マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

小名・新築庚申堂は移転の場

2018年05月31日 08時42分06秒 | 吉野町へ
大宇陀の野依、栗野を抜けて吉野町に。

国道370号線が国道28号線と交差する地点に信号がある。

その表示は三茶屋(みっちゃや)である。

ここより信号折れしてトンネルを潜れば吉野町の小名(こな)に着く。

下垣内から中垣内。

そして上垣内を巡ってみるが、やはり見つからない。

当地で聞取りをしていた知人のHさんが聴いた話ではごく数年前まで卯ツキヨウカのテントバナをしていた、ということだ。

Hさんが聴きとった年は平成25年。

その年から数年前。

1軒のお家がしていたということだが、知り得る人もまた探すのも難しい。

車を走らせた奥の上垣内。

そこに地蔵堂が建つ。

山の上にあった地蔵堂を下ろしてここに移転したという。

平成26年4月3日に訪れて撮らせてもらった上垣内の地蔵さんの祭り。

このときのお堂は地蔵堂だけが建っていた。

その隣に真新しいお堂がある。

その場より車道側のコンクリート造りの崖。

その崖に凹みがあった。

拝見したのは平成24年の12月7日だ。

北谷の山の神行事を取材した折に足を伸ばした場のコンクリート造りの崖は山崩れの防止対策。

その凹んだところに安置していたのは青面金剛仏の庚申仏だった。

この日に訪れてみた崖にそれが見当たらない。

もしかとすれば、この新しく建てた小堂に遷したのでは、と思った。

お花を立てているところを考えれば、すでに安置済みであろう。

辺りをぶらぶら歩いていけば話し声が聞こえる。

そこに居られた二人は幾つかの行事取材でお話してくださったかつて総代を務めていたIさんと、小名の花まつりに当屋を務めたことのあるMさん。

小堂のことを聞けば、やはり移転したということだった。

Iさんが思い出す昭和30年代の民俗行事。

小名の端午の節句は菖蒲に蓬がつきものだった。

長めの蓬葉は屋根の庇に挿した。

カヤに栗と枝豆をお月さんに供えていた宮さんの行事があった。

Iさんの出里は吉野町の津風呂。

その津風呂の鬼輪垣内の3軒でしていた豆名月があった。

豆名月の日は旧暦の8月15日。

垣内周辺に住む子どもたちが豆たばりに来ていたという。

鬼輪の豆名月を調べに訪れた吉野町の津風呂湖。

鬼輪を探してみたものの、わかったことは津風呂湖の湖水に沈んだということだった。

調査に立ち寄った日は平成28年の8月28日

当時の関係者の記憶を聞けたのが嬉しかった。

Iさんが続けて話される当時の体験記憶はまだある。

稲作における民俗である。

一つは6月の田植え。

カヤを挿していたというから、植え初めの作法である。

本数は聞けなかったが、おそらく12本のカヤ。

田植えを始める前に田んぼに挿す作法である。

5月はマクラと呼ぶ2本の藁束を苗代田に置いた。

そこにイロバナも立てていた。

話しの様相から大宇陀の平尾と宇陀市榛原萩原・小鹿野玉立の水口まつりの様相と同じだと思った。

マクラと呼んでいたのは平尾のI家である。

遠く離れているこの三つの地域と直接的な関連性はないと思えるが、何らかの生活文化が伝わったのでは、と思える記憶の断片である。

すくすくと育った稲が稔れば稲刈り。

12月に稲刈りをしていたのは、当時は麦も作っていた、二毛作時代の農事暦だったからである。

そんな話を聞いた小名にコイノボリが揚がる。



風を待っていたが・・・。

(H29. 5. 8 SB932SH撮影)
(H29. 5. 8 EOS40D撮影)
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野依を経て栗野のコイノボリ

2018年05月30日 08時48分24秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
この日の目的地は吉野町の小名(こな)である。

