そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

今までのまま、でないために

2012-04-21 08:56:40 | 未来の創造

人間は恐怖のエネルギーによって束縛され、正常な思考を奪われます。
突然起こる大災害や人為的な恐怖はそれに接した人の思考に空白をもたらし、権力に都合のよいように方策がとられることが最近多く指摘されています。
 
一方、包括的な恐怖のエネルギーは、個人に対しては経験に基づいて、反復した行動をとらせます。
何かしようとしても同じところで引っかかってしまい、どうしてもうまくいかないのはそのせいであることが多いのです。
他の人にとっては取るに足らないことでも、ある人には日常生活を左右するほど重くのしかかるものですから、自分の癖に焦点を合わせることはいずれ大切になります。
 
問題として認識していても、その場では敢えて注視しないことで対処し、今まで通りの生活を続けていくことを推奨することも以前であればままありました。
しかし、かつてない推進力を背後に受けて、次の段階へと着実に進みつつあるわたしたちに、見えない世界から導きの糸が眼前に用意され、見えにくかった過去のほどきが容易になり始めていることが、このごろ多いに実感されます。
 
「これはどうにもならない」
という諦めを、周りの環境の変化を見ながら若干あらためてみると、答えは確かに準備されていることに気付くかもしれません。
 
自分の思考のどこかに無理がないか確認してみてください。
三次元上での生き方をそんなに進めなくてはいけないのか。
立ち止まってゆっくりしながら内面に焦点を当ててみることは、世の中のシステムの大変化が現れたときに無理なく対応できる覚悟を養うことにもなります。
 

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富士山と文明

2012-04-20 06:48:04 | 未来の創造

富士山が目覚めて表に出ることが、 日本の霊性の発現と同義だと書きました。
 
日本に異質なエネルギーが大きく流れ込んできたのは明治維新によってです。
文明開化の名の下おこなわれた幾多の改革により国の根幹が揺るがされてしまいました。
さらに敗戦でかろうじて残っていた部分も蹂躙されてしまいます。
アメリカの統治下にあった一時期に、犯されざるべき聖地も精査され、驚愕のもとにそのいのちにも封印の杭が打たれたとみています。
 
富士山の神は一般的にコノハナサクヤヒメとされていますが、その姉のイワナガヒメも同等に重要です。
311以降、富士山を守ってきたのは「石」「岩」でした。
このイワナガヒメという女神は数年前まで黒龍としてカタコンベに封印されていました。
それが鹿児島神宮の摂社石體神社から、三途の川を越えて戻ってきているのです。
それにより国体が変わり、コノハナサクヤヒメの姿も変わります。
 
同時に起きるのが、明治以降流入していた西洋文明の解体です。
『丸に十字あらため』
の動きが起きてきます。
 

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富士山 6 霊性

2012-04-11 07:44:14 | 旅の記録

人穴で導かれて参拝した村山浅間神社では、
『すべてバランスをとる。
焦るな。』
と伝えてきました。


  



今回の神事とその後のメッセージで、富士山がひらいて大きく意味をもつようになったことを示しています。
日本の霊性の発現です。
 
『これからは富士山にフォーカスすると自分のピントも合ってくる。』(2012.4.6)
のです。
 

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富士山 5 『新しい星の見え方』

2012-04-09 03:58:53 | 旅の記録

富士山の北側からぐるっとまわり、今度は西側へ。
次の目的地、静岡県富士宮市にある人穴に向かいます。
こちらも富士山の噴火でできた溶岩洞穴です。
修行の場ともなっていた聖地ですが、周囲の物淋しさも相まって、暗さは否めません。
洞穴に意識をあわせると、頭痛を感じる人が何人かいました。

 


 
『村山浅間神社でおさめるから、水を撒け。
時代は確かに変えた。
満を期して、
村山浅間神社で強めよ。』
 
人穴を取り巻く寂しい感覚は変わりませんが、力強い言葉です。
そして宇宙的な連関のある言葉が続きます。
 
『新しい星の見え方が。
半年ほど先(?)
世界はもう二つに分かれたよ。』
 
そしてその新しい星の見え方とは
『いい意味でのこの星の解体』
を示しているそうです。
 

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富士山 4 護良親王古蹟

2012-04-08 07:17:38 | 旅の記録

『大和民族に休まる暇などない。
41とともに働け。』(2012.3.19)
という言葉がありました。
また、母の白滝では
『大和は再び飛び立つ。』
と伝えられました。
数日で、「大和」という言葉が印象深く入ってきていました。
すなわち、日本という国の古い言い方です。
 
次に訪れた下宮浅間神社は旧称で、現在は小室浅間神社と呼ばれています。
昨年末に参拝したおりに、
『富士山に異変のあった後、春先に再度来なさい』
と言われていたため日程に組み込んだのでした。
富士山の目覚めを告げられたいま、今度はこれから先の流れを見せてくれるのではないかと期待がありました。
しかしここでの言葉は、
『次につないだからこれでいい。
富士山は表に出る。』
というさらっとしたものでした。
 
10人で真剣に祈る姿が気になったようで、後ろから声をかける方がありました。
その方はこの神社の神官さんで、何か目的をもってこちらにいらしたのですか、と尋ねられたので、簡単に今回富士の周りを巡っている趣旨をお話ししました。
この神官さんも神に通じる方で、毎朝神前に座るときに神様の機嫌を感じるのだそうです。
普段は穏やかな神様ですが、なんとなく落ち着かないときがあって、そのときは町で救急車や消防車が走り回ることが多いという話をされました。
 
拝殿に向かって右側の鳥居の奥に、大塔宮護良親王古蹟、と書かれた石塔があり、立派な桂の木があります。
今回は三回目の参拝ですが、来るたびにこの場所の神々しさが増すのを不思議に思っていました。
禰宜さんの横で、大工仕事の格好をした男性がニコニコしながら話を聞いていましたが、桂の木の話を経てこの古蹟のことに話題が移ると、彼の口からとめどない話が流れ始めました。
彼はこの聖域を整備した方でした。
 
大塔宮護良親王という方を、以前読んだ本の中から、剛胆で有徳、知恵のある人というイメージでとらえていました。
国のため先陣を切って働き、偉業を達成したその最期は、悲劇的なものでした。
鎌倉で幽閉され、のちに殺害された親王の御首の行方は諸説ありますが、ここ小室浅間神社の桂の木の傍らに、忠なる臣下の手により手厚く埋葬されたという説があります。
尊い方の御首ですから、それと悟られることなく、しかし分かる者には素性を分かってもらいたいと苦心の暗号をちりばめた文書をひもとくと、どうやらこちらがそうらしいと。
 
ここを整備したこの男性、渡辺さんは昔、護良親王の話に接したときに感応して号泣したそうです。
たましいに深く通じるものがあったようで、ここを整備がてら毎日通い、そしてここにいることが何より幸せだと言います。
   
 
護良親王の人柄、そして自分を犠牲にすることを厭わず夢を持って大和の建国を目指し続けた姿を、渡辺さんの話を聞きながら思い浮かべて、わたしも胸が熱くなりました。
その話の中に、「大和」という冒頭のキーワードがありました。
 
一時間以上もの間、立ったまま皆で話を伺いました。
渡辺さん、奥様、そして禰宜さんに深くお礼を申し上げます。
渡辺さんのブログの記事です。
大塔宮護良親王の古蹟
 
 
一連の話の中、心に残る言葉がありました。
それは古蹟にどっしりと根を構える桂の木のことです。
桂は成長すると主幹が折れることが多い。
しかし、枯れてしまうのではなく、後から出てきた子孫たちが大いに繁栄するのだそうです。
いのち亡き後、残された者が意志を受け継いでこの国をつくりあげていくことを連想させるこの桂の巨木は、大和の礎となって散った護良親王を祀る場にふさわしいものだと思いました。


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富士山 3 河口浅間神社と船津胎内

2012-04-07 06:06:44 | 旅の記録

富士山周遊2日目の朝も清々しい晴天に恵まれました。
河口湖畔から見た富士山です。


 
今回の神事の一番の中心となる、河口浅間神社に集合しました。
何本もの立派な杉に囲まれた静かな社です。

  
こちらの由緒は、貞観の噴火を受けて、災害鎮静の祈祷がなされたことです。
 
『富士山は目覚めの時が来ている。
第二の時代。
鳥のことをやらなければいけない。』
 
有名な七本杉を見て回った後、神社から車で数分、三つ峠登山道の途上にある、母の白滝を訪れました。

 
一部は氷瀑になっています。


滝からの細かな水しぶきで気持ちも潤い、自然と瞑想に誘われ、いつまでも心静かにいられる場所でした。


 
『少し開きなおること。
大和は再び飛び立つ。』
 
 
時間は前後しますが、神事の数日前、行程を最後に見直しているときに、
『標高1,000メートルのところまで行きなさい』
と聞こえ、等高線の地図を見て調べました。
標高1,000メートルのポイントに行き着くにはそれほど奥に入る必要はありません。
北口本宮浅間神社で標高850メートル、また山中湖の南岸ではすでに約1,000メートルになっています。
有料道路である富士スバルラインの入り口付近は標高1,000メートルを超えている上、吉田胎内と船津胎内という二つの溶岩樹型の洞窟があります。
その洞窟に目がいきました。
 
昨年3月に船津胎内に入ったので、今回は吉田胎内を考えましたが、付近はまだ厚い雪で、現地までたどり着くことは無理なので断念しました。
また、吉田胎内は年に一度しか内部で参拝することができません。
船津胎内で祈ることにしました。
 
雪解けがあり、水抜きの作業中でした。
起伏のある岩の階段は全体が氷で覆われている箇所もあり、気を抜くとすぐに足を取られます。
 
狭い空間でしたができるだけ近くに寄り添い、11人が父の胎内と呼ばれる聖域で祈りました。
恐れることなく、未知に向かって歩んでいくように伝えられました。


 

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富士山 2 大塚丘

2012-04-05 09:15:23 | 旅の記録

美しい稜線を見ながら、御殿場に到着しました。
御殿場浅間神社からの眺めです。


 
夕方、日没が間近になった頃、富士吉田の北口本宮浅間神社の裏手の大塚丘に到着しました。


ここから古代、日本武尊が富士山を遥拝したのが北口本宮浅間神社の由緒とされています。
現在は木々に遮られて前方に富士山は臨めませんが、はっきりとその存在感は伝えてきます。
 
『まだ火が消え足りていない』
という場所が、富士山を中心とする大きなエネルギーの輪の中にあります。
そこに行くように導きがありました。
『具体的なことはまた知らせる』
とのことでした。
 
言葉は曖昧ながら伝わってきたのは、富士山を中心とするこの輪から、世界に向けて発信が行われるということです。
その準備は進んでいます。

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