昨日のブログを書いていて、つい半月前のことを思い出しました。
ある地方の、由緒の古い神社に、友人に連れて行ってもらったときのことです。
見えない世界がわかるその友人は、その神社のことを、
「きれいなんだけど何だかおかしい」
「後ろの方がちゃんとつながっていない」
と表現していました。
拝殿前に立ったときに聞こえてきた言葉は、
『四祭神が役に立っていない』
でした。
拝殿横に奥へ通じる鳥居があり、そこをくぐった先にはたくさんの祭神が長い社におさまっていました。
神社に入ったとき一緒にいた5人全員が感じた違和感は、たくさんの木が伐られた跡からくるものでした。
残った切り株の大きさを見ると、長い年月そこを見守ってきた大事な木であったろうことが容易に想像できるものもありました。
地方都市の中心地近くに位置する神社で、入り口は片側2車線の通行量の多い道路に面しています。
由緒書きを読むと、昔は今の5倍もの規模があったことがわかります。
今は細くなってしまった参道の脇は、昔はきっと小動物も豊かに暮らした鎮守の森が茂っていたに違いありません。
切り株は、すべて神社の敷地の端に位置していました。
イチョウの葉がたくさん落ちているのに、イチョウの木はそこにありません。
最近伐ってしまったばかりなのでしょう。
察するに、敷地ぎりぎりから張り出した木の枝が、横の細い路地を通るのに邪魔になる、とか、近隣住宅へ葉がたくさん落ちる、といった理由があったのだと思います。
神社にとっても木を伐るのは苦渋の選択だったかもしれません。
しかし、ご神木を伐れば、それを依代(よりしろ)とする神が働かなくなるのも当然ですし、そうすると神社の活気もますますなくなるでしょう。
鳥居を出るときに振り返ってあらためて見た神社は、とても寂しそうに見えました。
ある地方の、由緒の古い神社に、友人に連れて行ってもらったときのことです。
見えない世界がわかるその友人は、その神社のことを、
「きれいなんだけど何だかおかしい」
「後ろの方がちゃんとつながっていない」
と表現していました。
拝殿前に立ったときに聞こえてきた言葉は、
『四祭神が役に立っていない』
でした。
拝殿横に奥へ通じる鳥居があり、そこをくぐった先にはたくさんの祭神が長い社におさまっていました。
神社に入ったとき一緒にいた5人全員が感じた違和感は、たくさんの木が伐られた跡からくるものでした。
残った切り株の大きさを見ると、長い年月そこを見守ってきた大事な木であったろうことが容易に想像できるものもありました。
地方都市の中心地近くに位置する神社で、入り口は片側2車線の通行量の多い道路に面しています。
由緒書きを読むと、昔は今の5倍もの規模があったことがわかります。
今は細くなってしまった参道の脇は、昔はきっと小動物も豊かに暮らした鎮守の森が茂っていたに違いありません。
切り株は、すべて神社の敷地の端に位置していました。
イチョウの葉がたくさん落ちているのに、イチョウの木はそこにありません。
最近伐ってしまったばかりなのでしょう。
察するに、敷地ぎりぎりから張り出した木の枝が、横の細い路地を通るのに邪魔になる、とか、近隣住宅へ葉がたくさん落ちる、といった理由があったのだと思います。
神社にとっても木を伐るのは苦渋の選択だったかもしれません。
しかし、ご神木を伐れば、それを依代(よりしろ)とする神が働かなくなるのも当然ですし、そうすると神社の活気もますますなくなるでしょう。
鳥居を出るときに振り返ってあらためて見た神社は、とても寂しそうに見えました。