昨年11月30日に出た『久慈の海岸』とは、震災が起きた後も岩手の久慈のこととずっと思っていました。
しかし仲間と情報交換するうちに、茨城の久慈川のことを指しているのではないかと思い当たりました。
地図
その河口のすぐ近くに大甕倭文神社(おおみかしずじんじゃ)があり、天津甕星(あまつみかぼし)を服従させた建葉槌命(たけはづちのみこと)をご祭神としています。
天津甕星は別名天香香背男(あめのかがせお)とも呼ばれます。
ウィキペデイアでの記述は以下のようになっています。
<『古事記』には登場せず、『日本書紀』の葦原中国平定にのみ登場する。本文では、経津主命と武甕槌命は不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかったので、倭文神(しとりがみ)建葉槌命を遣わし懐柔したとしている。第二の一書では天津神となっており、経津主神・武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている。>
ちなみに経津主命は香取神宮のご祭神、武甕槌命は鹿島神宮のご祭神です。
要するに天津神が東国に進出してくる過程で、従わなかった天津甕星という先住民族の長を征服したわけです。
おととしの3月のメッセージに合致してきます。
大甕倭文神社には宿魂石という大きな磐座があり、天津甕星の荒魂を封じ込めたものと言われています。
その宿魂石の上に、経津主命と鹿島の武甕槌命に遣わされて天津甕星を退治した建葉槌命を祀る本殿が建っているのです。
まさに封印の形です。
一昨年の時点では、『八重~』というキーワードが何を指しているか突き止められませんでした。
その際は『2ちゃんねるで調べよ』と言われて、ネットを見てみましたがわからなかったものです。
事態が事態であるだけに、今度はそのキーワードがわからなくても、現地だけは訪れるつもりでいました。
しかし今回はあっけないほどその言葉が意味していることが判明しました。
『H氏に手伝ってもらえ』
と名指しされていた方に、メールで尋ねると、即座に返信がありました。
<いや、そぉらやっぱり「八重垣」。
「八雲立つ 出雲八重垣妻込み に八重垣造る其の八重垣を」
でしょうよ。スサノオとクシナダヒメのアレ。
八重垣神社??
本宮は雲州ですが、千葉の銚子手前:匝瑳市に分社が有りますな。
この数日盛んに活動している
銚子の震源と非常に近い立地です。
http://tenki.jp/earthquake/detail-5037.html
http://tenki.jp/earthquake/detail-5116.html
http://tenki.jp/earthquake/detail-5127.html
霞ヶ浦のすぐ南ですね。
何でこんなとこに「このカポー」が祀られてるのか分かりませんが。
八岐大蛇討伐と二人の婚姻は、
「先住民調服のメタファー」に間違い有りませんわね。>