そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

二上山から等彌神社へ、そして地震速報

2013-08-19 11:21:45 | 旅の記録

二上山を下山後、鳥見山に行ってみようと言うことになりました。
7月後半に山形、秋田の物部氏の伝承のある場所をまわってきていたので、そのつながりもあります。
 
今回参拝した等彌神社は奈良県桜井市、三輪山の5キロほど南南西に位置します。
十種大祓祝詞に出てくる「白庭」はこの神社の裏側の山中にあり、物部の聖地です。
饒速日命が降臨したとされる伝説の地が国内にいくつかあり、その中の一つです。
 

 
 
参拝後に声をかけてきてくださった宮司の話では、日本中にある鳥見神社のうちで、ここだけが物部の神を祀っていないということでした。
ここは饒速日命が東征してきた神武天皇に献上した土地だから、というのがその理由です。
他の場所は、物部氏の領域という認識のまま時を経たのです。
 
拝殿前で伝わってきたのは、これまではイコールで結ばれていた方程式が崩れてきている、ということでした。
わかりやすく言うならば、今までは目や耳にしていても違和感がなく済んでいたものが、もはやそうはいかなくなっている、という感覚です。
否定できない時代の流れが起きています。
 
二上山の登山の汗を近くの温泉で流し、全行程を終えてYさんを降ろすために大和八木駅に到着した瞬間、携帯電話が激しく震え、緊急地震速報を伝えてきました。
「奈良県で強い揺れ」というのは”誤報”でしたから、当然その県内にいても、何の変化もありませんでした。
 
しかし、何らかの強い力が働こうとしたことは事実のように思います。
地球が蘇生のために動くものであればともかく、一部の想念が揺れを起こそうとしているのならば、阻止されるべきと思っています。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二上山 2

2013-08-11 16:28:48 | 旅の記録

雄岳の山頂は木がない分、太陽光の照射をまともに受け、登山途中よりも厳しい環境でした。
しばらくの休憩の後に、葛城二上神社に参拝。


 
滞りがなくなり、エネルギーの交流が活性化したことを伝えてきました。
レブロンの意味は今も分かりませんが、三輪山から発して大和三山を通り、二上山へ抜けるその力のルートが確保されたということでしょう。
 
雄岳山頂からもう一歩先の雌岳も登りきり、下山しました。
下山には何の問題もなく早い時間で下りきりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二上山 1

2013-08-10 08:10:06 | 旅の記録

6月20日に大和三山をまわった後、最後に参拝した二上神社の里宮で、
『力を貸してください。
ここを守るのに力が足りない。』
と依頼を受けました。
『峯に上がること。
それが有効策になる。
レブロンの力が通る。』
という言葉が後に続いていました。
 
二上山は奈良県と大阪府にまたがる金剛山地北部にあり、北方の雄岳、南方の雌岳の2つの山頂がある山です。
古代には活発な火山活動があり、サヌカイトを多く噴出しました。
現在は死火山で、今後の噴火の可能性はないそうです。
 
実行が遅くなりすぎないようにと、8月8日に4人で登山することになりました。
猛暑の時期はもともと避けようと考えていたのですが、たまたまの話の流れからこの日に決まりました。
 
近くの二上神社口駅に9時に集合。
そこから先日も参拝した二上神社の里宮はすぐです。



 

神社左脇から登山道が始まります。
イノシシよけの柵を越えるとあとはひたすら登るだけです。



 

広島から参加したYさんの様子がおかしい。
数メートル歩くと息が上がって座ってしまう。
体力のない人ではありませんから、山のエネルギーと、自分の中のものとが共鳴しているのかもしれません。
最初は胃痛、それが治ってからはまだなお、重いものが覆い被さっているようだと言います。
 
そんな時間が1時間近く続きましたが、まだ山頂までの半分にも到達していません。
1時間程度での登山と考えていたのが大きく計算違いにはなりますが、Yさんはわざわざメッセージでこの登山に必要な人と伝えられた方ですから、与えられた時間調整と考えることにしました。
その頃の山の様子はこんな感じ。




ほかの登山口からのルートと合流した地点から、15歳ぐらいの男の子を連れたお母さんが先導する形になりました。
彼らが10メートルほど先を、子どもは口笛を吹きながら歩いていたのですが、そこからYさんが普通に歩けるようになりました。
彼らを追い越してから山頂まで40分程度だったと思いますが、普通のペースで一度も休むことなく歩き続けることができるまでになり、どうもあの親子が祓いの役割を果たしていたのではないか、という話に後になりました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国東半島で思い出すこと

