そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

許しの始まり

2006-06-30 05:59:50 | 癒し
『物事の関係性を認めていくことが許しの始まり。
周りにあるものを信じて。
人は皆光の中にある。
怨念の中に生きているのではない。』

ある男性のセッション中に出てきた言葉です。
「許す」という言葉は大きな意味を含んでいます。
相手が非を認めて謝ってきたのを「許す」。
異質に思えるものでも「受け入れていく」。

でもその前提にあるのは、自分に関係があるものだとまず認めること。
自分に関係のない人、関係のない世界、と位置づけて無視しているのでは、ことは始まりません。
関係をもちたくない、では許しは始まらないのです。

誰一人として関係し合わず生きている存在は、この地球上にはありません。
距離的にどんなに遠くにあるものでも、私たちの思いは届くのです。
すべてが影響し合って生きているのです。

いつまでも特定の人との縁を保ち続けなさい、という意味ではありません。
生きている中で個人と個人の間で縁が生じ、そして終わっていきます。
終わった縁をいつまでも追いかけることは、自分と相手の成長を妨げることになります。

積極的に自分の意識の中で、それぞれが幸せになっていくことを祈ることです。
必ずどこかで変化は生まれてくるのです。
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世界観

2006-06-29 06:49:49 | 癒し
『自信を持て。
虚心坦懐を、うかがっている。
ニコニコと相手をほめること、守ること。

今、やられてたまるかと思っている。
弱肉強食だと思っている。

人間社会はそうではない。
汗をびっしょりとかきながら、太陽の光を浴びながら生きるのだ。

人生を甘く見ているね。』

20歳代女性へのメッセージです。

社会というのは厳しいもので、弱い者は搾取される、とって食われてしまうものだと考える方も多いことと思います。
この女性もきっと心の奥底にそういう思いがあるので、こんな言葉がおりてきたのでしょう。
『やられてたまるか』という『弱肉強食』の世界から、『ニコニコと相手をほめ、守る』世界へ。
その『にこにこ』も処世術ではなく、真心からしていくことのできる世界へ。
それを実現している人には、社会は非情な、弱肉強食の世界ではなくなっていきます。

『汗をびっしょりとかきながら~』というのは、頭で考えるのではなく、体をつかって動いていきなさいということだ、と私は受け止めました。

最後の『人生を甘く見ているね』という言葉。
これは、彼女が、強者になることが手っ取り早いこと、と表面で受け取っていたせいではないでしょうか。
奥行きの深い世界にしていくには、愛をもって社会に接していかなくてはなりません。

一方で彼女のたましいは、
『まっすぐに行きたい。
プロになりたい。
心のケアをしたい。
たくさんの人が幸せになるように世話をしたい。
人を癒したい。』
という言葉も伝えてきました。

優しい気持ちの持ち主ならばこそ、社会に生きていて、ぐらり、と揺さぶられることがあります。
しかしそこを通過するからこそ、多くの人の気持ちも理解できるようになり、人を癒す仕事が出来るようになっていくのです。
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まず見るべきところ

2006-06-25 07:07:23 | 癒し
若く健康な男性でしたが、友達から紹介され、将来のために普段どういったことに気をつけていたらいいかを聞きたいとやってきました。

はじめに聞こえてきたのは
『へびににらまれている』
ということでした。
さしあたって本人が把握している事実はありません。
しばらく続けていると過去生のことが浮かび上がってきました。

16世紀後半、海賊のようなことをしていました。
その集団は『龍神の威光を笠に着て』活動していました。
そのときに、龍神の名と力を使い、人々を苦しめてきたのかもしれません。

まずこれから一番にすることとして、過去生で関係のあった場所の龍神に挨拶、感謝をせよと伝えてきました。
『へびの方を向いて将来をつくれ』
とのことでした。

現在の人生を発展させていくためにどうしても避けて通れないところがあります。
それを障害ととるのか、あるいは自分を転換、飛躍させてくれるものと積極的にとらえるか、人の解釈はさまざまです。
しかしどんな過去生であれ否定的にとらえる必要はなく、今の生をより幸せで充実したものに創り上げていくためにあるのだと思えばよいのではないでしょうか。
自分は今の人生だけで出来ていると思わず、魂の長い歴史をすべて自分と振り返るのには、「よい」「悪い」の価値判断は必要ないのです。
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無為

2006-06-24 07:33:22 | 癒し
きっかけはご主人が体調を崩したことだったのですが、この30代前半の女性の言う通り、彼女が呼び寄せたことだったのかもしれません。

10数年前から『神』を信じてきたそうです。
何気なく思ったこと、本気で願ったことが全て実現してきたことで、彼女は見えないいのちの存在を確信してきました。
唯物論的な男性と結婚した後はそういった魂の話を外でするほかなかったそうですが、ご友人から私のブログを紹介され、いつかセッションを受けたいと思って下さっていたそうです。

そういった背景を聞くことなく、彼女のセッションからはじまりました。
「世界の役に立つにはどうしていったらいいのか」
直接のご質問は違う内容でしたが、本当にお聞きになりたいことはそんなふうにとれました。

