そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

和歌山 現地での出会いから 2

2009-04-29 06:34:47 | 癒し
2度目にその場所を訪れたのは、今年2月に入ってからでした。
いつもの喫茶店からAさん運転の車で走り出すと、途中車内で、
『Cが深く関わる』
と聞こえてきました。
Cは人名です。
よくある名字ですが、今回のグループにはいません。

その日もどこに行くかはその場その場でのおまかせでした。
その日は、行った場所で次に行くべき場所を指定してきてくれました。
ここに行ったら次はここ、というルートがちゃんと作られていたわけです。

さて、2度目のその神社では前回と違い、この土地がはっきりと動き出しているのが具体的な言葉で語られました。
何もわからない中を夢中で走るのですから、こういう言葉には安心します。

神社参拝後、なんとなく5人めいめいが好きなように歩き回っていました。
開放感を感じたせいでしょうか、寒さが身にしみるのですが、心地よくそれぞれの時間を過ごしていました。
わたしはあらためて池を確認しました。
そこはやはり前回同様、藻で覆われて池には見えません。

気づくと、Oさんが中年の男性に話しかけられています。
軽トラックが一台、わたしたちが入ってきたときにありましたが、人の姿は付近に見られませんでした。
ゆっくり散策しているうちに男性が二人戻ってきたのでした。
Oさんと話しているその男性は、ゴルフクラブを片手に下げ、ジャージ姿でリラックスした風情です。
長々とそこにいるわたしたちを奇異に感じて地元の方が話しかけてきたのかとはじめは思ったのですが、ずいぶん話し込んでいます。
近づいて話に加わると、熱心に名草戸畔の話をしています。
Oさんの働く喫茶店で、名草戸畔の研究をしているPさんという方を東京から招いて講演会をしたときにいらした方だと言うことでした。
名草のことは非常に詳しい上、名草を人に知らしめたい、後世に残したいという強い情熱をもつ方でした。
名前を聞くと、Cさんでした。

Cさんに、この池の大事さを話し、きれいにしないと龍が出てこられないと伝えると、
「ここは神の池だから、さわってはいけないと昔から言われているんだ。」
とのこと。
しかし外来種の藻が繁殖して汚れているのは異常事態です。
Cさんも、あらためて考えて
「なんとかしなきゃな。」
とおっしゃいます。
池そのものが危機にさらされているのですから、やはり人の手が必要です。

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和歌山 現地での出会いから 1

2009-04-27 10:37:41 | 癒し
友ヶ島に入るまでに和歌山に6回通いましたが、そのうち3回も足を運んだ神社が二つありました。
そのうちの一つは、名草戸畔の本拠地とも言うべき場所に残る神社でした。
名草山を背負い、農村を開けた視界にのぞむのどかな土地です。

『ここはもっと推移して、上がっていく必要がある。
話したいことがある。
ここは龍が出ることになっている。
山、黄色。
もともと池にいた龍、それが出口待ちで待っている。
出ると、あるべき姿に戻る。
人間がちゃんと動けば動き出す。
無理しなくても動き出す段階に来ている。』

以上は拝殿で言われた言葉です。
参拝を終えて周囲を歩くと、神社の横すぐのところに、異様な光景が見られました。
藻が繁殖して、黄土色に変色した池でした。

言葉が降りてきたときにはこの池に気づいていませんでした。
池が見えなかったのではなく、池に見えなかったのです。
繁殖していた藻は水平に広がっていましたから、そこだけ真っ平らで、不思議な空間になっていました。
間近で見ても土に見えましたから、ためしに小石を落として沈んでいくのを見て、池と確認したほどでした。

OさんやAさんと、この池こそが先ほど伝えてきた龍の場所だねと確認しあいました。
この池がきれいにならないことには、龍の出口とはならないでしょう。
『人間がちゃんと動けば動き出す』
確かにその通りです。
清浄な意識は清浄な空間に宿ります。
清浄な空間を作るのは、われわれ人間の役目です。

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和歌山に引き寄せられた人たち 3 

2009-04-25 06:47:57 | 癒し
『紀の国が緊張している。
行って祓わなければならない。
福岡の人がそれにあたる。』

昨年2月に聞こえた言葉の、始まりの部分です。
紀の国のどこがどう緊張しているのかはわかっても、福岡の人とはいったい誰のことだろう、というのが消えない疑問でした。
何度も和歌山入りし、焦点が定まってきているのに、福岡の人に接点が出来ません。
福岡には長く縁がありますし、大勢の方にお会いしてきましたが、この言葉に当てはまる人が感じられません。
和歌山のグループに何度となく、それを投げかけてきましたが、明確な進路は見えませんでした。

その中で、Aさんがよく知っていて、何度も行動をともにしたことがあるミュージシャンの話になりました。
この方はスピリット・キャッチャーという不思議な楽器を演奏し、舞を舞う方とペアで全国を奉納演奏をなさる方で、映画ガイアシンフォニーでも取り上げられています。
この方達もわたしたちの神事に共感して下さり、のちに友ヶ島で合流しました。
この方達が昨年末、九州を奉納演奏の旅で回ったという話を聞く中、その同行メンバーに、昨年わたしのワークショップに参加して下さった北九州の方の名前があり、彼に尋ねるしかない、と思いました。

基本的に奇数月の月末に必ず博多に入るようにしているのですが、この1月末のスケジュールはどうしても、ぽっかりと空いてしまうところがあります。
それはこの男性、Yさんにコンタクトをとるために空けられていた時間だとしか考えられませんでした。

福岡に入る直前にYさんに電話すると、こころよく応対して下さり、
「ぼくに思い当たるのはBさんかな。
彼は博多でホメオパシーの事務所を開いていてそこに普段いるから、一緒に行ってみましょう。」
とご提案くださいました。
予定通り当日、Yさんと博多のホテルでお会いしましたが、
「Bさんは今日は関西に行ってしまっていていない。」
とのこと。
どうやら、BさんはBさんで和歌山に行かなくてはいけないことを自分で感じていて、その日は仕事で出張の中、道先案内人を求めて、和歌山出身の方に会っていたそうなのです。

Bさんは翌日夜福岡に戻ってくることがわかったので、連絡をして、さらにその翌日わたしが福岡を離れる直前に彼の事務所を訪れることになりました。
その時間も、どうしてもスケジュールが埋まらなかった一時間半の空白でした。
移動の時間を抜くと、Bさんと話せる時間は1時間しかありません。
挨拶もそこそこに、和歌山で何が起きているかを伝えました。
彼も彼のしていることを話して下さいました。
たった一時間でしたが、お互いに早口にしゃべりづめ、これから先の信頼を感じました。

彼は和歌山と言っても、熊野地方を視野においていました。
しかしそこに至るまでに、まずともに和歌山をまわらないとならないようで、彼もそれを感じ取りました。
仕事をうまく調整して下さり、3月25日、26日と行動をともにしました。
Bさんは要所要所で重要なビジョンや言葉を共有して下さいました。
解放された見えないいのちのよろこびを、彼自身の肌で感じ、表現して下さったとき、これまで行動をともにしてきた皆の胸が熱くなりました。

メンバーが集合してみると、Bさんはわたし以上にもご縁を感じた人が何人もいたようで、もうすでに再度和歌山入りしていますし、他の地方にも呼ばれていくようです。

Bさんのいのちが必要だった理由は、和歌山と福岡の深い縁があったからというのも一つだと思います。
難しい説明は省きますが、簡潔に言えばこんなつながりがあります。
和歌山を建国したとされる方の母親を祀る神社は、福岡の宗像地方にしかないそうです。
また、古代の民族の移動の流れで言うと、福岡から和歌山へは、海の人たちの道でつながっています。

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和歌山に引き寄せられた人たち 2

2009-04-23 06:19:53 | 癒し
徳島から参加してくださったTさんは、県内を中心にヒーラーとして活躍している女性です。

昨年4月12日に、
『奈良の・・・には赤龍が住んでいる。
それが一昨年からつまされている。
~岳にのぼるとよい。
まわりから畏れられてきた山
それが生き返って嬉しい。
働く目になる。
その上で阿波の仕事をしなさい。
角のあるエネルギーがよみがえる。』
という言葉が降りてきました。
・・・には実在の地名がありました。

5日後に千葉の主婦の方から、
<テレビで多く流れる地震などの災害予知者の情報を見るにつけ、守られるように祈っていたら
「赤龍が出てきて守るだろう」
と聞こえた>
とメールをいただきました。
普段情報のやりとりをしている方ではありませんから、こんな小さなことが大きな裏付けになり、勇気づけられます。

その2週間ほど前の3月下旬に、東京のチャネラーからの紹介で、是非会いたいと声をかけてくださってきていたのがTさんでした。
自然な流れが感じられたので、5月にその奈良の山に登り、その後四国に入ってTさんにお会いする段取りをつくりました。
その山では、燃えるように赤い山頂と、山腹の滝の、開いた大きな目を見ました。
Tさんにお会いする前に、解くべき仕組みがあったのだと思います。

Tさんは地元のいのちに深くつながった方でした。
ある意味古代の阿波のいのちを代表するような方です。
そうだからこそ、今度は日本各地につながっていく必要があり、それを伝えました。
その後彼女は各地のいのちに呼ばれて活躍しています。
『角のあるエネルギー』とは鬼をさす言葉で、彼女のことも示唆していたと思います。
からだをこわし、苦労する時期も長かったそうですが、見方を変えれば鬼の封印を象徴していたのだと思えます。
和歌山の神事には途中からご参加いただき、感じたことを伝えていただきました。

奈良の山に登って以来、わたし自身に別方面からも徳島との縁が増えました。
和歌山と徳島はもともと見えない部分でも引き合っている土地です。
奈良で吉野川としてはじまる和歌山の大河、紀ノ川は、紀州水道をはさんだ徳島県でやはり吉野川の名をとり、同じ活断層の上で東にむけて豊かな水を運んでいます。
両エリアの間では古代から重要な民族移動も活発に行われており、類似した地名は数多く見られます。
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和歌山に引き寄せられた人たち 1

2009-04-21 05:56:14 | 癒し
友ヶ島に33人集まるまでに、地元の人たちと何度も、地に隠されたいのちのメッセージを聴いて回りました。

大筋で言えば、必要だったのは、過去のある地点で断絶された流れを元通りにつなげることでした。
同質でないもの同士が引きつけ合っている、という緊張をやわらげることになります。
異質なものを排除するのではなく、それぞれの持ち分でうまく調和関係が保たれるようにするということです。
おもてで認められずにいるいのちの声に耳を傾け、理解するという作業はいつもながらでしたが、同じ場所に何度も足を運ぶ必要があったり、まわる順番が重要だったりで、からくりを解いていくのには注意を要しました。

見えない世界からの言葉は、わたしたちが見落としがちな場所にスポットを当てます。
当日朝、待ち合わせるまで、わたしはどこを訪れるかを明確に選ばずにいました。
Oさんがその都度、その日の夢でどこに行く必要があるかを必ず告げられているからでした。
彼女が見えない世界からの情報を得ているのは昔からですが、ここ数年はそれが非常に強くなっているそうです。

もう一つおもしろかったのは、彼女のところに、そのとき必要な資料が必ず、集まってくることでした。
和歌山に入ってOさんに会うたびに、タイムリーな資料を彼女がもっているのです。
それも自分で求めたのではなく、まわりの人が
「自分がもっていても仕方がない」
と持ち込んでくるのだそうです。
それらの資料は、どこにいても手に入るわけではない、地元だからこその深く細かいものでした。
全国から人が集まるのと同時に、先人たちの残した貴重な仕事も今という一点に向けて集まってきてくれたのでした。

友ヶ島の前日、やはりOさんに引っ張られて訪れた場所では、Oさんの苦労を大変ねぎらっていました。
彼女自身も、これからの自分のはたらきに疑問をもたなくなりました。
ここ最近はいよいよ彼女も方々に呼ばれ始めているようです。
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和歌山につながるまで 7

2009-04-08 06:17:13 | 癒し
Oさんとお会いするのにはもう一つ伏線がありました。

昨年夏に埼玉からセッションを受けにきてくださった青年がありました。
わたしがこの男性に、和歌山に行くということを何とはなしに伝えていたところ、彼から、
「和歌山に行くのだったら是非寄ってほしい場所がある」
とメールがあったのです。
それがこの喫茶店でした。

和歌山や四国を旅してまわったとき、そこの喫茶店に長いこと寝泊まりさせてもらい、お世話になったそうです。
彼と、オーナーの娘さんが東京で、アルバイトで友達になったとのこと。
まったくの偶然です。

10年以上前に知り合った頃は、Oさんたちも伝えられてくる言葉で各地に動くことはあっても、本拠地であるその地域の数奇な歴史、地理的な重要性に今のような意識では接していませんでした。

ここ数年でさまざまなかたちで意識の喚起がなされ、人との関わりがつくられていったようです。
自然な流れで、喫茶店で名草戸畔を語り伝える講演会を、識者を招いて開いたりしていました。
そういった近い過去の活動も、5ヶ月後にさらに多くの縁が結集する、という驚きと喜びの太い導火線になっていました。

今から振り返ってみると、すべて必要なかたちに仕組まれていて、わたしたちが楽しみながら歩んでいくことで現実としてあらわれていったという印象です。

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和歌山につながるまで 6

2009-04-07 04:44:24 | 癒し
10月末にAさんに招かれて、いよいよ和歌山入りしました。
一日目はAさんの住む田辺の近くを案内していただき、二日目の朝、Oさんが働く喫茶店に行きました。
Oさんや、喫茶店のオーナー夫人との再会は、10年のブランクを感じさせないものでした。

Oさんが、びっくりすることを言い出しました。
「数日前から、『Xが来る、Xが来る』と聞こえていたのよ。」

Xとは、2000年になったばかりの頃、
『お前はXだ。』
と伝えられた、わたし自身の過去生です。

さらに、
「『Xが…月…日に生まれた』というのが続けて聞こえた。」
ということでした。
その日は、今から約5年前、わたしがそのXという過去生を強く意識する出来事があった、記念すべき日です。
もちろん、そんなことをOさんが知る由もなく、わたしからの返答に今度は彼女が驚いていました。

Oさんとのこの小さな会話は、和歌山につながるまでの経緯も、さらにわたしが今まで聞こえたことを実践してきたことも、すべて宇宙の意思のままだったという安心をいただく、嬉しい時間でした。
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和歌山につながるまで 5

2009-04-06 06:00:43 | 癒し
Aさんはわたしの話を、どこにつなげていかなくてはいけないかをすぐに判断したようです。
和歌山市内、名草山に近いところで、メッセージを受けて神事をしている方の名をあげ、紹介したいと言ってくださいました。

その女性、Oさんとは実は出会いを10年以上前にさかのぼる、古い知人でした。
そして長いことやりとりをしていなかったのです。
思いがけない名前を聞いて、出会い、縁の不思議さを感じました。
偶然ではないのでしょうが、わたしたちが熊野を巡っている間、OさんがAさんに連絡をしてきていたのです。
彼女はそのとき、和歌山が落ち着いたら次の大きな目的地となるとわたしに聞こえていた方面を歩いていました。

熊野への旅は、昨年11月23日のブログで紹介した通り、非常に意義あることでした。
一方でこの旅は、名草山近辺へと新たな展開をつないでいたのです。

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和歌山につながるまで 4

2009-04-05 05:59:25 | 癒し
熊野でどのように動くかは、古神道家の奥様におまかせしており、彼女は田辺在住のアーティスト、Aさんに案内をお願いしていました。
もう一人、東京から和歌を詠む講師をしている方が参加メンバーでした。

夕方旅館で合流。
そこでまた一つ不思議な出会いがありました。
Aさんが自然に話している女性がいたので、普段よく会っている方かと思い聞くとそうではなく、東京からたまたまこの時期に来ていた知人でした。
Aさんとは要所で不思議な再会を繰り返しているようです。

彼女は一人で移動手段もなかったので、翌日玉置神社には車に同乗することになりました。
車内で彼女が話した内容が、和歌山について受けてきたメッセージ、そしてNさんからもらった情報を補足するものでした。

Nさん、そしてこの女性の口から聞かされた大事なキーワードとなるのが、名草戸畔(なぐさとべ)でした。
神武天皇が東征し、紀伊半島入りした際に、和歌山の名草山近辺で抵抗し、殺されたと日本書紀に簡単な記述がある土着の勢力です。

あらためて、このことに焦点を当てていかなくてはいけないという思いから、Aさんにこれまで受けてきたメッセージ、そしてそこからどう展開していく必要があるのか、を話しました。

ゆっくりだった流れが、ここから大きく動き始めました。
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和歌山につながるまで 3

2009-04-04 06:51:11 | 癒し
昨年2月のメッセージ以降、じつは長いこと何もせずにいました。
急いて事にあたる気になれず、必要な動きなら自然に導かれるとしか思えなかったのです。

大きく動き始めたのは、9月に熊野に入ってからでした。
しかし水面下ではそれより前に、気づかないかたちで始まっていたのです。

昨年3月に、山梨在住のアーティスト、Sさんとの出会いがありました。
Sさんとは会ってすぐに意気投合しました。
話が尽きなかったために、彼女を連れてきてくださった紹介者のセッションを後日に延期しなくてはならなくなったほどです。

わたしとSさんとの間に、亡くなったある古神道家という共通の知人があることがわかりました。
Sさんから
「古神道家の奥様が、彼が生前おろして現在手元にあるご神体をどうしたらよいかわからず困っている。」
という話が出ました。
そのご神体を安置すべき場所が聞こえたので、奥様に伝えていただきました。
後日奥様にお会いしたところ大変喜んでくださり、その場所に同行することになったのです。

それが9月の熊野、玉置神社でした。
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