先日書いためまい。
身体の痛みや疼きや痒み、発熱。
これら、生活する上でとても邪魔くさいものだ。
症状が現れたことを忌み嫌って、なんとかそこから逃れようとあがく。
これらがやってきた時点で(普段もそうなのだけれど)よくよく考えなければいけないことは、これらは身体が発する反応でありサインであるということだ。
発熱は以前にも書いているが、身体に侵入してきた異物を排除しようとする防衛反応だ。
そして、自分が今非常事態にあることを知らせる役割も持っている。
めまいにしてもそうで、自分が今何か気がつかなければいけないことを知らせている。
それらは言葉を持たない。
そこでどう対応するか読み取るには、大筋においては身体的な勘が一番正確なところだろう。
何をしたら一番楽なのかを身体に委ねてみる。
熱が出たらだるいのだから横になって休む。
寒いのだから身体を温める。
喉が渇くのだから水分をよく摂る。
極めて当たり前のことだ。
それを、お腹が空いていないのに「食べたら元気になるかもしれない」などと「自分の考え」が横槍を入れる。
頭で考えることが治癒の邪魔をする。
西洋医学は、どう身体を導いたら良いかについて、分析的な優れた考察を重ねてきた。
素晴らしい結果を示したのだけれど、一方ですぐに医者に行く、薬を飲む、などと健康を自分の監督外に置きやってしまう人もいる。
自分の素直な勘通りに行動することを我々は忘れることが増えている。
危険なのは、サインをオフにしてそれで良しとすることだ。
原因は消えていないのに、信号が見えないようにすれば安心するというのは安易すぎる。
昔大阪を車で走っている最中に、何だったかは忘れたが警告灯が点灯したことがあった。
自分では対処できない類のものだったので、直後に会った人に紹介してもらって付近の車屋に持って行ったのだが、してくれた作業は「警告灯を消す」ことだけだった。
原因に辿り着きもせず、表面の信号を消すだけとはどういう仕事だと仰天した。
人間の身体においては、こんな仕事で納得することが多いのではないだろうか。
消えたのは警告灯だけで、サインを灯らせた原因はいまだに取り除かれていないことをきちんとわかっているだろうか。
自己治癒力を発揮させて元の問題がなくなれば、サインは消えていくものだ。