そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

欲望と神 2

2010-05-31 04:21:08 | Weblog
『困ったときに集められるのが神ではない。
不自由なときに言う事を聞くのが神ではない。

ただゆっくり回りを見回してほしい。
ベストな選択に行き当たるはずだ。

後ろを向くとひらめくことがある。
神を向くとひらめくことがある。
神がいることに気付いていなさい。』

のぞむことは見えない世界に全て通じています。
大事なのは、わたしたちがどのように生きていきたいか、その望みをもってこの社会にどう貢献していきたいか、という大きな思いです。


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欲望と神 1

2010-05-30 16:20:03 | Weblog
今まで神と崇めて、手を合わせてきたものは何だったか?
自分の願いをかなえてくれるものが神なのか?
だとすると神はわたしたちの欲望とともに大きくなってしまいます。
わたしたちがそういう神たちを育ててきたことは、否定できません。

時代は変わりました。

宇宙の本質は愛であり調和です。
欲望がつねにいけないわけではありませんが、もっともっと、と欲しがる姿勢は世の中をひずませる原因になります。
争いに導くものにもなります。

欲望をかなえてくれるものを人が尊崇するならば、安易に欲望をかなえる力をもつものが神を名乗り始めます。
神を創るのも人間です。

宇宙の中心とわたしたちの中をとりもってくれる愛ある存在たちと、わたしたちは手を携えていかなくてはなりません。
そういう存在たちを、わたしたち人間は助けていかなくてはいけません。

また、人間の深い欲望と一体になった存在たちも、祈りによって変容していきます。
毛嫌いしたり、怖がったりする必要はありません。





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愛というアウトプット

2010-05-27 05:45:21 | Weblog
『愛しているという感情を出すと、身体もきれいになります。
アウトプットができるから、通りがよくなります。

不思議なことに、自分をいいかたちで考えられるようになります。
自分だけではなく、自分以外に気の流れがいきます。

狭い意味の愛でなくてよいのです。
誰かを排除しないという、愛です。
感謝に近いものだから、せめて両親には言いなさい。』

他人との距離のとりかたに悩む女性に対しての言葉でした。
言葉に出して伝えるのが難しいならば、心の中で出していくだけでも、自分自身があたたまります。
あたたまると、柔らかくなります。
柔らかくなれば、それは人に伝わります。

大らかになるので、細かいところを見すぎて許せない、ということがなくなります。


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一つになっていくということ

2010-05-15 17:57:35 | Weblog
5月9日に書いたブログ記事に対して、
「『一つになっていきます』とはどういう事なのかがよくわからない」
というコメントをいただきました。
今日はそのことについて書きます。

わたしたちは、なにごとをも対立させて考えがちです。
比較、分析し、理解することが有効な場合はたくさんありますが、わたしたちの心の安楽、たましいの幸せを考えたときには、自分とまわりのものとが一体となっていくことが大事になります。

自分の心の中にある一部分を受け入れられず、愛せないことは、それ自体が分裂です。

自分の中の全ての要素を受け入れ愛する。
まわりのものを受け入れ愛する。
その二つの行動は、並行しているものです。
真の意味で、自分を愛せるがまわりを愛せない、または、まわりは愛せるけれど自分を愛せない、ということはありえません。

相手を受け入れ愛したとき、自分の心も広くなり、幸せで満たされます。

相手と一つになることが、自分自身を統合することでもあるということです。


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いろいろな角度から見ること

2010-05-09 23:16:55 | Weblog
『ものの象形は万とあるから、ものごとをいろいろな角度から見なさい。
人はあなたがもっていない角度からの見方をもっている。
それを一度拒絶してしまうと、「違う」と拒否してしまうと、そこで終わりになってしまう。

もっと関係性をもつようにしましょう。
あなたの生き方がもっと洗練されたものになっていきますし、一つになっていきます。
決して難しいことではありません。
あなたを認めると同時に、その人を認めるだけで良いのです。
その人と時間を共有できることをよろこんでいて下さい。
そして自分に出来ることは何かと言う問いをもちなさい。』


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手の震え

2010-05-08 22:01:11 | Weblog
『人を誉めることを覚えなさい。
自分の中に閉じこもっていてはダメ。』

人前に出ると緊張して手が震える、という若い女性でした。

手が震えるのは、自分がどう見られているか気にしていると言うことです。
まず人を認める、誉める見方をするようにする。
それができるようにしていくことが大事です。
自分がどう見られるかではなく、相手をどう見るかを、考えていかなくてはなりません。


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万人の手

2010-05-03 10:11:49 | Weblog
『ふと思ったところからはじめたことは万人の手を乗せて走る。
万人の手が入る。
いつまでも自分だけ、では自分の船は維持できない。
ことを起きさせるようにしなさい。』

”ふと思うこと”というのは、見えない世界からの働きかけであることが少なくありません。

昨日書いたことともつながってきますが、自分だけで何とかしようとせずに周囲を巻き込んでいけば、思わぬ方向の縁ができて、思う以上の成功を得られるようになります。


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まず話すこと

2010-05-02 07:45:56 | Weblog
『話したってムダだと思うのをやめることからはじめなさい。
その努力を続けなさい。
まず自分の中から出すことで自然に力がチャージされてくる。

話すことについて、どうせはかないものだと思うのをやめなさい。
できるだけ周囲の人に話すことで、準備がなされていく。

あなたは美しい光をもっているのだから、その心をもってまわりの人に接して下さい。
まず大きなことに向かおうというのではなく、自分の周りの小さなことに真摯に向かおうとすることによって、まわりのことをうまく束ねていく。
周りに自分の意見を投げかけて、みんなが動くようにしていかないと。』


何かやろうとしても、なかなかはじめられないという方への言葉でした。


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楠に会いに行く

2010-05-01 05:37:42 | Weblog
先日の光岡八幡の楠に、もう一度会いに行く機会に恵まれました。
少しだけ降っている雨から逃れようと、ためしに根っこの中に入ってみると、肩越しに長方形の穴が自然にできていて、空を眺められることを発見。




さて、こちらは東京での話です。
会社の役員をしている方に、どこでもいいから大きな楠のある場所に行って、ゆっくりしなさいと伝えてきました。
会社内部の人間関係に疲れて、元気を失っていた方でした。
『権力をもう一つ持ったところで五十歩百歩。ドングリの背比べと思いなさい。』
と声がかかりました。

『神の前の大地にひれ伏せ。
おまえには貴重な教訓を今与えているぞ。
金を出しても得られない貴重な学び。』
とも。

『会社を中心とした仕組みではなく、宇宙を中心とした仕組みに気付きなさい。
その中で羽を広げなさい。
あるがままでいいのですよ。
今のところから脱出するには、できるだけ人のために、見返りなしに人の手伝いをしてみること。』

自然に調和して長く根を張り続け、来る人を拒まない楠の姿こそ、わたしたちが理想とするものかもしれません。


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