であっても消火用バケツがある。



そこより東へ抜ける町屋筋がある。



商売するお店にも供えていた。

西新屋町の奈良町資料館より南下する。



そこら辺りもバケツがあった。



日が暮れる時間帯が近づいてきた。

範囲はある程度判ってきたが、本日はこれまでだ。

ところでこの日は奈良町資料館で展示されている「私かとらえた大和の民俗~衣~」のサテライト展示状況を拝見するためである。

主たる担当は県立民俗博物館の学芸員。

初の展示会場に苦労したというから激励する意味もある。

会場の背景は黒っぽいから作品が映えるように見える。

落ち着き感もあってとても良い会場だと思った。

そう思っていたら施設管理者の南哲朗館長さんが声をかけてくださった。

なんでも秋に展示ブースの一部が空くらしい。

そこに写真などを展示してはどうかというお誘いである。

学芸員も本気になりかけたが時期的にも本業が目白押し。

併用するには荷が重いと断られたが・・。

何日間も悩んで私一人で受けることにしたのはほぼ二週間も経った17日だった。

(H28. 3. 6 EOS40D撮影)
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高御門町の防火システム

2016年09月17日 08時10分48秒 | 民俗あれこれ(消防編)
展示物を拝見して史料保存館を出た。

滞在時間は1時間40分だった。

長時間に亘ってお話してくださったならまちの民俗に終わりはない。

さまざまな角度から見つめた町屋の民俗がある。

館を出て歩いてきた道を戻る。

ある家の門扉前に置いてあったバケツ。

色はくすんでいるが、元々は目立つ赤色の「消火用」バケツである。

バケツには満々と水を溜めている。

その情景に遭遇してすぐさま頭の中に斑鳩町の西里集落の映像が蘇った。

西里の各家ではここと同じように門屋前や門扉辺りに消火用バケツが置いてあった。

西里の集落中央に火伏せの神さんである愛宕さんの石塔がある。

同地区の総会において決まった二人は正月明けに京都の愛宕神社に参ってお札をもらってくる代参がある。

門屋に置いてあった消防バケツは火事を起こしてはならないという地域全体を守る防火活動の一貫である。

どの家も防火バケツを置くようにしたのは集落の火の用心の決議事項。

バケツ一つで火事を消すのではなく、火事は起こさないという防火の心構えなのだ。

ならまちの消火用バケツに意味があるのか・・。

丁度その時、玄関から婦人が所用で出てこられた。

話しを聞けば、平成になったころに隣組が火事になった。

それから地域を火事から守る防火用水バケツを門塀前に置くようになったというのである。

バケツの意味を教えてくださった家を後にして戻っていけば次々と目に入った消火用バケツ。



型に決まりはなく、一般的なブリキのままのバケツもある。



ブリキのバケツに混じって赤いバケツも置いてある家もある。



筋道両側に建つ家のほとんどにある消火用バケツ。

色がくすんでいることから何十年も経っているのだろう。



バケツに溜めた水は満水。

水面に埃が見られないことから毎日は入れ替えをしているように思えた。

よくよく見れば、そこにもヒイラギイワシがあった。



節分の風習と消火用バケツに関連性はない、はずだ。

稀にブリキ製でないポリバケツの消火用バケツもあるし、役目を終えたと思われるひしゃげたバケツもあった筋道は、後日に調べた地図では高御門町のように思える。

(H28. 2. 4 SB932SH撮影)
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切幡の龍吐水

2013年06月06日 06時48分56秒 | 民俗あれこれ(消防編)
昨年の大晦日に拝見した誓多林町民家に飾ってあった龍吐水(りゅうどすい)。

安政五年(1858)に製作された手押しポンプの消防用具であった。

その姿に惚れこんだ。

たしか山添村にもあったと思って探した大字切幡。

極楽寺の裏側に掛けてある昔の消防ポンプはまぎれもない龍吐水に「切幡村」や「龍吐水」の文字がある。

放水部は欠損しているが、四角い焼き印には「奉所 京四条濱村中□(之であろか)町西」の文字が判読できた。

ネットなどで調べてみた結果、明治11年(1878)に京都三条宝町の「賓村武虎」が製作された龍吐水の事例があるそうだ。

他所においては「京三条 室町東 濱村造」の焼き印名がある「甲賀郡鳥居野村」の事例は明治20年。

製作年代に若干の差異がみられる。

切幡の龍吐水焼き印の「四条」に違いがあるものの、同名の「賓村」は「濱村」と推定される製作者名であることからほぼ同年代の製作であったと思われる。

龍吐水は江戸時代から明治10年代ころまで使われていた。

その後の明治17年頃には「雲龍水」を経て「腕用ポンプ」、つまり大きな車輪を取り付けて台ごと引ける移動形になった。

それまでは大八車に載せて移動していたのであろうか。

(H25. 2.24 EOS40D撮影)
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