そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

一人だけ覚醒できるのか

2006-09-26 19:11:22 | 癒し
夫婦で真理を求めている方々がいます。
それぞれが同じ方向を向いて、思いやりをもちながら生きていくことを大事にしていれば、何か問題が起きても、必要なことと受け止めて力を合わせて歩んで行くことが出来ます。

珍しいことではないと思うのですが、別々のやり方で真理を求めていこうとする夫婦もあります。
やり方が違っていても、お互いを尊重しているのであればそれも問題ないはずです。

問題になるのは、お互いが背を向け合っている場合です。
彼は彼の道、わたしはわたしの道。
わたしはわたしのやり方で、もう少しのところまで来ているのだけれど、彼の生き方はわたしを妨害する形で働く、と主張する奥様です。
そしてご主人はご主人で奥様の生き方を非難しています。

その状態が進むと、離婚した方がいいのではないか、という考えに至ります。
しかし、その問いに対する宇宙からの答えは『否』です。

性格が正反対、そのせいでぶつかり合っているように見える二人ですが、ぶつかっているのは同じ部分です。
相手に自分を見て、そこが気に食わないだけです。

ともに生きられる幸せを実感し、感謝することからのみ、その悪循環から抜けることが出来ます。
そこに気づいた側からその行動を起こせば、遠からず配偶者もその雰囲気に順応し、いつしか同じ方向に目を向けていくことになるでしょう。

お互いを障害と見ながら真理を求め続けても、そこに至る門は開かれることはありません。
今あるところに自分がなぜ連れてこられたのか、というそもそもの始まりに着目したら、どういう行動をとっていったらいいのかが示されるのです。

「自分だけ」と考えていてどうにかなることは、ありえないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈りについて、前回への追記

2006-09-21 07:06:52 | 癒し
前回の、『祈りが足りなくなる』を書いたら、内容について戸惑った、というメールをいただきました。
祈りなのか、個人的な願いなのか、無条件に愛から出ているのかエゴなのか、行動について考えるとがんじがらめになってしまうことがあります。
そこを深く考えて悩んでいる人も多いと思います。

その状態に感謝していられるか、そして出てきた結果を感謝して受け入れることが出来るか。
自分の心の状態で分かることかもしれませんね。

祈るということは神と一体であること、宇宙と一体であることですから、疑い、不安の余地がないことです。
だから焦りとも無縁になります。

いただいたメールに返事を書きながら、『祈りが足りなくなる』というメッセージがなぜ下りてきたのか、確認が出来ました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈りが足りなくなる

2006-09-13 19:35:27 | 癒し
わたしたちは常に守られています。
祈るということは、守られていることを信頼し、その上で見えないいのちに発信していくことです。

見えないいのちに、
「心配しなくてよい」
「大丈夫」
と伝えられてきているのに、それでも気にして色々考えてしまいます。

よいとか悪いとかではなく、ありがちなことです。
しかしよく考えてみれば、大丈夫と言われているのにそれでも気に病んだり、策を弄してしまうのは、信頼が足りていないことになります。
祈りが足りないことになります。

任せるということは行動すること以上に難しいことです。
でもこの世界が調和のとれたものになるためには、
「まかせる」
ということが何より大事なことなのです。

何度もセッションを受けていただき、さまざまな点でよい兆しが見えてきた方におりたメッセージから、気がついたことを書きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族という単位

2006-09-11 22:21:03 | 癒し
以前、若い女性とそのお母さんがやってきて、二人ともむくんだ足を見せてくれました。
その女性はその一月前にセッションを受けて下さっていて、すっかりすっきりしたのでお母さんを紹介して下さったのでした。

二人とも数日前から突然足がむくんできて、痛みもひどいのだそうです。
聞けば、一番状態が悪いのは、お父さんだとのこと。
そう言えば、一ヶ月前のセッションの時、お父さんの具合が悪いので相談を受けていました。

セッションを終えてお母さんの足は元通りになりましたし、女性の足もちょっと触ってあげただけで治ったのです。
お父さんの具合の悪いのを心配していて、家族みんなで一緒にお父さんの分を受け持ったんですね。
これだけ心配されていて、本当はお父さんがセッションに出て来られれば一番いいのですが、今のところなかなかそうもいかないようです。

家族想いがこんな形で出てくることに改めて気づかされました。

さて、一つの家族を見た時、一人だけ具合が悪くてあとは皆元気、というわけにはいかないようです。
一人の人間が成熟していく過程にあるとき、家族も一緒にその渦の中にいます。
一見すると災いが多いように見えるかもしれません。
でもその糸口は、必ずシンプルなところにあるのです。

お互いを思いやり、大事にしていくということです。
個人の出口が見えるとき、家族の出口も見えてくるのです。
皆で一つとなって、進んでいかなくてはならない、切り離すことはできないことです。

そして常に、足元が大事、ということを忘れてはいけないのです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉のいのち

2006-09-03 12:26:45 | 癒し
見えない世界からの言葉をおろすことはわたしの仕事の一つです。
わたしは言葉を伝えるだけであり、それ以上の責任をもつものではありません。
人に伝えた言葉が実践されていくのか否か、執着をもたないようにしています。

人に伝えた時点でその言葉はわたしのものではありません。
しかし、わたしが伝えた言葉を自分の都合のよいように解釈する人には、気がついたところで注意をします。
それを繰り返す人とは、自然に縁がなくなっていきます。

何気ない言葉で伝えたことを、真摯に受け止め、具体的に理解、行動して下さる人には頭が下がります。
実体のなかった言葉にいのちが吹き込まれ、働いていくのが分かります。
言葉にいのちをもたらすのは人の理解、得心だと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする