そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

水の道 8 磐座

2015-03-29 15:04:58 | 旅の記録

水源のさらに上が気になります。
目的もなく、何かに突き動かされるように登り始めました。
 
上がるにつれて高揚感が湧いてきます。
 
大きな、大きな磐座がありました。
ここに呼ばれていたのだ、と熱くなりました。

いろいろな角度から。
表情豊かな磐座です。





近くまで寄るとより暖かみを感じます。



周到に準備を整え、静かに祈りました。
『解禁なる。』
『解く鍵へのアクセス。』
『準備がされた。』
『ほんまもんを迎える。』
という言葉が続いて降りてきました。
 
この磐座は、海津天神社と大前神社の間にあります。
ここと石津神社を結ぶとちょうど「イナバ」を通るのかもしれません。
そう思うともう一度今回の神事の導きをありがたく思ったのでした。
 
この涌き出している水をもらって帰りました。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水の道 7 水源

2015-03-28 06:29:47 | 旅の記録

一度はマキノスキー場の湧き水に行ってみようと向かいましたが、どうも違うように思えます。
やはり大前山へと、来た道を戻りました。
 
湖畔に張り出す山道に入ります。
左右はさびれた別荘地です。
琵琶湖を臨む絶好のロケーションながら、寒すぎたのか、打ち捨てられた様子の建物を左右に見ながらジグザグと走ります。
整備されていないので脇の木の枝が伸び放題、車の進路は狭くなるし、落石もあり注意を要します。
途中、きれいな水の流れがありその先に期待がもてました。


 

次のカーブで、それ以上先に車で進むのは難しそうだと判断しました。
そのカーブでなら切り返しも可能なので、車を置いて少し先まで歩いてみました。
 
荒れ放題の車道なのですが、非常に気持ちいい場所です。
多くの石組みがあり
「磐座じゃないのかな」
と疑問に思いました。
これらから清々しいエネルギーが来るのでしょうか。
眼下には琵琶湖が広がります。
気持ちいいのも無理はありません。
でも、もうこれ以上山を上がる必要は感じませんでした。
 
歩いていてふと思いつきました。
さっきの水の流れはどこを通っているのだろう?
不思議なことに、途中までは沢の音が聞こえていたが、どの地点からか、耳に入ってきていません。
あとで、水の流れを辿ってみようと考えながら車に戻りました。
登ってくる車などないし、道の途中に車を置いておいても問題はなさそうです。
 
沢の横から、道のない斜面を登り始めます。
流れが地中から出ているところがあり、数m上で、流れが地中にもぐり込んでいるところを見つけました。
地中も含めて川の流れになっているのです。

さらに上がると、また流れが地中から始まっています。

 



そして、その上にはもう水の流れはありません。
水がわき出していました。
 
水源です。



 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水の道 6 海津天神社

2015-03-27 13:48:34 | 旅の記録

3月17日。
京都駅に6時半に集合、5人で大津から湖西を北上、マキノを目指します。
 
本格的な春日で、コートはいりません、と早朝の天気予報は繰り返していました。
しかし、湖西から琵琶湖北岸にかけてはいつも非常に寒いイメージがあります。
実際に非常に肌寒いスタートでした。
 
海津天神社。


気持ちのよい場所です。
樹が多いことが関係していそうです。


 

神前にて、
『骨格が出来る。』
『解禁。』
『鍵に至る~ができた。』
 
本殿に向かって右側、石段が美しく魅かれたので、その先にある愛宕神社を参拝しました。
『守る。
国を守らなくては。』
 
神社を離れる前に神職さんに話をお聞きしました。
「この神社で水は出ますか?」
と問うと
「井戸は家で引いてるけど、特別なものではありません。」
との返答でした。
大前山も別に水が関係しているところではないといいます。
水脈を辿るように伝えられてきたことを伝えると、
「この辺に淀川、大阪につながる水源はないですね。」
この辺で水が湧く場所として有名なのは「清水の桜(しょうずのさくら)」と、もう一カ所、マキノスキー場の中の川沿いにあるということが聞いてわかりました。
「あとは、余呉湖が琵琶湖の水源と言えなくもないですね。」
と、これは魅力的な返答ではあったが今回は関係がなさそうです。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水の道 5 地図上での発見

2015-03-26 15:10:42 | 旅の記録

一週間前の時点で神事の全容はつかめていませんでしたが、ある方と電話をしていて
『石津』
と伝えられたことから、視野が開けてきました。
「石津神社」は、大阪府堺市にある、蛭子命の漂着の地として「日本最古のえびすの宮」とされる神社です。
 
マキノではっきりと思い当たる場所は感じられませんが、市内の海津天神社という場所にはまずご挨拶に行ってみようと思いました。
また、大前山という山中に大前神社というところがあり、そこは気になりました。
 
行くべき場所がだいたい出そろったと思えたので、マキノ、烏丸、そして石津を地図上でチェックしてみました。
 
思いついて石津神社と海津天神社と直線で結んでみます。
その線は伝えられた烏丸の地名「イナバ」の西側約300mの地点を通ります。
石津神社と大前神社の地点を結んでみると、「イナバ」の東側800m弱の場所を通ります。
そして、石津神社とマキノの直線距離が115キロ。
石津神社と「イナバ」の直線距離がおよそ57キロで、「イナバ」がほぼ中間地点にあたるのです。
 
もう一つ目を引いたのは、二つの直線ともに、木津川、宇治川、桂川が合流して狭義の淀川となる地点を通ることでした。
 
また、大原も直線上の点にあたりました。


<関西の水の道の地図>
 
地図上での気づきとともに、言葉が次々と降りてきます。
『えびすの宮を起こせ。』
『「イナバ」は中間でバックアップする役割。』
『巨椋池の役割は終わった。』
 
『さらに奥の神の役割。』
『神宮の準備はととのった。』
 
同時に、地図のことを話すと、今回は都合で行かれない仲間から
『石津神社の水脈が気になる。』
と連絡がありました。
この言葉からも確信が得られました。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水の道 4

2015-03-25 06:23:17 | 旅の記録

昨年後半から、大きなメッセージがわたしを通じて伝わるようになってきた女性があります。
この女性、Fさんの実家の近くにある、水が出る神社に行くように伝えてきました。
今回のこの水の道を辿る神事においてのことと感じました。
また、「二条城」も行く場所として感じられました。
Fさんと、お姉さんのMさんも参加することになり、実家に近い神社について調べてもらいました。
 
その後、しばらくはこの件について音沙汰がなくなりました。
年が明け、2月前半にある女性とお会いしているときに、
『この道を3月17日にまわるように』
出ました。
春分の日に行うのではなく、春分の日に向けて行うものだったようです。
スケジュールを見ると、その日でも問題ありません。

そして、烏丸については
『周りを回るだけでよい。
それだけで赤い龍が出る』
とのことでした。
 
また、道中に「大原」を通るようにも伝えられました。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水の道 3 以前笠置寺に参拝したときのこと

2015-03-24 16:25:17 | 旅の記録

2007年頃だったと記憶しますが、
『この水の道が汚れると紀伊半島沖が揺れる』
という言葉を受けたことがありました。
 
三重県、熊野灘に面した花の窟神社で、大津波が来るビジョンを見た女性の話を聞いたときに伝わってきた言葉でした。
その女性からその大津波の話を聞いたときに、
『笠置山に行くように』
伝えられて、初めて笠置寺を参拝することになったのでした。
笠置山という山の名も知らぬままそんな言葉を受け、寺の歴史を知るうちに興奮したことをよく覚えています。
 
ちょうど、紀州沖を震源とする地震が続けて発生していた時期でした。
 
笠置寺に参拝すると、話しかけられてその寺の身内の方とたまたま話すことになりました。
その女性は
「大きな地震が来たらどうしたらいいのか」
と何の脈絡もなくわたしに何度も問いかけてきました。
地震のことが目的での神事でしたから面食らったのですが、
「この寺は地震の抑えに非常に大事なポイントだから、そんな思いをもたないようにしてください。」
と伝えたのでした。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水の道 2 お水取りの水脈と笠置寺

2015-03-23 15:02:10 | 旅の記録

今回の旅の前置きとして、お水取りの歴史と、関西を北から南に貫く水脈のことを書く必要があります。
 
笠置寺は東大寺の前に第一回のお水取りがあった寺として知られます。
お水取りとは東大寺で3月はじめの二週間行われる行で、正式名称は「十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)」と言います。
東大寺の開山の良弁和尚の弟子、実忠和尚が笠置寺の「千手窟(せんじゅくつ)」と呼ばれる龍穴の奥から弥勒菩薩の住む兜率天に至り、その内院四十九院を巡り、行われていた行法を人間界に伝えたのがはじまりと言われます。
実忠により752年1月に笠置寺正月堂で行われ、翌2月に東大寺二月堂で修二会として始められたのがお水取りで、以来1200年以上もの間、毎年続けられています。
 
お水取りの水源は、福井県の若狭神宮寺の前を流れる遠敷川の約1.5キロ上流にある鵜之瀬です。
若狭の神宮寺から流された水が、京都の地下水脈を経由して東大寺まで届き、行に使われるというのがお水取りのあらましです。
お水取りですくわれなかった水はそのまま地下を流れ続け、最後は那智の滝から流れ落ち、熊野灘に達するという思想です。
この地下水脈は、京都の貴船、鞍馬、下鴨神社などの京都市内から伏見を通り、東大寺を抜けた後は三輪や吉野、天川、大峯を経由して熊野に流れると考えてよいでしょう。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水の道 1

2015-03-22 19:01:24 | 旅の記録

ことのはじまりは2014年10月8日でした。
仲間の提案で、奈良との県境に近い京都府の笠置寺に参拝しました。
その日は一日大阪や奈良をまわり、笠置寺に到着したのはもう日が落ちる頃でした。
全体を歩くにはもう遅い時間だったので、せめて本殿だけでもと言う気持ちでした。
 
本殿ではとくに感じることはありませんでしたが、磨崖仏に向かったとき聞こえてきたことに、緊張感を呼び起こされました。
『関西の水の道は最古の水脈ではない。』
というものです。
そして、
『春分の日に、その道をたどれ。』
と。

行くべき場所として
滋賀県の『マキノ』と、京都の烏丸のある地名が伝えられました。
 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は必ず変われる

2015-03-21 20:50:25 | はじめに読んでいただきたいこと

どんなに複雑な問題を抱えている人でも、必ず好転できます。
時間をかけても、こんがらがった問題の糸をほどいていくことはできます。
ただし、条件があります。
自分が問題の源ととらえ、自分が変わろうとする意思があり、行動することです。
 
問題にぶつかることは、人生を大局から見るならば歓迎すべきことです。
自分のふがいなさを悟り、どん底にまで落ち込むことは、そこから上がっていく可能性を創り出します。
そこまできたら、開きなおってゼロから自分を変えようとするだけです。
出発点はどこからでも作れるのです。
 
しかし、人のせいにして、人を変えようとする人は、好転することが出来ません。
「変わりたい」と言ったりしていても、本当に思っていることは「状況を変えたい」「人を変えたい」というだけだったりする人もあります。
よく自分の心のうちを観察してみなければなりません。
 
自分が変わろうとするかどうかは本人の選択の問題ですから、外部から強要、強制することはできません。
セッションにいらっしゃる前に理解しておいていただきたいことの一つです。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お経の声に悩まされる

2015-03-20 17:25:40 | 癒し

昨日はめまいに悩まされる方を紹介しましたが、日常お経の声が聞こえて悩んだ方もありました。
発端は霊園に行ってきた友人と昼間に会って食事をしたことだそうで、その日の夕方から声がひどくなりました。
数日たっても改善せずますます強くなってきたので、知人を介してセッションにいらっしゃいました。
 
この方の場合は霊的な問題でした。
聞こえてくるお経を読むようにと、ある海岸に導かれました。
そのあとは近くの温泉で体の浄化です。
とくに霊感が強いわけではなく、初めての出来事だったのでとまどっていましたが、お伝えした通りのことを実行してくださいました。
 
一週間ほどで電話があり、まだお経が聞こえる、と話されました。
とくにおかしいことはもう感じられなかったため、その旨を伝えました。
電話を切ったあとで
『もう大丈夫』
と聞こえてきたので安心していました。
おそらくご本人の中で確信が持てなかっただけなのだろう、と。
 
その後音沙汰はなく、様子を聞いてみようと一ヶ月ほどたって声をおかけしたところ、電話の後はもう聞こえなくなったということでした。
時々、多少の耳鳴りがするというので、もしかしたらまだ伝えてきたいことがあるのかもしれません。
 
霊園からの帰りの友人に会ったことが霊障の始まりと彼女はとらえていましたが、彼女がこなさなければいけない浄化を促してくれたものと思えば、むしろありがたいことと言えます。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする