そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

鉢伏山 3

2023-05-31 13:56:02 | 旅の記録

5月13日に僕の予定が空いていることを告げると、先方も好都合だと言う。

先立って5月5日、鉢伏山について

『蛇(じゃ)が上がり龍が降りる。』

と伝えてきた。

これは良い兆候ではないか。

 

5月11日にTさんのセッション。

Tさんから、集落の人が作った資料を見せてもらいながら詳しく説明を受ける。

段取りがメッセージで降りてきた。

『ここはソフトランディングする。』

と、安心に落ち着くことを伝えてきた。

石の配置については元通りにすることを求めてこない。

陰陽が大事で、要所を抑えればいいようである。

どうやら地球の自転に関係している場所らしいことも伝わる。

Tさんのそこでの役割も告げられた。

 

最後に

『雨でスイング』

と、大雨を予感させられる言葉が降り、山歩きがあるにも関わらず雨具の用意を忘れて出張に出てきていた僕は、翌日ワークマンに応急のレインウェアの上下を買いに行った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉢伏山 2

2023-05-30 13:47:43 | 旅の記録

兵庫県北部の鉢伏山というところの話である。

現地まで行くにあたり、その磐座の説明を事前にTさんに求めたところ、そこは大本教の出口王仁三郎聖師が開いた山なのだという。

現在は大本教の信者が年に一度登山をして、山頂手前のみろく岩で祭りをして祝詞を上げる。

問題の磐座は、そこからさらに奥へなだらかに窪む尾根を歩き、山頂を越えたところにある。

実際に聖師はそこまで行っていない。

みろく岩で直会のときにその方面を眺めて

「あそこは神様がいっぱいおって足を踏み入れるのが勿体無い場所だ」

と周囲に話すにとどめている。

行こうと歩きかけたが直会中の信徒がぞろぞろついてきてしまうのでやめたらしい。

 

1968年に開設されたこのスキー場に、新しいコースとリフトが追加された。

1994年のことだ。

そのときに、今のリフト最上部とその下の支柱周辺に点在していた11個の岩が一ヶ所に集められた。

また、最上部の支柱を建てるために、大きな磐座が一つ壊されている。

11個の岩は建設作業前は無造作に置かれていたのではなく、縦横に交差する複数の直線上に配置されていた。

地面の上にあったのではなく、岩の一部だけがあらわで、下部は埋まっていた状態だったらしい。

 

元の配置は以前にスケッチされていて、石と石の間の距離も記載されている。

しかし、表記を見ても正確に測量されているとはどうも言い切れない。

そもそも石の向きがどうなっていたかは失われている。

それでもなんとか元通りに置き直せないかという議論が、集落と関係者の間で昔から続いていたのだ。

それを気がかりにしたまま亡くなっていった人もいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉢伏山 1

2023-05-29 15:58:00 | 旅の記録

スキー場にリフトを増設するときに、点在していた磐座を一つの場所に移動させてしまったことを問題視し、元の場所に戻した方がいいのではないかと地域で議論している話を、毎月お会いしているTさんから数年前に聞いていた。

Tさんはその土地の方々に以前から呼ばれていて、霊的な相談を受けていた。

その時は、関係者の親族の体調などを相談されただけだったので、磐座については詳しく聞かなかった。

それが、この4月にTさんにお会いする段では、磐座そのものが話題になった。

『あるものを基準にして直線上に並べるべきもの』

というのが僕に伝わってきた言葉であり、これが現地の人に届けられ、僕は請われてその場所に出向くことになった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全体が部分を助ける

