そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

5年目の祈りの中で

2016-03-15 09:29:47 | 未来の創造

3月11日、東日本大震災から5年が経った瞬間は電車での移動中でした。

直前に、一緒に祈ろうというメールも届いており、その瞬間にも意識を合わせることができましたが、何をどのように祈ったらいいのか、ということを考えるようになっていて、頭の中が一本にまとまりませんでした。

 

亡くなった方へのご冥福の祈りは大事です。

過去への感謝があって、わたしたちは前に進みます。

過去への感謝の祈りはわかりやすいものですが、それは抽象的だからです。

 

一方これから先子孫に残していく未来への祈りには、どんな思いを込めるべきでしょうか。

今あることへの感謝をただ捧げるという瞑想に近い状態でいることはこれまでしてきたことですが、ただそれだけでいいのでしょうか。

期待することは欲となり、苦をもたらすものだから、ただ起きることを認めるのが究極の姿ということもできますが、それでは具体的な行動に結びつきません。

 

祈りから一歩先に進んで、実践できる行動目標を持つことはできるのでしょうか。

明確な未来像があれば、日々の行動も具体的になります。

 

宇宙との関わりの中で、わたしたちだけでは越えられないものがもたらされることも示唆されますが、わたしたちは待つだけでいいのでしょうか。

伝えられたことはその通りしていくとしても、普段の心持ちとしては何を考えていればいいのでしょうか。

 

そんなことをその時の祈りの中で尋ねていたところ、普段求めるべきは

『持続可能であること』

という答えでした。

「持続可能性」とは、大辞林の定義では

<生物資源(特に森林や水産資源)の長期的に維持可能な利用条件を満たすこと。広義には,自然資源消費や環境汚染が適正に管理され,経済活動や福祉の水準が長期的に維持可能なことをいう。サステイナビリティー。>

となります。

 

しかし同じ人間でも、その時に何を望むのかは人それぞれに異なります。

明日の生死も確実ではない状況にある人と、それなりに安全が確保されている人とでは、浅いレベルでの思いが違ってくるのは当然のことです。

そのことを思い、「持続可能」をどのように捉えたらいいのかを聞くと、

『arbitrary』

と伝えてきました。

日本語に訳すと「任意」ということになります。

 

となると普段の行動指針としてわたしたちにも実現できる範囲に入ってきます。

 

ただ、その前提として、世界に対する認識に間違いがあってはそもそも話になりません。

「知ること」、「理解すること」がまずわたしたちに課せられた義務と思うべきでしょう。

無関心とともに、わたしたちは無知も排斥していくよう、不断に努力しなければいけないと思います。

 
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熊野で聞こえたこと 3

2016-03-14 09:00:50 | 旅の記録

楯ヶ崎に急ぎます。

探勝路から海に出て広い視界が開けた時には、一同美しさに息を呑みました。

 

さて、この美しい千畳敷、楯ヶ崎で沈みつつある太陽やしぶきを立てる青い海を見ていると

『元の世界に帰れ。

その道にいる。』

から言葉が始まりました。

わたし自身についてのことと捉えられました。

 

『人生の設計は大体できている。』

と、あくまで委ねて進めばいいことを前提に、これからの針路に変化が出ることを伝えてくるのですが、詳細に関しては指示待ちです。

もしかしたら熊野本宮大社で伝えられた、

『これまでの世界も4月までで終わる。』

という言葉がわたしに向けられたものかもしれないとも感じられました。

 

思いがけない指示でいささか神妙な気持ちになりましたが、伝えられてきたことはわたしがまだ意識上にすくい取っていない、未来での望みなはずです。

淡々とつなげていかれるよう気を引き締めていこうと思います。

 

『多くの光を。』

の言葉を後押しにいただいています。

 

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熊野で聞こえたこと 2

2016-03-13 14:39:22 | 旅の記録

二木島に到着したのは午後4時半前でした。

事前の下調べでは、2時間程度歩くことが予想されました。

駐車場が海に面した高台にあり、そこから整えられた山道を下っていきます。

 

午後5時58分が日没の時間です。

足元が悪くなる前に全てを終えて戻ってくるつもりでいるので早足です。

 

海に面した阿古師神社に到着です。

ここが三毛入野命を祀っているとされる場所です。

社に向かうと

『火入れの儀式』

と伝えてきます。

しばらくして

『やまと』

と文字が見え、天皇陛下ともう一人、おそらく皇后陛下の姿が見えました。

はっきりした顔は見えず、今上天皇と言い切れませんが、天皇陛下だというのが伝わります。

 

半年ほど前に、

『日本が荒波に負けずに必ず復活してくるのは、天皇家があるから』

と伝えられたことを思い出しました。

 
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熊野で聞こえたこと 1

2016-03-12 16:15:16 | 旅の記録

昨年末、

『二木島に行きなさい。』

と伝えられたのを仲間の夢見に合わせ、3月8日、9日と熊野に行ってきました。

 

二木島は三重県熊野市にある、熊野灘に面した小さな地域です。

日本書紀によると天磐盾の山に登った後さらに東に進んだ神武天皇の一行は、熊野の荒坂の津あたりで暴風に遭遇し船が難破します。

この荒坂の津というのが二木島とされていて、溺れ死んだ神武天皇の兄弟稲飯命と三毛入野命が祀られた神社が存在します。

神武天皇らは岬の突端の楯ヶ崎に漂着したとされています。

 

また伊勢大神と熊野大神が酒盛りをしたという話も伝えられているそうです。

位置的にはちょうど熊野と伊勢の境という場所です。

 

行程にあまり余裕はありませんでしたが、和歌山からの途中、熊野本宮に挨拶のみのつもりで立ち寄りました。

4つの宮からそれぞれ声が聞こえました。

 

第一殿では

『落ち着きなさい。』

と声をかけられました。

 

第二殿では

『海の向こうの声を聞きなさい。』

と伝えてきました。

二木島のことでしょう。

 

第三殿では

『これまでの世界も4月までで終わる。』

いろいろな人の努力の効果が出てくることも、聞こえたというより、パッと入ってきたのを一瞬で捉えたような感じです。

 

第四殿では、何かが『詰む』のを感じます。

 

やはり鍵は二木島にありそうです。

 

 

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