そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

大事なことはその先にある

2006-01-29 12:24:14 | Weblog
気づきを得る、
宇宙からの啓示を受け取ることができるようになる、
あるいは光明を得る、
さとりをひらく。
そういうことが魅力的に見えるのは否定できません。
しかし、これらのことは人生の目的ではないと思うのです。

必要なのは人とともに、人のために、社会のために生きられることではないでしょうか。
「見える」「聞こえる」というのはこれからの世の中で特別なことではなくなっていきます。
それをもってどう生きていくのかが問われていくでしょう。
力は、必要とされているところで発揮されてこそのものです。

必要なことは常に与えられます。
人のために生きることを選択し実践している人には、必要に応じてそういった力を与えられていくはずです。

自分が得た「気づき」をもってどう生きていくのか。
それを真剣に考えているところに、そして実際に行動に移しているところに、それは訪れるものだと思います。

光になるとは、あたりを照らすことなのです。
ともに栄えていくことを選んでいくことです。
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どこを向いているかで変わってくる

2006-01-26 14:27:55 | Weblog
よりよい行動を常にとろうと心がけていてもハプニングはまぬがれません。
あなたのとる行動にはあなたの個性が反映されています。
おっちょこちょいな人はどうがんばってもどこかで忘れ物をするでしょう。
ふとした不注意で誰かを怒らせてしまうことも、気を付けていても起こりうることです。

あなたがつながっているいのちはあなたをサポートしてくれます。
あなたがとった行動が、一見間違っているように見えても宇宙がそれをベースにして周囲に波を起こしていくことはめずらしくありません。

大事なのは、あなたがどこを向いているか、ということです。
心の底に、すべての人が幸せに、という意識が働いていればあなたのとるどんな行動でも宇宙はそこに動かしていってくれます。
それがどういうルートをたどるかは断定できません。
ただ、あなたは広大な宇宙であって、その宇宙から投げかけられた一片の行動にはあなたの大きな意思が宿っているということだけです。
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「ふと」は太い

2006-01-25 17:15:13 | Weblog
ふと、こう言っていた。
ふと、こんなところに行ってみたくなった。

私たちにこうして「ふと」とらせる行動は何でしょうか。
「ふと」は「太」です。
あなたのおおもとと太くつながっていることが多いのです。

知らないうちに動かされているということがあるのです。
自覚せずにやってくるこの「太い」パイプを通じたメッセージ、楽しんでみたらいかがでしょうか?
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人の幸せを望む

2006-01-22 08:06:30 | Weblog
ある人が幸せになることを望むのはおかしなことではありません。
しかし、こういう状態で幸せになってほしい。という道筋をつけてしまうと少し変わってきてしまうことがあります。

その人その人の幸せのかたちがあります。
たとえ家族と言えど他人がそこに介入することは出来ません。

「幸せになってほしい」
あなたのその思い、祈りは必ず届きます。
その人がたどる道筋、適した存在の仕方があります。
祈った後はゆだねるしかありません。
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人に何をしてあげられるか

2006-01-20 14:37:10 | Weblog
人に何かをして”あげる”ということは、そこに傲慢さが出てくることもあります。
しかしそれがどうなのか、考えすぎるとがんじがらめになって行動がとれなくなります。

では、どこをみたらよいのでしょう。

させてもらえることが幸せ。
まず自分が幸せであること。
だから相手も幸せになる。

相手のために自分をころす、なんてこともないと思います。
はたからはそう見えたとしても自分がそこに没頭しているのだったら、
それは犠牲になっているのではなく自分が主人公になっている。

自分も人も活かせる道をまず選びたいものです。
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絶対に負けない方法

2006-01-19 17:21:49 | Weblog
「絶対に負けない方法」を以前にメッセージで受け取りました。

誰にでもできることです。
それは、『比較しない』

大きい小さい、長い短い、速い遅い、持っている持っていない・・・
それは”単なる事実”であって、それ自体どうということではありません。
しかしそこで、
「こっちと比べてあっちは」
「自分と比べてあの人は」
となると優劣が生じます。
勝つこともありますが負けることもあるわけです。

違いがあるものの、一つ一つの輝きを認めること。
それができていれば世の中に戦争は起きません。
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一病息災

2006-01-11 15:29:15 | Weblog
からだが完全な状態とはどんなことを言うのでしょうか。
健康とはなんでしょうか。

見えないいのち、人間の目には見えないぐらい小さないのち。
からだは実に多様ないのちに囲まれています。
からだの内と外、と分けて考えるのはナンセンスかもしれません。

異質なものがあれば病気、という考え方もできます。
しかし、その異質なものがからだの中で暴れて命をおびやかしたり、痛みで苦しめたり、生活を送るのに困難にさせたりするのでなければ、共存することは考えられないでしょうか。

そこにきているもの全てを含めてあなたは構成されています。
必要があって来ている、としか言いようがないのです。
その病気によってほかの何かから守られている、ということは少なくありません。

前にも書いたことですが、排除しようとするのではなく、仲良くしてみるとどうなるのでしょう。
必要がなくなったらそのいのちは離れていくのです。

来たものを拒まないで、じっくりと対話してみるとよいと思います。
必ず伝えたいことがあってあなたのもとにやってきているのですから。
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無理なことは伝えて来ない

2006-01-09 18:09:02 | Weblog
見えないいのちは私たちに事細かに指示を出してくれます。
日常で何をしたらいいのか。
仕事をどう進めていったらよいか。
あるいは過去生でこんがらがった糸のからまりをほどくために、どこへ行ったらいいのか。

自分でうすうす感じていることもあるし、奇想天外なことをパッと伝えてくることもあります。

あ、そうなんだな、と軽く受け止めて、軽く行動していくのが一番だと思います。
そして、行動していくと次があります。

さて、伝えてくるのはどんなことでしょうか。
身構える方もいらっしゃいますが、その人にできないこと、無理なことは伝えてきません。
陸上の選手でもないのに100メートルを10秒台で走れ、というようなことはないのです。
少しの方向転換、頭の切り替えを必要とすることが多いようです。
今まで生活してきた中での盲点だったり、ほんの少し努力を必要とすることなど。
例えば、『早起きをしなさい』なんてことはちょっと生活スタイルを変えるようにしてみたら可能なことです。

そして不思議なのは、しなさい、と言われた時にしてみるとすんなりと出来ることです。
一見無理に見えることでもやってみたら簡単に出来た、というご報告をよくいただきます。

お膳立てが整っているから指示されるのです。
すでにあなたは、宇宙からの後押しを受けているのです。
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光を見るのは難しいことではない

2006-01-06 09:19:09 | Weblog
光を見ること、光となることは、そう難しいことではありません。
私たちはどんな瞬間も導かれ、進む道を見せられています。
一度体験すること。
それは常にそうあれ、という導きにほかなりません。

難しいのは「常に光である」ということです。
一度光を見た、そこから傲慢さが生まれ、それまで以上にひどい状態になっていく人は多くいます。
それがいけない、という問題ではありません。
いつでも「その場」から気づいていけばいいことですから。

遥か先を一度見せていただいて、そこに向かって一歩一歩歩いていく。
進む道が常に示されていることに感謝したい、と思います。

ただ、生きていること、生かされていることに感謝。
そのことに尽きると思います。
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世代間のはたらきの違い

2006-01-04 12:12:40 | Weblog
いつの時代にも年寄りがいて、若者がいて、子どもがいます。
一つの時代にそれぞれの世代が地球に対してしていくはたらきはすこし違います。

あとから来る世代は次の時代のビジョンを持ってやってきます。
年寄りにとっての若者。
若者にとっての子ども。
少しずつ、分からない部分があるのは当然です。
彼らが見ているのはいつも、一つ前の世代が思う先のことです。
そのビジョンを実現させるために彼らはこの地上に生まれてきています。

しかし、未来のビジョンを持っているからと言ってこの現代をうまく運営していくことはできません。
社会の見えている部分を動かしていくのは、この生で経験を積んでいる前の世代の役割です。
動かしていくのに行き詰まったら若い意見を取り入れてみる。
どの世界においても突破口をひらくのに必要なことになるのではないでしょうか。

そして若い世代は、一つ前の世代から現実に対応していくことを学ぶ。
また、古代からの叡智を受け継いでいく。
全てがあるからうまくいくのであり、新しい時代を切り拓いていくことができるのです。

最近とくに盛んに言われていることに、今生まれてくる子どもたちは明らかにこれまでの人間とは変わっている、ということがあります。
地球の変化は確かにいつも以上に速くなっています。
できるだけ自分の物差しだけで判断せずに、愛をもって種を育てていきたいものです。
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