そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

『正三角形は純化する』

2022-11-30 13:18:02 | 未来の創造

『正三角形は純化する。星表化しよう。』

(2022.11.3)

 

正三角形の純化とは何か。

それは、『乗っ取られて』しまった正三角形の、本来のはたらきが再びやってくるということだろう。

現在は五芒星を優位に働かせつつ、正三角形を元通り強力で純粋なエネルギーとして使用できるようになるための準備が着々となされている。

決して遠からずの出来事になるだろう。

そして、それには『星表化』という言葉にもある通り、他の星との関係の表面化を伴うことになるだろう。

 

参考:[正三角形の聖性

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地球と金星が描く五芒星

2022-11-29 10:19:25 | 未来の創造

地球の内惑星である金星は、地球よりも公転速度が速い。

それでも公転方向は同じだから、地球と太陽の間を金星がちょうど通過していくときがある。

金星が地球に追いつき追い越していく一点を考えたら良い。

こうして太陽ー金星ー地球の順に重なった状態を内合という。

 

この内合は584日ごとに起こる。

大きな円で見ると、次回の内合の場所は円を5分の2周回ったところへ移動する。

そのため、この内合が起きる場所を辿っていくと、ちょうど8年で五芒星が描き上がる。

この期間は、金星の年の13年に相当する。

この5、8、13という数字は、地球上のほとんどの植物の成長過程に現れるフィボナッチ数列を構成する。

(「太陽系の美しいハーモニー」ジョン・マーティヌー著 創元社)

 

0、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55と続くフィボナッチ数は五芒星の線分の長さの近似値なので、この数を使って五芒星を描くことができる。

(「黄金比」スコット・オルセン著 創元社)

 

太陽系内の惑星同士は、均整の取れた美しい幾何学図形をいくつも提示する。

現在我々を強く突き動かしている五芒星は、我々が目指すべき金星と地球との間に完璧な図形として浮かび上がるのである。

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剣山通過後のメッセージ

2022-11-28 11:38:00 | 未来の創造
剣山登山の翌日。
『悪魔はおらん。
すでに打ちすえてある。
菊の花には立ち向かえぬ。 』
『国家の神が立った。
剣山はウシの段階に入った。』
(2022.11.12)

さらに。
『日増しに金星が濃くなる。
明日の世界へ。
今はサタンはいない。 
ピッチが進む。』
(2022.11.13)

これら降りたことを参加メンバーにシェアし喜び合った。

だが、事前に
『通過点。
本当のおどろおどろしいところはここから。
でも、勝利の方に向かっている。』
(2022.10.8)
とも伝えられている。
まだまだややこしいようだ。

『母船出発』
(2022.11.10)
というメッセージもあった。
確かめられるものなら確かめてみたい。

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逃れられなかった「寒さ」

2022-11-27 11:52:00 | 旅の記録
剣山は5人で登った。

さきがけて、11月8日。
平泉寺白山神社に到着したところで、僕は参拝前に車内で休憩をとった。
ごく短い時間に鮮烈なビジョンが走った。
今回の参加メンバー、徳島のSさんが剣山頂付近で寒がっている。
クマの着ぐるみのような、モコモコふわふわなのをかぶって震えている。

彼女は僕と直接繋がっていないので、中に入っている知人にそれを伝えた。
3日前の時点で体調に異変はないらしい。
だが、僕が伝えたことで神経質になり、準備に余念がない。
山頂で寒くならないように入念な装備はもちろん、具合は悪くないのに前夜に葛根湯を飲む慎重さ。
真剣に臨むのは良いが、この未来は変えられるものか?
僕は、
「それは受け入れるのがいいよ」
と伝える。
出るべき、出すべきものだからだ。

当日朝。
Sさんは元気そうだ。
車内での談笑にも軽く応じている。
どこまで進んでも暖天に恵まれるハイキング日和、用意した装備も相談しながら「いらなかったね」と車に残し、リフトに乗り込む。
山頂へのルートは、最短の尾根利用。
歩きの負担は大きくない。
40分で山頂到着を見込めるが、皆には1時間と伝えてある。

大阪から参加のTさんが心肺機能に問題があるというので、先頭からチラチラ振り返り、気にしながら歩く。
大丈夫そうだ。
と、
「大丈夫?唇紫色してるよ?」
と聴こえて立ち止まると、キツそうにしているのはTさんではなくSさんだ。
原因不明の体の重さに戸惑っているようで下半身に力がない。

やはり来た。
今日の成り行きは予定されたものであり、抗っても仕方がないものなのだ。
というより、ここを通過するから先が開けるもの。
「今日はもう出ている通りになってるんだから、ゆだねるのがいいよ」
と伝える。

彼女の体内が、支配、封印のシンボルで満たされているのが見えていて、それも伝えてあった。
剣山頂上を目前にして、それが声高に主張している。
Sさんは周囲の助けもあって頑張り通した。
そして辛そうに腰を下ろしたのは、僕に見えた彼女が寒いと訴えて座り込んだ、まさにその地点だった。

深刻に見えるが回復は早い。
予定通りに出てきたものは予定通りに去っていく。
数分のケアで、
「目がすごく楽になった!」
と、その目を見開いている。
もちろん、サクサク動けるようになっている。
その後は元気そのもの、下山の足取りは行きとは見違える。

しかしこれで終わりではない。
彼女には、
『吉野川河口に行く』
ように出ている。
時間的に難しいかな、という意見があり、それなら仕方がないかな、と僕も同意した。
だが、徳島市内に戻る途上に寄ったコンビニで彼女は寒さを訴えた。
ここで彼女は友達からフリースを借りるのだが、それが僕が見た「クマの着ぐるみのようなもの」だった。
時間と場所がずれていたが、僕のビジョンの現実化はここで完了する。

軽いケアで彼女はすぐ立ち直る。
そして、解散後吉野川河口に徳島組二人で向かい祈り、焼肉店「牛一」で合流。
全員が身体と気持ちをスッキリさせて、メッセージ通り言祝ぎ(ことほぎ)で一日を終えた。

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剣山とウシ

2022-11-26 09:34:00 | 旅の記録
11月11日、徳島の剣山登山。
古いモノを見送り、霊力の強い連帯が生まれるのを感じる日である。
7月7日と同様に魔は石化していく。
降りてくるいかづちも、今日を表す言葉として伝えられている。
牛が勇猛に進む姿が、前月のうちに見えている。

リフトを使用してのハイキングくらいに計算できるコースであるが、この時期になると天候によってはシビアな登山になってしまう。
僕一人だったらそんな環境に迎えられることも覚悟するが、今回のように山歩きに慣れていないメンバーも加わっていると、心配ない状況に整えてもらえてあるのが何より安心である。
この山の常連が
「こんな日はないよ」
というくらいの恵まれた好天。
順調に頂上に到着して気持ちを整えようとすると、すでに目的も達成されていることが伝えられ、拍子抜けする。


『ことほぎおかる。』
は、
「言祝ぎ置かれる」
だろうか?

先日、10月8日に
『満月の時に後ろで備える。
安心してみていられる。
元々の根を絶っておくこと。』
と伝えられたと書いたが、上首尾に進んだのだろう。
11月9日に訪れた「刀根」はなるほど「剣」の根だったか。
書いている今になって気づいた符号だ。

同じく10月8日に、この日についての
『牛一。完。』
との謎の言葉を降ろしてあったのを、参加メンバーが徳島市内にあるそのままの名前の焼肉屋を見つけ、
「そこで直会をして神事の完結ってことではないですか?」
と気づいてくれたので、その通り予約した焼肉屋で打ち上げ。
牛を食することで牛のエネルギーの再生を祝う、古来の神事の再現、のようなものと解釈する。
以前書いたことがあるけれど、要所で牛肉食が用意されている。
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布留 3 布留神社

2022-11-25 16:11:00 | 旅の記録
石上神宮での「布留への繋ぎ」は充分だったのだろうか。
禁足地の前でも時間をとったけれど、何か足りないような気がしてならない。
拝殿で伝わる言葉にも含むところがあった。
だが、ここですることはもうない。
割り切って神社を離れることにした。