2013-08-02 13:53:42 | 旅の記録

まず最初に思っていなかったところに呼ばれたので、その後もおまかせするつもりでいたところ、
『次は国東へ入れ。』
と、平凡な答えが返ってきました。
以前から見てみたかった臼杵の磨崖仏がここからだとほぼ通り道になるので、そこだけはちょっと寄って見ようかと考えたところ、考えられない間違いをして道に迷ってしまいました。
余分なことをしないほうがよいようです。
 
軽い昼食だけ済ませて国東半島に入りました。
 
何度か訪れていますが空気が独特のところです。
わたしが感じるのは怪しいが心地いい、鬼の世界です。
国東に入るときにはいつも鬼を意識します。
 
2005年の秋のことになりますが、ある尼さんのセッションの時に相談されたことがきっかけです。
その方が国東半島にある、磐座のお祓いを頼まれており、どのようにしたらよいかをわたしに尋ねてきたのです。
その磐座は末期がんで闘病中の、「鬼」の字が名に入る男性の土地にあるものでした。
その男性は「鬼」を追いかけて雑誌に寄稿したり、また各地の磐座の研究をしていました。
当時のわたしは
『日本の国力を上げていくためには、鬼を上げていかなければいけない。』
と言われていたばかりのところで、深く興味を持ったのでした。
 
そこの磐座の近くに池があり、近々その龍が上がるので、そのための神事をしなくてはいけないことをその尼さんに伝えました。
その通り彼女は神事を遂行したのですが、そのしばらくの後、一時退院の自宅でその男性が並々ならぬ大きな衝撃音を夜中に聞き、龍が上がったことを直感したのだそうです。
 
年明けて別件で国東半島に呼ばれたわたしは、入院中のその男性を尋ねて、龍が上がった時の様子を聞き、また彼が調べている鬼のことを聞きました。
病気で痩せ細り、顔が透き通るような白さをしている中、目だけが爛々とした輝きをもっていたのを思い出します。
その際、数分背中をさすってさしあげただけなのですが、体調がその後劇的に好転したそうで、件の尼さんが
「みそらさん、一体彼に何をしたんですか?」
と驚いた声で電話をかけてきたのを思い出します。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊後 1 豊後二見浦

2013-08-01 15:07:52 | 旅の記録

7月30日。
朝9時前に中津駅に到着。
予定していたのはまず国東半島に入ることでした。
しかし駅を出てレンタカー会社に向かったとたんに右脇腹に鋭い痛みが走ります。
何事かと思った瞬間、
『伊勢に急げ』
と伝えられました。
 
一月以上前、
『豊後に行け』
と伝えられたとき、たまたま手に取った雑誌を開くと豊後二見浦の写真が目に入ってきました。
ここは是非行きたいと思っていましたが、神事に関係ある場所とは意識していませんでした。
 
豊後は大分県の南部をさすが、国東半島も含む大きな地域です。
行き先が曖昧だったので指定されたのを幸いに、豊後二見浦を目的地にナビ設定。
 
東九州自動車道を南下中、前の車が突然ブレーキをかけました。
目の前で事故らしく、すでに到着していた警察官が片側交互通行を手信号で行っています。
対面通行の対向車線に黒いワゴンが自爆したらしく横転しています。
降り口の津久見インターの少し手前でした。

本線を出ると、出口が混雑して車列が動きません。
二つある出口レーンのうちETC車載車用であるはずのレーンが封鎖されており、一カ所のみの現金支払いレーンが混雑しています。
今しがた通ってきたばかりの道路がちょうど通行止めになるところでした。
大きくエネルギーが動く時は天候が荒れたり、思いがけない道路状況になったりします。
気を引き締めていかないといけないと感じました。
 
津久見インターを出ると10キロ強、海岸の幹線道路から豊後二見浦を左へ導く看板を見たときに、再び右脇腹を前回以上の痛みがえぐりました。
しかし、駐車して後は身体の異変は止まり、静かになりました。
 
ここは朝日を背景にした時が最高の眺望でしょう。
曇天だったので今ひとつ映えないが、どっしりと岩が二つ構えているさまには夫婦岩と称するほかありません。

 


 

突然
『人類は救われる。』
と聞こえてきます。
 
波間の岩場が大股の歩幅程度に離れて岩まで続いているので、そのまま岸に近い岩には渡れそうです。

 


やや大きいのでこちらが雄岩になるのでしょう。
神籬だから近寄らないようにさせているわけではなく、岩までの橋桁にするために海中にコンクリが打ち込んであり、さらに岩は歩きやすいように整備されています。

 

酒を雄岩と雌岩の間にまきたいというのが岩を見た時のひらめきだったので、そのまま岩に渡らせてもらうことにしました。

 


 

『海を鳴らす。
最古の端へ。
徹底的に磨く。
運行の上へ。』
というのが伝わってきた言葉でした。
 
 
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする