『地球の磁気が狂っている』(2012.9.23)
と伝えてきています。
コウモリの動きに出るようです。
翌日には
『磁気がなくなる。
クリーンなエネルギー。
カゴメカゴメだ。』(2012.9.24)
と伝えてきました。
『地球が多孔質になる。51。』(2012.9.23)
という変化も伝えてきます。
地表の一部のことかもしれませんが。
こういったキーワードを突き詰めていくと、何が起きるのか推量できなくもありません。
『もうすぐイベントが起こる。
全国津々浦々への通達、警告。』(2012.9.23)
『象(しょう)の変化は仕方がない。
(中略)
破壊は黎明期には仕方のないもの。
中に入っていきなさい。』(2012.9.27)
象(しょう)とは、「かたち、すがた」のことです。
地球から搾取している一部のグループが懸念になるのですが、ケモノは入って来られないようになります。
そういった組織は大黒星を喫します。
『神は御国にそれを置かない。
ものの取り合いを認めない。』(2012.9.3)
まずはそういうグループがあることを、日本でみなが認知するところとなります。
『ハートこそが最高のナビゲーション。
陣地に強く食い込むこととなる。
創作的になれ。』(2012.9.23)
『13がひらく、13が。』
『全てがブレンドする方向。
世の祭りはこれから。
地球最後の叫びを聞け。』(2012.9.23)
東北新幹線の白石蔵王駅まで降りてきて、二人の仲間と別れた後、残された時間でどこまで行かれるかを検討した結果、太白山に行ってみることにしました。
きれいな円錐形をしたこの山には、「太白星」(金星)が落ちてできた山という伝承があるそうです。
『ここは間もなく~が鳴る。』
『次への扉』
という言葉が、車を置いて山頂への道に入ったところで聞こえてきました。
途中の生出森八幡神社に参拝。
堂々とした磐座もあります。
後半は急坂です。
山頂の貴船神社に到着。
ここのいのちが、人間を後方から守っているのを感じます。
時代の扉はすでに開いています。
わたしたちはこれまでの世界に安住しようとしがちですが、変化を恐れず、前に進んでいくように伝えられました。
滑りやすい足元に注意しながら、フェンス沿いに下ってみることにしました。
数十mすると、斜面に対して垂直だったフェンスが、平行に伸びるようになりました。
高度的には下がることが出来る下限まで来たようです。
相変わらず視界は濃い霧に遮られたままです。
ここら辺りで、真下に向かって祈ることにしました。
『15分したら晴れる。』
と聞こえました。
しかしこの様子では霧が動くのは難しいのではないかと感じました。
一通り祈ったけれども変化の兆しは見られません。
そのとき仲間が
「観音経を読んでもらえませんか?」
と言うのではっとしました。
わたしはそのように聞こえていたので、心の中で唱えていたのですが、彼も同じように感じていたようです。
もはや、心の中で静かに唱えるのではなく、
『晴れる』
と言われたことを信じて声を大にして祈り始めました。
祈りながら、閉じたまぶたの前が赤く明るくなってくるのを感じました。
読み終わって目を開けると、目の前の霧に変化はありませんでしたが、背中に熱を感じ、見上げると山頂に来て初めて太陽が出てきたのでした。
天頂から変わり始めたのです。
みなの気持ちも確信に変わりました。
再び、それぞれが目の前に気持ちを入れ始めました。
ほぼ同時にみな
「おー!」
と声を上げました。
背後からの風が、いよいよ霧を吹き飛ばし、視界を開き始めたのです。
そこからはあっという間でした。
前方の山容とその先の平地の様子があらわになってきました。
お釜がありません。
じつはわたしたちが向いている方向がまだずれていたのです。
左側に視線を落とすと、神秘的な色合いの沼が姿を現し始めていました。
体感温度も明らかに上がってきました。
360度視界がひらけ、山頂の神社も目を凝らすまでもありません。
レストハウスに戻っていた仲間の女性たちに携帯電話で知らせる頃には、展望台は人であふれ始めました。
フェンス沿いの散策路を降りてくる人も出てきています。
わたしたちはもう少し先に進んで、もっとも眺めの良いところを探しました。
わたしの心の中には、この悪条件の中からしっかりお釜が見られたことへの興奮と、
『15分したら晴れる。』
と言われたことに、はじめに確信、信頼がもてなかったことへの後悔がありました。
その後悔も、本当にことは成就するのだという高揚感に変わっていきました。
9月5日、どうしても旅程に入れたかったのは青麻神社で、あとはいくつか情報があったものの決定的な要素はなく、行き先を決めあぐねていました。
そんな中、印旛沼をご案内くださったK氏が
「蔵王のお釜のエネルギーがすごいから、ぜひ行くべきだ」
とメッセージをくださっており、時間的に無理がないかを確認して、行程に加えることにしました。
実は昨年7月に猪苗代湖周辺を巡ったおり、どこか他に行くべき場所はないか尋ねたら
『蔵王権現の場所』
という回答があったものの、その際には蔵王の山まで行く時間的余裕はなく、代わりに宮城県栗原市の御嶽神社と言う場所を参拝したのでした。
そこではおおむねわたし自身のことを伝えられ、気持ちよい参拝でしたが、蔵王、という言葉にはまだ心残りがありました。
ウェブで見た蔵王のお釜の美しい風景をこの目で見られると思うと興奮します。
<蔵王町観光協会のサイト>
蔵王エコーラインは標高1,758mの刈田岳山頂までの快適な道路です。
標高が上がるにつれ、雲行きが怪しくなりました。
駐車場を降りると、小雨が舞っていました。
下界とは気温が雲泥の差、Tシャツの上に長袖シャツ、さらにレインパーカを着こんでまだ冷気がしみるほどです。
お釜を見下ろす展望台は駐車場、レストハウスから歩いてすぐですが、肝心のお釜は全く見えません。
山頂の神社を参拝してたら霧も晴れるかもしれないね、と、刈田嶺神社を目指しました。
これも目の前なのですが、深い霧のために至近距離に入らないと鳥居が見えません。
社は荒れ狂う突風の中でした。
戸口に立って祈り始めると、神職さんが、社の中に入っての参拝をすすめてくれました。
甘い期待をもってお釜の展望台に戻りましたが、霧の様子は全く変わりません。
タンクトップに短パンという軽装の観光客がレストハウスから寒そうにやってきて、眺望が全く得られないのを見ると、仲間と写真だけ撮って、「寒い!」とレストハウスに走って戻ります。
仲間のうち女性たち3人はさすがに寒くなり、レストハウスに戻ります。
残った男4人でまだそこにたたずんでいると、小型犬を抱いた中年女性が、観光客に大声で何か言っています。
聞いてみると、
「あんたがたは、あっち見てるけど、お釜はこっちだよ!」
わたしたちの見ている方向が見当違いだと言うのです。
視界がないので仕方ない話ですが、標識がある先に目標があると考えていたのでした。
この女性は土地の方でした。
「お釜を見られるポイントはここしかないんですか?」
と聞くと、
「普通はこのフェンス越しに降りていくんだよ。
でもこの天気じゃ無理だろうよ。」
わたしたちの見ていたのと反対方向に下っているフェンスがあります。
なかなかの急角度で、どこまで続いているのかもわかりません。
仙台市宮城野区にある青麻神社の名は各方面から耳にしており、東北に入るときは是非参拝したいと考えていました。
実際、青麻神社という場所は、東北への霊的な入り口として重要視されていると聞きました。
9月5日は、奥松島の宿を出ると、まっすぐそこに向かいました。
鳥居の前に立つと清々しい神気を感じ、皆一様にこの神社への好感を口にしました。
拝殿に立つと、
『祝』
の一文字が見えました。
青麻神社の神紋は麻の模様をかたどったものですが、その神紋がいくつも上がっていくビジョンも見えます。
『いよいよ13だ。』
『かつてあったケモノの撃退。
より、元に戻る。』
境内には清冷な水が湧いていました。
緑も多く、長く滞在したいと思わされる場所でした。
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9月4日に宿泊した奥松島の、早朝ののどかな風景です。
宿から少し下ったところで撮ったものです。
わたしたちが泊まった場所は、地震の被害はあったものの、津波の被害は軽微だったようです。
津波が浅い海に入って速度が落ち、急激にエネルギーを失ったのと、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたと見られています。
<2011年3月23日 読売新聞 ~「松島が守ってくれた」対岸の町、死者1人~>
海に面して、縄文時代の貝塚がありました。
海抜ゼロメートル地帯に集落を構え生活を営んでいたようです。
古代から、海からの被害がそう多くないところだったのではないかと想像されます。
海の恩恵を強く受けつつ災害被害の少ない場所に生活の場所を選んだのは、縄文人の勘と知恵だったのでしょう。
山で見た空は、次々と表情を変えていきました。
雷鳴もありました。
竜の島、と言われるだけあって奇抜なうろこも見ました。
残念ながら、山頂まで行く時間はありませんでした。
島のエネルギーに
『もっとここにいてほしい』
と惜しんでもらう中、下山しました。
船は鮎川港に向けて出発です。
離れた後の島は、山頂付近が厚い雲に覆われていましたから、もしかしたら急な雨に見舞われたのかもしれません。
東の方に、一つだけ出ていた赤い雲の左端が徐々に緑色に変化していきました。
見事な彩雲でした。
祈祷はしていただきましたが、じつは判然としない思いが残りました。
あまり伝わって来ないのです。
神社内を一通りご案内いただいた後、山内の自然そのものに答えがあるかもしれないと、山頂への道を歩いてみました。
わたしは東北地方はこれからおさまり、よくなってくると感じているのですが、この島ではまだまだくぐり抜けないといけないことが多いように感じられます。
『予断を許さない。』
という言葉すら聞こえてきます。
『もっと祈り合わないといかん。』
『祈りが足りない。』
『祈るエネルギーが足りない。』
『こんなんでは地は鎮まらない。』
次々と聞こえてきます。
『天柱石はもはやない』
という言葉から、もしかしたら天と地をつなぐ回路が失われているのかもしれないと感じました。