それからの僕は、布留から饒速日に焦点を拡大して石切劔箭神社に行ったり、石上神宮の元宮の線を辿って岡山県の石上布都御魂神社に参拝したりした。
石切さんでの、ひふみ祝詞が鳥に重なる、というニュアンスのメッセージには納得したけれど、まだ消化不良だった。

そんなある日、「布留神社」というストレートな名称の場所を見つけた。


琵琶湖西岸、こんなところに布留の御魂がと思いきや、由緒書の看板を見るとそうではないようだ。
でも、行ってみないとわからない。
ここを11月9日の福井から京都への途上の最後に目指すところとした。

前に書いたように、充分な時間は残されていない。
迷うことなく到着してさっと挨拶できることを願っていたが、広い平野部にその区画だけ豊かに樹々が繁っているのが遠方からも一目瞭然で、何の苦労もなかった。


拝殿で、主語なく
『発生源である。
出御する。』
のメッセージ。


主祭神を布留大神としつつ、〈天照大神の十員の神を祀る〉としているのだが、この数は十種神宝に対応していて、その神徳を表しているのではないのだろうか。


境内の堂々とした楠の巨樹が象徴するそのままに、全体に大らかな包容力を感じる。
目の前の者にみなぎる活力を与える、これは布留の本質と言っていいだろう。
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布留 2 石上神宮 

2022-11-24 17:07:00 | 旅の記録
布留とはなんだろう。
バスの車上で、その言葉の意味が僕には曖昧なことに気がついた。
布留の土地名があり、布留川が流れる天理。
その地に入るだけでなく、「布留」が具体的に指すものが何かあるのか、整理しておいた方が良い。

石上神宮は第二の祭神として「布留御魂大神」を祀る。
石上神宮のウェブサイトには、
〈天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)に宿られる御霊威を称えて布留御魂大神と申し上げます。
天璽十種瑞宝とは、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天津神(あまつかみ)から授けられた十種の神宝で、それらには〝亡くなられた人をも蘇らす〟というお力が秘められておりました。〉
とある。

石上神宮への参拝は数えきれないほどしてきたが、正面切って呼ばれるのは久しぶりだ。
自転車で来るのは初めてで、置き場所に戸惑った。
平日の正午前の境内は人影もまばらで、散策しながらの参拝にちょうど良い。
野放しされたニワトリたちも健在。
秋の柔らかい日差しの下、のんびりくつろいでいる。
気になったのは牛の姿。
ここに菅原道真、あるいは牛頭天王など、牛に関わる神が祀られているのだろうか。


この日の参拝を通じて、死んだ人を生き返らせるほどの強大な霊力に触れさせてもらえただろうか。
「活力を失った魂の再生」を意味する「魂振り(たまふり)」は、言葉として意識することはないが、僕が仕事の中で臨むことである。
見えるいのちとしての人も、見えないいのちも、迷いなく根源と直結し、自分の魂の仕事に導かれてほしいと願う。


さて、授与品販売の場に座っていた神職に牛の像が置かれている意味を聞いてみた。
神宮境外にある末社の恵比寿さんを信奉する人が奉納したものらしい。
菅原道真も牛頭天王、素戔嗚も祀られていないのに奉納した意味は何なのか、と、神職さんに答えられない質問を投げかけてしまったのだが、ブログを書く段になって、石上神宮境内摂社に天神社があることに、ウェブサイトを見ていて気づいた。
地図を確認して、その日何気なく頭を下げた高皇産霊神・神皇産霊神の二座を祀る社が天神社とされている。
この二神は確かに天神ではある。
「牛」と菅原道真公が結び付けられたのは、怨霊として宮中に雷を落とすまでに荒ぶる彼の力を、農耕を守る雷神の神徳と同一視した上で、田を耕すのに欠かせない牛をも農神として同様に大事にする伝統があったことによる。
そして菅原道真公は天神の名をそのまま引き継いだのである。
京都の北野天満宮が現在の菅原道真公を祀る社として建立される前の同地には、雷神としての天神を祀る社が既に存在していたらしい。
高皇産霊神・神皇産霊神 = 天神 = 農耕を守る神、と連ねるものなのかはよくわからないし、奉納した人がそのように意識したのかもわからない。
とにかくその牛は目立つ位置にあって、他の場所でもされるように参拝客に撫でられ親しまれている。
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布留 1

2022-11-23 12:44:00 | 旅の記録
「お前は奈良市内にいる聖観音の息子だ」
と夢で告げられても、事実かと色めき立つことなく、縁あって呼ばれているなと思えばいいだろう。
夢は8月16日のことだった。
観音の息子という話にリアリティなど求める気はない。
ただ何かに導かれているのだと乗っかって行動していけば楽しいしどこかに行き当たるのではないか。
参拝する寺も選んだ先が正解なのであって、現実を自分で作り上げていけば良い。
そう思っていればその時間も与えられる。
 
10月11日は朝から時間が取れた。
赤富士の真上に早朝の満月が残る画像を知人から送ってもらっていて、幸先良い始まりの一日である。
 
早朝のうちに移動して近鉄奈良駅のコインロッカーにスーツケースを預ける。
駅から7分ほど北に歩いたところにある慈眼寺。
ここには聖武天皇勅願の聖観世音菩薩が祀られている。
数ある奈良市内の聖観音からこちらを選んだのは、由緒と地の利を辿ってであり、細かくメッセージを求めた結果ではない。
導かれているのなら何もかもがスムーズに進行する。



本堂は鍵が閉まっていて中の様子はわからない。
外からの祈りでも良いけれど、せっかく来たのだからと庫裡の呼び鈴を押して、本尊の前まで通してもらえるかを尋ねる。
細かく説明はしないが、「ご神託があって」と中に通してもらった。
ただ、ご開帳は春先の二度に限られているのは固く守られていて、通せる無理ではない。
だが、誠意ある対応に僕は十分満足だ。
 
厨子の前で観音経を上げるとすぐに、
『布留につなげる』
と伝えてくる。
それだけのことを聞きにここまで呼ばれたのかもしれないが、やはりそれで満足だ。
奈良市からそう遠くない天理に「布留の地」石上神宮があるから、そこまで行ってみることが今日求められていることだろう。
夕方の京都での仕事に間に合う目算は取れそうだ。
住職に丁重に礼を述べ、近鉄奈良駅に戻るとちょうど天理駅行きのバスが滑り込んでくるところだった。
『扉は開く。』
順調に動き出しているようで気持ちが弾む。
 
天理駅からはレンタサイクル利用。
できるだけ地に足をつけた旅を楽しみたい僕には、数キロ以内の移動距離ならうってつけの移動手段だ。
平日の午前で人通りの多くないアーケード街で、僕は目についたピーナッツの太鼓せんべいがどうしても食べたくなり、自転車から降りて店の女性に声をかけた。
たった一つのお菓子を買っただけなのに、「よかったらこれもどうぞ」」とおまけで一つ手渡されたのは小さな雷おこし。
最近は雷が起きて各地の新しいエネルギーとして躍動しているのを観察し続けているここ最近の僕にとって、縁起の良い符号である。
今日もそんな一日になるのだろうか。
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二つの元宮 5 刀根の氣比神社

2022-11-22 09:12:31 | 旅の記録

氣比神宮の元宮とも伝わる刀根の氣比神社。

駐車場も整備され、寂れた雰囲気はなく明るい。

鳥居は豊かな木々に囲まれて清々しい。

参道は掃き清められていて、人の手が行き届いているのが一目でわかる。

 

富之保の南宮神社もそうだったが、地元で大事にされ続けてきた様子が窺える。

鳥居の手前に鮮やかに色づいたイチョウが大きく葉を広げ、初老の男性が一人、銀杏を拾っている。

話しかけてみたが、神社の由緒や氣比神宮との関係などは要領を得なかった。

 

行程を急ぐ旅ではあったが、自然と気持ちの余裕が生まれる場だった。

地との一体感が湧き上がり、自分が守られているのはこの場でだけではなく、普段の生活の細部に至るまで神慮が行き届いていることが言葉以外でも伝わってくる。

陽だまりに長居したくなる神社だ。

 

天然記念物に指定されている、立派なツガの木がある。

 