2023-05-28 13:59:00 | Weblog

電車を降りてホームを歩き始めて、左太腿前面が張っていることに気づいた。

痛みで歩きにくい。

足が急に弱ったようで気持ちが悪いものだ。


直後にセッションを受けに来たその女性に会ったとき、足の張りに連関する身体中のつながりが、僕の身体に疼きを発しながら表面化した。

問題の足は、最近急にむくみがひどくなったと言う。

足の痛みや張りは足単体の問題ではなく、内臓の疲れによるところが大きい。


彼女は3週間ほど前に子供の風邪がうつったのが悪化して気管支炎をこじらせてしまった。

それ以来喉のいがらっぽいのが消えない。


家庭のこと、関わりのある社会のことと、ストレスは絶え間なく巡ってくる。

昔は人からの助けを得ることが苦手だったが、今はうまく頼れるようになってなんとかしのげるようになったし、苦労が絶えなかった子供のことでも喜びが増えてきたようである。

長くやっているうちに、どこで力を抜いたらいいかも見えてくる。

頑張りすぎず力を抜く方法を覚えられれば、援助の手は周りにいつでも待機しているのが見えやすくなる。


さて、首の張り、左耳上のズキズキ、鳩尾の右際から肋骨最下部をなぞるラインの軽い痛みを伴った膨満感。

それらから時々予測しないところに飛ぶ痛みにも注意しながら丹念に観察していると、だんだん無理なく全身が緩んでいく。

本題の質問としていた家庭のこと先祖のことにも新たな見解が加わった。


起きてから聞くと、喉の違和感は消えている。

僕は喉へのケアは行なっていない。


身体中が気管支、喉の痛みを受け持って一緒に立ち直ろうとしている。

身体の一部分の不調を、全体でカバーしようとする。

言葉に出すと簡単だが、身体はなんと複雑な作業をこなしているのだろう。

有機的な繋がりが綿密に施された小宇宙なのだと、僕は驚嘆を持って身体の凄さを見る。

人為的に作り出せるものではない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『「信」の一言』

2023-05-27 11:23:00 | 旅の記録

兵庫県加西市にある古寺、一乗寺。

西国三十三ヶ所第26番札所として知られる。


ここの開基は法道仙人という不思議な人物だ。

播磨地方の古代史に触れていると必ずこの人にぶつかる。

6世紀半ばに、天竺(インド)の霊鷲山から渡来した仙人で、方術を駆使した。

特に「飛鉢の法」を行ったことで知られる。

托鉢の鉢を自由自在に飛ばして米を求めるというもので、応じない場合はすべての米俵を連れ去るという、乱暴ながら茶目っ気溢れる説話が残る。

この伝説は彼だけのものではなく、白山を開山した泰澄の弟子の臥行者にもある。


法道仙人を探っていてハッとしたのは、彼が牛頭天王と共に日本に渡ってきた、という記述がインターネット上で見つかったからだ。

牛頭天王についての書籍を漁ってきたが、そこは見落としていた。

もちろん牛頭天王も法道仙人もある種のフィクションだからそのまま事実として受け入れるものではない。

しかし、法道仙人を通して牛頭天王という稀有の怪神の出生と成長の過程を覗き見ることはできるだろう。

それは後日に譲るとして。


512日参拝。

初期の三重塔、常行堂ともに見事だ。

新緑の柔らかな陽射しの中ではまだ汗ばむこともなく、いつまでもゆったり過ごしたいと思わされた。





気になったのは開山堂だ。

もちろん法道仙人が祀られている。

その前に立ったとき、左前方ではらはらと音を立てて木の葉がたくさん舞い降りてきた。




「どうやったら世の中を変えていくことができるのか、知ってたら教えてください。」

こちらの勝手な親近感からざっくばらんに問うた。

回答は

『「信」の一言』

とズバリ。

聞くまでもなかったことだが、聞いたことで確信させられる。


「信」は一瞬でもあるし永遠でもある。

自分の今を切り取った瞬間に常に「信」があるか、考えさせられる機会になった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発熱

2023-05-26 14:15:00 | 癒し

自己免疫疾患の持病もあって毎月お会いしている女性だが、その日は一目でいつもよりスッキリしていることが見て取れた。

身体に向き合ってみても違いは明らかだ。


最近熱を出したという。

37.5度以上が続いたので念のため検査したところ、コロナウイルスへの反応は陰性。

普通の風邪による発熱だった。

この熱が、彼女の体調を上向きにさせていた。

発熱後と以前では身体の重さが全く違うという。


発熱は、生体が自らの温度を熱くして、体内の余分なものを排除する作用だ。

身体にやってくるトラブルは高熱に弱い。

癌細胞などは体温が高いところには存在しない。

アレルギーによる湿疹も、高熱が続けば燃やし切ることができたりする。

これらの異物は体温が低い環境に好んで根を張る。

それらに対する身体による防御反応が発熱だ。


だから極力解熱剤などは飲むべきではない。

発熱は自分も辛い。

その辛さを和らげるために薬を摂れば、自分も楽になると同時に、身体にはびこる異物の退治が中途半端で終わってしまう。

高熱が続きすぎると危険な場合も出てくるので、医師の判断で解熱させる必要もある。

だがそれは特殊なケース。

発熱した途端に薬で体温を下げようとするのは身体のためにならない。


身体はとにかく良くできている。

頭で考えて治そうとする医学的知識、技術を超えた不思議な技を繰り広げる。

バランスを保とうとトータルで優れた行動をとる。

血圧が上がるのもその一つだ。

無闇に下げれば良いというものではない。


子どもは元気だからすぐに熱を出す。

そして身体を元に戻す。

だが大人になると体力がなくなり、熱を出すこともできなくなる。

たまに得られた発熱の機会は都合の悪いことが多いだろうが、生体の自然な力をできるだけバックアップする体勢をとりたいものだ。

きっと思わぬところに体調の改善を見ることになるだろう。


この彼女の場合、前月までのセッションと特に違いが大きかったのは、身体が楽になっていく速さだった。

そして本人がそれに気づけるようになったことだ。

肉体が自分自身に近くなったようなものと言ったらいいかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土地の主

2023-05-25 16:57:00 | Weblog

昨年から古民家生活を楽しんでいる女性からの相談だった。

もう7.8年ぐらいはご無沙汰している方だ。

今年に入ってから、背後の霊的存在が僕のメッセージを求めるようにと伝えてきたという。


借りられる古民家を探していたところ、亡くなった父親を知っている老人が大家として現れたというからご縁だろう。

仲良くしている人を多数招いて食事会をしたり、裏の竹藪を利用して門松を作ったりと、思う通りに楽しんできたが、気になったのは庭にある井戸だった。


その深い井戸は使われなくなってから長い。

昔を知る人は、当時そこの水はよそのが枯れても湧いていたと言うそうだ。

今も少量の水が出ているようでもある。

この場所にご縁で呼ばれたのなら、この井戸を整備して再使用するのが自分に求められていることなのではないかと言う気持ちが彼女の中で強くなってくる。

しかし業者に軽く相談してみると、使えるほど水が出るようにするには相当深く掘らなければいけないかもしれないという。

きれいにするだけでなく、深く掘るとなると相当の金額もかかる。


電話で話を聞いたが、どうもその井戸は再度使われるのではないようである。

神職に神事を執り行ってもらって閉じれば良いようだ。

ここで面白い言葉が聞こえた。

『そこにはヘビ、龍はいない』

というのだ。

井戸の主はおらず、汚れた水場として障りがあるのでもないことを伝えてきたのだった。

そしてここは

『明け渡す。干す。』

という。

「干す」のならば水が出ることは望めない。

一方、「明け渡す」のは人の手から自然へと返すことであり、行先として悪いものではない。


さらに、井戸が障りがなく明るい場所だということが

『そこには鳥の羽がある。』

というメッセージで補完された。


ヘビから鳥へのエネルギーの移行は、全く知らないこんな場所でも行われていた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田鴨神社