途中、
『心の声かどうなのか、分からなくなることがよくある』
と聞こえたので尋ねると、確かに見えない世界と交信しているそうなのです。
ただ、多くの方と同様、それが本当に見えないところからメッセージとして下りてきているのか、確信ができなくなるそうです。
それでもこの方の場合、自分の中で会話を続けていたそうです。

そして本題です。
彼女がどのように、自分の世界を広げていったらいいのか。
その答えは、
『無為』
とのことでした。
『何のために』ということなく祈り、瞑想することだ、と伝えてきました。

彼女のまわりにも悩んでいる人は数多くいます。
しかしその人たちが「気づきたい」と思い始めることなく、悩みから解放されていくことは非常に難しいことなのです。
だれか特定の知り合いが楽になっていくことを望むのではなく、ただ、祈ること。
そして、生活の中で小さなことにも気づきを持ち、幸せを感じることが大事だと、再三伝えてきました。

特別なのではなく、当たり前のことの中に神が宿ること。
その喜びの中に全てが癒されていくヒントがあると、彼女に常に理解していて欲しいというのが、見えないいのちの意図することだったと感じました。

最後になりましたが、このきっかけとなったご主人について少しふれたいと思います。
彼女の祈りから始まったことなのかもしれませんが、体調を崩したことで、大きく人生を振り返るきっかけになりました。
そして
「何か本当に大事なものが存在する」
「自分は体調を崩すことで貴重なものをさずかったのだ」
とはっきり自覚することができた彼は、これからきっと彼女とともに人生を楽しむ一方、多くの方々のために役に立つはたらきをなさっていくのだと思います。
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それまでの苦労

2006-06-21 06:23:11 | 癒し
「それまで苦労してきた方ほどセッションの後好転していますね」
と、おっしゃった方がいました。

なるほどそうかもしれません。
どれだけ転換していくかは、それまでその方がどれだけ人生を真剣にみつめてきたか、ということでもあるような気がするのです。
悩めばよい、というわけではありませんが、自分の中での問いが大きければ大きいほど、答えが大きくなるのでしょうし、それを得た時の喜びの大きさが違うのでしょう。

一つ一つの出来事を真摯に受け止めていくこと。
現在いるところから前に進んでいくには、自分の一番身近なところに特に真剣に接する必要があると思います。
変化が常にある、今この瞬間にめぐりあったことがどれだけ貴重な事か、希有な事かを知っている人ほど、この人生の美しさに感激するのだと思います。

変化は人それぞれ、必要な時にやってきます。
自分のまわりのものの美しさをいつも感じられるようになったら、人はどの瞬間にも新しくなっていかれるのです。
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「自分が変われば」とは

2006-06-13 10:11:47 | 癒し
自分が変われば、まわりの環境にも変化が出てきます。
いままでうまくまわらなかったことが簡単に動くようにもなります。
仕事場や学校での人間関係が好転したり、家族の中の調和が取れてきたりするのです。
ご主人や奥さんが家族を大事にするようになるなど目に見えるような変化だったり、仕事で幸運が続くなど一見不思議に思えるようなことだったりと、人によってさまざまあります。

まず自分を見てみることが問題解決の一番の鍵と言えます。

しかしだからと言って、自分が悪いのだから変わらなくてはいけない、と考えると意味が違ってきてしまいます。
全ては自分の中にあり、自分が変わっていけばまわりも変わると見ることと、自分が悪いのだから変わる必要がある、と自分を責めることは違います。

自分を責める人は他の人も責めます。
そしてどこかに悪者を作ることで自分を満足させようとします。
解決したように見えることもありますが、根本のところでは解決はしていませんから同じような問題がまた起きることになります。
根本原因に気づこうとせずに外科手術で患部を切り取って、時間がたってまた同じ病気にかかるのと同じようなものです。

物事は前向きに見た方が好転しやすいのです。
「悪い」ところから脱出しようとするのと、幸せに、調和の方向へ進もうとするのは、似ているようですが同じことではありません。

苦しむことが必要なのではないのです。
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自分で決める

2006-06-09 10:25:51 | 癒し
ただ具体的に導くばかりが見えないいのちのすることではありません。
どんなときでもわたしたちがどのように意思していくか、常に見守ってくれています。

本来進んでいく方向が見えていながら、さまざまな障害、困難により意思が弱くなることがあります。

「どこまで自分を信頼できるか」
ということになります。
いつでも具体的に指導され、ただその通りに生きていくだけならば非常に楽には違いありません。
しかし手探りで確かめつつ、人を信頼して自分なりに結論を出していくことで、私たちは自分の歩みを確認していきます。

最後は自分で決めなくてはなりません。
選択すると言うことがすべてを形作っていきます。

わからないながらも動いてみて、その結果振り返ってみた時に感じられることは常に一つです。
それはやはり、
「常に導かれている、見守られているのだ」
ということです。

信頼という言葉が、わたしにとっていつも区切りの時に感じる言葉です。
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