そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

鬼が無くなる

2008-11-23 07:23:48 | 癒し
今年の節分の時期、”鬼”について書きました。
『日本という国が本当に強くなっていくためには、鬼をあげていかなくてはならない。』
3年前に聞こえていたことです。
その言葉通り、以来鬼に関係する場所に多く呼ばれるようになりました。
自分で行動する中で、鬼というものに対する認識が強く、深くなりました。

9月8日、訪れた熊野の山奥で、
『熊野の鬼神がひらく』
と聞こえました。
そのメッセージをお伝えした方の中には、泣いてよろこぶ方もいらっしゃいました。
その方達も、”鬼”への思いが強かったのです。
封印されていたものが、神聖なものとしてあらためて認識しなおされる。
そのプロセスが、ここ最近強められているのではないでしょうか。

翌9月9日、やはり熊野のある地域で、今度は
『鬼が無くなる。元のかたちになる。』
と聞こえました。

鬼が鬼でなくなる、とは、邪悪なものとして封印された存在では無くなる、という意味でしょう。
日本各地に封印された鬼がたくさんありましたが、それが無くなっていく、ということです。
今日明日のことではありませんが、近い将来に起きてくる大きな出来事だと感慨深くとらえました。

過去に創り出された鬼とは、誤認であり、差別であり、蔑視の総称です。
それらがなくなり、わたしたちは出発地点にいよいよ戻ることが出来ます。

同時に、わたしたちの心の中にある鬼に焦点を当てて見直してみることは、自分自身をトータルにとらえることを可能にします。
排除しようと攻撃するのではなく、それはあるものと受け入れる受容の立場は、わたしたちを真に優しくしてくれるものと思います。
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その痛みは『ない』

2008-11-08 09:51:39 | 癒し
はじめてその女性が来たのは2ヶ月半前でした。
3年前に、以前からの不定愁訴が、めまいというかたちでからだに現れはじめたそうです。
病院を訪れましたが明確な診断はされず、薬を処方されましたが、変化もないので飲むのをすぐやめました。

1回目のセッションは、言葉で伝えてくることははっきりしたものでした。
彼女に当座必要なのは、先祖の墓のお参りをすること、そして沖縄の御嶽をまわることでした。

一方で、セッションでわたしに感じる手応えは少ないものでした。
彼女はどの部位からの痛みも訴えてきます。
しかしわたしにはそれらの痛みを感じることが出来ないのです。
訴える痛みは変わらぬまま、セッションを終えました。

その後彼女は精力的に動き、祈りました。
先祖の地は北海道でしたから、短い期間に北海道、沖縄と長い距離を移動したことになります。
それだけのことをするのには時間がかかると思っていたので、わずか2ヶ月で宿題をやり終え、2度目のセッションを申し込んできたときには驚く一方、真剣にメッセージに向き合ってくださったことを嬉しく思いました。

さて今回の2度目のセッション、からだがだいぶ軽くなっているのは彼女にもわかりました。
ただ、彼女が口で伝えてくる痛みと、わたしが感じる痛みの部位は違っているのは初めてのセッションの時と同様です。

『しっかりしすぎている。』
『もっとルーズでいい。』
伝えてくる言葉は、彼女にも頭では納得できます。
ただ、力の抜き方がわからないのです。

やがて、わたしには彼女とわたしが感じる痛みの場所が違う原因がよくわかってきました。

「その痛みはないですよ。
 本当に痛い場所はこちらですよ。」
わたしが言うことに彼女は首をかしげていましたが、本来の自分の感覚が戻ってくると、わたしが伝える痛みの場所、彼女が痛く感じる場所が一致してきました。
そして、当初彼女が訴えていた痛みは全くなくなりました。

不安感から、ないはずの痛みを創り出していたのでした。
深い納得を得て、言葉にできない曖昧な不安感、自分の行動が正しくないのではという焦りなど、からだのそこら中に散らばっていたものが一本化されたようです。

見えない原因でいえば、まわりに吊るし上げられ、処刑された恐怖という過去生からの遺物もありました。
彼女にはそれも納得がいくものだったようです。

大切なのは、不安をなくしていこうとするアプローチではなく、自分でがんばる部分を減らし、まわりの人や見えない世界を信頼しゆだねていく、というゆるい考え方です。
不安は、”感じてはいけないもの”ではありません。
不安もあってかまわない、でも見えない世界との密接なつながりをよくよくわかってくれば、いつも背後から追い立てられるようには感じなくなるでしょう。

からだの重みがない状態は3年以上ぶり、ということでした。
この3年間は、これからの人生を考えれば実に貴重な体験だったと思います。
『これで自分をめぐる冒険はひとまず終わり』
と聞こえました。
今度はまた新たな冒険のお手伝いができれば嬉しく思います。

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”あまのじゃく”な伝え方

2008-11-02 06:30:39 | 癒し
わたしは向かい合った人の痛みを、自分の体を通して知ります。
本人が気にしている部位もわかりますが、本人の知らない痛みも分かります。
本人が気づいていない痛みは案外多いものです。

たいがいの人は右半身、左半身のどちらかにゆがみが出ています。
足首、膝、股関節、腰、背中、首、頭まで。
そして、同じ側のおなかに原因があることも少なくありません。

その女性のセッションの時も、はじめにそのゆがみを指摘しました。
わたしに感じられたのは、左側の痛みでした。
本人に自覚はないというので、わたしが痛みを感じる部位に直接さわって尋ねてみたのですが、わからないと言います。
本人が普段痛みを感じるのは右側なのです。

しばらくして聞こえてきたのは、
『(この女性は)あまのじゃくなところがある』
ということでした。
それを伝えると、苦笑いしながら肯定していました。

わたしの感覚が変わったのはそれからです。
彼女の痛みは右側にあることが認識できるようになり、的確に手がいくようになりました。

わたしはその”あまのじゃく”に、少しの間からかわれていたのかもしれません。
からだから発する信号にも人の性格、個性があらわれるという発見で、面白い体験でした。
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