そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

伊雑宮で伝えられたこと 2

2019-06-23 15:29:13 | 未来の創造
翌2018年7月も伊雑宮に呼ばれた。
この時は伊勢外宮とセットである。
正宮ではキリスト教徒が排されていく方向に世の中が動くことを伝えてきた。
また、ヘビが今の動きを嫌がっているのを多賀宮で伝えられ、僕の感覚の中でキリスト教とヘビとの近い関係が連想できた。
 
さて、伊雑宮。
『ヘビの時代の歴史を作る
閉業する
Massive』
『シンボルを描け
13』
『金星の接近
スレイブだった。』
 
メッセージが伝えられるときは、言葉だけでなく内的感覚も伴い、その言葉の背景や、何を指しての話かが感じられることが多い。
だから、断片的でわかりにくい言葉に対してもなんとなくの解釈はその場でできる。
正確なのは僕の解釈よりも言葉そのものなのは言うまでもないが。
 
ヘビの時代の歴史を『作る』というが、実際には終えるということを感じる。
『閉業する』『Massive』の言葉から容易に連想できる。
『スレイブだった』は、地球の人そのものが奴隷であったことを指している。
そして解放に金星が関わることもわかる。
『金星を目指せ』
と、2018年5月2日に降りている。
 
〈コントロールを外す 5〉
 
その後訪れた別の場所で、
『ヘビに賞賛と感謝』
と伝えてくる。
もう割り切ってヘビと離れる時代になっているのだ。
 
 
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伊雑宮で伝えられたこと 1

2019-06-21 14:15:45 | 未来の創造

2017年8月に一段落した流れがある。 

これは物部氏と始祖のニギハヤヒを追っていくものだった。 

一段落というか、尻すぼみに終わってしまった感がその時はあった。 

 

流れの始まりはそれよりも数年前、ニギハヤヒに関しての質問を何度かのセッションで受けたことからだ。 

ニギハヤヒは今どういう状態にあるか、などという質問だったと思う。 

ニギハヤヒはすでに復活していることを伝えてきたり、その時々で興味深い答えが降ろされたのだが、だんだんと焦点が絞られていくにつれ、それがどうしてもペルシャ方面につながってしまうことは先日書いた。 

ゾロアスター、ミトラ、と言った言葉がキーワードだ。 

その一方で、 

『伊雑宮は地底に物部群を隠す』 

と伝えられて、行くように促された。 

 

 

2017年8月1日。 

伊勢内宮、伊勢の天岩戸など回った後、伊雑宮へ。 

ここでの特筆は着いた時の強い雨だ。 

到着してもとても車外に出られるものではない。 

雨の激しさ、音の強さは洗車機の中にいるところを想像してもらうと速い。 

 

10分以上の時間がたった。 

その雨が 

『虚仮が終わった。』 

『アウタースペースに出ろ。』 

という言葉とともにさっと上がる。 

(先日の<虚仮>のとき、どこかで一度出てきた言葉だとうっすら感じていたが、この時のことだった。) 

 

拝殿に向かった時には、 

『本物を隠している。 

流れが変わる。』 

と言ったメッセージ。 

重みがありそうだが、それで言葉は終わり、次へのつなぎの案内もなかった。 

それっきりだったので、尻すぼみという印象だったのだ。 


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虚仮

2019-06-08 04:44:16 | Weblog
事前に「受ける」傾向が強くなっている。
その日に会う人の体調、思考にモロに影響を受けるのだ。
 
空間的距離は関係ない。
もうすぐ出会う、という時間的距離が近くなった時というのとも厳密には違う。
時間が近くなれば近くなるほど感覚が強くなるわけではないからだ。
その人の意識と同調していることが前提にあるらしい。
ただ、それは僕が意識しようとしてなることではない。
勝手に体内と脳内が反応しているのだ。
一日に複数の人に会う場合は、直前の情報として与えられたりする。
セッションの準備ができたから、来てもらおうと電話を持った瞬間に腰に痛みが走ったりするというようなものだ。
 
以前、夜中に胸が苦しくて掻きむしるような思いをしたときは、明くる日に狭心症だとか不整脈を持っている人に会うことを先取りして情報が来ていることに気づくまでは、多少健康を気にしたものだ。
(多少というのは、非常に若い時だったから恒常的な健康不安にまで考えを広げなかったということだ。)
 
気持ちまでが影響されていることがわかったのはそれよりずっと後で、7、8年前のことだろうか。
僕は当時、睡眠時間を今より必要とせず、3時間程度あれば充分で、宵っ張りな人が寝る頃に起きていたものだ。
目が覚めた瞬間から行動ができ、冬に寒くて布団から出られないという子供の頃のような感覚がなかった。
それが、ある時を境に起きられなくなった。
起きるのが辛くなり、身体も起きようという意志がない。
その日一日の行動を考えると気持ちが重くなり、またウトウトしている。
果ては、生きているのが辛いとさえ思いながら布団の中でぐずぐずするようになった。
そんな日が一週間ほど続き、ハッと気づいた。
毎日、そんな鬱症状を抱える人に会い続けていたのである。
毎日、違う人である。
それらの人からの転写だったことに気づいた瞬間は、深く納得し、感動したものだ。
 
僕のその「症状」は人に会うまでで、会ってその人の状態が良くなってしまえば終わる。
施術者には事後にクライアントさんの症状が残ってしまい苦しむという人がよくあるが、僕にはそれは会うまでの話なのである。
 
最近はその感覚がより細かくなったし、リアルタイムで相手の感覚がわかる。
今眠気やだるさが抜けたな、とか、痛みがなくなったな、という時には自分の体の感覚で身をもって感じられるからである。
前はセッション中眠気に襲われたら必死にそれと戦ったものだが、今はそれは僕のものではないと安心していられるので苦しくない。
その眠気に身体をまかせていると、寝落ちの一瞬前に言葉が降りたりビジョンが見えたりして、僕も相手もスッキリするのだ。
ここ一年ぐらいでゲットしたテクニックで、このおかげでセッションは随分と楽になった。
 
こうなってくると自分も相手もない。
内も外も一緒ということになってしまう。
この現象をどのように説明すれば良いのだろう。
そう考えた瞬間、『虚仮』という言葉が降りた。
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ミトラ

2019-06-03 16:58:39 | 未来の創造

平成から令和への御代替りを受け、令和への展望も平成への感謝の続きの流れで書くつもりでいたが早一ヶ月。
令和の時代も引き続きよろしくお願い致します。

令和最初の1日は、京都で東寺と下鴨神社を参拝。
京都はぐずついた雨模様で、その分気持ちも落ち着く。

天皇家の勢いがいい形で増しているのを感じる。
分岐点は昨年10月後半だった。
これまでキリスト教勢力が強かったのが、その時期を境に天皇家の力が優勢になっている。
背後にはやはりウシのエネルギーがはたらいている。

キリスト教が国教に認められて流行るようになった以前、ローマで隆盛を誇ったのがミトラ教である。
その名の通り、太陽神ミトラを崇拝する信仰で、ゾロアスター教が発生する以前にイラン高原にあったものである。

ゾロアスター教は善悪二元論を完成させ、ユダヤ教やキリスト教に多くの影響を与えている。
ゾロアスター教は発生の過程で地域で信仰されていたミトラ神を無視できず、その教義の中に呑み込んでいった。
後発でインド亜大陸にゾロアスター教徒として移住したアーリア人の子孫は、インド国内で根強い経済的地位を保っている。
ムンバイには彼らの独特な葬送法である曝葬(鳥葬)施設も残っている。
一方でゾロアスター教が発生するずっと早い段階でイラン高原からインド亜大陸に移動、定住していったアーリア人はバラモン教を展開し、のちに現地のドラヴィダ族と融合していく中でヒンドゥー教が誕生する。
仏教はヒンドゥー教文化を背景に出てきたものだから、その中にもミトラ神の変形したものが存在する。
マイトレーヤであり、弥勒菩薩である。

そのミトラが、ミトラとして日本にやってきている。

なぜミトラにつながっていったか。
それは物部氏を追っていったことに始まる。
物部氏は大陸からやってきた氏族だということは多くの人が書いているが、伝えてくるメッセージから判断するに、どうやらユダヤ系ではなくペルシャ系なのではないか。
そして遡りうる一番古い段階として、ミトラに到達したのだ。

一方、ミトラと同タイプのエネルギーとして、「アシュラ」「アスラ」というものも出てきている。
僕はミトラとアスラを同じものと受け止めているが、アスラはもしかしたらミトラのコアになるものかもしれない。

さて、ミトラ教は牛を屠る密儀に特徴がある。
牛を屠るということは牛を退治することではない。
牛を屠ることで、新たに牛の再生を図る儀式なのである。
そしてミトラ自身が牡牛の姿で描かれていることがあり、要するにミトラを再生する儀式を牛を屠ることで行なっているのだ。

ハトホルのような女性的エネルギーとしてのウシをこれまで感じていたが、こんなタイプのウシのエネルギーも活躍し始めているのだ。

また、去年は牛頭天王の働きが強くなっていくのも見られた。
ウシとともにはたらくと伝えた方々が、縁深い場所に牛頭天王の社があったことに気づいたと報告をいただいたりもしている。

4月30日から5月1日にかけての御代替りは、牛頭天王の場所に導かれるのかもしれないと頭では考えたのだが、そうはならなかった。
その代わり、ちょっとおかしなことがあった。
同行者の希望や、入った店の関係で、2日間牛肉ばかり食べ続けたことだ。
それも生の状態に近いものをその都度。

ちなみに僕には「食べないもの」「食べられないもの」はない。
一人だったら肉を食べることは少ないのだが、その時の状況で肉食は一切厭わない。

かといって、日本でこの2日間のように牛を食べ続けるということは稀で、今後の暗示としてミトラの密儀に近いことを現実社会で差し支えない形で表現することになったのだろうと思っている。

ここ数年ペルシャに気持ちが接近してきていた僕は、今アメリカの圧力の下にあるイランを見ると、今後の動向に心を揺さぶられる。

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