何年か前に、小名に卯ツキヨウカのテントバナがあったと聞いたことがある。

話してくれたのはHさん。

ただ、Hさんが話してくれた実情は、当地で聞取りをした平成25年。

話してくれた村の人が云ったのは、数年前のこと。

たったの1軒がしていたというテントバナであった。

そのことを存じている人が見つかれば、と思って出かけた。

道中に立ち寄った宇陀市大宇陀の野依。

そうだ、この日は花まつり甘茶かけがあった、と急に思い出しての立ち寄りである。

この年も対応していた両頭家。

小頭家のN夫妻に黙々と今年も清掃されていた大頭家のNさん。

実は、と云い出した今年の灌仏会。

花まつりに甘茶かけをしていたが、今年が最後になったという。

なんという奇遇であるが、写真を撮る気持ちも起らずお参りをさせてもらった。

Nさんお話しによれば、前のお釈迦さんが行方不明になったその年の一時だけの対応である。

急遽、紙製のお釈迦さんを作って、参拝者を迎えたこともあったそうだ。

その翌年に作ってもらったお釈迦さん。

もう15年前のことであるが、お釈迦さんがお釈迦さんのお蔵入りになるのはとても残念に思う。

場を離れるのも辛いが、これが見納めの野依の花まつり。

この日は参拝者も皆無状態。

これもまた残念なことである。

昨年のお礼を伝えて車を走らせる伊勢本街道こと国道370号線。

気持ちの良い風が流れていた。

その風に泳いでいるのはコイノボリ。

思わず車を停めて田植え前の荒起こしをしている耕運機の姿も入れて撮っていた。

振り返ってみたお家に数人が集まっていた。

何事かお話しの最中だったが、気になっている栗野の垢離取り行事についてご存じであれば教えてもらおうと思っての声かけである。

タバコ自動販売機設置家婦人曰く、垢離取りのことは知っているが、行ったことがないという。

残念ながらのことであるが、婦人の出里がなんと野依であった。

住んでいたころの野依である。

村を流れる宇陀川にある小石があった。

その小石を33個。

白山神社前に運んでいた垢離取りを思い出された。

(H29. 5. 8 EOS40D撮影)
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宮堂町の水口まつり

2018年05月29日 07時20分25秒 | 大和郡山市へ
イロバナにほとんど萎れがみられない。

鳥獣除けのネットを全面に被せている状況から判断して前日の日曜日に苗代作りをされたと思われるこの圃場の管轄はどこの地区なのか。

ネット地図で検証すれば大和郡山市宮堂町、川西町下永に天理市二階堂がほぼ交差している地である。

昨年の5月10日である。

雨が降る日であった。

通りがかったこの場にイロバナがあった。

お札はない。

たぶんにイロバナだけを立てる農家さんだと思っていたこの地を示すカーナビゲーションは天理市二階堂だった。

今年も同じ場所にあったイロバナにお札。

文字は折りたたんだ内部にあるから判読はできない。

苗代田は鳥獣除けにネットを張っているから内部に入ることもできない。

撮る位置を替えて撮った写真を大きく伸ばした。そ

こにあった文字は半分であるが、なんとか判読した。



その結果は「観音寺」。

下永にあるお堂は八幡神社境内にある旧白米寺だ。

正月初めに宮守五人衆がお札刷りをすると聞いているが観音寺ではない。

二階堂のお寺は融通念仏宗派の善照寺。

お札そのものの存在はない。

で、あれば大和郡山市宮堂町の観音寺しかない。

住宅地図精度で調べてみれば苗代田の所在地は宮堂町であったが、生憎のところ神社行事も含めて取材不可だった。

あえなく断念して今日に至る。

(H29. 5. 8 EOS40D撮影)
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テントバナに風切りカマ

2018年05月28日 09時24分05秒 | 山添村へ
三重県伊賀市の下見帰りに途中下車して山添村切幡で行われているおつきようかの状況を視察する。

ついさっきに立てたとOさんと立ち話に30分間。

4月30日に田植えをしたけど、蕗が小さくて植え仕舞いのフキダワラは、せんかったということであった。

ところで、この日のテンドバナに、なんと“カマ“があるではないか。

下から登ってきたときは瓦の色に溶け込んでいて気がつかなかったが、家屋前から拝見したら“カマ”に気づく。

インパクトのあるカマ映像が眼前に迫る。

そのように感じた“カマ“であるが、昨年に立てたテントバナの様相からずいぶんと変容した。

同村におられるTさんから聞いていたかつての同家の在り方がこの形。

風を切るカマの立ち姿にしたという。

Oさんが云うには、都合で一日早めた昨日に立てたそうだ。

そのカマはおつきようか竿の先端に括り付けた。

ヤマブキは見つかったので竿に括って飾ったが、フジの花が少なすぎて・・。

また、ベニツツジも見当たらなかったから、普通のツツジをあしらった。



元気でいるから今年もできたというOさんは昭和16年生。

平成23年に行われた村行事の田の虫送りを終えたあとの会話で話してくれた数々ある家の行事。

その一つがおつきようかであった。

昔しは5月9日におtきようかの竿を倒していた。

飾ったお花は括りから外して近くの川に流していたという。

この年は4月30日に田植えをした。

蕗の成長はまだ早かったらしく蕗の葉が小さかった。

植え初めのご飯も載せられないくらいに葉が小さい。

この年は仕方のないことで、断念したという。

おばあさんが生きていたころの植え初め。

蕗の葉の上にご飯をおましていたから、今でも継承している。

蕗の葉の枚数は12枚。

旧暦の閏年の場合は13枚になる。

旧暦の閏年は大の月が2回あるから、月数が13になる。

江戸時代からそうであった旧暦年の在り方である。

家の行事はいつも教えを乞う。

この日はそれだけでなく交友関係も・・。

実は、と云って語る同級生。

室生・下笠間の春覚寺に出仕されるS住職に旧都祁村・馬場の金龍寺のI住職も同級生。

なんと、お二人とも行事取材でお世話になった僧侶である。

また、この年限りで寺住職を引退した福住・西念寺のMさんの話題も出る。

その流れから旧都祁村・白石の興善寺までも。

興善寺は大阪・平野の大念仏寺が本山。

住職は大念仏寺の社務職に移った。

その代わりに息子さんが引き継いで、この年の5月21日に晋山式を務める予定があるという。

(H29. 5. 7 EOS40D撮影)
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伊賀市下阿波のフキダワラ調査

2018年05月27日 08時28分09秒 | もっと遠くへ(三重編)
午前中いっぱいは奈良市米谷町で行われていたノヤスミのタケノコ飯を取材していた。

午後に訪れたのは奈良県でなく、三重県である。

米谷町は旧五ケ谷村。

名阪国道にはすぐ入れる地。

そこより福住、そして針。

まだ先の山添村からまっすぐ東へ名阪国道を走る目的地は三重県の伊賀市下阿波である。

平成28年8月17日にBSで放送されたBS-TBS放送の「美しい日本に出合う旅―三重で歴史散歩―家康と伊賀忍者の里・絶景の滝めぐり」という番組があった。

サブタイトルに惹かれたわけでもない三重県の美しい日本にどういう出会いがあるのか、少しだけ興味があったので録画していた。

朝食時間の合間に見る録溜めのビデオ。

その日の気分で録画した番組を決める。

この放送を見たのはずいぶん後になってからだ。

1、2カ月も経過したころだったと思う。

何気に見ていた番組に突然現れたフキダワラ。

出演している女性は煎った大豆を入れたご飯を炊いていた。

付近にあるフキを採ってきて茎軸の筋を引いていた。

シーンが替わってフキダワラの形になっていた。

女性は田植えを終えた田んぼに向かう。

丸い型のザルに盛ったフキダワラ。

中から数個を選んで藁製のサンダワラに盛った。

その場で手を合わせて拝んでいたことからさぶらき、或はさびらきの作法であろう。

名称もまた地域差があるが、これは農家における田植え初め儀式、若しくは田植え終わりのさなぶりであるかもしれない。

番組ナレーターが伝える言葉は「伊賀の郷土料理はお供え物。伊賀の里山で食べるご飯を紹介する」であった。

こうした一連のフキダワラの映像に飛びついた。

場所はテロップに表示された「三重県伊賀市下阿波」。

その地のどこかに住んでおられる女性を求めて車を走らせる。

山添村からおよそ40分弱。

カーナビゲーションにセットした下阿波へは川沿いの県道163号線を走る。

ビデオ映像の景色は山間部辺り。

そう思って車を走らせる。

カーナビゲーションが指示したルートは村中の狭い道。

集落は目と鼻の先にあるが、狭くて車が入れない。

軽自動車であっても入れなさそうな道は不入の道である。

ゆるゆるバックして県道に戻った。

すぐ近くに民家があった。

二人の婦人がおられたので、下阿波集落ならびにフキダワラのことを聞いてみた。

そこは下阿波でもあるが、須原(すはら)の地。

80歳代の婦人の子供のころの記憶である。

キナコ飯を包んだフキダワラを午前10時と午後3時のケンズイのときに食べていた、という。

探してみても、今どきそんなことをしている人はおらんという。

そりゃそうだろう。

80歳代であれば子どものころは70年前になる。

継いでいる家はみられないという。

下阿波の集落はそこより少し戻った地。

県道を挟むように民家がある。

そこで尋ねてみてはと云われていくがどなたもいない。

少し広い場で待っていた。

来られたのは年老いた婦人と娘さん。

コイン型精米所に米袋を運んで精米をし始めた。その人たちにも声をかけて聞いてみた。

結果は・・。

高齢の婦人が云うには娘はすることないが、かつておばあさんがしていたという。

ご本人は継がなかったが、その当時のおばあさんはフキダワラに包んだご飯を美味しそうに食べていた、という。

フキダワラを作っている人であれば料理好き。

あの人かもしれないと云われて探してみる。

服部川に架かる橋を渡って真っすぐ。

どんつきを左折れしたら神社がある。

そこよりすぐ近くにある家を訪ねたらテレビに出演されていた婦人が家から現れた。

都合、ここまでやって来た経緯を話したら驚きの様子である。

取材主旨を伝えたら、丁度いいという。

四日後の11日にお友達を呼んでもてなし料理の一つにフキダワラを作るという。

田植えはこのGWに期間中に済ませていたが、良ければ、それを拝見したテレビ映像と同じようにしましょうか、という返事に嬉しさがこみ上げる。

ここまで来た甲斐があった。

帰路につくその前に拝見しておきたい地元氏神さんを祀る神社にお礼の参拝をしておこうと思った。

神社は延喜式内郷社の阿波神社。

延喜式といえば修正会・オコナイで作法される神名帳詠みがある。

神名帳に東海道・伊賀の国に阿波神社

そう同名神社であるだけに神名帳に載る比定社になるそうだ。

四国・徳島の阿波国。阿波国造を務めた息長田別命の子孫が、伊賀の国に移住し、阿波君の祖人である息長田別命を祀ったのが阿波神社とも・・。

社務所か参籠所かよくわからないが境内に併設する建物がある。

看板を拝見したら下阿波小規模多目的集会所の表示があった。

(H29. 5. 7 SB932SH撮影)
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ザ・ビッグエクストラ天理フードコーナーのたまごの極みとろとろ親子丼ミニうどん付き

2018年05月26日 09時27分12秒 | 食事が主な周辺をお散歩
米谷の座は終わりの時間が特にない。

場合によっては昼寝もしたことがあるというだけの長時間の場。

始まってから2時間越え。

〆の状況を拝見したかったが次のリサーチ先に向かう時間が間に合わなくなる。

あえなく断念して昼食の場を探し出す。

頭の中に閃いた食事処はザ・ビッグエクストラ天理店。

とはいってもスーパー内の弁当買いではない。

5月3日に入店して買った弁当を食べていた場はザ・ビッグエクストラ天理店内のイートインできるフードコーナ。

売っている弁当をその場で食べることができる。

車中食よりもそこが落ち着く。

そのコーナーに数店舗が出店している食事がある。

たこやき、唐揚げにラーメン店。

それらに興味はなく惹かれたのはうどん店だ。



お店の名前はおいしいうどん丼の店を称する「たまごの極み」。

一杯のかけうどんが280円。

関西でいえばいわゆるすうどんである。

これにしようと前回来たときに決めていた。

ところがだ。

午後2時にもなればお腹はすっからかんの減り具合。

それではお腹は満たせない。

そう思って選んだ商品はミニうどん付きセットのとろとろ親子丼。

480円のとろとろ親子丼にミニサイズのかけうどんが付いてくるというセットもん。

お値段からも惹かれて決めた。

店員さんに告げて支払いをする。

現金扱いだけかと思えばそうではなかった。

電子マネーのクイックペイは利用できないが、クレジットカード支払いができるありがたいお店。

うどんチェーン店も見倣ってほしいものだ。

支払いを済ませば呼び出し機器を渡してくれる。

それが鳴ればできあがり。

コーナーに行って持ち帰る。

帰る場はイートインコーナー。

たまたま空いた一席に座っていただく。



先に口にしたのはかけうどん。

出汁とともに箸でもとあげたうどん麺。

口に放り込んだ。

つるつる感は若干。

コシはないが、そのつるつる感で喉の奥に吸い込まれる。

ネギは刻みの長ネギ。

しゃきっとしていて絡んだうどんが美味くなる。

はじめにトッピングした天かすに七味がコクをだす。

麺は柔らかいので好みではないが美味い出汁に満足する。

一方の椀は丼鉢。

ど真ん中に黄身がある。

鶏肉が見え隠れする玉子とじに三つ葉をパラパラと盛っている。

香りが鼻に吸い込まれていく。

箸でご飯ごと掬って口に入れる。

第一印象は美味い。

何口か食べているうちにその印象が薄れていく。

食べれば食べるほどに味が薄くなるのだ。

不思議な感覚のお味にコリコリ感がある鶏肉。

たぶんにヒネ肉・・。

昔懐かしいカシワ肉を思い起こす。

なにが美味しいかっていえば一番はど真ん中の黄身である。

食べ始めにぐちゃっと潰してぐぐっと混ぜた。

その中心部をはじめに口にした。

美味い、と感じたのは黄身であった。

「たまごの極み」の経営は奈良交通フーズ。

ネットにメニュー値段リストがあったが、ザ・ビッグエクストラ天理フードコーナ店の値段とは違っていた。

ちなみに「・・丼・・ 大盛り無料」のありがたい表示はあるが、私のお腹では丁度いいぐらいだ。

この日から数えて3カ月後にも入店した。

メニューをどれにするか悩ましき選択肢。

その場に貼っていたメニューではない連絡便。

なんと、なんと。

この年の8月20日に閉店するとあった。

それを知ってからであってもこの日に食べたとろとろ親子丼480円+ミニうどんセットは忘れてはならない。

再会したい願掛けも兼ねてここにアップしておく。

(H29. 5. 7 SB932SH撮影)
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米谷町・ノヤスミのタケノコ飯

2018年05月25日 09時35分26秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
奈良市米谷町に鎮座する白山比咩神社。

この日は宮座の四大行事の一つである「タケノコ飯」行事。

四大行事は2月の「田楽飯」、5月から6月にかけての「タケノコ飯」、10月の「マツタケメシ」、12月の「くるみ餅」がある。

宮座十一人衆が季節の節目に旬のものをよばれる座行事は村神主が接待する行事。



参拝前に献饌しておく御供。

洗い米に小豆を包んだ御供にパンも供えている。

それ以外の御供に季節ものの野菜もあるし、サイラ(サンマ)の開きなどなど。



座中、一人、一人がめいめいの参拝。

いつもと同じように参拝する姿に、これもまたいつもと同じようにシャッターを押す。

手水で清めて本社拝殿より正面に向かって拝礼する。

次はチンジさん(鎮守社)と呼んでいる山王神社にその横に建つ遥拝所の参拝。

大正六年四月三日に建之された神武天皇の遥拝所にも参られる。

月例であっても村行事であってもかわらない参拝の在り方である。

参拝を済ませた座中は参籠所に籠る。



所の炊事場のテーブルいっぱい並べた料理皿がある。

一つは筍の木の葉和え。

木の芽を添えている料理である。

二つ目は筍と蕗の煮物。

三つ目に菊菜とほうれん草のおひたし。

四つ目の料理が金時豆の甘煮。

香の物もある料理は村神主家が心を込めて作った手造り調理でもてなす座の料理である。



参列者全員が揃ったところで供えていたお神酒を下げる村神主。

それが座の始まり。



早速、動いた二人のサタニン(佐多人・助侈人とも)が給仕する。

席についた座中にお神酒注ぎ。



席にあるパック詰め料理に加えて、手造りの筍料理や香の物も運ぶ。

これらの皿盛りは一人前が一皿でなく、数人に対しての一皿になる。



お神酒や膳が揃ったところで一同は乾杯。

一口、二口よばれてからのしばらく。

冷酒のお神酒から熱燗になった。



それからのサタニンといえば、とにかく忙しく動き回る。

お酒の注ぎの声がかかれば、熱燗の酒を席に運ぶ。

いつ、お声がかかるかもしれない。

突然のお声に反応して直ちに温めていた熱燗をお銚子に注いで座中のお席を巡る。

座が始まってから1時間半ほど。

汁椀を座卓に配られるよう、お声がかかる。



時間を見計らって吸い物汁を温めていた。

熱いすまし汁をお椀に注ぐ。

汁椀はハマグリのすまし汁。

注がれたとたんに海の香りがする汁椀である。

すまし汁をいただいている間はお声もかからない。



その間に動き回っていたサタニンさんもよばれに移って食を摂る。

2月に行われた「田楽飯」の座行事も早かったという。

あるときは昼寝をしていたこともあって、遅くなることもある。

座行事が終わった時間帯がこれまで一番遅くなったのは午後5時。

やっと解放されたと思いだす人もいる。

この日の行事に「昔の行事は小豆粥をよばれてから終わりだった」という人も。

時代、時代の変革に行事食はこれからも変容していくこともあるだろう。

(H29. 5. 7 EOS40D撮影)
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ペヤングのキムチ焼きそば+ダイソー春雨坦々スープ

2018年05月24日 08時35分27秒 | あれこれインスタント
買い置きのカップ麺に賞味期限が迫る。

あと2カ月もあるのだが、この日の昼食はラーメンにしたら、の声に湯を沸かす。

選んだカップはペヤングのキムチ焼きそば。

容器が極端に小さい。

小さくても一般的なカップ麺と何ら変わりのない総量。

小腹向きと思えたから手を差しのべた。

焼きそばだけではなにか物足りなさを感じたから、これもまた買い置きの百均のダイソーが販売する春雨坦々スープを添えてみる。

どちらも湯を沸かしてカップに注ぐ。

時間は焼きそばが3分間だから、湯切りする直前に注ぐのはスープの方だ。



焼きそばは液体ソース。

袋からじゅるっと絞って麺の上に落とす。

じゅるじゅるしているうちに辛み成分が鼻に吸い込まれる。

ピリっとした辛さに刺激。



身体がしゃんとするぐらいの辛さだが、麺と混ざってなければただの麺。

じっくり混ぜたつもりだがそうでもない部分はどうしてもできる。

パッケージに「マヨネーズソース風」と書いてあったがマヨネーズ感はまったくなし。

ただただ辛さが目に染みるだけだ。

スープといえば辛さが第一の坦々スープであるが、味噌の味がしつこく絡むので坦々の良さは感じない。

具が多いのがマシだと思ったが、次回は買うことはないだろう。

(H29. 5. 6 SB932SH撮影)
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旧都祁村・友田のサシナエ

2018年05月23日 09時35分06秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
奈良県の東山中・山間部は多様で多彩な民俗行事が行われてきた。

私の調査範囲内であるが、近年になってからは急激に変容しているように思えて仕方がない。

天理市福住に山田町。

旧都祁村のから山添村の峰寺、室津、北野、大塩、箕輪を巡ってきた。

帰り道はどの道にするかは、その日の気分次第。

針テラスには入らず針の信号から名阪国道沿いの地道を走る。

天理市の福住から平坦に下ろうと思って走っていた旧都祁村の友田。

走る車の窓から見えたサシナエ作業。

停車して田んぼを見渡せば二人の男女がサシナエをしている最中だった。

時間帯は午後4時前。

日が暮れる時間までに済ませておきたいサシナエ作業であろう。

もしよろしければと声をかけて撮らせてもらったH夫妻がしている作業風景である。



ここはタニシが多いという田圃である。

水が綺麗な田圃だからタニシが住んでいる。

田圃に水を張ったら見つかるというタニシである。



寒かろうがこうしてサシナエ作業をする夫妻が住む家は小高い丘にある。

濠の上にあるからその苗字になったようだ。

ここら辺りは牛の貸し借りもあった。

牛はこの地から平坦に向けて下っていったというから福住の地であろう。

御田(おんだ)は都祁友田の水分(みくまり)神社。

一年の五穀豊穣を祈る2月26日の祈年祭に松苗を奉るようだが、今はどうなんだろうか。

こうした話をしながら黙々とサシナエ作業をされる二人。



日が暮れるまで、まだまだ。

終わりそうにもないのでご挨拶して場を離れた。

(H29. 5. 5 EOS40D撮影)
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箕輪・サシナエからフキダワラの話題

2018年05月22日 09時13分42秒 | 山添村へ
奈良県内の、特に東山間でこれまでずっと行われてきた田植え作業に纏わるフキダワラが瀕死の状態にあるとわかった。

旧五ケ谷村から登っていく旧道。

やがて西名阪国道に出会う。

そこからは高速道。

次のICは天理市の福住町になる。

訪ねてみたい家は見つかったが、不在だったM家。

福住S・ジョブズ・スクール代表のMさんをしばらくは待っていたが、何時になるのかわからないまま待つわけにもいかず、ここ上入田を離れて同市内の山田町に向かう。

山田町は上から下へと下る。

下ると云っても道はなだらかな道。

スピードが出過ぎないようにセーブしながら走らせる。

この地は上山田、中山田、下山田の三村。

数年前から田植え初めに行われるウエゾメ(植え初め)の在り方をみている。

今年はどのような状況になっているのか・・。

昨年に伺ったときはほぼ壊滅したような状況であった。

今年もそうであってほしくない現状調査。

生憎、これまでウメゾメをしていた中山田、下山田には影も形もない。

とうとうやってきた全廃状態に愕然とする。

旧都祁村の荻。

そして山添村の峰寺に室津を辿っていた。

そこから東へ向かう地に北野がある。

何年か前に拝見したことのある田圃に行ってみるが植え初めの痕跡は見られない。

そこからさらに東へ。

大塩に住まいするY家を訪れてはみたものの、先週の4月29日に緊急入院された奥さんの付き添いに今から病院へ行くと云われる。

Yさん夫婦とは私も通院している病院で何度かお会いしたことがある。

今度ばかりは血相抱えて今から・・。

すまんけど、と云われて期待していたフキダワラの件は聞かずじまいだった。

大塩と云えばもう一人。

年中行事の数々の他、お家の行事も取材させてくださったKさんがおられる。

2年前の平成27年5月6日

私が当時勤めていた仕事を終える時間に合わせて、フキダワラを供えてクリの木を立てるミトマツリをしてくださった。

そのご厚意が嬉しかった。

大塩から山手の方に向かう。

神野山へ行けばいいのだが、この日は隣村の箕輪。

田植え時期なら何かうかがえることもある。



そう、思って車を走らせたら田圃でサシナエしている婦人を見かけた。

手を休めたときに話してみたフキダワラ。

今年は足腰が痛くなってできなかったが、いつもならフキダワラを作って食べていたのに・・と。

大豆を入れて炊いたご飯は蕗の葉に包んでフキダワラを作っていた。

例年は24個も作っているフキダワラ。

オツキの花を添えて田植え初めの場所に立てるウエゾメ(植え初め)をしていた。

フキダワラは12個ずつ、1本のオツキの枝2本に、それぞれ括って合計24個も垂らしていた。

話しを聞いただけでも壮観なウエゾメ(植え初め)の在り方。

昨年の平成28年までしていたという。

オツキという花はウツギである。

北野でウメゾメをしていた高齢の婦人はウツギをオツゲと呼んでいたことを思い出した。

ウツギは地域によってオツキ或いはオツゲの名で呼んでいたことを知る。

家はサシナエしているところからすぐ近くに家があるというK婦人。

作ったフキダワラを隣近所なのであげたら、「あんたとこ、まだ、こんなことしてたんか」と云われることもあったが、今年は足が思うように動けなくて断念した身体事情。

来年には是非伺ってみたいと思った。

(H29. 5. 5 EOS40D撮影)
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