『正三角形は純化する。星表化しよう。』
(2022.11.3)
正三角形の純化とは何か。
それは、『乗っ取られて』しまった正三角形の、本来のはたらきが再びやってくるということだろう。
現在は五芒星を優位に働かせつつ、正三角形を元通り強力で純粋なエネルギーとして使用できるようになるための準備が着々となされている。
決して遠からずの出来事になるだろう。
そして、それには『星表化』という言葉にもある通り、他の星との関係の表面化を伴うことになるだろう。
参考:[正三角形の聖性]
『正三角形は純化する。星表化しよう。』
(2022.11.3)
正三角形の純化とは何か。
それは、『乗っ取られて』しまった正三角形の、本来のはたらきが再びやってくるということだろう。
現在は五芒星を優位に働かせつつ、正三角形を元通り強力で純粋なエネルギーとして使用できるようになるための準備が着々となされている。
決して遠からずの出来事になるだろう。
そして、それには『星表化』という言葉にもある通り、他の星との関係の表面化を伴うことになるだろう。
参考:[正三角形の聖性]
地球の内惑星である金星は、地球よりも公転速度が速い。
それでも公転方向は同じだから、地球と太陽の間を金星がちょうど通過していくときがある。
金星が地球に追いつき追い越していく一点を考えたら良い。
こうして太陽ー金星ー地球の順に重なった状態を内合という。
この内合は584日ごとに起こる。
大きな円で見ると、次回の内合の場所は円を5分の2周回ったところへ移動する。
そのため、この内合が起きる場所を辿っていくと、ちょうど8年で五芒星が描き上がる。
この期間は、金星の年の13年に相当する。
この5、8、13という数字は、地球上のほとんどの植物の成長過程に現れるフィボナッチ数列を構成する。
(「太陽系の美しいハーモニー」ジョン・マーティヌー著 創元社)
0、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55と続くフィボナッチ数は五芒星の線分の長さの近似値なので、この数を使って五芒星を描くことができる。
(「黄金比」スコット・オルセン著 創元社)
太陽系内の惑星同士は、均整の取れた美しい幾何学図形をいくつも提示する。
現在我々を強く突き動かしている五芒星は、我々が目指すべき金星と地球との間に完璧な図形として浮かび上がるのである。
氣比神宮の元宮とも伝わる刀根の氣比神社。
駐車場も整備され、寂れた雰囲気はなく明るい。
鳥居は豊かな木々に囲まれて清々しい。
参道は掃き清められていて、人の手が行き届いているのが一目でわかる。
富之保の南宮神社もそうだったが、地元で大事にされ続けてきた様子が窺える。
鳥居の手前に鮮やかに色づいたイチョウが大きく葉を広げ、初老の男性が一人、銀杏を拾っている。
話しかけてみたが、神社の由緒や氣比神宮との関係などは要領を得なかった。
行程を急ぐ旅ではあったが、自然と気持ちの余裕が生まれる場だった。
地との一体感が湧き上がり、自分が守られているのはこの場でだけではなく、普段の生活の細部に至るまで神慮が行き届いていることが言葉以外でも伝わってくる。
陽だまりに長居したくなる神社だ。
天然記念物に指定されている、立派なツガの木がある。
『流れを作る
☆な世の中を作る。』
(2022.11.9)
と伝えてくる。
☆は最近よくビジョンに出てくる。
もちろん、ただの星ではなく五芒星を示している。
このメッセージは11日に剣山に登る趣旨に沿っていて、ここでも準備が整っていることを示してくれていたのだ。
大化の改新後、律令国家として日本は三関と総称される鈴鹿関、不破関、愛発関(あらちのせき)の三つの関所を設け、天皇や上皇の死去などで都で何らかの異変が生じた際には使者が遣わされ、固関(こげん)という関所の封鎖が命じられた。
鈴鹿関は伊勢国、不破関は美濃国、愛発関は越前国にと、それぞれ近江国を経て東海道、東山道、北陸道への出口に該当するところに設置された。
これらは畿内を防衛するために置かれたもので、特に中央での異変に際して、関与した人物の東国への逃亡防止が目的だったと考えられている。
(「白山信仰の源流」 本郷真紹 著、法蔵館)
愛発関は詳細な所在地は明らかになっていないらしいが、刀根から西へ、国道161号線にぶつかるまでの僅かの間に、左側に「愛発関入り口」と書かれた小さな標識を見つけた。
GoogleMapには載っていない。
今の姿から想像しにくいが、刀根は古代には人の往来が激しい地域だったことを再確認しながら次の目的地に向かった。
11月9日は、京都市内で14時過ぎに仕事が入っていた。
出立はあまり早いと宿の女将さんに申し訳ないので、朝6時半にした。
地図を見ながら前日に考えた行程は、越知山、越前国一宮の氣比神宮、刀根、琵琶湖西岸にある布留神社の4ヶ所。
氣比神宮は伝えられていた場所ではなかったが、越知山から刀根へ向かうのにさほど遠回りにならない上、行ったことがなく興味があったので行程に加えた。
布留神社については後に書こうと思う。
越知山と神社が素晴らしく、2時間近くも滞在してしまったのは、せせこましく仕事を消化するよりも、現地での気持ちよさを優先した結果だった。
なんとなれば氣比神宮には次回以降の参拝で良いと、時間に追い立てられることなくゆったり満足して車に戻ってきた僕は、残された時間では氣比神宮を諦めても行程をこなしきれないのではないか、とそこで初めて焦りを持った。
電波のエリア外だったので県道まで降りて、所要時間を計算してみると、刀根と布留神社だけに絞っても、運転の時間以外に30分程度しか使えないことがわかった。
昼はコンビニおにぎりに決定だ。
布留神社は必ずしも今回でなくてもいいかもしれないが、刀根から京都市内への途上に位置するので寄れないのは勿体無い。
運転時間はGoogleMapが示す4時間余りよりは短縮できるだろうけど、限界がある。
走りながら考えた方が良い。
刀根まではスムーズ。
海岸沿いの景観に、たまには車で出てくるのも良いものだと繰り返し思う。
さて、刀根に到着したところで目的地が定まっていない。
白山の下調べに時間を取られて手が回らなかった。
小刀根トンネルを歩いてみればいいかと考えていたが、現地に来てみるとしっくりこない。
そこで地図を確認すると、少し先に氣比神社がある。
口コミには
<神社の拝殿前に御朱印(印刷)があり、参拝記念として持ち帰って良いのだそう。その御朱印には氣比神宮奥宮と書いてあります。>
とある。
そこは奥宮なのか?
ウェブをチェックしてみると、やはり氣比神宮の本宮、元宮であるとの伝えがあるようだ。
<御由緒:
当社は仲哀天皇、嘗て三韓を親征し給わんて、敦賀に幸行あらせられしとき、此の久々坂峠を登臨し給わん為に山路を開かせられ、この地に行在所を建て給うたので、今に至るも元ノ宮と称する地籍ある所以であると伝えている。
当社も元はその地に鎮まりしを、何時の頃にか現地を撰み奉遷したのである。
『敦賀郡神社誌』より引用>
だそうだ。
[引用元]