『流れを作る

☆な世の中を作る。』

(2022.11.9)

と伝えてくる。

☆は最近よくビジョンに出てくる。

もちろん、ただの星ではなく五芒星を示している。

このメッセージは11日に剣山に登る趣旨に沿っていて、ここでも準備が整っていることを示してくれていたのだ。

 

大化の改新後、律令国家として日本は三関と総称される鈴鹿関、不破関、愛発関(あらちのせき)の三つの関所を設け、天皇や上皇の死去などで都で何らかの異変が生じた際には使者が遣わされ、固関(こげん)という関所の封鎖が命じられた。

鈴鹿関は伊勢国、不破関は美濃国、愛発関は越前国にと、それぞれ近江国を経て東海道、東山道、北陸道への出口に該当するところに設置された。

これらは畿内を防衛するために置かれたもので、特に中央での異変に際して、関与した人物の東国への逃亡防止が目的だったと考えられている。

(「白山信仰の源流」 本郷真紹 著、法蔵館)

愛発関は詳細な所在地は明らかになっていないらしいが、刀根から西へ、国道161号線にぶつかるまでの僅かの間に、左側に「愛発関入り口」と書かれた小さな標識を見つけた。

GoogleMapには載っていない。

今の姿から想像しにくいが、刀根は古代には人の往来が激しい地域だったことを再確認しながら次の目的地に向かった。

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二つの元宮 4 刀根へ

2022-11-21 09:56:06 | 旅の記録

11月9日は、京都市内で14時過ぎに仕事が入っていた。

出立はあまり早いと宿の女将さんに申し訳ないので、朝6時半にした。

地図を見ながら前日に考えた行程は、越知山、越前国一宮の氣比神宮、刀根、琵琶湖西岸にある布留神社の4ヶ所。

氣比神宮は伝えられていた場所ではなかったが、越知山から刀根へ向かうのにさほど遠回りにならない上、行ったことがなく興味があったので行程に加えた。

布留神社については後に書こうと思う。

 

越知山と神社が素晴らしく、2時間近くも滞在してしまったのは、せせこましく仕事を消化するよりも、現地での気持ちよさを優先した結果だった。

なんとなれば氣比神宮には次回以降の参拝で良いと、時間に追い立てられることなくゆったり満足して車に戻ってきた僕は、残された時間では氣比神宮を諦めても行程をこなしきれないのではないか、とそこで初めて焦りを持った。

電波のエリア外だったので県道まで降りて、所要時間を計算してみると、刀根と布留神社だけに絞っても、運転の時間以外に30分程度しか使えないことがわかった。

昼はコンビニおにぎりに決定だ。

布留神社は必ずしも今回でなくてもいいかもしれないが、刀根から京都市内への途上に位置するので寄れないのは勿体無い。

運転時間はGoogleMapが示す4時間余りよりは短縮できるだろうけど、限界がある。

走りながら考えた方が良い。

 

刀根まではスムーズ。

海岸沿いの景観に、たまには車で出てくるのも良いものだと繰り返し思う。

 

さて、刀根に到着したところで目的地が定まっていない。

白山の下調べに時間を取られて手が回らなかった。

小刀根トンネルを歩いてみればいいかと考えていたが、現地に来てみるとしっくりこない。

 

そこで地図を確認すると、少し先に氣比神社がある。

口コミには

<神社の拝殿前に御朱印(印刷)があり、参拝記念として持ち帰って良いのだそう。その御朱印には氣比神宮奥宮と書いてあります。>

とある。

そこは奥宮なのか?

ウェブをチェックしてみると、やはり氣比神宮の本宮、元宮であるとの伝えがあるようだ。

 

<御由緒:

当社は仲哀天皇、嘗て三韓を親征し給わんて、敦賀に幸行あらせられしとき、此の久々坂峠を登臨し給わん為に山路を開かせられ、この地に行在所を建て給うたので、今に至るも元ノ宮と称する地籍ある所以であると伝えている。

当社も元はその地に鎮まりしを、何時の頃にか現地を撰み奉遷したのである。

『敦賀郡神社誌』より引用>

だそうだ。

引用元

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