僕がどこから、誰からメッセージを受けているのか昔から聞かれるのだけれど、それは決まった一ヶ所ではないのは明らかだ。
その人の想いが聞こえてくることもあるし、関連ある人や生き物の気持ちだったり、またその土地にある見えないいのちのものだったりする。
そういった「いのちある」同士の横のつながりからくるものに対し、次元の違う「メタ」の領域、全体を俯瞰する立場からもやってくる。
そこからでなければ知り得ない情報がある。
突飛な結果への道筋は非論理的であるように思われるけれど、それは現在の人間の知にかたよった考え方だ。
見えない因果も論理で説明し尽くすことは可能だろうと僕は思っている。
そこまで科学が到達し得るかの問題だ。
とはいえ、生身の人間にその能力が完全に与えられるわけではないだろう。
何でもわかってしまっては生きていて何も面白くなく、生きる価値がない。
先が見えないことは、学びであると同時に喜びでもあるはずなのだ。
それを不安と捉えれば、今という瞬間に濁りが訪れる。
やりたいことはやってみるに限る。
それをやって良いか悪いか、などという一面的な考えで括るべきものではない。
メタは希望への一歩に不要な干渉をして修正を行わないだろう。
強権をかざす親とは違う。
あくまで自分で決めて生きたら良いのだ。
次々生まれるなりたい自分への熱を燃料に。
注意深くしていれば、進んでみると良い方向や、退くべきときのサインは示される。
そして連れて行かれた場所を肯定したら良いではないか。