季節外れの寒さの、乱気流にはまり込んだような一日が終わった。
B神社に祀られるある神の再生、ということだった。
ここの主祭神はウシ関係。
ウシを屠りウシのエネルギーの復活再生を歓喜するのはミトラの秘儀であることを僕は思い起こした。
本殿に鎮まるいのちはそれを求め、人間の慌てようをおもしろがって見ていたかもしれない。
見える世界に生きる我々はただ懸命に生きる。
鈴緒に登る勇猛な神事の途中で落下し怪我を負った彼は犠牲者ではなく、やはり再生を体現した者として、霊性の階段を登りゆくのかもしれない。
彼が幸い軽傷で済んだことは後日聞いている。
禍いの顔をした福。
そう思えるのは、僕に降りた言葉がSさんのご主人経由でB神社に伝わり、ありがたい話と神職に受け止めてもらえたと聞いたからであり、Sさん一家も神社の主祭神との深い縁を噛み締め、本家にあたる遠方の神社まで参拝に出るまでになったからである。
その参拝の旅の直後、夫婦でコロナウイルス感染、発症。
その結果、Sさんは長く気にしてきた味覚障害が治るという、通常のコロナ感染者と反対の道を辿った。
さらに、活性化はご一家全体に巡ると僕は見ている。
一つ、付記しておくべきことがある。
怪我人の介護に走ったSさんが「素人」と書いた。
これが僕の大いなる勘違いで、Sさんは結婚前に准看護師をしていたのだった。
神社関係者でも土地の者でも医療関係者でもないのに現場に乗り込んでしまった「部外者」は僕だけであった。
しかし、Sさんの過去の職業など条件が揃っていなければ、アクシデント的に僕がそこに入ることはなかった。
『御用!』と緊急呼出するだけあって、ことを現実化するための見えない世界の突破力はハンパないのだった。