そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

岩場との交渉 5

2023-07-13 12:58:00 | 旅の記録

時間をかけて一段落、気持ちも整ったところで洞窟の内部に進んでいく。

最奥部、龍神が祀られている窪みが、6世紀にここらあたりの信仰が始まった地点とされている。

その手前でまたSさんの歩みが止まった。

気持ちは前に進もうとしても身体が受け付けない。

岩壁に身体を預けるようにして息を整えている。


「Sさんは洞窟入り口まで戻って休むのでもいいのではないか」

との意見が仲間内で出た。

少しだけ考えて、僕の中にはやはり最後のところまで進んでもらうべきだろうとの結論が固まった。

と同時に、

『出ていってもらおうとか、追い出そうなどと考えるのはやめて、ただまかせるように』

とのアドバイスが降りてきた。

硬直したSさんの身体がふっと緩んだ。


僕は先頭に立って、用意しておいた酒を付近の岩壁に少しずつ撒きながら進んだ。

日本酒の芳香が陰気な湿気に勝った。


洞窟を出て釣り人たちもいる付近まで戻り、適当な岩を選んで腰を下ろし、陽を浴びてゆっくりする。

Sさんの表情は先ほどまでと違う。

もう、大丈夫か問う必要もなさそうだ。


この日でエネルギーが去るというのではない。

2、3週間ここに残っているという。

だが、

『魔は制御されている』

とはっきりと伝えてきた。

このエネルギーの骨組みはなくなっていく。


この日訪れた地域では、五芒星が瞼の裏にずっと映り続けていた。

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岩場との交渉 4

2023-07-12 15:59:00 | 旅の記録

翌日の「岩場」は総勢5人での神事になった。

現地まで原生林の美しい小高い山を、潮風を感じながら歩いてゆっくり巡れるようにスケジュールを組んであった。


『岩場と交渉して海に送り出してもらう』

と婉曲で柔らかな言い方をした日もあれば、あからさまに

『追い出す』

と強い表現のこともあった。

いろいろな存在が関わり、様子を見守っているのだろう。

僕からすると、本人にその気がないのに場を去ってもらうなど気が引けることでしかない。

あくまで見えない世界の存在たちに準備から完結まで一貫して進めてもらうしかない。


その日の神事については、何もかも平穏に進みすぎる傾向に違和感を覚えなかったといえば嘘になる。

やはり何も起きないわけはなかった。

磯に打ち付ける海の荒ぶりを崖から見ているうちは良かった。

急な階段を降り、陽に照らされて明滅を繰り返す波に洗われた岩を見ながら歩く間も、皆の声は晴れやかだった。

が、メインの目的地に差し掛かるところでSさんの足が止まった。

苦しそうな表情をしている。


こういう場合に彼女は依り代役になってしまうのかもしれない。

仲間が腕を取って歩幅を小さく進ませ、洞窟入り口のベンチに5人で座った。

急ぐことはない。

目を閉じると、円錐状の石のような塊の結束が弱まり、幾重ものヘビに分解されていくのが見える。

事態は予定通りに進行している。


背中をさすったり後ろからエネルギーを送ったり、皆がSさんが回復するよう見守る。

Sさんは恐る恐る立ち上がっては様子を見るが、行動再開にはまだ早い。

風は心地よく肌をなでつけていく。

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岩場との交渉 3

2023-07-11 14:27:00 | 旅の記録

堂々とした拝殿だった。




天和2年(1682)に、相模川のほとりにあった社殿が現在地に上げられたそうだ。

ダム湖の相模湖はその頃もちろん存在しておらず、川の流れがあっただけだ。


さて、こちらの祭神は

『逃げるやつを必ず討つ。立派に仕留める。』

となんとも血気にはやっている。

「いやいや、そんなことまでしなくていいので。」

と僕の方が尻込みしてしまう。


由緒書きにある霊験には、「殊に武運、勝運、開運の守護」とある。

また、「身体安穏虫封じ」で「よせのごんげんさま」として有名らしい。

確かにその通りの性格を持つ勇ましい存在のようだ。


帰りは墓地の中をお邪魔せずに、参道を湖が見えるところまで向かう。

落ち着いてこの参道から参拝すべきだった。




寺にも足を向けてみる。

金峰山慈眼寺という。

由緒書きには

<天正年間頼源阿舎利の創立によるもので明治維新に至るまで蔵王権現の別当寺であった。明治5年神仏分祠の国令により唯仏寺となり現在に至っている。

特に開山以来先師の労苦の遺業による虫加持祈祷の名声は関東一円に及んでいる。>

とある。

つまり、與瀬神社と一体だったわけだ。

「よせのごんげんさま」とは蔵王権現のことだった。

慈眼寺の山号の「金峰山」からも判断できることであった。




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岩場との交渉 2

2023-07-10 15:22:00 | 旅の記録

岩場に入る前日。

指定された

『さがみこあたり』

にまず行っておく必要があった。

細かいことは伝えてこないので、相模湖を見下ろせる場所を選んでみた。


中央道を走行中に「与瀬神社前」と書かれた橋をくぐるので、気になっていた神社だ。

ただし、正式には「與瀬神社」らしい。

権現山山麓にあり日本武命(ヤマトタケルノミコト)を祀っている。

山梨から神奈川、埼玉方面への山岳地帯の要所には多い祭神だから、由緒は古いだろうとそこに寄ってみることにした。


隣にある慈眼寺という寺の参拝専用駐車場は多く目につくのに、神社用の駐車場が見つからない。

寺の駐車場を利用して良いものかわからず、神社まで歩いてすぐのところに停めようと上まで欲張ったせいか、今度は神社への道が見当たらない。

車を停めた場所と神社の間は100メートルほどだったが、寺に属する墓地によって遮られているのだ。

Googleマップを航空写真にしてみても、どこを歩いて良いのかわかりにくい。

結局墓地の中を歩いて、フェンスの隙間から神社へ続く階段の下に出ることができた。

神仏混淆の過去を物語る山門が参拝者を睥睨するかのように立っている。



犬を抱いた痩せた老人が階段をゆっくり登るのを追い越した。

彼がやってきた方向を見やると、長い参道になっている。

その参道の一部は僕がいつも中央道の車中から見上げる橋らしい。

そこからこの階段までまっすぐの道になっている。

車で参道を横切ったのに、上を目指すあまり通り過ぎてしまったようだ。

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岩場との交渉 1

2023-07-09 09:48:00 | 旅の記録

一から万へ]で書いたように、大阪の神社から四日市を経由して三重県の長島まで導かれた。

その神事の元となった1月のメッセージでは、長島の先にもう一つ、関東のある海岸沿いの場所に行くように伝えられていた。

そこまでを加えると一日でこなせる旅程ではなく、あらためて出直して向き合う神事だった。


当たり前のものとして長く受け入れられ続けていたエネルギーである。

しかしそれは、もはやこれからの世の中に調和して同居できるものではない。

そのことが浮き彫りになってきたのは5年ほど前からのことだ。

ヘビが多数絡み合って人から搾取しているエネルギーには、今や去ってもらわなければならない。

ある岩場とじっくり向き合って、海へと送り出してもらうのがこの神事の趣旨だった。


魔にも役割はあった。

歴史を構成してきた欠くことのできない要素の一つ。

人が成熟していくために通らなければならなかった関門。

それがもう不要となっているのだから、感謝して見送ることにする。

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京都の神山 4

2023-06-24 11:45:00 | 旅の記録

磐座からの下り。


下生えはきれいに刈られていて、足を取られるようなことはない。

健康な樹々が数メートル間隔に立っていて、斜面で加速しすぎそうになる身体をときどき受け止めてくれる。

登りに多数あった朽木はない。


いつの間に並行していたのか、水の筋が左右を流れ下りている。

川とも沢とも呼べぬ、ただの流れだ。

これらはいずれ鴨川の本流に吸収されていくのだろう。

それに沿って遡れば、湧水となっている水源に行き当たれるだろうと閃いて清々しさに胸が満たされたが、案外長い作業になるかもしれないと断念した。


磐座は、昨日の画像にあったように、メインの最大なものに細いしめ縄が張られ、きれいに整備されている。

竹箒が置いてあるから、掃除する人が定期的に上がってくるのだろう。


磐座までの道は、磐座を保護整備する人、あるいは神社関係者が安全に行き来できれば充分足りるのであって、興味本位の人の目につかないよう紹介せずにいるのだろう。

その道を見つけて快適、簡単に下山することができたが、差し当たりここに記録するのはやめておく。

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京都の神山 3

2023-06-23 14:52:00 | 旅の記録



先に調べた段階では、登山口付近に駐車場もなかった。

2キロ離れた駐車場に停めて歩いたが、いよいよ山道という地点に至るまでに、なんとか停められる場所はいくつかあった。

この日のように時間があって急がされる状況でなければ、そこはそれほど気にする要素ではなかった。


沢伝いに上がるルートを選んだ。

相当歩きにくい道だろうと覚悟はしていたが、それどころではなく、実物はけもの道ですらなかった。

沢を渡ってはまた渡って戻りを繰り返すルートだったのだが、沢までを登り降りするにも、両岸ともに数メートルの高低差があるので、場所によってはかなりの苦労を強いられる。




アプリの地図と自分の位置情報を重ね合わせることには期待通り成功していたけれど、地図通りに歩くのは至難、ときに不可能だった。

少しこちらの方が歩きやすそうだと引っぱられる方向に進むと、アプリ上に赤で引かれた記録者の通ったルートからどんどん離れて行く。

足元から目の前まで状況の悪い場所を歩きながら、右手のiPhoneは手放せなかった。


倒木をまたぎ、またくぐりながら進む。

細くても根を張っている生きた木に手をかければ身体を支えてくれるが、間違って朽ちた木に体重を預けると一気に転落の危険がある。

注意が途切れた一瞬に右手で握った木が折れて目の前の木の幹に顔を打ちつけそうになり、すんでのところで左腕が前に出て助かった。

iPhoneをたまたまポケットに入れていたときだったので、なんとか難を逃れたのだ。


標識のある地点に到達すると、そこから頂上までは苦労ない尾根道が開かれていた。

頂上からは、僕が地図アプリの記載にこだわってしまったため、磐座までの道を一時失ってしまったが、落ち着いて方向を見定めるとすぐに見つかった。

場に入る直前にそこが明るく感じられたのは、他では頭上を覆っていた樹木がその一帯にだけは全くなく、陽の光が差し込んでいたからかもしれない。

あるいは、頂上に続くなだらかな尾根道に出たときや、そこから頂上へまっすぐ最後の登りとなる地点、また頂上から南の斜面へ入る地点でと、数回にわたって空気感が変化したのを肌で捉えたように、磐座が場のエネルギーを強く放射していたのを身体が輝きとして感じたのかもしれない。

明るさは神々しさでもあった。






耳の少し上に頭を一周、締め付けるような重みが現れた。

周囲とエネルギーが違うのに適応するのに少し時間を要したのだった。

世の中の、あるタイプのエネルギーの終焉がここで伝えられた。


さっきまではなかったカラスの声が複数聞こえる。

鴨氏の象徴が祈りに応えてくれている。

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京都の神山 2

2023-06-22 12:44:57 | 旅の記録

この神山登山を提案されてからは、俄然好奇心が募ってきた。

近代の形に整えられた神社への参拝では得られない、古代祭祀への接触なのだ。

だが、僕が禁足地と勘違いしていたほどだから、情報が少ない。

登りにくいからこそ情報が少ないとも言えた。

登山道として整備されているわけではないのだ。

 

それでもネット検索すればヒットする。

ルートは3つほど見つかった。

しかし、古い情報と新しいものとでは、どのルートが使いやすいかという最も知りたい部分に食い違いがある。

ルート探しは慎重な作業になった。

その結果、やはり保護されて歩きやすい道は期待できないことがわかった。

 

手軽に取れる最善の手段として、登山用のアプリに載っていた登山記録をダウンロードし、マップ機能で自分の位置情報とリンクできるようにした。

荒れた場所を歩かなければならないようだから、天気には恵まれたいと願った。

幸い、予定した6月5日は、台風2号が通過した後すぐに次の低気圧がやってくるまでの間の貴重な晴れ間だった。

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京都の神山 1

2023-06-21 15:35:40 | 旅の記録

4月から意図せず鴨氏の関係のところに何度も参拝している。

どれも初めての場所ばかりだが、出向く直前まで意識もしていない。

空き時間を使うのに、その時にいた場所の近くだとか、最終目的地までの途上で、歴史のある場所はないかと探すと、たまたま鴨氏の史跡が見つかっただけのことだ。

だが、それはそもそも僕がいた場所や行動ルートが鴨氏の活躍した場所に重なっていたからで、それこそ知らずに呼ばれたということなのだろう。

 

今回のこの神山(こうやま)は違う。

知人が、僕が行くべきだとメッセージを受けたものだ。

上賀茂神社には何度も参拝していて北側に御神体山があることも知っていたけれど、禁足地だと思い込んでいたし、興味も湧かないでいた。

 

神山は、下鴨神社に祀られる賀茂別雷神が降臨した地とされている。

この神は、母親である玉依姫が飛んできた丹塗り矢に突かれて身籠ったとされる。

 

鴨氏は大和を出発して山城に移住するにあたり、祀った場所が三ヶ所あるとされている。

山城国風土記逸文によると、一つは「山代の国の岡田の鴨」。

岡田鴨神社のことだ。

岡田鴨神社

 

次が、「葛野川(桂川)と賀茂河(鴨川)との出会うところ」とされている。

久我(こが)神社といい、伏見区にある。

地元の人には「森の宮」と行った方が伝わるかもしれない。

僕は岡田鴨神社のあと、そこにも参拝したのだけれど、ブログに記録を残していない。

立看板には、ここが賀茂別雷神が生まれた地と伝えられているとあった。

鳥居前と拝殿前に対に掲げられた提灯には、どちらにも矢羽が片面には黒で、反対側は赤で塗られたものが描かれていた。

社紋として丹塗り矢を表現しているのだろう。

数日後に祭りを迎えるところで、境内ではその準備に村の人たちが精を出していた。

 

3番目が「久我の国の北の山基」になる。

上賀茂神社のすぐ南西にあるが、そこにはまだ行ったことがない。

 

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鉢伏山 10

2023-06-07 16:29:00 | 旅の記録

後日、田渕さんとやりとりしながら鉢伏山登山の記録を整理していたのだが、あるとき高下駄を履いてふわふわと現実離れした速い動きで山を駆ける足元がビジョンで見えた。

これは天狗だろう。

そして修験の雰囲気も伝わってくる。


インターネットで調べる限りにおいては、鉢伏山に天狗信仰があったとか修験者が出入りしていたとかいう記述は見当たらない。

だが、山奥深いその聖地は、相当の昔から人々の尊崇の対象だったのではないだろうかという気がしてならない。


また、この山には『国際競争力』がある。

出口王仁三郎聖師が残した『銀座になる』という言葉が示すものは、現代にとどまらずまだ先があるのではないだろうか。


そういえば、登山の二日前にTさん相手におろした言葉に

『温故知新なり』

というものがあった。

古きを大事に新しきを切り開く転換点に、この山はやってきつつあるのかもしれない。

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