2023-05-24 14:47:00 | 旅の記録

58日。

大阪から京都へ車で移動することになった。

前日までは朝のうちが雨との予報を示していたが、雨雲の移動は速かったようで、外に出ると爽やかな一日を予感させる心地よい冷気に満ちていた。


出自が葛城の鴨氏は、古代に京都に移動して上賀茂、下鴨神社のある京都市内中心部に根を張った。

もちろん、全国各地にも移住している。

大和から京都への道筋には、移動のルートを示す遺跡が神社として残っている。


その一つが岡田鴨神社だ。

JR奈良線を横切って国道163号線を東へ走ると、木津川を右に見ながら遡ることになる。

市街地から山並みが大きく視界に入ってくる。

山々の斜面には住宅が建ち並んでいるが、護岸されずに悠々と流れる川のおかげで、古代の情景が重ね合わされる。

新緑の濃淡が見ていて飽きない。


田畑の中をしばらく進み、木津川を南に渡って小集落に入り込む。

ナビでは目的地の位置情報が示されているが、入り組んだ小道のその先に車を停めるスペースがあるのか判断できず、迷惑のないよう手前の離合可能な坂道に車を置いた。


かつては神社を中心の一つとして日常生活が営まれたであろう静かな家々の間を進むと、社はやはり今も地域の主として柔らかな威厳を保っている。

鳥居をくぐる前にまず

『けがれがない』

と伝えてくる。

ざあー、ざあーと大きな音を立てて参道の両側の、さほど太くない杉が揺れた。




水屋手前に立つ灯籠の、左のものには天満宮と書いてある。

右のものは「加茂大明神」だ。

水屋には龍や亀、カエルなどが象られていることが多いが、ここは大きく両翼を広げた猛禽、と思ったらカラスだった。




社殿に向かって歩き出すと

『今まで動かなかったものが』

と、結論は明確ではないが今後を期待させる言葉が聞こえる。




『地盤がきれいにされていく』

これは何よりの安心材料だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉の塩竈神社

2023-05-23 15:38:17 | 旅の記録

今年の3月8日、どこかに出かけている夢がまだ鮮明な状態で夜中に目が覚めて、筆跡の乱れたメモをいくつかとっておいた。

その一つが、

『横浜、塩竈神社』

というもの。

起きてから調べると塩竈神社は横浜市ではなく、すぐそばの鎌倉市にならある。

最寄駅は大船だ。

「横浜に行く日に合わせて大船の塩竈神社に参拝する」

のなら解釈にも行動にも無理がない。

3月12日は早朝のフライトで羽田空港に着くので、横浜のホテルにスーツケースを預けて往復する時間は充分にある。

 

塩竈神社の由緒は、当地から仙台に出向していた娘が帰依していた神を勧請したもの。

人の移動で神は動くのだ。

 

決して大きくはないが、清浄に保たれている。

近隣への配慮であろう、横に大きく枝葉を伸ばしていたはずの樹木が幹だけに刈り込まれていたのは残念だ。

人がきちんと手を入れているだけ良いのかもしれないが。

中に吊るされた提灯が灯されているのも管理がしっかりしている証拠だ。

 

神前で光を感じた。

この神社にはいのちが住んでいる。

そして、祈りでまだまだ神威が増して守りが広がることが確信できる場所だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『人間はみんな鳥なんだ』

2023-05-22 11:29:38 | 未来の創造

5月8日のある女性のセッション。

鳥が両翼を大きく広げてはばたく姿のビジョンが飛び込んでくる。

そして表題の言葉が降りてきた。

 

蛇族のエネルギーも、鳥族のエネルギーも持つ我々人間。

(かつてはDNAという言葉もあったような気がする。)

以前はヘビと鳥が混在していた。

そこから、ヘビのエネルギーの終わりが予言され、鳥の時代への移行が明言された。

 

ヘビのエネルギーの勢いはここのところ大いに弱まった。

だが、

「人間はすべて鳥だ」

と自信を持って言うことは僕にはできなかった。

 

メッセージは常に先をいく。

やってくる新たな繁栄の姿を生き生きと浮かび上がらせる。

 

『月が変わるんじゃないのか、ひもとけひもとけ。』

とセッション後半には降りてきた。

月の変容は人の潜在意識に作用する。

 

いずれ続く言葉が降りてくることを期待している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする