そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

緊急対応について

2023-07-31 15:47:00 | 個人セッションなど予定

Covid感染再増加もあり、遠隔セッションを緊急で受けたいという申し込みが増えている。

タイミングが合えばもちろんお受けする。

ほんのちょっとの合間があれば、少しほっとする状況にはなっていただけるものと思う。

先日も数日間の長いめまいに見舞われた人に10分だけの対応をしたが、一晩寝てめまいなく起きられるようになったと連絡をいただいた。

この短さは僕の都合だった。

できれば長い時間を取れる方が良い。


どうしても必要な方には、了承を得た上でだが、公共交通機関での移動中にも対応する。

相談などがなければ通話の必要がないので、バスや電車に乗っている間にも可能だ。

お伝えすべきことが出てきた時は、メモしておいて後でお伝えする。

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Covid感染再増加

2023-07-30 11:40:00 | Weblog

ある方と今月電話で話していて、ある遠方に出かけることを提案したところ、

「そうですね、コロナも終わりましたし。」

と前向きな返事が来た。

前向きなのは良いが、その言葉には違和感が残る。

別に新型コロナウィルスの蔓延という現象が終わったわけでも何でもない。

政府が

「終わりにしましょう」

とやっただけのことだ。


周囲で新型コロナウィルス感染したという人が著しく増えている。

政府が

「防備を解いて良い」

に等しいことを言ったので、そうなることは全く不思議ではない。

それはそれで良い。

だが、それは新型コロナウィルスは過剰に恐れるべきではないと言う認識とワンセットのはずだ。


今もCovidと別のウイルス感染症を分けて怖がる人が多い。

政府の言説の影響はある。


Covidを脅威とする人があるのは、インフルエンザを脅威とする人があるのと同じで、もっともなことだ。

風邪だって怖い。

昔から言われているように万病の元で、死にもつながる。

そのレベルで、Covid感染は確かに肉体的に怖いものである。

だが、そこまでのものでもある。


Covidが病原としてどの程度怖いのかは、今さら言い歩くまでもないことだ。

なってみたらわかることだから。


蔓延初期に感染した人が言った言葉が核心をついている。

症状は高熱などそこそこ重かった男性だ。

「これまでコロナが怖かったけど、怖くなくなった。」

未知だから精神的に怖かったのだ。

変異を重ねて弱毒化している現在ならなおのこと。


ただし、発症すれば厄介なものではある。

来られる方には今もセッション中のマスク着用をお勧めしている。

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甘えの受け入れ

2023-07-29 11:47:00 | 癒し

言うことを全て受け入れてもらえるがままだと、歯止めが効かなくなる。

受け入れられることに怒りさえ覚えるようになる。


親子間でも夫婦間でもそう。

受け入れられないことは問題だが、受け入れられすぎることも問題。

不安にもなる。

どこまででも受け入れられるのかと。

自分のエゴは野放しで良いのかと。


受け入れる側も当然我慢している。

だが事を荒立てるよりは我慢に甘んじるのが良いと、歪んだ認識にとどまる。


どこまでも自分を主張するのは、止められない自分を持て余してのこと。

「どこかで止めて」との悲痛な叫びですらある。


だから止めてあげるしかない。

受け入れ続けた方が行動を変えるのだ。

「それは違うだろう」

と強い主張で押し返す。

押し返された方は安心する。


険悪だった仲が、ここにきて元に戻るきっかけができる。

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コクーン

2023-07-28 11:03:00 | Weblog

20歳代の男性。

社会にうまく適応できない部分があり、本人がつながる見えない世界からの視点の話が、周囲から現実離れと取られてしまうところがある。

適応できないところを補うために、就労支援を受けたりしながら生活している。

彼をサポートしている霊的能力をもつ男性の勧めがあって僕のセッションを受けに来たので、初めから遠慮なく思うところを話し始めた。


彼を頼ってさまざまな霊がやってきてしばらく滞在する中で成長するのを見守ったり、彼らを送り出したりしている。

迷っている霊は彼を通じて上がっていく。

そんなことを日々当たり前に体験しながら生活している。

自分の使命は「目の前の人を必ず助けること」。

霊的能力を通じてだ。


生活訓練、社会訓練を通じて就職しようとしてもうまくいかない。

自分の天命と思うところとかけ離れた生活を受け入れるのは容易ではない。


彼が天命について僕に話してくれた時、

『今はまだコクーンだ』

と伝えてきた。

cocoon」。

英語で「繭」のことだ。

そうであることを、彼はまず自覚しなくてはいけない。

早々と世に出ようと無理をしてはいけないのだ。


『自分の中の対立項をなくさなくてはいけない。』

と伝わってくる。

彼はその対立項を

『わざと作っている。』

これは複雑に育ってきた環境のせいもあるだろう。


そのほかにも気をつけてじっくり進めていくべきことがある。

『腹を使わなくては。

呼吸をきたえる。

それがスタートライン。』

だという。

呼吸で腹を作っていくのだ。


実際、彼の前には改善しなければいけない健康という問題も横たわっている。

見えない世界での力をつけていくことと、健康状態を改善していくことの、どちらにも呼吸は役立つのである。

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受ける施術に応用

2023-07-27 15:44:30 | 癒しの手法

鍼治療やマッサージなど様々な施術を受ける際に、どのようにしているだろうか。

ベッドに寝転がってリラックスした状態になっているのが通常だろう。

ここで、施術は施術者まかせというのはなかなかもったいない。

 

癖になっているからだが、僕は人にケアをしてもらうときも「つい」呼吸を細く丹田に流してしまう。

だから、寝転がって身体に触れられるときにはもうお腹が動き始める。

施術者の腕にもよるだろうけれど、触る「力点」刺激の役割を人にやってもらうのは楽なものである。

自分の手では普段は届きにくい足方面を力点に使うこともできる。

肩甲骨や背中の中心を触るにしても同様だ。

いかに身体が柔らかい人でも、同じ姿勢をとってそれらを触り続けるのは簡単なことではない。

 

ほんのちょっとの用意で、施術の効果を幾層倍にも高めることができるかもしれない。

 

ちなみに、歯の治療などでも僕はつい換氣の状態に入ってしまう。

歯の治療の最中に腹が動き出す経験はないのだけれど、実は痛みに対応するのには換氣は優れた用法だと思う。

痛みの傍観者になって、痛みを身体と引き離してしまうことができるからだ。

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『弟がカードを切る』

2023-07-26 14:58:19 | Weblog

遠方に高齢の両親が二人で暮らしている50歳代の女性。

父親は軽い認知症を患っている。

母は膝が悪く思うように動けない。

そのうち、母も認知症との診断を受けた。

両親はコロナウイルス感染して入院もした。

 

今後、介護施設に入居させることを視野に入れなくてはいけなくなった。

しかし金銭的に余裕があるわけではない。

どうしたら良いのか。

 

問題はそれだけでなく、自身や家族の健康問題も暗くもたれかかってくる。

どうにかしなくてはいけないことが多すぎる。

そんなときに知人に紹介されて僕のところにやってきた。

 

両親をいつ介護施設に預け入れたらいいのか。

場所はどこなのか。

そんな具体的な答えを得たくてやってきたのかもしれないが、世界はそんな厳密さを持って回っているのではない。

理に基づいた手順を踏むことでレールが作られていく。

 

『弟がカードを切る』

とすぐに降りたので解釈を加えて彼女に伝えた。

自分一人で悩むべきことではない。

たった一人の弟も同様に気にしていて、いつかは決断しなくてはと覚悟を決めている。

あるいは、決める過程にある。

それを当てにして行動しろというのではない。

まず、お互いにできることを提示しあって話し合いを重ねていく。

姉に切れないカードを弟が持っている。

 

セッション後、二週間が経って彼女から連絡が来た。

あれから弟と連絡をとり、両親のことはスムーズに進んでいるということだった。

不測の事態を埋めるだけの信頼が、これから兄弟間で醸されていくだろう。

 

〈いろいろありますが、ワクワクした人生を送りたいと思ってます。〉

と結ばれていた。

セッションにやってきた時の陰のある顔ではなくなっているだろうか。

この意気込み通りに過ごしていけば、必ず充実した日々が待ち受けている。

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依り代としての身体

2023-07-25 13:26:00 | Weblog

先日、霊的影響を受けやすい人を「依り代」と同情的な書き方をしたが、僕自身が強度の依り代であることは間違いない。


朝起きた時の沈んだ気分が何を意味しているのか。

腹の重さは何が原因なのか。

時間が過ぎてみないとわからない。

その時点ではその日に誰と会うのか、誰と電話で話すことになるのか、予定に入っていないことも多い。

だが、先触れは会う約束より速くやってくる。


身体に感じるものが何かあるときは、何かある人と接することになる。

その「法則」が理解できてからは、身体の重さや精神的負担に必要以上の心配を持つことがなくなった。

辛さが自分由来のものではないと、鷹揚に受け入れられるようになったからだ。


そして、気構えが一つ増えた。

調子が悪いから相談を受けるのを後回しにするのではなく、逆に相談を早いうちに受けるべきだと覚悟するようになったのである。

それが、自然が要求することだと悟ったからだ。


どのようにケアしても身体の重さが抜けないときは、今日会う人との予定が終わらない限りそれが消えないものと覚悟を決める。

しかし、どうにもならないと開き直るのは気分的には楽になる一方で、諸々の作業が進まない、頭がはたらかない、文字が目に入らないなどの不便は生じる。

こういった事態とどう向き合うかが現在の僕の課題といえる。


身の回りには目に見えないネットワークが張り巡らされ、我々は知らぬ間に影響を受けて、そして気付かぬ間にそこから解放されている。

なかなか見えにくいことではあるけれども、その観点から自分の生活を観察してみてはどうか。

自分と縁深いものを発見する契機になるかもしれない。

そして霊的開発に案外意味がありそうに思う。

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「Max130」 2

2023-07-24 09:46:00 | Weblog

まずは、「絶対に130」ではない医師の意見を聞いてみてはどうか。

彼女の言い分も認めて、無理のない程度の血圧を容認できる医師を探した方が良いと話した。


そこで彼女はまたソワソワし始めた。

「どうやったらそういう先生が見つかるでしょう。」

今すぐにでも探し当てないと人生が崩壊しかねないとでもいう口ぶりになっている。

元々そういう傾向はあったが、思い立ったらそのようにしないと気が済まない性向がここにきて暴走しているようだ。

そんなに慌てなくて良い。

周りの人に聞いたりしながらゆっくり探すことを楽しんでみたら良いのだ。


セッションが進む中、彼女の口ぶりは少しずつ落ち着いてきた。

「もうずっと、高血圧は怖いという本ばっかり読んでいました。」

というから、

「降圧剤が怖いと言ってる本もいっぱいありますから今度はそちらを読んでみては?」

と軽く話すと

「みそらさんは頭がいいね。癒されるわ。」

と大笑いする。

笑うほど気がほぐれたなら大丈夫だろう。


ちなみに医者に行くきっかけになった下痢の方は、検査のために軽い絶食をして以来、なんの異常もなくおさまった。

食べ過ぎが原因だったのだろう。

僕は今後の健康法として、朝食を抜く半日断食を勧めた。

朝食抜きは高血圧を含めたあらゆる症状に対して、良い結果を示すことが知られている。


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「Max130」 1

2023-07-23 15:59:00 | Weblog

一年半ぶりくらいにやってきた70歳代の女性。

以前と違ってなんだか慌てていて、もどかしく説明を始める。


下痢が続いて医師の診察を受けたという。

検査ではとりあえず問題がなく、時期をみて再検査となった。

が、そこで測定した血圧が高すぎて、そのまま別の医者に行くことになった。

そこでも上が200を超える数値が測定された。


若い医師は血圧の上を130に抑えなければいけないと強い口調で主張する。

彼女としては納得がいかない。

彼女の普段の血圧は、上が180ほどだという。

慌てる人も出る数字だが、必ずしも気にすることはないと僕は思っている。

血圧は年齢が上がるとともに上昇していくもので、ある程度までは当たり前の現象だからだ。


健康に関して几帳面で、ちょっとした異変に敏感に反応している彼女がこれまで自身と高血圧症を結び付けなかったのは、彼女の母親は血圧の上が180だったが、薬など飲まずに96歳まで健康に生きたからだ。

身近に好例があったのだ。

「年齢に90歳を足したぐらいが正常」という昔浸透していた考え方に浴していたのもあって楽観視していた。

だが、今回200を超えたのに加えて、医師からの強い口調が彼女を狼狽させた。

当然のように降圧剤が処方された。


「何がなんでも130に抑えろというのは乱暴な話ですね。目標値としては低すぎますよ。」

僕の言葉に彼女も頷くのだが、医師の断言の前では自信がなくなる。

そのとき以降、いつ測定しても上は200を超えている。

薬を飲んでいるにも関わらずだ。

血圧を測定するのが恐怖になっていて、器械を前にすればドキドキするし、鬱っぽくなっているという。

これは典型的な白衣高血圧ではないのか。


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身体の要求 2

2023-07-22 09:35:00 | 癒し

先日書いためまい。

身体の痛みや疼きや痒み、発熱。

これら、生活する上でとても邪魔くさいものだ。

症状が現れたことを忌み嫌って、なんとかそこから逃れようとあがく。


これらがやってきた時点で(普段もそうなのだけれど)よくよく考えなければいけないことは、これらは身体が発する反応でありサインであるということだ。

発熱は以前にも書いているが、身体に侵入してきた異物を排除しようとする防衛反応だ。

そして、自分が今非常事態にあることを知らせる役割も持っている。

めまいにしてもそうで、自分が今何か気がつかなければいけないことを知らせている。

それらは言葉を持たない。

そこでどう対応するか読み取るには、大筋においては身体的な勘が一番正確なところだろう。

何をしたら一番楽なのかを身体に委ねてみる。


熱が出たらだるいのだから横になって休む。

寒いのだから身体を温める。

喉が渇くのだから水分をよく摂る。

極めて当たり前のことだ。

それを、お腹が空いていないのに「食べたら元気になるかもしれない」などと「自分の考え」が横槍を入れる。

頭で考えることが治癒の邪魔をする。


西洋医学は、どう身体を導いたら良いかについて、分析的な優れた考察を重ねてきた。

素晴らしい結果を示したのだけれど、一方ですぐに医者に行く、薬を飲む、などと健康を自分の監督外に置きやってしまう人もいる。

自分の素直な勘通りに行動することを我々は忘れることが増えている。


危険なのは、サインをオフにしてそれで良しとすることだ。

原因は消えていないのに、信号が見えないようにすれば安心するというのは安易すぎる。


昔大阪を車で走っている最中に、何だったかは忘れたが警告灯が点灯したことがあった。

自分では対処できない類のものだったので、直後に会った人に紹介してもらって付近の車屋に持って行ったのだが、してくれた作業は「警告灯を消す」ことだけだった。

原因に辿り着きもせず、表面の信号を消すだけとはどういう仕事だと仰天した。


人間の身体においては、こんな仕事で納得することが多いのではないだろうか。

消えたのは警告灯だけで、サインを灯らせた原因はいまだに取り除かれていないことをきちんとわかっているだろうか。

自己治癒力を発揮させて元の問題がなくなれば、サインは消えていくものだ。

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